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カレリア

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カレリア地方ちほうから転送てんそう
カレリア 国境こっきょうせん西側にしがわのフィンランドにはきたカレリアとみなみカレリアがひろがる。しろうみオネガラドガフィンランドわんなど水域すいいきおお

カレリア英語えいご: Karelia)は、フィンランド南東なんとうからロシア北西ほくせいにかけてひろがる森林しんりん湖沼こしょうおお地方ちほう名前なまえである[1]。そこにひとたちのことをカレリアじんぶ。フィンランド、ロシアスウェーデンにとって歴史れきしてきにも重要じゅうよう地方ちほうである。

カレリアは、カレリアフィンランドではKarjala(カルヤラ)、ロシアではКаре́лия(カリェーリヤ)、スウェーデンではKarelen(カレーレン)とぶ。

今日きょう政治せいじてきにはロシア共和きょうわこくレニングラードしゅうカレリア共和きょうわこく、フィンランドのきたカルヤラけんみなみカルヤラけん分割ぶんかつされている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

カレリアは中世ちゅうせい以来いらいロシアルーシ)とスウェーデンあらそ場所ばしょとなり、東方とうほうから布教ふきょうされる正教会せいきょうかい西方せいほうから布教ふきょうされるカトリック教会きょうかい(のちにプロテスタント)がしのぎをけず前線ぜんせんとなった(スウェーデン・ノヴゴロド戦争せんそう参照さんしょう)。13世紀せいきにはスウェーデンとノヴゴロド共和きょうわこくがカレリアをめぐってたたかい、1323ねんオレシェク(ノーテボリ)で、双方そうほう東西とうざいにカレリアを分割ぶんかつするというノーテボリ条約じょうやくむすばれた。

全盛期ぜんせいきスウェーデン・バルト帝国ていこくは、しろカレリア(White Karelia、しろうみ沿岸えんがん)、オロネツ・カレリア(Olonets Karelia、ラドガより東方とうほう)をのぞいた地域ちいき支配しはいしていた(西にしカレリア)。一方いっぽうひがしカレリア17世紀せいき前半ぜんはんモスクワ・ロシア領有りょうゆうし、最終さいしゅうてきにはカレリア全土ぜんど18世紀せいきなかばにはすべロシア帝国ていこく割譲かつじょうされた。1918ねんのフィンランド独立どくりつによりしろうみカレリア、オロネツ・カレリア、イングリアのぞ地域ちいきはフィンランドの一部いちぶとなったが、1939ねんふゆ戦争せんそうおよび1941ねん継続けいぞく戦争せんそうによってカレリア地峡ちきょう(Karelian Isthmus)およびラドガ・カレリア(Ladoga Karelia)はソ連それん割譲かつじょうされ、現在げんざいいたっている。

民族みんぞく[編集へんしゅう]

カレリアはフィンランドじんにとっては精神せいしんてき故郷こきょうともいわれる。国民こくみんてき叙事詩じょじしカレワラ」は19世紀せいきなかばにカレリア各地かくちのこっていたフィンじん伝承でんしょう歌謡かようをもとにエリアス・リョンロートによってまれたもので、作曲さっきょくジャン・シベリウス交響こうきょうフィンランディア」もカレリアのげん風景ふうけいからその着想ちゃくそうたものだといわれている。なお、シベリウスの作品さくひんには、げき付随ふずい音楽おんがくおよびそれから派生はせいした序曲じょきょく組曲くみきょくとして「カレリア」を題名だいめい作品さくひんもある。

現在げんざいロシアりょうとなっているホワイト・カレリア以北いほくコラ半島はんとう中心ちゅうしんとした地域ちいきは、おなウラル語族ごぞくサーミじん歴史れきしてき地域ちいきでもある。また、現在げんざいロシアりょうとなっているイングリア(Ingria, インゲルマンラント)は、フィンじん構成こうせいするフィン・ウゴルぞく(ウラル語族ごぞく)のでもある。

紋章もんしょう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 『ベリーの歴史れきし株式会社かぶしきがいしゃげん書房しょぼう、2020ねん11月30にち、29ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]