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プノン・クーレン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
プノン・クーレン
ភ្នំគូលែន
Phnom Kulen
プノン・クーレンのなが連続れんぞくした山容さんよう背景はいけいえる
標高ひょうこう 487 m
所在地しょざいち カンボジアの旗 カンボジアシェムリアップしゅう
位置いち 北緯ほくい1336ふん46びょう 東経とうけい10406ふん45びょう / 北緯ほくい13.61278 東経とうけい104.11250 / 13.61278; 104.11250座標ざひょう: 北緯ほくい1336ふん46びょう 東経とうけい10406ふん45びょう / 北緯ほくい13.61278 東経とうけい104.11250 / 13.61278; 104.11250
種類しゅるい 砂岩さがん
プノン・クーレン ភ្នំគូលែនの位置(カンボジア内)
プノン・クーレン ភ្នំគូលែន
プノン・クーレン ភ្នំគូលែន
プノン・クーレン ភ្នំគូលែន (カンボジア)
プロジェクト やま
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プノン・クーレン(クーレンさん、Phnom Kulen 〈Phnom Koulen, Phnum Kulén〉、英語えいご: Koulen Mountainクメール: ភ្នំគូលែន、「ライチやま」の)は、カンボジアシェムリアップしゅう位置いちする山岳さんがく地帯ちたいである。

地勢ちせい[編集へんしゅう]

プノン・クーレンは、おかというよりはむしろダンレク山地さんちみなみよこたわるおだやかなたかさの小山こやま台地だいち独立どくりつしたしょう山脈さんみゃくである。シェムリアップ北東ほくとうやく40キロメートルに位置いち[1]、その範囲はんい北西ほくせい-南東なんとう西北西せいほくせい-東南東とうなんとうやく30キロメートルにおよぶ[2]

そのさいいただき地点ちてんは487メートルである[3]。プノン・クーレンの標高ひょうこう比較的ひかくてき一定いっていで、つらなりのすべてにわたって平均へいきんおよそ400メートルであるが[1]南東なんとうがわけてややたか[2]

地質ちしつがくてきにプノン・クーレンは砂岩さがん形成けいせいされる。アンコール時代じだい採石さいせきじょうとして重要じゅうようであり、その主要しゅよう採石さいせきじょうが、山塊さんかい東南とうなん方向ほうこう位置いちしていた[4]

プノン・クーレンの大滝おおたき

チュ・プリア (Chup Preah) が、小川おがわとしてやま渓谷けいこくながんでいる。プノン・クーレンにはおもとなる2つのたきがある。だい1のたきたかさ4-5メートル、はば20-25メートル。だい2のたきたかさ15-20メートル、はば10-15メートルであり、これらの乾季かんきおよび雨季うきによる。

保護ほご地域ちいき[編集へんしゅう]

プノン・クーレン国立こくりつ公園こうえん保護ほご地域ちいきが、スヴァイ・レン (Svay Len) とヴァ・リン (Va Rin) の区域くいきにまたがってある。その目的もくてきは、いくつかの素晴すばらしいたきのような、プノン・クーレンのやま自然しぜんてき景観けいかん要素ようそ保全ほぜんするための科学かがくおよび活動かつどうである。

歴史れきし信仰しんこう[編集へんしゅう]

プノン・クーレンは、アンコール・ワット北東ほくとう30キロメートルに位置いちし、そのは「ライチのやま」(英語えいご: "Mountain of the Lychees"[5])を意味いみする。このつらなる山上さんじょうせいなる高丘たかおかがある[1]

プノン・クーレンは、カンボジアにおいてせいなるやまなされ、巡礼じゅんれいやまたずねるヒンドゥー教徒きょうと仏教徒ぶっきょうとにとって特別とくべつ宗教しゅうきょうてき意義いぎがある。またそこはおうジャヤーヴァルマン2せい英語えいごばんが、西暦せいれき紀元きげん802ねんにジャワからの独立どくりつ宣言せんげんした場所ばしょがプノン・クーレンであったことから、古代こだいクメール王朝おうちょう発祥はっしょうとして[6]、カンボジアじんたいしておおきな象徴しょうちょうてき重要じゅうようせいつ。

プノン・クーレンの1000ほんリンガ

ジャヤーヴァルマン2せいは、802ねんよりおう崇拝すうはいリンガ英語えいごばん礼拝れいはいこし[7]、かつクメールが従属じゅうぞく状態じょうたいであったジャワからの独立どくりつ宣言せんげんした[8](これが実際じっさいの「ジャワ (Java)」、もしくは「ラヴァ (Lava)」〈ラオスの王国おうこく〉)であったかは議論ぎろんがある)[9]。プノン・クーレンは、アンコール時代じだい碑文ひぶんより、マヘンドラパルヴァタ英語えいごばんだいインドラやま)としてられている[10][11]

一帯いったいは、その豊沃ほうよく象徴しょうちょうする彫刻ちょうこくと、ヒンドゥー教徒きょうとにとって特別とくべつ意味いみつその水域すいいきられる。1000あまりのしょう彫刻ちょうこくが、水面すいめんわずか5センチメートルの砂岩さがん川床かわどこきざまれている。その水域すいいきは、ジャヤーヴァルマン2せいかわ水浴すいよくするためにえらばれたとされ、神聖しんせいされている。また、そこはいしゆか彫刻ちょうこくできるように迂回うかいさせるかわがあった。彫刻ちょうこくには、ヒンドゥーきょうかみヴィシュヌが、かれのヘビであるアナンタシェーシャ)のうえよこたわり、かれ足元あしもとにはつまラクシュミーがいるいし描出びょうしゅつ[12]ハスはなが、かみブラフマーのへその位置いちからしているものなどがある。かわはやがてたきたきつぼわる。

プリア・アン・トムへの参道さんどう

ちかくには16世紀せいき磨崖仏まがいぶつプリア・アン・トム (Preah Ang Thom) を安置あんちする寺院じいんパゴダ)があり、巨岩きょがんうえられた全長ぜんちょう8メートルとなる[2]国内こくない最大さいだい巨大きょだい涅槃ねはんほとけ注目ちゅうもくあたいする[12]

サムレ (Samré) ぞくが、かつて砂岩さがん採石さいせきするプノン・クーレンのはしみ、国王こくおうにそれを輸送ゆそうした[13]。また、クメール・ルージュは、かれらの政権せいけんが1979ねんより最後さいごむかえるまで、最終さいしゅうてきとりでとしてのその場所ばしょ使用しようしていた。

世界せかい遺産いさん評価ひょうか[編集へんしゅう]

この地域ちいきは、1992ねん9がつ1にちユネスコ世界せかい遺産いさん暫定ざんていリストの文化ぶんかカテゴリに追加ついかされた[14]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 石澤いしざわ良昭よしあき三輪みわさとる『カンボジア 密林みつりん五大ごだい遺跡いせき連合れんごう出版しゅっぱん、2014ねん、243-245ぺーじISBN 978-4-89772-284-9 
  2. ^ a b c 波田野はたの直樹なおき『アンコール遺跡いせきたのしむ』(改訂かいていばん連合れんごう出版しゅっぱん、2007ねん、187-192ぺーじISBN 978-4-89772-224-5 
  3. ^ 岩波いわなみ講座こうざ 東南とうなんアジア 2』岩波書店いわなみしょてん、2001ねん、76ぺーじISBN 4-00-011062-4 
  4. ^ Etienne Aymonier, Le Cambodge. Ernest Leroux, Paris 1904.
  5. ^ Rooney (2011), pp. 264-265
  6. ^ 石澤いしざわ (2005)、17ぺーじ、43-44ぺーじ
  7. ^ ジャン・デルヴェール ちょ石澤いしざわ良昭よしあき中島なかじま節子せつこ やく『カンボジア』白水しろみずしゃ文庫ぶんこクセジュ〉、1996ねん、32ぺーじISBN 4-560-05782-6 
  8. ^ 石澤いしざわ (2005)、43-44ぺーじ
  9. ^ Higham, Charles (2002). Civilizations of Angkor. University of California Press. ISBN 0-520-23442-1 
  10. ^ 石澤いしざわ (2005)、45ぺーじ
  11. ^ Higham (2001), pp.54-59
  12. ^ a b Friess, Steve (2002ねん4がつ29にち). “Beyond, Literally, Angkor Wat”. Time Magazine. 2008ねん10がつ5にち閲覧えつらん
  13. ^ Les tribus du Cambodge...” (フランス語ふらんすご). 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  14. ^ Site des Kulen - UNESCO World Heritage Centre

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]