(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ジェームス・テイラー - Wikipedia コンテンツにスキップ

ジェームス・テイラー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェイムス・テイラーから転送てんそう
ジェームス・テイラー
NY.カーネギー・ホール開設かいせつ120周年しゅうねん式典しきてんにて (2011ねん4がつ)
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい ジェームズ・バーノン・テイラー
生誕せいたん (1948-03-12) 1948ねん3月12にち(76さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく マサチューセッツしゅうボストン
ジャンル
職業しょくぎょう シンガーソングライター
担当たんとう楽器がっき
活動かつどう期間きかん 1966ねん -
レーベル
共同きょうどう作業さぎょうしゃ フライング・マシーン英語えいごばん
公式こうしきサイト James Taylor.com
署名しょめい

ジェームス・バーノン・テイラーJames Vernon Taylor1948ねん3月12にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく出身しゅっしんシンガーソングライター。バンド活動かつどうてからソロ・デビュー。以降いこう数々かずかずのヒットさくのこし、音楽おんがくしょう受賞じゅしょうした。

ローリング・ストーン選出せんしゅつ歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100にんのシンガー』だい74歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100くみのアーティスト』だい84[2]2000ねんロックの殿堂でんどうり。2016ねんケネディ・センター名誉めいよしょう受賞じゅしょう

バイオグラフィ

[編集へんしゅう]
1971ねんごろのフォト

マサチューセッツしゅうボストン裕福ゆうふく家庭かていまれ、ノースカロライナしゅうのチャペルヒルでそだつ。

1968ねんアップル・レコードからデビューするが、自身じしん交通こうつう事故じこ当時とうじのアップル社内しゃない混乱こんらんもあって、契約けいやくられる。よく1969ねん10月にワーナー・ブラザース・レコード契約けいやくするとともに帰国きこく[3]よく1970ねん移籍いせきだい1だんアルバムスウィート・ベイビー・ジェームス』がヒット。シングルカットされた「ファイアー・アンド・レイン」は全米ぜんべい3記録きろくした。

1971ねん映画えいが断絶だんぜつ』に主演しゅえんザ・ビーチ・ボーイズデニス・ウィルソンともに、レースに参加さんかしながらたびつづけるドライバーをえんじた。しかし、映画えいがにはかれらの楽曲がっきょく一切いっさい使用しようされず(監督かんとく主演しゅえん2人ふたりを「ミュージシャン」として先入観せんにゅうかんたれることをきらったため)、難解なんかい内容ないようのために興行こうぎょうまとにも失敗しっぱいわった(しかし2015ねん英国えいこく映画えいが協会きょうかいほんさくを「10ほん偉大いだいなアメリカのロード・トリップ映画えいが」の1ほんえらぶなど映画えいが自体じたい評価ひょうかたかい)。同年どうねんキャロル・キングさくのシングル「きみともだち」がだいヒット、すうおおくのアーティストにげられる代表だいひょうきょくとなった。

それ以降いこう歌手かしゅカーリー・サイモン結婚けっこんし、1974ねんには「あいのモッキンバード」[ちゅう 1]のカバー・ヒットをはなった[4]どうきょくはアメリカだけでなく、日本にっぽんでもしょうヒットした。しかしその、サイモンとは1983ねん離婚りこんしている。薬物やくぶつ依存いぞんしょう克服こくふくあにおなじくシンガーソングライターでもあるアレックス・テイラーのなど、本人ほんにんのプライベートな体験たいけん題材だいざいにしてきょくづくりをしたり、人々ひとびと悲哀ひあいえがすという手法しゅほうおおくの楽曲がっきょく発表はっぴょうした。代表だいひょうさく「ファイアー・アンド・レイン」は、友人ゆうじん自殺じさつつづった作品さくひんであるとされている。そのグラミーしょう獲得かくとくロックの殿堂でんどうりなど、かがやかしいキャリアをかさねてた。

アコースティック・ギター名手めいしゅとしてもられている。活動かつどう初期しょきにはギブソンJ-50がトレードマークとなっていたが、そのマーク・ホワイトブック、1990年代ねんだい以降いこうはジェイムス・オルソンをメインギターとして使用しようしている。

2015ねんには、2002ねんの『オクトーバー・ロード』以来いらいとなる13ねんぶりのオリジナル・アルバム『ビフォア・ディス・ワールド』がBillboard 200全米ぜんべいアルバムチャート)で自身じしんはつの1(7がつ4にちづけ)を獲得かくとく。1970ねんリリースのアルバム『スウィート・ベイビー・ジェームス』でのはつのビルボード・チャートりから45ねんにしてはつの1獲得かくとくは、2011ねんトニー・ベネットが『Duets II』で記録きろくした54ねん記録きろくである[5]

2016ねん母国ぼこく名誉めいよである『ケネディ・センター名誉めいよしょう』を受賞じゅしょう[6]

なお、ジェームスの兄弟きょうだい全員ぜんいんアレックス・テイラーケイト・テイラーリヴィングストン・テイラーヒュー・テイラー)がミュージシャンとしてデビューしている。また、カーリー・サイモンとのあいだまれた2人ふたり子供こども(サリー・テイラー、ベン・テイラー)も、それぞれミュージシャンとして活動かつどうちゅうである。

ディスコグラフィ

[編集へんしゅう]

スタジオ・アルバム

[編集へんしゅう]

ライブ・アルバム

[編集へんしゅう]

コンピレーション・アルバムおよびカヴァー・アルバム

[編集へんしゅう]

おも楽曲がっきょく

[編集へんしゅう]
  • ファイアー・アンド・レイン」 - "Fire and Rain"
  • 「スウィート・ベイビー・ジェームス」 - "Sweet Baby James"
  • きみ友達ともだち」 - "You've got a friend"(キャロル・キングのカバーきょく)(1971)
  • あいのモッキンバード」 - "Mockingbird"(1974) ジェームス・テイラー&カーリー・サイモン
  • 「ハウ・スウィート・イット・イズ」 - "How Sweet It Is (To Be Loved By You)"(1975)
  • さびしいよる」 - "Don't Let Me Be Lonely Tonight"
  • 「憶いまち」 - "Her Town Too"(1981) ジェームス・テイラー&J.D.サウザー
  • あいめぐみを」 - "Shower the People"

日本にっぽん公演こうえん

[編集へんしゅう]
9月11にち 横浜よこはまスタジアム、13にち 阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう、16にち 日本武道館にほんぶどうかん、17にち 名古屋なごや公会堂こうかいどう
4がつ14にち・16にち 日本武道館にほんぶどうかん、17にち パシフィコ横浜ぱしふぃこよこはま国立こくりつだいホール
4がつ6にち 東京とうきょうガーデンシアター

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ アイネス&チャーリー・フォックスの63ねんのR&Bヒット「モッキンバード」のカバーである。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c Ruhlmann, William. James Taylor Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021ねん11月27にち閲覧えつらん
  2. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: James Taylor”. 2013ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ Timothy White, and Mitchell Glazer. Long Ago and Far Away: James Taylor — His Life and Music. New York: Omnibus Press, 5th edition 2011, p. 144–145, 147.
  4. ^ White, Timothy (2001). Long Ago and Far Away: James Taylor, his life and music. London: Omnibus Press. pp. 216–17. ISBN 0-7119-8803-X.
  5. ^ UNIVERSAL MUSIC JAPAN. “デビューから45ねん以上いじょう、ジェイムス・テイラーついにビルボード200にてついに全米ぜんべいNo.1に!!!”. 2015ねん9がつ8にち閲覧えつらん
  6. ^ オバマ大統領だいとうりょう、J・テイラーやアル・パチーノらの芸術げいじゅつしょうたたえる - ロイター

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]