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ロング・トール・サリー

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リトル・リチャード > のっぽのサリー
キンクス > 作品さくひんリスト > ロング・トール・サリー
ビートルズ > 作品さくひんリスト > ロング・トール・サリー
ビートルズ > 曲名きょくめいリスト > ロング・トール・サリー
「のっぽのサリー」
リトル・リチャードシングル
初出しょしゅつアルバム『ヒアズ・リトル・リチャード英語えいごばん
Bめん スリッピン・アンド・スライディン英語えいごばん
リリース
規格きかく 7インチシングル
録音ろくおん
  • 1956ねん2がつ10日とおか
  • J&Mスタジオ
ジャンル ロックンロール
時間じかん
レーベル スペシャルティ・レコード
作詞さくし作曲さっきょく
プロデュース ロバート・ブラックウェル
チャート最高さいこう順位じゅんい
後述こうじゅつ参照さんしょう
リトル・リチャード シングル 年表ねんぴょう
  • のっぽのサリー
  • (1955ねん
ヒアズ・リトル・リチャード英語えいごばん 収録しゅうろくきょく
スリッピン・アンド・スライディン
(A-6)
のっぽのサリー
(B-1)
ミス・アン
(B-2)
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ロング・トール・サリー」あるいは、「のっぽのサリー[1]」(Long Tall SallyLong Tall Sally (The Thing)[2][3])は、リトル・リチャード楽曲がっきょくである。作詞さくし作曲さっきょくロバート・ブラックウェルやエノトリス・ジョンスンとのともさく。1956ねん3がつスペシャルティ・レコードよりBめんに「スリッピン・アンド・スライディン英語えいごばん」を収録しゅうろくしたシングルばんとして発売はつばいされた。

ビルボードのR&Bチャートでだい1獲得かくとくし、19しゅうにわたってチャートイン[4]同誌どうし年間ねんかんチャートではだい45[5]獲得かくとくした。『ローリング・ストーンの「The 500 Greatest Songs of All Time」では、だい55にランクインしている[6]

楽曲がっきょく発表はっぴょうエルヴィス・プレスリービートルズなど多数たすうのアーティストによってカバーされ、ロックンロールのスタンダードとなった[7]

背景はいけい(リトル・リチャードばん

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ブラックウェルは、テネシーしゅうディスクジョッキーであるハニー・チルから「すぐにしい。てほしいものがある」という電話でんわけた[8]。ブラックウェルがチルのいるホテルへかうと、チルのそばにエノトリス・ジョンスンという10代の少女しょうじょがおり、ジョンスンのには「Saw Uncle John with Long Tall Sally(ジョンおじさんはのっぽのサリーといっしょだった)」というフレーズからはじまる3ぎょう歌詞かししるされたドイリーにぎられていた[8]。ジョンスンは、病気びょうきわずらった叔母おば治療ちりょうかせぐためにきょく必要ひつようがあったことから、ミシシッピにある自宅じたくから数日すうじつをかけてあるいてきて、2人ふたり音楽おんがく担当たんとう重役じゅうやくっていた[8]事情じじょう理解りかいしたブラックウェルは、ジョンスンのいた歌詞かしをクライアントにかえり、その午後ごご2人ふたりは「Have some fun tonight今夜こんやはちょいとたのしもう)」というフレーズがボーカルのフックとなるようにきょく仕上しあげた[8]

ブラックウェルからアイデアをつたえられたリチャードは、当初とうしょしぶっていたものの、「ducked back in the alley(あわてて路地ろじうらにひっこんだ)」というフレーズが自身じしんもとめていたものであったことから、できるだけ早口はやくちうたえるように練習れんしゅうつづけ、ヴァースとコーラスをくわえて完成かんせいさせた[9]

レコーディング(リトル・リチャードばん

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「ロング・トール・サリー」のレコーディングは、1956ねん2がつ10日とおかにニューオリンズにあるJ&Mスタジオでおこなわれた[10]

レコーディングには、以下いかのミュージシャンが参加さんかした[10]

チャート成績せいせき(リトル・リチャードばん

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 チャート (1956ねん) 最高さいこう
ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[11] 9
オランダ (Single Top 100)[12] 9
US R&B Songs (Billboard)[4] 1

キンクスによるカバー

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「ロング・トール・サリー」
キンクスシングル
Bめん アイ・トゥック・マイ・ベイビー・ホーム
リリース
規格きかく 7インチシングル
録音ろくおん
  • 1964ねん1がつ
  • パイ・スタジオ
ジャンル ロックンロール
時間じかん
レーベル パイ・レコード
作詞さくし作曲さっきょく エノトリス・ジョンスン
プロデュース シェル・タルミー英語えいごばん
チャート最高さいこう順位じゅんい
後述こうじゅつ参照さんしょう
キンクス シングル U.K. 年表ねんぴょう
  • ロング・トール・サリー
  • (1964ねん
キンクス シングル U.S. 年表ねんぴょう
  • ロング・トール・サリー
  • (1964ねん
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背景はいけい(キンクスばん

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キンクスは、1963ねん初頭しょとう結成けっせいされ、レイヴンスなど複数ふくすう名義めいぎ使用しようして活動かつどうおこなった[13]。この当時とうじのメンバーは、レイ・デイヴィスデイヴ・デイヴィスピート・クウェイフ、ミッキー・ウィレットの4にん[14]結成けっせいからあいだもなくしてマネージャー2めいやとい、そのラリー・ペイジ英語えいごばん出会であった[15]。ペイジは、ビートルズのプロモーターであるアーサー・ハウズとともに、アメリカの音楽おんがくプロデューサーであるシェル・タルミー英語えいごばんにキンクスを紹介しょうかい[15]。タルミーは、かつてかかわりをっていたパイ・レコードとの契約けいやくをとりまとめた[16]。これと前後ぜんごして、ウィレットがバンドを脱退だったいし、ミック・エイヴォリー加入かにゅうした[17]

1963ねんわりころ、バンドめいをキンクスに改名かいめい[18]。キンクスがデビュー・シングルとしてなに録音ろくおんすべきかなやんだことから、ハウズがペイジに「ロング・ロール・トール」のレコーディングを提案ていあん[19]。ハウズは、1がつ16にちにパリでビートルズによる演奏えんそういていて、そのとき観客かんきゃく反応はんのう注目ちゅうもくしていた[19][注釈ちゅうしゃく 1]。ペイジはすぐにキンクスにほんさくおぼえさせ、1964ねん1がつほんさくをレコーディングを敢行かんこう[20][注釈ちゅうしゃく 2]。このセッションにおいて、タルミーは当時とうじまだ新人しんじんであったエイヴォリーのドラミングにあまり興味きょうみてなかったことから、その代理だいりとしてセッション・ミュージシャンのボビー・グラハム英語えいごばんやとった[21]

リリース・評価ひょうか(キンクスばん

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キンクスによるカバー・バージョンでは、ピアノは使用しようされておらず、R&Bからはなれた現代げんだいてきなロック・サウンドになるようなアレンジ[22]となっていて、レイが演奏えんそうするハーモニカのソロが特徴とくちょうとなっている[23]ロブ・ヨヴァノヴィッチ英語えいごばんは、のち発売はつばいされたビートルズによるカバー・バージョンとのアレンジの類似るいじてん著書ちょしょなか指摘してきしている[21]一方いっぽうで、トーマス・キッツは、キンクスによるマージービート調しらべのアレンジがレコードから「活力かつりょくうばった」とし、キンクスは「リトル・リチャードやポール・マッカートニーつための情熱じょうねつやパンチりょくけている」とひょうした[19]。また、キッツはデイヴの声質せいしつをもとに、ほんさくでデイヴをリード・ボーカルとするべきだったというかんがえをしめしている[19]

キンクスによるカバー・バージョンは、イギリスでは1964ねん2がつ7にちパイ・レコードから、アメリカでは4がつ1にちキャメオ・レコード英語えいごばんからシングルばんとして発売はつばいされた[19][23][24]。Bめんにはレイ・デヴィスが作曲さっきょくした「アイ・トゥック・マイ・ベイビー・ホーム」(I Took My Baby Home)が収録しゅうろくされた[23]。ペイジは、シングルばん発売はつばいさいして積極せっきょくてき宣伝せんでん活動かつどうおこなったが、『レコード・リテイラー英語えいごばんのチャートにはいることはなかった[19]。その一方いっぽうで、『メロディー・メイカー英語えいごばんのチャートでは最高さいこう42獲得かくとくし、キンクスにとってはつとなる商業しょうぎょうてき成功せいこうをもたらした[19][23]。アメリカでは、1965ねん1がつに『ビルボードBubbling Under Hot 100に2週間しゅうかんチャートインし、最高さいこう129記録きろくした[25]

クレジット(キンクスばん

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出典しゅってん[26]

キンクス
外部がいぶミュージシャン

チャート成績せいせき(キンクスばん

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チャート (1964ねん - 1965ねん) 最高さいこう
UK Melody Maker Chart[23] 42
US Bubbling Under Hot 100 (Billboard)[25] 129

ビートルズによるカバー

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「のっぽのサリー」
ビートルズシングル
Bめん アイ・コール・ユア・ネーム
リリース
規格きかく 7インチシングル
録音ろくおん
ジャンル ロック
時間じかん
レーベル 日本の旗 オデオン / 東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう
作詞さくし作曲さっきょく
  • リチャード・ペニーマン
  • ロバート・ブラックウェル
  • エノトリス・ジョンスン
プロデュース ジョージ・マーティン
チャート最高さいこう順位じゅんい
後述こうじゅつ参照さんしょう
ビートルズ シングル 日本にっぽん 年表ねんぴょう
  • のっぽのサリー
  • (1965ねん
パスト・マスターズ Vol.1 収録しゅうろくきょく
シー・ラヴズ・ユー(ドイツ
(9)
ロング・トール・サリー
(10)
アイ・コール・ユア・ネーム
(11)
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ビートルズは、1950ねん後期こうきより「ロング・トール・サリー」を公演こうえんのセットリストにれ、1966ねんまで演奏えんそうしていた[27]。なお、ほんさくがビートルズの最後さいご公演こうえんとなった1966ねん8がつ29にちサンフランシスコ公演こうえん最後さいご演奏えんそうされた楽曲がっきょくである[27]ポール・マッカートニーはリチャードの歌唱かしょうほう忠実ちゅうじつ再現さいげんすることができ、これによりほんさくのカバー・バージョンでリード・ボーカル担当たんとうすることとなった[28][注釈ちゅうしゃく 3]

ビートルズによるカバー・バージョンは、1964ねん3がつ1にちEMIレコーディング・スタジオのスタジオ2で1テイクで録音ろくおんされた[28][30]当時とうじビートルズはアルバム『ハード・デイズ・ナイト』のためのレコーディング・セッションちゅう[31]であったが、どうさくには収録しゅうろくとなっている。イギリスでは1964ねん6がつ19にち発売はつばいされた同名どうめいのEP収録しゅうろくされ[27]、アメリカでは1964ねん4がつ10日とおか発売はつばいされた『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』に収録しゅうろくされた[32]日本にっぽんでは、EPの収録しゅうろくきょくとして発売はつばいされたほか、Bめんに「アイ・コール・ユア・ネーム」を収録しゅうろくしたシングルばんとしても発売はつばいされており、どうシングルばんはミュージック・マンスリー洋楽ようがくチャートで最高さいこう3記録きろくした[33][注釈ちゅうしゃく 4]。このほか、スウェーデンでもシングルばんとして発売はつばいされており、Kvällstoppenチャートでもだい1獲得かくとくしている[38]

1963ねんから1964ねんにかけてBBCラジオ番組ばんぐみ演奏えんそうされており[39]、1994ねん発売はつばいされた『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』には1963ねん8がつ13にち放送ほうそうされた『Pop Go the Beatles』での演奏えんそう[40]、2013ねん発売はつばいされた『オン・エア〜ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2』には1964ねん7がつ16にち放送ほうそうされた『Top Gear』での演奏えんそう[41]収録しゅうろくされた。また、1977ねん発売はつばいされた『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!』には1964ねん8がつ23にちハリウッド・ボウル公演こうえんでのライブ音源おんげん[42]、1995ねん発売はつばいされた『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』にはテレビ番組ばんぐみ『Around The Beatles』での演奏えんそう[43]収録しゅうろくされた。

マッカートニーは、ビートルズ解散かいさん結成けっせいしたウイングス公演こうえんや1972ねん大学だいがくツアー、1973ねんのヨーロッパツアー、イギリスツアーでほんさく演奏えんそうした[27]。1986ねん開催かいさいされたプリンス・トラストのコンサートでは、エルトン・ジョンエリック・クラプトンフィル・コリンズマーク・ノップラー、レイ・キングらとともほんさく演奏えんそうした[27]

クレジット(ビートルズばん

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出典しゅってん[44]特記とっきのぞく)

ビートルズ
外部がいぶミュージシャン

チャート成績せいせき(ビートルズばん

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週間しゅうかんチャート
チャート (1964ねん) 最高さいこう
ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[46] 7
ベルギー (Ultratop 50 Wallonia)[47] 30
オランダ (Single Top 100)[48] 1
ノルウェー (VG-lista)[49] 2
西にしドイツ (Official German Charts)[50] 3
月間げっかんチャート
チャート (1964ねん) 最高さいこう
日本にっぽん (ミュージック・マンスリー洋楽ようがくチャート)[33] 3

そののアーティストによるカバー

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1956ねんパット・ブーンがシングルばんとして発売はつばいし、エルヴィス・プレスリーがアルバム『エルヴィス』でカバー[51]

1964ねんジェリー・リー・ルイスがシングルばんとして発売はつばいし、西にしドイツのシングルチャートで最高さいこう7[52]記録きろくした。

1966ねんのビートルズの来日らいにち公演こうえんで、前座ぜんざとして出演しゅつえんしたザ・ドリフターズほんさく演奏えんそうした[53]。また、2020ねんの『24あいだテレビ』では54ねんぶりに仲本なかもと工事こうじ加藤茶かとうちゃ高木たかぎブー演奏えんそうした[54]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 当時とうじビートルズはほんさくをライブでしか演奏えんそうしていなかったことから、ビートルズよりもさきにレコーディング・発売はつばいおこなえるということも理由りゆうとしてかんがえられている[19]
  2. ^ 同日どうじつのセッションでは、「ロング・トール・サリー」のほかに「アイ・トゥック・マイ・ベイビー・ホーム」、「ユー・スティル・ウォント・ミー英語えいごばん」、「ユー・ドゥ・サムシング・トゥ・ミー」、「アイ・ドント・ニード・ユー・エニー・モア」のレコーディングもおこなわれた[21]
  3. ^ マッカートニーは、14さいころ出場しゅつじょうしたコンクールでも、ほんさく演奏えんそうしていた[29]
  4. ^ シングルばん[34]およびEP[35]では「のっぽのサリー」という邦題ほうだい使用しようされているが、『パスト・マスターズ[36]や『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル[37]などのアルバム作品さくひんでは「ロング・トール・サリー」という邦題ほうだい使用しようされている。

出典しゅってん

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  1. ^ リトル・リチャードさん死去しきょ ロック創始そうししゃ、「のっぽのサリー」”. 時事じじドットコム. 時事通信社じじつうしんしゃ (2020ねん5がつ10日とおか). 2020ねん5がつ13にち閲覧えつらん
  2. ^ Little Richard: 20 Essential Songs”. Rolling Stone (2020ねん5がつ9にち). 2021ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  3. ^ Little Richard's Life In 10 Songs”. NPR (2020ねん5がつ11にち). 2021ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ a b Long Tall Sally”. Rolling Stone. 2007ねん10がつ2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
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  6. ^ The RS 500 Greatest Songs of All Time”. Rolling Stone. 2007ねん4がつ16にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
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  8. ^ a b c d Gulla 2007, p. 35.
  9. ^ White 2003, pp. 60–62.
  10. ^ a b White 2003, p. 272.
  11. ^ "Ultratop.be – Little Richard – Long Tall Sally" (in Dutch). Ultratop 50. 2021ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  12. ^ "Dutchcharts.nl – Little Richard – Long Tall Sally" (in Dutch). Single Top 100. 2021ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  13. ^ Hinman 2004, pp. 9–20.
  14. ^ Hinman 2004, p. 9.
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  16. ^ Hinman 2004, p. 11.
  17. ^ Hinman 2004, p. 20.
  18. ^ Kitts 2008, p. 29.
  19. ^ a b c d e f g h Kitts 2008, p. 36.
  20. ^ Perone, James E. (2009) [2004]. Mods, Rockers, and the Music of the British Invasion. Praeger. p. 102. ISBN 0275998606 
  21. ^ a b c Jovanovic 2013, pp. 53–55.
  22. ^ Perone, James E. (2009). Mods, Rockers, and the Music of the British Invasion. ABC-CLIO. p. 103. ISBN 978-0-275-99860-8. https://books.google.com/books?id=S5UbIgKdAS4C&q=The+Kinks+Long+Tall+Sally+single&pg=PA103 
  23. ^ a b c d e Fleiner 2017, p. 51.
  24. ^ Martoccio, Angie (2020ねん5がつ11にち). “Kinks' Dave Davies on Meeting Little Richard, 'Long Tall Sally' Cover”. Rolling Stone. 2022ねん7がつ6にち閲覧えつらん
  25. ^ a b “Bubbling Under The Hot 100”. Billboard: 20. (January 16, 1965). https://worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/60s/1965/Billboard%201965-01-16.pdf. 
  26. ^ Hinman 2004, p. 21.
  27. ^ a b c d e Womack 2014, p. 573.
  28. ^ a b MacDonald 2008, p. 112.
  29. ^ 中日ちゅうにち春秋しゅんじゅう:中日ちゅうにち春秋しゅんじゅう朝刊ちょうかんコラム)”. 中日新聞ちゅうにちしんぶん (中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ). (2020ねん5がつ12にち). https://web.archive.org/web/20200520020846/https://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2020051202000111.html 2020ねん5がつ13にち閲覧えつらん 
  30. ^ Guesdon & Margotin 2014, p. 177.
  31. ^ Ingham 2009, p. 165.
  32. ^ Russell 2006, p. 440.
  33. ^ a b 日経にっけいBPムック 大人おとなのロック!特別とくべつ編集へんしゅう ザ・ビートルズ 世界せかい制覇せいは50ねん日経にっけいBP、2015ねん、33ぺーじISBN 978-4-8222-7834-2 
  34. ^ ビートルズ『のっぽのサリー / アイ・コール・ユア・ネーム』、オデオン / 東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう、1965ねん2がつ5にち、OR-1155。
  35. ^ ビートルズ『のっぽのサリー』、オデオン / 東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう、1964ねん2がつ5にち、OP-4055。
  36. ^ Past Masters (Volumes 1 & 2)[CD] - ザ・ビートルズ”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. 2021ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  37. ^ ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル [SHM-CD] - ザ・ビートルズ”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. 2021ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  38. ^ Swedish Charts 1962-March 1966/Kvällstoppen - Listresultaten vecka för vecka > Juli 1964” (スウェーデン). hitsallertijden.nl. 2021ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  39. ^ Lewisohn 1996, pp. 230, 356.
  40. ^ Live At The BBC”. thebeatles.com. 2021ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  41. ^ Live At The BBC (Vol.2)”. thebeatles.com. 2021ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  42. ^ ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル [SHM-CD][CD] - ザ・ビートルズ”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. 2021ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  43. ^ Ingham 2009, p. 182.
  44. ^ MacDonald 2007, p. 112.
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  46. ^ "Ultratop.be – The Beatles – Long Tall Sally" (in Dutch). Ultratop 50. 2021ねん7がつ12にち閲覧えつらん
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  48. ^ "Dutchcharts.nl – The Beatles – Long Tall Sally" (in Dutch). Single Top 100. 2021ねん7がつ12にち閲覧えつらん
  49. ^ "Norwegiancharts.com – The Beatles – Long Tall Sally". VG-lista. 2021ねん7がつ12にち閲覧えつらん
  50. ^ Offizielle Deutsche Charts - The Beatles - Long Tall Sally”. GfK Entertainment charts. 2021ねん7がつ12にち閲覧えつらん
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  53. ^ (インタビュアー:石原いしはらたけし一郎いちろう)「「ドリフの歴史れきしはなしておこうか」高木たかぎブーがいまあらためてりかえる【連載れんさい だい24かい」『介護かいごポストセブン』、小学館しょうがくかん、2020ねん8がつ25にちhttps://kaigo-postseven.com/844362021ねん7がつ12にち閲覧えつらん 
  54. ^ 松永まつなが良平りょうへい(インタビュアー:松永まつなが良平りょうへい)「高木たかぎブーをハワイアン、ザ・ドリフターズ、かみなりさまみちびいたウクレレ|あいする楽器がっき だい19かい」『音楽おんがくナタリー』、ナターシャ、2020ねん1がつ15にちhttps://natalie.mu/music/column/3627042020ねん5がつ13にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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