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トヨタ自動車のモータースポーツ - Wikipedia コンテンツにスキップ

トヨタ自動車とよたじどうしゃのモータースポーツ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
トヨタ自動車とよたじどうしゃ > トヨタ自動車とよたじどうしゃのモータースポーツ
1957ねんのオーストラリア1しゅうラリーに出場しゅつじょうしたクラウン再現さいげんしゃ。このレースへの参加さんかがトヨタのモータースポーツ活動かつどうはじまりとされる。
スーパー耐久たいきゅう水素すいそエンジンためしながらまれたGRカローラ現在げんざいのトヨタのモータースポーツは市販しはんしゃとの距離きょり急速きゅうそくちぢめている

トヨタ自動車とよたじどうしゃのモータースポーツでは、トヨタ自動車とよたじどうしゃモータースポーツ活動かつどう歴史れきしについて記述きじゅつする。レクサスサイオンGRなどの同社どうしゃのブランドや豊田自動織機とよたじどうしょっきなどトヨタグループ企業きぎょう活動かつどうかんしてもここでべる。

概要がいよう

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トヨタ自動車とよたじどうしゃモータースポーツ活動かつどう最大さいだい特徴とくちょうは、ジャンルをわない幅広はばひろさである。1960年代ねんだいから今日きょういたるまで、プロトタイプカーツーリングカーGTラリーフォーミュラカーオフロードストックカーダートオーバルドラッグレースヒルクライムドリフトなどあらゆるよんりん競技きょうぎ競技きょうぎしゃあるいは支援しえんしゃかたちかかわり、数多すうた勝利しょうりとタイトルをおさめてきた。

世界せかい選手権せんしゅけんにおいてはWRC(世界せかいラリー選手権せんしゅけん)、WEC(世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん)を連覇れんぱし、いち時代じだいきずいた。また北米ほくべいではデイトナ500インディ500デイトナ24あいだセブリング12あいだパイクスピーク・ヒルクライムバハ1000といった主要しゅようレースすべてで総合そうごう優勝ゆうしょうしたことがあり、インディカーNASCARIMSAフォーミュラ・ドリフトなどシリーズせんでもマニュファクチャラーズチャンピオンにもかがやいた。

みずからもドライバーとしてニュルブルクリンク24あいだレースなどに参戦さんせんする豊田とよだ章男あきお社長しゃちょう就任しゅうにんして以降いこうは、トヨタのモータースポーツ活動かつどうTOYOTA GAZOO Racing(TGR)のブランドのもとに「もっといいクルマづくり」「クルマファンづくり」の象徴しょうちょうとして市販しはんしゃ開発かいはつともつよ関連かんれんづけられるようになった。その姿勢しせい原点げんてんとして、創業そうぎょうしゃである豊田とよだ喜一郎きいちろう言葉ことば引用いんようされている[1]

これから、乗用車じょうようしゃ製造せいぞうものにせねばならない日本にっぽん自動車じどうしゃ製造せいぞう事業じぎょうにとって、耐久たいきゅうせい性能せいのう試験しけんのため、オートレースにおいて、その自動車じどうしゃ性能せいのうのありったけを発揮はっきしてみて、その優劣ゆうれつあらそところ改良かいりょう進歩しんぽおこなわれ、モーターファンの興味きょうみかすのである…たんなる興味きょうみ本位ほんいのレースではなく、日本にっぽん乗用車じょうようしゃ製造せいぞう事業じぎょう発達はったつに、必要ひつようくべからざるものである。 — 豊田とよだ喜一郎きいちろう 、『オートレースと国産こくさん自動車じどうしゃ工業こうぎょう』(1952ねん3がつ

体制たいせい

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1960年代ねんだい体制たいせいトヨタ自動車とよたじどうしゃ工業こうぎょうこう)とトヨタ自動車とよたじどうしゃ販売はんばい自販じはん)の2系列けいれつかれていた。こうではだいいちかい日本にっぽんグランプリをきっかけに、こう自販じはんダイハツヤマハ発動機やまははつどうき日本にっぽん電装でんそうげんデンソー)のレースきがあつまるだい7技術ぎじゅつ通称つうしょう「ナナギ」)が発足ほっそく[2]だい7技術ぎじゅつ市販しはんしゃ改造かいぞうくわえてスポーツプロトタイプ開発かいはつし、ワークスかくの「チーム・トヨタ」が日本にっぽんグランプリなどの主要しゅようイベントに参戦さんせんした。自販じはんはトヨペットサービスセンター特殊とくしゅ開発かいはつ通称つうしょう綱島つなしま[3]」)がツーリングカーのチューニングをおこない、若手わかてドライバー主体しゅたいセミワークスてき活動かつどうおこなった。

1971ねんにはワークス活動かつどうからクラブチームのTMSC-Rを支援しえんするセミワークスにえたが、オイルショック影響えいきょうで1974ねん国内こくないのレース活動かつどう休止きゅうしする。一方いっぽう海外かいがいでは世界せかいラリー選手権せんしゅけん (WRC) に参戦さんせんする「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」への支援しえん継続けいぞくした。

2000ねんには富士ふじスピードウェイ買収ばいしゅうし、やく200おくえんとうじて近代きんだい改修かいしゅうおこな[4]、2007ねんと2008ねんにはF1日本にっぽんグランプリ開催かいさい。2012ねんからはWEC招致しょうちしている。

なお1981ねんにレース活動かつどう再開さいかいしてからは、系列けいれつ3部門ぶもんかく地域ちいきのモータースポーツ活動かつどう担当たんとうした。これらの部門ぶもん統括とうかつ従来じゅうらい本社ほんしゃのモータースポーツ (MSD) が担当たんとうしていたが、2014ねん組織そしき改編かいへんでMSDは「モータースポーツユニット開発かいはつ」と名称めいしょう変更へんこうして技術ぎじゅつけい業務ぎょうむ専念せんねんすることになり、マーケティングについてはトヨタ全体ぜんたいのマーケティングを担当たんとうするトヨタモーターセールス&マーケティング(TMSM)に移管いかんされ分裂ぶんれつ[5]

しかし2015ねんには組織そしき改編かいへんふたたびモータースポーツ活動かつどう全般ぜんぱん機能きのうをトヨタ本社ほんしゃ集約しゅうやくすることになり、あらたにもうけられた「モータースポーツ本部ほんぶ」が開発かいはつ・マーケティングの双方そうほう統括とうかつ、「GAZOO Racing」の統一とういつ名称めいしょう活動かつどうおこなうことになった[6]

現在げんざいのトヨタのモータースポーツ部署ぶしょ子会社こがいしゃ

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GAZOO Racingカンパニー(GRカンパニー)
2017ねん創設そうせつされた社内しゃないカンパニー。車両しゃりょう開発かいはつをする部門ぶもん開発かいはつドライバーやメカニックのなどの凄腕すごうで技能ぎのう養成ようせい、マーケティングのGR統括とうかつの3部門ぶもんによって構成こうせいされ、トヨタのレース活動かつどう統括とうかつする。総勢そうぜい300めいほどの最小さいしょうカンパニーで、本社ほんしゃ名古屋なごやひがし富士ふじ拠点きょてんく。レースで知見ちけんもとに、「GR」ブランドやレクサスの「F」シリーズもふくめた今度こんどのトヨタの市販しはんスポーツカー・スポーティグレードの製作せいさくがけ、その収益しゅうえきもと永続えいぞくてきなモータースポーツ活動かつどうおこなうことを目標もくひょうとする[7]
東富士研究所ひがしふじけんきゅうじょ
トヨタの市販しはんしゃ開発かいはつ最大さいだい拠点きょてん。「モータースポーツユニット開発かいはつ」で市販しはんしゃ関連かんれんする技術ぎじゅつもちいたパワートレインの開発かいはつおこなっている。LMP1のハイブリッドシステム「THS-R」をもちいたパワートレインや、GT500・スーパーフォーミュラようダウンサイジングターボであるNREのRI4Aはここが基礎きそ研究けんきゅう開発かいはつ担当たんとうした。ただし2015ねんまつってRI4Aの開発かいはつトヨタテクノクラフト移管いかんしている[8]。モータースポーツで社員しゃいん育成いくせいおこなう「凄腕すごうで技能ぎのう養成ようせい」もひがし富士ふじ所属しょぞくしている[9]
トヨタ・レーシング・ディベロップメント (TRD) [10]
日本にっぽんアジア地域ちいき担当たんとう。トヨタの100%出資しゅっし子会社こがいしゃであるトヨタカスタマイジング&ディベロップメントのレース部門ぶもんであり、自販じはん特殊とくしゅ開発かいはつ前身ぜんしんとする。現在げんざいはGT500・スーパーフォーミュラのエンジン開発かいはつ、GT500のシャーシ開発かいはつ・エンジンチューニング、ヴィッツレースや86/BRZレースよう車両しゃりょうのメンテナンスなどをおこなう。トヨタの市販しはんしゃけチューニングパーツの販売はんばいや、GRMNに代表だいひょうされるコンプリートカーの開発かいはつ生産せいさんおこなっている。
TRD U.S.A. Inc.[11]
北米ほくべい地域ちいき担当たんとうする、アメリカの販売はんばい会社かいしゃ米国べいこくトヨタ (TMS) の100%子会社こがいしゃTOM'Sのアメリカ法人ほうじん買収ばいしゅうして1979ねん誕生たんじょうした。カリフォルニアしゅうコスタメサおよノースカロライナしゅうシャーロット拠点きょてんく。IMSACARTインディカー・シリーズへのエンジン供給きょうきゅうて、現在げんざいNASCAR、レクサスGT3、ラリーカー、ドラッグレースマシンなどの車両しゃりょう開発かいはつ供給きょうきゅうおこなう。また近年きんねんCALTY積極せっきょくてきにNASCARやドラッグレースマシンのデザインにくわわっている[12]
TRD ASIA Co,.Ltd
2006ねんにトヨタテクノクラフトと豊田通商とよたつうしょう共同きょうどう出資しゅっししてタイ設立せつりつ[13]東南とうなんアジア地域ちいき担当たんとうする。またTRDタイランドとTRDインドネシアを子会社こがいしゃつ。トヨタ・チーム・タイランド協力きょうりょくしてタイ国内こくないレースやアジアクロスカントリーラリーニュルブルクリンク24あいだレース、スーパーGTなどに参戦さんせんしている。
TOYOTA GAZOO Racing Europe GmbH (TGR-E)[14]
世界せかい選手権せんしゅけん・ヨーロッパ地域ちいき担当たんとうするトヨタの完全かんぜん子会社こがいしゃオベ・アンダーソンひきいるラリーチーム「アンダーソン・モータースポーツ」が1975ねんよりトヨタの公認こうにんけて「TOYOTA Team Europe」(TTE)を名乗なのったことがはじまり。1993ねんの「TOYOTA Motorsports GmbH」(TMG)への改称かいしょうて、2020ねんよりげん名称めいしょうドイツケルン拠点きょてんく。世界せかいラリー選手権せんしゅけん(WRC)で黄金おうごん時代じだいきずいたのちル・マン24あいだレースF1て、2012ねんよりFIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん参戦さんせんオレカとジョイントしてLMP1シャーシの開発かいはつとオペレーションを担当たんとうする。またトヨタのWRCようGREエンジン開発かいはつやカスタマーようラリーカーの開発かいはつがけ、2021ねんからはみずからWRCチームの運営うんえいおこなっている。シャーシデザイン、エンジン設計せっけい風洞ふうどうし、R&D、EVの開発かいはつなど、トヨタのレーシングカー以外いがい自動車じどうしゃかかわる業務ぎょうむひろがける。
TOYOTA GAZOO Racing SA
トヨタのみなみアフリカ法人ほうじん。1960年代ねんだいからどう国内こくないラリー選手権せんしゅけん参戦さんせんし、ぜんメーカーちゅう歴代れきだい1勝利しょうりすうほこる。2012ねんからダカール・ラリークロスカントリーラリー・ワールドカップ参戦さんせんしている。

トヨタと関係かんけいふかいチューナー・プライベーターチーム

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TOM'S
もとトヨタのワークスドライバーのたて信秀のぶひでとトヨタディーラー社員しゃいん大岩おおいわじん矣が1974ねん共同きょうどう設立せつりつ。かつて「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタワークスのグループC活動かつどうをオペレーションし、SWCモンツァ優勝ゆうしょうル・マン24あいだレース総合そうごう2成績せいせきおさめた。スーパーフォーミュラフォーミュラ・ニッポン)、SUPER GT全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけん数多すうたのタイトルを獲得かくとくし、国内こくないトヨタけい最強さいきょうチームとして君臨くんりんしている。またF3ではシャーシコンストラクターとエンジンチューナーとしてもすぐれた成績せいせきのこしており、2005から2015ねんまでエンジンチューナー部門ぶもんを11連覇れんぱした。トヨタの市販しはんしゃけチューニングパーツも販売はんばいしている。
SARD
もとトヨタ技術ぎじゅつしゃ加藤かとうしんが1972ねん設立せつりつしたシグマオートモーティブを母体ぼたいに1985ねん誕生たんじょう。グループC時代じだいには「TOYOTA TEAM SARD」(TTS)としてトヨタワークスの一翼いちよくになう。ル・マン24あいだレースにトヨタしゃ参戦さんせんし、総合そうごう2好成績こうせいせきおさめた。現在げんざいはSUPER GTのGT500クラスに参戦さんせんし、2016ねん王者おうじゃになっている。市販しはんしゃけチューニングパーツ販売はんばいのほか航空機こうくうき事業じぎょう・マリン事業じぎょうがけており、前者ぜんしゃではエアレース世界せかいチャンピオンの室屋むろや義秀よしひでをパートナーにしている。
INGING
トヨタカローラ山口やまぐち母体ぼたいとなって1995ねん誕生たんじょう。2004ねん全日本ぜんにほんF3でタイトルを獲得かくとくすると、2008ねん以降いこうセルモとジョイントしてフォーミュラ・ニッポン参戦さんせん。2スーパーフォーミュラのチーム王者おうじゃとなっている。SUPER GTではOTG MOTOR SPORTSとジョイントし、GT300クラスにLM corsaとして参戦さんせん
セルモ
1991ねん発足ほっそくし、1995ねんJGTCから一貫いっかんしてトヨタしゃ運用うんようしている。2007ねんまつにINGINGのオーナーである卜部うらべ治久はるひさがセルモのオーナーに就任しゅうにんしたため、INGINGとの統合とうごうすすめられている。SUPER GTのGT500クラスにはセルモ単独たんどく参戦さんせんしており、3王者おうじゃになった。
apr
SUPER GTのGT300クラスで、2000ねん誕生たんじょう以来いらいからトヨタのセミワークスとして活動かつどうしている。MR2MR-Sで3チャンピオンを獲得かくとくし、2012ねんからはハイブリッドマシンのプリウス開発かいはつ運用うんよう担当たんとうしている。
トミ・マキネン・レーシング(TMR)
世界せかいラリー選手権せんしゅけん(WRC)王者おうじゃトミ・マキネン創設そうせつしゃ・オーナーをつとめる、フィンランドのプライベーター。元々もともとはマキネンの自宅じたくグループNマシンのみをあつかちいさなチームであったが、トヨタのワークスとともに人員じんいん設備せつび大幅おおはば拡充かくじゅう。2017ねん - 2020ねんにかけてWRC活動かつどうのオペレーション・シャーシ開発かいはつ担当たんとうした。2021ねん以降いこうもTGR-Eのアドバイザーとしてオペレーションにかかわっている。
ジョー・ギブス・レーシング
1992ねん誕生たんじょうしたNASCAR強豪きょうごうチームの一角いっかく。トヨタがカップせん参戦さんせんはじめた直後ちょくごの2008ねんから現在げんざいまでカムリもちいている。またチームのエースであるカイル・ブッシュ運営うんえいする「カイル・ブッシュ・モータースポーツ」もトヨタしゃおお採用さいようしている。
ケン・マツウラレーシングサービス
御殿場ごてんば老舗しにせエンジンチューナー。トヨタの海外かいがい進出しんしゅつともなCARTNASCARWRCのエンジンチューニングにたずさわったとされるが、いつからいつまでどのように、などの実態じったいにはなぞおおい。2017ねん時点じてんで、トヨタLMP1のエンジンチューニングを担当たんとうしていることだけはたしかである[15]
尾川おがわ自動車じどうしゃ
東名とうめいエンジンとともにフォーミュラ・ニッポンらしたエンジンチューナー。2006ねん以降いこうトヨタとかかわるようになり、スーパーフォーミュラのRV8JRI4A、GT300のMR-SカローラIS350プリウスなどのエンジンチューニング・メンテナンスを担当たんとうした[16]スーパー耐久たいきゅう86RCなどのエンジンメンテナンスもおこなっている。
童夢どうむ
1980年代ねんだいにル・マン24あいだレース参戦さんせんようシャシーの開発かいはつなどで協力きょうりょく関係かんけいにあった。1990年代ねんだい以降いこう同社どうしゃ本田技研工業ほんだぎけんこうぎょうとの協力きょうりょく関係かんけいつよめたためいち疎遠そえんになったものの、2000年代ねんだい後半こうはん、トヨタのレーシング・ハイブリッドシステムを童夢どうむのシャシーに搭載とうさいし、オールジャパン体勢たいせいでル・マンに挑戦ちょうせんする計画けいかく極秘ごくひすすめていた時期じきもある(後述こうじゅつ)。同社どうしゃ滋賀しがけん米原まいばら保有ほゆうしていた風洞ふうどう風流ふうりゅうしゃ」を2015ねん買収ばいしゅうしたほか(なお2019ねん童夢どうむもどしている)、FIA-F4選手権せんしゅけんようのシャシー・エンジン開発かいはつにおいて日本にっぽん自動車じどうしゃレース工業こうぎょうかい(JMIA)経由けいゆ協力きょうりょくするなど(童夢どうむ・F110参照さんしょう)、ふたた関係かんけいしょうじている。

過去かこ関係かんけいふかかった企業きぎょう

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オール・アメリカン・レーサーズ(AAR)
1980年代ねんだいから90年代ねんだいにかけてIMSACARTひとしのカテゴリーで協力きょうりょく関係かんけいにあり、とく1992ねん1993ねんにはIMSA GTPクラスをイーグル・MkIII/トヨタせいするなど活躍かつやくした。ただ、1999ねんにCARTから撤退てったいしたのを最後さいご関係かんけいれ、同社どうしゃ自体じたいもモータースポーツから撤退てったいした。
スウィフト・エンジニアリング
日本人にっぽんじんヒロ松下まつしたがCEOをつとめていることからつながりができ、NASCARに参戦さんせんするトヨタ・タンドラ共同きょうどう開発かいはつや、CART、アトランティック・チャンピオンシップといった北米ほくべいのオープンホイールレーシングへの参戦さんせんなどでふかかかわりがあった。ただ2012ねん同社どうしゃがモータースポーツから撤退てったいしたため、現在げんざい関係かんけいれている。
LeMans
1969ねん発足ほっそくグループCでは日産にっさんとのむすびつきがつよかった。グループC廃止はいしはトヨタとの関係かんけいふかめていき、1999ねんより参戦さんせんしているJGTC/SUPER GT(GT500クラス)では一貫いっかんしてトヨタしゃ使用しよう。2002ねんと2019ねんにドライバーズチャンピオンを獲得かくとくした。しかしその2019ねん最後さいごにGT500クラスから撤退てったいし、トヨタとの関係かんけいたれた。
オレカ
ユーグ・ド・ショーナックが1973ねん創設そうせつしたフランスの名門めいもんコンストラクター。2012ねん以降いこうのTMG→TGR-EのWEC活動かつどうをオペレーションめんでサポートしていたが、2021ねんのル・マン24あいだレースを最後さいご契約けいやく終了しゅうりょうした。ラリーでもトヨタと関係かんけいのあるドライバーや車両しゃりょうもちいることがおおい。

ラリー・オフロード

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1957ねん昭和しょうわ32ねん)、オーストラリア1しゅうラリーに招待しょうたいされ、クラウン出場しゅつじょうして完走かんそう総合そうごう47外国がいこくしょう3)となった。これがトヨタのモータースポーツ活動かつどう原点げんてんであるとされる。

サファリラリー優勝ゆうしょうしたセリカ・ツインカムターボ (グループB)
はつのマニュファクチャラーズ王者おうじゃをもたらしたセリカGT-FOUR(ST185)
3度目どめのマニュファクチャラーズ王者おうじゃカローラWRC
4度目どめのマニュファクチャラーズ王者おうじゃヤリスWRC

その1973ねん昭和しょうわ48ねん)から1999ねん平成へいせい11ねん)まで世界せかいラリー選手権せんしゅけん(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) がカローラレビンセリカスープラ参戦さんせんしていた。1975ねん昭和しょうわ50ねん)の1000ラリー(フィンランド)での、カローラレビンによるWRCはつ制覇せいははじまり、TA64がたセリカで1984ねん昭和しょうわ59ねん)、1985ねん昭和しょうわ60ねん)、1986ねん昭和しょうわ61ねん)とサファリラリー3連覇れんぱ達成たっせいした。

1988ねん昭和しょうわ63ねん)、WRC王座おうざ獲得かくとく目指めざすべくツール・ド・コルス(フランス)でグループA規定きていのST165がたセリカをデビューさせ、当時とうじ最強さいきょうほこっていた王者おうじゃランチアいどみ、熾烈しれつたたかいをひろげることになる。そして1990ねん平成へいせい2ねん)、ついにランチアをやぶってカルロス・サインツ/ルイス・モヤくみ日本にっぽんしゃはつのドライバーズチャンピオンを獲得かくとくする(スペインじんとしてもはつ)。またST185がたセリカにスイッチした1992ねん平成へいせい4ねん)にもサインツはチャンピオンになる。

1993ねん平成へいせい5ねん)には日本にっぽん自動車じどうしゃメーカーとしてはじめてマニュファクチャラーズタイトルを獲得かくとく(ドライバーズとの2かん)、1994ねん平成へいせい6ねん)はコドライバーズもあわせて3かん達成たっせいした。1994ねん平成へいせい6ねん)のサンレモ・ラリーでは、ユハ・カンクネン/ニッキー・グリストくみにより、ST185がたセリカにわってST205がたセリカがデビューした。

1995ねん平成へいせい7ねん)はST205の開発かいはつがうまくいかず、わずか1しょう苦戦くせん。そしてラリー・カタルーニャでエンジンの吸気きゅうきりょう制限せいげんするリストリクター意図いとてき細工ざいくほどこすという行為こうい発覚はっかくした。エアリストリクターが装着そうちゃくされたトランペットじょう部品ぶひん単体たんたいでは問題もんだいないが、エンジンにけると吸気きゅうきあつでパーツがスライドして隙間すきまができ、その隙間すきまから空気くうき吸入きゅうにゅうしパワーをげるというものだった。国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい (FIA) は1995ねん平成へいせい7ねん)シーズンのドライバーおよびマニュファクチャラーのぜんポイント剥奪はくだつと1996ねん終了しゅうりょうまでの出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶん発表はっぴょうした。

この処分しょぶんはあくまでTTEにたいするもので、支援しえん対象たいしょうチームへえたり、オベ・アンダーソンを解任かいにんすることで停止ていし処分しょぶんをすりける方法ほうほうがFIAに掲示けいじされていたが、トヨタがわはこの処分しょぶん正面しょうめんからおもめ、そういった手法しゅほうもちいることをこばみ、くわえてもういちねん活動かつどう自粛じしゅくした。しかしのちにトヨタ復帰ふっきねがこえけ、1997ねん終盤しゅうばんにテストをねて参戦さんせん再開さいかいした。

このときセリカゆずりの3S‐GTEエンジンを搭載とうさいした、よりコンパクトなカローラWRCへとスイッチしており、このWRカーはすぐにタイトルをあらそ戦闘せんとうりょく発揮はっき1998ねん平成へいせい10ねん)はオリオールにくわえて、サインツがフォードから移籍いせき。サインツが開幕かいまくせん優勝ゆうしょうかざるなど2しょうをマークし、マニュファクチャラーズランキング2でシーズンをえた。最終さいしゅうせんはサインツがタイトルまであとわずかすうひゃくメートルというところでエンジンブローという悲劇ひげきてきなものだった。

1999ねん平成へいせい11ねん)は優勝ゆうしょうこそチャイナ・ラリーのみだったもののコンスタントに上位じょうい入賞にゅうしょうかえし、5ねんぶり3度目どめのマニュファクチャラーズタイトルを獲得かくとく。しかし、サンレモラリーの直前ちょくぜんにTTEはWRC撤退てったいとF1参戦さんせん発表はっぴょう、27ねんにもおよ日本にっぽん最大さいだいのマニュファクチャラーのラリーへの挑戦ちょうせんは7のタイトルと43勝利しょうりってまくじた。

2015ねん平成へいせい27ねん)1がつ30にちにトヨタはWRCへの復帰ふっき表明ひょうめいし、2017ねん平成へいせい29ねん)からヤリスWRC参戦さんせん開始かいし[17]。シャーシ開発かいはつとオペレーションをトミ・マキネン・レーシング、エンジン開発かいはつはTMGが担当たんとうする。開幕かいまくまえはマシン開発かいはつおくれが懸念けねんされていたが、フォルクスワーゲンから移籍いせきしてきたヤリ=マティ・ラトバラ/ミイカ・アンティラくみ復帰ふっき初戦しょせんラリー・モンテカルロで2表彰台ひょうしょうだい、2せんラリー・スウェーデンはやくも優勝ゆうしょうたした。2018ねんには後半こうはんオィット・タナック/マルティン・ヤルヴェオヤくみが3連勝れんしょう達成たっせいして終盤しゅうばんにマニュファクチャラーズランキング首位しゅい浮上ふじょうし、そのままタイトルを手中しゅちゅうおさめた。2019ねんにはタナク/ヤルヴェオヤぐみが、無傷むきずで6連覇れんぱ達成たっせいしていたセバスチャン・オジェ/ジュリアン・イングラシアくみやぶってのドライバーズ/コドライバーズタイトルを獲得かくとくした。

2020ねんにはタナクぐみ離脱りだつわりにオジェぐみ加入かにゅう。オジェぐみはドライバーズ/コドライバーズタイトルを連覇れんぱして一線いっせん退しりぞいた。また2021ねんはトヨタがマニュファクチャラーズを制覇せいはしたことにより、1994ねん以来いらいの3かん獲得かくとく相成あいなった。

トヨタはこうしたWRC活動かつどうかすため、20ねんぶりに市販しはん4WDスポーツを開発かいはつ。2020ねんGRヤリスとして復活ふっかつ実現じつげんさせた。

2021ねん終了しゅうりょう時点じてん通算つうさん成績せいせきはドライバーズタイトル7かい、マニュファクチャラーズタイトル5かい勝利しょうりすう69しょうである。

ラリーレイド・オフロードレース

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パリダカのトヨタしゃたち(1992ねん
北米ほくべいオフロードレースのCORRに参戦さんせんするタンドラ(2007ねん

1983ねんにカール・ウェルズのPPI(Precision Preparation, Inc.)を支援しえんするかたちで、北米ほくべいのラリーレイドおよびクローズドで開催かいさいされるオフロードレースに参戦さんせん初年度しょねんどSCOREインターナショナルのドライバー・メーカータイトルを獲得かくとくした。以降いこう1984ねんから1999ねんまでオフロードかい席巻せっけんし、MTEGのマニュファクチャラーズタイトルを11連覇れんぱした。そのタンドラタコマがトラックをもちいたオフロードレースで現在げんざいいたるまで圧倒的あっとうてき活躍かつやくせ、MTEG、CORRTORCなどのかく団体だんたい圧倒的あっとうてきかず総合そうごうタイトルをさらっていった[18]。また1992ねんと1999ねんにはバハ1000総合そうごう優勝ゆうしょうたしている。

北米ほくべい以外いがいでは、1995ねんからはトヨタ車体とよたしゃたいがTLC(チーム・ランドクルーザー)を組織そしきしてランドクルーザーダカールラリー挑戦ちょうせんしており、市販しはんしゃ改造かいぞうのディーゼル部門ぶもんにおいて1996ねんから2022ねんまでの21かい開催かいさいちゅう、6連覇れんぱを2、10連覇れんぱを1ふくむ22かいのクラス優勝ゆうしょうにしている[19]市販しはんのランドクルーザーは、この活動かつどう知見ちけん設計せっけいにも反映はんえいさせており、「GR SPORT」も発売はつばいされている。

2012ねんからはみなみアフリカ法人ほうじんのトヨタが改造かいぞうしたハイラックス最高峰さいこうほうクラスに挑戦ちょうせん、2019ねんに8だい体制たいせいいてきたMINIのワークスぜいやぶってナッサー・アル=アティヤ/マシュー・バウメルぐみ念願ねんがん総合そうごう優勝ゆうしょうたした。このハイラックスはクロスカントリーラリー・ワールドカップにも参戦さんせんしており、2016・2017ねんにアル=アティヤ/バウメルによってドライバー・チームタイトルを獲得かくとくしている[20][21]。2022ねんにはおなにんで2度目どめ総合そうごう優勝ゆうしょうたしている。

耐久たいきゅうせいたかいトヨタしゃはプライベーターチームのあいだでも人気にんきがあり、ランドクルーザー、ハイラックス、スターレットカリーナカローラレビンなどがふるくから参戦さんせんした[22]。1982ねんには久保田くぼたまさる/内田うちだ正洋まさひろぐみがカリーナ1500で市販しはんしゃ改造かいぞう・2りん駆動くどう・バギー・マラソンの4部門ぶもんにおいて優勝ゆうしょうするという快挙かいきょげた。 また2002ねんダカールは完走かんそうしゃの2だいに1だいがトヨタしゃ[23]、2017ねん大会たいかいよんりんしゃ部門ぶもんエントリー79だいのうち36だいがトヨタしゃという人気にんきぶりであった[24]

全日本ぜんにほんラリー選手権せんしゅけん

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JN5クラスのヴィッツ GRMN(2018ねん

ヴィッツの生産せいさん担当たんとうしている豊田自動織機とよたじどうしょっきがチームを組織そしきして、ヴィッツによるラリー活動かつどうおこなっている。同社どうしゃ社員しゃいんでもある天野あまの智之としゆき/井上いのうえ裕紀子ゆきこぐみ猛威もういるい、どうチームは9ねん連続れんぞくでクラスチャンピオンを獲得かくとくしている。

また「凄腕すごうで技能ぎのう養成ようせい」を編入へんにゅうしたTOYOTA GAZOO Racingが2015ねんから参戦さんせんし、スポーツCVTの研究けんきゅうやヴィッツGRMNによる挑戦ちょうせんをしている。

2021ねんからはGRヤリスによるJN1へのワークス参戦さんせん開始かいし初年度しょねんどR5規定きてい改造かいぞうされたシュコダ・ファビアをやぶり、初年度しょねんど勝田かつた範彦のりひこがチャンピオンとなった。

耐久たいきゅうレース

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日本にっぽんグランプリ

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7ターボ

トヨタがはじめてスポーツプロトタイプのレースに参加さんかしたのは1966ねん昭和しょうわ41ねん)のだい3かい日本にっぽんグランプリである。ただしマシンは市販しはんまえ2000GT純粋じゅんすいなレーシングカーではなく、プロトタイプカーのポルシェ906やプリンスR380におくれをっていた。

トヨタは1967ねんだい4かい日本にっぽんグランプリ欠場けつじょうして、よく1968ねん昭和しょうわ43ねん)に自社じしゃはつのプロトタイプレーシングマシン、3リッターVがた8気筒きとうエンジン搭載とうさいトヨタ・7をデビューさせる。5月の'68日本にっぽんグランプリでは日産にっさん・R381やぶれたものの、そののレースで勝利しょうりおさめる。日産にっさん日本にっぽんグランプリ以外いがい消極しょうきょくてきであったのにたいして、トヨタは耐久たいきゅうレースに積極せっきょくてき参戦さんせんしたため「耐久たいきゅうのトヨタ」とばれた。

よく1969ねん昭和しょうわ44ねん)には5リッターVがた8気筒きとうエンジンを搭載とうさいするトヨタ・7のだい2モデルが登場とうじょうする。このマシンもデビューせんの7がつ富士ふじ1000kmで勝利しょうりおさめ、つづく8がつのNETスピードカップも日産にっさんR381をやぶ優勝ゆうしょう。また11月のだい2かい日本にっぽんCan-Amせいするが、肝心かんじんの10がつ日本にっぽんグランプリでは6リッターVがた12気筒きとうエンジンを搭載とうさいする日産にっさん・R382まえにまたもなみだんだ。

翌年よくねんけてトヨタは日本にっぽんはつの5リッターVがた8気筒きとうエンジンにターボチャージャー装着そうちゃくしただい3モデルのトヨタ・7を開発かいはつするが、日産にっさんが1970ねん日本にっぽんグランプリの欠場けつじょう表明ひょうめいしたため、トヨタも欠場けつじょうすることとなる。トヨタの世界せかいけられ、トヨタ・7ターボでのCan-Amへの挑戦ちょうせん決意けついするが、それが決定けっていしたまさにその鈴鹿すずかサーキットでトヨタ・7ターボをテストちゅう川合かわいみのる事故死じこし、これによりトヨタ・7のプロジェクトは白紙はくしにされてしまう。以降いこう1980年代ねんだいまでトヨタはプロトタイプカーのレース活動かつどう中断ちゅうだんすることになる。

ル・マン挑戦ちょうせん

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TS010
GT-One (TS020)
TS030 HYBRID
TS040 HYBRID
TS050 HYBRID
GR010 HYBRID

1975ねん昭和しょうわ50ねん)にはシグマ・オートモーティブ(SARD前身ぜんしん)にエンジンを供給きょうきゅうし、シグマ・MC-75がル・マン24あいだレース参戦さんせんした。また、1973ねんマツダのロータリーエンジンを搭載とうさいしたシグマ・MC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴがかれている。

1982ねん昭和しょうわ57ねん)に世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん(WEC)の日本にっぽんラウンド (WEC-JAPAN) がはつ開催かいさいされると、童夢どうむトムス共同きょうどう開発かいはつしたグループCカー、トムス童夢どうむ・セリカCにWRCようエンジンをベースにした4気筒きとうターボエンジンを供給きょうきゅうした。

1983ねん昭和しょうわ58ねん)からはじまる全日本ぜんにほん耐久たいきゅう選手権せんしゅけん1987ねん昭和しょうわ62ねん)より全日本ぜんにほんスポーツプロトタイプカー耐久たいきゅう選手権せんしゅけん=JSPC)にも参戦さんせん童夢どうむとトムスの共同きょうどう開発かいはつによるトムス・83C(1983ねん) - 88C1988ねん昭和しょうわ63ねん))をて、8気筒きとうターボエンジンをしん開発かいはつし、88C-V(1988ねん) - 92C-V1992ねん平成へいせい4ねん))をおくむ。1987ねん昭和しょうわ62ねん)からはトヨタのかんした「トヨタチームトムス」として参戦さんせん開始かいし。TRDが開発かいはつ主導しゅどうすることになり、マシンめいも「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降いこう中断ちゅうだんしていたワークス活動かつどう事実じじつじょう再開さいかいとなった。しかしJSPCではポルシェ・日産にっさんはばまれ、トヨタのみのしんグループC規定きていクラスではタイトルを獲得かくとくするが、実質じっしつてきには無冠むかんわった。

1985ねん昭和しょうわ60ねん)からはル・マン24あいだレースにも参戦さんせん開始かいしし、1989ねんにはイギリスのトムスGBを拠点きょてんとして世界せかいスポーツプロトタイプ選手権せんしゅけん (WSPC) にもフル参戦さんせんする。ル・マンには1990ねん平成へいせい2ねん)まではターボエンジンしゃ参戦さんせんし、1992ねん、1993ねんには当時とうじのF1とおな規定きていつくられた自然しぜん吸気きゅうき3.5リッター10気筒きとうエンジンを搭載とうさいしたTS010参戦さんせん。1992ねんのスポーツカー世界せかい選手権せんしゅけん (SWC) だい1せんモンツァで、日本人にっぽんじん小河おがわひとし優勝ゆうしょうしている。同年どうねんのル・マンでは関谷せきや正徳まさのり日本人にっぽんじんはじめて総合そうごう2表彰台ひょうしょうだいがった。

1993ねんにはサードの93C-VがC2クラス優勝ゆうしょう獲得かくとくしている。1994ねんにはサードが92C-Vを改造かいぞうした94C-V出場しゅつじょう、しかしポルシェ962CをGTとして改造かいぞうしたおきてやぶりともえるダウアー962GTのまえにまたも2わる(LMP1/C90クラス優勝ゆうしょう)。1995・1996ねんにはつづけてサードがスープラでGT1クラスに参戦さんせんしたが、クラス8・15わった。

1998ねん平成へいせい10ねん)から1999ねん平成へいせい11ねん)にかけては、TTEを中心ちゅうしん開発かいはつしたToyota GT-One (TS020)でル・マンに参戦さんせん。マシン性能せいのう他社たしゃくらべてすぐれていたが、マシントラブルのために最高さいこう成績せいせきは1999ねん総合そうごう2まりにわる(LMGTPクラス優勝ゆうしょう)。

その、F1参戦さんせんのため活動かつどう途絶とだえていたが、2005ねん、TMGふく社長しゃちょう当時とうじ)の木下きのした美明よしあき童夢どうむ代表だいひょうはやしみのるに「オールジャパン体制たいせいでのル・マン参戦さんせん」を打診だしん東富士研究所ひがしふじけんきゅうじょ開発かいはつするレーシング・ハイブリッドシステムを童夢どうむのシャシーに搭載とうさいし、トヨタワークスとして参戦さんせんするという計画けいかくで、トヨタ社内しゃない承認しょうにん根回ねまわしをすすめながら、2008ねんには童夢どうむ・S101じつはし試験しけんおこなった。また、童夢どうむ助走じょそう段階だんかいとして、同年どうねんのル・マンにS102単独たんどく参戦さんせんした(3にんのトヨタけいドライバーを起用きよう)。しかし、リーマン・ショックにより2009ねんまつトヨタF1撤退てったいまり、TMGがスポーツカープログラムを担当たんとうすることになり、童夢どうむとのジョイント計画けいかく発表はっぴょうのまま解消かいしょうされた。 [25]

2012ねんハイブリッドエンジン搭載とうさいするTS030 HYBRIDで、ル・マン24あいだふくFIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん復帰ふっき。オペレーションはTMGとオレカがジョイントしておこなうことになった。日本人にっぽんじんドライバーとして石浦いしうら宏明ひろあき参戦さんせんする予定よていであったが、こしいためていたこともあり中嶋なかじま一貴かずたかわりに参戦さんせん、そのままレギュラーとなった。

TS030はル・マンでは途中とちゅう首位しゅいうばうシーンもあったものの、2012ねんは2くるまともリタイヤ、よく2013ねんのル・マンは2と4わった。しかしWECでは活躍かつやくし、2012ねんのFIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん6せん2013ねんのFIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけんぜん8せんけい14戦中せんちゅう5しょうげた。

2014ねんからはトヨタはつよんりん駆動くどうLMP1であるTS040 HYBRID投入とうにゅうした。ル・マンでは中嶋なかじま一貴かずたか日本人にっぽんじんはじめてPPをるものの、豪雨ごううでのクラッシュとマシントラブルで3わった。一方いっぽうWECではぜん8せん出場しゅつじょうし5せん優勝ゆうしょうしたことによりマニュファクチャラーズランキングとドライバーズランキング(トヨタ2しゃ同点どうてん優勝ゆうしょう)の両方りょうほう悲願ひがんのスポーツカーの世界せかい選手権せんしゅけんタイトル獲得かくとくたした。

2015ねんは、大量たいりょう開発かいはつ投入とうにゅうしてル・マンで5びょうものタイムゲインをしたポルシェ・アウディについていくことができず、いところいちねんえている。

2016ねんはル・マンで勝利しょうりすることのみを主眼しゅがんいたTS050を、突貫とっかん開発かいはついちねん前倒まえだおしで投入とうにゅう。その甲斐かいあってル・マンでは終始しゅうし有利ゆうり展開てんかいすすめたが、のこすうあいだで2あらそいをしていた小林こばやしゆめえらがスピンし、ポルシェに2盤石ばんじゃくにされる。さらにのこり6ふんでトップ快走かいそうちゅう中嶋なかじま一貴かずたかのマシンに駆動くどうけいトラブルが発生はっせいのこり3ふんでファイナルラップにはいった瞬間しゅんかんにホームストレートじょうにストップし、ポルシェにられてル・マン制覇せいは悲願ひがんあらわえた。WECでは苦戦くせんいられたが、富士ふじでは戦略せんりゃくとこのとしデビューした小林こばやしゆめえら頑張がんばりによって2びょうでアウディからってやくねんぶりの勝利しょうりげた。

2017ねんのル・マンはさんだい体制たいせいとなり、3だい前年ぜんねんスーパーフォーミュラ王者おうじゃ国本くにもとつよしがエントリーした。ル・マンでは小林こばやしゆめえらがコースレコードを更新こうしんするはしりで予選よせんポールポジションを奪取だっしゅ決勝けっしょう最初さいしょの6あいだを1-2体制たいせいでレースを支配しはいしたものの、3だいともトラブルに見舞みまわれた。とくにトップを快走かいそうしていた7号車ごうしゃのトラブルは、夜間やかんのSCちゅうのピット出口でぐち赤信号あかしんごうまっていたところ、マーシャルとおな橙色だいだいいろのレーシングスーツをたアマチュアドライバーが応援おうえんのためにサムアップしにたのを、発信はっしん合図あいず勘違かんちがいした結果けっかきたというしんじられないアクシデント(にせマーシャル事件じけん)によるものだった。結局けっきょくこのとしは8号車ごうしゃ総合そうごう8(クラス2)にはいるにとどまった。WECシリーズをとおしてはル・マン以降いこう劣勢れっせいであったもののその挽回ばんかいし、タイトルにはとどかなかったが、優勝ゆうしょう回数かいすうでポルシェを上回うわまわった。

2018ねんのル・マンはTS050だい体制たいせい出場しゅつじょう。ワークスのライバルが不在ふざいという状況じょうきょうではあったが、セバスチャン・ブエミフェルナンド・アロンソ中嶋なかじま一貴かずたかの8号車ごうしゃ優勝ゆうしょう小林こばやしゆめえららの7号車ごうしゃが2となり、20かい挑戦ちょうせんにしてはじめてル・マン総合そうごう優勝ゆうしょうげた。日本にっぽんメーカーとしてはマツダ(マツダ・787B以来いらい27ねんぶり2度目どめ日本人にっぽんじんドライバーとしてはあらきよしチームきょうアウディ・R8以来いらい14ねんぶり3度目どめのル・マン総合そうごう優勝ゆうしょうであり、日本にっぽんメーカーの車両しゃりょう日本人にっぽんじんドライバーが搭乗とうじょうして優勝ゆうしょうするのははじめてであった[26]

以降いこうもワークスのライバルがあらわれない(アルピーヌかたちLMP1で参戦さんせん)という状況じょうきょう物議ぶつぎかもしつつも、2022ねんまでトヨタはWECとル・マンを5連覇れんぱすることになる。2022ねん前年ぜんねんGR010 HYBRIDでル・マンをせいした小林こばやしがチーム代表だいひょうとドライバーを兼任けんにんし、引退いんたいした中嶋なかじまわりに平川ひらかわあきらがレギュラードライバーにいた。平川ひらかわ初年度しょねんどで、日本人にっぽんじん最年少さいねんしょうでル・マンをせいした。

北米ほくべいスポーツカーレース

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イーグル・マークIII
ライリー・レクサス

1968ねんSCCAに2000GTが参戦さんせんしたのが、トヨタの北米ほくべいスポーツカーはつ参戦さんせんとなる(年間ねんかんクラス4)。そのはトヨタ・7での北米ほくべい進出しんしゅつ目論もくろんだが、前出ぜんしゅつとお頓挫とんざした。

1981ねんにIMSAのGTUクラスにセリカ投入とうにゅう。1983ねんにはダン・ガーニーひきいるオール・アメリカン・レーサーズ (AAR) と提携ていけいし、1985ねんにGTOクラスはつ優勝ゆうしょうて、1987ねん日本にっぽんメーカーとしてはじめてGTOクラスタイトル獲得かくとくした。

1989ねんよりIMSA最高さいこうクラスのGTPクラスにステップアップ。1991ねんにはトヨタの2.1リッターじき4ターボエンジン(3S-Gあらため)を搭載とうさいするイーグル・マークIII投入とうにゅう。ライバルが戦意せんい喪失そうしつして撤退てったいするほどのちまくりぶりで、1992ねんと1993ねんにドライバーズ(ファン・マヌエル・ファンジオ2せい)とマニュファクチャラーズタイトルを連覇れんぱ、1993ねんデイトナ24あいだレースと1992・1993ねんセブリング12あいだレースでも勝利しょうりおさめた。なお1993ねんのタイトルはぜんせん全勝ぜんしょうおさめている。

2004ねんから2009ねんにも、レクサスのV8自然しぜん吸気きゅうきエンジンを供給きょうきゅうするかたちで、ロレックス・スポーツカー・シリーズ(グランダム)に参戦さんせんチップ・ガナッシ・レーシングとともにデイトナ24あいだを3連覇れんぱ、2008ねんのドライバーズタイトルを獲得かくとくしている。

ニュルブルクリンク24あいだレース

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2010ねんのLFA
2014ねんの86
2016ねんのC-HR Racing

ニュルの耐久たいきゅうレースにはじめて参戦さんせんしたのは、1973ねんセリカ1600GTはつであった。6あいだ耐久たいきゅうであったこのレースには、のち豊田とよだ章男あきお人生じんせいとなる成瀬なるせひろしもメカニックとして参戦さんせんしていた。ピットのガレージを用意よういしてもらえず、かさをさして屋外おくがい作業さぎょうするなど過酷かこく環境かんきょうなか2リットルクラスで優勝ゆうしょう総合そうごう6)し、会場かいじょうから拍手はくしゅこった[27]。なおこのセリカは同年どうねんスパ・フランコルシャン24あいだにも参戦さんせんし、クラス優勝ゆうしょう総合そうごう9)を獲得かくとくしている[28]

2005ねんにはレクサス・RX400h参戦さんせん。ハイブリッドカー、それもSUVという条件じょうけんであったが完走かんそうさせることに成功せいこうした。

2007ねんには「Team Gazoo」として当時とうじのトヨタふく社長しゃちょうである豊田とよだ章男あきお社内しゃない有志ゆうしだけで構成こうせいされたチームをひきいて、SP3クラスにアルテッツァRS200だい参戦さんせん[29]当初とうしょは「トヨタ」を名乗なのることがゆるされなかったというが、豊田とよだ社長しゃちょう就任しゅうにんしてからも差別さべつのためかあえてしばらく「トヨタ」を名乗なのらずに活動かつどうつづけた。なお、現在げんざいもちいられているくろあかの「GR」のロゴは2010ねんから使つかわれている。

2008ねんには発売はつばいまえLFAがSP8クラスに参戦さんせん以降いこう2009 - 2011ねんにLFAの2だい体制たいせい参戦さんせん、2010ねんにクラス優勝ゆうしょうした。なお、このときおなじピットであったアストンマーティンのCEO・ベッツと章男あきお親交しんこうふかめ、2012ねんのVLNのコラボレーション参戦さんせんや、トヨタ・iQをベースにしたアストンマーティン・シグネット誕生たんじょう実現じつげんしている。

2012 - 2013ねんはLFAを1だいらし、わりにこのとし発売はつばいとなった86を2だい採用さいようした。2013ねんにLFAがSP8、86がSP3クラスで優勝ゆうしょうかざった。

2014ねんはLFA、86かく1だいくわえてLFAの特別とくべつ仕様しようしゃ「LFA Code X」がSP-PROクラスに参戦さんせん。3クラスすべての参戦さんせん車両しゃりょうがクラス優勝ゆうしょうおさめた。

2015ねんはLFA Code XとレクサスRCのだい体制たいせいで、LFA Code Xが前年ぜんねんつづきクラス優勝ゆうしょうした。

2016ねんレクサス・RCとRC-Fにくわえ、2005ねん以来いらいとなるSUVのC-HR Racingが参戦さんせん。VLNでは市販しはんしゃC-HRの開発かいはつ責任せきにんしゃんだ。24あいだ本番ほんばんでは燃料ねんりょう計算けいさんのミスなどはあったものの完走かんそう半年はんとし発売はつばいけてみのりあるテストになった。

2017ねんはSP3TクラスにRCいちだいのみで参戦さんせんスバル・WRX、アウディTT RS2とのどもえたたかいのなか、スバルを上回うわまわるクラス2獲得かくとくした。

2018ねんはSP-PROクラスに研究けんきゅう開発かいはつ目的もくてきレクサス・LC投入とうにゅう。トラブルに見舞みまわれながらも完走かんそうたした。

2019ねん前年ぜんねん同様どうようLCと、しん発売はつばいGRスープラあわせて投入とうにゅう。どちらも完走かんそうたした。コロナ影響えいきょうもあり、2022ねん時点じてんではこれが現状げんじょう最後さいごのニュル参戦さんせんとなっている。

フォーミュラカー

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1976ねんニュルブルクリンクをはしるF3のマーチ・トヨタ
2003ねんインディ500せいした、チーム・ペンスキーのGフォース・トヨタ
2004ねんアメリカグランプリのトヨタF1
2010ねん1-2フィニッシュをめるフォーミュラ・ニッポントムスいきおい

フォーミュラにおけるトヨタは、1974ねんにイタリアのノバしゃがチューニングしたトヨタ2T-GエンジンがヨーロッパのF3かい席巻せっけんしたことにはじまる。とくイギリスF3では9ねん連続れんぞくでチャンピオンエンジンの金字塔きんじとうてた。このエンジンは日本にっぽんにもぎゃく輸入ゆにゅうされ、1979ねんからはじまった全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけんでもメーカーを圧倒あっとうした。そのため中嶋なかじまさとるが1978ねんにイギリスF3に参戦さんせんしたさいもトヨタエンジンをもちいている。

1980年代ねんだいにはトムスがチューニングした3S-GEエンジンが登場とうじょうし、こちらもライバルの無限むげん圧倒あっとうしておおくのタイトルを獲得かくとくしている。またマカオGPでも通算つうさん7しょうげる活躍かつやくせており、1983ねんアイルトン・セナがマカオGPをせいしたときのマシンもトヨタエンジンを搭載とうさいしていた[28] [30]。このクラスへのエンジン供給きょうきゅうは、全日本ぜんにほんF3がスーパーフォーミュラ・ライツ改名かいめいして以降いこうふくめて現在げんざいまでつづいており、もっともチャンピオンを輩出はいしゅつしているエンジンとなっている。また1989ねんから2005ねんまでフォーミュラ・アトランティックにTRD USAのチューニングした4A-GEエンジンを供給きょうきゅうしたり、1991ねんから2007ねんまでフォーミュラ・トヨタを、2005ねんから現在げんざいまでオセアニアでトヨタ・レーシング・シリーズを開催かいさいするなど、育成いくせいとしてのフォーミュラにはとく積極せっきょくてきである。またトヨタはかかわってはいないが、ユーロフォーミュラ・オープンでも前身ぜんしんであるスペイン選手権せんしゅけんの2001ねん以来いらい現在げんざいまでトヨタエンジンが使用しようされている。

日本にっぽんFIA-F4選手権せんしゅけんにもトムスがトヨタせいエンジンのチューニングと供給きょうきゅうおこなっており、シャシー関連かんれんでも童夢どうむ協力きょうりょくしている。

トヨタはつのビッグフォーミュラ参戦さんせん1996ねん平成へいせい8ねん)アメリカのチャンピオンシップシリーズ (CART) である。エンジン供給きょうきゅうかたちで、IMSAでもジョイントしていたAARと参戦さんせんしたが、当初とうしょ戦闘せんとうりょく信頼しんらいせいくエンジンの熟成じゅくせいには時間じかんようした。しかし2000ねん平成へいせい12ねん)にはファン・パブロ・モントーヤのドライブでCARTはつ勝利しょうり達成たっせい2002ねん平成へいせい14ねん)にはドライバーズ(クリスチアーノ・ダ・マッタ)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得かくとくした。

2003ねん平成へいせい15ねん)にホンダとともにCARTから撤退てったいしてIRL(インディ・レーシング・リーグ)へ転身てんしんし、世界せかい3だいレースのひとつであるインディ500日本にっぽんメーカーとしてはじめて制覇せいは。さらに参戦さんせん初年しょねんでドライバーズ(スコット・ディクソン)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得かくとくした。しかし2005ねんNASCAR集中しゅうちゅうするとして撤退てったいした。

F1にはシャーシ・エンジンとも自製じせいするフルコンストラクターとして2002ねん平成へいせい14ねん)から参戦さんせん。エンジンはウィリアムズF1にも供給きょうきゅうされ、中嶋なかじま一貴かずたかが2年間ねんかん参戦さんせんした。しかしリーマン・ショック影響えいきょう2009ねん平成へいせい21ねん)シーズン終了しゅうりょう電撃でんげき撤退てったいした。通算つうさんではポールポジション3かいと13かい表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくしたが、コンストラクターズランキングは最高さいこう4まり、優勝ゆうしょういち達成たっせいできなかった。

国内こくないでは2006ねん平成へいせい18ねん)から2022ねん現在げんざいまで、SUPE GT(GT500)とエンジンの基本きほん設計せっけい共有きょうゆうしているフォーミュラ・ニッポン、およびその改称かいしょうスーパーフォーミュラにエンジン供給きょうきゅうし、唯一ゆいいつのライバルであるホンダと長年ながねんわたってたたかつづけている。

ツーリングカー / GTカー

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JTC-3王者おうじゃのADVANカローラ(AE92)
JGTC GT500のスープラ
2014ねんSUPER GT GT500のRC-F
BTCCに参戦さんせんするカローラスポーツ

1963ねん昭和しょうわ38ねん)にはつ開催かいさいされた日本にっぽんGPパブリカコロナクラウン出場しゅつじょう。「レースには積極せっきょくてき関与かんよしない」という国産こくさんメーカーあいだ紳士しんし協定きょうていうらで、トヨタこうひそかにチューンした「うらワークスマシン」を投入とうにゅうして出場しゅつじょう3クラスを制覇せいはした。その成績せいせき大々的だいだいてき宣伝せんでんしたことがプリンスなどメーカーを刺激しげきし、ワークス対決たいけつのきっかけとなる。

市販しはんしゃベースのレースでは、2000GT1600GTS800活躍かつやくした。1966ねん鈴鹿すずか1000kmレースではだいの2000GTでワンツーフィニッシュ、翌年よくねん鈴鹿すずか500kmレースで優勝ゆうしょう、1967ねん富士ふじ24あいだレースではスポーツ800とともに3だいそろってデイトナフィニッシュする完勝かんしょうおさめた。1600GTのプロトタイプは「RTX」のこうワークスが使用しようし、ツーリングカーの公認こうにんてからはプライベーターにも愛用あいようされ、日産にっさんスカイライン2000GT牙城がじょうくずした。

1970年代ねんだいカローラ / スプリンターセリカスターレットなどが活躍かつやく。ワークス活動かつどう休止きゅうしはプライベーターに放出ほうしゅつされ、マイナーツーリングレースで激戦げきせん展開てんかいした。

グループAのJTC(全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけん)では、ディヴィジョン1にA70けいスープラ、ディヴィジョン3にカローラシリーズが投入とうにゅうされた。ディヴィジョン3のAE86やカローラFXは総合そうごう優勝ゆうしょうたすという快挙かいきょ達成たっせいしたが、ホンダ・シビック台頭たいとうすると劣勢れっせいとなった。どう時期じきイギリスツーリングカー選手権せんしゅけん(BTCC)では1982・1986・1987ねんにカローラGT(AE86)がドライバーズ王者おうじゃマシンになった。

スーパーツーリング規定きていでは全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけん (JTCC) とBTCCに参戦さんせん初年度しょねんどBMW欧州おうしゅうからおくんできたワークスのシュニッツァーと一騎打いっきうちのすえ関谷せきや正徳まさのりがドライバーズタイトルを獲得かくとくした。以降いこう劣勢れっせいとなったが、最終さいしゅうねんワークスの撤退てったいによりトヨタの実質じっしつワンメイクとなった。BTCCではトムスGBがインディペンデントクラスチャンピオンを獲得かくとくしたが、ワークスによる総合そうごうチャンピオンはたせなかった。

1994ねん平成へいせい6ねんだい4せんからは全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん(JGTC:げんSUPER GT)に参戦さんせん。GT500クラスでは2005ねんまでスープラで4かい、2006 - 2013ねんレクサスSCで3かい、2014 - 2016ねんRC Fで1かい、2017 - 2019ねんLC500で2かい、2020ねん〜はGRスープラで1かいドライバーズチャンピオンを獲得かくとくしている。

GT300クラスにもレクサスISMR-S参戦さんせん、MR-Sではapr運用うんようにより3かいのドライバーのドライバーズタイトルを獲得かくとくした。2009ねんからはカローラアクシオ、2012ねんよりプリウス車両しゃりょうわっている。また2015ねんよりLM corsaによってRC F GT3参戦さんせんしている。aprはプリウスのコンポーネントを流用りゅうようして2020ねん以降いこうGRスープラやGR86の開発かいはつチームへの供給きょうきゅうおこなっている。

2017ねんからはレクサス RC-F GT3で海外かいがいにも戦場せんじょうもとはじめており、IMSAのGTDクラスと欧州おうしゅうのGTオープンにセミワークス参戦さんせん開始かいし。2018ねんにIMSAおよびブランパン耐久たいきゅうはつ優勝ゆうしょうげた。欧州おうしゅうは2020ねん撤退てったいした。

スーパー耐久たいきゅうでは車両しゃりょう開発かいはつ名目めいもくに、豊田とよだ章男あきお会長かいちょうのプライベートチームであるROOKIE RacingがGRヤリスやGR86、水素すいそエンジンのGRカローラを投入とうにゅうしている。

2019ねんにTGR GBがBTCCにカローラスポーツを、2020ねんにTGRブラジルがストックカー・ブラジルにカローラを、2022ねんにTGRアルゼンチーナがTCRにカローラを投入とうにゅうするなど、各国かっこく法人ほうじんによるツーリングカーレース活動かつどうさかんにおこなわれている。

2007ねんトラックシリーズのタンドラ
2017ねんカムリのカップカー
2021ねんエクスフィニティのGRスープラ

2000ねん平成へいせい12ねん)、アメリカのストックカーレースであるNASCARのグッディーズダッシュシリーズにV6エンジンのセリカで参戦さんせんしたのが最初さいしょである。2001ねん、2002ねん総合そうごう2になったのち、2003ねんにははじめてNASCARの主催しゅさいするシリーズでドライバーズタイトルを獲得かくとくした。

2004ねん平成へいせい16ねん)にはNASCARさんだいシリーズのひとつであるクラフツマントラックシリーズ(げんキャンピング・ワールド・トラック・シリーズ)にタンドラでステップアップ。さんねん2006ねん平成へいせい18ねん)にはドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得かくとく。その2017ねんいたるまでとうシリーズでもっともマニュファクチャラーズタイトル獲得かくとくすうおおいメーカーとなって猛威もういるっている。

トヨタ北米ほくべい進出しんしゅつ50周年しゅうねんでもある2007ねんには、最高峰さいこうほうにあたるネクステルカップシリーズ(げんモンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ)とブッシュシリーズ(げんエクスフィニティ・シリーズ)へカムリでデビュー。翌年よくねんだい4せんアトランタで、外国がいこくしゃメーカーとしては1954ねん昭和しょうわ29ねん)のジャガー以来いらい日本にっぽんしゃメーカーとしてははつとなる最高峰さいこうほうカテゴリーでの優勝ゆうしょうたした。

2015ねんにはカムリをカイル・ブッシュ骨折こっせつにより開幕かいまくせんから11せんまで欠場けつじょうという絶望ぜつぼうてき状況じょうきょうだい逆転ぎゃくてんし、日本にっぽんしゃはつ最高峰さいこうほうでのドライバーズタイトルをもたらした。2016ねんにはデニー・ハムリンがやはり日本にっぽんしゃはつとなるデイトナ500優勝ゆうしょう、シリーズでも日本にっぽんしゃはつ(アメリカ以外いがい自動車じどうしゃメーカーとしてもはつ)のマニュファクチャラーズタイトルを獲得かくとくした。なお2016ねんエクスフィニティ・シリーズでドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキー、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズでもマニュファクチャラー・オーナー・ルーキータイトルを獲得かくとくしており、さんだいシリーズせんのマニュファクチャラー部門ぶもんすべてをトヨタがせいだい成功せいこうとしとなった[31]。また同年どうねんトヨタのマーティン・トゥーレックス・ジュニアコカ・コーラ600ぜん400しゅうちゅう392しゅう、588マイルというリードラップ最長さいちょう記録きろく達成たっせいしている[32]

2017ねんはシーズン前半ぜんはん苦労くろうしたが、後半こうはんからトゥーレックス・ジュニアとブッシュが2人ふたりで13しょう(トヨタ全体ぜんたいでは19しょう)をげる活躍かつやくせた。最終さいしゅうせんではトゥーレックス・ジュニアが優勝ゆうしょうし、ドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキーのよんかん同時どうじ達成たっせいした。

2020ねんから、エクスフィニティ・シリーズのカムリがGRスープラへ変更へんこうされた。

そののアメリカンモータースポーツ

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2007ねんソアラのファニーカー
パイクスピークをせいしたタコマ

ドラッグカー最大さいだいのシリーズであるNHRAに2002ねんからTRD USAの開発かいはつしたセリカベースのマシンで、ファニーカークラスから参戦さんせん開始かいし。2004ねんはつ勝利しょうりげ、2008ねんソアラ、2015ねんカムリでクラスタイトルを獲得かくとくした。最高峰さいこうほうのトップフューエルクラスにはマルコ・ツールズとジョイントして2010ねん転向てんこう、そのとしにタイトルを獲得かくとく。その2011ねん・2012・2015・2016ねんにもドライバーズタイトルをちとった[33]

パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにも参戦さんせんしており、TRD USAが開発かいはつしたセリカGT AWDターボをロッド・ミレンがドライブし、1994・1996・1997ねん総合そうごう優勝ゆうしょう。1998 - 1999ねんタコマにマシンをえてこれも連覇れんぱ合計ごうけい5総合そうごう優勝ゆうしょうげている。なお1994ねんのコースレコードは、2007ねんやぶられるまで最速さいそくタイムであった。2012ねんにもTMGの開発かいはつしたEVユニットを搭載とうさいした『EV P002』[34]哀川あいかわしょうひきいるチームのもと参戦さんせんし、EVクラス優勝ゆうしょう総合そうごう6)をたし、コースレコードも樹立じゅりつした[35]

フォーミュラ・ドリフトでは若者わかもの北米ほくべい限定げんていブランドサイオンのチーム『サイオン・レーシング』を組織そしきして2008ねんから参戦さんせん。マシン開発かいはつおよ具志堅ぐしけん士郎しろうらの支援しえんをして、4のマニュファクチャラーズカップを獲得かくとくした[36]。サイオンブランドが廃止はいしになって以降いこうもトヨタ・レーシング名義めいぎ参戦さんせんしている。 日本にっぽんD1グランプリではワークスではかかわってはいないが、OTGモータースポーツは2013ねんから86にTRD USAせいのNASCARのV8エンジンを搭載とうさいしている。

ダートオーバルにも参画さんかくしており、2006ねんからUSACの主催しゅさいするミジェットカー・スプリントカーレースにエンジンを供給きょうきゅうしている[37]

e-Motorsports

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2018ねん11月にはつ開催かいさいされただい1かいグランツーリスモ選手権せんしゅけんマニュファクチャラーシリーズに参戦さんせんし、レクサスとトヨタで1-2フィニッシュをかざった。

2019ねんにTOYOTA GAZOO Racingはe-Motorsportsに本格ほんかくてき参入さんにゅうすることを表明ひょうめいし、手始てはじめにグランツーリスモSPORTとの協力きょうりょくにより、新型しんがたGRスープラをもちいたe-Sportのワンメイクレース『GR SUPRA GT Cup』を開催かいさいするとしている[38]

普及ふきゅう活動かつどう

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フォーミュラ・トヨタ(タンデム仕様しよう
豊田とよだ章男あきお社長しゃちょうみずからラリーチャレンジに参戦さんせん(2012ねん

アマチュアおよびモータースポーツ入門にゅうもんしゃけのカテゴリとして、だい規模きぼワンメイクレース運営うんえいおこなっている。1981ねんには国内こくないはつのワンメイクレースとして「スターレット・グランドカップ」を創設そうせつ2000ねんにはこれをいで、ヴィッツアルテッツァ参加さんかする「ネッツカップ」を開催かいさい。ヴィッツレースは趣味しゅみ参加さんかできる「ナンバー車両しゃりょうレース」として人気にんきはくした。のち車種しゃしゅめいヤリス変更へんこうになったことにともない、2021ねんからはレースめいを「ヤリスカップ」とあらため、2022ねん現在げんざい継続けいぞく開催かいさいされている。

2013ねんには86およスバル・BRZによってあらそわれる「GAZOO Racing 86/BRZ Race」もスタートさせ、多数たすうのプロドライバーやタイヤメーカーが参入さんにゅうする一大いちだいカテゴリに成長せいちょうしている。

フォーミュラカーでは1991ねん平成へいせい3ねん)より2007ねん平成へいせい19ねん)までジュニア・フォーミュラシリーズとしてフォーミュラ・トヨタ主催しゅさい2006ねん平成へいせい18ねん) - 2013ねん平成へいせい25ねん)には日産にっさんホンダ共同きょうどうフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)を運営うんえいしていた。また若手わかてレーシングドライバー育成いくせいプロジェクトとしてフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)やトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)を運営うんえい中嶋なかじま一貴かずたか小林こばやしゆめえらをF1ドライバーとしてデビューさせた。また2004ねんからニュージーランドで、若手わかて育成いくせいのためにF3相当そうとうトヨタレーシングシリーズ開催かいさいし、ブレンドン・ハートレイアール・バンバーニック・キャシディらを輩出はいしゅつしている。

またラリーでも2000ねんから、ワンデイ開催かいさい初心者しょしんしゃけラリーシリーズである「ラリーチャレンジ」を自動車じどうしゃメーカーで唯一ゆいいつ開催かいさいしている。2015ねんWRC復帰ふっき発表はっぴょうしたのちはWRCのための育成いくせいプログラムをげ、全日本ぜんにほんラリー選手権せんしゅけん王者おうじゃ息子むすこ勝田かつたたかもと新井あらい大輝だいきコ・ドライバー王者おうじゃ足立あだちさやか欧州おうしゅう修行しゅぎょうさせている。

豊田とよだ章男あきお社長しゃちょうになって以降いこうとくにモータースポーツを広報こうほう活動かつどう積極せっきょくてきもちいており、地上波ちじょうはでTOYOTA GAZOO RACINGのCMがながれることが一般いっぱんてきになった。豊田とよだ自身じしんも「モリゾウ」名義めいぎでGRラリーチャレンジや新城しんじょうラリーに参戦さんせんしてファンと交流こうりゅうしたり、TV番組ばんぐみやトークショーにも出演しゅつえんしてモータースポーツをアピールするなど、かおえる経営けいえいしゃとしてられる。またJスポーツ提携ていけいして、GAZOO RACINGのホームページじょうル・マン24あいだニュルブルクリンク24あいだレース無料むりょうライブ配信はいしんしている。トヨタのオウンドメディアであるトヨタイムズでも、モータースポーツがげられることがおおい。

社員しゃいん研修けんしゅうにモータースポーツをもちいることにも熱心ねっしんで、全日本ぜんにほんラリー選手権せんしゅけんりすぐったメカニックたちで組織そしきした「凄腕すごうで技能ぎのう養成ようせい」をおくんだり、5大陸たいりく走破そうはプロジェクトで社員しゃいんにステアリングをにぎらせて様々さまざまみち経験けいけんさせている。

年表ねんぴょう

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  • 1957ねん - オーストラリア1しゅうラリーにクラウン出場しゅつじょうし、総合そうごう47完走かんそう(外国がいこくしょう3)。
  • 1958ねん - だいいちかい日本にっぽん一周いっしゅう読売よみうりラリー優勝ゆうしょう
  • 1963ねん - だい1かい日本にっぽんグランプリのC部門ぶもん(ツーリングカー)3クラス制覇せいは
  • 1964ねん - トヨタこうのモータースポーツ開発かいはつ部門ぶもんとしてだい7技術ぎじゅつ通称つうしょう「ナナギ」)を設立せつりつ
  • 1965ねん - 富士ふじスピードウェイ完成かんせい
  • 1966ねん - トヨタこうけいワークス・チームとして「チーム・トヨタ」を設立せつりつ2000GTスピードトライアルによる、3種目しゅもく世界せかい記録きろく、13種目しゅもく国際こくさい記録きろく達成たっせい。2000GTで鈴鹿すずか1000kmはつ優勝ゆうしょう
  • 1967ねん - 2000GTでだいいちかい富士ふじ24あいだレース優勝ゆうしょう
  • 1968ねん - 2000GTでSCCA参戦さんせんセリカ1600GTラリー・モンテカルロはつ参戦さんせんスポーツプロトタイプトヨタ・7開発かいはつ
  • 1969ねん - (日本にっぽんCan-AM)で川合かわいみのる優勝ゆうしょう
  • 1970ねん - 日本にっぽんグランプリへの出場しゅつじょう中止ちゅうし。トヨタ・7のテストちゅう川合かわいみのる事故死じこしし、北米ほくべいのCan-AMシリーズ参戦さんせん計画けいかく中止ちゅうし
  • 1971ねん - ワークス活動かつどう統合とうごうし、トヨタ・モータースポーツ・クラブ (TMSC) が運営うんえいするTMSC-Rを支援しえん
  • 1972ねん - オベ・アンダーソンひきいるラリーチーム、アンダーソン・モータースポーツに支援しえん開始かいしRACラリーでクラス優勝ゆうしょう。マカオGPプロダクションカークラスに見崎みさき清志きよしがセリカ1600GTで参戦さんせん日本人にっぽんじんはつ優勝ゆうしょう
  • 1973ねん - カローラ1600でプレスオンリガードレスラリーに参戦さんせんトヨタはつのWRC優勝ゆうしょうニュルブルクリンク6あいだレースにてセリカ1600GTが総合そうごう6、クラス優勝ゆうしょうスパ・フランコルシャン24あいだレースにもセリカ1600GTが参戦さんせん総合そうごう9、クラス優勝ゆうしょう
  • 1974ねん - オイルショック影響えいきょう本社ほんしゃのモータースポーツ活動かつどう休止きゅうし。イタリアのノバしゃ欧州おうしゅう各国かっこくのF3にトヨタエンジンを供給きょうきゅう開始かいし、F3かい席巻せっけんする。
  • 1975ねん - 世界せかいラリー選手権せんしゅけん (WRC)に参戦さんせんするアンダーソン・モータースポーツを「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」として公認こうにん1000ラリーでTTEとしてのWRCはつ勝利しょうり特殊とくしゅ開発かいはつ解散かいさん
  • 1976ねん - トヨペットサービスセンターのトスコ・デポによりTRDブランドの展開てんかいはじまる。
  • 1979ねん - アメリカのレース拠点きょてんとしてTRD-USAを設立せつりつだい1かい全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけんチャンピオンエンジンとなる。
  • 1981ねん - 本社ほんしゃによるモータースポーツ活動かつどう再開さいかい。IMSAにGTUクラスからセリカではつ参戦さんせん
  • 1982ねん - トムス、童夢どうむ提携ていけいし、WEC-JAPAN国産こくさんはつのグループCカーであるトムス童夢どうむ・セリカC参戦さんせんイギリスツーリングカー選手権せんしゅけん(BTCC)でカローラるウィン・パーシーがドライバーズタイトルを獲得かくとく
  • 1983ねん - 全日本ぜんにほん耐久たいきゅう選手権せんしゅけん参戦さんせん開始かいし。F3規格きかく導入どうにゅうはつとなるマカオグランプリで、アイルトン・セナとともに優勝ゆうしょうエンジンとなる(表彰台ひょうしょうだい独占どくせん)。米国べいこくラリーレイド選手権せんしゅけんのSCOREに参戦さんせん、メーカー&ドライバーズチャンピオン獲得かくとく
  • 1984ねん - WRCサファリラリーはつ優勝ゆうしょうし、1987ねんまで3連覇れんぱ。トスコ・デポ自体じたいをTRDに改名かいめい
  • 1985ねん - ル・マン24あいだレース参戦さんせん開始かいし
  • 1987ねん - セリカでIMSA GTOクラスタイトルを獲得かくとく
  • 1988ねん - WRCにセリカGT-FOUR投入とうにゅう。IMSA GTPクラスにステップアップ。
  • 1989ねん - トヨタ自動車とよたじどうしゃモータースポーツ設立せつりつ世界せかいスポーツプロトタイプカー選手権せんしゅけん (WSPC) に参戦さんせん開始かいし
  • 1990ねん - カルロス・サインツがセリカで日本にっぽんしゃはつのWRCドライバーズタイトルを獲得かくとく
  • 1991ねん - フォーミュラ・トヨタ創設そうせつ。BTCCにワークス参戦さんせん開始かいしはつ開催かいさいバサースト12あいだレーススープラ総合そうごう優勝ゆうしょう
  • 1992ねん - 度目どめのWRCドライバーズタイトル獲得かくとくIMSA GTP総合そうごうチャンピオン獲得かくとくセブリング12あいだレース制覇せいは。SWCモンツァで小河おがわひとし優勝ゆうしょう。ル・マン最高さいこう総合そうごう2
  • 1993ねん - ドライバーズタイトルにくわえ、WRCで日本にっぽんしゃはつのマニュファクチャラーズタイトル獲得かくとくデイトナ24あいだレース制覇せいは。セブリング12あいだ、IMSA-GTPを全勝ぜんしょう連覇れんぱ日本にっぽんしゃはつバハ1000制覇せいは。アンダーソン・モータースポーツを子会社こがいしゃし、トヨタ・モータースポーツ有限ゆうげん会社かいしゃ (TMG) へ改称かいしょう(チームめいはTTEで継続けいぞく)。
  • 1994ねん - WRCドライバーズ・マニュファクチャラーズタイトル連覇れんぱロッド・ミレンのドライブにより、セリカはつパイクスピーク・ヒルクライム総合そうごう優勝ゆうしょう全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけん (JTCC) および全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん (JGTC) に参戦さんせん開始かいし、JTCCで関谷せきや正徳まさのりによりドライバーズタイトル獲得かくとく
  • 1995ねん - オール・アメリカン・レーサーズ (AAR) とみ、CARTへエンジン供給きょうきゅう開始かいし。WRCにて車両しゃりょう規定きてい違反いはんにより選手権せんしゅけんから除外じょがい。1996ねん出場しゅつじょう停止ていし、1997ねん終盤しゅうばんまで活動かつどう自粛じしゅく藤本ふじもと吉郎よしろう日本人にっぽんじんはつサファリラリー総合そうごう優勝ゆうしょうトヨタ車体とよたしゃたいのチームランドクルーザー市販しはんしゃ改造かいぞうディーゼル部門ぶもんからパリ・ダカールラリーはつ挑戦ちょうせん。フォーミュラー・トヨタ・レーシング・スクール(FTRS)発足ほっそく。BTCCからワークス撤退てったい
  • 1996ねん - ロッド・ミレンのドライブによりセリカでパイクスピーク・ヒルクライム制覇せいは以降いこう1999ねんまでトヨタしゃが4連覇れんぱ
  • 1997ねん - JGTCのGT500クラスではつのドライバーズ・チームズタイトル獲得かくとく。WRC終盤しゅうばんにスポット参戦さんせんトムストム・コロネルが、トヨタエンジンはつマスターズF3勝利しょうり
  • 1998ねん - WRCに完全かんぜん復帰ふっき。ル・マン24あいだレースに復帰ふっき。バハ1000制覇せいは
  • 1999ねん - F1参戦さんせん表明ひょうめいし、WRCとル・マンから撤退てったい表明ひょうめい。3度目どめのWRCマニュファクチャラーズタイトル獲得かくとく
  • 2000ねん - 富士ふじスピードウェイ買収ばいしゅう。CARTでエンジンマニュファクチャラーとしてはつ勝利しょうりNASCAR参戦さんせん開始かいしネッツカップ・ヴィッツレース開幕かいまく
  • 2002ねん - F1世界せかい選手権せんしゅけん参戦さんせん開始かいしCARTのドライバーズ・エンジンマニュファクチャラータイトル制覇せいは。アルゼンチンTC2000ではつのドライバーズ・チームズタイトル獲得かくとく
  • 2003ねん - CARTからインディ・レーシング・リーグ (IRL) へ転向てんこうジル・ド・フェランペンスキー)がインディ500優勝ゆうしょうスコット・ディクソンチップ・ガナッシ)がIRLシリーズチャンピオンを獲得かくとく。ロバート・ハフマンのドライブによりNASCARグッディーズ・ダッシュシリーズにてドライバーズタイトルを獲得かくとく
  • 2005ねん - IRLから撤退てったい。F1だいせんマレーシアではつ表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく。JGTCをいで誕生たんじょうしたスーパーGTで、初代しょだいGT500ドライバーズ王者おうじゃとなる。レクサス・RX400hニュルブルクリンク24あいだレース参戦さんせん。TDAとFTRSの育成いくせいプログラムの活動かつどう一元化いちげんかし、トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)と改称かいしょう
  • 2006ねん - NASCARのさんだいシリーズせんひとつ、クラフツマントラックシリーズはつのドライバーズ・マニュファクチャラーズタイトル獲得かくとく。エンジン供給きょうきゅうかたちでデイトナ24あいだ制覇せいは以降いこう2008ねんまで3連覇れんぱ)。国内こくないトップフォーミュラにはじめてエンジン供給きょうきゅう開始かいし初年度しょねんどでドライバーズ・チームズタイトル獲得かくとく以降いこう2008ねんまで3連覇れんぱスーパーGT・GT500の参戦さんせんブランドをレクサスに変更へんこう、ドライバーズ・チームズタイトルを獲得かくとく
  • 2007ねん - 富士ふじスピードウェイにてF1日本にっぽんGP開催かいさい観客かんきゃく輸送ゆそうなどの運営うんえい方法ほうほう問題もんだいとなる。Team GAZOOとしてはじめてニュル24あいだ参戦さんせん。ハイブリッドカーのスープラ十勝とかち24あいだレース制覇せいは
  • 2008ねん - トムス国本くにもときょうたすくマカオGP制覇せいはソアラでNHRAファニーカークラスタイトルはつ獲得かくとく
  • 2009ねん - シーズン終了しゅうりょうにF1から電撃でんげき撤退てったいカムリカイル・ブッシュによりNASCARさんだいシリーズのひとつ、ネイションワイド・シリーズにてはつのドライバーズ・マニュファクチャラーズタイトル獲得かくとく
  • 2012ねん - WECハイブリッドマシンTS030 HYBRID参戦さんせん。VLN(ニュル耐久たいきゅうシリーズ)にてアストンマーティンCEOと豊田とよだ章男あきお社長しゃちょうのコラボレーションが実現じつげん。WEC富士ふじ中嶋なかじま一貴かずたか小河おごとう以来いらいのスポーツカー世界せかい選手権せんしゅけん優勝ゆうしょうダカール・ラリー改造かいぞうしゃクラスに参戦さんせん開始かいし
  • 2013ねん - スーパーフォーミュラでトヨタエンジンしゃ初代しょだいチームタイトル獲得かくとく以降いこう2016ねんまでどう部門ぶもん4連覇れんぱ
  • 2014ねん - WECのドライバーズ・マニュファクチャラーズタイトル獲得かくとく。ニュル24あいだレースで3クラス制覇せいは中嶋なかじま一貴かずたかがル・マンで日本人にっぽんじんはつPP獲得かくとく。シリーズとしての86/BRZレースはつ開催かいさい。スーパーフォーミュラではつのドライバーズタイトル獲得かくとく、2016ねんまで3連覇れんぱ
  • 2015ねん - レース活動かつどうを「GAZOO Racing」のした一本いっぽんカムリカイル・ブッシュにより、NASCARの最高峰さいこうほうであるスプリントカップはつのドライバーズタイトル獲得かくとく凄腕すごうで技能ぎのう養成ようせい発足ほっそく
  • 2016ねん - デニー・ハムリンのドライブするカムリデイトナ500制覇せいはNASCAR・スプリントカップにてはつのマニュファクチャラーズタイトル獲得かくとく同年どうねんのNASCARさんだいシリーズすべてでマニュファクチャラーズタイトル制覇せいはナッサー・アル=アティヤがトヨタSAの支援しえんするハイラックスをドライブしてFIAクロスカントリーラリー・ワールドカップでドライバーズタイトル獲得かくとく
  • 2017ねん - GRカンパニー創設そうせつトミ・マキネン・レーシングとともにWRC復帰ふっき、2しょうげる。ル・マンで小林こばやしゆめえらがコースレコードでPP獲得かくとく北米ほくべいARAラリー選手権せんしゅけんでロッド・ミレンの息子むすこライアンのドライブでRAV4りん駆動くどう部門ぶもんクラスタイトル獲得かくとく。NASCARカップせんマーティン・トゥルーエクスJr.によりドライバーズ・マニュファクチャラーズかん獲得かくとく
  • 2018ねん - ル・マン24あいだをポールトゥウィンではつ制覇せいは。WRCで4度目どめのマニュファクチャラーズタイトルと通算つうさん50しょう達成たっせいだい1かいグランツーリスモ選手権せんしゅけんマニュファクチャラーシリーズ優勝ゆうしょう
  • 2019ねん - ダカール・ラリーでアル=アティヤがトヨタはつ総合そうごう優勝ゆうしょう。2度目どめのデイトナ500制覇せいは

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 2014ねん トヨタ モータースポーツ活動かつどう発表はっぴょうかい 豊田とよだ章男あきお社長しゃちょうプレゼンテーション”. TOYOTA GAZOO Racing. トヨタ自動車とよたじどうしゃ (2014ねん). 2017ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ 豊田とよだ章男あきおあいしたテストドライバー』稲泉いないずみれん 2016ねん3がつ7にち 小学館しょうがくかん刊行かんこう
  3. ^ 整備せいびおこな横浜よこはま工場こうじょう現在げんざいトヨタテクノクラフト横浜よこはま本社ほんしゃ)が神奈川かながわけん横浜よこはま港北こうほく綱島つなしまにあったことからこうばれる。
  4. ^ “トヨタ、富士ふじスピードウェイでのF1開催かいさい撤退てったい検討けんとう. F1-Gate.com. (2009ねん5がつ29にち). http://f1-gate.com/toyota/f1_3709.html 2012ねん3がつ22にち閲覧えつらん 
  5. ^ トヨタ自動車とよたじどうしゃ、2014ねんのモータースポーツ活動かつどうおよび支援しえん計画けいかく発表はっぴょう - トヨタ自動車とよたじどうしゃ・2014ねん1がつ30にち
  6. ^ トヨタ自動車とよたじどうしゃ、GAZOO Racingによるモータースポーツ活動かつどう強化きょうか発表はっぴょう - トヨタ自動車とよたじどうしゃ・2015ねん4がつ9にち
  7. ^ 豊田とよだ章男あきお社長しゃちょうはマキネンに“成瀬なるせさん”を
  8. ^ スーパーフォーミュラ 2015ねん だい7せん最終さいしゅうせん鈴鹿すずか エンジニアレポート
  9. ^ テレ朝てれあさPOST
  10. ^ モータースポーツ事業じぎょう”. 事業じぎょう案内あんない. トヨタカスタマイジング&ディベロップメント. 2024ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  11. ^ 2008ねんNASCAR特集とくしゅう だい14かい トヨタのNASCAR最前線さいぜんせん基地きち TRD Competition Drive”. TOYOTA MOTOR SPORTS. 2012ねん3がつ22にち閲覧えつらん
  12. ^ 【NASCAR】新型しんがたカムリがベースの最新さいしんNASCAR発表はっぴょう。TRDら共同きょうどう開発かいはつ
  13. ^ タイにTRDブランド商品しょうひん企画きかく開発かいはつ中心ちゅうしんとしたしん会社かいしゃ設立せつりつ”. トヨタテクノクラフト株式会社かぶしきがいしゃ (2007ねん1がつ25にち). 2017ねん12月2にち閲覧えつらん
  14. ^ TOYOTA GAZOO Racing Europe GmbH” (英語えいご・ドイツ). 2024ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  15. ^ ちち会社かいしゃ最先端さいせんたん、どころかときまってた」伝説でんせつのエンジンチューナーの息子むすこちち会社かいしゃ改革かいかく
  16. ^ 尾川おがわ自動車じどうしゃ歴史れきし
  17. ^ トヨタ自動車とよたじどうしゃ、2015ねんのモータースポーツ活動かつどうおよび支援しえん計画けいかく発表はっぴょう トヨタ自動車とよたじどうしゃ公式こうしきニュースリリース 2015ねん1がつ30にち
  18. ^ TRD Heritage Timeline
  19. ^ TEAM LAND CRUISER TOYOTA AUTO BODY
  20. ^ AL-ATTIYAH WINS POLAND BAJA
  21. ^ Al-Attiyah powers to fourth world cross-country title
  22. ^ 歴代れきだい日本人にっぽんじん出場しゅつじょうしゃ
  23. ^ Toyota’s Dakar challenge
  24. ^ ダカールラリー2017にかんする豊田とよだ社長しゃちょうのコメント
  25. ^ 大串おおぐししん、2022ねん、「BEHIND-THE-SCENES STORY DOME-TOYOTA Hybrid Le Mans Project ついえた「オールジャパン体制たいせい」」、『オートスポーツ』(2023ねん2がつごう(No.1580))、三栄書房さんえいしょぼう pp. 76-81
  26. ^ 【ル・マン24あいだ 2018】トヨタ、悲願ひがんのル・マン24あいだレースはつ制覇せいは。2だいが1-2フィニッシュ Car watch 2018ねん6がつ18にち
  27. ^ モータースポーツジャパン2009レポート
  28. ^ a b トヨタ自動車とよたじどうしゃ75ねん モータースポーツ活動かつどう変遷へんせん
  29. ^ ニュルブルクリンクへの挑戦ちょうせん 2007 - TOYOTA GAZOO Racing
  30. ^ アイルトン・セナとトヨタエンジン
  31. ^ TOYOTA GAZOO Racing NASCARホームステッド レースレポート
  32. ^ 2016 Coca-Cola 600”. Racing-Reference. USA Today Sports Media Group. May 20, 2017閲覧えつらん
  33. ^ TRD NHRA
  34. ^ TMG@ポール・リカール マシン紹介しょうかいへん”. TEAM SHOW (2012ねん5がつ31にち). 2012ねん9がつ17にち閲覧えつらん
  35. ^ “「パイクスピーク」で、トヨタのEVレースカーにやつ田原たはら文雄ふみお選手せんしゅが、EVクラス優勝ゆうしょう!”. autoblog 日本語にほんごばん. (2012ねん8がつ14にち). http://jp.autoblog.com/2012/08/13/2012-pikes-peak-hill-climb/ 2012ねん9がつ17にち閲覧えつらん 
  36. ^ Toyota Claims Formula Drift Manufacturer Title, Three Race Victories
  37. ^ Toyota to expand engine program
  38. ^ TOYOTA GAZOO Racingがeモータースポーツへ本格ほんかく参入さんにゅう 2019ねんプレスリリース 2019ねん3がつ15にち

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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