(Translated by https://www.hiragana.jp/)
フォルクスワーゲン・タイプ3 - Wikipedia コンテンツにスキップ

フォルクスワーゲン・タイプ3

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
フォルクスワーゲン・タイプ3
ノッチバック(前期ぜんきがた)
ヴァリアント(後期こうきがた)
ファストバック(前期ぜんきがた)
概要がいよう
販売はんばい期間きかん 1961ねん-1973ねん
ボディ
ボディタイプ 2ドア・ノッチバックセダンファストバックセダン ・2ドアクーペ(カルマンギア)・3ドアステーションワゴン
駆動くどう方式ほうしき RR
パワートレイン
エンジン 空冷くうれい水平すいへい対向たいこう4気筒きとうガソリン
変速へんそく 4そくMT
3そくAT
まえ まえ:独立どくりつ トレーリングアーム よこおけトーションバー
:独立どくりつ スウィングアクスル トレーリングアーム よこおけトーションバー
のち まえ:独立どくりつ トレーリングアーム よこおけトーションバー
:独立どくりつ スウィングアクスル トレーリングアーム よこおけトーションバー
車両しゃりょう寸法すんぽう
全長ぜんちょう 4,225mm
全幅ぜんぷく 1,605mm
ぜんこう 1,475mm
車両しゃりょう重量じゅうりょう 880kg
その
累計るいけい生産せいさん台数だいすう 2,542,382だい
系譜けいふ
後継こうけい フォルクスワーゲン・パサート  フォルクスワーゲン・タイプ4
テンプレートを表示ひょうじ

フォルクスワーゲン・タイプ3西にしドイツ当時とうじ)のフォルクスワーゲン1961ねんから1973ねんまで製造せいぞう販売はんばいした空冷くうれいリアエンジン方式ほうしき乗用車じょうようしゃである。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

販売はんばいされていた当時とうじにはVW1500のちVW1600排気はいきりょうをとってばれたが、のちにタイプ1がVW1500へモデルチェンジしたため区別くべつむずかしくなり、現在げんざいでは、ビートル(タイプ1)トランスポーター(タイプ2)411/412(タイプ4)はさまるだいさんくるまがたとして「タイプ3」と総称そうしょうされることがおおい。

ビートル共通きょうつうの2,400 mmのホイールベースに、デビュー当時とうじとしては常識じょうしきてきなスタイルのフルワイズ・フラッシュサイドがたボディをち、室内しつないトランクスペースもビートルより格段かくだんひろ機能きのうてきなモデルであった。

総合そうごうてき完成かんせい一定いってい水準すいじゅん以上いじょうにあったが、当時とうじの1.5 Lちょうクラス中級ちゅうきゅう乗用車じょうようしゃでは少数しょうすう空冷くうれいエンジンくるまヒーター機能きのう騒音そうおんめん主流しゅりゅう水冷すいれいくるまくらおとる)であったことや、ラインナップに汎用はんようせいのある4ドアモデルをたなかったことなど、戦略せんりゃくてき問題もんだいもあり、どう時代じだい競合きょうごうメーカー製品せいひんとの競争きょうそうりょく維持いじできなかった。一方いっぽう長年ながねん実績じっせきによって市場いちばから根強ねづよ支持しじていた先輩せんぱいかくのビートルにってわる存在そんざいになることもできなかった。

ファストバックボディをつモデルや、世界せかいはつ電子でんし制御せいぎょ燃料ねんりょう噴射ふんしゃエンジンなどを追加ついか投入とうにゅうしたものの、最終さいしゅうてきにはビートルよりはや生産せいさん終了しゅうりょうすることとなった。同社どうしゃ後継こうけいタイプ4販売はんばいかんばしくなく、ビートルとの世代せだい交代こうたいに2だいつづけて失敗しっぱいしているが、ベーシックカーの刷新さっしんはかるも、後継こうけいしゃさき生産せいさんえるというれいは、ミニメトロ2CVディアーヌなどでもられる。

バリエーション

[編集へんしゅう]

1961ねん9月に最初さいしょ登場とうじょうしたのは2ドアノッチバックセダンの「VW・1500」と、2ドアクーペの「カルマンギア1500」(通称つうしょう「タイプ34カルマンギア」) の2種類しゅるいであった。2ドアワゴンヴァリアント (輸出ゆしゅつさきのアメリカでは「Squareback」とばれた)はよく1962ねん1がつ追加ついかされた。

ファストバックセダンは1965ねん8がつ追加ついかされ、それ以降いこうはノッチバックがたが「L」、ファストバックが「TL」とばれるようになった。当初とうしょコンバーチブル生産せいさんされる予定よていであったが、実現じつげんしなかった。なお、タイプ3が北米ほくべい輸出ゆしゅつされるようになったのは、このTL(北米ほくべいでのくるまめいは「Fastback」)が登場とうじょうしてからで、ノッチバックがた正規せいき輸出ゆしゅつされなかった。

メカニズム

[編集へんしゅう]

エンジンは基本きほんてきビートル共通きょうつう空冷くうれい水平すいへい対向たいこう4気筒きとうガソリンエンジンである。デビュー当初とうしょ排気はいきりょう1,493 cc、最高さいこう出力しゅつりょく45馬力ばりきで、くるまじゅう880 kgの2ドアセダンを最高さいこう速度そくど125 km/hではしらせた。

ただし、エンジン自体じたい単純たんじゅんにビートルの流用りゅうようではなかった。オイルクーラーなど冷却れいきゃく系統けいとうをはじめとするるいのレイアウトに変更へんこうくわえ、エンジンぜんこうひくおさえられ、「パンケーキ・エンジン」の異名いみょうるほどコンパクトなエンジンに仕立したてられていたのである。

これにより通常つうじょうのセダンモデルでも、リアのエンジンルームじょうぶたでふさぎ、そのうわそらあいだラゲッジスペースとして利用りようできるようになった。フロントノーズのラゲッジスペースもあわせて利用りようできるため、リアエンジンしゃ特有とくゆう欠点けってんであるラゲッジスペース不足ふそく問題もんだい解消かいしょうして、フロントエンジンしゃたいする市場いちば競争きょうそうりょくたかめた。エンジンルームじょう室内しつないだかおおきいバリアントやファストバックセダンでは、相当そうとうりょう荷物にもつむことが可能かのうとなった。もっとも、エンジン真上まうえ部分ぶぶんではさえぎねつ問題もんだいがあり、また後年こうねんにはエンジンルームのせまさゆえ、カークーラー装備そうび困難こんなんなことが欠点けってんとなった。

ライバルしゃがモデルチェンジのたびにパワーアップ、高速こうそくしていくため、タイプ3のエンジンも徐々じょじょ強化きょうかされてった。1963ねん8がつにはツインキャブレターして54馬力ばりきとした「1500 S」が追加ついかされ、その1965ねん8がつにTLが追加ついかされたさいにシングルキャブ1,584 cc 54馬力ばりきとなり、最高さいこう速度そくどは135 km/hとなった。このさいくるまめいが「VW・1600」となった。

1968ねん6がつには、世界せかい最初さいしょ量産りょうさんがた電子でんししき燃料ねんりょう噴射ふんしゃエンジンを搭載とうさいし、65馬力ばりきにパワーアップした「1600LE・1600TLE」が追加ついかされた。同時どうじに3そくフルオートマチック装備そうび可能かのうとなった。

エンジン以外いがいにタイプ3がビートルよりも進歩しんぽしていたてんとしては、フロントサスペンションがある。トレーリングアームよこしきトーションバー・スプリングわせるレイアウトはおなじであったが、ビートルはトーションバー・スプリングが開発かいはつ当時とうじ量産りょうさんできず、だい用品ようひんとして、きわめて細長ほそながいたバネを直線ちょくせん帯状おびじょうかさねてたばねたトーションリーフスプリングを使用しようしていた。しかし、このレイアウトであればトーションバーのほう本来ほんらいのぞましく、タイプ3ではようやくよこきトーションバーがはつ採用さいようされ、アンチロールバーとしての役割やくわりたすようになった。

1969ねん8がつには、ボンネット(フロントオーバーハング)が120 mm延長えんちょうされてフロントトランクのスペースが拡大かくだいされたほかバンパー形状けいじょう変更へんこうや、テールランプ大型おおがた安全あんぜん対策たいさく見栄みば向上こうじょう)などがおこなわれた。

生産せいさん台数だいすう

[編集へんしゅう]
出荷しゅっかされる後期こうきがたタイプ3

タイプ3は前輪ぜんりん駆動くどう水冷すいれいエンジンのしん世代せだいのVWであるパサート登場とうじょうとも1973ねん7がつをもって生産せいさん終了しゅうりょうとなった。12年間ねんかんに250まんだいあまりが生産せいさんされており、VW以外いがいのメーカーの製品せいひんであれば、十分じゅうぶん成功せいこうさく、そしてロングセラーとして評価ひょうかされるほどの販売はんばい成績せいせきおさめている。

タイプべつ生産せいさん台数だいすう以下いかとおりである。

  • セダン(ノッチバック・ファストバック合計ごうけい): 133まん9,124だい
  • ワゴン(ヴァリアント): 120まん2,935だい
  • コンバーチブル試作しさくしゃ: 12だい
  • シャシのみ: 311だい

派生はせい車種しゃしゅ

[編集へんしゅう]

カルマンギア

[編集へんしゅう]
タイプ34カルマンギア

1961ねん、セダンと同時どうじにタイプ3をベースにまったあたらしいスタイルの「タイプ34」カルマンギア登場とうじょうした。どう時代じだいアメリカしゃ影響えいきょう顕著けんちょかんじられるエッジいたスタイリングを特徴とくちょうとし、価格かかくもビートルの2ばいちかくと比較的ひかくてき高価こうかで、装備そうびについても1963ねんからは電動でんどうサンルーフがオプション装備そうび可能かのうとなる[1]など、タイプ1カルマンギアよりも高級こうきゅう志向しこうであった。また、のタイプ3かくモデル同様どうよう居住きょじゅうせいやトランクスペースは大幅おおはば改善かいぜんされていた。

しかしそのスタイルはタイプ1カルマンギアほどの人気にんきることができず、カルマンポルシェ・914生産せいさん開始かいしした1969ねんに、タイプ1よりさき消滅しょうめつした。生産せいさん台数だいすうも4まん2,505 だい[2]と、年間ねんかん平均へいきん5,000だい程度ていどまり、今日きょうでは稀少きしょうしゃあつかいされはじめている。この生産せいさん台数だいすうすくなさは、アメリカに正式せいしき輸出ゆしゅつされず[3]、タイプ1カルマンギアのようにブラジル法人ほうじんでも生産せいさんされなかったためであった。

ブラジル生産せいさんしゃ

[編集へんしゅう]
ブラジルせいVW1600・ノッチバック
ブラジルせいVW1600・ファストバック
ブラジルせいVW1600・ヴァリアンチ II

ブラジル法人ほうじんでは、タイプ3は1968ねん現地げんち生産せいさん開始かいしとなったが、本国ほんごくにはない4ドアノッチバックで、スタイルも1970ねん登場とうじょうするブラジル法人ほうじんのオリジナルモデルの「ブラジリア」に独自どくじのものであった。

ファストバックばん1970ねん追加ついかされ、こちらも2ドアにくわえて独自どくじの4ドアばん用意よういされて1976ねんまで生産せいさんされた。こちらのほうがよりおお販売はんばいされたが、ブラジルにおけるタイプ3でもっと人気にんきがあったのは1969ねん登場とうじょうした3ドアワゴンの「ヴァリアンチ」であった。

「ヴァリアンチ」はセダンがた生産せいさん中止ちゅうしになったのち1977ねんにモデルチェンジをけて、「ブラジリア」をベースにより角張かくばったスタイルの「ヴァリアンチII」となって、1980ねんまで生産せいさんされた。ブラジルばん結局けっきょく、ノッチバック2まん4,475だい、ファーストバック10まん9,515だい、「ヴァリアンチ」25まん6,760だい、「ヴァリアンチ II」4まん1,002だい合計ごうけい43まん1,752だい生産せいさんされた。

日本にっぽんへの輸入ゆにゅう

[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは当時とうじ輸入ゆにゅうそう代理だいりてんヤナセつうじて販売はんばいされた。生産せいさん終了しゅうりょう中古ちゅうこしゃとして並行へいこう輸入ゆにゅうされるケースもおおく、ビートル同様どうよう趣味しゅみ対象たいしょうとして若者わかもの愛好あいこうされた。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ ポルシェ・356Cに1961ねんから選択せんたく可能かのうになったものとおなじものであった
  2. ^ に17だいカブリオレ試作しさくされた生産せいさんされなかった
  3. ^ 実際じっさいにはカナダ経由けいゆ相当そうとうすうがアメリカに並行輸入へいこうゆにゅうされている

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]