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タイサンインターナショナル

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株式会社かぶしきがいしゃ タイサンインターナショナル
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
市場いちば情報じょうほう 上場じょうじょう
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
東京とうきょう大田おおた
業種ぎょうしゅ その製品せいひん
法人ほうじん番号ばんごう 5010801006628
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株式会社かぶしきがいしゃタイサンインターナショナルは、レーシングチームを運営うんえいする日本にっぽん企業きぎょう。チームめいとしてはTeam TAISAN(チーム・タイサン)をもちいる。本社ほんしゃ東京とうきょう大田おおた

概要がいよう

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日本にっぽんのプライベーターチームとしてGT/ツーリングカーレースで活動かつどう全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけん全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん(JGTC) → SUPER GT、さらには海外かいがいではル・マン24あいだレースにも参戦さんせんするなど、長年ながねん参戦さんせん実績じっせきほこる。

実績じっせき

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チーム・タイサンとポルシェとのかかわりはふかく、1983ねん昭和しょうわ58ねん)のWEC-JAPANポルシェ・956参戦さんせんして以来いらいポルシェ・962、ポルシェ・993GT2、ポルシェ・993RSR、ポルシェ・996GT3Rなど、だたるマシンをはしらせてきた。チームのはつ勝利しょうりは、1984ねん昭和しょうわ59ねん)の富士ふじ500km。もちろんこのはつ勝利しょうりもポルシェでげている。そのもチーム・タイサンの活躍かつやくつづき、現在げんざい[いつ?]までに国内外こくないがいわせ50しょう以上いじょうげている。2000ねん平成へいせい12ねん)にはル・マン24あいだレースのGTクラスにはつ出場しゅつじょうしクラス優勝ゆうしょうという快挙かいきょ達成たっせいしたほか、JGTCのGT300クラスの年間ねんかんチームタイトルと年間ねんかんドライバーズタイトル、鈴鹿すずか1000kmでクラス優勝ゆうしょうするなど、圧倒的あっとうてきつよさをほこっている。

なお2014ねん平成へいせい26ねん以降いこう日産にっさん、アウディを採用さいようしている。

代表だいひょう千葉ちば活動かつどう35周年しゅうねんたる2018ねん平成へいせい30ねん)をもってSUPER GTから撤退てったい[1]撤退てったい理由りゆうには「てる体制たいせいつくれなくなってきたこと」「自社じしゃ本業ほんぎょう電磁でんじポンプとの相乗そうじょう効果こうかうすくなっていること」をげており、今後こんご電気でんき自動車じどうしゃ(EV)によるレースに専念せんねんする方針ほうしんである[1]

全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん

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JGTC → SUPER GTには、1994ねん平成へいせい6ねん)のカテゴリー発足ほっそく当初とうしょから参戦さんせんつづけている古参こさんチームであったが、2018ねん平成へいせい30ねんかぎりで撤退てったいした[1]

発足ほっそく当初とうしょはGT500クラス、のちにGT500とGT300りょうクラスに参戦さんせんした。おもにポルシェをはしらせているが、一時期いちじきはGT500クラスでバイパーはしらせていた。2001ねん平成へいせい13ねん以降いこうはGT300のみで、ポルシェ911GT3を使用しようしている。

1994ねん平成へいせい6ねん)はGT1クラスのみにエントリー。初年度しょねんどフェラーリ・F40とポルシェ・962Cをはしらせていた。だい3せん富士ふじスピードウェイで、近藤こんどう真彦まさひこがチームメイトのアンソニー・レイドとともに全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけんはつ優勝ゆうしょうかざる。最終さいしゅうせんMINEサーキットでタイサン スターカード F40の太田おおた哲也てつや/オスカー・ララウリくみ優勝ゆうしょうし、初年度しょねんどで2しょうげる活躍かつやくせた。

TAISAN STARCARD F40 TAISAN STARCARD F40
TAISAN STARCARD F40

1995ねん平成へいせい7ねん)はGT1クラスでフェラーリ・F40が2だい、ポルシェ・911GT2が2だい、GT2クラスでBMW・M3が2だいけい6だいはしらせることとなった。だい2せん富士ふじスピードウェイでタイサンポルシェGT-2の松田まつだしげる/飯田いいだかおるくみが、だい5せんスポーツランドSUGOでタイサンスターカードGT-2のアンソニー・レイド/近藤こんどう真彦まさひこぐみが、最終さいしゅうせんCP MINEサーキットでSTPタイサンポルシェGT-2の松田まつだしげる/鈴木すずき恵一けいいちくみがそれぞれ優勝ゆうしょうし、GT1クラスのチームタイトルにかがやいた。

1996ねん平成へいせい8ねん)はクラス名称めいしょうがそれぞれGT500とGT300にわり、GT500クラスにはポルシェ・911GT2とフェラーリ・F40で参戦さんせん。GT300クラスにはポルシェ・911RSRとポルシェ・993RS、BMW・M3が参戦さんせんした。 GT300クラスで鈴木すずき恵一けいいち/新田にった守男もりおぐみのタイサンスターカードRSRが3しょうをあげ圧倒的あっとうてきつよさでドライバーズ、チームりょうタイトルをにした。

1997ねん平成へいせい9ねん)はGT500クラスにポルシェ・911GT2とクライスラー・バイパーGTS-R、GT300クラスにはポルシェ911RSRで参戦さんせんした。バイパーは参戦さんせん初年度しょねんどのため結果けっかはあまりはるわなかった。GT300のタイサンスターカードRSRは2ねん連続れんぞくでチャンピオンあらそいをえんじ2しょうげたものの、ドライバーズ、チーム両方りょうほうとも1ポイントの2でシリーズをえた。

1998ねん平成へいせい10ねん)はGT500クラスにクライスラー・バイパーGTS-Rで参戦さんせん。GT300クラスでは土屋つちやエンジニアリングとジョイント、TEAM TAISAN Jr. with つちやとしてトヨタ・MR2参戦さんせんした。 ドライバーは、鈴木すずき恵一けいいち/たて信吾しんご。つちやMR2が6戦中せんちゅう5しょう圧倒的あっとうてきつよさをせ、最終さいしゅうせんたずにドライバーズ、チームりょうタイトルをにした。

1999ねん平成へいせい11ねん)はGT500クラスにクライスラー・バイパーGTS-Rで参戦さんせん。GT300クラスではだい5せん富士ふじからポルシェ・911GT3(タイプ996)をエントリーさせ、デビューレースで優勝ゆうしょう最終さいしゅうせんもてぎでも優勝ゆうしょうし、だい活躍かつやく。これが2000ねん平成へいせい12ねん)の圧倒的あっとうてきつよさへの原動力げんどうりょくともなった。

2000ねん平成へいせい12ねん)はGT500クラスにクライスラー・バイパー、GT300クラスにポルシェ・911GT3Rが2だいの3だい体制たいせいであった。バイパーはだい6せんからGT300クラスに参戦さんせんした。26号車ごうしゃ開幕かいまくから2連勝れんしょうかざるなど圧倒的あっとうてきつよさをけ、結局けっきょく3しょうげてチーム・ドライバー(福山ふくやまえいろうりょうタイトルを獲得かくとく。28号車ごうしゃも1しょうし、チームで通算つうさん4しょうげるだい活躍かつやくとなった。

2001ねん平成へいせい13ねん)はGT300クラスにポルシェ・911GT3Rの2だいとクライスラー・バイパーの3だい体制たいせい参戦さんせんした。ポルシェぜいのなかでマシンにカナードをいちはやけるなど様々さまざま改良かいりょうほどこしてたたかうものの、前年ぜんねん圧倒的あっとうてきつよさから性能せいのう調整ちょうせいいられて苦戦くせんすることになった。ドライバーズランキングは4だったが2だい体制たいせいつよみによりGT300クラスのチームタイトルを獲得かくとくした。

2002ねん平成へいせい14ねん)はGT300クラスにポルシェ・911GT3Rの3だいとクライスラー・バイパーの4だい体制たいせいとなった。ポルシェは前年ぜんねん不振ふしんからマシンをおおきくモディファイしたが、シルビアMR-S、さらにだい2せんからデビューしたVemac・RD320Rの後塵こうじんはいするかたちとなったが、だい5せん富士ふじ逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょうたし2ねんぶりの勝利しょうりとなった。ドライバーズランキングは前年ぜんねん同様どうよう4だったが、3ねん連続れんぞくのチームタイトルは獲得かくとくした。

2003ねん平成へいせい15ねん)はGT300クラスにポルシェ・911GT3Rが2だいとクライスラー・バイパーの3だい体制たいせいとなった。バイパーは新型しんがたとなって戦闘せんとうりょく大幅おおはばし、あめだい4せん富士ふじでバイパーのはつ優勝ゆうしょうたした。ポルシェのほう序盤じょばんで24号車ごうしゃと26号車ごうしゃがそれぞれ優勝ゆうしょうり、最終さいしゅうせんを26号車ごうしゃがポイントリーダーでむかえるが、追突ついとつによりマシンのリアが大破たいはする。しかしその状態じょうたいでなんとか8はいり2ポイントを獲得かくとくしたが、Zに逆転ぎゃくてんされ結局けっきょくランキング3えた。しかし4ねん連続れんぞくのチームタイトルを獲得かくとくする。

2004ねん平成へいせい16ねん)はバイパーがスポンサー消失しょうしつのため撤退てったい。GT300クラスにポルシェ・911GT3R1だい体制たいせいになってしまった。ライバルぜいはやさについていくことが出来できず、昨年さくねんまでのつよさをくし結局けっきょくドライバーズ17、チーム14低迷ていめいしてしまった。

ほとんど進化しんかのなかったポルシェではもはや完全かんぜん勝負しょうぶにならず、だい3せんをもって一時いちじ撤退てったい。その最終さいしゅうせんふたた参戦さんせんするも、やはり結果けっかのこせずノーポイントでシーズンをえた。

開幕かいまくせん欠場けつじょうし、だい2せん岡山おかやまだい3せん富士ふじだい9せん富士ふじにスポット参戦さんせんというかたちになったが、マシンのフロントフェンダーを大幅おおはば改造かいぞうしてフロントタイヤの大型おおがたをし、弱点じゃくてんであったコーナーリングスピードをげることで一気いっき戦闘せんとうりょくげてた。さらにポルシェの救済きゅうさい措置そちでリストリクターみちアップにもたすけられた格好かっこうとなり、だい3せんだい9せん富士ふじでは得意とくい直線ちょくせんかしいちトップをはし快走かいそうせた。

谷口たにぐち加入かにゅうにより期待きたいてるシーズンとなったが、だい2せん岡山おかやまで3はい久々ひさびさ表彰台ひょうしょうだいがる。そのだい3せん富士ふじだい5せん菅生すごうだい6せん鈴鹿すずかなど上位じょういみながらなかなか結果けっかあらわれないレースがつづいたが、だい7せんもてぎでフロントローを獲得かくとく、スタートでトップにつとそのまま独走どくそうで4ねんぶりの優勝ゆうしょう、チームタイサンとして26しょう勝利しょうりたした。最終さいしゅうせんでも優勝ゆうしょう年間ねんかん2しょうげるだい活躍かつやくでランキングはドライバーズ6、チーム5となった。

  • #26 ユンケルパワー タイサン ポルシェ
  • ドライバー:谷口たにぐちしんてる山路やまじ慎一しんいち(Rd.1-8)・ドミニク・ファーンバッハー(Rd.9)
  • タイヤ:ヨコハマ
  • マシン:ポルシェ・911GT3RS

さらに熟成じゅくせいされたマシンで開幕かいまくせんから2せん連続れんぞく表彰台ひょうしょうだいるが、性能せいのう調整ちょうせいによりリストリクターがしぼられると、しばらくくるしいたたかいをいられる。しかし、吸気きゅうきダクトをあらたにいたことでパワーのロスを最小限さいしょうげんおさえることに成功せいこうし、さらにマシンのおもにリアフェンダーやリアウィングをGT500ふうだい改造かいぞう、コーナーでもけをらないポルシェへと変貌へんぼうしたことにより、だい7せん茂木もぎでポールポジションを獲得かくとくした。ポイントをかさねていたことで久々ひさびさのチャンピオンあらそいをするシーズンとなるが、だい8せんオートポリス追突ついとつによりリタイアとなってしまい、タイトルあらそいから脱落だつらく最終さいしゅうせん富士ふじではレクサス・IS350とのバトルをせい優勝ゆうしょうげ、ランキングはドライバーズ3谷口たにぐちしんてる)、チーム4という成績せいせきのこした。

2009ねん平成へいせい21ねん)はドライバーが一新いっしんされたものの、前年ぜんねん活躍かつやくもあり期待きたいされたシーズンとなった。得意とくいだい3せん富士ふじでは4とまずまずの成績せいせきのこしたが、そこからはまさにまけ連鎖れんさであった。だい4せんセパンではトラブルのくるま接触せっしょくされ1しゅうリタイア、だい5せん菅生すがおでは2はしっていながらタイヤ選択せんたくあやまったため下位かいしずむ。だい6せん鈴鹿すずか700kmではトップにったつぎしゅうにパンクという事態じたいかされ、だい7せん富士ふじではペナルティーで表彰台ひょうしょうだいぼうり、だい8せんオートポリスではピットインまえで2になるものの、燃費ねんぴわるいためピットに時間じかんかり上位じょうい進出しんしゅつならずと、とことん不運ふうんかされたシーズンとなった。ランキングもドライバーズ13、チーム11と、さくシーズンにくらしずんでしまった。

国際こくさい流通りゅうつう大手おおてユナイテッド・パーセル・サービスがスポンサーとなり、同時どうじどうチームの国際こくさい流通りゅうつうもサポートすることとなった[2]。また、ひさしぶりの2だい体制たいせいのぞむこととなった。だい6せん鈴鹿すずか700kmでは26号車ごうしゃが2ねんぶりのポールポジションを獲得かくとくするものの、ウォームアップちゅうにクラッシュ、なんとか修理しゅうりして出走しゅっそうしたものの500クラスと接触せっしょくしリタイアとなってしまった。ランキングはドライバーズ、チームどもに20おおきく低迷ていめい

Verity TAISAN Porsche
カテゴリー SUPER GT GT300
コンストラクター ポルシェ
主要しゅようしょもと
シャシー 996
サスペンション(まえ マクファーソンストラット
サスペンション( マルチリンク
全長ぜんちょう 4,433 mm
全幅ぜんぷく 1,865 mm
ぜんこう 1,240 mm
トレッド まえ:1,515 mm
ホイールベース 2,350 mm
エンジン M96/77 3,598 cc 水平すいへい対向たいこう6気筒きとう NA リア
トランスミッション ヒューランド 6そく
重量じゅうりょう 1,140 kg
オイル Verity
タイヤ 横浜よこはまゴム 280/710-18
主要しゅよう成績せいせき
チーム Team TAISAN CINECITTA
ドライバー 松田まつだしげる
みね恭輔きょうすけ
出走しゅっそう時期じき 2011ねん平成へいせい23ねん
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NetMove TAISAN Ferrari
カテゴリー SUPER GT GT300
コンストラクター フェラーリ
主要しゅようしょもと
シャシー F430
サスペンション(まえ ダブルウィッシュボーン
サスペンション( ダブルウィッシュボーン
全長ぜんちょう 4,512 mm
全幅ぜんぷく 1,995 mm
ぜんこう 1,175 mm
トレッド まえ:1,738 mm / :1,630 mm
ホイールベース 2,605 mm
エンジン F136GT 3,996 cc Vがた8気筒きとう NA ミッドシップ
トランスミッション 6そく セミAT
重量じゅうりょう 1,240 kg
オイル ガルフ
タイヤ 横浜よこはまゴム まえ:280/650R18 :280/710R18
主要しゅよう成績せいせき
チーム Team TAISAN CINECITTA
ドライバー 山路やまじ慎一しんいち
小泉こいずみ洋史ひろし
出走しゅっそう時期じき 2011ねん平成へいせい23ねん
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  • #41 NetMove TAISAN Ferrari
  • ドライバー:山路やまじ慎一しんいち小泉こいずみ洋史ひろし(Rd.1,2,4-6)/みつさんさちわれ(Rd.2)/みね恭輔きょうすけ(Rd.8)/山下やました潤一郎じゅんいちろう(FSC)
  • タイヤ:ヨコハマ
  • マシン:フェラーリ・F430

26号車ごうしゃ松田まつだしげるが、41号車ごうしゃ山路やまじ慎一しんいち復帰ふっきした(なお、山路やまじのGT参戦さんせんはこのとし最後さいごとなった)。だい1せん岡山おかやまでは26号車ごうしゃ久々ひさびさ上位じょういあらそいをするものの、ブレーキングで姿勢しせいみだ接触せっしょく、ペナルティのため後退こうたいしてしまった。だい6せん富士ふじでは予選よせん2から2しゅう一瞬いっしゅんトップにったものの、直後ちょくご接触せっしょくによりパンク、またしても勝負しょうぶけんうしなってしまう不運ふうん見舞みまわれてしまった。

エンドレス TAISAN 911
カテゴリー SUPER GT GT300 (グループGT3)
コンストラクター ポルシェ
主要しゅようしょもと
シャシー 997
サスペンション(まえ マクファーソンストラット
サスペンション( マルチリンク
全長ぜんちょう 4,465 mm
全幅ぜんぷく 1,955 mm
ぜんこう 1,200 mm
トレッド まえ:1,595 mm / :1,645 mm
ホイールベース 2,370 mm
エンジン M97/79 3,996 cc 水平すいへい対向たいこう6気筒きとう NA リア
トランスミッション ポルシェ 6そく セミAT
重量じゅうりょう 1,200 kg
オイル ガルフ
タイヤ 横浜よこはまゴム
主要しゅよう成績せいせき
チーム Team TAISAN ENDLESS
ドライバー みね恭輔きょうすけ
横溝よこみぞ直輝なおき
出走しゅっそう時期じき 2012ねん平成へいせい24ねん
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  • #911 エンドレス TAISAN 911
  • ドライバー:みね恭輔きょうすけ横溝よこみぞ直輝なおき
  • タイヤ:ヨコハマ
  • マシン:ポルシェ・911GT3R (2012ねんがた)

2006ねん平成へいせい18ねん以来いらいとなるENDLESSとのジョイント、2012ねんがたFIA-GT3仕様しようのポルシェの導入どうにゅう、ドライバーもフル参戦さんせんひさしぶりにタイトルあらそいをする体制たいせいととのえてのぞむシーズンとなった。開幕かいまくせん岡山おかやまはポールポジションからスタートするも、終盤しゅうばんオーバーテイクされ2わった。だい3せんセパンではオープニングラップの1コーナーでスピン、さい後尾こうびまでちるものの2までげをせた。その地道じみちにポイント獲得かくとくかさね、だい7せんオートポリスでタイヤ交換こうかん作戦さくせん成功せいこうさせ2になると、ランキング3最終さいしゅうせんまでチャンピオンあらそいにのこった。最終さいしゅうせん茂木もぎでは、予選よせん2からトップのハンコックポルシェを早々そうそうにオーバーテイクすると、ライバルの不運ふうんもありそのままトップでゴールし、2000ねん平成へいせい12ねん以来いらいのドライバーズタイトル、2003ねん平成へいせい15ねん以来いらいのチームタイトルを獲得かくとくした。

  • #0 ENDLESS TAISAN PORSCHE
  • ドライバー:みね恭輔きょうすけ横溝よこみぞ直輝なおき
  • タイヤ:ヨコハマ
  • マシン:ポルシェ・911GT3R (2013ねんがた)

ドライバーに変更へんこうはないものの、あらたにチームめい変更へんこう千葉ちば代表だいひょう親交しんこうふかい、クレイジーケンバンド横山よこやまけんくわわることになり、『TEAM TAISAN けん ENDLESS』となった。 ディフェンディングチャンピオンとして2013ねんモデルのポルシェ・911GT3Rを投入とうにゅう期待きたいされたものの、性能せいのう調整ちょうせいとして大幅おおはばにリストリクターをしぼられたためワイドされたマシンはバランスがわるく、だい苦戦くせんいられることとなった。シーズン途中とちゅうでややリストリクターのおおきい2012ねんがたポルシェ・911GT3Rに変更へんこうするものの、表彰台ひょうしょうだいだい4せん菅生すがおでの3が1のみで、優勝ゆうしょうあらそいにもくわわれずにシーズンをえた。

STP タイサン GAIA POWER GT-R
カテゴリー SUPER GT GT300 (グループGT3)
コンストラクター 日産自動車にっさんじどうしゃ
主要しゅようしょもと
全長ぜんちょう 4780 mm
全幅ぜんぷく 2036 mm
ぜんこう mm
トレッド まえ:1675 mm / :1680 mm
ホイールベース 2776 mm
エンジン VR38DETT
トランスミッション 6そくシーケンシャル
重量じゅうりょう 1300 kg
タイヤ 横浜よこはまゴム
主要しゅよう成績せいせき
チーム Team TAISAN KEN DIMMAK
ドライバー 横溝よこみぞ直輝なおき
みつさんさちわれ
出走しゅっそう時期じき 2014ねん平成へいせい26ねん
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  • #67 STP タイサン GAIA POWER GT-R
  • ドライバー:横溝よこみぞ直輝なおきみつさんさちわれみね恭輔きょうすけ(Rd.6)
  • タイヤ:ヨコハマ
  • マシン:日産にっさん・GT-RニスモGT3 (2014ねんがた)

マシンを日産にっさん・GT-RニスモGT3に変更へんこうし、ドライバーも横溝よこみぞ直輝なおきみつさんさちわれのコンビに変更へんこうとなった。また、グループA時代じだいのスポンサーであるSTPと21ねんぶりのコラボとなった。


2015ねん平成へいせい27ねん2016ねん平成へいせい28ねんけたマシン選定せんていのため1年間ねんかん休止きゅうしすることを発表はっぴょうした[3]

2016ねん平成へいせい28ねん

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1ねん休止きゅうしサードとジョイントして参戦さんせんする。また本拠地ほんきょちをサードとともに福島ふくしまけんうつした。

2017ねん平成へいせい29ねん

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2018ねん平成へいせい30ねん

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サードとのジョイントを解消かいしょう自社じしゃ単独たんどく参戦さんせん変更へんこう。スーパーバイザーに中野なかの信治しんじ就任しゅうにんした。

出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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  • 千葉ちば美苗みなえ - たいさん創業そうぎょうしゃ一族いちぞくで、ミス・ユニバース日本にっぽん代表だいひょう

外部がいぶリンク

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