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タミルじん

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タミルぞくから転送てんそう
タミルじん

(77,000,000  [1])
居住きょじゅう地域ちいき
インドの旗 インド60,793,814 (2001)[2]
スリランカの旗 スリランカ3,092,676 (2001)[3]
マレーシアの旗 マレーシア1,392,000 (2000)[4]
言語げんご
タミル
宗教しゅうきょう
ヒンドゥーきょう 88%, キリスト教きりすときょう 6%, イスラーム 5.5%(タミル・ナードゥしゅうでの調査ちょうさ結果けっか[5]
関連かんれんする民族みんぞく
ドラヴィダじん · テルグじん英語えいごばん  · カンナダじん英語えいごばん · トゥルじん英語えいごばん  · マラヤーリ  · ギラーヴァルじん英語えいごばん[6] · シンハラじん[7]
インドのチダンバラム英語えいごばんにあるティッライ・ナタラージャ寺院じいん英語えいごばん。タミルのおうたち芸術げいじゅつのパトロンとなり、おおくの寺院じいんてた

タミルじん(タミルじん、英語えいご:Tamil、タミル:தமிழர்)は、おもみなみインドタミル・ナードゥしゅうスリランカ北部ほくぶ東部とうぶみ、タミルはなドラヴィダけい民族みんぞく。タミルはなすことにくわえて、タミル氏族しぞくまれた人々ひとびとを、タミルじんなす場合ばあいもある[8]

概要がいよう[編集へんしゅう]

インドにはやく6000まんにん[2]スリランカには300まんにん居住きょじゅうする[3]移民いみんとしては、マレーシアミャンマーシンガポールアフリカ東部とうぶ南部なんぶモーリシャスフィジーイギリスアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおり、そう人口じんこうは7000まんにんえる。

宗教しゅうきょうは、ヒンドゥーきょうジャイナきょうイスラームきょうキリスト教きりすときょうなどで、言語げんごはタミルであり、これはドラヴィダ語族ごぞくぞくするとされる。ドラヴィダ語族ごぞくとは、19世紀せいき後半こうはん言語げんごがく発展はってんながれのなかで、1856ねん言語げんご学者がくしゃロバート・コールドウェル提唱ていしょうした学説がくせつで、おもみなみインドの4つのしゅう使つかわれている言語げんごである。ドラヴィダ諸語しょごは24以上いじょうあるが、固有こゆう文字もじ言語げんごは、タミルほかには、カンナダマラヤーラムテルグで、各々おのおのカルナータカしゅうケーララしゅうアーンドラ・プラデーシュしゅう使用しようされている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

タミル最古さいこ碑文ひぶん紀元前きげんぜん3世紀せいきさかのぼる。紀元きげん前後ぜんこうから3世紀せいきにかけてはマドゥライ宮廷きゅうていさかえた文学ぶんがく作品さくひんで「サンガム文学ぶんがく」と総称そうしょうされるタミル文献ぶんけんのこり、アーリヤ文化ぶんか影響えいきょうはほとんどられない。紀元前きげんぜん4世紀せいきにマドゥライでパーンディヤあさ、ケーララにチェーラあさなどの王国おうこく成立せいりつした。4世紀せいき以降いこうは、きたインドからジャイナきょう仏教ぶっきょうなどが浸透しんとうし、箴言しんげんティルックラル』や、叙事詩じょじしの『シラッパディハーラム英語えいごばん』『マニメーハライ英語えいごばん』などの文学ぶんがく作品さくひん成立せいりつした。6世紀せいきにはカーンチプラム中心ちゅうしんとしたパッラヴァあさ成立せいりつし、ヒンドゥーきょう影響えいきょうつよまる。6-9世紀せいきにかけてシヴァヴィシュヌ両派りょうは宗教しゅうきょう詩人しじん登場とうじょうし、バクティ信愛しんあい)とばれる究極きゅうきょくかみへの信仰しんこうひろまった。一方いっぽうどう時期じきには交易こうえきつうじてイスラームきょう浸透しんとうはじめた。9~13世紀せいきにはチョーラあささかえて勢力せいりょく拡大かくだいし、スリランカ東南とうなんアジア進出しんしゅつして、各地かくち巨大きょだい寺院じいん造営ぞうえいされ、現在げんざいのタミルじんおお信仰しんこうするムルガンマーリ・アンマン英語えいごばんなどのかみ観念かんねん明確めいかくされてきた。14世紀せいき以降いこうにはヴィジャヤナガルあさ成立せいりつして、テルグじん英語えいごばんによる統治とうちおこなわれた。

イギリスによる植民しょくみん支配しはいは、1639ねんマドラスげんチェンナイ)にひじりジョージ要塞ようさいつくられて以降いこうで、1801ねんから1947ねんまでは完全かんぜん支配しはいかれた。20世紀せいきには、言語げんごがく進展しんてん古代こだいタミル文学ぶんがく発掘はっくつにより、きたインドアーリヤじんたいみなみインドのドラヴィダじんという構図こうずつくげられ、タミル民族みんぞく主義しゅぎ中核ちゅうかくとするドラヴィダ復興ふっこう運動うんどうによって、タミルじん独自どくじせい強調きょうちょうされ、きたへの対抗たいこう意識いしき高揚こうようした。

政治せいじうごきとしては、1949ねんドラヴィダ進歩しんぽ同盟どうめい (DMK) が成立せいりつし、社会しゃかい構成こうせい多数たすうジャーティによる階層かいそうせい(いわゆるカースト)からなるが、土地とち所有しょゆうしゃとしてのヴェッラーラが有力ゆうりょくである。基本きほんてきには父系ふけいせいをとり、交差こうさイトコこんちち姉妹しまいもしくははは兄弟きょうだいとの結婚けっこん)をこの傾向けいこうがある。結婚けっこんさいしてはこん必要ひつようだが、女性じょせい財産ざいさんけん確保かくほされており、きたインドほどは女性じょせい地位ちいひくくない。

地理ちりてき分布ぶんぷ[編集へんしゅう]

インド・タミル[編集へんしゅう]

タミルじん大半たいはんみなみインドのタミル・ナードゥしゅう居住きょじゅうしている。また、隣接りんせつするポンディシェリ連邦れんぽう直轄ちょっかつりょうにおいても多数たすうめる。ベンガルわん南部なんぶかぶアンダマン・ニコバル諸島しょとうにおいても人口じんこうやく1/6をタミルじんめている。

そのにも、インド各地かくちおも植民しょくみん時代じだい形成けいせいされたタミルじん共同きょうどうたい存在そんざいする。カルナータカしゅう南部なんぶに290まんにん、マハーラーシュトラしゅうプネーに140まんにん、アーンドラ・プラデーシュしゅうに120まんにんケーララしゅうパラカッド英語えいごばんに60まんにんデリーに10まんにん人口じんこう存在そんざいする[9]

スリランカ・タミル[編集へんしゅう]

みなみインドとスリランカのタミル話者わしゃ分布ぶんぷ(1961ねん

スリランカのタミルじんは、スリランカ・タミルとインド・タミルの2グループにけられる。スリランカの北部ほくぶ東部とうぶむタミルじん(スリランカ・タミル)は、紀元前きげんぜんみなみインドから移住いじゅうした人々ひとびと子孫しそんられるが、ケーララしゅうマラヤーリとも文化ぶんかてき類似るいじせいがあり、東部とうぶでは母系ぼけいせいをとるなど独自どくじせい維持いじしている。19世紀せいきイギリス植民しょくみん地下ちかで、みなみインドからプランテーション労働ろうどうりょくとしてれてこられた人々ひとびと子孫しそん、いわゆるインド・タミルはスリランカ中部ちゅうぶ[10]くわえて、スリランカにはタミルはなイスラム教徒きょうとという分類ぶんるい存在そんざいする。インドのタミルじんことなり、これらの人々ひとびと統計とうけいじょうべつ民族みんぞくとしてあつかわれている[11]

スリランカ・タミルは植民しょくみん地下ちかでは優遇ゆうぐうされたが、1948ねん独立どくりつ政治せいじ経済けいざいじょう多数たすうめるシンハラじんたいして不利ふりになり、1956ねんのシンハラ・オンリー政策せいさく、1976ねん分離ぶんり独立どくりつ運動うんどう開始かいし、1983ねん民族みんぞく対立たいりつ激化げきか内戦ないせんへの突入とつにゅうタミル・イーラム解放かいほうとら (LTTE) によるゲリラ闘争とうそうなどを対立たいりつ泥沼どろぬまし、2009ねんまではげしい内戦ないせんつづいた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ “Top 30 Languages by Number of Native Speakers: sourced from Ethnologue: Languages of the World, 15th ed. (2005)”, Vistawide – World Languages & Cultures, http://www.vistawide.com/languages/top_30_languages.htm 2007ねん4がつ3にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b “Indian Census – Abstract of Strength of Mother Tongues”, Indian Census, 2001, http://www.censusindia.gov.in/Census_Data_2001/Census_Data_Online/Language/Statement1.htm 2008ねん1がつ7にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b “Brief Analysis of Population and Housing Characteristics” (PDF), Sri Lanka census of population and housing 2001, http://www.statistics.gov.lk/PopHouSat/PDF/p7%20population%20and%20Housing%20Text-11-12-06.pdf 2008ねん1がつ7にち閲覧えつらん 
  4. ^ “Ethnologue report for language code tam”, Ethnologue: Languages of the World, http://www.ethnologue.com/show_language.asp?code=tam 2007ねん7がつ31にち閲覧えつらん 
  5. ^ Census 2001 – Statewise population by Religion”. Censusindia.gov.in. 2010ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  6. ^ Maloney, Clarence, Maldives People, http://www.iias.nl/iiasn/iiasn5/insouasi/maloney.html 2008ねん6がつ22にち閲覧えつらん 
  7. ^ Kshatriya, G.K. (1995), “Genetic affinities of Sri Lankan populations”, Human Biology (American Association of Anthropological Genetics) 67 (6): 843–66, PMID 8543296 
  8. ^ Llc, Books (2010-09) (英語えいご). Social Groups of Tamil Nadu: Badagas, Kongu Vellalar, Iyer, Boyar, Iyengar, Paravar, Nagarathar, Rajus, Nadar, Balija, Pallar, Kamma, Thondaimandala Mudaliar, Arya Vysyas, Paraiyar, Saurashtra Language, Maravar, Sengunthar, Vadama, Kapu, Kotas, Toda People. General Books LLC. ISBN 978-1-157-56781-3. https://books.google.com/books?id=caLibwAACAAJ 
  9. ^ Almost 5 million Tamils live outside Tamil Nadu, inside India”. Censusindia.gov.in. 2010ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  10. ^ de Silva 1997, pp. 177, 181
  11. ^ de Silva 1997, pp. 3–5, 9

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • de Silva, Chandra Richard (1997), Sri Lanka — A History (2, illustrated ed.), Vikas Pub. House, ISBN 0-9510710-2-5 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]