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ブラン計画けいかく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブラン計画けいかく
1989ねんのパリ航空こうくうショーで展示てんじされたブラン
目標もくひょう さい使用しようがた宇宙うちゅう往還おうかん技術ぎじゅつ確立かくりつ
主要しゅよう仕事しごと 衛星えいせいげや、宇宙うちゅうステーションとの接続せつぞく
損失そんしつ 2002ねん
その ソビエトで最初さいしょ航空機こうくうきがたさい使用しようがた往還おうかん
ふね輸送ゆそうされている途中とちゅうのブランOK-GLI

ブラン計画けいかく(ブランけいかく)は、ソビエト連邦れんぽうによってすすめられたさい使用しようがた宇宙うちゅう往還おうかん計画けいかくである。

開発かいはつ1970年代ねんだいからスタートし、1980年代ねんだいから本格ほんかくして1988ねん11月15にちはつ飛行ひこうした。そのソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいにより中止ちゅうしされた。

開発かいはつ経緯けいい

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ソビエトはちょう大国たいこくとしてのちから均衡きんこうたもつためにアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくスペースシャトル対抗たいこうするさい使用しようがた宇宙うちゅう往還おうかん必要ひつようとしていた。 エネルギアさい使用しようがた宇宙うちゅう往還おうかん"ブラン"をげるために設計せっけいされ[1]その特性とくせいじょう機種きしゅがロケットのうえペイロード搭載とうさいするのにたいし、側面そくめんにペイロードを搭載とうさいするように設計せっけいされた。エネルギア-ブランシステムの設計せっけい、それは同様どうよう補助ほじょロケットを重量じゅうりょうぶつ打上うちあげロケットとしてブランをせずに使用しようすること検討けんとうされた。この仕様しようは"ブラン-T"という名称めいしょうあたえられた。[2] この仕様しようでは軌道きどう到達とうたつするため上段じょうだんロケットが必要ひつようとされた。[2] 実際じっさいにはエネルギアの最初さいしょ打上うちあげげでは大型おおがた軍用ぐんよう衛星えいせいをペイロードとして搭載とうさいした重量じゅうりょうぶつ打上うちあ仕様しようげられた。

実績じっせき

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エネルギアは1987ねん5月15にち21:30にポリウス搭載とうさいしてげられた。げ2びょうおおきくれたものの、エネルギアロケット自体じたい問題もんだいなくがった。しかし、公式こうしき見解けんかいでは2だん(エンジンづけ軍事ぐんじ衛星えいせいポリュス)のエンジン不良ふりょうによりどう部位ぶい軌道きどう投入とうにゅう失敗しっぱいした。(ゴルバチョフ大統領だいとうりょうによる直前ちょくぜん運用うんよう中止ちゅうし命令めいれい投入とうにゅうしなかったとするせつもある。)

ブランは1988ねん11月15にち午前ごぜん3協定きょうてい世界せかい)にバイコヌール宇宙うちゅう基地きちから発射はっしゃされ、206分間ふんかんにわたり無人むじん地球ちきゅう軌道きどう周回しゅうかいし、発射はっしゃ場所ばしょであるバイコヌール宇宙うちゅう基地きち滑走かっそう自動じどう着陸ちゃくりく成功せいこうさせた。

その

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予定よていでは1992ねん有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこうおこなうはずだったが、1991ねん12月25にちソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいともにこの計画けいかく消滅しょうめつした。1号機ごうきブランはカザフスタンのバイコヌール宇宙うちゅう基地きち保管ほかんされていたが、2002ねん5月12にち暴風ぼうふううしなわれた[3]。この出来事できごと作業さぎょういん8にん死亡しぼうしたとされる。また、2号機ごうきプチーチュカ小鳥ことり)」3号機ごうきバイカルバイカルより)」など、いくつものブランがた派生はせいモデル開発かいはつ製造せいぞう途中とちゅうだったが、これらもすべ中止ちゅうしとなった。現在げんざいは、バイコヌール宇宙うちゅう基地きちない設置せっちされている博物館はくぶつかんえんにわ試験しけんモデルが保管ほかんされている。コックピットは当時とうじのまま保存ほぞん。そのはミュージアムになっている[4]

ブランの試験しけんであるOK-GLIは、2000ねんオーストラリア展示てんじされたあと2002ねんバーレーンられ、しばらくのあいだ放置ほうちされていた。2004ねんにバーレーンからドイツのシュパイアーにあるシュパイアー技術ぎじゅつ博物館はくぶつかんドイツ: Technik-Museum Speyer)にられることが決定けっていし、2008ねん3月6にちから同年どうねん4がつ12にちにかけてふね輸送ゆそうされた[5]

ブランには、O・K・アントーノフ記念きねん航空こうくう科学かがく技術ぎじゅつふくあい設計せっけい製造せいぞうしたAn-225ムリーヤという世界せかい最大さいだい航空機こうくうき専用せんようとして輸送ゆそうにんにあたっていた。こちらは世界せかい最大さいだい貨物かもつとしてられる。

また、一時いちじ放置ほうち状態じょうたいだったAn-225が現役げんえき復帰ふっきするさいにブランを商用しょうよう衛星えいせいようとして復帰ふっきさせる計画けいかくもあった。実際じっさいには実現じつげんしなかったが、ロシア政府せいふプロトンロケット限界げんかいえる要求ようきゅう今後こんご増加ぞうかした場合ばあいそなえてブランを現役げんえき復帰ふっきさせる計画けいかくっており、計画けいかくも「現時点げんじてん凍結とうけつ」にあらためられている。

2013ねん9月にはドミトリー・ロゴージンふく首相しゅしょうがロシア南部なんぶひらかれた武器ぶき展示てんじかい出席しゅっせきしたさい高度こうど1まんメートル以上いじょう航空機こうくうき将来しょうらいてき成層圏せいそうけん飛行ひこうする可能かのうせい指摘してきし、「おそかれはやかれ時代じだい先取さきどりしたブランのような計画けいかくもどらざるをない」とべ、旅客機りょかくきとしての開発かいはつ再開さいかいもありうることを示唆しさした。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Bart Hendrickx and Bert Vis, Energiya-Buran: The Soviet Space Shuttle (Springer Praxis Books, 2007) Link
  2. ^ a b B. Hendrickx, "The Origins and Evolution of the Energiya Rocket Family," J. British Interplanetary Soc., Vol. 55, pp. 242-278 (2002).
  3. ^ ロシア連邦れんぽう宇宙うちゅう局長きょくちょう、「ブランの復活ふっかつはありえない」”. sorae.jp (2009ねん12月28にち). 2011ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  4. ^ EnglishRussia.com英語えいごばん Buran, The First Russian ShuttleWhere is Buran Now?Buran. The Soviet Space Shuttle
  5. ^ ブラン試験しけん、ドイツの博物館はくぶつかん”. sorae.jp (2008ねん4がつ9にち). 2011ねん3がつ17にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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