フォルクスワーゲン・タイプ3 は西 にし ドイツ (当時 とうじ )のフォルクスワーゲン が1961年 ねん から1973年 ねん まで製造 せいぞう 販売 はんばい した空冷 くうれい リアエンジン 方式 ほうしき の乗用車 じょうようしゃ である。
販売 はんばい されていた当時 とうじ にはVW1500 、後 のち にVW1600 と排気 はいき 量 りょう をとって呼 よ ばれたが、のちにタイプ1 がVW1500へモデルチェンジしたため区別 くべつ が難 むずか しくなり、現在 げんざい では、ビートル(タイプ1) 、トランスポーター(タイプ2) と411/412(タイプ4) に挟 はさ まる第 だい 三 さん の車 くるま 型 がた として「タイプ3」と総称 そうしょう されることが多 おお い。
ビートル と共通 きょうつう の2,400 mmのホイールベース に、デビュー当時 とうじ としては常識 じょうしき 的 てき なスタイルのフルワイズ・フラッシュサイド型 がた ボディを持 も ち、室内 しつない もトランク スペースもビートルより格段 かくだん に広 ひろ い機能 きのう 的 てき なモデルであった。
総合 そうごう 的 てき な完成 かんせい 度 ど は一定 いってい 水準 すいじゅん 以上 いじょう にあったが、当時 とうじ の1.5 L超 ちょう クラス の中級 ちゅうきゅう 乗用車 じょうようしゃ では少数 しょうすう 派 は の空冷 くうれい エンジン車 くるま (ヒーター 機能 きのう や騒音 そうおん 面 めん で主流 しゅりゅう 派 は の水冷 すいれい 車 くるま に比 くら べ劣 おと る)であったことや、ラインナップに汎用 はんよう 性 せい のある4ドアモデルを持 も たなかったことなど、戦略 せんりゃく 的 てき な問題 もんだい もあり、同 どう 時代 じだい の競合 きょうごう メーカー製品 せいひん との競争 きょうそう 力 りょく を維持 いじ できなかった。一方 いっぽう で長年 ながねん の実績 じっせき によって市場 いちば から根強 ねづよ い支持 しじ を得 え ていた先輩 せんぱい 格 かく のビートルに取 と って代 か わる存在 そんざい になることもできなかった。
ファストバック ボディを持 も つモデルや、世界 せかい 初 はつ の電子 でんし 制御 せいぎょ 燃料 ねんりょう 噴射 ふんしゃ エンジンなどを追加 ついか 投入 とうにゅう したものの、最終 さいしゅう 的 てき にはビートルより早 はや く生産 せいさん を終了 しゅうりょう することとなった。同社 どうしゃ は後継 こうけい のタイプ4 も販売 はんばい が芳 かんば しくなく、ビートルとの世代 せだい 交代 こうたい に2代 だい 続 つづ けて失敗 しっぱい しているが、ベーシックカーの刷新 さっしん を図 はか るも、後継 こうけい 車 しゃ が先 さき に生産 せいさん を終 お えるという例 れい は、ミニ とメトロ 、2CV とディアーヌ などでも見 み られる。
1961年 ねん 9月に最初 さいしょ に登場 とうじょう したのは2ドアノッチバック セダンの「VW・1500」と、2ドアクーペの「カルマンギア1500」(通称 つうしょう 「タイプ34カルマンギア」 ) の2種類 しゅるい であった。2ドアワゴン のヴァリアント (輸出 ゆしゅつ 先 さき のアメリカでは「Squareback」と呼 よ ばれた)は翌 よく 1962年 ねん 1月 がつ に追加 ついか された。
ファストバックセダンは1965年 ねん 8月 がつ に追加 ついか され、それ以降 いこう はノッチバック型 がた が「L」、ファストバックが「TL」と呼 よ ばれるようになった。当初 とうしょ はコンバーチブル も生産 せいさん される予定 よてい であったが、実現 じつげん しなかった。なお、タイプ3が北米 ほくべい に輸出 ゆしゅつ されるようになったのは、このTL(北米 ほくべい での車 くるま 名 めい は「Fastback」)が登場 とうじょう してからで、ノッチバック型 がた は正規 せいき 輸出 ゆしゅつ されなかった。
エンジンは基本 きほん 的 てき にビートル と共通 きょうつう の空冷 くうれい 水平 すいへい 対向 たいこう 4気筒 きとう ガソリンエンジン である。デビュー当初 とうしょ は排気 はいき 量 りょう 1,493 cc、最高 さいこう 出力 しゅつりょく 45馬力 ばりき で、車 くるま 重 じゅう 880 kgの2ドアセダンを最高 さいこう 速度 そくど 125 km/hで走 はし らせた。
ただし、エンジン自体 じたい は単純 たんじゅん にビートルの流用 りゅうよう ではなかった。オイルクーラー など冷却 れいきゃく 系統 けいとう をはじめとする補 ほ 機 き 類 るい のレイアウトに変更 へんこう を加 くわ え、エンジン全 ぜん 高 こう が低 ひく く抑 おさ えられ、「パンケーキ ・エンジン」の異名 いみょう を取 と るほどコンパクトなエンジンに仕立 した てられていたのである。
これにより通常 つうじょう のセダンモデルでも、リアのエンジンルーム上 じょう を蓋 ぶた でふさぎ、その上 うわ の空 そら 間 あいだ をラゲッジスペース として利用 りよう できるようになった。フロントノーズのラゲッジスペースも併 あわ せて利用 りよう できるため、リアエンジン車 しゃ 特有 とくゆう の欠点 けってん であるラゲッジスペース不足 ふそく 問題 もんだい を解消 かいしょう して、フロントエンジン車 しゃ に対 たい する市場 いちば 競争 きょうそう 力 りょく を高 たか めた。エンジンルーム上 じょう の室内 しつない 高 だか が大 おお きいバリアントやファストバックセダンでは、相当 そうとう 量 りょう の荷物 にもつ を積 つ むことが可能 かのう となった。もっとも、エンジン真上 まうえ 部分 ぶぶん では遮 さえぎ 熱 ねつ に問題 もんだい があり、また後年 こうねん にはエンジンルームの狭 せま さゆえ、カークーラー の装備 そうび が困難 こんなん なことが欠点 けってん となった。
ライバル車 しゃ がモデルチェンジのたびにパワーアップ、高速 こうそく 化 か していくため、タイプ3のエンジンも徐々 じょじょ に強化 きょうか されて行 い った。1963年 ねん 8月 がつ にはツインキャブレター 化 か して54馬力 ばりき とした「1500 S」が追加 ついか され、その後 ご 1965年 ねん 8月 がつ にTLが追加 ついか された際 さい にシングルキャブ1,584 cc 54馬力 ばりき となり、最高 さいこう 速度 そくど は135 km/hとなった。この際 さい 車 くるま 名 めい が「VW・1600」となった。
1968年 ねん 6月 がつ には、世界 せかい 最初 さいしょ の量産 りょうさん 型 がた 電子 でんし 式 しき 燃料 ねんりょう 噴射 ふんしゃ エンジンを搭載 とうさい し、65馬力 ばりき にパワーアップした「1600LE・1600TLE」が追加 ついか された。同時 どうじ に3速 そく フルオートマチック も装備 そうび 可能 かのう となった。
エンジン以外 いがい にタイプ3がビートルよりも進歩 しんぽ していた点 てん としては、フロントサスペンション がある。トレーリングアーム と横 よこ 置 お き式 しき のトーションバー・スプリング を組 く み合 あ わせるレイアウトは同 おな じであったが、ビートルはトーションバー・スプリングが開発 かいはつ 当時 とうじ 量産 りょうさん できず、代 だい 用品 ようひん として、極 きわ めて細長 ほそなが い板 いた バネを直線 ちょくせん の帯状 おびじょう に重 かさ ねて束 たば ねたトーションリーフスプリングを使用 しよう していた。しかし、このレイアウトであればトーションバーの方 ほう が本来 ほんらい は望 のぞ ましく、タイプ3ではようやく横 よこ 置 お きトーションバーが初 はつ 採用 さいよう され、アンチロールバー としての役割 やくわり も果 は たすようになった。
1969年 ねん 8月 がつ には、ボンネット (フロントオーバーハング )が120 mm延長 えんちょう されてフロントトランクのスペースが拡大 かくだい された他 ほか 、バンパー 形状 けいじょう の変更 へんこう や、テールランプ の大型 おおがた 化 か (安全 あんぜん 対策 たいさく と見栄 みば え向上 こうじょう )などが行 おこな われた。
出荷 しゅっか される後期 こうき 型 がた タイプ3
タイプ3は前輪 ぜんりん 駆動 くどう 、水冷 すいれい エンジンの新 しん 世代 せだい のVWであるパサート の登場 とうじょう と共 とも に1973年 ねん 7月 がつ をもって生産 せいさん 終了 しゅうりょう となった。12年間 ねんかん に250万 まん 台 だい 余 あま りが生産 せいさん されており、VW以外 いがい のメーカーの製品 せいひん であれば、十分 じゅうぶん な成功 せいこう 作 さく 、そしてロングセラー として評価 ひょうか されるほどの販売 はんばい 成績 せいせき を収 おさ めている。
タイプ別 べつ 生産 せいさん 台数 だいすう は以下 いか の通 とお りである。
セダン(ノッチバック・ファストバック合計 ごうけい ): 133万 まん 9,124台 だい
ワゴン(ヴァリアント): 120万 まん 2,935台 だい
コンバーチブル試作 しさく 車 しゃ : 12台 だい
シャシ のみ: 311台 だい
タイプ34カルマンギア
1961年 ねん 、セダンと同時 どうじ にタイプ3をベースに全 まった く新 あたら しいスタイルの「タイプ34」カルマンギア が登場 とうじょう した。同 どう 時代 じだい のアメリカ車 しゃ の影響 えいきょう が顕著 けんちょ に感 かん じられるエッジ の効 き いたスタイリングを特徴 とくちょう とし、価格 かかく もビートルの2倍 ばい 近 ちか くと比較的 ひかくてき 高価 こうか で、装備 そうび についても1963年 ねん からは電動 でんどう サンルーフ がオプション装備 そうび 可能 かのう となる[ 1] など、タイプ1カルマンギアよりも高級 こうきゅう 志向 しこう であった。また、他 た のタイプ3各 かく モデル同様 どうよう に居住 きょじゅう 性 せい やトランクスペースは大幅 おおはば に改善 かいぜん されていた。
しかしそのスタイルはタイプ1カルマンギアほどの人気 にんき を得 え ることができず、カルマン がポルシェ・914 の生産 せいさん を開始 かいし した1969年 ねん に、タイプ1より先 さき に消滅 しょうめつ した。生産 せいさん 台数 だいすう も4万 まん 2,505 台 だい [ 2] と、年間 ねんかん 平均 へいきん 5,000台 だい 程度 ていど に留 と まり、今日 きょう では稀少 きしょう 車 しゃ 扱 あつか いされ始 はじ めている。この生産 せいさん 台数 だいすう の少 すく なさは、アメリカに正式 せいしき 輸出 ゆしゅつ されず[ 3] 、タイプ1カルマンギアのようにブラジル法人 ほうじん でも生産 せいさん されなかったためであった。
ブラジル製 せい VW1600・ノッチバック
ブラジル製 せい VW1600・ファストバック
ブラジル製 せい VW1600・ヴァリアンチ II
ブラジル法人 ほうじん では、タイプ3は1968年 ねん に現地 げんち 生産 せいさん 開始 かいし となったが、本国 ほんごく にはない4ドアノッチバックで、スタイルも1970年 ねん に登場 とうじょう するブラジル法人 ほうじん のオリジナルモデルの「ブラジリア 」に良 よ く似 に た独自 どくじ のものであった。
ファストバック版 ばん は1970年 ねん に追加 ついか され、こちらも2ドアに加 くわ えて独自 どくじ の4ドア版 ばん が用意 ようい されて1976年 ねん まで生産 せいさん された。こちらの方 ほう がより多 おお く販売 はんばい されたが、ブラジルにおけるタイプ3で最 もっと も人気 にんき があったのは1969年 ねん に登場 とうじょう した3ドアワゴンの「ヴァリアンチ」であった。
「ヴァリアンチ」はセダン型 がた が生産 せいさん 中止 ちゅうし になった後 のち の1977年 ねん にモデルチェンジを受 う けて、「ブラジリア」をベースにより角張 かくば ったスタイルの「ヴァリアンチII」となって、1980年 ねん まで生産 せいさん された。ブラジル版 ばん は結局 けっきょく 、ノッチバック2万 まん 4,475台 だい 、ファーストバック10万 まん 9,515台 だい 、「ヴァリアンチ」25万 まん 6,760台 だい 、「ヴァリアンチ II」4万 まん 1,002台 だい の合計 ごうけい 43万 まん 1,752台 だい が生産 せいさん された。
日本 にっぽん では当時 とうじ の輸入 ゆにゅう 総 そう 代理 だいり 店 てん ヤナセ を通 つう じて販売 はんばい された。生産 せいさん 終了 しゅうりょう 後 ご も中古 ちゅうこ 車 しゃ として並行 へいこう 輸入 ゆにゅう されるケースも多 おお く、ビートル同様 どうよう 、趣味 しゅみ の対象 たいしょう として若者 わかもの に愛好 あいこう された。