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シーズ・リーヴィング・ホーム

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ビートルズ > 曲名きょくめいリスト > シーズ・リーヴィング・ホーム
シーズ・リーヴィング・ホーム
ビートルズ楽曲がっきょく
収録しゅうろくアルバムサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
英語えいごめいShe's Leaving Home
リリース1967ねん6がつ1にち
録音ろくおん
ジャンルバロック・ポップ[1]
時間じかん
  • 3ふん26びょう(モノラル、2017年版ねんばんステレオ)
  • 3ふん35びょう(ステレオ / 1967ねん - 2009ねん
レーベルパーロフォン
作詞さくししゃレノン=マッカートニー
作曲さっきょくしゃレノン=マッカートニー
プロデュースジョージ・マーティン
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 収録しゅうろくきょく
フィクシング・ア・ホール
(A-5)
シーズ・リーヴィング・ホーム
(A-6)
ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト
(A-7)

シーズ・リーヴィング・ホーム」(She's Leaving Home)は、ビートルズ楽曲がっきょくである。1967ねん発売はつばいされた8さくのイギリスばん公式こうしきオリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収録しゅうろくされた。レノン=マッカートニー作品さくひんで、ポール・マッカートニーヴァースき、ジョン・レノンコーラスいた。ジョージ・ハリスンリンゴ・スターはレコーディングには参加さんかしていない。「イエスタデイ」や「エリナー・リグビー」などとおなじくストリングス主体しゅたいとした楽曲がっきょくで、ストリングス編曲へんきょくマイク・リーンダー英語えいごばんがけた。なお、メンバーがレコーディングで楽器がっき演奏えんそうしなかった数少かずすくないビートルズの楽曲がっきょくの1つ。

背景はいけい

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「シーズ・リーヴィング・ホーム」は、家出いえでした少女しょうじょ題材だいざいとした楽曲がっきょくで、コーラス部分ぶぶんでは少女しょうじょ両親りょうしん狼狽ろうばいしている様子ようすえがいた楽曲がっきょくである。歌詞かしは、マッカートニーが1967ねん2がつ27にちデイリー・メールかみ掲載けいさいされていた「優等生ゆうとうせい少女しょうじょくるまてて失踪しっそう」という見出みだしがけられた記事きじ[注釈ちゅうしゃく 1]めて、その背景はいけいおもめぐらせたもの[3]。マッカートニーは、「だんだん歌詞かしかたちになっていった。彼女かのじょきをのこしてそっといえると、両親りょうしんまし、そして…。ジョンにせるといのコーラスで、両親りょうしん視点してんくわえてくれた」とかた[3]、1984ねん12月の『プレイボーイのインタビューでは「ぼくいた。あのころぼくのバラードふうきょくだ。ぼくむすめ1人ひとりがこのきょくきなんだ。ということは、いまでも通用つうようするということなのかな。このきょくではべつのアレンジャーを使つかったことで、ジョージ・マーティン不快ふかいおもいをさせてしまった。そのときかれはとてもいそがしかったんだけど、ぼくはとにかくはやくこのきょく仕上しあげたかった。ジョージにとってはれがたいことだったとおもう。そんなつもりはなかったけど、このいちけんでジョージをきずつけてしまった」とかたっている[4]

新聞しんぶん記事きじほうじられた家出いえでした少女しょうじょはメラニー・コーという当時とうじ17さい女子じょし学生がくせいで、1963ねん10がつ放送ほうそうされたイギリスの音楽おんがく番組ばんぐみレディ・ステディ・ゴー』のダンス部門ぶもん出演しゅつえんしたさい審査しんさいんつとめていたマッカートニーから優勝ゆうしょうしゃえらばれていた[2][3]のちにコーは、ほんさく自身じしんつながりをり、「なによりもおどろかされたのは、あのきょくわたし人生じんせい忠実ちゅうじつえがいていることでした。『なんねんもずっと一人ひとりらしてきた』という歌詞かしは、わたしがずっと一人ひとり孤独こどくおもいをしていたことからとくしんひびきました」とかたっている[3]

レコーディング

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「シーズ・リーヴィング・ホーム」のレコーディングは、1967ねん3がつ17にちEMIレコーディング・スタジオのスタジオ2で開始かいしされた。ビートルズの楽曲がっきょくでストリングスやオーケストラをもちいた作品さくひん編曲へんきょくは、基本きほんてきジョージ・マーティン担当たんとうしているが、ほんさくのレコーディング当時とうじシラ・ブラックのセッションにはいっていたことからアレンジの依頼いらい拒否きょひした[5][3]一刻いっこくはやきょく仕上しあげたかったマッカートニーとレノンは、マイク・リーンダー英語えいごばんにストリングス編曲へんきょく依頼いらいした[注釈ちゅうしゃく 2]。なお、マーティンがビートルズの楽曲がっきょく編曲へんきょく担当たんとうしなかったはつれいとなった。このけんについて、マーティンは「馬鹿馬鹿ばかばかしいことなんだよ。かれはやたらとさきいそいでいたし、わたし仕事しごといっぱいで、どうしようもなかった。わたしはらてているのをって、かれおどろいていたが、いまじゃポールも自覚じかくしているようだ。すこしだけスコアをえた。ほんのすこしね。マイク・リーンダーはいい仕事しごとをしてくれたとおもう」とかたっている[6]初日しょにちのセッションで、マーティンはヴァイオリン(4ちょう)、ヴィオラ(2ちょう)、チェロ(2だい)、ダブルベースハープ構成こうせいされる10にんのクラシック演奏えんそう指揮しきった[7][3]。ハープを演奏えんそうしたのはシーラ・ブロンバーグ英語えいごばんで、ビートルズの楽曲がっきょく女性じょせいのミュージシャンが参加さんかしたはつれいだった[8][9]

3にちにテイク1とテイク6が4トラック・レコーダーから2ほんのテープの2つのトラックにミックスダウンされ、テイク9とされたテイク1のリダクション・ミックスのほう出来できいと判断はんだんされたことから、レノンとマッカートニーはテイク9のいている2つのトラックにボーカル録音ろくおんした[3]

3がつ20日はつかにモノラル・ミックス、4がつ17にちにステレオ・ミックスが作成さくせいされた[3]。なお、モノラル・ミックスは通常つうじょうよりもテープの回転かいてん速度そくどはやくして作成さくせいしたため、キーがオリジナルのEから半音はんおんたかFがった[3]。ステレオ・ミックスでは、テープの回転かいてん速度そくど変更へんこうしていないため、もとのテンポとキーのままとなった[3]。2017ねん発表はっぴょうされた『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (50周年しゅうねん記念きねんアニバーサリー・エディション)』では、ジャイルズ・マーティンとサム・オケルによってリミックスされたステレオ・ミックスが収録しゅうろくされているが、どうさくでのリミックスはモノラル・ミックスをもとにしたステレオ・ミックスとなっているため、テンポとキーがモノラル・ミックスにわせられた[10]どうアニバーサリー・エディションの6まいぐみスーパー・デラックスには、初期しょき段階だんかいのモノラル・ミックスも収録しゅうろくされている[3]。なお、最初さいしょの2つのコーラスの最後さいごの「Bye bye」ののちに、みじかいチェロのフレーズがはいっていたが、モノラル・ミックスとステレオ・ミックスの仕上しあげのさい編集へんしゅう消去しょうきょされた[3]

評価ひょうか

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1967ねん4がつに、マッカートニーはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくカリフォルニアしゅうロサンゼルスにいるザ・ビーチ・ボーイズたずね、ブライアン・ウィルソン自宅じたくでピアノをもちいてほんさく演奏えんそうした。ウィルソンは当時とうじについて「ポールとデレク・テイラー英語えいごばんたずねてきたばんぼくらは『ヴェガ・テーブルズ』という楽曲がっきょくをレコーディングしていた。ポールが『シーズ・リーヴィング・ホーム』をピアノで演奏えんそうしてくれたんだけど、レコードになったバージョンにけない素晴すばらしさだったよ。ぼくつまのマリリンはいていた。それはあれがとても感動かんどうてき歌詞かしがついた、なんともうつくしいきょくだったからだ」とかえっている[11][3]。レノンとマッカートニーは、1967ねんアイヴァー・ノヴェロしょう最優秀さいゆうしゅうソング部門ぶもん受賞じゅしょうした[12]

作曲さっきょくネッド・ローレム英語えいごばんは、ほんさくについて「シューベルトいたどのきょくにもけをらない」とひょうしている[13]。『ニューヨーク・タイムズリチャード・ゴールドスタイン英語えいごばんは、「エリナー・リグビー」をいに「『エリナー・リグビー』は悲劇ひげき感動かんどうてきえがいていたが、『シーズ・リーヴィング・ホーム』は刺激しげきのない物語ものがたり」とひょうし、その一方いっぽう音楽おんがく評論ひょうろんイアン・マクドナルド英語えいごばんは「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」とともに、アルバムで最高さいこう楽曲がっきょくの1つとしてげている[14]

2018ねんに『タイムアウト・ロンドン発表はっぴょうした「最高さいこうのビートルズの楽曲がっきょく」の5にランクインした[15]

クレジット

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出典しゅってん[14][3]

カバー・バージョン

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 歌詞かしなかでは、少女しょうじょ家出いえでした時間じかんが「水曜日すいようび午前ごぜん5」となっているが、もとになった記事きじ少女しょうじょ(メラニー・コー)が家出いえでした時間じかん両親りょうしん仕事しごと不在ふざいだった午後ごご[2]。なお、コーは家出いえでから10にち発見はっけんされた。
  2. ^ 当時とうじについて、リーンダーは「ポールから『ちょっといそぎの仕事しごとなんだけど、アレンジをやってもらえないかな?』ってわれてね。わたしマリアンヌ・フェイスフルと250こえのコーラスとで、『イエスタデイ』のレコードをつくっていた。ポールはこのバージョンと、わたしのアレンジをすごくっていた。ただ、ジョージがシラ・ブラックの仕事しごとふさがっていたことはらなかった。スタジオに急行きゅうこうしたわたしは、ポールとピアノのまえすわった。するとポールはわたしに2きょくかせてくれた。たしかセッションはその2にちだったと記憶きおくしている。『1きょくならどうにかなりそうだ』とうと、『どっちにしたい?』とかれたので、せんかんじがする『シーズ・リーヴィング・ホーム』をえらんだ。いそいで帰宅きたくしたわたしは、ピアノのまえすわってアレンジを完成かんせいさせて、ふたたびセッションの現場げんばもどった。そのにはジョージもたけど、のところかれはカンカンでね。あれはかれらのあいだこった、数少かずすくない意見いけん不一致ふいっちだった」とかえっている[3]

出典しゅってん

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  1. ^ Kirell, Andrew (24 December 2015). “The Guide to Streaming the Beatles Now That Their Songs Are Online”. The Daily Beast. 7 May 2016閲覧えつらん
  2. ^ a b Coe, Melanie (2008ねん12月13にち). “Bet you think this song is about you”. The Guardian (Guardian Media Group). https://www.theguardian.com/music/2008/dec/13/people-inspired-pop-songs-muses 2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Sgt. Pepper 2017, p. 12.
  4. ^ Goodman, Joan (December 1984). “Interview: Paul & Linda McCartney's Whole Story”. Playboy (Playboy Enterprises). 
  5. ^ ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全かんぜんばん 2009, p. 198.
  6. ^ ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全かんぜんばん 2009, p. 159.
  7. ^ Winn 2009, p. 95.
  8. ^ Martin & Hornsby 1994, pp. 207–208.
  9. ^ Lewisohn 1988, p. 103.
  10. ^ O'Toole, Kit (2017ねん6がつ11にち). “The Beatles, “She’s Leaving Home” from Sgt. Pepper’s (1967): Deep Beatles”. Something Else Reviews. 2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  11. ^ 100 Greatest Beatles Songs: No. 82 - 'She's Leaving Home'”. Rolling Stone (2011ねん9がつ19にち). 2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  12. ^ Lister, David (1994ねん5がつ28にち). “Pop ballads bite back in lyrical fashion”. The Independent (Independent News & Media). https://www.independent.co.uk/news/uk/pop-ballads-bite-back-in-lyrical-fashion-david-lister-charts-a-sea-change-away-from-rap-towards-1438995.html 2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん 
  13. ^ Time 1967.
  14. ^ a b MacDonald 2005, p. 245.
  15. ^ Time Out London Music (2018ねん5がつ24にち). “The 50 Best Beatles songs”. Time Out London. 2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  16. ^ All This and World War II (1976) - Soundtracks”. IMDb. Amazon.com. 2020ねん11月17にち閲覧えつらん
  17. ^ Official Singles Chart Top 100”. Official Charts Company (1988ねん6がつ5にち). 2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Paul McCartney Interview: Playboy magazine, December 1984”. Beatles Interviews Database. p. 2. 2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  • ハウレット, ケヴィン (2017). サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド -50周年しゅうねん記念きねんエディション-〈6まいぐみスーパー・デラックス〉 (ブックレット). ビートルズ. アップル・レコード.
  • Lewisohn, Mark (1988). The Beatles Recording Sessions. New York: Harmony Books. ISBN 0-517-57066-1 
  • ルーイスン, マーク『ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全かんぜんばん内田うちだ久美子くみこわけ)、シンコーミュージック・エンターテイメント、2009ねんISBN 978-4401632947 
  • Martin, George; Hornsby, Jeremy (1994). All You Need Is Ears. New York: St. Martin's Press. ISBN 0-312-11482-6 
  • “The Messengers”. Time. (1967ねん9がつ22にち). オリジナルの2003ねん8がつ7にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20030807114828/http://www.time.com/time/time100/artists/profile/beatles_related.html 2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん 
  • Winn, John C. (2009). That Magic Feeling: The Beatles' Recorded Legacy, Volume Two, 1966-1970. New York, NY: Three Rivers Press. ISBN 978-0-307-45239-9 

外部がいぶリンク

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