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キリンカップサッカー

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キリンカップサッカー
開始かいしねん 1978ねん
主催しゅさい 日本の旗 日本にっぽんサッカー協会きょうかい
参加さんかチームすう 4
前回ぜんかい優勝ゆうしょう  チュニジア (1かい)
最多さいた優勝ゆうしょう  日本にっぽん (11かい)
サイト 公式こうしきウェブサイト
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キリンカップサッカーえい: KIRIN CUP SOCCER)は、日本にっぽん4がつから6がつごろに開催かいさいされているサッカー国際こくさい親善しんぜん大会たいかいである。日本にっぽんサッカー協会きょうかい(JFA)が主催しゅさいし、キリングループ特別とくべつ協賛きょうさんする[1]サッカー日本にっぽん代表だいひょう進歩しんぽおおきな功績こうせきのこした大会たいかいである[2]

歴史れきし[編集へんしゅう]

創設そうせつ経緯けいい[編集へんしゅう]

2007ねん大会たいかい、モンテネグロたいコロンビアせん

1976ねん日本にっぽんサッカー協会きょうかい (JFA) の実務じつむのトップである専務せんむ理事りじ就任しゅうにんした長沼ながぬまけんは「我々われわれはもっとアジアとの交流こうりゅうふかめていく必要ひつようがある。そのためにも、欧州おうしゅう南米なんべい強豪きょうごうクラブまねき、アジア諸国しょこく代表だいひょうくわえたトーナメントがけないだろうか」などと構想こうそうした[2][3]当時とうじのJFAの財政ざいせいくるしく、大掛おおがかりなイベント開催かいさい懸念けねんするこえおおきかったが、長沼ながぬま停滞ていたいするながれをえようとこれを強行きょうこう[2]自身じしん監督かんとくとして日本にっぽん代表だいひょう(この時代じだい名称めいしょう全日本ぜんにほん)をひきい、1964ねん東京とうきょうオリンピック1968ねんメキシコ・オリンピック偉業いぎょう達成たっせいしながら、その徐々じょじょ日本にっぽん代表だいひょう成績せいせき下降かこうせんをたどっていた[2]。これにともないサッカー人気にんき同様どうよう下降かこうせんしめし、日本にっぽんサッカーリーグ(JSL)の観客かんきゃくすうジリ貧じりひんみちをたどっており、なにとかしなければならないという使命しめいかんだれよりもつよかった[2]。こうして1978ねん5月に日本にっぽん代表だいひょう強化きょうか目的もくてきとして「ジャパンカップ」という大会たいかいめい創設そうせつされた[2][3][4][5][6]日本にっぽんでははじめての本格ほんかくてきなサッカー国際こくさい大会たいかいだった[7][8]当時とうじ日本にっぽん代表だいひょう主力しゅりょく永井ながい良和よしかず金田かねだみのる西野にしのあきら加藤かとうひさらで監督かんとく二宮にのみやひろし[9]だいいちかい大会たいかいは、前年ぜんねんバロンドール受賞じゅしょうしたアラン・シモンセンユップ・ハインケスヘルベルト・ヴィマーらをよう[5]ブンデスリーガさん連覇れんぱちゅうボルシアMGに、日本人にっぽんじんはつ欧州おうしゅうプロプレーヤー奥寺おくでら康彦やすひこ所属しょぞくしていたケルン凱旋がいせん試合しあいもあり[5][9]、ケルンはGKハラルト・シューマッハー監督かんとく名将めいしょうヘネス・バイスバイラー話題わだいせい豊富ほうふだったが[2]大会たいかい全体ぜんたいでも15試合しあいで16まん2,500にん有料ゆうりょう入場にゅうじょうしゃは8まん416にんで1試合しあい平均へいきんは5,000にんきょう赤字あかじやく6,000まんえん計上けいじょうした[2][4]だい2かい前年ぜんねんワールドカップはつ優勝ゆうしょうしたアルゼンチン代表だいひょうリカルド・ビジャオズワルド・アルディレスらをようするトッテナム・ホットスパーFCジャンカルロ・アントニョーニひきいるフィオレンティーナ来日らいにちしたが[5][9]興行こうぎょうはさらに悲惨ひさん結果けっかとなり[2]大会たいかい赤字あかじつづきであった[4][10]

キリンの協賛きょうさん[編集へんしゅう]

そこで長沼ながぬまが、まだ原宿はらじゅくきし記念きねん体育たいいく会館かいかんちいさな一室いっしつにあったサッカー協会きょうかい部屋へやまどから、線路せんろはさんではなさきにかつて本社ほんしゃのあったキリンビールながめ「ああいうおおきな会社かいしゃ支援しえんをおねがいできないものか」と思案しあん代理だいりてんなしで、人伝ひとづて同社どうしゃとアポを[4]岡野おかの俊一郎しゅんいちろうともにキリンビールの小西こにし秀次しゅうじ社長しゃちょう当時とうじ)に直談判じかだんぱんし、かんむりスポンサー実現じつげんさせた[4][9][10][11][12]今日きょうつづくキリンビールのサッカー日本にっぽん代表だいひょうオフィシャルスポンサーはこのときはじまる[3][11][12]かく競技きょうぎ次々つぎつぎかんむりスポンサー大会たいかい誕生たんじょうしてくのは、まださきはなし[2]スポーツにジャパンカップが賞金しょうきん大会たいかいになるという報道ほうどうるとアマチュア総本山そうほんざん日本にっぽん体育たいいく協会きょうかいから早速さっそくクレームがついた[2][3]。JFAは「あくまで興行こうぎょうではなく強化きょうか主眼しゅがん大会たいかいである」を強調きょうちょうし、賞金しょうきんではなく1試合しあいごとのギャランティーせい導入どうにゅうした[3]。キリンはすでにだい1かい大会たいかいからフィールドをかこ看板かんばん広告こうこく協賛きょうさんていた[2]。1980ねんだい3かい大会たいかいから本格ほんかくてきなキリンの支援しえんはじまり[2]日本にっぽん体育たいいく協会きょうかいなどからの反対はんたいもあり、とりあえず大会たいかいめいは「ジャパンカップ・キリンワールドサッカー」[4][7][8][13]、1985ねんから「キリンカップサッカー」と名称めいしょう変更へんこうされた[2][4][7][8][13]

初期しょきころ[編集へんしゅう]

長沼ながぬま最初さいしょ構想こうそうどおり、1978ねんから1991ねんまでは、国外こくがいナショナルチームクラブチーム招待しょうたいしておこなわれる代表だいひょうとクラブが混合こんごうする大会たいかいだった[2][6][7][8]当時とうじ日本にっぽん代表だいひょうのレベルをかんがえればたけったものであった[6]1970年代ねんだい日本にっぽん代表だいひょうはシーズンオフに来日らいにちする単独たんどくチームにもまった太刀打たちうちできないレベル[6]だい1かいからだい11かい大会たいかいまですべ海外かいがいのクラブチームが優勝ゆうしょうした[7][8]1985ねんまでは日本にっぽんからは日本にっぽん代表だいひょうほかに、もう1チームが出場しゅつじょうしていた[7][8]当初とうしょ日本にっぽん選抜せんばつ出場しゅつじょうしていたが、1980ねんからは前年度ぜんねんど天皇杯てんのうはい優勝ゆうしょうチームに出場しゅつじょうけんあたえられるようになった。1987ねん大会たいかいにはUCサンプドリア出場しゅつじょう予定よていで、パンフレットにもサンプドリアの情報じょうほう印刷いんさつされたが、サンプドリアがUEFAカップ出場しゅつじょう決定けっていせん出場しゅつじょうすることとなり、急遽きゅうきょトリノFC参加さんかした。1988ねんいち休止きゅうししたが、1991ねん復活ふっかつし、日本にっぽん代表だいひょうタイ代表だいひょうイングランドのクラブチームトッテナムなどをくだして国際こくさい大会たいかいはつ優勝ゆうしょうかざった[6]イングランド代表だいひょうとして東南とうなんアジア遠征えんせい参加さんかしていたリネカー急遽きゅうきょ合流ごうりゅうするなどトッテナムのコンディションはわるかったが[6]三浦みうら知良かずよしの2ゴールで4–0で粉砕ふんさいし、来日らいにちするヨーロッパや南米なんべい強豪きょうごうクラブにたない時代じだいつづいたが、日本にっぽん代表だいひょうあきらかにちからをつけていることを証明しょうめいするような試合しあいであった[6]当時とうじ高校生こうこうせいだった宮本みやもとひさしやすし日本にっぽんサッカー協会きょうかい会長かいちょうもこの試合しあい衝撃しょうげきてきだったとべている[11]

日本にっぽん代表だいひょう進歩しんぽとともに[編集へんしゅう]

日本にっぽんプロサッカーリーグ(Jリーグ)が開始かいしする前年ぜんねん1992ねんから国際こくさいサッカー連盟れんめい (FIFA) 公認こうにん国際こくさいAマッチとなり[6][14]国外こくがいから2つのナショナルチームをまねいてそうあたりのリーグせん展開てんかいしている[2]。このとし日本にっぽん代表だいひょう監督かんとくはつ外国がいこくじんであるハンス・オフト就任しゅうにん[5][6]監督かんとくとしての初陣ういじんがキリンカップで[6]相手あいて1990ねんイタリアワールドカップじゅん優勝ゆうしょうしたアルゼンチン代表だいひょう[5][6]アルフィオ・バシーレ監督かんとくひきいるアルゼンチンは、バティストゥータカニージャルジェリゴイコチェアといった錚錚たるメンバーだったが[5][6]、オフト・ジャパンは0–1と健闘けんとうした[5]。この試合しあい森保もりやすはじめ高木たかぎ琢也たくや代表だいひょうデビューをたした[5]

1994ねんアルゼンチン代表だいひょう出場しゅつじょうするはずだったが、ディエゴ・マラドーナ麻薬まやくによる逮捕たいほれきがあるため日本にっぽん入国にゅうこく許可きょかりないことが判明はんめいし、アルゼンチン代表だいひょう出場しゅつじょう辞退じたい[15]わりにオーストラリア代表だいひょう急遽きゅうきょ出場しゅつじょうした。

Kirin Cup 1987.

大会たいかいはヨーロッパのリーグせん終了しゅうりょうする5~6がつ開催かいさいされるのが通例つうれいだが、近年きんねんワールドカップの予選よせんアジアカップ壮行そうこう試合しあいという位置付いちづけがつよく、キリンカップでの勝敗しょうはいよりも、ワールドカップやアジアカップでの勝敗しょうはいほう重要じゅうようされるようになった。1993ねん大会たいかいワールドカップアメリカ大会たいかい・アジア1予選よせん壮行そうこう試合しあいねて3がつ7にちと3がつ14にち日本にっぽん試合しあいおこなわれた。

2002ねん2003ねん国際こくさい大会たいかいのスケジュールの関係かんけい(2002ねんワールドカップにちかん大会たいかい準備じゅんびなどの都合つごう)でそうたりではなく、順位じゅんいさだめられなかった[7][8]

2011ねんは、史上しじょうはじめてすべての試合しあいがスコアレスドローとなったため、日本にっぽんチェコペルーの3ヶ国かこく同時どうじ優勝ゆうしょうとなった[16]

5ねんぶりに開催かいさいされた2016ねんは、4カ国かこくによるトーナメント方式ほうしき採用さいようされている(2022ねん同様どうよう)[17]

2010ねん以降いこう日本にっぽん代表だいひょう国際こくさい試合しあいのスケジュールの都合つごうから開催かいさいされないとしおおるようになった。ただし、開催かいさいされなかったとしでもとう大会たいかいおこなわれる期間きかん代替だいたいとしてキリンチャレンジカップおこなわれる。

むかし映像えいぞうはほとんどのこっていないとされる[5]

協賛きょうさん企業きぎょう[編集へんしゅう]

キリングループの協賛きょうさん企業きぎょうとしては、麒麟麦酒きりんびーるをメインにキリンビバレッジくわわるという体制たいせいながらくつづけられてきたが、2012ねん幕開まくあけとともに麒麟麦酒きりんびーるが「製販せいはん分離ぶんり」を実施じっしし、販売はんばいべつ会社かいしゃキリンビールマーケティング株式会社かぶしきがいしゃ)した関係かんけいで、同年どうねんからキリンチャレンジカップともども実際じっさい賞品しょうひん目録もくろく授与じゅよはそれまでの麒麟麦酒きりんびーる役員やくいんわりキリンビールマーケティングの役員やくいんおこなうようになった。なお麒麟麦酒きりんびーるつづきメイン協賛きょうさん企業きぎょうとしてつらねる。

近年きんねん優勝ゆうしょうチームにたいふく賞品しょうひんとしては、ビールの「一番いちばんしぼり」、かん酎ハイ飲料いんりょうの「氷結ひょうけつ」が麒麟麦酒きりんびーるから、スポーツドリンク(2011ねん時点じてんでは「KIRIN LOVES SPORTS」)がキリンビバレッジから、それぞれ提供ていきょうされているが、イスラムけんのチームが優勝ゆうしょうした場合ばあい宗教しゅうきょう戒律かいりつにより原則げんそく禁酒きんしゅであるため(詳細しょうさいイスラム教いすらむきょうにおける飲酒いんしゅ参照さんしょう)、実際じっさいには麒麟麦酒きりんびーるからは副賞ふくしょう提供ていきょうされない(キリンビバレッジからスポーツドリンクのみ贈呈ぞうてい該当がいとうれい2005ねんアラブ首長しゅちょうこく連邦れんぽう[18])。以前いぜんキリンディスティラリーきゅう・キリンシーグラム)より、シャンパン贈呈ぞうていされたことがあった。これは姉妹しまい大会たいかいのキリンチャレンジカップの場合ばあいでも同様どうようである。

大会たいかいめい遍歴へんれき[編集へんしゅう]

  • 1978ねん - 1979ねん「ジャパンカップ」
  • 1980ねん - 1984ねん「ジャパンカップ・キリンワールドサッカー」
  • 1985ねん - 「キリンカップサッカー」
  • 出典しゅってん:[7][8]

結果けっか[編集へんしゅう]

1978ねん - 1991ねん[編集へんしゅう]

年度ねんど 優勝ゆうしょう優勝ゆうしょう回数かいすう じゅん優勝ゆうしょう ベスト4 グループリーグ敗退はいたい
1978ねん 西ドイツ ボルシアMG(1)
ブラジル パルメイラス(1)
- 西ドイツ ケルン
イングランド コヴェントリー・C
 日本にっぽん
 韓国かんこく
 タイ王国おうこく
日本 日本にっぽん選抜せんばつ
1979ねん イングランド トッテナム(1) スコットランド ダンディー・U アルゼンチン サン・ロレンソ
イタリア フィオレンティーナ
 日本にっぽん
 ビルマ
 インドネシア
日本 日本にっぽん選抜せんばつ
1980ねん イングランド ミドルズブラ(1) スペイン エスパニョール  中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく
 日本にっぽん
日本 フジタ工業こうぎょう
アルゼンチン アルヘンティノス
1981ねん ベルギー クラブ・ブルッヘ(1) イタリア インテル  日本にっぽん
イングランド エヴァートン
日本 三菱重工みつびしじゅうこう
 中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく
年度ねんど 優勝ゆうしょう優勝ゆうしょう回数かいすう じゅん優勝ゆうしょう 3 4 5
1982ねん 西ドイツ ブレーメン(1)  日本にっぽん オランダ フェイエノールト  シンガポール 日本 日本鋼管にほんこうかん
1983ねん イングランド ニューカッスル・U(1) ブラジル ボタフォゴ 日本 ヤマハ発動機やまははつどうき  シリア  日本にっぽん
年度ねんど 優勝ゆうしょう優勝ゆうしょう回数かいすう じゅん優勝ゆうしょう ベスト4 グループリーグ敗退はいたい
1984ねん ブラジル インテルナシオナル(1)  アイルランド フランス トゥールーズ
 中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく
 日本にっぽん
日本 日本にっぽんユニバーシアード代表だいひょう
年度ねんど 優勝ゆうしょう優勝ゆうしょう回数かいすう じゅん優勝ゆうしょう 3 4 5 6
1985ねん ブラジル サントス(1)  ウルグアイ イングランド ウェストハム・U 日本 読売よみうりクラブ  日本にっぽん  マレーシア
1986ねん 西ドイツ ブレーメン(1) ブラジル パルメイラス  日本にっぽん アルジェリア アルジェリア選抜せんばつ
1987ねん ブラジル フルミネンセ(1) イタリア トリノ  日本にっぽん  セネガル
1988ねん ブラジル フラメンゴ(1) 西ドイツ レバークーゼン  中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく  日本にっぽん
1989-1990ねん開催かいさいされず
1991ねん  日本にっぽん(1) ブラジル ヴァスコ・ダ・ガマ イングランド トッテナム  タイ王国おうこく

1992ねん - 現在げんざい[編集へんしゅう]

  • カッコない数字すうじ優勝ゆうしょう回数かいすう
とし 優勝ゆうしょう じゅん優勝ゆうしょう 3 4
1992ねん  アルゼンチン (1)  ウェールズ  日本にっぽん
1993ねん  ハンガリー (1)  日本にっぽん  アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
1994ねん  フランス (1)  オーストラリア  日本にっぽん
1995ねん  日本にっぽん (2)  スコットランド  エクアドル
1996ねん  日本にっぽん (3)  メキシコ  ユーゴスラビア
1997ねん 日本の旗 日本にっぽん (4) クロアチアの旗 クロアチア トルコの旗 トルコ
1998ねん  チェコ (1)  日本にっぽん  パラグアイ
1999ねん  ベルギー (1)
 ペルー (1)
 日本にっぽん
2000ねん  日本にっぽん (5)
 スロバキア (1)
 ボリビア
2001ねん  日本にっぽん (6)  ユーゴスラビア  パラグアイ
2002ねん  日本にっぽん
 ホンジュラス
 スロバキア順位じゅんいさだめず)
2003ねん  アルゼンチン
 パラグアイ
 日本にっぽん順位じゅんいさだめず)
2004ねん  日本にっぽん (7)  セルビア・モンテネグロ  スロバキア
2005ねん  ペルー (2)
 アラブ首長しゅちょうこく連邦れんぽう (1)
 日本にっぽん
2006ねん  スコットランド (1)  ブルガリア  日本にっぽん
2007ねん  日本にっぽん (8)  コロンビア  モンテネグロ
2008ねん  日本にっぽん (9)  パラグアイ  コートジボワール
2009ねん  日本にっぽん (10)  チリ
 ベルギー
2010ねん開催かいさいされず[19]
2011ねん  日本にっぽん (11)
 ペルー (3)
 チェコ (2)
2012-2015ねん開催かいさいされず[19]
2016ねん  ボスニア・ヘルツェゴビナ (1)  日本にっぽん  デンマーク  ブルガリア
2017-2021ねん開催かいさいされず[19]
2022ねん  チュニジア (1)  日本にっぽん  ガーナ  チリ

日本にっぽんぜい成績せいせき[編集へんしゅう]

とし 日本にっぽんぜい成績せいせき(カッコない
1978ねん 日本にっぽん代表だいひょう(1くみ 3 1しょう1はい1け)
日本にっぽん選抜せんばつ(2くみ 4 2はい1け)
1979ねん 日本にっぽん代表だいひょう(Aぐみ 3 1しょう1はい1け)
日本にっぽん選抜せんばつ(Bぐみ 4 3はい
1980ねん 日本にっぽん代表だいひょう(Bぐみ 2 1しょう1はい
フジタ工業こうぎょう(Aぐみ 3 2はい
1981ねん 日本にっぽん代表だいひょう(Bぐみ 3 2け)
三菱重工みつびしじゅうこう(Aぐみ 2 2はい
1982ねん 日本にっぽん代表だいひょう(2 3しょう1け)
日本鋼管にほんこうかん(5 3はい1け)
1983ねん 日本にっぽん代表だいひょう(5 1しょう2はい1け)
ヤマハ発動機やまははつどうき(3 1しょう1はい2け)
1984ねん 日本にっぽん代表だいひょう(Aぐみ 3 1しょう1はい
日本にっぽんユニバーシアード代表だいひょう(Bぐみ 3 1はい1け)
1985ねん 日本にっぽん代表だいひょう予選よせんリーグ 5 1しょう3はい1け)
読売よみうりクラブ予選よせんリーグ 4 2しょう2はい1け)
1986ねん 日本にっぽん代表だいひょう予選よせんリーグ 3 1しょう2はい
1987ねん 日本にっぽん代表だいひょう予選よせんリーグ 3 1はい2け)
1988ねん 日本にっぽん代表だいひょう予選よせんリーグ 4 3はい
1991ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 3しょう
1992ねん 日本にっぽん代表だいひょう(3 2はい
1993ねん 日本にっぽん代表だいひょう(2 1しょう1はい
1994ねん 日本にっぽん代表だいひょう(3 1はい1け)
1995ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 1しょう1け)
1996ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 2しょう
1997ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 2しょう
1998ねん 日本にっぽん代表だいひょう(2 2け)
1999ねん 日本にっぽん代表だいひょう(3 2け)
2000ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 1しょう1け)
2001ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 2しょう
2002ねん 日本にっぽん代表だいひょう(1しょう1け)
2003ねん 日本にっぽん代表だいひょう(1け1はい
2004ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 2しょう
2005ねん 日本にっぽん代表だいひょう(3 2はい
2006ねん 日本にっぽん代表だいひょう(3 1ふん1はい
2007ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 1しょう1ふん
2008ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 1しょう1ふん
2009ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 2しょう
2011ねん 日本にっぽん代表だいひょう優勝ゆうしょう 2ふん
2016ねん 日本にっぽん代表だいひょう(2 1しょう1はい
2022ねん 日本にっぽん代表だいひょう(2 1しょう1はい

試合しあい会場かいじょう[編集へんしゅう]

試合しあい開催かいさい名称めいしょうもとづく。

試合しあい中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

  • 1978ねん開始かいし当時とうじから日本にほんテレビ中継ちゅうけいしている。ただし、日本にほんテレビの編成へんせい都合つごうで、系列けいれつ放送ほうそうされる場合ばあいがある。
    • 2003ねんだい2せんのパラグアイせんのみテレビ朝日てれびあさひ中継ちゅうけいされた。これは日本にほんテレビがプロ野球やきゅう中継ちゅうけい巨人きょじん×ヤクルト)を優先ゆうせんしたためとされている。
    • 2007ねん最終さいしゅうせん日本にっぽんvsコロンビアせん日本にほんテレビの編成へんせいじょう関係かんけいテレビ朝日てれびあさひから全国ぜんこく放送ほうそうされた。
    • また2008ねんだい2せん日本にっぽんvsコートジボワールせんテレビ朝日てれびあさひ最終さいしゅうせん日本にっぽんvsパラグアイせんTBS放送ほうそうされた。
    • 2009ねんだい1せん日本にっぽんvsチリせん長居ながいスタジアム)がTBSで放送ほうそうされた。
    • 2011ねんだい1せん日本にっぽんvsペルーがテレビ朝日てれびあさひだい2せんペルーvsチェコがBS-TBS地上波ちじょうはTBSでも当日とうじつ深夜しんや録画ろくが放送ほうそうされた)、だい3せん日本にっぽんvsチェコがTBSといずれも日本にほんテレビ以外いがい放送ほうそうされた。ちなみに、だい1せん前座ぜんざ試合しあいとしておこなわれるU-22日本にっぽんvsU-22オーストラリアはBS朝日あさひなま放送ほうそうされた。
  • いずれも、首都しゅとけん以外いがい地方ちほう都市とし開催かいさいされる場合ばあいも、在京ざいきょうキーきょくがメイン制作せいさく地元じもときょく技術ぎじゅつ協力きょうりょくとして放送ほうそうされ、在京ざいきょうキーきょくからアナウンサー・解説かいせつしゃ派遣はけんしたり、中継ちゅうけい協賛きょうさんスポンサー(キリンや日本にっぽん代表だいひょうのスポンサー以外いがい各社かくしゃふくむ)のネットセールスをおこなう。
  • 日本にっぽん代表だいひょうのA代表だいひょうからまない試合しあい場合ばあい、BSデジタルきょく生放送なまほうそうか、地方ちほう系列けいれつきょくでの録画ろくが中継ちゅうけいになる場合ばあいがある。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ キリンカップサッカー2009 ~ALL FOR 2010!~大会たいかい概要がいよう”. 日本にっぽんサッカー協会きょうかい (2009ねん2がつ20日はつか). 2009ねん1がつ20日はつか閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p キリン×日本にっぽん代表だいひょうパートナーシップ40周年しゅうねん 記念きねんトークイベントを実施じっし”. 日本にっぽんサッカー協会きょうかい (2018ねん12月12にち). 2024ねん3がつ5にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん1がつ18にち閲覧えつらん【キリン特別とくべつ協賛きょうさん200試合しあい記念きねん】サッカー黎明れいめいからともにあゆんだ40ねん~キリンとJFAとのパートナーシップの歴史れきし”. 日本にっぽんサッカー協会きょうかい (2023ねん9がつ5にち). 2023ねん9がつ27にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん1がつ18にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e 加部かべきわむ (2018ねん5がつ25にち). “サッカー日本にっぽん代表だいひょう 激闘げきとう日誌にっし <ドキュメントだい1かいキリンカップ> 「JAPAN CUP 1978」の衝撃しょうげきまえへん”. Number Web. 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう. p. 2. 2018ねん5がつ30にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g 木村きむら元彦もとひこ (2021–03–02). “キリンはいかにしてサッカー日本にっぽん代表だいひょう応援おうえんするにいたったのか。ー無名むめいペケ社員しゃいん陰徳いんとく”. LINEヤフー. 2024ねん5がつ3にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c d e f g h i j 六川ろくかわとおる (2022ねん6がつ5にち). “六川ろくかわとおるのフットボール縦横無尽じゅうおうむじん なが歴史れきしつづいている「キリンカップ」で残念ざんねんでならないことがある”. 日刊にっかんゲンダイDIGITAL. 2022ねん10がつ15にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 後藤ごとう健生たけお日本にっぽんサッカー代表だいひょうへん 日本にっぽん代表だいひょうの85ねん双葉社ふたばしゃ、2002ねん、242–243ぺーじISBN 4-575-29489-6 
  7. ^ a b c d e f g h 「キリンカップサッカー」歴代れきだい大会たいかい結果けっか(1978ねん~2008ねん”. キリンビール (2009ねん2がつ20日はつか). 2010ねん1がつ20日はつか閲覧えつらん
  8. ^ a b c d e f g h (ニュースレター)キリングループのサッカー支援しえん日本にっぽんサッカーかいのさらなる発展はってんとサッカー文化ぶんか創造そうぞうけて~”. キリンビバレッジ (2010ねん8がつ6にち). 2010ねん8がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2011ねん9がつ11にち閲覧えつらん
  9. ^ a b c d 六川ろくかわとおる (2018–10–16). “キリンはいかにしてサッカー日本にっぽん代表だいひょう応援おうえんするにいたったのか。ー無名むめいペケ社員しゃいん陰徳いんとく”. CWS Brains. 2021ねん3がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  10. ^ a b サッカー批評ひひょう』10ごう、2001ねん3がつ双葉社ふたばしゃ、64-66ぺーじ、『サッカー批評ひひょう』37ごう、2008ねん1がつ双葉社ふたばしゃ、34-35ぺーじ木村きむら元彦もとひこ「30ねん真実しんじつ—キリンカップ誕生たんじょう秘話ひわ」『サッカー批評ひひょう』38、2008ねん4がつ10日とおか発行はっこう、36-42ぺーじ
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  18. ^ 当時とうじ提供ていきょうされたスポーツドリンクは「キリンアミノサプリ」。
  19. ^ a b c どう時期じきにキリンチャレンジカップを開催かいさい

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]