(Translated by https://www.hiragana.jp/)
アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ - Wikipedia コンテンツにスキップ

アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ
Anderson Bruford Wakeman Howe
別名べつめい ABWH
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル プログレッシブ・ロック
シンフォニック・ロック
活動かつどう期間きかん 1988ねん - 1990ねん
レーベル アリスタ・レコード
メンバー ジョン・アンダーソン
ビル・ブルーフォード
リック・ウェイクマン
スティーヴ・ハウ

アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウAnderson Bruford Wakeman Howe)は、イギリスプログレッシブ・ロックバンドである。略称りゃくしょうABWH

活動かつどう時期じきちゅうは、日本にっぽんばん音源おんげんなどにおいて「アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ」として言及げんきゅうされていたが、その、ドラマーであるビル・ブルーフォード日本語にほんご表記ひょうき変更へんこうされたため、アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウとして言及げんきゅうされるようになった。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1980年代ねんだいイエスさい結成けっせい活動かつどういて、しんメンバー、トレヴァー・ラビン(g, vo, key)のイニシアティヴによってコマーシャルしていったことに幻滅げんめつしたジョン・アンダーソン(vo)が、1988ねんにイエスを脱退だったいし、『こわれもの』や『危機きき』を発表はっぴょうしたころのような、1970年代ねんだいにあった創造そうぞうせいよみがえらせようと当時とうじのメンツをせて結成けっせいしたバンドである。

メンバーはビル・ブルーフォード(ds)、リック・ウェイクマン(key)、スティーヴ・ハウ(g)とアンダーソンの4にん構成こうせいされる。ベースにはキング・クリムゾンにおけるブルーフォードの盟友めいゆうでもあるトニー・レヴィン起用きようした。ラビンの理解りかいしゃで80年代ねんだいのイエスもとする立場たちばクリス・スクワイア(b)は参加さんかしなかった。マネージメントは1970年代ねんだいにイエスのマネージメントをしていたブライアン・レーンである。アルバムのジャケットも1970年代ねんだいのイエスの作品さくひんえがいていたロジャー・ディーン起用きようされた。

その、サポート・メンバーとしてマット・クリフォード(key)、ミルトン・マクドナルド(g)が、アルバム収録しゅうろくきょくきょう作者さくしゃとしてヴァンゲリスジェフ・ダウンズエイジア)、マックス・ベーコンもとGTR)らのクレジットがある。

当初とうしょはイエスを名乗なの予定よていであったが、バンドめいのライセンスを保有ほゆうしていたのが不参加ふさんかのスクワイアであり、アンダーソン脱退だったいという不測ふそく事態じたい見舞みまわれたもののイエスは存続そんぞくしていたため、単純たんじゅんにメンバーめいならべたアンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウABWH)にせざるをなかった。

アルバムは1989ねんに1まいのみ『閃光せんこう』を発表はっぴょうしている。また、そのライブ・ツアーもおこなっており、『イエス・ミュージックのよる』(An Evening Of Yes Music Plus)というタイトルでCDと映像えいぞうがされている。このツアー・タイトルに「Yes Music」という文字もじはいっていたため、のちにスクワイアがわのイエス(通称つうしょう YesWest、ジョン・アンダーソンは90120バンド(音楽おんがくせい産業さんぎょうロックわれていたロンリー・ハート原題げんだい90125が由来ゆらい)とんでいた)とのあいだ裁判さいばん沙汰ざたにまで発展はってんした。しかし、アンダーソンがかねてよりあたためていた「歴代れきだいメンバーを招集しょうしゅうしての結成けっせい20周年しゅうねんツアー」(実現じつげんまでに3ねんかかったため、20周年しゅうねんではなくなったが)というアイディアをかつては却下きゃっかしたスクワイアがわも、順調じゅんちょうとはえなくなっていたイエスの活動かつどう本格ほんかくてき再開さいかいしたいがために賛同さんどうせざるをず、イエスのしたりょうバンドがつどうというかたちでABWHはまくじた。このときにイエスの名義めいぎ発売はつばいされたアルバム『結晶けっしょう』は、もとはABWHのセカンド・アルバムとして録音ろくおんすすめられていた『ダイアログ』にスクワイアがわのイエスの4きょく追加ついかしてさい編集へんしゅうしたものである。

補足ほそく: 『閃光せんこう』に参加さんかしていたキーボード奏者そうしゃ・マット・クリフォードはかつてリック・ウェイクマンのびとだった人物じんぶつで、スティーヴ・ハウが在籍ざいせきしていたGTRのライブにサポート・メンバーとして同行どうこうしていた人物じんぶつである。映画えいがバタリアン』(1985ねん)の音楽おんがく担当たんとうしていたという経歴けいれきもある。1989ねん当時とうじ数々かずかずのレコーディング・セッションに参加さんかしていたかれは、『閃光せんこう』の録音ろくおんわると、ローリング・ストーンズのアルバム『スティール・ホイールズ』のレコーディングに参加さんかし、そのままローリング・ストーンズのワールド・ツアーにサポート・メンバーとして参加さんかし、来日らいにちもしている。そのために、かれはABWHのツアーに参加さんかできず、代打だいだのサーポート・メンバーとしてツアーに参加さんかしたのは、スティーヴ・ハケットのバンドに参加さんかしていた経歴けいれきジュリアン・コルベックである。 北米ほくべいツアーちゅう、ベースのトニー・レヴィンが病気びょうきでダウンし、3かい公演こうえんのみ、もとブルーフォードジェフ・バーリン代打だいだ演奏えんそうしている。ライブ・アルバム、ライブ・ビデオとして発売はつばいされている公演こうえんがそのときのジェフ・バーリンの演奏えんそうによるものである。

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

アルバム[編集へんしゅう]

シングル[編集へんしゅう]

  • 「ブラザー・オブ・マイン」 - "Brother of Mine" (1989ねん)
  • 「オーダー・オブ・ザ・ユニバース」 - "Order of the Universe" (1989ねん)
  • 「アイム・アライブ」 - "I'm Alive" (1989ねん)

ビデオ・ソフト[編集へんしゅう]