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シトロエン・2CV

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
シトロエン・2CV
概要がいよう
製造せいぞうこく フランス
販売はんばい期間きかん 1949ねん - 1990ねん
設計せっけい統括とうかつ アンドレ・ルフェーブル
デザイン フラミニオ・ベルトーニ
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 4めい
ボディタイプ 4ドアファストバックセダン
駆動くどう方式ほうしき 前輪ぜんりん駆動くどう(Sahara : タイプAWはツインエンジンのよんりん駆動くどう
パワートレイン
エンジン 空冷くうれい水平すいへい対向たいこう2気筒きとう OHV
(type A:375cc, type AZ:425cc, 2CV-4: 435cc, 2CV-6: 602cc )
変速へんそく 4そくMT
まえ 前輪ぜんりん:リーディングアーム
こう:トレーリングアーム
よんりん独立どくりつ (よこおけ-コイルスプリングによる前後ぜんご関連かんれん懸架けんか)
のち 前輪ぜんりん:リーディングアーム
こう:トレーリングアーム
よんりん独立どくりつ (よこおけ-コイルスプリングによる前後ぜんご関連かんれん懸架けんか)
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シトロエン・2CVは、フランスシトロエン1948ねん発表はっぴょうした、前輪ぜんりん駆動くどう方式ほうしき乗用車じょうようしゃである。

きわめて独創どくそうてきかつ合理ごうりてき設計せっけい小型こがた大衆たいしゅうしゃで、1999ねん、20世紀せいき代表だいひょうするくるまえらぶ「カー・オブ・ザ・センチュリー」の選考せんこう過程かていにおけるベスト26にはいった1だいである。

名称めいしょう[編集へんしゅう]

「2CV」はフランス語ふらんすごで「2馬力ばりき」を意味いみする deux chevauxフランス語ふらんすご発音はつおん: [dø ʃ(ə)vo] ドゥ シュヴォ)の略語りゃくごで、フランスにおけるかつての自動車じどうしゃ課税かぜい基準きじゅんである課税かぜい馬力ばりきフランス語ふらんすご:Cheval fiscal英語えいご:Tax horsepower)カテゴリのうち、1948ねん当時とうじの「2CV」に相当そうとうしていたことに由来ゆらいするが、実際じっさいのエンジン出力しゅつりょくが2馬力ばりきであったわけではない。後年こうねん改良かいりょうによるパワーアップで税制ぜいせいじょう3CV相当そうとうにまでがったが、くるまめいは2CVのままであった。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ユニークな着想ちゃくそう数多かずおおんだ簡潔かんけつ軽量けいりょう構造こうぞうにより、たか操縦そうじゅう安定あんていせい居住きょじゅうせい経済けいざいせい同時どうじ成立せいりつさせた。だい世界せかい大戦たいせんのフランスにおけるモータリゼーション一角いっかくにない「国民こくみんしゃ」として普及ふきゅうし、西にしヨーロッパ各国かっこくひろもちいられた。そのユーモラススタイルあいまって世界せかいてきひろしたしまれ、フランスというくにその文化ぶんか象徴しょうちょうするアイコンのひとつにかぞえられるようになった。

2CVは1948ねんから1990ねんまでの42年間ねんかんおおきなモデルチェンジおこなわれることなく387まん2,583だい製造せいぞうされた。派生はせいモデルをふくめると合計ごうけい製造せいぞう台数だいすうは124まん6,306だいおよぶ。単一たんいつモデルとしては世界せかい屈指くっしベストセラー・ロングセラーしゃである。

歴史れきし[編集へんしゅう]

開発かいはつ以前いぜん[編集へんしゅう]

シトロエンが自動車じどうしゃ生産せいさん開始かいししたのはだいいち世界せかい大戦たいせん1919ねんで、フランスでは後発こうはつメーカーであった。しかし、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくフォード・モーターならった大量たいりょう生産せいさんシステムの導入どうにゅうによってなか - 小型こがたこう品質ひんしつ自動車じどうしゃ廉価れんか供給きょうきゅうし、わずかすうねんでフランス最大さいだい自動車じどうしゃメーカーにきゅう成長せいちょうした。このあいだ1921ねんちょう小型こがた乗用車じょうようしゃの「5CV」(英語えいごばん)を発表はっぴょうしたが、当時とうじのベストセラーしゃとなったにもかかわらず1926ねん生産せいさん中止ちゅうししてしまう。これは社主しゃしゅアンドレ・シトロエンちょう小型車こがたしゃ生産せいさん販売はんばいをやめ、よりおおきい中級ちゅうきゅうしゃ中心ちゅうしんとした経営けいえい方針ほうしんへとシフトしたためである。この経営けいえい判断はんだんによって競合きょうごうメーカーのプジョールノー小型車こがたしゃクラスの市場いちばうばわれる結果けっかとなり、シトロエンの経営けいえい基盤きばん確立かくりつとおのいた。

シトロエンは1925ねんの「B12」でヨーロッパでもいちはやぜん鋼鉄こうてつせいボディを採用さいよう以後いごもフローティング・マウントや油圧ゆあつブレーキを導入どうにゅう[よう出典しゅってん]するなど先端せんたん技術ぎじゅつ採用さいよう熱心ねっしんであった。1932ねんには斬新ざんしんなニューモデルの開発かいはつし、1934ねん同社どうしゃ最初さいしょ前輪ぜんりん駆動くどうモデル「7CV」(いわゆる「トラクシオン・アバン」の最初さいしょのモデル)を発表はっぴょうしたが、同年どうねん、この前輪ぜんりん駆動くどうしゃ開発かいはつともな膨大ぼうだい設備せつび投資とうしによってついに経営けいえい破綻はたんする。これにともないアンドレ・シトロエンは経営けいえいしゃ地位ちい退しりぞき、わってフランス最大さいだいタイヤメーカー、ミシュラン経営けいえい参画さんかくすることになった。

このさい、ミシュランから派遣はけんされてシトロエンふく社長しゃちょうしょく就任しゅうにんしたのが、もと建築けんちく技術ぎじゅつしゃであったピエール=ジュール・ブーランジェ(英語えいごばん)(1885ねん - 1950ねん)であった。かれはミシュラン一族いちぞくからシトロエン社長しゃちょう就任しゅうにんしたピエール・ミシュランとともにシトロエンの経営けいえいなお奔走ほんそうし、1937ねんのピエール・ミシュランの事故死じこしともなって社長しゃちょう就任しゅうにん自身じしん1950ねん11月に事故死じこしするまでその地位ちいにありつづけた。

開発かいはつ経緯けいい[編集へんしゅう]

1935ねんなつ、ピエール・ブーランジェは別荘べっそうでのバカンスのため、みなみフランスのクレルモン=フェラン郊外こうがいおもむいた(クレルモン=フェランはミシュランの本社ほんしゃ工場こうじょう所在地しょざいちである)。かれはそこで、農民のうみんたちが手押ておしゃ牛馬ぎゅうば荷車にぐるま輸送ゆそうたよっている実態じったいづいた。当時とうじのフランスの農村のうそん近代きんだいおくれ、日常にちじょう移動いどう手段しゅだん19世紀せいき以前いぜんなんわらない状態じょうたいだったのである。ブーランジェは、シトロエンのラインナップに小型こがた大衆たいしゅうしゃ欠落けつらくしていることを認識にんしきしていた。そこで、農民のうみん交通こうつう手段しゅだんきょうしうる廉価れんかくるまつくれば、あらたな市場いちば開拓かいたくでき、シトロエンが手薄てうすだった小型車こがたしゃ分野ぶんやさい進出しんしゅつのチャンスにもなると着想ちゃくそうした。

ブーランジェは周到しゅうとう市場いちば調査ちょうさによって、このたね小型車こがたしゃたいするニーズのたかさをつかみ、将来しょうらいせい確信かくしんした。そして1936ねんアンドレ・ルフェーブルらシトロエン技術ぎじゅつじんたいし、農民のうみんけの小型こがた自動車じどうしゃ開発かいはつ命令めいれいする。この自動車じどうしゃは「Toute Petite Voiture(ちょう小型車こがたしゃ)」をりゃくした「TPV」の略称りゃくしょうばれた。

TPV、のちの「2CV」開発かいはつ責任せきにんしゃとなったルフェーヴル技師ぎしは、もと航空こうくう技術ぎじゅつしゃであった。航空機こうくうき開発かいはつ技術ぎじゅつまなんでだいいち世界せかい大戦たいせんなか航空機こうくうきメーカーのヴォワザン入社にゅうしゃし、芸術げいじゅつはだ社主しゃしゅガブリエル・ヴォアザン師事しじして軍用ぐんよう設計せっけいおこなった。戦後せんごヴォアザンが高級こうきゅうしゃメーカーに業種ぎょうしゅ転換てんかんすると自動車じどうしゃ設計せっけいてんじ、高級こうきゅう乗用車じょうようしゃやレーシングカーなど高性能こうせいのうしゃ開発かいはつたずさわっている。そしてのちヴォアザンの業績ぎょうせき悪化あっかともな退社たいしゃ、ルノーを1933ねんにシトロエンりし、トラクシオン・アバンの開発かいはつ参画さんかくして短期間たんきかんのうちに完成かんせいさせていた。かれ天才てんさいがた優秀ゆうしゅう技術ぎじゅつしゃであり、だい世界せかい大戦たいせんには「2CV」につづいて未来みらいてき設計せっけい傑作けっさく乗用車じょうようしゃDS」の開発かいはつにもたずさわっている。

「こうもりがさに4つの車輪しゃりん[編集へんしゅう]

ブーランジェの提示ていじした農民のうみんしゃのテーマは「こうもりがさに4つの車輪しゃりんける」という、簡潔かんけつさの極致きょくち示唆しさするものであった。価格かかくはアッパーミドルクラスであるトラクシオン・アバンの3ぶんの1以下いかというてい価格かかくもとめられた。

しかし、みずか自動車じどうしゃ運転うんてんもこなすブーランジェによって具体ぐたいてきしめされた条件じょうけんは、技術ぎじゅつじんをして不可能ふかのうとまでわしめた難題なんだいだった。それは以下いかのようなものであった。

  • 50 kgのジャガイモまたはたるせてはしれること
  • 60 km/hで走行そうこうできること
  • ガソリン3 Lで100 km以上いじょうはしれること
  • れた農道のうどう走破そうはできるだけでなく、カゴいちはいせいたまごせてれた農道のうどう走行そうこうしても、1つのたまごることなくはしれるほど快適かいてき心地ごこちがよいこと
  • 車両しゃりょう重量じゅうりょう300 kg以下いか
  • もし必要ひつようとあれば、(自動車じどうしゃくわしくない初心者しょしんしゃの)主婦しゅふでも簡単かんたん運転うんてんできること
  • スタイルは重要じゅうようではない

あく踏破とうはりょく心地ごこち経済けいざいせいのいずれにおいてもきびしい条件じょうけんであるが、それでもブーランジェは実現じつげん厳命げんめいした。その技術ぎじゅつじん努力どりょくによって、実現じつげんいたらなかったてんこそあったものの、無理むり難題なんだいおおくがたされた。

くわえてブーランジェは、最低限さいていげんまらないじゅうふん車内しゃないスペース確保かくほ要求ようきゅうした。身長しんちょうが2 mちか大男おおおとこであるブーランジェ自身じしんがシルクハットをこうむっては試作しさくしゃみ、帽子ぼうしっかかるようなデザインはなおしをめいじた。このたか天井てんじょう要求ようきゅうする「ハット・テスト」によって、最終さいしゅうてきにこのクラスの大衆たいしゅうしゃとしては望外ぼうがいっていいほどゆとりある車内しゃないスペースが確保かくほされることになった。

TPV[編集へんしゅう]

1939ねんせいTPV
TPVのうし姿すがた
2019ねん7がつにラ・フェルテ-ヴィダムで開催かいさいされた2CV100周年しゅうねん記念きねんイベントにてはつ公開こうかいされる1994ねん発見はっけんされた3だいの「2CV A」

すでにトラクシオン・アバンで前輪ぜんりん駆動くどうしゃ量産りょうさん成功せいこうさせていたアンドレ・ルフェーブルは、TPVの駆動くどう方式ほうしきにも前輪ぜんりん駆動くどう方式ほうしき採用さいようした。プロペラシャフトを省略しょうりゃくでき(軽量けいりょう振動しんどう抑制よくせいてい重心じゅうしん効果こうかがある)、さらに操縦そうじゅう安定あんていせいにもすぐれていたからである。開発かいはつ作業さぎょうはシトロエン社内しゃないでもとく機密きみつ事項じこうとして秘匿ひとくされ、外部がいぶ一切いっさいれることなく進行しんこうした。

1939ねんには、TPVプロジェクトは相当そうとう進行しんこうし、試作しさくしゃ完成かんせいしつつあった。それらはアルミニウム多用たようして軽量けいりょうされ、そとばんにはなみばん使つかうことで強度きょうど確保かくほした。簡潔かんけつ造形ぞうけいによって、外観がいかん屋根やねになだらかな曲線きょくせんったトタン物置ものおきという風体ふうたいだった。屋根やねほろによるしきのキャンバストップで軽量けいりょう騒音そうおん発散はっさんはかり、座席ざせきには通常つうじょう金属きんぞくスプリングのわりにゴムベルトをもちいたハンモック構造こうぞう採用さいようして軽量けいりょうした。ヘッドライトはコストダウンと軽量けいりょうのため、片側かたがわ1個いっこだった(当時とうじのフランスの法律ほうりつではライト1個いっこでもつかえなかった。生産せいさんがたでは2ライトになった)。パワーユニットは、トラクシオン・アバンの先進せんしんてきOHVエンジンを設計せっけいしたモーリス・サンチュラのになる、水冷すいれいしきエンジンを搭載とうさいしていた。サスペンション・アームは軽量けいりょうのためにマグネシウム使用しようしていた。サスペンションようのスプリングとしてはかくともトーション・バーを3ほん荷重かじゅうように1ほん、4りん合計ごうけい16ほん使用しようしていた。

このモデルはながあいだ試作しさくしゃのみであり、開発かいはつ最終さいしゅう完成かんせいにはいたっていなかったとかんがえられていたが、じつ量産りょうさん体制たいせいはいっていたことが1968ねんはじめて判明はんめいした。パリ西にし郊130kmのラ・フェルテ-ヴィダム(La Ferté-Vidame)にある同社どうしゃのテストセンターを工事こうじちゅうに、実車じっしゃ1だい量産りょうさんかんする承認しょうにん書類しょるいやナンバープレートなどが発見はっけんされたのである。それによると、量産りょうさんしゃ「2CV A」として正式せいしきにホモロゲーションを取得しゅとくしたのは1939ねん8がつ23にちで、認可にんかされた生産せいさんすうは100だいであった[1]。しかし、同年どうねん9がつ3にちだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつすると生産せいさん中止ちゅうし封印ふういんされ、生産せいさんちゅうだった車両しゃりょう大半たいはん破壊はかいされたり、かべめてかくされたりした[2]発見はっけんされた車体しゃたい完全かんぜんにレストアされ[1]新車しんしゃ同然どうぜん姿すがたでパリの北部ほくぶオルネーの「シトロエン・コンセルヴァトワール[注釈ちゅうしゃく 1]」に展示てんじされている。

その1994ねん[3]にはノルマンディーの農家のうか屋根裏やねうらから、さらに3だい発見はっけんされた[4][注釈ちゅうしゃく 2]。これにより「まぼろし初代しょだい2CV A」ともいえるTPVは、試作しさくしゃ製作せいさくすうしょう)と生産せいさん予定よてい100だいのうち4だい現存げんそん確認かくにんされた。あらたに発見はっけんされたこの3だいも「シトロエン・コンセルヴァトワール」に収蔵しゅうぞうされ、修復しゅうふくはせずに展示てんじされている。

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ1940ねん、フランスはナチス・ドイツ侵攻しんこうけて敗退はいたいし、パリをはじめフランス全土ぜんどきた半分はんぶん占領せんりょうとなった。

パリ・ジャベル河岸かわぎしのシトロエンしゃ占領せんりょうぐん管理かんりかれたが、経営けいえい責任せきにんしゃとどまったピエール・ブーランジェは公然こうぜんサボタージュ指揮しきし、占領せんりょうぐんけのトラック生産せいさん遅滞ちたいさせたり、ときには故意こい欠陥けっかんしゃおくすなどして損害そんがいあたえるようつとめた。このような会社かいしゃげてのレジスタンス運動うんどうによりブラックリストせられながら、ブーランジェは1944ねんのフランス解放かいほうまでたくみにび、またルイ・ルノーのような占領せんりょうぐんへの積極せっきょくてき利敵りてき行為こういおこなわなかったことから、フランス解放かいほうもシトロエンしゃのトップにとどまった。

このさい開発かいはつ途上とじょうだったTPVをナチスのわたさないため、ブーランジェの命令めいれいによってTPVプロジェクトの抹消まっしょうはかられた。戦争せんそう実現じつげんしなかった1939ねんのモーターショーのために準備じゅんびされた250だい試作しさくしゃは1だいのこして破壊はかいされ、また一部いちぶ工場こうじょうなどのかべめられ、あるいは地中ちちゅうめられた。これらは1990年代ねんだい以降いこう最終さいしゅうてき合計ごうけい5だい発見はっけんされている。ナチスとブーランジェ、双方そうほうのがれて破壊はかい埋設まいせつまぬかれた少数しょうすうは、ボディを改造かいぞうして小型こがたトラック偽装ぎそうされた。前述ぜんじゅつ台数だいすう重複じゅうふくしているとおもわれるが、の2000ねんにミシュラン工場こうじょう改築かいちくさい、レンガのかべこわしたところちゅうからあらたに3だい発見はっけんされている。

独自どくじ研究けんきゅう開発かいはつきんじられた困難こんなん状況じょうきょうではあったが、ルフェーヴルら技術ぎじゅつしゃたちは、ナチスがわ監視かんしをかいくぐって、終戦しゅうせんおくされるべきTPVの開発かいはつ進行しんこうさせた。

だがシトロエン社内しゃないでの検討けんとうによって、コスト過大かだいからTPVにアルミニウム多用たようすることは困難こんなんであるという結論けつろんされた。やむなくTPVのおおくのパーツは、エンジンまわりをのぞいては普通ふつうこうえられることになった。

1944ねん連合れんごうこく勝利しょうりともなうフランス解放かいほうによってTPVの本格ほんかくてき開発かいはつ作業さぎょう再開さいかいされた。

試作しさくしゃようにモーリス・サンチュラが設計せっけいした水冷すいれいエンジンは、改良かいりょうかさねても不調ふちょうであった。このため、高級こうきゅうスポーツカーメーカーのタルボから1941ねん移籍いせきしてきた有能ゆうのうなエンジン技術ぎじゅつしゃワルテル・ベッキアWalter Becchia 1896-1976)が、水平すいへい対向たいこう2気筒きとうレイアウトを踏襲とうしゅうしつつ、あらたに信頼しんらいせいたか空冷くうれいエンジンを開発かいはつして問題もんだい解決かいけつした。

またボディデザインは、イタリアひと社内しゃないデザイナーであり、トラクシオン・アバンやのちの「DS」のデザインも手掛てがけたフラミニオ・ベルトーニで、コンセプトを維持いじしつつも改良かいりょうくわえられた。

発表はっぴょう嘲笑ちょうしょう[編集へんしゅう]

1949ねん-1960ねんかた はじめてサロンで公開こうかいされたタイプAと同型どうけいモデル 1950ねんせい1954ねん以降いこうのタイプAZLとはグリルの形状けいじょうとう差異さいがある。
1954ねん-1960ねんがた タイプAZL-Belgium

1948ねん10月7にち、シトロエン2CVはフランス最大さいだいのモーターショーであるパリ・サロンにおいておおやけ発表はっぴょうされた。

多数たすうのマスコミ・観客かんきゃく見守みまもなか、ブーランジェ社長しゃちょうによって紹介しょうかいされ、除幕じょまくされた「ニューモデル」の2CVは、あまりにも奇妙きみょうなスタイルで、観衆かんしゅうをぼうぜんとさせ、ったフランス共和きょうわこく大統領だいとうりょうヴァンサン・オリオールをして困惑こんわくせしめたという。しかしながら、この問題もんだいはブーランジェのメディアへのショーぜん公示こうじ不足ふそくおおきな原因げんいんであったとする見解けんかいもある。

この時点じてんで、競合きょうごうするルノーの750ccリアエンジン大衆たいしゅうしゃ4CV」や、プジョーの1クラスじょうの1,300ccしゃ203」がすでにデビューしており、それら他社たしゃせい戦後せんごがたニューモデルがごく「まとも」な自動車じどうしゃであっただけに、2CVのあやさがきわだった。

居合いあわせたジャーナリストたちは2CVをて「みにくいアヒルの」「乳母車うばぐるま」と嘲笑ちょうしょうし、居合いあわせたアメリカじんジャーナリストは「この『ブリキの缶詰かんづめ』に缶切かんきりをけろ」と揶揄やゆした。前衛ぜんえい詩人しじん皮肉ひにく作家さっかボリス・ヴィアンは2CVを「まわ異状いじょう」とひょうした。だがしかし、大衆たいしゅうは2CVを支持しじし、シトロエンしゃはすぐさますうねんぶんのバックオーダーをかかえることとなった。

ピエール・ブーランジェはこの自動車じどうしゃ成功せいこう確信かくしんしていた。2CVがその奇矯ききょう外見がいけんとは裏腹うらはらに、あらゆるめん合理ごうりてき裏付うらづけをって設計せっけいされ、市場いちばニーズに合致がっちした自動車じどうしゃであるという自信じしんっていたからである。

もっともかれは2CVの未曾有みぞう成功せいこう完全かんぜん見納みおさめないうちに、1950ねんみずか運転うんてんするトラクシオン・アバンの事故じこ死亡しぼうした。

先行せんこう量産りょうさんモデルは「とくに2CVを必要ひつようとしている」とかんがえられた希望きぼうしゃ優先ゆうせん販売はんばいされ、日常にちじょうにおける実際じっさい使用しよう条件じょうけんについて詳細しょうさいなモニタリングがおこなわれた。それらはフィードバックされ、技術ぎじゅつ改良かいりょう販売はんばい方針ほうしん改善かいぜん活用かつようされた。

2CVが廉価れんかなだけでなく、維持いじ低廉ていれんあつかいやすくて信頼しんらいせいみ、たか実用じつようせい汎用はんようせいゆうしていることは、短期間たんきかんのうちに大衆たいしゅうユーザーたちに理解りかいされた。1949ねん生産せいさんはスターターの必要ひつようせいなどの問題もんだいてんがあり、同年どうねん7がつよりはじまり日産にっさん4だい:876だいとどまったが、よく1950ねんには6,196だいと、月産げっさん400だいのペースで量産りょうさんされるようになり 1951ねんには生産せいさん台数だいすうは14,592だいになった。以後いご生産せいさんペースは順調じゅんちょう増加ぞうかしていった。

フランス国民こくみんはこのエキセントリックな自動車じどうしゃ外見がいけんにも早々そうそうれ、2CVはすうねんのうちにひろ普及ふきゅうした。街角まちかど田舎道いなかみちに2CVがとままる姿すがたは、フランスの日常にちじょうてき光景こうけいひとつとなった。

さらにはヨーロッパ各国かっこくにも広範こうはん輸出ゆしゅつされ、ことにその経済けいざいせいあく踏破とうは能力のうりょく各地かくちのユーザーに歓迎かんげいされた。イギリスなどにおいて現地げんち生産せいさんおこなわれている。

ドーリーのうし姿すがた

シトロエンはその排気はいきりょう拡大かくだいうち外装がいそうのマイナーチェンジなどをかさねて2CVをアップデートしていくとともに派生はせいモデルを多数たすう開発かいはつして小型車こがたしゃ分野ぶんやのラインナップを充実じゅうじつさせた。1967ねん後継こうけいモデルとおもわれるディアーヌ発表はっぴょうしたが、結果けっかとして2CVはそれよりも長生ながいきすることになった。ことに1970年代ねんだいオイルショックは、2CVの経済けいざいせいという特長とくちょうきわだたせることになった。

またすぐれた経済けいざいせいはし能力のうりょくとをあわつ2CVに着目ちゃくもくした欧州おうしゅう若者わかものたちは、世界せかい旅行りょこう手段しゅだんとして2CVをえらび、きたはノルウェー、ひがしモンゴルけて日本にっぽん西にしアラスカみなみアフリカはしけた。さらには世界せかい一周いっしゅう旅行りょこうかけて50ヶ国かこく、8つの砂漠さばくはしやく10まんkmをはししたコンビもあった。

限定げんていモデル[編集へんしゅう]

1970年代ねんだい後半こうはんになると、ボディの外観がいかん形状けいじょう基本きほんてきなメカニズムは維持いじしたまま、外装がいそうやインテリアを特別とくべつ仕様しようとした限定げんていモデルが登場とうじょうした[注釈ちゅうしゃく 3]最初さいしょ発売はつばいした「2CV スポット」までは「2CV-4」、それ以降いこうは「2CV-6」をベースとしたモデルである。

「2CV トレーフル」のレプリカ[注釈ちゅうしゃく 4]
  • 1974ねん2CV トレーフル」(Trèfle) - 「クローバー」を意味いみするフランス語ふらんすご名付なづけられたモデル。あざやかなヘリオスイエロー (jaune Hélios/AC336[注釈ちゅうしゃく 5]) のボディにフェンダーのみをくろ (noir/AC200) で塗装とそうする。試作しさくのみで流通りゅうつうにはいたらなかった。
「2CV スポット」
  • 1976ねん2CV スポット」(Spot) - 発売はつばいされた限定げんていモデルでは唯一ゆいいつ2CV-4がベース。角形かくがたヘッドライトとオレンジ (orange Ténéré/AC329) とスノーホワイト (blanche Meije/AC088) の塗装とそう、オレンジとしろのストライプのソフトトップ、オレンジのインテリアで構成こうせいされた、はなやかなリゾートビーチをイメージしたモデル。4月より、限定げんてい2500だい
修復しゅうふくされた「2CV バスケット」
  • 1976ねん2CV バスケット」(Basket) - シトロエンが1976ねん主催しゅさいした2CVのグラフィックコンテストで優勝ゆうしょうしたクレア・パニエ (Claire Pagniez) の応募おうぼ作品さくひん実車じっしゃしたもの。応募おうぼしゃ当時とうじデザイン学校がっこう学生がくせいで、若者わかものらしくバスケットシューズをイメージしたデザインの作品さくひんで、実車じっしゃは2だい(3だいとも)が製造せいぞうされた。
  • 1980-1990ねん2CV チャールストン」(Charleston) - クラシカルなダークレッド (rouge Delage/AC446) とくろのツートーン塗装とそう1980ねん10月に8000だい限定げんていのモデルとして登場とうじょうし、1981ねん7がつ量産りょうさんがたのレギュラーモデルとなった。量産りょうさんがたでは、限定げんていモデルのカラーのほかあざやかなヘリオスイエローとくろ (1981ねん7がつ - 1983ねん6がつ)、1984ねん7がつからはライトグレー (gris Cormoran/AC057) とナイトグレー (gris Nocturne/AC099) のカラー・パターンもくわわった。なお、限定げんていしゃ量産りょうさんがたでは内装ないそう外装がいそうともに細部さいぶ差異さいがある。
2 CV 007
  • 1981ねん2CV 007」 - 同年どうねん映画えいが007 ユア・アイズ・オンリー」(原題げんだい「For Your Eyes Only」、えいべい合作がっさく公開こうかい記念きねんしたモデル。げきちゅうでヒロインのメリナ・ハブロック(えんじキャロル・ブーケ)の所有しょゆうしゃとして2CVが登場とうじょうし、ジェームス・ボンドえんじロジャー・ムーア)が運転うんてんするカーチェイスシーンがある。撮影さつえいようにはシャーシ、エンジンをスタントよう改造かいぞうし、かくがたヘッドランプをけた「2CV-6クラブ イエローミモザ」がけい6だいつくられ、そのうち3だい使用しようされた。市販しはんしゃまるがたヘッドランプにヘリオスイエローの「2CV-6スペシャル」をベースに「007」のロゴマークやげきちゅうけた銃創じゅうそうをデカールで表現ひょうげんする。10月より500だい限定げんてい発売はつばいした。
メリリャ自動車じどうしゃ歴史れきし博物館はくぶつかん保存ほぞんされる「2CV マルカテロ」。
  • 1982ねん2CV マルカテロ」(Marcatelo) - 同年どうねん開催かいさいされただい12かいサッカーFIFAワールドカップスペイン大会たいかいほん大会たいかいへフランスが出場しゅつじょうした記念きねんのモデル。前述ぜんじゅつのコンテスト優勝ゆうしょう作品さくひん触発しょくはつされたサッカーシューズをイメージしたデザインで、スペインチームのシンボルカラーであるあざやかなスカーレット (rouge-orange) としろ (blanc) のカラーリングで、限定げんていすうは300だいであった。
こん大会たいかいより本戦ほんせん出場しゅつじょうこくを24ヶ国かこく増加ぞうかしておこなわれたこのとしのFIFAワールドカップほん大会たいかいにおいて、フランスは決勝けっしょうトーナメント (4ヶ国かこく進出しんしゅつ) まですすんだが、準決勝じゅんけっしょう西にしドイツにPKけ、3決定けっていせんでもポーランドにやぶれた。
2 CV フランス3
  • 1983-1984ねん2CV フランス3」(France 3) - ヨットレース「アメリカズカップだい25かい大会たいかいへのフランスチーム出場しゅつじょう記念きねんしたモデル。ていめい「フランス三世さんぜごう」にちな命名めいめい。スノー・ホワイトの車体しゃたい側面そくめんにはなみをイメージしたあお曲線きょくせん模様もようを、ボンネットフード、ソフトトップ、トランクドアに中心ちゅうしんせん沿っておなしょくの2ついのバンドをえがき、トランクドアの左下ひだりしたにはフランス三世さんぜごうのデカールをる。1983ねん4がつから翌年よくねん4がつまで、2000だい限定げんてい販売はんばい。なお、ヨットレースの結果けっかは、大会たいかい創設そうせつ以来いらい132年間ねんかんわた優勝ゆうしょう独占どくせんしてきたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのチームがはじめて敗北はいぼくきっする歴史れきしてき大会たいかいとなったが、フランスチームは予選よせん敗退はいたいであった。
  • 1985ねん3がつ2CV ファイヤーボール」(Fire Ball) - スイス限定げんてい販売はんばいされた。ボディカラーはゼラニウムレッド (rouge Géranium/AC435)。側面そくめんにはエンジンルームからほのお図柄ずがら、トランクドアにはデザインした「FIRE BALL」の文字もじかれたたまのデカールを[5]
2CV エンテ・グルナ
  • 1985ねん2CV エンテ・グルナ」(Ente Grün) - 「みどりのアヒル」を意味いみするドイツ命名めいめいされたスイス限定げんていのモデル。ドイツけんで2CVが「Die Ente」(あひる)の愛称あいしょうしたしまれていたことにちな[6]。インテリアには「アミようのダッシュボードやシングルスポークのステアリングホイールとう装備そうびし、ボディカラーはあざやかな緑色みどりいろ (vert Bamboo/AC533) をメインにあおかわらしょく (vert Tuilerie/AC531=緑色みどりいろ) をアクセントにくわえたツートーン。ゴーグルとヘルメットをけたアヒルのキャラクターのイラストを両側りょうがわフロントドアとトランクドアにしめす。イラストにえられた英語えいごドイツをミックスした「I fly bleifrei」の文字もじは「無鉛むえんこう」程度ていど意味いみで、ゆうなまり燃料ねんりょうたいする規制きせい強化きょうかされはじめたころのスローガン。 このモデルも無鉛むえんガソリンしゃである[7]
「2CV ドーリー」 1985ねん10がつ登場とうじょうしたカラー・パターン
  • 1985-1986ねん2CV ドーリー」(Dolly) - これまでの限定げんていモデルの成功せいこうけて発売はつばいされたツートーンカラーモデル。命名めいめいは、1964ねん初演しょえんされたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのミュージカル「ハロー・ドーリー!」(のちに映画えいがもされた)の主人公しゅじんこう・ドーリー (本名ほんみょう:ドリー・ギャラガー・リーヴァイ。「ドーリー」はその愛称あいしょう) のちなむ。前後ぜんごのフェンダーとボディ側面そくめん一部いちぶ、およびトランクドア、ソフトトップに部分ぶぶんとはことなるいろはいしたモデルで、1985ねん3がつ(3パターン、けい3000だい) 、どう10がつ (3パターン、けい2000だい) 、1986ねん4がつ (1985ねん10がつ発売はつばいのうち2パターンを継続けいぞくし、1パターン追加ついかけい2000だい) の3かいわたり、7種類しゅるいのカラー・パターン[8]販売はんばいされた (とししきふくめるとぜん9種類しゅるい) 。インテリアも随所ずいしょ特別とくべつ装備そうびもうけられた。
タクシーとして利用りようされる「2CV ココリコ」 2013ねん撮影さつえい
  • 1986ねん2CV ココリコ」(Cocorico) - フランスのだい13かいサッカーFIFAワールドカップメキシコ大会たいかいほん大会たいかい出場しゅつじょう記念きねんしたモデル。大会たいかい終了しゅうりょうの10がつから1000だい限定げんてい発売はつばいされた。スノー・ホワイトのベースに側面そくめんがわまどより下部かぶぶん(前輪ぜんりんフェンダーとこうフェンダーより後方こうほう部分ぶぶんのぞく)にトリコロールのグラデーションをあしらい、インテリアはジーンズふうとした。外装がいそうのトリコロール・グラデーションは安価あんか仕上しあげるためにステッカーによるものであった。
このとしのFIFAワールドカップにおいてフランスは、16ヶ国かこくによる決勝けっしょうトーナメントに進出しんしゅつ準決勝じゅんけっしょう西にしドイツにやぶれたものの3決定けっていせんでは延長えんちょうすえにベルギーをやぶ活躍かつやくせた。しかしココリコは、あまりにも目立めだちすぎて愛国あいこくてきすぎると做され、限定げんていシリーズとくらべて商業しょうぎょうてきには成功せいこうしなかった。最後さいごの1だいれたのは、発売はつばいから6ヶ月かげつった1987ねん3がつであった。
  • 1987ねんザウス・エンテ」(Sauss Ente) - 「俊足しゅんそくアヒル」程度ていど意味いみのドイツ名付なづけられたドイツ限定げんていモデル。生産せいさんすうは400だい。ボディカラーは先述せんじゅつの「2CV エンテ・グルナ」と同色どうしょくで、両側りょうがわドアとドランクドアに「エンテ・グルナ」とおなじアヒルのキャラクターが疾走しっそうするイラストをあしらったデカールをる。かくイラストには「Sausss Ente」と「VON 0 AUF 100 IN 59,4 s」(0から100まで59.4びょう) の文字もじがある。内装ないそうもアミようのダッシュボードやシングルスポークのステアリングホイールとう装備そうびした「エンテ・グルナ」同様どうよう特別とくべつ装備そうび[9]
2CV バンブー
  • 1987-1988ねんバンブー」 - イギリスおよびアイルランド限定げんてい販売はんばい。ボディはあざやかな緑色みどりいろで、フロントドア両側りょうがわとトランクドアにたけのイラストとたけをデザインしたふでせんいた「BAMBOO」の文字もじからるロゴマークがえがかれる。
  • 1988-1989ねんペリエ デザイン」(Perrier design) - フランスの天然てんねん炭酸たんさんりミネラルウォーター「ペリエ」の販促はんそくようつくられたラッピングカ―[注釈ちゅうしゃく 6]製造せいぞうすうはペリエの発売はつばい会社かいしゃ発注はっちゅう納入のうにゅうされた1だいのみ。
  • 1988-1989ねん2CV ペリエ」 - おなじペリエにちな市販しはんモデル。ブリュッセル工場こうじょう製造せいぞうによるスノー・ホワイトの 「2CV 6スペシャル」がベースで、ベルギーとルクセンブルクでのみ販売はんばいされた。ボンネットの中央ちゅうおうトップにはペリエのキャラクターであるゴリラの「フー (Fhou) 」のしょうぞうけられ (任意にんい着脱ちゃくだつ可能かのう) 、ばしたうでさきからはなみだ象徴しょうちょうする液体えきたい流下りゅうかしたあとしめ模様もようが、ボンネットめんにペリエのシンボルカラーである緑色みどりいろのステッカーでほどこされる。ギアレバーノブも緑色みどりいろで、ステアリングホイール中央ちゅうおうと、トランクドアの左下ひだりしたにはペリエのロゴがあしらわれた。センターコンソールの位置いちにペリエのボトル6ほんはいる12 Vの冷蔵庫れいぞうこ配置はいちされ、キャビンの4まいのドアの内側うちがわには棍棒こんぼうやペリエのびんったフーのちいさなイラストが複数ふくすうえがかれた[10]

2CVの派生はせいしゃ[編集へんしゅう]

  • 1951ねん - 2CV タイプAのセンターピラーからうしろをはこがたしつにしたユーティリティー(バン)、AUえーゆーのAK)発表はっぴょう
  • 1954ねん - 425ccエンジンのタイプAZのユーティリティー、AZU発表はっぴょう
  • 1958ねん - 2のエンジンを前後ぜんご4WDくるま、4×4サハラ(Sahara : タイプAW)発表はっぴょう

終焉しゅうえん[編集へんしゅう]

だが1980年代ねんだいいたると、基本きほん設計せっけいあまりにもふるくなりぎ、衝突しょうとつ安全あんぜん対策たいさく排気はいきガス浄化じょうか対策たいさくなどに対応たいおうしたアップデートが困難こんなんになってしまった。それにつれて販売はんばい台数だいすう低下ていか1988ねんにフランス本国ほんごくでの生産せいさん終了しゅうりょうし、ポルトガル工場こうじょうでの生産せいさんも1990ねん終了しゅうりょうした。

40ねんわたながいモデルスパンはビートルこと「フォルクスワーゲン・タイプ1」や初代しょだいミニ」とかたならべるものであった。

スタイル・機構きこう[編集へんしゅう]

全長ぜんちょう×全幅ぜんぷく×ぜんこうは3,830×1,480×1,600mmで、ぜんこうのぞいては現代げんだい小振こぶりな1,000~1,300ccきゅう乗用車じょうようしゃみのサイズである(初期しょき全長ぜんちょう3,780mm)。重量じゅうりょうきわめてかるく、375ccの初期しょきがたで495kg、602ccの末期まっきがたで590kgにぎない。安全あんぜん対策たいさく装備そうびがほとんどそなわっていないという実情じつじょうはあるが、サイズにしてきわめて軽量けいりょうで、その構造こうぞう簡潔かんけつかつ合理ごうりされている事実じじつうかがうことができる。

ボディ外観がいかん[編集へんしゅう]

発表はっぴょうからえず悪口わるぐち嘲笑ちょうしょうてきに、さらには無数むすう冗談じょうだんたねになったスタイルであるが、きわめて合理ごうりせいんだ機能きのうてきデザインである。実用じつようせいさい重視じゅうししつつも、結果けっかとしてきわめて個性こせいてきかつユニークなスタイルとなった外観がいかんは、現在げんざいでもおおくの支持しじしゃあつめている。

1960ねんまではそとばん一部いちぶ(エンジンフードとう)に強度きょうど確保かくほのためなみばん構造こうぞうもちいており、機能きのう優先ゆうせん外見がいけんだった(1961ねん以降いこうは 5ほんほう補強ほきょうがいいたとなった)。

タイプAZAのドアとステアリングホイール。
タイプAZA
リアクオーターピラーにウインドウがなく、方向ほうこう指示しじく。
ぜんドアがぜんヒンジとなり、Cピラーにまどはいった6ライトがた後期こうき2CVのボディ構造こうぞうがよくかる写真しゃしん。この時代じだいでもうしろのドアは簡単かんたんはずせる

はら設計せっけいが1930年代ねんだいである自動車じどうしゃらしく、ガラスエリアがせまくフロントフェンダー独立どくりつしたふる形態けいたいのこしている。ボンネット(エンジンフード)は強度きょうど確保かくほのためつよまるみをびており、そのりょうわきそとけされたヘッドランプあいまって、2CV独特どくとく動物どうぶつてきでユーモラスなフロントスタイルを形成けいせいしている。このヘッドランプは、せい荷重におもによる姿勢しせい変化へんかおおきい2CVにわせ、簡単かんたんに、いち両側りょうがわひかりじく調節ちょうせつができる設計せっけいとなっている。

フロントグリルほそ横縞よこじまじょう大型おおがたグリルで、エンジンフードはフェンダーのすぐじょうからひら構造こうぞうだった。1961ねんにフードとともにグリルも小型こがたされあら横縞よこじまとなった。どちらも、寒冷かんれいにエンジンのオーバークールふせぐためのぬのジャケット、またはプラスチックカバーが用意よういされていた。

客室きゃくしつ部分ぶぶんは4ドアを標準ひょうじゅんとする。初期しょきのドアは中央ちゅうおうのピラーを中心ちゅうしん対称たいしょうひらき、うえくことで簡単かんたんはずすことも出来できた。1964ねん安全あんぜんじょう理由りゆうからぜんヒンジとなった。

居住きょじゅうせい重視じゅうしして円弧えんこじょうたか屋根やねそなえ、ガラス簡素かんそのため平面へいめんガラスしか使つかわれていない。側面そくめん複雑ふくざつ曲線きょくせんたず、幅員ふくいん有効ゆうこう活用かつようのため1930年代ねんだいおおくの自動車じどうしゃのようなホイールベースあいだ外部がいぶステップく、このてんではどう時代じだいのフォルクスワーゲン・ビートルよりモダンであった。徹底てっていした機能きのう主義しゅぎてきデザインには、どう時代じだい代表だいひょうする近代きんだい建築けんちくル・コルビュジエからの影響えいきょう指摘してきされている。

ル・コルビュジエは建築けんちくとしての合理ごうり主義しゅぎから、だいいち大戦たいせんのシトロエンによる自動車じどうしゃ量産りょうさん企図きと共感きょうかんいており、建築けんちく分野ぶんやにおいて同様どうようなマスプロダクションや合理ごうりした1920ねん以降いこうのコンセプトには、シトロエンへのオマージュをふくんだ「シトロアン(Citrohan)住宅じゅうたく」というあたえられた(ル・コルビュジエの建築けんちく作品さくひん-近代きんだい建築けんちく運動うんどうへの顕著けんちょ貢献こうけん-参照さんしょう)。さらに1928ねんからはみずから、"Voiture Minimum"(最小限さいしょうげんくるま、ミニマムカー)という独自どくじ小型車こがたしゃコンセプトをし、1936ねんにはあくまでモックアップではあるが、3+1リアエンジンちょう小型車こがたしゃデザインを発表はっぴょうした。その平面へいめん円弧えんこ多用たようした単純たんじゅんなスタイルは、ほどなくって(秘密ひみつに)開発かいはつされたシトロエン試作しさくしゃ類似るいじしており、一方いっぽうそれ以前いぜんからル・コルビュジエ自身じしん愛用あいようしていたヴォワザンしゃからの影響えいきょう垣間見かいまみえる。

前部ぜんぶまどにはパネルを開閉かいへいするタイプの原始げんしてきだが効率こうりつよく通風つうふうできるベンチレーターそなえる。むしとう異物いぶつ侵入しんにゅう防止ぼうし目的もくてきで、開口かいこう金網かなあみられている。

側面そくめんまど複雑ふくざつ機構きこうはぶき、中央ちゅうおうから水平すいへいせん方向ほうこうにヒンジをふたしきである。はなしておくときは、した半分はんぶん外側そとがわからうえ回転かいてんさせて固定こていしきつめけておく。固定こていせずに走行そうこうすることもでき、あめゆきなかでも適度てきどくもめのための換気かんき可能かのう初期しょきのモデルには方向ほうこう指示しじがなく、ドライバーがこの状態じょうたいまどけ、うでそとして信号しんごう指示しじすることを想定そうていしていた。プリミティブの極致きょくちであった。

リアフェンダーは曲面きょくめんった脱着だっちゃくしきで、こう半分はんぶんカバーするスパッツじょうである。タイヤ交換こうかん場合ばあいジャッキアップすればスイングアームでられたのち自然しぜん垂下すいかして作業さぎょう可能かのう状態じょうたいになるので、フェンダーをけたままでも実用じつようじょう問題もんだいはない。

屋根やねキャンバスせい標準ひょうじゅんで、好天こうてんには後方こうほうってオープンにできる。初期しょきがたトランクぶたまでもがほろせいだったが、1957ねん金属きんぞくせいとなった。キャンバストップとしたのは、軽量けいりょうやコストダウンのほか空冷くうれいエンジンの騒音そうおん車内しゃないから発散はっさんさせる効果こうかねらったものである。このため、たか荷物にもつ屋根やねければ簡単かんたんはこべた。2CVの広告こうこくイラストには、キャンバストップをはらってたか柱時計はしらどけい箪笥たんすなどを疾走しっそうしているものもられたが、これはけっして誇大こだい広告こうこくではなかった。

ほかにも、中央ちゅうおうに1つだったブレーキランプ標準ひょうじゅんてきな2つに、ふといCピラーまどけるなど、大小だいしょうさまざまな改良かいりょうくわえられたが、基本きほんてき形状けいじょうは42年間ねんかんわらなかった。

車内しゃない[編集へんしゅう]

2CVのインパネ部分ぶぶん写真しゃしん右側みぎがわにダッシュボードからびるシフトレバーえる

大人おとな4にん無理むりなく乗車じょうしゃできる。排気はいきりょうしてスペースは非常ひじょうなゆとりがあり、排気はいきりょう400 cc以下いか自動車じどうしゃでこれほどの居住きょじゅうせい実現じつげんしたれいにもまれである。ただし、車内しゃないはば開発かいはつされた時代じだい相応そうおうせまい。

内装ないそうはごく簡素かんそであり、計器けいきるいやスイッチは「運転うんてん必要ひつよう最低限さいていげん」しか装備そうびされていない。その初期しょきには燃料ねんりょうけいすら装備そうびされておらず、燃料ねんりょうざんりょうはタンクない計量けいりょうぼうれてるしかなかった。ただし、これはどう時代じだいほか大衆たいしゅうしゃ同様どうようであり、特別とくべつなものではない。ダッシュボード(?)したにはドライバーのひざじょうたかさでよこ方向ほうこういちはいのトレーがあり、小物こものきやすい。

ステアリング・ホイール長年ながねんまるパイプをわせた簡素かんそな2ほんスポーク仕様しようだったが、1970年代ねんだい以降いこうにはグレードによってシトロエンの上級じょうきゅうクラスとおなじくかたしきの1ほんスポークモデルもあった。1ほんスポークなら事故じこでドライバーがステアリング・ホイールにたたきつけられても、れることで衝撃しょうげきをある程度ていど吸収きゅうしゅうできると見込みこんだものである。

パイプフレームで骨格こっかく構築こうちくされたシートは、ゴムベルトでキャンバスをって表皮ひょうひっただけの簡素かんそきわまりない軽量けいりょう設計せっけいで、ハンモックともたとえられるが、乗客じょうきゃく身体しんたいによくなじみ、心地ごこち優秀ゆうしゅうである。パイプフレームはゆかめん左右さゆう2ほんつめによってまれただけであり、後期こうきモデルのぜんせきはスライド機能きのうったシートレールが採用さいようされているが、ぜんせきこうせきとも脱着だっちゃく容易よういかるいため、出先でさきはずして屋外おくがいのベンチわりに利用りようすることもできる。着座ちゃくざ位置いちたかめで、レッグスペースをかせいでいる。

ゆかめんはほとんどフラットである。プロペラシャフトやその諸々もろもろ機器ききによる突起とっきがなく、居住きょじゅうスペース確保かくほ貢献こうけんしている。

フロントウインドシールドワイパー動力どうりょくあつでも電動でんどうでもなかった。前輪ぜんりん駆動くどうするギアケースからされたスピードメーター駆動くどうようのワイヤーケーブルの途中とちゅうウォームギア仕込しこみ、ワイパーの駆動くどう動力どうりょくにも利用りようしたのである。このためスピードメーターは、ワイパーを駆動くどうしやすいステアリングの左上ひだりうえはしかれた。ワイパーの動作どうさ速度そくど速力そくりょく比例ひれいし、高速こうそく走行そうこうでははやすぎ、低速ていそくではおそすぎ、使つか勝手がってはけっしてくはなかった。その構造こうぞうじょう停車ていしゃちゅう作動さどうしなかったので、ワイパーのスイッチノブをみ、でノブをまわすことによって、ワイパーを手動しゅどううごかすことも可能かのうであった。のちに電動でんどうしきワイパーに改良かいりょうされ、スピードメーターもステアリングコラムじょううつった。

ヒーターは、空冷くうれいエンジンの冷却れいきゃくふう車内しゃないおくむものであるが、熱量ねつりょう不足ふそくくわえ、ファンが装着そうちゃくされていないことから、あまきはくない。ガソリン燃焼ねんしょうしき独立どくりつヒーター装備そうびするケースもあった。生産せいさんモデルでは、クーラー最後さいごまで装備そうびされなかった(こうけのクーラーは存在そんざいする)。

シャシ[編集へんしゅう]

ホイールベースは2,400 mmと、ちいさな排気はいきりょうわりながく、前後ぜんごとも1,260 mmのトレッドも1940年代ねんだい当時とうじ小型車こがたしゃとしてはひろい。このゆとりが走行そうこう性能せいのう確保かくほにつながっている。基本きほん構成こうせいは、強固きょうこプラットフォームフレームがそのままフロアパネルとなり、前後ぜんごにサスペンションアームを、また前方ぜんぽうにエンジンをはじめとするドライブトレーンをオーバーハングさせている。このうえ簡素かんそ設計せっけい軽量けいりょうボディをそうする。

サスペンションは、フロントがリーディングアーム、リアがトレーリングアームで、 前後ぜんごのサスペンション・アームはそれぞれコイルスプリングに接続せつぞくされ、これらのスプリングは床下ゆかした前後ぜんご方向ほうこう配置はいちされたサスペンション・シリンダーないおさめられているが、このシリンダーは「はん浮動ふどう状態じょうたい」で、初期しょき左右さゆうの「たけのこバネ英語えいごばん」により、のちにエンジン・パワーの強化きょうかともないゴム・ブッシュによる「はん固定こてい状態じょうたいとなってその移動いどう制限せいげんされ、最終さいしゅうてきには「固定こてい」された。前述ぜんじゅつした「前後ぜんご関連かんれん懸架けんか」とは、前輪ぜんりん - ロッド - ( コイル - サスペンション・シリンダー: pot de suspension - コイル) - ロッド - こうむすばれており、コイルばねを2ばいやわらかく使つかう、シトロエンしゃ考案こうあんした「けい車両しゃりょうようサスペンション」である。

左右さゆうそれぞれの前後ぜんごアームからはロッドがび、サイドシルしたでスプリングをかいして連結れんけつされている。この「前後ぜんご関連かんれん懸架けんか」により、前輪ぜんりんげをけると前輪ぜんりんがわのスプリングが収縮しゅうしゅくしサスペンション・シリンダーは前方ぜんぽう移動いどうし、こうロッドをげて 車体しゃたいをフラットにたもつようはたら仕掛しかけで、サスペンションの柔軟じゅうなんせい路面ろめん追従ついしょうせいおおきくたかめた。あくへのつよさの秘密ひみつがここにある。この前後ぜんご関連かんれんしきばねはまた、旋回せんかい車体しゃたいロール抑制よくせいする。旋回せんかい外輪がいりんでは、ばねが前後ぜんご両方りょうほうのバウンドにさからう方向ほうこうはたらき、ローリング角度かくど減少げんしょうさせる。もっとも、この前後ぜんご関連かんれんばねのレート自体じたい圧倒的あっとうてきひくく、またリーディング/トレーリングのサスペンション・リンケージロールセンター極端きょくたんひくたもつため、本質ほんしつてき旋回せんかいのロールが極端きょくたんおおきく、しばしば横転おうてんしそうにえる。しかし実際じっさいには車体しゃたい重心じゅうしんだかはそれほどたかくなく、また上述じょうじゅつしたようにロールセンターがひくくジャッキング・アップ・フォースをほとん発生はっせいさせないので、横転おうてんまでの限界げんかい想像そうぞう以上いじょうたかく、軽量けいりょうてい出力しゅつりょくゆえ、シャシ性能せいのうには余裕よゆうがあり、ロードホールディングと操縦そうじゅう安定あんていせいすぐれている。またこの構造こうぞうゆえ、荷重かじゅうおおきければおおきいほど実質じっしつてきなホイールベースがび、安定あんていせい確保かくほする方向ほうこうはたらくようになっている。

ユニークなのはダンパーで、登場とうじょうからかく2種類しゅるい減衰げんすい装置そうちっていた。

ばねじょう車体しゃたい)の振動しんどう減衰げんすいはリーディング/トレーリング・リンクの車体しゃたいがわピックアップポイントのフリクションによりている。このフリクションしきはサスペンションのちぢがわにもがわにも同様どうよう減衰げんすいりょく作用さようすることになり、一般いっぱんてきちぢがわよりがわ減衰げんすいりょくたかめなければならない自動車じどうしゃのサスペンションでは不都合ふつごうしょうじるが、当時とうじすでオートバイでは同様どうようのフリクションしき減衰げんすい一定いってい成功せいこうしめしていたので、2CVの設計せっけい年次ねんじ考慮こうりょすると採用さいよう妥当だとうである。

2CVのユニークなてんは、ばね空気くうきりタイヤをばね、リンクるいハブステアリングナックル英語えいごばんなどをマスとするばねマスけい)の減衰げんすいに、かくのサスペンションアームにけられたつつがたケースない組込くみこまれたコイルスプリング上端じょうたんおもり固定こていして、コイルスプリングとおもりめられる固有こゆう振動しんどうすう車体しゃたい振動しんどうす「慣性かんせいダンパー」(どう吸振)をもちいたてんである。このばねせい装置そうちは、にはブリヂストン近年きんねんインホイールモーターしき電気でんき自動車じどうしゃけに研究けんきゅうしているれいがあるだけで、非常ひじょうにユニークな設計せっけい思想しそうである。

ダンパーをかくで2種類しゅるいずつつというのは一見いっけん無駄むだようだが、通常つうじょう、ばねじょう共振きょうしん周波数しゅうはすうは1.2 - 1.5 Hz一方いっぽうばね共振きょうしん周波数しゅうはすうは10 - 13 Hzへるつ付近ふきんにあり、それぞれの振動しんどう減衰げんすいため個別こべつ減衰げんすいもちいる手法しゅほうは、振動しんどう工学こうがくてきには正当せいとう手段しゅだんえる。しかし実際じっさいには、機械きかいてきなフリクションにたよったリーディング / トレーリング・リンクの減衰げんすい装置そうち減衰げんすいりょく安定あんていして発生はっせいさせることが困難こんなんであり、また、ばねどう吸振寸法すんぽう重量じゅうりょう問題もんだいから設計せっけいむずかしく、かならずしも効果こうかてきとはがたい。のちテレスコピック油圧ゆあつダンパがこうがわ採用さいようされたが、これらの2CVに特有とくゆう減衰げんすい1970年代ねんだいまで使用しようつづけられた。これらのわせは、エンジン出力しゅつりょくにより決定けっていされている。

タイヤミシュランせい標準ひょうじゅんである。1950年代ねんだいの125/400 mm(16インチ相当そうとう) - 125/15クラスのタイヤは、バルーンタイヤの登場とうじょうしたのち時代じだいにもかかわらず非常ひじょうほそいが、みちおおきくまた接地せっちめん縦長たてながちいさいことで、ころがり抵抗ていこうさえ、パワーロスをらしつつ、必要ひつよう十分じゅうぶんなグリップりょく確保かくほできるというメリットがある。ミシュランは1948ねん世界せかいはつラジアルタイヤ「ミシュランX」を市場いちばおくしたが、ほどなくこの2CVようサイズのタイヤにもラジアルタイヤが用意よういされた。現在げんざい日本にっぽん国内こくないにおいては、ミシュランX-125R15の取扱とりあつかいはあるが、在庫ざいこ不足ふそくのため入手にゅうしゅ非常ひじょうむずかしい。わりのタイヤとして、ミシュランZX-135R15や、一部いちぶ業者ぎょうしゃあつかファイアストンF560-125R15や、台湾たいわんメーカーのタイヤが装着そうちゃくされることおおい。

ブレーキはシトロエンの標準ひょうじゅん当初とうしょから油圧ゆあつだが、フロントはインボードブレーキで、長期ちょうきわたって前後ぜんごともドラムブレーキであったが、末期まっきがたはフロントがインボードのままディスクブレーキとなった。

前輪ぜんりん駆動くどうしゃでネックとなる技術ぎじゅつひとつは、前輪ぜんりん駆動くどうするためのドライブシャフト・ジョイントである。2CVが設計せっけいされた時代じだいには、自動車じどうしゃようひとしそくジョイントいま量産りょうさんされておらず、トラクシオン・アバンではダブル・カルダンがたのジョイントが使用しようされていた。ダブル・カルダン・ジョイント広義こうぎではひとしそくジョイントであるが、商用しょうよう貨物かもつ仕様しようであるフルゴネットおよび派生はせいモデルのアミ6一部いちぶモデルにダブル・カルダンがたのジョイントが使用しようされたものの、2CVではダブル・カルダンがたのジョイントは使用しようされず、シングル・カルダンがたジョイントが使用しようされた。のちのモデルではひとしそくジョイントを装備そうびしている。

602 ccエンジンしゃのエンジンルームを前方ぜんぽうからる。エンジンシュラウドから冷却れいきゃく空気くうき排気はいきダクトがびており、通常つうじょうはフェンダーないのホイールハウスへ直接ちょくせつ排気はいき寒冷かんれいはヒーター熱源ねつげんとして客室きゃくしつない導入どうにゅうする

エンジンの構成こうせい[編集へんしゅう]

強制きょうせい空冷くうれい水平すいへい対向たいこう2気筒きとうOHVガソリンエンジンを、車体しゃたいぜんはしにオーバーハングして搭載とうさいされた。一見いっけんのうよう発動はつどうのように簡素かんそ騒々そうぞうしい代物しろものながら、そのきわめて高度こうど内容ないようそなえる緻密ちみつ設計せっけいであり、主要しゅよう部分ぶぶんガスケットなしでてられている。設計せっけいしゃのワルテル・ベッキアは、まえしょくのタルボしゃ在籍ざいせきには高性能こうせいのうしゃようのハイスペックエンジンを設計せっけいしていた人物じんぶつである。

ベッキアがエンジンを空冷くうれいしきとしたのは、1930年代ねんだい - 1940年代ねんだい水冷すいれいエンジンにおいて冷却れいきゃく系統けいとう不調ふちょうがしばしばエンジントラブルの原因げんいんとなっており、またTPV試作しさく初期しょき搭載とうさいされたモーリス・サンチュラ設計せっけい水冷すいれいエンジンが寒冷かんれいコールドスタート困難こんなんとしていたためである。さら軽量けいりょう簡略かんりゃく効果こうかねらった。空冷くうれい方式ほうしき採用さいようかぎらず、このエンジンからはトラブルの原因げんいんとなる要素ようそつとめて排除はいじょされ、基本きほんてき故障こしょうしにくい構造こうぞうになっている。

気筒きとうすう快適かいてきさをそこなう手前てまえ極力きょくりょくまでらされた2気筒きとうで、BMWなどのオートバイエンジンなどを参考さんこうにし、コンパクトでいち振動しんどう心配しんぱいのない水平すいへい対向たいこうしき採用さいようした[注釈ちゅうしゃく 7]材質ざいしつは1940年代ねんだいとしては先進せんしんてきなアルミ合金ごうきんもちいて軽量けいりょう燃焼ねんしょうしつこう効率こうりつ半球はんきゅうしきで、バルブのレイアウトは吸排気はいき効率こうりつたかクロスフローかたとした。半球はんきゅうがた燃焼ねんしょうしつとクロスフローがたべん配置はいちは、当時とうじレーシングカー採用さいようされる技術ぎじゅつであった。エンジン前方ぜんぽうおおきな強制きょうせい冷却れいきゃくファンを直結ちょっけつし、エンジン全体ぜんたい冷却れいきゃくする。なおかつエンジン直前ちょくぜんかれたオイルクーラー同時どうじ冷却れいきゃくされる設計せっけいである。

通常つうじょうレシプロエンジンでは、ピストンからの動力どうりょくクランクシャフトつたえるコンロッドは2ピースの分割ぶんかつしきとして、ボルトめでクランクシャフトに脱着だっちゃくするようになっている。

ところが2CVようエンジンでは、コンロッドはクランクあないた一体いったいしきとして、工場こうじょう窒素ちっそ冷却れいきゃくしたしきクランクシャフトを圧入あつにゅうしてしまうやりかたった。これで強度きょうど工作こうさく精度せいどたかめようという大胆だいたん不敵ふてき発想はっそうである。クランクシャフトとコンロッドは分離ぶんり不能ふのうとなるが、現実げんじつにはほとんど分離ぶんりようさないので、これでもよいとられた。

点火てんか機構きこうもトラブル排除はいじょのため徹底てってい簡素かんそ単純たんじゅんされ、確実かくじつ作動さどう長期ちょうきのメンテナンスフリーを実現じつげんしている。クランクスローは180であるが、点火てんかは1回転かいてんごと左右さゆう等間隔とうかんかくではなく、2回転かいてんごと左右さゆうシリンダーが同時どうじ点火てんかされる。さらに、排気はいき行程こうていのピストンうえてんときにもりょうシリンダーのプラグが「」ともうべきそらのスパークを発生はっせいする構造こうぞうである。エンジンのトルク確保かくほめんではやや不利ふりであるが、単純たんじゅん優先ゆうせんでこの手法しゅほう採用さいようした。2CVエンジンのフライホイールおおきいのは、この同時どうじ点火てんかたいする回転かいてん円滑えんかつ一策いっさくである。

エンジンスペック[編集へんしゅう]

ワルテル・ベッキアは、2CVの2気筒きとうエンジンがきわめててい出力しゅつりょくであるため、ユーザーに常時じょうじ負荷ふかこう回転かいてん状態じょうたいもちいられることを見越みこした設計せっけいおこなっていた。実際じっさい非力ひりきながら頑丈がんじょうで、スロットル全開ぜんかいでの連続れんぞく走行そうこうにもよくえた。未開みかいでのエンジンオイルれのため、やむなくバナナからったあぶら植物しょくぶつ)をエンジンオイルわりに使つかったケースがあるが、それでもトラブルはしれたという。

試作しさくちゅうは、電動でんどうセルフスターター搭載とうさいせず、運転うんてんせきから農業のうぎょうよう発動はつどうはた汎用はんようエンジン同様どうようにワイヤーをいてスタートさせるリコイルスターターであった。これも簡素かんそむねとしたピエール・ブーランジェの命令めいれいによる仕様しようである。

ところが、試作しさくしゃをワイヤー始動しどうさせようとした女性じょせい秘書ひしょつめってしまい、これにりたブーランジェは即刻そっこくスターターモーターの搭載とうさい命令めいれいした。ベッキアは最初さいしょからスターターモーターの装備そうび前提ぜんていとしてエンジンを設計せっけいしており、社長しゃちょうきゅう指令しれいによる仕様しよう変更へんこう簡単かんたん実行じっこうされた。したがって生産せいさんがたの2CVは全車ぜんしゃセルフスターター装備そうびである。もちろんタイヤレンチをねたスターティング・ハンドルによるエンジン始動しどう最終さいしゅうがたまで可能かのうであった。これは、バッテリー消耗しょうもうした状態じょうたい寒冷かんれいでの始動しどう非常ひじょう役立やくだった。

  • 1948ねん当初とうしょボア×ストロークが62 mmのスクエアで、375 cc(9 HP/3,500 rpm)の極少きょくしょう出力しゅつりょくぎなかった(それでも最初さいしょの2CVは最高さいこう55 km/hに到達とうたつした)。
  • 1955ねん以降いこうボアを66 mmにひろげて排気はいきりょう425 ccに拡大かくだいされ、出力しゅつりょくは12 HP/3,500 rpmとなった。最高さいこう速度そくど75 km/h。さらに1963ねんには圧縮あっしゅくげて16.5 HP/4,200 rpm、最高さいこう速度そくど90 km/hとなる。
  • 1968ねん - 「アミ 6」など上級じょうきゅうモデル搭載とうさいの602 cc(ボア×ストロークは74×70 mm)を移入いにゅう、28 HP、最高さいこう110 km/hに強化きょうかされる。税法ぜいほうじょうは3CVきゅうとなるが、くるまめいは2CVのままであった(「2CV 6」としょうした)。しょう排気はいきりょうがたもしばらく「2CV 4」の名称めいしょう生産せいさんされ、こちらは435 ccで21HPを発生はっせいした。
  • 1970ねん - 602 ccに強力きょうりょくがた設定せってい、32 HPに。
  • 1979ねん - 602 ccは29 HP/5,750 rpmに。燃費ねんぴ改善かいぜん

変速へんそく[編集へんしゅう]

4段式だんしきシンクロメッシュギアボックス(1そく後進こうしんのみノンシンクロ)。このクラスの大衆たいしゅうしゃでの4だん変速へんそくかつシンクロメッシュ装備そうびは、1948ねん当時とうじ望外ぼうがい高度こうど設計せっけいである。

開発かいはつちゅう、ピエール・ブーランジェは「農民のうみんつま複雑ふくざつな4だんトランスミッションはあつかいきれない」として3だんとするよう厳命げんめいしたが、ワルテル・ベッキアはちょうてい出力しゅつりょくのエンジンパワーを最大限さいだいげん有効ゆうこう利用りようするため4段式だんしきミッションを採用さいようした。

「4そくはあくまでもオーバードライブギアである」というベッキアの主張しゅちょうで、ブーランジェはしぶしぶ納得なっとくしたという。この「いいわけ」のためか、初期しょきがた2CVの4そくギアは「4」ではなく、高速こうそく・オーバードライブ「surmultipliee」を意味いみする「S」と表記ひょうきされた。もっとも実際じっさいの4そくのギアレシオはオーバードライブどころか、ぎゃく一般いっぱんてき自動車じどうしゃ常道じょうどうであった1.00(直結ちょっけつ)よりもおそい1.47で、極力きょくりょくクロスレシオな設定せっていちかづけて非力ひりきおぎなねらいはあきらかであった。

トランスミッション運転うんてんせきよりやや前方ぜんぽう配置はいちされているため、ギアボックス真上まうえにロッドをげて、ダッシュボード中央ちゅうおうから突出とっしゅつしたシフトレバー連結れんけつした。トランスミッションが車両しゃりょう最前さいぜん配置はいちされたトラクシオン・アバンの手法しゅほう踏襲とうしゅうしたもので、いたって簡潔かんけつかつ作動さどう確実かくじつ構造こうぞうであった。後年こうねんインパネシフト一種いっしゅだが、フロアシフト、コラムシフトのいずれでもないわった形態けいたいである。このおかげで一般いっぱんてき自動車じどうしゃちがってゆかからシフトレバーが突出つきだせず、足元あしもとひろ使つかえる。

変速へんそく操作そうさ独特どくとくで、ニュートラルからレバーをひだりたおまえすと後進こうしん、そのまま手前てまえくと1そく、ニュートラルでレバーをこし前方ぜんぽうすと2そく、そのまま手前てまえくと3そく、ニュートラルでレバーをみぎたおすと4そくである。

のちには遠心えんしんしき自動じどうクラッチ装備そうびしたモデルも出現しゅつげんしているが、自動じどう変速へんそく導入どうにゅうされなかった。

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ プジョー・シトロエンの跡地あとち2001ねん開設かいせつされたクラシックモデルの保管ほかん展示てんじ施設しせつ
  2. ^ 2000ねんに、当時とうじ親会社おやがいしゃであるミシュランの工場こうじょう改築かいちくするさい発見はっけんされたもので、かべないめられていたとする資料しりょう[2]もあるが、「1990年代ねんだいなかば」とするサイトには発見はっけん当時とうじ写真しゃしんとして屋根裏やねうらのような場所ばしょ車体しゃたいなら画像がぞうや、屋根やねこわしてフォークリフトで搬出はんしゅつする画像がぞう掲載けいさいする。
  3. ^ 詳細しょうさいは、フランス語ふらんすごばんおよびWikimedia Commons参照さんしょうのこと
  4. ^ 1979ねん7がつ登場とうじょうした「2CV-6スペシャル」の銘板めいばんえるので、オリジナルではない。
  5. ^ 「AC~」は2CVに使用しよう可能かのうなカラーレファレンスによるいろ番号ばんごう以下いかおなじ。
  6. ^ 参照さんしょう画像がぞう
  7. ^ フィアット技術ぎじゅつしゃであったダンテ・ジアコーサはミニマムトランスポーターの最適さいてきかいフィアット・600とし、会社かいしゃからさらにちいさい500の開発かいはつけられたさい直列ちょくれつ2気筒きとうエンジンの採用さいよう最後さいごまで反対はんたいつづけた理由りゆうが、ちょく2特有とくゆう振動しんどうであった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b しゅく還暦かんれき! 「シトロエン2CV」の特別とくべつてん本国ほんごく開催かいさいちゅう 2020ねん7がつ19にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 世界中せかいじゅうから1まんだいのシトロエンがフランスに!│100周年しゅうねん記念きねんイベント現地げんちレポート② 2020ねん7がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ 刺激しげきてき文明ぶんめい文化ぶんか場所ばしょ│「コンセルヴァトワール」とは? 2020ねん7がつ19にち閲覧えつらん
  4. ^ Car&レジャーweb シトロエン、パリでつけたもの かべなかかくされた2CV 2020ねん8がつ閲覧えつらん
  5. ^ 参照さんしょうwebサイト 2020ねん9がつ閲覧えつらん
  6. ^ La 2CV:Une Legende! 2CV Ente-Grün I Fly bleifrei – 1985 2020ねん8がつ閲覧えつらん
  7. ^ Encyclauto Citroën 2cv Ente grun 2020ねん8がつ閲覧えつらん
  8. ^ 外車がいしゃおうSOKEN おしゃれで希少きしょう限定げんていしゃ「シトロエン2CVドーリー」をベルリンにて発見はっけん 2020ねん7がつ閲覧えつらん
  9. ^ 参照さんしょうwebサイト なおサイトの説明せつめいでは、0-100km/h の加速かそく性能せいのうは54,5びょうである。2020ねん7がつ閲覧えつらん
  10. ^ シトロエン 2CV 6スペシャル ペリエ ニッコリわらってゴリラとドライブ! 2020ねん7がつ閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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タイプ 1980年代ねんだい 1990年代ねんだい 2000年代ねんだい 2010年代ねんだい 2020年代ねんだい
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3
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