エリナー・リグビー

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エリナー・リグビー
ビートルズシングル
初出しょしゅつアルバム『リボルバー
Aめん イエロー・サブマリンりょうAめん
リリース
規格きかく 7インチシングル
録音ろくおん
ジャンル
時間じかん
レーベル
作詞さくし作曲さっきょく レノン=マッカートニー
プロデュース ジョージ・マーティン
ゴールドディスク
後述こうじゅつ参照さんしょう
チャート最高さいこう順位じゅんい
後述こうじゅつ参照さんしょう
ビートルズ シングル U.K. 年表ねんぴょう
ビートルズ シングル U.S. 年表ねんぴょう
ビートルズ シングル 日本にっぽん 年表ねんぴょう
リボルバー 収録しゅうろくきょく
タックスマン
(A-1)
エリナー・リグビー
(A-2)
アイム・オンリー・スリーピング
(A-3)
ミュージックビデオ
「Eleanor Rigby (From "Yellow Submarine")」 - YouTube
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エリナー・リグビー」(Eleanor Rigby)は、ビートルズ楽曲がっきょくである。1966ねん8がつに「イエロー・サブマリン」とのりょうAめんシングルとして発売はつばいされ、同時どうじ発売はつばいされた7さくのイギリスばんオリジナル・アルバム『リボルバー』にも収録しゅうろくされた。レノン=マッカートニー名義めいぎとなっているが、おもポール・マッカートニーによってかれた楽曲がっきょく[3]ぜんえいシングルチャートではだい1獲得かくとくし、Billboard Hot 100では最高さいこう11記録きろくした。

ほんさくは、ジョージ・マーティンがアレンジを手掛てがけた弦楽げんがくはち重奏じゅうそうと、孤独こどく人々ひとびとについてうたわれた物語ものがたり調ちょう歌詞かしにより、これまでのポピュラー音楽おんがく慣習かんしゅうとはことなるものとなっている[4]。『オールミュージック』のリッチー・アンターバーガー英語えいごばんは、「若者わかものけのロックバンドが、のない孤独こどく老人ろうじんすえについてうたったのは当時とうじではめずらしかった」としている[5]

背景はいけい[編集へんしゅう]

マッカートニーは、ピアノをきながら「エリナー・リグビー」のメロディをかんがした。楽曲がっきょく主人公しゅじんこう名前なまえは、当初とうしょMiss Daisy Hawkins(ミス・デイジー・ホーキンス)」という名前なまえだった[6]。シンガーソングライターのドノヴァンは、楽曲がっきょく完成かんせいするまえにマッカートニーが現行げんこうのものとはことなる歌詞かし演奏えんそうしてくれたとかしている[7]。1966ねんにマッカートニーは、ほんさく作曲さっきょく経緯けいいについて「ピアノのまえすわってかんがえてたら、『Daisy Hawkins picks up the rice in the church(デイジー・ホーキンスが教会きょうかいこめひろう)』という冒頭ぼうとうのフレーズがあたまかんできたんだ。なんでかはわからないけど。でもそれ以上いじょうかんがえてもかんでこなかったから、数日すうじつはなっておいた。そのつぎかんできたのは『マッカートニー神父しんぷ』と『孤独こどくひとたち』。でもそのときちち靴下くつしたつくろってる姿すがたをみんなに想像そうぞうされちゃうんじゃないかって心配しんぱいになったんだ。ちち愉快ゆかいおとこなのにね。だから電話でんわちょうをめくって『マッケンジー』という名前なまえひろったんだ」とかたっている[8]

なお、『マッケンジー神父しんぷ』の名前なまえについて、ノースウィッチ・メモリアル・ホール英語えいごばん司会しかい担当たんとうしたトミー・マッケンジーからられたというせつ存在そんざいしている[9][10]

マッカートニーは、「エリナー」という名前なまえについて、映画えいがヘルプ!』で共演きょうえんした女優じょゆうエリナー・ブロン英語えいごばんから、せいのリグビーはマッカートニーがブリストルを散歩さんぽしているさいかけた会社かいしゃ名前なまえからおもいついたことをかしている[11]。1984ねんにマッカートニーは「名前なまえきだっただけ。自然しぜんひびきの名前なまえさがしていた。『エリナー・リグビー』はとても自然しぜんだとおもったよ」とかたっている[8]

マッカートニーは、冒頭ぼうとうのフレーズをいたのち、ケンウッドにあるジョン・レノン自宅じたく音楽おんがくしつきょく完成かんせいさせた。レノン、ジョージ・ハリスンリンゴ・スター、そしてレノンの幼馴染おさななじみであるピート・ショットン英語えいごばんは、マッカートニーの演奏えんそういて、きょくにアイデアを提供ていきょうした。ハリスンは「Ah, look at all the lonely people」という冒頭ぼうとうのフレーズ、リンゴ・スターが「writing the words of a sermon that no one will hear」というフレーズをかんがした。マッカートニーはきょく結末けつまつめられず、ショットンは「マッケンジー神父しんぷがエリナー・リグビーの葬儀そうぎ仕切しきる」という結末けつまつ提案ていあんした。レノンにアイデアをもとめたが「えない」と拒否きょひされたため、ショットンがしたアイデアが採用さいようされた[12]

作詞さくしについて、レノンは1971ねんに「歌詞かし半分はんぶん以上いじょういた[13]」とし、1980ねんに「最初さいしょいちぎょうはポールで、のこりは、基本きほんてきにぼくのだ。ポールは、結婚式けっこんしき最中さいちゅう教会きょうかいにいるエリナー・リグビーというメイン・テーマだけをっていた。かれはこのテーマが手元てもとにあって。手助てだすけが必要ひつようなことをっていながら、ぼくにをつけてくれとはたのまなかった。そのかわりに、あのとき、『オイ、きみたち、げちゃってくれよ』とぼくらにこえをかけたんだ。EMIのどでかいスタジオこうで、録音ろくおんをしたり、アレンジや、なにことをしながらね。そのとき、ぼくは、むかし電話でんわ工事こうじをやっていたロードマネージャーのマル・エヴァンスと、そしてのロードマネージャーだがそのころ会計士かいけいし見習みならいだったニール・アスペノールといた。ポールは、この3にんむかって(表記ひょうき:ママ)そうこえをかけたんだ。ものをそのへんにほうりなげるみたいなやりかたをされて、ぼくはばかにされたようながして、きずついた。かれ実際じっさいはぼくにをつけてくれとおうとしたんだけど、かれは、たのもうとしなかった。ぼくがあたまにきたのは、末期まっきころのポールのこういった無神経むしんけいさなんだ。かれはとにかくそういうおとこだった[14][15]」と主張しゅちょうしているが、ショットンはレノンの貢献こうけん否定ひていしている[16]。これについてマッカートニーは「ジョンにはいくつか言葉ことばたすけてもらったけど、8わりぼくいた」としている[17]

ハーモニー[編集へんしゅう]

「エリナー・リグビー」は、ナチュラル・マイナーとしてられているエオリアンとドリアンの混合こんごうモードが使用しようされた顕著けんちょれいとなっている。キーはEマイナー設定せっていされており、EマイナーとCの2つのコードが使用しようされている。このスケールでは、♭3、♭6、そして♭7が使用しようされていて、ヴァースのメロディではドリアンモードでかれている[18]

実在じつざい人物じんぶつ[編集へんしゅう]

セント・ピーターズ教会きょうかいの、ウールトン共同きょうどう墓地ぼちにあるエリナー・リグビーの墓石はかいし

1980年代ねんだいリヴァプールセント・ピーターズ教会きょうかい英語えいごばんのウールトン共同きょうどう墓地ぼちにエリナー・リグビーのはか発見はっけんされ、そこからすうヤードはなれたところに「マッケンジー」という名字みょうじきざまれた墓石はかいし発見はっけんされた[19][20]。なお、セント・ピーターズ教会きょうかいは、レノンとマッカートニーがはじめて出会であった場所ばしょでもある。

マッカートニーは、潜在せんざい意識いしき記憶きおくこされた可能かのうせいがあるとする一方いっぽう[19]、2008ねん実在じつざいするエリナー・リグビーの出生しゅっしょう証明しょうめいしょがオークションにかけられたさいに「エリナー・リグビーは、ぼくつくったまったくの架空かくう人物じんぶつ」と説明せつめいしている[21]

実在じつざいするエリナー・リグビーは、1895ねん8がつ29にちにリヴァプールでまれ、1930ねん12月26にちにトーマス・ウッズという男性だんせい結婚けっこんしたのち、1939ねん10がつ10日とおか脳出血のうしゅっけつ死去しきょしている[22]。この人物じんぶつ墓石はかいしは、リヴァプールをおとずれるビートルズのファンの聖地せいちとなっている。エリナー・リグビーのはかは、1995ねんにビートルズの新曲しんきょくとして発表はっぴょうされた「フリー・アズ・ア・バード」のミュージック・ビデオにも登場とうじょうする[23]

1990ねん6がつにマッカートニーは、エリナー・リグビーが16さいころ署名しょめいした1911ねん文書ぶんしょをサンビームズ・ミュージック・トラストに寄贈きぞうした[24]。この文書ぶんしょは、2008ねん11月に競売きょうばいけられ、115,000ポンドで落札らくさつされた[25]

レコーディング[編集へんしゅう]

「エリナー・リグビー」においてメンバーは楽器がっき演奏えんそうしておらず、マッカートニーがリード・ボーカル、レノンとハリスンがハーモニー・ボーカル参加さんかしたのみとなっている[26]ほんさくでは「イエスタデイ」と同様どうようストリングスアンサンブル使用しようされ、ヴァイオリン4ちょうヴィオラ2ちょうチェロ2だい構成こうせいされる外部がいぶミュージシャンによる弦楽げんがくはち重奏じゅうそうとなっている。スコアはプロデューサーのジョージ・マーティンこした[26]。なお、「イエスタデイ」がレガート演奏えんそうされていたのにたいし、ほんさくではおもスタッカート演奏えんそうされている。マーティンは、ビブラートを使用しようしたアレンジとビブラートを使用しようしないアレンジの2種類しゅるいをレコーディングし、後者こうしゃ使用しようされた。1980ねんにレノンは、ほんさくについて「ポールのあかちゃんで、その子育こそだてをぼく手伝てつだった。ヴァイオリンの伴奏ばんそうはポールのアイデアだ。ジェーン・アッシャーがポールにヴィヴァルディおしえたんだ。とてもよかったね」とかたっている[27]

1966ねん4がつ28にちEMIレコーディング・スタジオのスタジオ2で弦楽げんがくはち重奏じゅうそうがレコーディングされ、4がつ29にちと6がつ6にちにスタジオ3でボーカルがオーバー・ダビングされて完成かんせいとなった。マスターにはテイク15が採用さいようされた[28]

リリース[編集へんしゅう]

「エリナー・リグビー」は、イギリスで1966ねん8がつ5にちに「イエロー・サブマリン」とのりょうAめんシングルとして発売はつばいされ、ぜんえいシングルチャートで4しゅう連続れんぞく首位しゅい獲得かくとくした[26]。アメリカでは1966ねん8がつ8にち発売はつばいされたが、当時とうじBillboard Hot 100では各面かくめんがチャートインする方式ほうしきとなっていたため、ほんさく最高さいこう11、「イエロー・サブマリン」は最高さいこう2獲得かくとくした[29]。なお、両面りょうめんともシングルばん同時どうじ発売はつばいされたオリジナル・アルバム『リボルバー』にも収録しゅうろくされた。

ほんさくグラミーしょうにて3つの部門ぶもんにノミネートされ、マッカートニーは1966ねんのグラミーしょう最優秀さいゆうしゅうコンテンポラリー・ソロ・ヴォーカル・パフォーマンスしょうロック部門ぶもん受賞じゅしょうした。発売はつばいから30ねんの1996ねん発売はつばいされた『ザ・ビートルズ・アンソロジー2』には、マーティンがアレンジを手掛てがけた弦楽げんがくはち重奏じゅうそうのみの音源おんげん収録しゅうろくされた。

1968ねん公開こうかいされたビートルズのアニメ映画えいがイエロー・サブマリン』では、表題ひょうだいきょくいで2番目ばんめ登場とうじょうする楽曲がっきょくで、リヴァプールのシーンで使用しようされている。

マッカートニーは、1984ねん公開こうかいされた主演しゅえん映画えいがヤァ!ブロード・ストリート英語えいごばん』でセルフカバーしており、交響こうきょうきょく「エリナーのゆめ」(Eleanor's Dream)とのメドレーとなっている[30]どうさくのサウントトラック・アルバムにも収録しゅうろくされた。

1999ねん発売はつばいされた『イエロー・サブマリン 〜ソングトラック〜』にリミックスされたステレオ・ミックスが収録しゅうろくされ、2006ねん発売はつばいされた『LOVE』や2015年版ねんばんザ・ビートルズ1』にはあらたにリミックスされた音源おんげん収録しゅうろくされた。

評価ひょうか文化ぶんかてき影響えいきょう[編集へんしゅう]

スタンリーどおりのベンチにすわったエリナー・リグビーの銅像どうぞう

「エリナー・リグビー」は、ライブ活動かつどう中心ちゅうしんとしたバンドから、レコーディング・バンドへと変化へんかする過渡かと作品さくひんひとつとなっている。1967ねんのインタビューでザ・フーピート・タウンゼントは、作詞さくし作曲さっきょくめん刺激しげきけたとしている[31]

「エリナー・リグビー」は、孤独こどくあつかったはつのポップ・ソングで、音楽おんがく評論ひょうろんイアン・マクドナルド英語えいごばんは「1966ねんのポップ・ソングのリスナーにかなりの衝撃しょうげきあたえた」とひょうしている[26]

イギリスのハワード・グッドール英語えいごばんは、「ドリアンモードを使用しようした悲劇ひげきてきなバラードのアーバンバージョン」とひょうしている[32]

ビージーズバリー・ギブは、1969ねん発表はっぴょうしたビージーズの楽曲がっきょくメロディ・フェア」は、ほんさく影響えいきょうしていた楽曲がっきょくであるとかしている[33]。1973ねんダン・ピーク英語えいごばんによってかれたアメリカ楽曲がっきょくロンリー・ピープル英語えいごばん」は、ほんさくへの楽観らっかんてき言及げんきゅうとなっている。

ローリング・ストーンのえらぶオールタイム・グレイテスト・ソング500では138にランクされている[34]

2017ねん9がつ11にち、リヴァプール近郊きんこうのウォリントンで開催かいさいされたオークションに、マーティンの手書てがきによるほんさくのオリジナルスコアが出品しゅっぴんされた[35]

クレジット[編集へんしゅう]

出典しゅってん[26]

ビートルズ
外部がいぶミュージシャン

チャート成績せいせき[編集へんしゅう]

チャート (1966ねん) 最高さいこう
ベルギー (Ultratop 50 Wallonia)[36] 1
Canada Top Singles (RPM)[37] 1
オランダ (Dutch Top 40)[38] 1
オランダ (Single Top 100)[39] 1
ニュージーランド (Listener)[40] 1
UK シングルス (Official Charts Company)[41] 1
US Billboard Hot 100[42] 11
チャート (1986ねん) 最高さいこう
UK シングルス (Official Charts Company)[43] 63
チャート (2010ねん) 最高さいこう
UK シングルス (Official Charts Company)[44] 94

認定にんてい[編集へんしゅう]

くに/地域ちいき 認定にんてい 認定にんてい/売上うりあげすう
イギリス (BPI)[45] Gold 400,000double-dagger

double-dagger 認定にんていのみにもとづく売上うりあげすう再生さいせい回数かいすう

カバー・バージョン[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Stanley, Bob (2007ねん9がつ20日はつか). “Pop: Baroque and a soft place”. The Guardian (London): Film & music section, p. 8. https://www.theguardian.com/music/2007/sep/21/popandrock1 2019ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん 
  2. ^ Rodriguez 2012, p. 138.
  3. ^ Miles 1997, p. 281.
  4. ^ Campbell & Brody 2008, pp. 172–173.
  5. ^ Unterberger, Richie. Eleanor Rigby | Song Info - オールミュージック. 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  6. ^ The Beatlesへのインタビュー - ポップ・クロニクルズ(1969ねん)
  7. ^ Miles 1997, p. 282.
  8. ^ a b Dowlding 1989, p. 223.
  9. ^ Northwich Guardian 2000.
  10. ^ RR Auction 2007.
  11. ^ Paul McCartney (11 September 2018). Paul McCartney Breaks Down His Most Iconic Songs. GQ. 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  12. ^ Turner 1994, pp. 104–105.
  13. ^ Miles 1997, p. 283.
  14. ^ 『ジョン・レノンPlayboyインタビュー』集英社しゅうえいしゃ、1981ねん、145ぺーじASIN B000J80BKM 
  15. ^ Sheff 2000, p. 139.
  16. ^ Miles 1997, p. 284.
  17. ^ Miles 1997.
  18. ^ Pedler, Dominic (2003). The Songwriting Secrets of the Beatles. NY: Omnibus Press. p. 276 
  19. ^ a b The Beatles 2000, p. 208.
  20. ^ Hill 2007.
  21. ^ “Eleanor Rigby paper fetches £115K”. BBC NEWS (BBC). (2008ねん11月28にち). http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/merseyside/7754146.stm 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん 
  22. ^ Campbell 2018, p. 7.
  23. ^ Campbell 2018, p. 5.
  24. ^ Sunbeams Dinner and Auction”. Sunbeams Trust. 2009ねん12月5にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん5がつ6にち閲覧えつらん
  25. ^ Eleanor Rigby clues go for a song”. Meeja (2008ねん11月28にち). 2008ねん12月24にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん5がつ6にち閲覧えつらん
  26. ^ a b c d e MacDonald 2005, pp. 203–205.
  27. ^ Sheff 2000, p. 140.
  28. ^ Lewisohn 1988, pp. 77, 82.
  29. ^ Wallgren 1982, p. 48.
  30. ^ Campbell 2018, p. 6.
  31. ^ Wilkerson 2006.
  32. ^ Goodall 2010.
  33. ^ Hughes, Andrew (2009). The Bee Gees: Tales of the Brothers Gibb. Omnibus Press. ISBN 9780857120045. https://books.google.com/books?id=KugbDQHX0R8C&pg=PT366&dq=brother+can+you+spare+a+song&hl=fil&sa=X&ei=54DrUf3iIqzQiAfH8YEY&ved=0CE8Q6AEwBA 
  34. ^ The Beatles, 'Eleanor Rigby' | 500 Greatest Songs of All Time”. Rolling Stone (2011ねん4がつ7にち). 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  35. ^ 「エリナー・リグビー」手書てが楽譜がくふ競売きょうばいに 280まんえんに?”. BBCニュース. BBC (2017ねん8がつ21にち). 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  36. ^ "Ultratop.be – The Beatles – Eleanor Rigby" (in French). Ultratop 50. 2020ねん10がつ12にち閲覧えつらん
  37. ^ Top RPM Singles: Issue 2827”. RPM. Library and Archives Canada. 2021ねん12月12にち閲覧えつらん
  38. ^ "Nederlandse Top 40 – The Beatles" (in Dutch). Dutch Top 40. 2020ねん10がつ12にち閲覧えつらん
  39. ^ "Dutchcharts.nl – The Beatles – Yellow Submarine / Eleanor Rigby" (in Dutch). Single Top 100. 2020ねん10がつ12にち閲覧えつらん
  40. ^ 14 October 1966
  41. ^ "Official Singles Chart Top 100". UK Singles Chart. 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  42. ^ The Hot 100 Chart”. Billboard (1966ねん9がつ24にち). 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  43. ^ "Official Singles Chart Top 100". UK Singles Chart. 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  44. ^ "Official Singles Chart Top 100". UK Singles Chart. 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  45. ^ "British single certifications – Beatles – Eleanor Rigby". British Phonographic Industry. 2023ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  46. ^ Eder, Bruce. Joan - Joan Baez | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020ねん12月17にち閲覧えつらん
  47. ^ Eder, Bruce. Vanilla Fudge - Vanilla Fudge | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020ねん12月17にち閲覧えつらん
  48. ^ Ankeny, Jason. Local - Bobbie Gentry | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020ねん12月17にち閲覧えつらん
  49. ^ Yanow, Scott. With a Little Help from My Friends - Larry Carlton | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020ねん12月17にち閲覧えつらん
  50. ^ With a Little Help from My Friends - Larry Carlton | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020ねん12月17にち閲覧えつらん
  51. ^ The Hot 100 Chart”. Billboard (1968ねん7がつ27にち). 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  52. ^ Official Singles Chart Top 50”. Official Charts Company (1968ねん8がつ7にち). 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  53. ^ The Hot 100 Chart”. Billboard (1969ねん12月13にち). 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  54. ^ Whose Garden Was This - John Denver | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020ねん12月17にち閲覧えつらん
  55. ^ Nana's Book of Songs - Nana Mouskouri | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020ねん12月17にち閲覧えつらん
  56. ^ Walter Carlos - By Request (1975, Vinyl)”. Discogs. Zink Media. 2020ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  57. ^ Nothing Remains the Same - Pain | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020ねん12月17にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

先代せんだい
  • ザ・トロッグス
  • ぼくはあなたにくびったけ」
ぜんえいシングルチャート だい1
1966ねん8がつ18にち - 9月8にち(4しゅう
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