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サティスファクション

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
「サティスファクション」
ローリング・ストーンズシングル
初出しょしゅつアルバム『アウト・オブ・アワ・ヘッズ
Bめん アメリカ合衆国の旗 ウェストコーストの宣伝せんでん
イギリスの旗 クモとハエ
リリース
規格きかく 7インチ・シングル
録音ろくおん 1965ねん5がつ12にち (1965-05-12)
ジャンル ロック
時間じかん
レーベル アメリカ合衆国の旗 ロンドンレコード
イギリスの旗 デッカ・レコード
作詞さくし作曲さっきょく ジャガー/リチャーズ
プロデュース アンドリュー・ルーグ・オールダム
チャート最高さいこう順位じゅんい
  • #1 (UK,US)
  • 1965年度ねんど年間ねんかん3ビルボード
  • 10日本にっぽん、ミュージック・マンスリー洋楽ようがくチャート、1965ねん当時とうじ[1]
ローリング・ストーンズ シングル 年表ねんぴょう
ラスト・タイム
(1965ねん
サティスファクション
(1965ねん
一人ひとりぼっちの世界せかい
(1966ねん
ミュージックビデオ
「(I Can't Get No) Satisfaction」 - YouTube
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サティスファクション」((I Can't Get No) Satisfaction)は、1965ねん発表はっぴょうされたローリング・ストーンズ楽曲がっきょく作詞さくし作曲さっきょくミック・ジャガーおよびキース・リチャーズ。ローリング・ストーンズの代表だいひょうきょくひとつである。

概要がいよう

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ストーンズが世界せかいてき人気にんき獲得かくとくする契機けいきひとつとなったきょくで、ジャガー自身じしんも「このきょくおれたち一介いっかいのロック・バンドから巨大きょだい怪物かいぶつバンドにえたんだ」と自負じふしている[2]全米ぜんべいのシングルチャートで4しゅう連続れんぞく1となり[3]ビルボードの1965ねん年間ねんかんランキングでは3につけ[4]、アメリカだけでも150まんまいげ、RIAAからゴールド・ディスクとして認定にんていされた[5] [6]イギリスにおいても2しゅうのみだが1獲得かくとくした[7]ぜん世界せかいでのげは500まんまい。このきょく収録しゅうろくしたアルバム 『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』(USバージョン)もそれにじょうじてストーンズのアメリカにおける最初さいしょのNo.1アルバムになり[8]、プラチナ・アルバムを獲得かくとくした。人気にんきめんだけではなく、ジャガーとリチャーズが、ソングライターとしてのオリジナリティをはじめて明確めいかくしたものとして、かれらの活動かつどうのターニング・ポイントとなった作品さくひんである。ジャガーは「このきょく本当ほんとう意味いみでストーンズというバンドを形作かたちづくった」とかたっている[2]

特徴とくちょうてきエレキギターのリフはギブソンせいのマエストロのファズ・ボックスを使用しようしたもので、このエレキギターはリチャーズが担当たんとうしている。バッキングのアコースティックギターは、リチャーズかブライアン・ジョーンズによるものかは判然はんぜんとしていない。タンバリンピアノジャック・ニッチェ担当たんとうした[9]歌詞かしは、それまでのロックソングが外面がいめんてきえがいてきた若者わかもの欲求よっきゅう不満ふまん疎外そがいかんを、内面ないめんさけびとしてストレートに表現ひょうげんしている。ジャガーは「1960年代ねんだい時代じだい精神せいしんであった"疎外そがいかん"をしっかりとらえている」とかたっている[10]

2004ねんの「ローリング・ストーンのえらぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では2となった[11]。また、2005ねんにイギリスの音楽おんがく雑誌ざっし「アンカット」が企画きかくした「世界せかいえた」きょく映画えいが、テレビドラマをえら特集とくしゅうでは4となった。

解説かいせつ

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きょくは1965ねん5がつ、アメリカツアーちゅうおとずれたフロリダしゅうクリアウォーターホテルかれた[12]。ギターリフとだしの部分ぶぶんをリチャーズがき、部分ぶぶんをジャガーがいた。ジャガーによれば、だしのフレーズはチャック・ベリーの「Thirty Days」というきょくなかにもあり、リチャーズはこれをってたんじゃないかとかたっている[10]。リチャーズは当初とうしょフォークソングにするつもりだったという[12]

最初さいしょ録音ろくおんは5がつ10日とおかシカゴのチェス・スタジオでおこなわれたが、このときのバージョンは出来できがよくなかったとビル・ワイマン回想かいそうしている[12]。この初期しょきバージョンには、ジョーンズによるハーモニカれられていたという。その12にちハリウッドのRCAスタジオにてふたた録音ろくおんされたが、ここではじめてファズ・ボックスが使用しようされ、さらにテンポをげたらきゅうにいけるということになったという[13]

ジャガーは1995ねんのインタビューで「キースはシングルにするのをいやがったんだ」とけているが[2]、ワイマンによれば当初とうしょジャガーもシングル反対はんたいしていたという。きょく完成かんせい、シングルリリースすべきかの評議ひょうぎで、ジャガーとリチャーズだけが反対はんたいし、のメンバーとアンドリュー・ルーグ・オールダムイアン・スチュワート、さらにはレコーディングエンジニアとうスタッフ一同いちどう賛成さんせいまわったため、多数決たすうけつによりシングルまった。そのすうねんたってから、ジャガーは「シングル反対はんたいしていたのはキースだけ」とかたるようになったという[13]

リチャーズはリリースされてからもなおこのきょくのアレンジをらず、オーティス・レディングによるカバーのようなアレンジをのぞんでいた。その、すぐにはじまったツアーから1週間しゅうかん以上いじょうたったあるネブラスカしゅうにいたさいラジオから現在げんざいのバージョンがながれ、アンドリュー・オールダムがリチャーズに「これでいよな」とったというエピソードがのこっている[14]

アメリカでは1965ねん6がつ5にちにリリースされたが、イギリスではそれより2ヶ月かげつ以上いじょうおそい8がつ20日はつかにリリースされたため[15]、イギリスではシングルリリースのまえにラジオで頻繁ひんぱんながされ、相対そうたいてきにシングルの価値かちひくくなってしまった[6][16]。シングルのBめんはイギリスばんは「クモとハエ」、アメリカばんは「ウエスト・コーストの宣伝せんでん」となっているが、当初とうしょ英国えいこくでも「ウエスト・コーストの宣伝せんでん」をBめんとすることでまっていた。だがイギリスじんみみには馴染なじまないだろうとの理由りゆう急遽きゅうきょ「クモとハエ」にえられている[6]

ステレオ・バージョン

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「サティスファクション」はモノラルのみでリリースされており、そのコンピレーション・アルバムに収録しゅうろくされる場合ばあいにもみなモノラルで収録しゅうろくされていたが、例外れいがいてきに、1980年代ねんだいにリリースされた『ホット・ロックス』(ぜんえい3[17]全米ぜんべい4[18]のリイシューCDで、日本にっぽんおよびドイツはんにおいてのみ、ステレオ・バージョンが収録しゅうろくされた。このステレオ・バージョンでは、モノラルではりづらかったピアノがはっきりれるようになっている。そのリマスターはんではふたたびモノラル・バージョンにもどされたため、このきょくのステレオ・バージョンはレア・トラックとなっている。

コンサート・パフォーマンス

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バンドの代表だいひょうきょくうこともあり、リリースの1965ねんから直近ちょっきん2016ねんのツアーまで、ほぼ一貫いっかんしてコンサートで披露ひろうされつづけている。ストーンズのコンサートでは、ラストまたはアンコールに披露ひろうされることがおおいが、発表はっぴょうされた1965ねん時点じてんですでにコンサートのラストに演奏えんそうされていた[19]。ストーンズの公式こうしきライブアルバムでは、1966ねんの『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』、1982ねんの『スティル・ライフ』、1991ねんの『フラッシュポイント』、2004ねんの『ライヴ・リックス』、2008ねんの『シャイン・ア・ライト』に収録しゅうろくされている。

ポール・マッカートニーは2001ねんにインタビューで、「毎回まいかいライブで『イエスタデイ』をもとめられて苦痛くつうではないのか?」と質問しつもんされ、「ローリング・ストーンズのライブにって、『サティスファクション』が演奏えんそうされなかったら、きゃく満足まんぞくしないだろう」と返答へんとうしており、代表だいひょうきょくであることをしめすエピソードとして有名ゆうめい

オーティス・レディングのカバー

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オーティス・レディング[20]は1965ねんのアルバム『オーティス・ブルー』でこのきょくをカバーし、翌年よくねんにはシングルリリースしている。レディングは1967ねんモントレー・ポップ・フェスティバルでもこのきょく披露ひろう、このライブ音源おんげん映像えいぞう1987ねん映画えいがShake! Otis at Monterey』におさめられ、のちDVDされている。その、ストーンズはレディングの「I've Been Loving You Too Long」(あいしすぎて)[21]をカバーしている。リチャーズはボブ・ディランはじめてったさいに、ディランから「ぼくには"サティスファクション"をけただろうけど、くんには"廃墟はいきょまち"(1965ねんのアルバム『追憶ついおくのハイウェイ 61収録しゅうろく)はけないだろう」とわれ、これにたいし「それじゃなぜさきに"サティスファクション"をかなかった?それにオーティス・レディングは"サティスファクション"はカバーしたけど"廃墟はいきょまち"はやってないぜ」と、レディングをいにして反論はんろんしたというエピソードをかたっている[22]

カバー・バージョン

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多数たすう

逸話いつわ

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  • 2008ねん貧血ひんけつとヘモグロビン低下ていか赤血球せっけっきゅう減少げんしょうにより昏睡こんすい状態じょうたいおちいっていたイギリスのパン職人しょくにんサム・カーター(60さい)は、3日間にちかん昏睡こんすいのちつまからこのきょくかされると突然とつぜんましたという。カーターはこのきょくが17さいのときに自分じぶんはじめてったきょくで「このきょくぼくがるのに必要ひつよう最後さいごのエネルギーをあたえてくれたんだ」とかたっている[25]

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 日経にっけいBPムック 大人おとなのロック!特別とくべつ編集へんしゅう ザ・ビートルズ 世界せかい制覇せいは50ねん日経にっけいBPしゃ、2015ねん、32ぺーじISBN 978-4-8222-7834-2
  2. ^ a b c SIGHT VOL.14 特集とくしゅう「ロックの正義まさよし!!ストーンズぜん100ページ」(株式会社かぶしきがいしゃロッキング・オン2003ねん)p45
  3. ^ The Rolling Stones - Chart history | Billboard:
  4. ^ Number One Song of the Year: 1946-2015:” (英語えいご). 2016ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ "American single certifications – The Rolling Stones – (I Can_t Get No) Satisfaction". Recording Industry Association of America. 2011ねん1がつ15にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c 『ストーン・アローン/した』(ビル・ワイマン/レイ・コールマンちょ野間のまけいやく、ソニー・マガジンズかん、1992ねんISBN 4-7897-0781-4 )p67
  7. ^ (i+can%27t+get+no)+satisfaction | full Official Chart History | Official Charts Company:
  8. ^ The Rolling Stones - Chart history | Billboard:
  9. ^ Satisfaction:” (英語えいご). 2016ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  10. ^ a b SIGHT VOL.14 特集とくしゅう「ロックの正義まさよし!!ストーンズぜん100ページ」(株式会社かぶしきがいしゃロッキング・オン2003ねん)p48
  11. ^ ローリングストーンえらぶオールタイムグレイテストソング500” (日本語にほんご). 2016ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  12. ^ a b c 『ストーン・アローン/した』(ビル・ワイマン/レイ・コールマンちょ野間のまけいやく、ソニー・マガジンズかん、1992ねんISBN 4-7897-0781-4) p46
  13. ^ a b 『ストーン・アローン/した』(ビル・ワイマン/レイ・コールマンちょ野間のまけいやく、ソニー・マガジンズかん、1992ねんISBN 4-7897-0781-4 )p47
  14. ^ 雑誌ざっし「rockin'on」2013ねん6がつごうないのロング・インタビューより
  15. ^ 『ストーン・アローン/した』(ビル・ワイマン/レイ・コールマンちょ野間のまけいやく、ソニー・マガジンズかん、1992ねんISBN 4-7897-0781-4 )p380
  16. ^ 『ストーン・アローン/した』(ビル・ワイマン/レイ・コールマンちょ野間のまけいやく、ソニー・マガジンズかん、1992ねんISBN 4-7897-0781-4 )p68
  17. ^ hot rocks | full Official Chart History | Official Charts Company
  18. ^ The Rolling Stones - Chart history | Billboard ストーンズ チャートヒストリー2021ねん6がつ8にち閲覧えつらん
  19. ^ 『ローリングストーンズ/グッド・タイムズ・バッド・タイムズ』 (テリー・ロウリングス/アンドリュー・ネイル/キース・バッドマンちょ、 筌尾せいやくシンコーミュージックかん2000ねんISBN 978-4401616541 p104
  20. ^ 死後しごの68ねんに「ドック・オブ・ベイ」がだいヒットした
  21. ^ ストーンズのカバー・バージョンの邦題ほうだいは「こいをしすぎた」
  22. ^ アーカイヴシリーズvol.5「ザ・ローリング・ストーンズ['74-'03]」(シンコー・ミュージックかん2003ねんISBN 4-401-61801-7) p70
  23. ^ Aretha Franklin | full Official Chart History | Official Charts Company:
  24. ^ DEVO | full Official Chart History | Official Charts Company:
  25. ^ 'Satisfaction' brings man out of coma - UPI.com.html
先代せんだい
フォー・トップス
「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」
Billboard Hot 100 だい1
1965ねん7がつ10日とおか (1965-07-10) - 7がつ31にち(4しゅう
次代じだい
ハーマンズ・ハーミッツ
「ヘンリー8せいくん
先代せんだい
ソニーとシェール
「アイ・ガット・ユー・ベイブ」
ぜんえいシングルチャート だい1
1965ねん9がつ9にち (1965-09-09) - 9月16にち(2しゅう
次代じだい
ウォーカー・ブラザーズ
なみだでさようなら」