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サード (企業きぎょう)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社かぶしきがいしゃサード
SARD Corporation
サード社屋とDENSO KOBELCO SARD LC500
サード社屋しゃおくとDENSO KOBELCO SARD LC500
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
473-0914
愛知あいちけん豊田とよだ若林わかばやし東町上ひがしまちうえがい50
北緯ほくい351ふん29びょう 東経とうけい1376ふん4.9びょう / 北緯ほくい35.02472 東経とうけい137.101361 / 35.02472; 137.101361座標ざひょう: 北緯ほくい351ふん29びょう 東経とうけい1376ふん4.9びょう / 北緯ほくい35.02472 東経とうけい137.101361 / 35.02472; 137.101361
設立せつりつ 1985ねん9月
業種ぎょうしゅ 輸送ゆそうよう機器きき
法人ほうじん番号ばんごう 1180301018284 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう モータースポーツ関連かんれん自動車じどうしゃ企画きかく開発かいはつ製造せいぞう販売はんばい
一般いっぱん自動車じどうしゃ関連かんれん用品ようひん(チューニングパーツふくむ)の製造せいぞう販売はんばい
自動車じどうしゃレースなどのイベント参加さんか
船体せんたいおよびマリーンエンジン、ドライブ、関連かんれん用品ようひん開発かいはつ販売はんばい
エンジニア派遣はけん
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく会長かいちょうけん社長しゃちょう 加藤かとうしん
資本しほんきん 5,000まんえん
従業じゅうぎょう員数いんずう 30
決算けっさん 11月
主要しゅよう子会社こがいしゃ シグマ商事しょうじ
外部がいぶリンク https://www.sard.co.jp/
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SARD Racing
DENSO KOBELCO SARD RC F(2014年)
DENSO KOBELCO SARD RC F(2014ねん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
本拠地ほんきょち 愛知あいちけん豊田とよだ
創設そうせつしゃ 加藤かとうしん
チーム代表だいひょう 近藤こんどう尚史ひさし
活動かつどう期間きかん 1973ねん - 現在げんざい
カテゴリ ル・マン24hJSPCJTCJGTCSUPER GT
チームズ
タイトル
2016
ドライバーズ
タイトル
2016
公式こうしきサイト SARD RACING TEAM
備考びこう 前身ぜんしんはシグマオートモーティブ
2024ねんのSUPER GT (GT500)
エントリーめい TGR TEAM SARD
レーサー 日本の旗 関口せきぐち雄飛ゆうひ
日本の旗 中山なかやま雄一ゆういち
マシン 39. DENSO KOBELCO SARD GR Supra
タイヤ ブリヂストン
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株式会社かぶしきがいしゃサードSARD Corporation )は、おもトヨタけいのアフターパーツをあつか工業こうぎょう製品せいひんメーカー本社ほんしゃ愛知あいちけん豊田とよだ

トヨタ陣営じんえいのレーシングチームとしてながらく活動かつどうしていることでられる。また小型こがた航空機こうくうきや、ウェイクボードてい・マリンエンジンをあつか船舶せんぱく開発かいはつ製造せいぞうがける。

社名しゃめい集積しゅうせき記号きごうの"Σしぐま(シグマ)"が由来ゆらいとなっており、SARDは「SIGMA Advanced Research & Development(シグマ・アドバンスド・リサーチ・アンド・デベロップメント)」の頭文字かしらもじからとっている[1]

沿革えんかく

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元々もともと1972ねん昭和しょうわ47ねん)にレーシングチームとして設立せつりつされた「株式会社かぶしきがいしゃシグマオートモーティブ」が母体ぼたいである(同社どうしゃ現在げんざい関連かんれん会社かいしゃとして存在そんざい)。同社どうしゃ設立せつりつした加藤かとうしん元々もともとトヨタ(当時とうじはトヨタこう)のなかでもモータースポーツ担当たんとうするだい7技術ぎじゅつ所属しょぞくしており、1960年代ねんだい日本にっぽんグランプリ参戦さんせんしたトヨタ・7などの開発かいはつ担当たんとうしていた。加藤かとうしんトヨタ自動車とよたじどうしゃ販売はんばい株式会社かぶしきがいしゃ 社長しゃちょうつとめた加藤かとう誠之せいし次男じなん[よう出典しゅってん]

同社どうしゃ当初とうしょからル・マン24あいだレースへの出場しゅつじょう目指めざすと同時どうじに、富士ふじグランチャンピオンレースへの参戦さんせんをもねらったマシンとしてシグマ・MC73/マツダ開発かいはつ。エンジンは加藤かとう伝手つてたよりトヨタから供給きょうきゅうける予定よていだったが、マシン完成かんせい間近まぢかになってトヨタからエンジン供給きょうきゅうことわられたため、急遽きゅうきょマツダからロータリーエンジン供給きょうきゅうけて1973ねんのル・マン24あいだ出場しゅつじょうした。同社どうしゃ翌年よくねんのル・マンにもマツダのエンジンで参戦さんせんした。

このころ創立そうりつした株式会社かぶしきがいしゃHKS出資しゅっし協力きょうりょくし、そのあかしとして社名しゃめいHKSの“S”はシグマ・オートモーティブであり、 “H”は長谷川はせがわもとHKS社長しゃちょう創業そうぎょうしゃ長谷川はせがわ浩之ひろゆき)、“K”は北川きたがわHKSげん専務せんむ)である。

1975ねん昭和しょうわ50ねん)はMC75にトヨタエンジンを搭載とうさいしてル・マンに参戦さんせんしている。結局けっきょく初期しょきのル・マン挑戦ちょうせんチームに供給きょうきゅうしたシャシー代金だいきんたおされるという不運ふうん起因きいんする[よう出典しゅってん]財政難ざいせいなんにより3ねん終了しゅうりょうとなった。とはいえ、この挑戦ちょうせんたヨーロッパの自動車じどうしゃ関連かんれん企業きぎょうとのパイプ構築こうちくという副産物ふくさんぶつおおきく、のちにターボチャージャー製造せいぞう名門めいもん・KKKしゃ輸入ゆにゅうそう代理だいりてんとなれたのもこれがあったからである。

1981ねん昭和しょうわ56ねん)サードの母体ぼたいであるシグマオートモーティブが自動車じどうしゃのアフターパーツ部門ぶもんとしてげたBLITZブランドが分裂ぶんれつ株式会社かぶしきがいしゃブリッツとなる。

1985ねん昭和しょうわ60ねん)にサードを設立せつりつ。シグマオートモーティブのアフターパーツブランドであったBLITZブランドをうしなったわりとしてSARDブランドをげる。

全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけんグループA)にトヨタ・スープラ参戦さんせんする。1986ねん昭和しょうわ61ねん)シーズンよりMC73以来いらいのオリジナルマシン、サード・MC86X/トヨタで、全日本ぜんにほん耐久たいきゅう選手権せんしゅけんのJSPC)に参戦さんせん開始かいしする。

1989ねん平成へいせい元年がんねん)シーズンからオリジナルマシンから、トヨタのワークスマシン、トヨタ・89C-V供給きょうきゅうけるようになる。1990ねん平成へいせい2ねん)からは「トヨタ・チーム・サード」としてトヨタのワークスチーム待遇たいぐうとなり、90C-Vで15ねんぶりにル・マン24あいだレース参戦さんせん再開さいかい。JSPC最終さいしゅうせん富士ふじ1000kmでははつ優勝ゆうしょうげる。1991ねん平成へいせい3ねん)には91C-V鈴鹿すずか1000kmせいしている。91ねんはル・マン参戦さんせん中断ちゅうだんしたが、1992ねん平成へいせい4ねん)からはトヨタのサテライトチームとして参戦さんせん再開さいかいし9完走かんそうしている。よく1993ねんには総合そうごう5、カテゴリー2クラス優勝ゆうしょうたしている。94C-V参戦さんせんした1994ねん平成へいせい6ねん)には、のこり1あいだ15ふんまで首位しゅいをキープしながら、シフトリンケージがれるというトラブルで後退こうたい最終さいしゅうラップで1だいき2入賞にゅうしょうしている。なお、ワークスチーム待遇たいぐうるための条件じょうけんであった『トヨタの看板かんばん背負せおうに相応ふさわしいドライバーとの契約けいやく』をクリアするためばれたのが、1994ねんサンマリノGP予選よせん事故死じこししたローランド・ラッツェンバーガーである。

1994ねん平成へいせい6ねん)からはスープラで全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん参戦さんせん1995ねん平成へいせい7ねん)、1996ねん平成へいせい8ねん)にはトヨタ・スープラ LM-GTでル・マンに参戦さんせんしている。また1995ねん平成へいせい7ねん)にはトヨタ・MR2をベースとしたオリジナルマシンサード・MC8R開発かいはつし、同年どうねんよく1996ねん平成へいせい8ねん)にはMC8Rでル・マンへ参戦さんせんした。

ほかにも、2006ねん平成へいせい18ねん)の十勝とかち24あいだレースレクサス・GS450hはしらせたりしている。2007ねん平成へいせい19ねん)には、前年ぜんねんはしらせたレクサスの機構きこう応用おうようし、2006ねん平成へいせい18ねん)にSUPER GTではしらせていたスープラをベースとしたハイブリッドしゃ参戦さんせんし、おおきなトラブルもなく総合そうごう優勝ゆうしょうたした。

2014ねん平成へいせい26ねん株式会社かぶしきがいしゃサードと株式会社かぶしきがいしゃシグマオートモーティブの事業じぎょう再編さいへん小型こがた航空機こうくうき事業じぎょう着手ちゃくしゅ曲技きょくぎ飛行ひこうおよびエアレースパイロット室屋むろや義秀よしひでのチームの機体きたいエンジニアリングサポートをおこな[2]

2015ねん平成へいせい27ねん)、グループ会社かいしゃのシグマ商事しょうじ民間みんかん企業きぎょう商業しょうぎょうベース日本にっぽんはつ燃料ねんりょう電池でんち水素すいそステーションを完成かんせいさせる。FCVレーシングカーの開発かいはつけい飛行機ひこうき事業じぎょう/マリン事業じぎょうしんてい製造せいぞう解析かいせきセンター設置せっちなどの構想こうそう発表はっぴょうした。

2016ねん平成へいせい28ねん)、レース事業じぎょうにおいてSUPER GT GT500クラスのドライバー&チームチャンピオンを獲得かくとく。 GT300クラスに「TEAM TAISAN SARD」としてAudi R8で参戦さんせん全日本ぜんにほんラリー選手権せんしゅけんに「SARD with LUCK」としてGT86R3で参戦さんせんした。

ル・マン24あいだレース

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94C-V

1990ねん平成へいせい2ねん)、トヨタ・90C-Vで15ねんぶりにル・マン参戦さんせんたしたがリタイヤにわった。翌年よくねん参戦さんせん休止きゅうし1992ねん平成へいせい4ねん)は92C-Vで参戦さんせんし9完走かんそうよく1993ねん平成へいせい5ねん)は総合そうごう5、カテゴリー2クラス優勝ゆうしょうかざる。グループC時代じだい終焉しゅうえんし、プライベーターのみの参戦さんせんとなった1994ねん平成へいせい6ねん)はLMP1クラスに94C-V参戦さんせんいまかたがれる伝説でんせつのレース。エディ・アーバイン/マウロ・マルティニ/ジェフ・クロスノフくみのこり1あいだまでトップを快走かいそうし、サード・トヨタのはつ優勝ゆうしょう目前もくぜんだったが、シフトリンケージがれるトラブルで後退こうたい、2入賞にゅうしょうとどまった。なお94C-Vはル・マン博物館はくぶつかん現在げんざい展示てんじされている。

1995ねん平成へいせい7ねん以降いこうスープラMC8R参戦さんせんしたが満足まんぞく結果けっかのこせず、トヨタの支援しえんけるスープラのプロジェクトは1996ねん平成へいせい8ねんいちはい休止きゅうし。オリジナルのMC8Rでのチャレンジはよく1997ねん平成へいせい9ねん)もつづいたが、このとし予備よび予選よせんち。以降いこうサードのル・マン参戦さんせん休止きゅうししていた。

2015ねん、スイスのモラン・レーシングとジョイントし、WEC(FIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん) にLMP2クラスからフル参戦さんせん発表はっぴょう、18ねんぶりにル・マン24あいだレース復帰ふっきを2だいエントリーでたす予定よていだった[3][4]。チームめいはSARD MORAND[5]。しかし、交渉こうしょう問題もんだい発生はっせいした。結果けっか当初とうしょ予定よていであった日本にっぽんエントリー39号車ごうしゃ嵯峨さが宏紀ひろのりクリスチャン・クリエン結局けっきょくいちせんはしことができず、スイスエントリーの43号車ごうしゃのみの参戦さんせんとなり、その1だいにサードのバッジネームジャッドせいエンジン(モーガン・LMP2 Evo-SARD)が供給きょうきゅうされるかたちとなった[5]。マシンのよこにはPOWERD by SARD Racingと表記ひょうきされる。ル・マン24あいだレースはリタイヤだった[5]

全日本ぜんにほんスポーツプロトタイプカー耐久たいきゅう選手権せんしゅけん(JSPC)

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1986ねん昭和しょうわ61ねん)より、MC73以来いらいのオリジナルマシン、サードMC86X/トヨタで全日本ぜんにほん耐久たいきゅう選手権せんしゅけん参戦さんせん開始かいし。オリジナルマシンによる参戦さんせんは3ねんつづいたが結果けっかのこせず、1989ねん平成へいせい元年がんねん)よりトヨタのワークスマシン・89C-V供給きょうきゅうけるようになる。1990ねん平成へいせい2ねん富士ふじ1000kmでJSPCはつ優勝ゆうしょうかざる。よく1991ねん平成へいせい3ねん)にも1しょうをあげ、シリーズが終焉しゅうえんむかえる1992ねん平成へいせい4ねん)まで参戦さんせんするが、シリーズチャンピオンを獲得かくとくすることはできなかった。

SUPER GT (きゅうJGTC)

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デンソーサードスープラGT(2005ねん
DENSO SARD SC430(2011ねん

全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけんSUPER GT1994ねん平成へいせい6ねん)より参戦さんせんしている。1994ねんミシュラン、1995ねん-1996ねんダンロップ、1997ねん以降いこう2003ねんまでは横浜よこはまゴムADVAN使用しようしていた。メインスポンサーは2006ねん平成へいせい18ねん)と2009ねん平成へいせい21ねん以外いがいデンソーがメインスポンサーとなっている。

1997ねん平成へいせい9ねん)にシーズン2成績せいせきげるが、それ以降いこう低迷ていめいつづく。2003ねん平成へいせい15ねん)に織戸おりどまなぶドミニク・シュワガーくみで1しょうし、シーズン6となる。よく2004ねん平成へいせい16ねん)、タイヤをADVANからブリヂストン変更へんこうアンドレ・クートジェレミー・デュフォアくみで1しょうげ、シーズン2成績せいせきおさめる。しかし、2005ねん平成へいせい17ねん)はマシンの不調ふちょうもありなかなか調子ちょうしげられず、シーズンランキングで下位かいしずむ。このとしのドライバーはデュフォアにわり、前年ぜんねん全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけんでチャンピオンにかがやいたロニー・クインタレッリ起用きようされた。

2006ねん平成へいせい18ねん)はメインスポンサーがtriple a出版しゅっぱんわり、マシンめいが「triple a サード スープラGT」となった。なお、スポンサーがパチンコ情報じょうほうがけている関係かんけいじょう、カーナンバーをゾロの#66に変更へんこうしている。ドライバーも変更へんこうされ、クインタレッリからルーキーの平中たいらなか克幸かつゆきになった。これまではトヨタワークスチームの一員いちいんとして最新さいしんがたマシンでの参戦さんせんだったが、このとし最新さいしんマシンのレクサス・SC430ではなく、前年ぜんねんがたトヨタ・スープラでの参戦さんせんとなった。開発かいはつすす最新さいしんがたマシンにくらおくれをとっており苦戦くせんいられた。

2007ねん平成へいせい19ねん)よりマシンがスープラからSC430(2006ねんがたSC430にアップデートキットをんだ車両しゃりょう)に変更へんこう。カーナンバーが#39に変更へんこう、またメインスポンサーにデンソーが復帰ふっきした。ドライバーは昨年さくねん同様どうよう布陣ふじんいどみ、昨年さくねん同様どうようかたちマシンでの参戦さんせんだったためくるしいたたかいをいられたが、だい8せん久々ひさびさ表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくすることができた。

2008ねん平成へいせい20ねん)はのワークスと同様どうように2007ねん仕様しようのSC430での参戦さんせんとなり、監督かんとくにはあらたに飯田いいだあきら起用きようされた。タイヤもブリヂストンからダンロップ変更へんこうとなる。ドライバーには高木たかぎとらかいむかえられ、昨年さくねんつづきドライブするクートとコンビをんだ。最新さいしんがたマシンを使用しようするため好成績こうせいせき期待きたいされたが、タイヤ開発かいはつがうまくいかなかったことと、監督かんとくとしてむかえられた飯田いいだ伊藤いとう大輔だいすけ怪我けがによる欠場けつじょう代役だいやくつとめることになったため、監督かんとくをシーズンなかばでめることになったのもあり、シーズンをとおして低迷ていめいした。

2009ねん平成へいせい21ねん)からは最新さいしんがた仕様しようのSC430での参戦さんせんとなる。ドライバーは高木たかぎわり平手ひらてあきらたいら起用きようされ、昨年さくねんからつづいてクートとのコンビでいどむ。このとしは、デンソーがメインスポンサーをり、くるまめいからデンソーがはずれた。

2010ねん平成へいせい22ねん)もつづ最新さいしんがたマシンで参戦さんせん。ドライバーに変更へんこうくクート/平手ひらてコンビのままで、デンソーがふたたびメインスポンサーとなる。

2011ねん平成へいせい23ねん)はドライバーを一新いっしん前年ぜんねんまでのクート(クラフト移籍いせき)/平手ひらてセルモ移籍いせき)にわり、クラフトから移籍いせきした石浦いしうら宏明ひろあきとGT300からステップアップした井口いぐちたくじんのコンビに。タイヤもレクサスはつ・トヨタではJGTC時代じだいの2003ねんトムス以来いらいとなるミシュラン変更へんこうした(チームではJGTC黎明れいめいの1994ねん以来いらいである)。開幕かいまくせんではでタイヤがマシンとマッチしポールポジションを獲得かくとく(2おなじミシュランをS Road MOLA GT-R)。しかし決勝けっしょうではあめのセッティングがうまくいかず6わる。そのもミシュランタイヤをもちい、3のポールポジションを獲得かくとくし、決勝けっしょうでもだい4せん、8せんにそれぞれ表彰台ひょうしょうだいにのぼる活躍かつやくするも優勝ゆうしょうにはとどかず、とくだい7せんでは優勝ゆうしょうあらそいをひろげながら終盤しゅうばんにマシントラブルなど不運ふうんにも見舞みまわれた。最終さいしゅうてきにシリーズ7。これはレクサスになってからのチーム最高さいこうである。

過去かこ土屋つちやけい織戸おりどなど、はし出身しゅっしんのドライバーがおおっている。鈴鹿すずか1000kmでは谷口たにぐちしんてるもドライブした経験けいけんもある。その鈴鹿すずか1000kmでは毎年まいとし参戦さんせんしており、SUPER GTシリーズにまれるまではメインスポンサーはデンソーではなく大塚家具おおつかかぐであった。2006ねん平成へいせい18ねん)よりSUPER GTの一部いちぶまれたため、以降いこう大塚家具おおつかかぐはメインスポンサーから降板こうばんしている。

2012ねん平成へいせい24ねん)はクラフトから移籍いせきのベテランわきばん寿一ひさいち石浦いしうらとコンビをむ。またスポンサーに神戸製鋼こうべせいこうくわわり「DENSO KOBELCO SC430」にくるまめい変更へんこうはじめてくるまめいから「サード」がはずれる。だい2せん富士ふじではチーム8ねんぶり、マシンがSC430になって以降いこうはつ優勝ゆうしょうかざった。そのも4入賞にゅうしょうを2かい記録きろくするなど、リタイヤしただい5せん鈴鹿すずか1000kmをのぞ年間ねんかんつうじてポイントを獲得かくとく一時いちじはチャンピオンあらそいをえんじ、1997ねん、2004ねんぐシリーズ3という成績せいせきえた。

2013ねん平成へいせい25ねん)は寿一ひさいち石浦いしうらのコンビおよびチーム体制たいせい継続けいぞくし、タイヤは6ねんぶりにブリヂストンに変更へんこうされた。2013ねんJAF GPより名古屋なごやグランパスエイト提携ていけいした。

2014ねん平成へいせい26ねん)は、ワークスチームとしてル・マン24あいだ総合そうごう3記録きろくするなどしたオリバー・ジャービスむかえ、石浦いしうらとコンビをむ。

2015ねん平成へいせい27ねん)はチーム体制たいせい一新いっしん監督かんとく野田のだ英樹ひできF1インディ、ル・マン24あいだ経験けいけんドライバー)が就任しゅうにん、エンジニアにHONDAから田中たなかこう太郎たろうむかれる。ドライバーは2013ねんのSUPER GTシリーズチャンピオンの平手ひらて、F1で活躍かつやく優勝ゆうしょう経験けいけんもあるヘイキ・コバライネン獲得かくとくしこの2人ふたりがコンビをむ。鈴鹿すずか1000キロレースではだい3ドライバーにF1経験けいけんしゃクリスチャン・クリエン招致しょうち。F1優勝ゆうしょう経験けいけんしゃがSUPER GTではしるのもはつだが、F1ドライバー2めいというのもはつとなる。

このとし、モランドとジョイントしWEC(FIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん)にLMP2クラスからはつ参戦さんせん、18ねんぶりにル・マン24あいだレースの復帰ふっきたす。しかし交渉こうしょう問題もんだい発生はっせいした結果けっか当初とうしょ予定よていであった嵯峨さが宏紀ひろのり結局けっきょくいちせんもエントリーできず、名前なまえだけのものであった。FIA-F4に3だいスーパー耐久たいきゅうシリーズへの参戦さんせんで、若手わかて育成いくせいをSARD RACING PROJECTでがける。

2016ねん平成へいせい28ねん)はさくシーズンと同様どうよう、GT500に車両しゃりょうDENSO KOBELCO SARD RC F、ドライバー平手ひらて/コバライネンのコンビで参戦さんせんするとともに、GT300にタイサンインターナショナルとジョイントして参戦さんせんすることになった。最終さいしゅうせんのツインリンクもてぎでは優勝ゆうしょうでGT500クラスのドライバーズ・チームズチャンピオンを獲得かくとくし、SUPER GTの前身ぜんしん全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん初年度しょねんどから参戦さんせんしているサードにとってははつのチャンピオン獲得かくとくとなった。

SUPER GT(きゅう・JGTC)成績せいせき

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開催かいさいねん マシン ドライバー タイヤ ランキング ポイント
1994ねん TOYOTA SUPRA アメリカ合衆国の旗 ジェフ・クロスノフ(Rd.4,5) MI 27 1Pts
1995ねん サードスープラGT アメリカ合衆国の旗 ジェフ・クロスノフ DL 8 32Pts
1996ねん サードスープラGT オーストラリアの旗 ワイン・ガードナー(Rd.1-4,6)
日本の旗 長坂ながさか尚樹なおき(Rd.5)
フランスの旗 オリビエ・グルイヤール(All star)
フランスの旗 アラン・フェルテ(Rd.1-5)
イタリアの旗 ジャンピエロ・シモーニ(Rd.6)
フランスの旗 デビッド・デュッソー(All star)
DL 9 28Pts
1997ねん デンソースープラGT(Rd.1,2)
→ デンソーサードスープラGT(Rd.3-All star)
フランスの旗 オリビエ・グルイヤール(Rd.1)
日本の旗 谷川たにがわ達也たつや(Rd.2-All star)
日本の旗 影山かげやま正美まさみ
YH 2 67Pts
1998ねん デンソーサードスープラGT 日本の旗 土屋つちやけい
日本の旗 谷川たにがわ達也たつや
YH 6 36Pts
1999ねん デンソーサードスープラGT 日本の旗 土屋つちやけい
日本の旗 影山かげやま正彦まさひこ
YH 22 5Pts
2000ねん デンソーサードスープラGT 日本の旗 影山かげやま正彦まさひこ
イギリスの旗 ラルフ・ファーマン
YH 12 25Pts
2001ねん デンソーサードスープラGT 日本の旗 影山かげやま正彦まさひこ(Rd.1,2)
フランスの旗 ロマン・デュマ(Rd.3-7)
フランスの旗 ジェレミー・デュフォア
YH 14 22Pts
2002ねん デンソーサードスープラ GT フランスの旗 ジェレミー・デュフォア
日本の旗 織戸おりどまなぶ
YH 14 33Pts
2003ねん デンソーサードスープラGT ドイツの旗 ドミニク・シュワガー
日本の旗 織戸おりどまなぶ
YH 6 57Pts
2004ねん デンソーサードスープラGT フランスの旗 ジェレミー・デュフォア
マカオの旗 アンドレ・クート
BS 2 61Pts
2005ねん デンソーサードスープラGT マカオの旗 アンドレ・クート
イタリアの旗 ロニー・クインタレッリ
BS 16 21Pts
2006ねん triple a サード スープラGT マカオの旗 アンドレ・クート
日本の旗 平中たいらなか克幸かつゆき
フランスの旗 ソエイル・アヤリ (Rd.6)
BS 23 13Pts
2007ねん デンソー サード SC430 マカオの旗 アンドレ・クート
日本の旗 平中たいらなか克幸かつゆき
BS 15 21Pts
2008ねん DENSO DUNLOP SARD SC430 日本の旗 高木たかぎとらかい
マカオの旗 アンドレ・クート
日本の旗 嵯峨さが宏紀ひろのり(Rd.6)
DL 21 11Pts
2009ねん DUNLOP SARD SC430 マカオの旗 アンドレ・クート
日本の旗 平手ひらてあきらたいら
DL 14 27pts
2010ねん DENSO DUNLOP SARD SC430 マカオの旗 アンドレ・クート(Rd.1-7,All star)
オランダの旗 カルロ・ヴァン・ダム(Rd.8)
日本の旗 平手ひらてあきらたいら
DL 12 12pts
2011ねん DENSO SARD SC430 日本の旗 石浦いしうら宏明ひろあき
日本の旗 井口いぐちたくじん
MI 7 40pts
2012ねん DENSO KOBELCO SC430 日本の旗 わきばん寿一ひさいち
日本の旗 石浦いしうら宏明ひろあき
MI 3 57pts
2013ねん DENSO KOBELCO SC430 日本の旗 わきばん寿一ひさいち
日本の旗 石浦いしうら宏明ひろあき
BS 7 49pts
2014ねん DENSO KOBELCO SARD RC F 日本の旗 石浦いしうら宏明ひろあき
イギリスの旗 オリバー・ジャービス
BS 13 24pts
2015ねん DENSO KOBELCO SARD RC F 日本の旗 平手ひらてあきらたいら
フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン
オーストリアの旗 クリスチャン・クリエン(Rd.5)
BS 13 23pts
2016ねん DENSO KOBELCO SARD RC F フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン
日本の旗 平手ひらてあきらたいら
BS 1 82pts
ドライバーズチャンピオン
2017ねん DENSO KOBELCO SARD LC500 フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン
日本の旗 平手ひらてあきらたいら
BS 8 44pts
2018ねん DENSO KOBELCO SARD LC500 フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン
日本の旗 小林こばやしゆめえら(Rd.1,3-8)
日本の旗 坪井つぼいしょう(Rd.2)
BS 9 62pts
2019ねん DENSO KOBELCO SARD LC500 フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン
日本の旗 中山なかやま雄一ゆういち
BS 5 64pts
2020ねん DENSO KOBELCO SARD GR Supra 日本の旗 山下やました健太けんた(Rd.1)
日本の旗 阪口さかぐちはるみなみ(Rd.2)
フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン(Rd.3-8)
日本の旗 中山なかやま雄一ゆういち
BS 8 64pts
2021ねん DENSO KOBELCO SARD GR Supra フィンランドの旗 ヘイキ・コバライネン
日本の旗 中山なかやま雄一ゆういち
BS 9 58pts
2022ねん DENSO KOBELCO SARD GR Supra 日本の旗 関口せきぐち雄飛ゆうひ
日本の旗 中山なかやま雄一ゆういち
BS 8 51.5pts
2023ねん DENSO KOBELCO SARD GR Supra 日本の旗 関口せきぐち雄飛ゆうひ
日本の旗 中山なかやま雄一ゆういち
BS 9 38pts
2024ねん DENSO KOBELCO SARD GR Supra 日本の旗 関口せきぐち雄飛ゆうひ
日本の旗 中山なかやま雄一ゆういち
BS

航空機こうくうき事業じぎょう

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2014ねん日本にっぽん航空こうくう産業さんぎょう東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいによる福島ふくしまけん復興ふっこうのため、福島ふくしまけんふくしまスカイパーク研究けんきゅう開発かいはつ拠点きょてんとする航空機こうくうき部門ぶもん設置せっち[6]開発かいはつする機体きたいめいSA4N[7]

事業じぎょう発足ほっそく当初とうしょ航空こうくう業界ぎょうかいまったかかわりもなく、事業じぎょう営業えいぎょうにまわってもどこもまったってもらえなかったという。そのときってくれたのがNPO法人ほうじんふくしま飛行ひこう協会きょうかい斎藤さいとう喜章よしあき理事りじちょうであった。斎藤さいとう理事りじちょう協力きょうりょくもあり福島ふくしま市議しぎをはじめこくたいしてもコネクションをもつことができたという。ふくしまスカイパークでは、ほかにも練習れんしゅう拠点きょてん同地どうち室屋むろや義秀よしひでとの出会であいもあった。のちにサードはTeam Muroyaのエンジニアリングをサポートすることになり、Team Muroyaはレッドブル・エアレース・ワールドシリーズで2017ねんのワールドチャンピオンを獲得かくとくした。

出典しゅってん脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Hirano, Ryuji「開幕かいまくまでに知識ちしきやそう。カーナンバーとチームめい由来ゆらいる:TGR TEAM SARD」『オートスポーツ』2020ねん4がつ6にち2020ねん4がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ エアレースパイロットしつ義秀よしひで選手せんしゅのチーム・エンジニアリングを今季こんきもサポート継続けいぞく』(プレスリリース)株式会社かぶしきがいしゃサード、2017ねん5がつ10日とおかhttps://www.as-web.jp/supergt/118883/2017ねん5がつ14にち閲覧えつらん 
  3. ^ Dagys, John「Team SARD-Morand Confirms Two-Car LMP2 Entry」『Sportscar 365』2015ねん1がつ31にち2023ねん3がつ8にち閲覧えつらん
  4. ^ サード、来季らいきル・マン参戦さんせんへ。首脳しゅのうじんがELMS訪問ほうもん」『オートスポーツ』2014ねん9がつ16にち2023ねん3がつ8にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c 2015ル・マン24あいだ 決勝けっしょうレース結果けっか」『オートスポーツ』2015ねん6がつ14にち2023ねん3がつ8にち閲覧えつらん
  6. ^ 航空機こうくうき格納庫かくのうこ予想よそう公開こうかい 福島ふくしま・スカイパークにサードが建設けんせつ」『福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶん』2018ねん1がつ18にち2023ねん3がつ8にち閲覧えつらんオリジナルの2018ねん2がつ3にち時点じてんにおけるアーカイブ。
  7. ^ 愛知あいち車両しゃりょう部品ぶひんメーカー「サード」、水陸すいりく両用りょうよう飛行機ひこうき「SA4N-300」開発かいはつ」『FlyTeam ニュース』2015ねん8がつ8にち2023ねん3がつ8にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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