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エイドゥル・グジョンセン

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エイドゥル・グジョンセン
2018ねんのグジョンセン
名前なまえ
本名ほんみょう エイドゥル・スマーリ・グウズヨンセン
Eiður Smári Guðjohnsen
愛称あいしょう Guddy[1]
ラテン文字もじ Eidur Gudjohnsen
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アイスランドの旗 アイスランド
生年月日せいねんがっぴ (1978-09-15) 1978ねん9月15にち(45さい
出身しゅっしん レイキャヴィーク
身長しんちょう 185cm
体重たいじゅう 88.98kg
選手せんしゅ情報じょうほう
ポジション FW / MF
あし 右足みぎあし
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
1994 アイスランドの旗 ヴァルル・レイキャヴィーク 17 (7)
1995-1997 オランダの旗 PSVアイントホーフェン 13 (3)
1998 アイスランドの旗 KRレイキャヴィーク 6 (0)
1998-2000 イングランドの旗 ボルトン・ワンダラーズ 59 (19)
2000-2006 イングランドの旗 チェルシー 186 (54)
2006-2009 スペインの旗 バルセロナ 72 (10)
2009-2010 モナコの旗 ASモナコ 9 (0)
2010 イングランドの旗 トッテナム・ホットスパー (loan) 11 (1)
2010-2011 イングランドの旗 ストーク・シティ 4 (0)
2011 イングランドの旗 フラム (loan) 10 (0)
2011-2012 ギリシャの旗 AEKアテネ 10 (1)
2012-2013 ベルギーの旗 セルクル・ブルッヘ 13 (6)
2013-2014 ベルギーの旗 クルブ・ブルッヘ 45 (5)
2014-2015 イングランドの旗 ボルトン・ワンダラーズ 20 (5)
2015 中華人民共和国の旗 いしそう永昌えいしょう 14 (1)
2016 ノルウェーの旗 モルデFK 13 (2)
2016 インドの旗 プネー・シティ 0 (0)
1994-2016 通算つうさん 504 (115)
代表だいひょうれき2
1992-1994  アイスランド U-17 27 (6)
1994  アイスランド U-19 9 (2)
1994-1998  アイスランド U-21 11 (5)
1996-2016 アイスランドの旗 アイスランド 88 (26)
監督かんとくれき
2019- アイスランドの旗 アイスランド U-21(アシスタント)
2020- アイスランドの旗 FHハフナルフィヨルズゥル(アシスタント)
1. 国内こくないリーグせんかぎる。2017ねん1がつ14にち現在げんざい
2. 2016ねん7がつ3にち現在げんざい
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

エイドゥル・スマーリ・グジョンセンEiður Smári Guðjohnsen, 1978ねん9月15にち - )は、アイスランドレイキャヴィーク出身しゅっしんもと同国どうこく代表だいひょうサッカー選手せんしゅげんサッカー指導しどうしゃ現役げんえき時代じだいのポジションはフォワードミッドフィールダー

せい日本語にほんご表記ひょうきは「グズヨンセン」もしくは「グウズヨンセン」が原音げんおん忠実ちゅうじつである[2]

プレミアリーグボルトン・ワンダラーズFC頭角とうかくあらわし、そのチェルシーFC、スペインのFCバルセロナといったビッグクラブでプレー。代表だいひょうでは、監督かんとくオラフル・ヨハネソン英語えいごばんになるまでキャプテンをつとめた。プロキャリアをとおしてクラブや代表だいひょうなど通算つうさん160ゴールを記録きろく。オランダ、イングランド、スペインの各国かっこくトップリーグ、そしてUEFAチャンピオンズリーグでタイトルを獲得かくとくしたことから、偉大いだいなアイスランドじんサッカー選手せんしゅ一人ひとりだとかんがえられている[3]

クラブれき[編集へんしゅう]

初期しょき[編集へんしゅう]

1994ねん、17さいときヴァルル・レイキャヴィークでプロデビュー[4]エールディヴィジPSVアイントホーフェンに2年間ねんかん在籍ざいせきしたが、代表だいひょうせんでの怪我けがロナウド存在そんざいがあったため出場しゅつじょう機会きかいかぎられた[5]母国ぼこくKRレイキャヴィークにしばらく在籍ざいせきしたのち、1998ねんディヴィジョン1ボルトン・ワンダラーズFCへと移籍いせきした[6]

ボルトン[編集へんしゅう]

セルティックFCとのプレシーズンマッチをまえに、古参こさんDFジミー・フィリップス英語えいごばんからボルトンサポーターに紹介しょうかいされた。アイルランドでおこなわれたなつのプレシーズンツアーでのプレーぶりにコリン・トッド英語えいごばん監督かんとく感銘かんめい契約けいやくむすんだ[7]。しかし加入かにゅう当初とうしょはオーバーウェイトや不調ふちょうのため、実戦じっせんレベルまでに時間じかんようした。1998ねん9がつバーミンガム・シティFCせん途中とちゅう出場しゅつじょうし、短時間たんじかんプレーした。

1999ねんふゆ移籍いせき市場いちばで、トッドはアルナル・グンラウグソン英語えいごばんレスター・シティFCへ、ネイサン・ブレイク英語えいごばんブラックバーン・ローヴァーズFCへと放出ほうしゅつ前線ぜんせんのメンバーをしぼり、自身じしんがレギュラーにえられる[8]。アウェーのカウンティ・グラウンド英語えいごばんおこなわれたスウィンドン・タウンFCせん得点とくてんし3-3とけた。つぎ試合しあいでは、ホームのリーボック・スタジアムバーンズリーFCむかえるとふたたびゴールをげた。最終さいしゅうてきにシーズンで5得点とくてん記録きろくした。1999ねんワトフォードFCとの昇格しょうかくプレーオフ決勝けっしょうせんでプレーしたものの、ニック・ライト英語えいごばんアラン・スマート英語えいごばんにゴールをめられ0-2で敗退はいたいした。

よく1999-00シーズンは、ディーン・ホールズワースボー・ハンセン英語えいごばんボブ・テイラー英語えいごばんすうにん選手せんしゅとコンビをみ、7試合しあいのぞきスタメンで出場しゅつじょうした。このシーズンはリーグせんで21得点とくてん記録きろくすると、FAカップリーグカップ双方そうほう準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつ貢献こうけんした。とくにFAカップ準々じゅんじゅん決勝けっしょうチャールトン・アスレティックFCせんでは、唯一ゆいいつとなるゴールをめた。

プレーオフ準決勝じゅんけっしょうだい1せんイプスウィッチ・タウンFCせん負傷ふしょうしたためつぎせん出場しゅつじょうすることが出来できなかった。だい2せんは、バリー・ナイト英語えいごばん主審しゅしんから12まいのイエローカードと、マイク・ウィスロウ英語えいごばんロビー・エリオット英語えいごばん退場たいじょうくだされ敗退はいたいした。一方いっぽうで、相手あいてMFジム・マギルトン英語えいごばんによるポール・ウォーハースト英語えいごばんへの行為こういにカードがされないなど物議ぶつぎかもした[9]。このシーズンはけい23得点とくてん記録きろく。クラブは昇格しょうかくのが財政ざいせいてき問題もんだいかかえていたため、複数ふくすうのクラブによる争奪そうだつせんとなった。

チェルシー[編集へんしゅう]

ランパードテリーともにリーグ優勝ゆうしょういわう(2005ねん

2000ねん6がつジャンルカ・ヴィアッリひきいるチェルシーFC移籍いせき移籍いせききんは400まんポンドで5ねん契約けいやく締結ていけつした[10]。ヴィアッリは9月に解任かいにんされ、しん監督かんとく就任しゅうにんしたクラウディオ・ラニエリしたジャンフランコ・ゾラおなじくしん加入かにゅうジミー・フロイド・ハッセルバインクらとともにプレー。よく2001-02シーズンは、ハッセルバインクとコンビをむとぜん大会たいかい自身じしんけい23得点とくてん、ハッセルバインクは27得点とくてん記録きろく驚異きょういてき攻撃こうげきじん形成けいせいし「The Fire and Ice」としょうされた[11]

2002-03シーズンリーズ・ユナイテッドAFCせんのオーバーヘッドキックや[12]2003-04シーズンフラムFCスタンフォード・ブリッジむかえたいちせん[13]2004-05シーズンのリーグ年間ねんかんゴールランキングだい10選出せんしゅつされたサウサンプトンFCせん[14]、そして、プロになってからはじめてハットトリックをめた2004ねん10がつブラックバーン・ローヴァーズFCせんなど[15]、ドリブルとたくみなコントロールから正確せいかくなシュートでなん鮮烈せんれつなゴールをめた。また、チェルシーでのアシストすうは60を記録きろくした。

2003ねん7がつ、クラブのオーナーとしてロマン・アブラモヴィッチがやってるとアドリアン・ムトゥエルナン・クレスポディディエ・ドログバといった高価こうかなビッグネームを次々つぎつぎ獲得かくとく。これにもかかわらず、2003-04シーズンはレギュラーとしてプレー。ジョゼ・モウリーニョ招聘しょうへいした2004-05シーズンには、リーグせんで12ゴールをげタイトル獲得かくとくおおきく貢献こうけんした。また、どうシーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝けっしょうトーナメント1回戦かいせんで、FCバルセロナ相手あいてにゴールをめ4-2の勝利しょうり貢献こうけんした。モウリーニョはタッチとビジョンのスキルに注目ちゅうもくし、中盤ちゅうばん役割やくわりまかせられるようになった。また、戦況せんきょうおうじてセントラルMF、左右さゆうのWG、守備しゅびてきMF、そしてストライカーとユーティリティ・プレイヤーとして起用きようされるようになった[16]

しかし、2006-07シーズンになるとクラブはアンドレイ・シェフチェンコミヒャエル・バラックサロモン・カルーなどの大型おおがた補強ほきょうおこない、出場しゅつじょう時間じかん減少げんしょう予想よそうされ、移籍いせきうわさった。とりわけ、マンチェスター・ユナイテッドFCレアル・マドリードへの移籍いせき濃厚のうこうわれていたが、2006ねん6がつ14にちFCバルセロナ移籍いせきすることが発表はっぴょうされた。チェルシーではけい263試合しあい出場しゅつじょう86得点とくてん記録きろく出場しゅつじょうすう外国がいこくじん選手せんしゅとしてゾラにぐクラブ歴代れきだい2となった[17]

バルセロナ[編集へんしゅう]

バルセロナ時代じだい(2008ねん

母国ぼこくスウェーデン古巣ふるすヘルシンボリIFでキャリアをえるために退団たいだんしたヘンリク・ラーション後釜あとがまとして、FCバルセロナ加入かにゅう移籍いせききん1170まんユーロの4ねん契約けいやくで、背番号せばんごうは7を着用ちゃくようする[17][18]。アイスランドじんとしてははじめてどうクラブでプレーする選手せんしゅとなった[19]

2006ねん8がつ7にち、アメリカのロサンゼルス・メモリアル・コロシアムおこなわれたメキシコリーグ王者おうじゃCDグアダラハラとのプレシーズンマッチでは、10まんにんまえロナウジーニョのスルーパスをけゴールをめた[20]同月どうげつ26にちおこなわれたセルタ・デ・ビーゴとの開幕かいまくせんで、リュドヴィク・ジュリ交代こうたいでピッチにラ・リーガデビュー。試合しあい時間じかんのこり3ふんのところでファーストシュートをはなつと相手あいてDFアンヘル・ロペスにブロックされたが、ボールがまえもどってきたところをボレーでネットをらす。これが決勝けっしょうゴールとなり3-2の勝利しょうり貢献こうけん上々じょうじょうのスタートをった[21]UEFAチャンピオンズリーグでは、10月31にち古巣ふるすチェルシーFC相手あいてにゴールをめる[22]。グループリーグ最終さいしゅうせんヴェルダー・ブレーメンせん勝利しょうり以外いがい敗退はいたい決定けっていする状況じょうきょうむかえるが、チーム2得点とくてんとなるゴールをげ2-0での勝利しょうり貢献こうけんした[23]。11月19にちおこなわれたRCDマジョルカとのリーグせんでは2ゴールを記録きろくし4-1で勝利しょうり、チームを首位しゅいかえきにみちびいた[24]。12月のFIFAクラブワールドカップ準決勝じゅんけっしょうクラブ・アメリカせんで1ゴールをめ4-0で勝利しょうりした[25]

2007ねん3がつ6にちおこなわれたチャンピオンズリーグ2ndレグではアンフィールドむ。リヴァプールFC相手あいて唯一ゆいいつゴールをめ1-0で勝利しょうりしたが、アウェーゴールのため敗退はいたいした[26]移籍いせき初年度しょねんどぜん大会たいかいで12ゴールを記録きろくするも3にん巨星きょせいであるロナウジーニョサミュエル・エトオ、そしてリオネル・メッシはさらにおおくのゴールをめていた。一方いっぽうCLでは3得点とくてんげ、クラブない得点とくてんおうになった。

移籍いせき初年度しょねんどフランク・ライカールト監督かんとくやファンの期待きたいどおりの活躍かつやくとはいかなかった。2007ねんなつには、プレミアリーグへの復帰ふっき濃厚のうこうだったが実現じつげんせず。あきには代表だいひょうせんでの大腿だいたい負傷ふしょう影響えいきょうもありベンチでごす日々ひびつづいた[27]。グジョンセンはポジションあらそいにもど意思いしせていたものの、クラブはティエリ・アンリ獲得かくとくし、若手わかてFWのボージャン・クルキッチジョバニ・ドス・サントスをファーストチームにくわえたため、レギュラーあらそいは熾烈しれつなものとなった[28]

10月23にちUEFAチャンピオンズリーグレンジャーズFCせんでは、シーズンではじめてセントラルMFとして起用きようされる[29]。11月13にちコパ・デル・レイCDアルコヤーノせんでは、89ふんにPKをめ3-0の勝利しょうり貢献こうけんした[30]。2007ねん12月15にちバレンシアCFせんで、このシーズンにおいてリーグせんはつゴールを記録きろくし3-0で勝利しょうり[31]。クラブとしては1997-98シーズン以来いらいとなるエスタディオ・デ・メスタージャでの勝利しょうりとなった。シーズン最終さいしゅうせんでは降格こうかく決定けっていしたレアル・ムルシア相手あいて得点とくてんこそは出来できなかったものの、中盤ちゅうばんでのプレーは賞賛しょうさんあつめベストパフォーマンスを披露ひろうした。このシーズンは、4ぶりの無冠むかんわりトラブルシーズンとなったが、自身じしんぜん大会たいかいで36試合しあい出場しゅつじょう欧州おうしゅう舞台ぶたい通算つうさん50試合しあい出場しゅつじょう達成たっせい。しかしスタメン出場しゅつじょうは18試合しあい、フル出場しゅつじょうは4試合しあいまった。

2008-09シーズンよりジョゼップ・グアルディオラしん監督かんとく就任しゅうにんすると多数たすう選手せんしゅ放出ほうしゅつ自身じしんにもプレミアリーグをはじめとした複数ふくすうのクラブから関心かんしんせられ、とくウェストハム・ユナイテッドFCポーツマスFC具体ぐたいてきなオファーを検討けんとうしていた[32]

7がつわりに、ハイバーニアンFCとのプレシーズンマッチで2ゴールをめるなど好調こうちょうをアピール[33]。グアルディオラからは信頼しんらいされ戦力せんりょくとしてられていることをかし、バルサにまること示唆しさした[34]。グアルディオラからはフィジカルのつよさとたかいテクニックをわれ、2れつからのしといったプレーを期待きたいされ残留ざんりゅうした[35][36]。このシーズンはセビージャFCからあらたに加入かにゅうしたセイドゥ・ケイタ出場しゅつじょう機会きかいめぐって鎬をけずる。9月21にちスポルティング・デ・ヒホン相手あいてに6-1と勝利しょうりした試合しあいで、71ふんにケイタと交代こうたい出場しゅつじょうしシーズンはつ出場しゅつじょう[37]。この試合しあい得点とくてんこそなかったが、リオネル・メッシ得点とくてんした最後さいごの2ゴール両方りょうほう関与かんよした。3にち9がつ24にちレアル・ベティスせんふたたび70ふんにケイタと交代こうたい出場しゅつじょうすると、この9ふん決勝けっしょうゴールをめ3-2で勝利しょうりした[38]。9月27にちRCDエスパニョールせんでははつスタメンにえらばれたが得点とくてんげられず、ケイタとの交代こうたいでベンチにがった[39]。また、翌年よくねん2がつのヒホンせんでバルサでの通算つうさん100試合しあい出場しゅつじょう達成たっせいした[40]CL決勝けっしょうスタディオ・オリンピコでは、ディフェンディングチャンピオンのマンチェスター・ユナイテッドFCやぶり、アイスランドじんとしてはじめてCL決勝けっしょうのメンバーとなりトロフィーを獲得かくとくした[41]

しかし重要じゅうよう局面きょくめんはいると徐々じょじょ出場しゅつじょう機会きかい減少げんしょう[42]UEFAスーパーカップスーペルコパ・デ・エスパーニャの2つで出場しゅつじょう機会きかいおとずれなかった[36]。2009ねんなつにグアルディオラから構想こうそうがいであることを通達つうたつされた。在籍ざいせき最終さいしゅうねんはスペイン史上しじょうはつの3かん達成たっせいのメンバーとなり、けい6つのタイトルを獲得かくとくした。

モナコ[編集へんしゅう]

2009ねん8がつ31にちリーグ・アンASモナコに2ねん契約けいやく移籍いせきした[36][43]背番号せばんごうは9[44]

トッテナム[編集へんしゅう]

2010ねん1がつ28にちウェストハム・ユナイテッドFCでメディカルチェックをけていたが、トッテナム・ホットスパーFC監督かんとくハリー・レドナップ勧誘かんゆうされ、どうクラブにレンタル移籍いせきすることとなった[45]。これにたいしてウェストハムのあらたな共同きょうどう経営けいえいしゃであるデイヴィッド・サリヴァン英語えいごばん交渉こうしょう妨害ぼうがいされたと憤慨ふんがい[46]チェルシーFC時代じだい同僚どうりょうであるジャンフランコ・ゾラ監督かんとく失望しつぼうかくせなかった[45]。このときすでにジャーメイン・デフォーピーター・クラウチロビー・キーンロマン・パヴリュチェンコと4にんのストライカーがいたが、2がつ3にちダゲナム・アンド・レッドブリッジFCとの親善しんぜん試合しあいで2ゴールを順調じゅんちょうなスタートをった[47]、2010ねん2がつ10日とおかには、アウェーのウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCせんでデフォーとともにストライカーとして移籍いせきはつ出場しゅつじょうたしたが、0-1で敗戦はいせんした[48]。2010ねん3がつ20日はつかストーク・シティFCせん移籍いせきはつゴールをめると、ニコ・クラニチャールのゴールの起点きてんとなり勝利しょうりみちびいた[49]。リーグ後半こうはんせんで14試合しあい出場しゅつじょうし、クラブが来季らいきのCL出場しゅつじょうけん獲得かくとくしたため完全かんぜん移籍いせきするとおもわれたが実現じつげんしなかった[50]

ストーク[編集へんしゅう]

2010ねん8がつ31にちストーク・シティFCと1ねん契約けいやくむすんだ[51]。プレシーズンは移籍いせきさきさがしていたためトレーニングに参加さんかできず、ストークではコンディション調整ちょうせいからはじまった[52]。また、リザーブチームで練習れんしゅう試合しあいをこなし、リーズ・ユナイテッドFCのリザーブチームとの試合しあいでは2ゴールをめ2-1で勝利しょうりした。9月18にちのウェストハムせん移籍いせきはつ出場しゅつじょうとなり1-1でけた[53]。ストークでは5試合しあい出場しゅつじょうしたがすべ途中とちゅう出場しゅつじょうまり、1がつ移籍いせき市場いちば最終さいしゅうフラムFCへレンタルとなった[54]2010-11シーズン終了しゅうりょうもってストークを退団たいだんした[55]

フラム[編集へんしゅう]

2011ねん1がつ31にちに、シーズン終了しゅうりょうまでの契約けいやくでレンタル加入かにゅうした[56]。2011ねん2がつ5にちアストン・ヴィラFCと2-2とけた試合しあいで、後半こうはんアディショナルタイムにアンディ・ジョンソンとの交代こうたい加入かにゅうはつ出場しゅつじょう[57]。5月になるとマーク・ヒューズ監督かんとく完全かんぜん移籍いせき見通みとおしをしめしたが[58]、シーズン終了しゅうりょうともないレンタルバックとなった。

AEKアテネ[編集へんしゅう]

ウェストハム・ユナイテッドFCスウォンジー・シティAFCからの関心かんしんもあったものの[59]、2011ねん7がつ19にち年俸ねんぽう120まんユーロの2ねん契約けいやくAEKアテネFCへフリーで加入かにゅうした[60]ひだりサイドや攻撃こうげきてきMF、ストライカーと複数ふくすうのポジションでプレー出来できることで、クラブのキー・ターゲットとなっていた。アテネ国際こくさい空港くうこう到着とうちゃくしたさいには、1000にん以上いじょうのAEKファンにむかえられ[61]、サポーターの歓迎かんげいぶりに入団にゅうだん会見かいけんでは「色々いろいろくにでプレーしたが、これほどまでに歓迎かんげいされたことはいままでなかった。AEKに移籍いせき決定けっていしたのは100%ただしかったと確信かくしんした。なにかを約束やくそくをするのはきじゃないが、クラブのこせるようなプレーがしたい。」とかたった[62][63]。またどう時期じきにAEKと契約けいやくむすんだ同胞どうほうCBのエルファル・フレイル・ヘルガソン英語えいごばんともにプレーすることとなった。2011ねん9がつ21にちにアウェーのシュコダ・クサンティFCせんで75ふんから途中とちゅう出場しゅつじょうし、移籍いせきはつゴールをめ4-3で勝利しょうりかざった。

2011ねん10がつ15にちオリンピアコスFCとのダービーで、44ふん相手あいてGKのフランコ・コスタンソ衝突しょうとつみぎあし脛骨けいこつ腓骨ひこつ骨折こっせつ。シーズンののこりは欠場けつじょうするとみられていたが[64][65]予想よそうよりはや回復かいふく復帰ふっきする。4月22にちのリーグせん最終さいしゅうぶしPAEドクサ・ドラマスせん出場しゅつじょうし、1-1とけた。AEKのユニフォームを最後さいご試合しあいは、ライバルのパナシナイコスFCとのプレーオフ最終さいしゅうせんだった。

2012ねん7がつ、クラブが財政難ざいせいなんおちいっていることから、20まんユーロ(やく1900まんえん)の契約けいやく解除かいじょきんでギリシャを1ねんった[66]。9月にはMLS所属しょぞくするシアトル・サウンダーズFCのトライアルをけたが、契約けいやくにはいたらなかった[67]

セルクル・ブルッヘ[編集へんしゅう]

2012ねん10がつ1にちジュピラー・プロ・リーグセルクル・ブルッヘ加入かにゅう[68]。シーズン終了しゅうりょうまでの契約けいやく締結ていけつした[69]

クルブ・ブルッヘ[編集へんしゅう]

2013ねん1がつ13にち、セルクルのライバルであるクルブ・ブルッヘに1ねんはん契約けいやく移籍いせきした[70]

ボルトン復帰ふっき[編集へんしゅう]

2014ねんあきにベルギーをると、チャンピオンシップ所属しょぞく古巣ふるすボルトン・ワンダラーズFC練習れんしゅう参加さんかする[71]ニール・レノン監督かんとく加入かにゅう示唆しさするなか、12月5にちにはシーズン終了しゅうりょうまでの契約けいやくで14ねんはんぶりに復帰ふっき[72]。リーグせん24試合しあい5得点とくてん記録きろくした。

いしそう永昌えいしょう[編集へんしゅう]

2014-15シーズンかぎりで契約けいやく終了しゅうりょうし、フリーの状態じょうたいとなる。2015ねん7がつ3にち中国ちゅうごくスーパーリーグ昇格しょうかくするいしそう永昌えいしょうあしだま倶楽部くらぶ加入かにゅうした[73]

モルデ[編集へんしゅう]

2016ねん2がつ12にちオーレ・グンナー・スールシャールひきエリテセリエン所属しょぞくするモルデFKと2ねん契約けいやく締結ていけつ[74]。しかし同年どうねん8がつ3にち契約けいやくなかばにモルデを退団たいだんしフリーとなった[75]

プネー・シティ[編集へんしゅう]

8がつ24にちISLFCプネー・シティ移籍いせきすることが決定けっていした[76]。しかしプレシーズンにひだり足首あしくび負傷ふしょう[77]出場しゅつじょう機会きかいられないままインドをった[78]

1年間ねんかん無所属むしょぞく期間きかんた2017ねん9がつにメディアのインタビューにて、事実じじつじょう現役げんえき引退いんたい表明ひょうめいした。今後こんごもフットボールにかかわっていくとしながらも、肉体にくたいてきおとろえから23年間ねんかんのプロ生活せいかつ終止符しゅうしふつとかたった[79]現役げんえき引退いんたいはスペインに在住ざいじゅうしている。

代表だいひょうれき[編集へんしゅう]

1992ねん、14さいときにU-17で代表だいひょうデビュー。1994ねんまでのあいだに26試合しあい7得点とくてん記録きろくした。U-19では9試合しあい出場しゅつじょうすると、年内ねんないにはU-21に選出せんしゅつされた。ここでは、4年間ねんかんで12試合しあい5得点とくてん記録きろくした。

当時とうじ17さいであった1996ねんA代表だいひょう招集しょうしゅうされる。4月24にちてきタリンおこなわれたエストニアせんにおいて、34さいちちアルノール・グジョンセン英語えいごばんとの交代こうたい代表だいひょうデビュー。試合しあいには3-0で勝利しょうりした。この親子おやこによる交代こうたい現在げんざい唯一ゆいいつ記録きろくとなっている。

アルノール(ひだり)とエイドゥル

アイスランドサッカー協会きょうかいエガート・マグヌソン英語えいごばん会長かいちょう(のちのウェストハム・ユナイテッドFC会長かいちょう)とロギ・オラフソン英語えいごばん監督かんとくは、親子おやこ同時どうじ出場しゅつじょうをホームでむかえたかったため、えて同時どうじ起用きようしなかった。この2ヶ月かげつ1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせんグループリーグで、マケドニア共和国まけどにあきょうわこくをホームにむかえる試合しあいひかえていた[80]。しかし、5月7にちUEFA U-18欧州おうしゅう選手権せんしゅけんアイルランドせん足首あしくび負傷ふしょう以降いこう共演きょうえん機会きかいおとずれなかった[3]

ちちアルノールが2001ねん現役げんえき引退いんたいしたさいに「息子むすこともにプレーすることが出来できなかったのがキャリアで最大さいだい後悔こうかいだった」とかたった[81]

2007ねん10がつ13にちおこなわれたホームでのラトビアせんでは2-4と敗北はいぼくしたが、この試合しあいで2ゴールをげ、リカルズル・ヨーンソン英語えいごばん保持ほじしていた代表だいひょう得点とくてん記録きろく17を更新こうしんした[82]

クラブでは数々かずかずのタイトルを獲得かくとくしたが、FIFAワールドカップにはえんかった。2014 FIFAワールドカップ予選よせんではプレーオフ進出しんしゅつしたものの、2013ねん11月にアウェーでクロアチアやぶほん大会たいかい出場しゅつじょうのがすと、直後ちょくご代表だいひょう引退いんたい表明ひょうめいした[83]

2015ねん3がつ代表だいひょう復帰ふっきし、3月28にちEURO 2016予選よせんカザフスタンせんでは代表だいひょうにおいて5ねんはんぶりのゴールをげた[6]

EURO 2016本戦ほんせん出場しゅつじょうし、37さい自身じしんはじめて国際こくさいレベルの主要しゅよう大会たいかい経験けいけんした[84]

代表だいひょう通算つうさん60試合しあい以上いじょう出場しゅつじょうし、歴代れきだい最多さいたとなる24得点とくてん記録きろくした。

指導しどうれき[編集へんしゅう]

2019ねんより母国ぼこく代表だいひょうのU-21チームでアシスタントコーチをつとめる[85][86]

2020ねん7がつ先述せんじゅつ代表だいひょうデビュー指揮しきかんであるオラフソンのしたFHハフナルフィヨルズゥルのアシスタントコーチに就任しゅうにんした[87][88]

プレースタイル[編集へんしゅう]

空中くうちゅうせんつよく、両足りょうあし自在じざいあやつる。戦況せんきょうおうじてFW、MFのポジションをこなすユーティリティせいたか選手せんしゅ。また、アシスト能力のうりょくたかくプレミア随一ずいいちうたわれていた[89]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • 先述せんじゅつのように、父親ちちおやアルノール英語えいごばんは、もとプロサッカー選手せんしゅでアイスランド代表だいひょうでもプレーした。
  • 22さい年下としした異母弟いぼていアルノール・ボログスウォンジー・シティAFC所属しょぞくしたプロサッカー選手せんしゅである[90]
  • 4にん息子むすこがおり、長男ちょうなんスヴェイン・アロンもプロサッカー選手せんしゅで、2018ねんセリエBスペツィア・カルチョ加入かにゅうした[91]次男じなんアンドリ・ルーカス三男さんなんダニエル・トリスタンもサッカー選手せんしゅ[92]、アンドリはRCDエスパニョール、ダニエルはちち古巣ふるすバルセロナの下部かぶ組織そしき所属しょぞくしていた。2018ねん、バルセロナはアンドリの獲得かくとくうごいたが交渉こうしょう不調ふちょうわり、アンドリはレアル・マドリード下部かぶ組織そしき加入かにゅう。これをけて自身じしん家族かぞくともらすことのぞみマドリード移住いじゅうめると、ダニエルも追随ついずいしてレアル・マドリードの下部かぶ組織そしき加入かにゅうしたとほうじられた[93]
  • チェルシー加入かにゅう監督かんとくであるヴィアッリの長年ながねんのファンであった。ちちアルノールがRSCアンデルレヒト在籍ざいせきUCサンプドリア所属しょぞく同氏どうし対戦たいせんしたさいには、エイドゥルの希望きぼうによりユニフォームを交換こうかんした[11]
  • 2003ねんはじめに負傷ふしょう離脱りだつによって時間じかんあまなか、5ヶ月かげつあいだにカジノで40まんポンドをうしなギャンブル依存いぞんしょうであることを告白こくはくした[94]

タイトル[編集へんしゅう]

PSV
チェルシー
バルセロナ

個人こじん成績せいせき[編集へんしゅう]

クラブでの出場しゅつじょう記録きろく[編集へんしゅう]

クラブ成績せいせき リーグ カップ リーグはい国際こくさい大会たいかい 通算つうさん
シーズンクラブリーグ 出場しゅつじょう得点とくてん出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん
アイスランド リーグカップ リーグはい 国際こくさい大会たいかい 通算つうさん
1994 ヴァルル ウルヴァルステイルト 17 7 0 0 17 7
オランダ リーグKNVBはい リーグはい ヨーロッパ 通算つうさん
1995–96 PSV エールディヴィジ 13 3 0 0 13 3
1996–97 0 0 0 0 0 0
アイスランド リーグカップ リーグはい 国際こくさい大会たいかい 通算つうさん
1998 KRレイキャヴィーク ウルヴァルステイルト 6 0 0 0 0 0 0 0 6 0
イングランド リーグFAカップ FLカップ ヨーロッパ 通算つうさん
1998–99 ボルトン チャンピオンシップ 17 5 0 0 1 0 18 5
1999–2000 42 14 5 4 8 3 55 21
2000–01 チェルシー プレミアリーグ 30 10 3 3 1 0 2 0 36 13
2001–02 32 14 7 3 5 3 3 3 47 23
2002–03 35 10 5 0 2 0 2 0 44 10
2003–04 26 6 4 2 1 2 10 3 41 13
2004–05 37 12 3 1 6 1 11 2 57 16
2005–06 26 2 3 1 1 0 6 0 36 3
スペイン リーグ国王こくおうはい リーグはい ヨーロッパ 通算つうさん
2006–07 バルセロナ ラ・リーガ 25 5 6 3 9 4 40 12
2007–08 23 2 5 1 - 8 0 36 3
2008–09 24 3 4 1 - 5 0 33 4
フランス リーグフランスはい リーグはい ヨーロッパ 通算つうさん
2009–10 モナコ リーグ・アン 9 0 2 0 0 11 0
イングランド リーグFAカップ FLカップ ヨーロッパ 通算つうさん
2009–10 トッテナム プレミアリーグ 11 1 3 1 0 0 14 2
2010–11 ストーク 4 0 0 0 1 0 5 0
フラム 10 0 0 0 0 0 10 0
ギリシャ リーグカップ リーグはい ヨーロッパ 通算つうさん
2011–12 AEKアテネ スーパーリーグ 5 1 0 0 4 0 9 1
通算つうさん アイスランド 36 10 0 0 0 0 0 0 36 10
オランダ 13 3 0 0 0 0 0 0 13 3
イングランド 270 74 33 15 26 9 34 8 363 106
スペイン 72 10 15 5 0 0 22 4 109 19
フランス 9 0 2 0 0 0 0 0 11 0
ギリシャ 5 1 0 0 0 0 4 0 9 1
そう通算つうさん 405 98 50 20 26 9 60 12 541 139

代表だいひょうでの成績せいせき[編集へんしゅう]

出典しゅってん[95]


アイスランド代表だいひょう国際こくさいAマッチ
とし出場しゅつじょう得点とくてん
1996 1 0
1997 0 0
1998 0 0
1999 3 1
2000 5 0
2001 7 2
2002 4 3
2003 7 3
2004 7 4
2005 5 3
2006 5 1
2007 5 2
2008 6 3
2009 6 2
2010 2 0
2011 4 0
2012 1 0
2013 10 0
2014 0 0
2015 3 1
2016 7 1
通算つうさん 88 26

代表だいひょうでの得点とくてん[編集へんしゅう]

スコアらんはアイスランドの得点とくてん左側ひだりがわしるしている
# 日付ひづけ 場所ばしょ 相手あいて スコア 結果けっか 大会たいかい
1. 1999ねん9がつ4にち レイキャヴィーク  アンドラ 3–0 3–0 UEFA EURO 2000予選よせん
2. 2001ねん4がつ25にち タ・アーリ  マルタ 3–1 4–1 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
3. 2001ねん6がつ2にち レイキャヴィーク  マルタ 3–0 3–0 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
4. 2002ねん10がつ16にち レイキャヴィーク  リトアニア 2–0 3–0 UEFA EURO 2004予選よせん
5. 3–0
6. 2003ねん3がつ29にち グラスゴー  スコットランド 1–1 1–2 UEFA EURO 2004予選よせん
7. 2003ねん6がつ11にち カウナス  リトアニア 2–0 3–0 UEFA EURO 2004予選よせん
8. 2003ねん8がつ20日はつか トースハウン  フェロー諸島しょとう 1–0 2–0 UEFA EURO 2004予選よせん
9. 2004ねん3がつ31にち ティラナ  アルバニア 1–1 1–2 親善しんぜん試合しあい
10. 2004ねん8がつ18にち レイキャヴィーク  イタリア 1–0 2–0 親善しんぜん試合しあい
11. 2004ねん9がつ4にち レイキャヴィーク  ブルガリア 1–2 1–3 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
12. 2004ねん9がつ8にち ブダペスト  ハンガリー 1–0 3–2 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
13. 2004ねん10がつ13にち レイキャヴィーク  スウェーデン 1–4 1–4 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
14. 2005ねん4がつ6にち レイキャヴィーク  ハンガリー 1–0 2–3 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
15. 2005ねん6がつ8にち レイキャヴィーク  マルタ 2–0 4–1 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
16. 2005ねん9がつ3にち レイキャヴィーク  クロアチア 1–0 1–3 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
17. 2006ねん9がつ2にち ベルファスト  きたアイルランド 3–0 3–0 UEFA EURO 2008予選よせん
18. 2007ねん10がつ13にち レイキャヴィーク  ラトビア 1–0 2–4 UEFA EURO 2008予選よせん
19. 2–0
20. 2008ねん3がつ26にち ズラテ・モラフツェ  スロバキア 2–0 2–0 親善しんぜん試合しあい
21. 2008ねん9がつ6にち オスロ  ノルウェー 2–2 2–2 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
22. 2008ねん9がつ10日とおか レイキャヴィーク  スコットランド 1–2 1–2 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
23. 2009ねん2がつ11にち レイキャヴィーク  リヒテンシュタイン 2–0 2–0 親善しんぜん試合しあい
24. 2009ねん9がつ5にち レイキャヴィーク  ノルウェー 1–1 1–1 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選よせん
25. 2015ねん3がつ28にち アスタナ  カザフスタン 1–0 3–0 UEFA EURO 2016予選よせん
26. 2016ねん6がつ7にち レイキャヴィーク  リヒテンシュタイン 4–0 4–0 親善しんぜん試合しあい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ‘Guddy’, el hermano mayor”. Mundo Deportivo (2016ねん7がつ2にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  2. ^ 間違まちがい”が定着ていちゃくしている難読なんどくサッカー選手せんしゅたち<その1>”. Qoly (2017ねん6がつ14にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  3. ^ a b AN IRELAND UNDER-18 MATCH ENDED ONE DREAM FOR EIDUR GUDJOHNSEN BUT NOW ANOTHER WILL HAPPEN”. Off The Ball (2016ねん6がつ14にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  4. ^ アイスランドの英雄えいゆうあらたな挑戦ちょうせん 37さいグジョンセン、インド移籍いせき決定けってい”. サッカーキング (2016ねん8がつ25にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  5. ^ Eidur welcomes Ronaldo interest”. Sky Sports (2007ねん1がつ1にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  6. ^ a b もとチェルシーの36さいFWグジョンセン、5ねんはんぶりに代表だいひょうでゴール”. サッカーキング (2015ねん3がつ29にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  7. ^ WANDERERS: Striker deal is on ice”. The Bolton News (1998ねん7がつ27にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  8. ^ The iceman's time cometh”. The Irish Times (2000ねん4がつ1にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  9. ^ Six charged after play-off brawl”. BBC Sport (2000ねん5がつ25にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  10. ^ Reebok ace moves for £4m”. The Bolton News (2000ねん6がつ20日はつか). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  11. ^ a b Gudjohnsen & Hasselbaink: The story of 'Fire and Ice'”. Sky Sports. 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  12. ^ Goal of the day: Gudjohnsen's overhead kick”. Premier League (2020ねん1がつ29にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  13. ^ Goal of the day: Gudjohnsen lets fly”. Premier League (2019ねん2がつ19にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  14. ^ Goal of the day: Gudjohnsen finishes brilliant move”. Premier League (2020ねん8がつ10日とおか). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  15. ^ 2004/05:ちにった瞬間しゅんかん”. チェルシーFC日本語にほんご公式こうしきサイト (2020ねん4がつ16にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  16. ^ リーダーボード”. チェルシーFC日本語にほんご公式こうしきサイト (2015ねん5がつ20日はつか). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  17. ^ a b グジョンセンがバルサへ - ウェイバックマシン(2012ねん11月9にちアーカイブぶん
  18. ^ Gudjohnsen completes Barça move”. BBC Sport (2006ねん6がつ14にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  19. ^ Gudjohnsen completes Barca switch”. CNN.com (2006ねん6がつ14にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  20. ^ Soccer Is Better Than the Field”. Los Angeles Times (2006ねん8がつ7にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  21. ^ Gudjohnsen rescata al Barça en Vigo”. El Mundo (2006ねん8がつ28にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  22. ^ Barcelona 2-2 Chelsea”. BBC Sport (2006ねん10がつ31にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  23. ^ Barcelona break Bremen hearts”. UEFA.com (2006ねん12月5にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  24. ^ Barcelona make merry at Mallorca”. UEFA.com (2006ねん11月19にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  25. ^ Club America 0-4 Barcelona”. BBC Sport (2006ねん12月14にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  26. ^ Liverpool-Barcelona 2006 History”. UEFA.com (2007ねん3がつ6にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  27. ^ フレブ ビルバオせん戦列せんれつ復帰ふっき、グジョンセンは2試合しあい欠場けつじょう見込みこ”. AFPBB.com (2008ねん10がつ17にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  28. ^ グジョンセン バルセロナに残留ざんりゅうしポジションあらそいへ”. AFPBB.com (2007ねん7がつ3にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  29. ^ Rangers are the big winners in scoreless draw”. The Irish Times (2007ねん10がつ24にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  30. ^ Alcoyano - Barcelona en directo”. AS.com (2007ねん11月13にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  31. ^ Eto'o strikes sink sorry Valencia”. UEFA.com (2007ねん12月15にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  32. ^ グジョンセン獲得かくとくにウェストハムも名乗なのり?”. Goal.com (2008ねん7がつ1にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  33. ^ バルサ、メッシらのゴールで“シーズン”初戦しょせん勝利しょうり”. ゲキサカ (2008ねん7がつ25にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  34. ^ グジョンセン「8がつ12にちにはトップコンディションに」 - ウェイバックマシン(2009ねん7がつ23にちアーカイブぶん
  35. ^ グジョンセン「監督かんとくぼく信頼しんらいしてくれている」 - ウェイバックマシン(2008ねん8がつ27にちアーカイブぶん
  36. ^ a b c グジョンセン、モナコへ - ウェイバックマシン(2009ねん9がつ5にちアーカイブぶん
  37. ^ Sporting Gijón vs. Barcelona”. ESPN (2008ねん9がつ21にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  38. ^ Player Ratings: Barcelona 3-2 Real Betis”. Goal.com (2008ねん9がつ24にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  39. ^ Espanyol vs. Barcelona”. ESPN (2008ねん9がつ27にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  40. ^ Gudjohnsen to make 100th appearance”. Eyefootball (2009ねん2がつ6にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  41. ^ Which Nordic players have featured in the most”. UEFA.com (2018ねん6がつ27にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  42. ^ グジョンセン、カンプ・ノウに未練みれん - ウェイバックマシン(2012ねん11月9にちアーカイブぶん
  43. ^ サッカー=グジョンセン、モナコへ移籍いせき”. ロイター (2009ねん9がつ1にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  44. ^ グジョンセン、モナコ移籍いせき決定けってい”. Goal.com (2009ねん8がつ31にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  45. ^ a b Tottenham complete Eidur Gudjohnsen loan capture” (2010ねん1がつ29にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  46. ^ David Sullivan’s fury as Spurs hijack Eidur Gudjohnsen deal”. Evening Standard (2010ねん1がつ27にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  47. ^ Eidur Gudjohnsen shows he's still ice-cool in front of goal after scoring with first touch in Tottenham shirt”. Daily Mail Online (2010ねん2がつ3にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  48. ^ Wolverhampton 1-0 Tottenham”. BBC Sport (2010ねん2がつ10日とおか). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  49. ^ Stoke 1–2 Tottenham”. BBC Sport (2010ねん3がつ20日はつか). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  50. ^ グジョンセン、トッテナムに完全かんぜん移籍いせき濃厚のうこう”. Goal.com (2010ねん6がつ12にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  51. ^ Eidur Gudjohnsen among four new signings for Stoke”. BBC Sport (2010ねん9がつ1にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  52. ^ Stoke's Eidur Gudjohnsen in need of match fitness”. BBC Sport (2010ねん9がつ2にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  53. ^ Stoke 1-1 West Ham”. BBC Sport (2010ねん9がつ18にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  54. ^ Eidur Gudjohnsen joins Fulham on loan from Stoke City”. BBC Sport (2011ねん1がつ31にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  55. ^ West Ham end interest in striker Eider Gudjohnsen”. BBC Sport (2011ねん7がつ17にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  56. ^ Eidur down for Cottage - ウェイバックマシン(2012ねん10がつ24にちアーカイブぶん
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  58. ^ Fulham close to a permanent deal for Eidur Gudjohnsen”. BBC Sport (2011ねん5がつ5にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
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  62. ^ Guðjohnsen interview”. aek365 (2011ねん7がつ19にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  63. ^ グジョンセンがAEKへ移籍いせき - ウェイバックマシン(2012ねん11月9にちアーカイブぶん
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  69. ^ チェルシーやバルセロナに在籍ざいせきしたグジョンセン、新天地しんてんちはベルギーに決定けってい”. サッカーキング (2012ねん10がつ2にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  70. ^ Eidur Gudjohnsen voor 1,5 jaar naar Club”. Club Brugge (2013ねん1がつ13にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  71. ^ グジョンセンにボルトン復帰ふっき可能かのうせい”. Goal.com (2014ねん11月19にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
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  73. ^ グジョンセン、中国ちゅうごく移籍いせき決定けってい”. Qoly (2015ねん7がつ3にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
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  76. ^ 37さいグジョンセンの新天地しんてんちはインド…自身じしん10かこく移籍いせきに!”. ライブドアニュース (2016ねん8がつ24にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
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  80. ^ A Pillar of Strength on a Team in Transition”. The New York Times (2008ねん8がつ5にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
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  83. ^ あといちのところでゆめれる・・・35さいグジョンセンがせたなみだ告白こくはく”. Qoly (2013ねん11月20にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
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  89. ^ 7 エイドゥル・グジョンセン - ウェイバックマシン(2008ねん8がつ22にちアーカイブぶん
  90. ^ グジョンセンの22さい年下とししたおとうとアルノールがスウォンジーと契約けいやくちちあに感謝かんしゃ”. SANSPO.COM (2017ねん7がつ9にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  91. ^ グジョンセン息子むすこがセリエBスペツィアに加入かにゅう!”. ちょうワールドサッカー (2018ねん7がつ26にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  92. ^ もとJリーガーの一家いっかも! 世界せかい活躍かつやくした「親子おやこ3だいプロフットボーラー」にえい注目ちゅうもく”. Football ZONE Web (2020ねん2がつ6にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]