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スチュアート・サトクリフ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
スチュアート・サトクリフ
出生しゅっしょうめい スチュアート・ファーガソン・ヴィクター・サトクリフ
別名べつめい スチュ・スタール[1]
生誕せいたん (1940-06-23) 1940ねん6月23にち
出身しゅっしん スコットランドの旗 スコットランド エディンバラ
死没しぼつ
学歴がくれき リヴァプール・カレッジ・オブ・アート
ジャンル ロックンロール
職業しょくぎょう
担当たんとう楽器がっき ベース
活動かつどう期間きかん 1957ねん - 1961ねん
共同きょうどう作業さぎょうしゃ

スチュアート・ファーガソン・ヴィクター・サトクリフ英語えいご: Stuart Fergusson Victor Sutcliffe1940ねん6月23にち - 1962ねん4がつ10日とおか)は、ビートルズもとベーシスト愛称あいしょうは「スチュ(Stu)」。しばしば、「5にんのビートルズ」とばれる。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

1942ねん6がつ23にち、サトクリフはリチャード・サトクリフ(1905-1966)とマーサ・サトクリフ(1907-1983)のだい一子いっしとしてスコットランドエディンバラまれ、マージーサイドしゅうハイトン英語えいごばんリヴァプールそだった。リヴァプール・カレッジ・オブ・アートに進学しんがく外見がいけんもよく、画家がかとしての実力じつりょくにもすぐれたサトクリフは学校がっこう人気にんきしゃであった。在学ざいがくちゅう共通きょうつう友人ゆうじんビル・ハリーをつうじてジョン・レノン出会であい、共同きょうどう生活せいかつをするほどにしたしくなる。そのなかさにはポール・マッカートニー嫉妬しっとするほどだった。元々もともと楽器がっきけなかったが、1960ねん自分じぶんが60[2]または65ポンド[3]高値たかねれたことからレノンとマッカートニーにすすめられてベース購入こうにゅう、レノンが設立せつりつしたスキッフルバンドのクオリーメン加入かにゅうした[4][5]のちに、サトクリフとレノンの発案はつあんによりクオリーメンはザ・シルヴァー・ビートルズ(The Silver Beetles)をてザ・ビートルズへと改称かいしょうする。

1960ねん8がつ西にしドイツハンブルクへビートルズの一員いちいんとしておもむき、クラブでの演奏えんそうはじめる。そこでクラウス・フォアマン紹介しょうかい写真しゃしんアストリッド・キルヒャー[6]う。サトクリフは意気投合いきとうごうしたキルヒャーと11月には婚約こんやく労働ろうどう許可きょかしょう所持しょじ非行ひこう理由りゆうにメンバーたちが次々つぎつぎ強制きょうせい送還そうかんされるなか[7]おなじく退去たいきょ命令めいれいけていたサトクリフもキルヒャーから旅費りょひりて1961ねん2がつすえ帰国きこくするが、3月15にち単独たんどくでハンブルクへさい渡航とこうする[8]。4月1にち、ビートルズは2度目どめのハンブルク巡業じゅんぎょう開始かいし。サトクリフの演奏えんそう技術ぎじゅつ依然いぜんたかくなく、演奏えんそうちゅうにマッカートニーにベースのプラグをかれることもあったという[9]。この巡業じゅんぎょう、サトクリフは本格ほんかくてき画家がかみちすすむことを決意けついし、ビートルズを脱退だったい[10]。これにより、ギターを担当たんとうしていたポール・マッカートニーはベーシストに転向てんこうすることになった[11]

ビートルズをめたサトクリフは、キルヒャーと同居どうきょするために奨学しょうがくきんハンブルク美術びじゅつ大学だいがく英語えいごばん編入へんにゅう画家がかとしての創作そうさく活動かつどう専念せんねんするが1961ねんなつごろから頭痛ずつうなどの体調たいちょう不良ふりょううったはじめ、1962ねん2がつには大学だいがく講義こうぎちゅうたおれた。キルヒャーのははれられてハンブルクの病院びょういん診察しんさつけるも原因げんいん特定とくていできなかったため、一時いちじ帰国きこくしたサトクリフはより設備せつびそなえた病院びょういん受診じゅしんしたが、問題もんだい依然いぜん発見はっけんされないことから再度さいどハンブルクにもどり、キルヒャーとの生活せいかつつづけた。しかし1962ねん4がつ10日とおか容態ようだい急変きゅうへんし、救急きゅうきゅうしゃ病院びょういん搬送はんそうされる途中とちゅう脳出血のうしゅっけつにより死去しきょした[12]。3かい巡業じゅんぎょうのためにビートルズがハンブルクをおとずれる前日ぜんじつのことで、メンバーは到着とうちゃくした空港くうこうないでキルヒャーによりその訃報ふほうらされたという。脳出血のうしゅっけつ原因げんいんについてくわしくはあきらかになっていないが、学生がくせい時代じだい喧嘩けんかしたさいあたまつよけたことが要因よういんになった可能かのうせいがある[13][14]

レノンは、葬儀そうぎへの参列さんれつ献花けんか自粛じしゅくした。しかし後年こうねんつまオノ・ヨーコによればレノンはしばしばサトクリフのくちにし、「かれはもう1人ひとり自分じぶんのような存在そんざいだった」とかたっていたという。また、キルヒャーからわたされた遺品いひんのマフラーを手放てばなすことはかったという。

まぼろしのビートルズ・メンバー[編集へんしゅう]

  • 初期しょきビートルズの象徴しょうちょうのひとつともえるマッシュルームカットはアストリッドがサトクリフにほどこしたのがはじまりとわれている[15][16]
  • ビートルズがレコードデビューするまえ脱退だったいしたため、サトクリフの演奏えんそう録音ろくおんはこれまで存在そんざいしないとわれてきたが、1995ねんにリリースされた『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』に、1960ねんにポールの自宅じたく録音ろくおんされたきょく(「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」、「ユール・ビー・マイン」、「カイエンヌ」)が発表はっぴょうされ、この3きょくでサトクリフがベースをいていることが判明はんめいした。また、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットに「artist / former Beatle」としてサトクリフが登場とうじょうしている。
  • サトクリフとジョンの友情ゆうじょうえがいた、ビートルズデビューまえ舞台ぶたいにした映画えいがバック・ビート』で、サトクリフをスティーヴン・ドーフえんじている[17]。また『ジョン・レノン/青春せいしゅんのビートルズ』にも学友がくゆう、ハンブルク時代じだい仲間なかまとして登場とうじょうするが[18]リー・ウィリアムスえんじたサトクリフのほうが、『バック・ビート』でえんじたドーフよりもかおていたとわれている。また、『バック・ビート』ではかれ死因しいんについて酒場さかばチンピラ暴行ぼうこうけたさい後遺症こういしょうとしている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ “Fim dos Beatles foi anunciado por Paul McCartney há 50 anos”. Correio do Povo (Grupo Record). (2020ねん4がつ10日とおか). https://www.correiodopovo.com.br/arteagenda/fim-dos-beatles-foi-anunciado-por-paul-mccartney-h%C3%A1-50-anos-1.411871 2020ねん12月17にち閲覧えつらん 
  2. ^ 『ジョン・レノンぜん仕事しごと―John Lennon super one』(2001ねん出版しゅっぱん)による。
  3. ^ リットーミュージック 2000, p. 23.
  4. ^ リットーミュージック 2000, p. 41.
  5. ^ デヴィス 1976, p. 61.
  6. ^ The Beatles’ photographer and collaborator Astrid Kirchherr dies aged 81” (2020ねん5がつ16にち). 2020ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  7. ^ デヴィス 1976, p. 83-86.
  8. ^ Spitz 2005, p. 242.
  9. ^ ドキュメンタリー映画えいが「ザ・ビートルズ シークレット・ストーリー」より
  10. ^ デヴィス 1976, p. 98-99.
  11. ^ リットーミュージック 2000, p. 62.
  12. ^ デヴィス 1976, p. 103-104.
  13. ^ Spitz (2005) p241
  14. ^ リットーミュージック 2000, p. 69.
  15. ^ デヴィス 1976, p. 97.
  16. ^ リットーミュージック 2000, p. 58.
  17. ^ Backbeat インターネット・ムービー・データベース
  18. ^ In His Life: The John Lennon Story インターネット・ムービー・データベース

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 『ザ・ビートルズ・アンソロジー(日本語にほんごばん)』リットーミュージック、2000ねん9がつ30にちISBN 4-8456-0522-8 
  • ハンター・デヴィス『ビートルズ』小笠原おがさわら豊樹とよき/中田なかた耕治こうじ翻訳ほんやく)、くさおもえしゃ、1976ねん5がつ31にちISBN 978-4794202888 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]