(Translated by https://www.hiragana.jp/)
レノン=マッカートニー - Wikipedia コンテンツにスキップ

レノン=マッカートニー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビートルズ > レノン=マッカートニー
ポール・マッカートニーひだり)とジョン・レノンみぎ)(1964ねん撮影さつえい

レノン=マッカートニー英語えいご: Lennon-McCartney)は、ビートルズジョン・レノンポール・マッカートニー作詞さくし作曲さっきょくした楽曲がっきょくもちいた共同きょうどう名義めいぎ。1962ねんから1970ねんにかけて2人ふたり共同きょうどう発表はっぴょうしたやく180きょく大半たいはんはビートルズによって録音ろくおんされ、かれらの活動かつどう期間きかんちゅう公式こうしき発表はっぴょうされたぜん213きょくちゅう144きょく全体ぜんたいやく68%)をめている[注釈ちゅうしゃく 1]

ビートルズのぜん世界せかいにおけるアナログ・レコード、カセット、CD、ダウンロード、ストリーミングなどの売上うりあげ総数そうすうは2012ねん現在げんざい、6おくまいえているが[1]、カバーきょくのぞくそのほとんどの楽曲がっきょく作曲さっきょくしたレノン=マッカートニーは音楽おんがく史上しじょうもっと有名ゆうめいもっと成功せいこうした音楽おんがくコラボレーションである[2]

解説かいせつ[編集へんしゅう]

レノン=マッカートニー名義めいぎは、ビートルズが1962ねん10月にデビューして以降いこう、レノンが1969ねん9月におこなわれたアップルしゃでの会議かいぎでグループ脱退だったい宣言せんげん[注釈ちゅうしゃく 2]したことによって実質じっしつてきにパートナーシップが解消かいしょうされるまでに録音ろくおんされた2人ふたりともさく、またはどちらか一人ひとり単独たんどく作詞さくし作曲さっきょくおこなった楽曲がっきょく使用しようされた[注釈ちゅうしゃく 3]

ただしこれにはわずかながら例外れいがい存在そんざいする。いずれもマッカートニーが単独たんどく制作せいさくしたピーター&ゴードンの「ウーマン」、クリス・バーバー・バンドの「キャット・コール」、カルロス・メンデスの「ペニーナ」、バッドフィンガーの「マジック・クリスチャンのテーマ」の4きょく映画えいがふたりだけのまど』のサウンドトラックは、単独たんどく名義めいぎでクレジットされている。

これにたいして、レノンはこの期間きかんちゅう単独たんどく名義めいぎ楽曲がっきょく制作せいさくしたことはなかった。オノ・ヨーコ共同きょうどう制作せいさくプラスティック・オノ・バンド名義めいぎ発表はっぴょうした「平和へいわとう」でさえもレノン=マッカートニー名義めいぎ発表はっぴょうした[注釈ちゅうしゃく 4]。このことについて、レノンは生前せいぜん「なぜポールの名前なまえているのか、ぼくにもからないくらいだよ。ポールの名前なまえているのは、べつにシングルをしたことと - 最初さいしょものだけどね - ビートルズから本気ほんきはなれようとしていたことで、ぼくがちょっとうしろめたくおもっていたからなんだ。」とかたっている[5][注釈ちゅうしゃく 5]。また、マッカートニーが「ジョンとヨーコのバラード」の録音ろくおん手伝てつだったことへの謝礼しゃれいおくったものとするせつもある[7]

レノンとマッカートニーは、独立どくりつした作詞さくし作曲さっきょく構成こうせいされるおおくの作曲さっきょくパートナーシップ、たとえばアイラジョージ・ガーシュウィンオスカー・ハマースタインリチャード・ロジャースバーニー・トーピンエルトン・ジョンなどとはことなり、両者りょうしゃ作詞さくし作曲さっきょく担当たんとうした。とく初期しょきころは、レノンの言葉ことばりれば「もくわせて」きょくづくりをすることもあったという[8][注釈ちゅうしゃく 6]

それぞれの楽曲がっきょくにおける2人ふたり貢献こうけん割合わりあいは、作詞さくし作曲さっきょく過程かていによっておおきくことなっている。初期しょきのシングルきょくフロム・ミー・トゥ・ユー」、「シー・ラヴズ・ユー」、「きしめたい」)は完全かんぜんきょう作曲さっきょくであるが、おおくの場合ばあい一方いっぽうつくったきょくまたはアイデアやきょく断片だんぺんをもう一方いっぽう改良かいりょうしたり仕上しあげたりなどをおこなっていた[注釈ちゅうしゃく 7]場合ばあいによっては、複数ふくすう完成かんせいきょくやそれぞれが個別こべつんでいたきょくのアイデアをわせて1つのきょくとして完成かんせいさせることもあり、おたがいになんらかの意見いけんずにきょく完成かんせいさせることはまれであった。この楽曲がっきょく制作せいさく方法ほうほうは、競争心きょうそうしん相互そうごインスピレーション、そして音楽おんがくてきアイデアの直接的ちょくせつてきなコラボレーションと創造そうぞうてき融合ゆうごう要素ようそっており、ビートルズの革新かくしんせい成功せいこうしたおも理由りゆうとしてしばしば引用いんようされている[9]時間じかんつにつれて次第しだいにどちらかがほとんどつくったきょくになり、しばしばパートナーはいくつかの言葉ことば代替だいたいコードを提供ていきょうするのみとなっていった[注釈ちゅうしゃく 8]

基本きほんてきにはリード・ボーカル、またはしゅ旋律せんりつうたっているほうおも作詞さくし作曲さっきょくおこなっていることがおおい。ただし、レノンがおもつくった「ア・ハード・デイズ・ナイト」のように、ブリッジの部分ぶぶんがレノンにはたかすぎたために、メンバーで一番いちばんたかこえせるマッカートニーにうたわせるなどの例外れいがい一部いちぶ存在そんざいする[11]。また、ジョージ・ハリスン[注釈ちゅうしゃく 9]リンゴ・スター[注釈ちゅうしゃく 10]がリード・ボーカルをとっているきょくがあるが、だれおもつくったきょくかはきょくによってことなっている。

レノン=マッカートニー名義めいぎは、ビートルズのイギリスでのデビューシングル「ラヴ・ミー・ドゥP.S.アイ・ラヴ・ユー」ではじめて使用しようされた。ところが、セカンドシングル「プリーズ・プリーズ・ミーアスク・ミー・ホワイ」、ファーストアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』、サードシングル「フロム・ミー・トゥ・ユーサンキュー・ガール」では、一時いちじてきに「マッカートニー=レノン」とクレジットされた[12]。4まいのシングル「シー・ラヴズ・ユーアイル・ゲット・ユー」ではもともどり、これ以降いこうビートルズの公式こうしきシングルやアルバムではすべて「レノン=マッカートニー」とクレジットされるようになった[注釈ちゅうしゃく 11][注釈ちゅうしゃく 12]

1976ねん、マッカートニーのバンド、ウイングス発売はつばいしたライブ・アルバムウイングス・オーヴァー・アメリカ』では、ビートルズの5きょく(「レディ・マドンナ」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「ゆめひと」「ブラックバード」「イエスタデイ」)の作曲さっきょくクレジットが「マッカートニー=レノン」とされた。このことについて当時とうじレノンとつまオノ・ヨーコこととなえなかった[14]。しかし、レノンの死後しご、マッカートニーの2002ねんのライブ・アルバム『バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002』のライナー・ノーツでもビートルズのきょくすべてで「マッカートニー=レノン」のクレジットが使つかわれるにいた[15]、オノは提訴ていそ検討けんとうしていると報道ほうどうされた[13]。これにたいしてマッカートニーは自分じぶんとレノンが過去かこに、どちらかがのぞむなら今後こんごクレジットをぎゃくにしていいと合意ごういしていたと主張しゅちょうした[16]結局けっきょく2003ねんにマッカートニーは譲歩じょうほし、「わたしいまのままで満足まんぞくしているし、これまでもそうだった。レノン=マッカートニーはいまでもわたしほこりにおもうロックンロールの商標しょうひょうであり、つねにそうであるべきだ」とかたった[17]

著作ちょさくけん管理かんり[編集へんしゅう]

2022ねん現在げんざい、レノン=マッカートニー名義めいぎ楽曲がっきょく著作ちょさくけん管理かんり以下いかとおおこなわれている[18]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ブライアン・エプスタインがプロデュースしたほかのグループ(ザ・フォーモストアップルジャックスなど)や、ブライアンの死後しごアップル・コアからデビューしたピーター&ゴードンメリー・ホプキンなどのアーティストにレノンとマッカートニーがきょく提供ていきょうしたさいにもレノン=マッカートニーとクレジットされた。これらのきょくは、1979ねんコンピレーション・アルバムThe Songs Lennon and McCartney Gave Away』としてEMIからリリースされた。一部いちぶきょくはビートルズとしても演奏えんそう録音ろくおんされており、『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』や『ザ・ビートルズ・アンソロジー』に収録しゅうろくされている。また、デビューまえにはデッカでのオーディションにおいて「ハロー・リトル・ガール」(のちにザ・フォーモスト提供ていきょう)、「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」(のちにジ・アップルジャックスに提供ていきょう)、「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」(のちシラ・ブラック提供ていきょう)の3きょく録音ろくおんされた。
  2. ^ このことはレコード会社かいしゃとの契約けいやく更新こうしん悪影響あくえいきょうがあることをおそれたアラン・クレイン説得せっとく秘密ひみつにされていた。
  3. ^ レノンは「ポールとぼくは、15のときめをつくったんだよ。法律ほうりつてきなものじゃないんだけれども、協力きょうりょくしてきょくこうってめたとき、それがなにであっても、ふたりの名前なまえすことにするってめをね」とかたっている[3]
  4. ^ レノンの死後しご1997ねんにリリースされたコンピレーション・アルバム『レノン・レジェンド〜ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン以降いこうはレノンのみのクレジットとして表示ひょうじされている[4]現在げんざい著作ちょさくけん登録とうろくもジョン・ウィンストン・レノン単独たんどくになっている。
  5. ^ クレジットをヨーコにしなかったことについては「つみ」だったとかたっている[6]
  6. ^ ローリング・ストーンズミック・ジャガーキース・リチャーズはレノン=マッカートニーさくの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」をストーンズが2人ふたりから提供ていきょうしてもらったのがきっかけでジャガー/リチャーズ共同きょうどう名義めいぎ使つかっている。こちらのコンセプトもレノン=マッカートニーとほぼおなじだが、ジャガーが作詞さくし、リチャーズが作曲さっきょくをしている場合ばあいおおい。
  7. ^ 一方いっぽうきょくつくった場合ばあいのケースでは、具体ぐたいれいとして「ミッシェル」の場合ばあい、マッカートニーが「こういうきょくつくってみたんだけど、どうもなにかがりないんだ」とレノンに相談そうだんした。すると「サビ部分ぶぶんをコーラスにしてみたらどうだい?」と助言じょげんされてきょく完成かんせいした。結局けっきょく、この部分ぶぶんどうきょくなかもっと印象いんしょうてきなフレーズになった。
  8. ^ ビートルズ後期こうききょくにん実質じっしつてき参加さんかしているきょくれいとしては「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が有名ゆうめいで、マッカートニーのべつきょく断片だんぺん"Woke up, fell out of bed, dragged a comb across my head ...")が、レノンのきょく"I read the news today, oh boy ...")を肉付にくづけするために使つかわれた。また「ヘイ・ジュード」もマッカートニーの後期こうききょくで、レノンから影響えいきょうけたれいである。 マッカートニーはレノンにこのきょく披露ひろうしていたとき"the movement you need is on your shoulder" という歌詞かしいたが無意味むいみだとかんじたため、より歌詞かしおもいついたらすぐに変更へんこうすると断言だんげんした。しかしレノンはきょくなかもっとつよ歌詞かしひとつであるとい、そのくだりのこすよう助言じょげんした[10]
  9. ^ ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」「すてきなダンス」の2きょく
  10. ^ アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」「えたこい」(「Lennon-McCartney-Starkey名義めいぎ)「イエロー・サブマリン」「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」「グッド・ナイト」の5きょく
  11. ^ 「アルファベットでは、LがMのまえる」「くちしたとき語感ごかんさ」「レノンのほう年上としうえ」などの理由りゆうにより、貢献こうけんとは関係かんけいなく、レノンの名前なまえさきれることになった[13]
  12. ^ アメリカではフルネーム表記ひょうき主流しゅりゅうで、"John Lennon - Paul McCartney" や "John Lennon & Paul McCartney"、またはファーストネームのみをイニシャルにした "J. Lennon - P. McCartney" などと表記ひょうきされていた。
  13. ^ ATV一時いちじ所有しょゆうしていたオーストラリアのだい富豪ふごうロバート・ホームズ・ア・コートマイケル・ジャクソン売却ばいきゃくするさい、「ペニー・レイン」がきだったむすめのキャサリンにプレゼントするためにカタログから除外じょがいした[19][20]
  14. ^ 平和へいわわれらに」もふく[21]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Hotten, Russell (4 October 2012). "From Fab Four to fabulously rich". BBC News (イギリス英語えいご). BBC. 2019ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ “Beatles' remastered box set, video game out”. CNNMoney.com. (2009ねん9がつ9にち). https://money.cnn.com/2009/09/04/news/companies/beatles_video_game/ 2011ねん12月1にち閲覧えつらん 
  3. ^ PLAYBOY編集へんしゅう 1981, p. 112.
  4. ^ Lennon Legend (The Very Best Of John Lennon). Parlophone – 7243 8 21954 2 9, 1997, liner notes
  5. ^ PLAYBOY編集へんしゅう 1981, p. 111-112.
  6. ^ Lennon 2002, p. 20.
  7. ^ MacDonald 2005, p. 358.
  8. ^ Sheff 2000, p. 137.
  9. ^ Coleman 1992, p. 363-364.
  10. ^ The Beatles Anthology documentary
  11. ^ Sheff 2000, p. 175.
  12. ^ Lewisohn 1988, p. 23,32.
  13. ^ a b NOW!”. 2009ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  14. ^ The Ballad of Paul and Yoko” (2003ねん1がつ27にち). 2020ねん10がつ30にち閲覧えつらん
  15. ^ Lister, David (2002ねん12月28にち). “Let it be, Sir Paul (as someone or other once said)”. The Independent (London). https://www.independent.co.uk/opinion/columnists/david-lister/let-it-be-sir-paul-as-someone-or-other-once-said-612138.html 
  16. ^ Bilmes, Alex (2015ねん2がつ7にち). “Paul McCartney Is Esquire's August Cover Star”. Esquire. 2020ねん10がつ30にち閲覧えつらん
  17. ^ “McCartney makes up with Ono”. BBC News. (2003ねん6がつ1にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/music/2953620.stm 
  18. ^ HELP!だれおしえて! -ビートルズの楽曲がっきょく著作ちょさくけん移転いてん経緯けいい”. ふたば大樹たいじゅ知的ちてき財産ざいさん事務所じむしょ (2022ねん10がつ21にち). 2023ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  19. ^ Forde, Eamonn (2016ねん3がつ22にち). “The Long and Winding Road: How Paul McCartney is clawing back his catalogue”. theguardian.com. 2019ねん6がつ5にち閲覧えつらん
  20. ^ Billboard, New York (Ed Christman, Susan Butler, Paul Sexton) (2009ねん8がつ10日とおか). “Beatles copyrights in McCartney's (distant) sights”. Reuters. オリジナルの2014ねん1がつ3にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140103181339/https://www.reuters.com/article/2009/08/10/us-beatles-idUSTRE5790IA20090810 
  21. ^ Ono 2020, p. 122.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • PLAYBOY編集へんしゅう (1981). ジョン・レノン PLAYBOY インタビュー. 集英社しゅうえいしゃ 
  • Lewisohn, Mark (1988). The Beatles Recording Sessions. New York: Harmony Books. ISBN 0-517-57066-1 
  • Coleman, Ray (1992). Lennon. New York: HarperCollins. ISBN 0-06-098608-5 
  • Sheff, David (2000). All We Are Saying: The Last Major Interview with John Lennon and Yoko Ono. St. Martin's Press. ISBN 0-312-25464-4 
  • Lennon, John 森田もりた義信よしのぶやく (2002). そらく~ジョン・レノン自伝じでん作品さくひんしゅう. 筑摩書房ちくましょぼう. ISBN 4-480-87336-8 
  • MacDonald, Ian (2005). Revolution in the Head (2nd revised ed.). Pimlico. ISBN 978-1-84413-828-9 
  • Ono, Yoko (2020). Gimme Some Truth. The Ultimate Remixes. Book. Universal Music Group/Calderstone Productions 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]