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インペラトリッツァ・マリーヤ級 きゅう 戦艦 せんかん (ロシア語 ご :Линейные корабли типа «Императрица Мария» リニェーイヌィイェ・カラブリー・チーパ・イムピラトリーツァ・マリーヤ )は、ロシア帝国 ていこく で設計 せっけい された黒海 こっかい 艦隊 かんたい 向 む けの弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん (дредноут )である。ロシア帝国 ていこく 海軍 かいぐん での分類 ぶんるい は戦列 せんれつ 艦 かん (линейный корабль )であった[ 1] 。
黒海 こっかい を巡 めぐ って対立 たいりつ 関係 かんけい にあったオスマン帝国 ていこく が黒海 こっかい 艦隊 かんたい の保有 ほゆう する戦艦 せんかん を凌 しの ぐ艦船 かんせん の整備 せいび 計画 けいかく を開始 かいし すると、黒海 こっかい 艦隊 かんたい は保有 ほゆう する中 なか では新 あたら しかった前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん エフスターフィイ 、イオアン・ズラトウースト 、パンテレイモン の3 隻 せき に対 たい し近代 きんだい 化 か 改修 かいしゅう を実施 じっし した。しかし、これでも間 ま に合 あ わせの戦力 せんりょく にしかなり得 え ないことは明白 めいはく であった。そのため、新 あら たに計画 けいかく されたのが、黒海 こっかい 艦隊 かんたい 向 む けの弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん インペラトリッツァ・マリーヤ級 きゅう であった。
1911年 ねん には、オスマン帝国 ていこく が34.3 cm(13.5インチ)砲 ほう を装備 そうび する超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん レシャディイェ[ 2] をイギリス に発注 はっちゅう したため[ 3] 、それより大 おお きな35.6 cm(14インチ)砲 ほう の搭載 とうさい も検討 けんとう されたが、主砲 しゅほう の開発 かいはつ が間 ま に合 あ わないことからガングート級 きゅう (セヴァストーポリ級 きゅう )と同 おな じ主砲 しゅほう を装備 そうび した。レシャディイェと同 おな じ1911年 ねん に発注 はっちゅう された[ 4] 。マリーヤ級 きゅう はバルト海 ばるとかい 艦隊 かんたい 向 む けのガングート級 きゅう の発展 はってん 型 がた として建造 けんぞう されたため、「黒海 こっかい 艦隊 かんたい 型 がた セヴァストーポリ級 きゅう 」とも呼 よ ばれた[ 5] 。
マリーヤ級 きゅう 戦艦 せんかん の主 しゅ 兵 へい 装 そう は前 まえ 級 きゅう に引 ひ き続 つづ き「1907年 ねん 型 がた 30.5cm(52口径 こうけい )砲 ほう 」を採用 さいよう し、前 まえ 級 きゅう と同 おな じくこれを三 さん 連装 れんそう 砲塔 ほうとう に納 おさ めている。これを中心 ちゅうしん 線 せん 上 じょう に等間隔 とうかんかく に4基 き を配置 はいち していた。主砲 しゅほう は52口径 こうけい の長 ちょう 砲身 ほうしん 砲 ほう で、高 たか い威力 いりょく が期待 きたい できた。その性能 せいのう は重量 じゅうりょう 470.9 kgの主砲 しゅほう 弾 だん を最大 さいだい 仰角 ぎょうかく 25度 ど で射距離 しゃきょり 23,230 mまで届 とど かせることができる性能 せいのう であった。発射 はっしゃ 速度 そくど はガングート級 きゅう は毎 まい 分 ぶん 1.8発 はつ であったが、本 ほん 級 きゅう からは装填 そうてん 装置 そうち の改良 かいりょう により毎 まい 分 ぶん 3発 はつ の高 こう 発射 はっしゃ 速度 そくど を実現 じつげん していた。仰角 ぎょうかく は25 度 ど ・俯角 ふかく 5度 ど である。旋回 せんかい 角度 かくど は首尾 しゅび 線 せん 方向 ほうこう に対 たい し左右 さゆう 155度 ど の旋回 せんかい 角 かく が可能 かのう であったが、実際 じっさい は艦橋 かんきょう や煙突 えんとつ に挟 はさ まれているために2番 ばん ・3番 ばん 砲塔 ほうとう は死 し 界 かい があった。なお、2番 ばん 砲塔 ほうとう はガングート級 きゅう が後 うし ろ向 む きだったのを前向 まえむ きに改良 かいりょう したことにより前方 ぜんぽう に向 む けられる門 もん 数 すう は6門 もん から1.5倍 ばい の9門 もん に増加 ぞうか した。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、この砲 ほう は一部 いちぶ がTM-3-12 305mm列車 れっしゃ 砲 ほう として列車 れっしゃ 砲 ほう に転用 てんよう され、3門 もん が現存 げんそん している。
副 ふく 砲 ほう 、その他 た 備砲 びほう や雷 かみなり 装 そう 等 とう [ 編集 へんしゅう ]
本 ほん 級 きゅう の副 ふく 砲 ほう は威力 いりょく を増 ま すために前 まえ 級 きゅう の「12 cm(50口径 こうけい )速射 そくしゃ 砲 ほう 」から「13 cm(55口径 こうけい )速射 そくしゃ 砲 ほう 」へと口径 こうけい を上 あ げられた。その性能 せいのう は重量 じゅうりょう 36.86 kgの砲弾 ほうだん を最大 さいだい 仰角 ぎょうかく 20度 ど で射距離 しゃきょり 15,364 mまで届 とど かせることができる性能 せいのう であった。発射 はっしゃ 速度 そくど は毎 まい 分 ぶん 5~8発 はつ 。仰角 ぎょうかく は30 度 ど ・俯角 ふかく 5度 ど である。旋回 せんかい 角度 かくど は首尾 しゅび 線 せん 方向 ほうこう に対 たい し左右 さゆう 180度 ど の旋回 せんかい 角 かく が可能 かのう であったがケースメイト配置 はいち のために制限 せいげん があった。これを単 たん 装 そう 砲 ほう 架 か で20基 き 20門 もん を装備 そうび した。他 た に対 たい 水雷 すいらい 艇 てい 迎撃 げいげき 用 よう に「7.5cm(50口径 こうけい )単 たん 装 そう 速射 そくしゃ 砲 ほう 4基 き と「4.7cm(43.5口径 こうけい )機 き 砲 ほう 」を単 たん 装 そう 砲 ほう 架 か で4基 き を装備 そうび した。だが、設計 せっけい 段階 だんかい にてさらに発展 はってん しつつある、航空機 こうくうき に対処 たいしょ するために新 しん 開発 かいはつ の「7.62 cm(30口径 こうけい )高角 こうかく 砲 ほう 」を単 たん 装 そう 砲 ほう 架 か で主砲 しゅほう 塔 とう 天蓋 てんがい 部 ぶ に主砲 しゅほう 塔 とう 1基 き につき高角 こうかく 砲 ほう を1基 き ずつの計 けい 4基 き を搭載 とうさい していたところに特色 とくしょく がある。対空 たいくう 射撃 しゃげき 時 じ には主砲 しゅほう を撃 う てば爆風 ばくふう で砲 ほう 員 いん は吹 ふ き飛 と ばされる配置 はいち 方式 ほうしき であった。他 た に対 たい 艦 かん 攻撃 こうげき 用 よう に、水中 すいちゅう 発射 はっしゃ 型 がた の魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん を単 たん 装 そう で4門 もん 搭載 とうさい していた。
機関 きかん は、ボイラー 室 しつ は弾薬 だんやく 庫 こ の配置 はいち の関係 かんけい で5区画 くかく に分 わ かれており、それぞれの缶 かん 室 しつ に前 まえ 級 きゅう よりも5基 き 少 すく ないヤーロー式 しき 石炭 せきたん ・重油 じゅうゆ 混 こん 焼 しょう 水 みず 管 かん 缶 かん 20基 き が収 おさ められた。機関 きかん 室 しつ は主砲 しゅほう 塔 とう 弾薬 だんやく 庫 こ に挟 はさ まれる様 よう に3区画 くかく に分 わ けられていた。これに蒸気 じょうき タービン機関 きかん 4基 き が収 おさ まるのであるが、本 ほん 級 きゅう では性能 せいのう 比較 ひかく のために、「インペラートル・アレクサンドル3世 せい 」は異 こと なる形式 けいしき のものが搭載 とうさい された。1番 ばん 艦 かん 「インペラトリッツァ・マリーヤ」にはパーソンズ式 しき 直結 ちょっけつ 型 がた タービンで最大 さいだい 出力 しゅつりょく 26,500馬力 ばりき 、「インペラートル・アレクサンドル3世 せい 」はブラウン・カーチス式 しき 直結 ちょっけつ 型 がた タービンを採用 さいよう し最大 さいだい 出力 しゅつりょく 27,500馬力 ばりき と若干 じゃっかん の性能 せいのう 向上 こうじょう が見 み られているが速力 そくりょく はどちらも21ノットである。速力 そくりょく は前 まえ 級 きゅう 23ノットから2ノット低下 ていか したがこれは全幅 ぜんぷく が増 ふ えて船型 せんけい が肥 こ えたためで機関 きかん 性能 せいのう の低下 ていか を示 しめ すものではない。
本 ほん 級 きゅう の装甲 そうこう は前 まえ 級 きゅう の舷側 げんそく 装甲 そうこう 229mmであったのに対 たい し、最大 さいだい 厚 あつ が267mmに増加 ぞうか した。砲塔 ほうとう の前 ぜん 盾 たて も203mmから305mmにするなど防御 ぼうぎょ 力 りょく の強化 きょうか が成 な された。しかし、これでものちに現 あらわ れたオスマン帝国 ていこく 戦艦 せんかん ヤウズ・スルタン・セリム [ 6] の28.3cm砲 ほう の前 まえ には非力 ひりき な防御 ぼうぎょ 力 りょく であった。前 まえ 級 きゅう のガングートは高速 こうそく 軽 けい 防御 ぼうぎょ の巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん に近 ちか い性能 せいのう であったが、それに比較 ひかく して防御 ぼうぎょ 力 りょく は向上 こうじょう した代償 だいしょう に速力 そくりょく は低下 ていか (23ノットから21ノット)したが、それでも防御 ぼうぎょ 力 りょく は上記 じょうき ゲーベン(水線 すいせん 270mm)並 な みであった[ 7] 。
無線 むせん 装置 そうち としては、10.2 kWt の海軍 かいぐん 省 しょう 1913年 ねん 型 がた 無線 むせん 機 き が搭載 とうさい され、これにより700 浬 かいり の距離 きょり での交信 こうしん が可能 かのう であった。
インペラトリッツァ・マリーヤ (英語 えいご 版 ばん ) (1915年 ねん 7月 がつ 竣工 しゅんこう 、1916年 ねん 10月 がつ 20日 はつか 沈没 ちんぼつ 。原因 げんいん は爆発 ばくはつ 事故 じこ だが、爆発 ばくはつ の原因 げんいん は不明 ふめい 。)
インペラトリッツァ・エカテリーナ2世 せい (1915年 ねん 10月 がつ 竣工 しゅんこう 、1918年 ねん 6月 がつ 18日 にち 沈没 ちんぼつ 処分 しょぶん 。)
のち1915年 ねん 7月 がつ 27日 にち よりインペラトリッツァ・エカテリーナ・ヴェリーカヤ
のち1917年 ねん 4月 がつ 29日 にち よりスヴォボードナヤ・ロシヤ
インペラートル・アレクサンドル3世 せい (1917年 ねん 6月 がつ 竣工 しゅんこう 、1936年 ねん 解体 かいたい )
のち1917年 ねん 4月 がつ 29日 にち よりヴォーリャ
のち1920年 ねん 10月よりゲネラル・アレクセーエフ
このほか、設計 せっけい を若干 じゃっかん 変更 へんこう したインペラートル・ニコライ1世 せい (英語 えいご 版 ばん ) も建造 けんぞう されたが、完成 かんせい しなかった。
^ いわゆる「弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 」の登場 とうじょう により、従来 じゅうらい の装甲 そうこう 艦 かん (前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん に相当 そうとう )のように隊列 たいれつ の先頭 せんとう の艦 かん だけが戦闘 せんとう を行 おこな うのではなく、戦列 せんれつ を組 く んだ全 ぜん 艦 かん が一斉 いっせい に戦闘 せんとう を行 おこな うというように設計 せっけい 思想 しそう が変更 へんこう されたことから、ロシア帝国 ていこく では帆船 はんせん 時代 じだい の用語 ようご である戦列 せんれつ 艦 かん という用語 ようご を分類 ぶんるい 名 めい として復活 ふっかつ させ用 もち いた。一方 いっぽう 、西欧 せいおう やアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では古 ふる い用語 ようご を復活 ふっかつ させず、日本 にっぽん 海軍 かいぐん もその分類 ぶんるい を参考 さんこう にしたため、これに由来 ゆらい する日本語 にほんご の「戦艦 せんかん 」や「戦列 せんれつ 艦 かん 」の語意 ごい とロシア海軍 かいぐん の分類 ぶんるい とはずれが生 しょう じている。
^ 結局 けっきょく オスマン帝国 ていこく へは引 ひ き渡 わた されず、イギリスに接収 せっしゅう されてエリン となった。34.3 cm連装 れんそう 砲 ほう を5 基 き 10 門 もん を搭載 とうさい した。
^ 『世界 せかい の艦船 かんせん イギリス戦艦 せんかん 史 し 』、p.84
^ 『世界 せかい の艦船 かんせん ロシア/ソビエト戦艦 せんかん 史 し 』、p.98
^ 「黒海 こっかい 艦隊 かんたい の水兵 すいへい 」(Черноморцы )や「インペラトリーツィ(女帝 にょてい たち)」と渾名 あだな されるが、3番 ばん 艦 かん 以降 いこう は「インペラートル (皇帝 こうてい )」である。
^ 元 もと ドイツ巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん ゲーベン。22616t、28kn。
^ 『世界 せかい の艦船 かんせん 近代 きんだい 戦艦 せんかん 史 し 』