レオナルド・トーレス・ケベードの肖像 しょうぞう 写真 しゃしん (1921年 ねん )
レオナルド・トーレス・ケベード (西 にし : Leonardo Torres Quevedo 、1852年 ねん 12月28日 にち - 1936年 ねん 12月18日 にち )は、19世紀 せいき 終盤 しゅうばん から20世紀 せいき 初期 しょき にかけて活動 かつどう したスペイン人 じん の技術 ぎじゅつ 者 しゃ にして数学 すうがく 者 しゃ 。レオナルド・トーレス・イ・ケベード (Leonardo Torres y Quevedo )とも。
1852年 ねん 12月28日 にち 、スペイン ・カンタブリア地方 ちほう のモリェド (スペイン語 ご 版 ばん ) にあるサンタクルス・デ・イグーニャ (スペイン語 ご 版 ばん ) に生 う まれた。父親 ちちおや が鉄道 てつどう 技師 ぎし として働 はたら いていたため、職場 しょくば のあるビルバオ で幼少 ようしょう 期 き を過 す ごした。ビルバオで高校 こうこう を優秀 ゆうしゅう な成績 せいせき で卒業 そつぎょう し、後 のち に2年間 ねんかん パリ で学 まな んだ。1870年 ねん 、父親 ちちおや の転勤 てんきん に伴 ともな ってマドリード に移住 いじゅう 。同年 どうねん 、道路 どうろ 技術 ぎじゅつ 者 しゃ 隊 たい (Road Engineers' Corps)の公式 こうしき な学校 がっこう に入学 にゅうがく 。1873年 ねん 、第 だい 三 さん 次 じ カルリスタ戦争 せんそう が勃発 ぼっぱつ しビルバオがカルリスタに包囲 ほうい されたため、トーレスはビルバオ防衛 ぼうえい に志願 しがん 兵 へい として赴 おもむ いた。その後 ご 再 ふたた びマドリードの学校 がっこう に戻 もど り、1876年 ねん に卒業 そつぎょう 。
父親 ちちおや と同 おな じ鉄道 てつどう 会社 かいしゃ に就職 しゅうしょく したものの、科学 かがく 技術 ぎじゅつ の進歩 しんぽ の様子 ようす (特 とく に注目 ちゅうもく され始 はじ めたばかりの電気 でんき に関 かん すること)を直 じか に見 み るため、すぐにヨーロッパ 放浪 ほうろう の旅 たび に出 で た。スペインに戻 もど ると、サンタンデール に定住 ていじゅう し、自己 じこ 資金 しきん で調査 ちょうさ 研究 けんきゅう を始 はじ めた。その成果 せいか はまず1893年 ねん に明 あき らかとなった。
1885年 ねん に結婚 けっこん し、8人 にん の子 こ を儲 もう けている。
1899年 ねん 、マドリードに移住 いじゅう 。この間 あいだ の彼 かれ の研究 けんきゅう 成果 せいか に基 もと づいて応用 おうよう 数学 すうがく 研究所 けんきゅうじょ が設立 せつりつ され、彼 かれ は所長 しょちょう に任命 にんめい された。この研究所 けんきゅうじょ は主 おも に科学 かがく 的 てき 機器 きき の製造 せいぞう を目的 もくてき としていた。同年 どうねん 、マドリードの王立 おうりつ 自然 しぜん 科学 かがく アカデミーの一員 いちいん となり、1910年 ねん には会長 かいちょう となった。同 どう 研究所 けんきゅうじょ の成果 せいか としては、ゴンサロ・ブラニャス(Gonzalo Brañas) による映画 えいが 撮影 さつえい 技術 ぎじゅつ と カブレラ(Cabrera)とコスタ(Costa) によるX線 せん 分光 ぶんこう 器 き が有名 ゆうめい である。
1900年代 ねんだい 初期 しょき 、トーレスはエスペラント を学 まな び、生涯 しょうがい その信奉 しんぽう 者 しゃ となった。
1916年 ねん 、スペイン国王 こくおう アルフォンソ13世 せい から勲章 くんしょう を授与 じゅよ される。1918年 ねん 、開発 かいはつ 大臣 だいじん 就任 しゅうにん の打診 だしん を受 う けたが、辞退 じたい した。1920年 ねん 、スペイン王立 おうりつ アカデミー の一員 いちいん となり、パリの科学 かがく アカデミー の力学 りきがく 部門 ぶもん の一員 いちいん にも選 えら ばれた。1922年 ねん 、パリ大学 だいがく から名誉 めいよ 博士 はかせ 号 ごう を授与 じゅよ された。
トーレスは1936年 ねん 12月18日 にち 、スペイン内戦 ないせん 真 ま っ最中 さいちゅう のマドリードで死去 しきょ 。84歳 さい の誕生 たんじょう 日 び の10日 とおか 前 まえ であった。
トーレスの発明 はつめい と研究 けんきゅう は、安全 あんぜん 性 せい を向上 こうじょう させたロープウェイ に始 はじ まり、複雑 ふくざつ な方程式 ほうていしき を解 と くための各種 かくしゅ アナログ計算 けいさん 機械 きかい 、独自 どくじ の構造 こうぞう の飛行船 ひこうせん 、世界 せかい 初 はつ の実用 じつよう 的 てき なラジオコントロール 、歴史 れきし 上 じょう 最初 さいしょ のコンピュータゲームとも呼 よ ばれるチェス機械 きかい 、電気 でんき 機械 きかい 式 しき の解析 かいせき 機関 きかん など非常 ひじょう に広 ひろ い範囲 はんい で行 おこな われた。
1911年 ねん の航空 こうくう ショー でのAstra-Torres飛行船 ひこうせん
1902年 ねん 、トーレスは新 あたら しい飛行船 ひこうせん に関 かん する特許 とっきょ を出願 しゅつがん し、マドリードとパリの科学 かがく アカデミーで発表 はっぴょう を行 おこな った[1] 。これは、内部 ないぶ に柔軟 じゅうなん なケーブルを張 は ることで船体 せんたい の剛性 ごうせい を強化 きょうか し、大型 おおがた のゴンドラの吊 つ り下 さ げに耐 た えられる半 はん 硬式 こうしき 飛行船 ひこうせん だった。当時 とうじ の飛行船 ひこうせん は、単純 たんじゅん な構造 こうぞう だが大型 おおがた 化 か や高速 こうそく 化 か が難 むずか しい軟式 なんしき 飛行船 ひこうせん と、1900年 ねん に開発 かいはつ されたツェッペリン に代表 だいひょう される硬式 こうしき 飛行船 ひこうせん とがあった。硬式 こうしき 飛行船 ひこうせん は大型 おおがた 化 か と高速 こうそく 飛行 ひこう が可能 かのう だが重 おも くて横 よこ 振動 しんどう が発生 はっせい しやすい欠点 けってん があり、折 お りたたんで運搬 うんぱん できないことも当時 とうじ 問題 もんだい とされていた。トーレスの提案 ていあん は両者 りょうしゃ の問題 もんだい 点 てん を解決 かいけつ するためのものだった[1] 。
1905年 ねん 、陸軍 りくぐん の技術 ぎじゅつ 者 しゃ であるアルフレッド・キンデラン(Alfredo Kindelán)の助力 じょりょく を得 え て、(1896年 ねん 、グアダラハラ に作 つく られた)Army Military Aerostatics Service でスペイン初 はつ の飛行船 ひこうせん 建造 けんぞう を指揮 しき した。翌年 よくねん に最初 さいしょ のプロトタイプが作 つく られ、1907年 ねん にはTorres Quevedo No.1 が作成 さくせい された[1] 。その後 ご 改良 かいりょう されたTorres Quevedo No.2 が建造 けんぞう され、トーレスやキンデランと軍 ぐん 関係 かんけい 者 しゃ を乗 の せて1908年 ねん に初 はつ 飛行 ひこう を行 おこな った。
発明 はつめい した半 はん 硬式 こうしき 飛行船 ひこうせん の模型 もけい の前 まえ で説明 せつめい を行 おこな うトーレス・ケベード (1913年 ねん )
この成果 せいか に基 もと づき、トーレスとフランス企業 きぎょう のアストラ社 しゃ (Société Astra)の間 あいだ で契約 けいやく が結 むす ばれ、同社 どうしゃ はスペイン以外 いがい での飛行船 ひこうせん 建造 けんぞう の権利 けんり を得 え た。これにより1911年 ねん 、アストラ・トーレス(Astra-Torres)飛行船 ひこうせん と呼 よ ばれる飛行船 ひこうせん 建造 けんぞう が開始 かいし された。1913年 ねん にはフランス軍 ぐん とイギリス 軍 ぐん が購入 こうにゅう した。イギリス海軍 かいぐん の購入 こうにゅう した Astra-Torres XIV は時速 じそく 83.2km、風向 かざむ きが良 よ いときには時速 じそく 124kmを記録 きろく し、当時 とうじ の飛行船 ひこうせん 速度 そくど の世界 せかい 記録 きろく を更新 こうしん している[1] 。その後 ご も大型 おおがた 化 か された飛行船 ひこうせん が多数 たすう 製造 せいぞう され、主 おも に第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の際 さい に潜水 せんすい 艦 かん の哨戒 しょうかい 任務 にんむ に使 つか われた。1918年 ねん にはアメリカ海軍 かいぐん が大型 おおがた 飛行船 ひこうせん AT-18 を、1922年 ねん には大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん も同 おな じ大 おお きさの最新 さいしん 飛行船 ひこうせん AT-20 を購入 こうにゅう した[1] 。AT-20は 10,700 m3 の大 おお きさで、フランスから船 ふね で日本 にっぽん に送 おく られ、海軍 かいぐん 霞ヶ浦 かすみがうら 飛行場 ひこうじょう の飛行船 ひこうせん 格納庫 かくのうこ が完成 かんせい 前 まえ だったため陸軍 りくぐん 所沢 ところざわ 飛行場 ひこうじょう にあった飛行船 ひこうせん 格納庫 かくのうこ で組 く み立 た てが行 おこな われた[2] 。
トーレスは1918年 ねん に技術 ぎじゅつ 者 しゃ のエミリオ・エレラ・リナレス(Emilio Herrera Linares)と共同 きょうどう で大西洋 たいせいよう 横断 おうだん 飛行船 ひこうせん Hispania を設計 せっけい し、世界 せかい 初 はつ の大西洋 たいせいよう 横断 おうだん 飛行 ひこう の栄誉 えいよ をスペインにもたらそうとした。しかし資金 しきん 集 あつ めが難航 なんこう したためにプロジェクトは遅延 ちえん し、世界 せかい 初 はつ の大西洋 たいせいよう 無 む 着陸 ちゃくりく 横断 おうだん 飛行 ひこう の栄誉 えいよ はイギリスのジョン・オールコック らが勝 か ち取 と った。
トーレスが発明 はつめい した飛行船 ひこうせん と同 どう タイプのものは多数 たすう 建造 けんぞう され多 おお くの場所 ばしょ で使 つか われた。フランスのアストラ社 しゃ のものは30隻 せき 、イギリスで1916年 ねん から1919年 ねん の間 あいだ に建造 けんぞう されたものは60隻 せき 以上 いじょう になる[3] 。イギリスでのアストラ社 しゃ の関連 かんれん 会社 かいしゃ エアシップ社 しゃ (Airship Ltd.)で建造 けんぞう されたもののうち4隻 せき はロシア陸軍 りくぐん が購入 こうにゅう した。
ツェッペリン 型 かた をベースとした硬式 こうしき 飛行船 ひこうせん が世界 せかい の主流 しゅりゅう になった後 のち もトーレスの発明 はつめい と同 どう タイプの飛行船 ひこうせん は作 つく られ、1930年代 ねんだい にはフランスのゾディアック社 しゃ (Société Zodiac)がアストラ社 しゃ と同様 どうよう の飛行船 ひこうせん V-11、V-12 を作成 さくせい している[1] 。
ツェッペリン 型 かた 飛行船 ひこうせん であるヒンデンブルク号 ごう の爆発 ばくはつ 事故 じこ が起 お こった1937年 ねん に大型 おおがた 飛行船 ひこうせん の黄金 おうごん 期 き は幕 まく を閉 と じるが、それから40年 ねん 経 た った1977年 ねん には、トーレス型 がた の飛行船 ひこうせん を2機 き 並 なら べた双 そう 胴 どう 船 せん タイプの飛行船 ひこうせん Dinosaure が設計 せっけい され、そのプロトタイプがゾディアック社 しゃ で作 つく られた[1] 。
チェス機械 きかい : エル・アヘドレシスタ [ 編集 へんしゅう ]
1912年 ねん 、トーレスはチェス を指 さ すオートマタ を作成 さくせい した[4] [5] 。エル・アヘドレシスタ (El Ajedrecista、チェスプレイヤーの意 い )と名 な づけられた機械 きかい は、チェスの終盤 しゅうばん のみを扱 あつか い白 しろ のキングとルークで人間 にんげん 側 がわ の黒 くろ のキングを詰 つ ませようとするもので、人間 にんげん 側 がわ のキングの最初 さいしょ の位置 いち がどこであってもチェックメイト することができた。トーレスは2種類 しゅるい のチェス機械 きかい を作成 さくせい した。1912年 ねん 頃 ごろ に作成 さくせい した最初 さいしょ の機械 きかい と、1920年 ねん 頃 ころ に息子 むすこ のゴンザロと協力 きょうりょく して作成 さくせい した2番目 ばんめ の機械 きかい である。最初 さいしょ に作成 さくせい された機械 きかい はアームで駒 こま を動 うご かすもので、1914年 ねん にパリのソルボンヌ機械 きかい 研究所 けんきゅうじょ で公開 こうかい され、また1915年 ねん 9月 がつ のサイエンティフィック・アメリカン の記事 きじ "Torres and His Remarkable Automatic Devices"(「トーレスと彼 かれ の驚 おどろ くべき自動 じどう 装置 そうち 」)でも紹介 しょうかい された[6] 。2番目 ばんめ の機械 きかい は外観 がいかん をより洗練 せんれん させたもので、盤 ばん の下 した にある電磁石 でんじしゃく で駒 こま を自動的 じどうてき に動 うご かすことができ、またチェックメイトの際 さい にはレコードの音声 おんせい で知 し らせることができた。この機械 きかい はその後 ご も保存 ほぞん され、例 たと えば1951年 ねん のパリ・サイバネティックス 会議 かいぎ での展示 てんじ で息子 むすこ のゴンザロはノーバート・ウィーナー らに機械 きかい の説明 せつめい を行 おこな っている。
トーレスの機械 きかい より前 まえ に作成 さくせい されたヴォルフガング・フォン・ケンペレン の「トルコ人 じん 」などのチェス人形 にんぎょう が中 なか に隠 かく れた人 ひと の操作 そうさ でプレイしていたのに対 たい し、トーレスのものは内部 ないぶ の電気 でんき 機械 きかい 的 てき な装置 そうち により盤面 ばんめん の状況 じょうきょう を判断 はんだん し駒 こま の動 うご きを決 き めることができた。そのためしばしば最初 さいしょ のチェスコンピュータと呼 よ ばれ[4] 、また歴史 れきし 上 じょう 最初 さいしょ のコンピュータゲームとも呼 よ ばれる[7] 。
ナイアガラのエアロカー
トーレスがロープウェイ の実験 じっけん を始 はじ めたのは非常 ひじょう に早 はや く、生 う まれ故郷 こきょう のモリェドに住 す んでいたころであった。1887年 ねん 、約 やく 40メートルの窪地 くぼち をまたぐ最初 さいしょ のロープウェイを建設 けんせつ している。全長 ぜんちょう は約 やく 200メートルで、単座 たんざ のゴンドラを2頭 とう の牛 うし で引 ひ いた。この実験 じっけん に基 もと づいて彼 かれ は最初 さいしょ の特許 とっきょ (複数 ふくすう のケーブルを使 つか ったロープウェイにより、貨物 かもつ だけでなく人間 にんげん の輸送 ゆそう が可能 かのう な安定 あんてい した輸送 ゆそう 手段 しゅだん )を申請 しんせい した。後 のち に電動 でんどう 機 き を使 つか ったロープウェイ cableway of the Río León を建設 けんせつ したが、貨物 かもつ 輸送 ゆそう 専用 せんよう として使 つか われていた。1890年 ねん 、スイス にロープウェイ建設 けんせつ を提案 ていあん 。スイスはこれに大 おお いに興味 きょうみ を持 も ったが、そのプロジェクトは採用 さいよう されなかった。
1907年 ねん 、トーレスは人間 にんげん の輸送 ゆそう に適 てき した最初 さいしょ のロープウェイをサン・セバスティアン の ウリア山 さん (Monte Ulía)に建設 けんせつ した。安全 あんぜん 性 せい は複数 ふくすう のケーブルを巧妙 こうみょう に利用 りよう することで確保 かくほ された。結果 けっか として非常 ひじょう に堅牢 けんろう な設計 せっけい となり、サポートケーブルのうちの1本 ほん が切 き れても耐 た えることができた。直径 ちょっけい 19ミリのケーブル6本 ほん で、乗客 じょうきゃく 13名 めい 前後 ぜんこう を28メートル高 たか さで280メートル運搬 うんぱん することができた[8] 。プロジェクト実行 じっこう はビルバオの工学 こうがく 研究 けんきゅう 会 かい によるもので、同 どう 会 かい はシャモニー やリオデジャネイロ市 し でもロープウェイ建設 けんせつ に成功 せいこう した。科学 かがく 的 てき 観点 かんてん で最 さい 重要 じゅうよう というわけではないが、最 もっと も有名 ゆうめい な例 れい としてカナダ のナイアガラフォールズ に建設 けんせつ されたスパニッシュ・エアロカーがある。1914年 ねん から1916年 ねん に建設 けんせつ され、全長 ぜんちょう 580メートルのケーブルがナイアガラの滝 たき のカナダ 側 がわ の滝 たき つぼを跨 また いだ形 かたち で設置 せっち された。建設 けんせつ はスペイン資本 しほん によるスペイン企業 きぎょう が行 おこな い、最初 さいしょ から最後 さいご までスペインのプロジェクトとして行 おこな われた。乗 の り場 ば の入口 いりくち に設置 せっち された青銅 せいどう の飾 かざ り板 ばん には Spanish aerial ferry of the Niagara. Leonardo Quevedo Torres (1852–1936) と記 しる されている。1916年 ねん 2月 がつ 15日 にち に試験 しけん 運行 うんこう が開始 かいし され、1916年 ねん 8月 がつ 8日 にち に正式 せいしき 運行 うんこう となり、その翌日 よくじつ から観光 かんこう 客 きゃく の利用 りよう が開始 かいし された。その際 さい に若干 じゃっかん の修正 しゅうせい が施 ほどこ され、以来 いらい 今日 きょう まで大 おお きな問題 もんだい も無 な く観光 かんこう 客 きゃく に雄大 ゆうだい な景色 けしき を提供 ていきょう し続 つづ けている[9] 。
ラジオコントロール: Telekino [ 編集 へんしゅう ]
トーレスは1901年 ねん から1902年 ねん にかけて、人命 じんめい を危険 きけん にさらすことなく当時 とうじ 開発 かいはつ 中 ちゅう だった飛行船 ひこうせん の試験 しけん を行 おこな うため、無線 むせん によるリモートコントロール の研究 けんきゅう を始 はじ めた[10] [11] 。1902年 ねん と1903年 ねん にはフランス、スペイン、イギリス、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく で特許 とっきょ を取得 しゅとく し、1903年 ねん にはパリの科学 かがく アカデミーでデモンストレーションを披露 ひろう した。このシステムは世界 せかい 初 はつ の実用 じつよう 的 てき なラジオコントロール で、ギリシャ語 ご のTele (距離 きょり や遠 とお くを意味 いみ する)とkine (力 ちから や動 うご きを表 あらわ す)を組 く み合 あ わせた Telekine という名称 めいしょう で呼 よ ばれ、後 のち に Telekino とも呼 よ ばれるようになった。
1895年 ねん のマルコーニ による無線 むせん 電信 でんしん の実験 じっけん 以降 いこう 、ヨーロッパやアメリカで無線 むせん によるリモートコントロールの研究 けんきゅう や実験 じっけん が行 おこな われ、トーレス以前 いぜん ではテスラ やエジソン 、イギリスのバリカス(Cecil Varicas)によるものなどが知 し られている[11] 。しかし、無線 むせん 技術 ぎじゅつ が発展 はってん 途上 とじょう だったことと、電波 でんぱ でモータや舵 かじ などの動 うご きをオンオフするような単純 たんじゅん な制御 せいぎょ 方式 ほうしき のものが多 おお く、満足 まんぞく な結果 けっか は得 え られていなかった[11] 。トーレスの方式 ほうしき は動作 どうさ 指示 しじ をパルスの数 かず として符号 ふごう 化 か し無線 むせん で送 おく るもので、さまざまな異 こと なった動作 どうさ を行 おこな わせることができた。
システムは、電波 でんぱ を受信 じゅしん するためのコヒーラ検波 けんぱ 器 き 、受信 じゅしん したパルス数 すう によって切替 きりかえ を行 おこな うマルチポジションのスイッチ、そのスイッチで制御 せいぎょ されるいくつかのサーボモータ から構成 こうせい される。複数 ふくすう のパルスによりマルチポジションのスイッチの位置 いち を切 き り替 か え、あらかじめ定義 ていぎ された機械 きかい 的 てき な動作 どうさ を選択 せんたく する。この方式 ほうしき では複数 ふくすう の動作 どうさ をきめ細 こま かく制御 せいぎょ ができ、またパルスの数 かず を増 ふ やすことで動作 どうさ のバリエーションをいくらでも増 ふ やすことができた。送信 そうしん 側 がわ での動作 どうさ 指示 しじ は、当初 とうしょ 無線 むせん 電信 でんしん で使 つか われている電鍵 でんけん で直接 ちょくせつ 行 おこな っていたが、後 のち にレバー操作 そうさ により決 き まった数 かず のパルスを送信 そうしん できるような装置 そうち が使 つか われた[11] 。
パリでのデモンストレーション後 ご も多 おお くの公開 こうかい 実験 じっけん が行 おこな われた。1904年 ねん には三 さん 輪 りん 自動車 じどうしゃ を用 もち い前進 ぜんしん /後退 こうたい と方向 ほうこう 転換 てんかん ができるプロトタイプで実験 じっけん を行 おこな い成功 せいこう を収 おさ めた[11] 。同 おな じころ、マドリードにある湖 みずうみ でボートのリモートコントロール実験 じっけん も何 なん 回 かい か行 おこな った。これを見 み て感銘 かんめい を受 う けたビルバオ の知事 ちじ はビルバオ で大 だい 規模 きぼ なデモンストレーションを行 おこな うための資金 しきん を提供 ていきょう した[11] 。1905年 ねん にはドイツから購入 こうにゅう した船 ふね に Telekino を組 く み込 こ みビルバオで何 なん 回 かい かの実験 じっけん を行 おこな った。8 人 にん の乗客 じょうきゃく を乗 の せた船 ふね は 2 km以上 いじょう 離 はな れた送信 そうしん 機 き から数学 すうがく 的 てき な正確 せいかく さで制御 せいぎょ された、と当時 とうじ の新聞 しんぶん は報 ほう じている[11] 。1906年 ねん にはスペイン国王 こくおう アルフォンソ13世 せい を含 ふく めた大観 たいかん 衆 しゅ の前 まえ でこの発明 はつめい を公式 こうしき に披露 ひろう した[12] 。公開 こうかい 実験 じっけん の成功 せいこう 後 ご 、この発明 はつめい を魚雷 ぎょらい や潜水 せんすい 艦 かん に応用 おうよう しようとしスペイン海軍 かいぐん に資金 しきん 提供 ていきょう の依頼 いらい を行 おこな ったが拒否 きょひ されたため、その後 ご の研究 けんきゅう は中止 ちゅうし された。
2007年 ねん 、トーレスのリモートコントロールの研究 けんきゅう はIEEE (米国 べいこく 電気 でんき 電子 でんし 学会 がっかい )により電気 でんき ・電子 でんし 技術 ぎじゅつ やその関連 かんれん 分野 ぶんや の歴史 れきし 的 てき 偉業 いぎょう として認定 にんてい され、IEEEマイルストーン 賞 しょう が与 あた えられた[10] 。
アナログ計算 けいさん 機械 きかい [ 編集 へんしゅう ]
ザラゴザ大学 だいがく Superior Polytechnical Center にあるトーレス・ケベード・ビル
アナログ計算 けいさん 機械 きかい は、方程式 ほうていしき を物理 ぶつり 現象 げんしょう に置 お き換 か えることで解 かい を求 もと めるものである。数値 すうち は歯車 はぐるま の角度 かくど のような何 なん らかの物理 ぶつり 量 りょう で表 あらわ される。トーレスはこのような機械 きかい を「代数 だいすう マシン」(Algebraic Machine、西 にし : Máquina algébrica)と呼 よ んだ。方程式 ほうていしき を解 と く機械 きかい は18世紀 せいき まで遡 さかのぼ ることができ[13] 、19世紀 せいき 頃 ころ には様々 さまざま なものが考案 こうあん された[13] 。トーレスの成果 せいか もそれらの上 うえ に成 な り立 た つものである。1893年 ねん 、トーレスはマドリードの王立 おうりつ 科学 かがく アカデミーで代数 だいすう マシンについての論文 ろんぶん を発表 はっぴょう した[14] 。1895年 ねん 、パリ の科学 かがく アカデミー と科学 かがく 推進 すいしん 協会 きょうかい のボルドー 会議 かいぎ で機械 きかい のプロトタイプが披露 ひろう され[14] 、1900年 ねん には再 ふたた びパリの科学 かがく アカデミーでさらに一般 いっぱん 化 か し理論 りろん 化 か した論文 ろんぶん の発表 はっぴょう を行 おこな った[14] 。
トーレスは機械 きかい 式 しき のアナログ計算 けいさん 機械 きかい を複数 ふくすう 製作 せいさく した。もっとも有名 ゆうめい なものは代数 だいすう 方程式 ほうていしき を解 と く機械 きかい で、8つの項 こう からなる任意 にんい 次数 じすう の代数 だいすう 方程式 ほうていしき を高 たか い精度 せいど で解 と くことができた。この機械 きかい は以下 いか の式 しき を計算 けいさん で求 もと めることができる。
α あるふぁ
=
A
1
X
a
+
A
2
X
b
+
A
3
X
c
+
A
4
X
d
+
A
5
X
e
A
6
X
f
+
A
7
X
g
+
A
8
X
h
{\displaystyle \alpha ={\frac {A_{1}X^{a}+A_{2}X^{b}+A_{3}X^{c}+A_{4}X^{d}+A_{5}X^{e}}{A_{6}X^{f}+A_{7}X^{g}+A_{8}X^{h}}}\,}
ここで X は変数 へんすう を、A1 … A8 は各項 かくこう の係数 けいすう を表 あらわ す。α あるふぁ = 1 の場合 ばあい を考 かんが えれば以下 いか の式 しき となり、代数 だいすう 方程式 ほうていしき の根 ね を求 もと めることができる。
A
1
X
a
+
A
2
X
b
+
A
3
X
c
+
A
4
X
d
+
A
5
X
e
−
A
6
X
f
−
A
7
X
g
−
A
8
X
h
=
0
{\displaystyle A_{1}X^{a}+A_{2}X^{b}+A_{3}X^{c}+A_{4}X^{d}+A_{5}X^{e}-A_{6}X^{f}-A_{7}X^{g}-A_{8}X^{h}=0\,}
トーレスの機械 きかい では各項 かくこう を対数 たいすう スケールで計算 けいさん した。そうすることで各項 かくこう を A1 + a × log(X ) のように和 わ と積 せき のみで計算 けいさん でき、非常 ひじょう に広 ひろ い範囲 はんい の値 ね を扱 あつか え、さらに計算 けいさん 時 じ の相対 そうたい 誤差 ごさ を値 ね の大小 だいしょう に関係 かんけい なく一定 いってい にできる長所 ちょうしょ がある。しかし各項 かくこう の和 わ を計算 けいさん するためには、対数 たいすう スケールでの計算 けいさん 値 ち log(u) と log(v) とから精度 せいど よく log(u + v) を求 もと める必要 ひつよう がある。この計算 けいさん のため、トーレスはエンドレス・スピンドル (endless spindle、西 にし : husillo sin fin)と呼 よ ばれる独自 どくじ のメカニズムを考案 こうあん した[13] [14] 。このメカニズムはワインボトルのような形状 けいじょう の螺旋 らせん 状 じょう 歯車 はぐるま を用 もち いた複雑 ふくざつ な差 さ 動 どう 歯車 はぐるま で、y = log(10V + 1) を計算 けいさん できる[13] 。log(u) - log(v) = log(u/v) = V と置 お くと u/v = 10V であることを用 もち い、以下 いか の式 しき を利用 りよう して log(u + v) を計算 けいさん する。
log
(
u
+
v
)
=
log
(
v
(
u
/
v
+
1
)
)
=
log
(
v
)
+
log
(
u
/
v
+
1
)
=
log
(
v
)
+
log
(
10
V
+
1
)
{\displaystyle \log(u+v)=\log(v(u/v+1))=\log(v)+\log(u/v+1)=\log(v)+\log(10^{V}+1)\,}
トーレスはこの機械 きかい 以外 いがい にも、1900年 ねん 頃 ごろ から歯車 はぐるま とリンク機構 きこう を用 もち いて 2 次 じ 方程式 ほうていしき X2 - pX + q = 0 の複素数 ふくそすう 解 かい を求 もと める小型 こがた の計算 けいさん 機械 きかい を考案 こうあん し、また一 いち 階 かい 微分 びぶん 方程式 ほうていしき を解 と く積分 せきぶん 器 き なども製作 せいさく した[15] 。現在 げんざい それらのいくつかはマドリード工科 こうか 大学 だいがく にあるトーレス・ケベード博物館 はくぶつかん (Museo "Torres Quevedo")に収 おさ められている。
オートマティカ、解析 かいせき 機関 きかん [ 編集 へんしゅう ]
トーレスは1913年 ねん に発表 はっぴょう した論文 ろんぶん "オートマティカに関 かん する小 しょう 論 ろん " (Ensayos sobre Automática )で「オートマティカ」(自動 じどう 機械 きかい 、西 にし : automática)と呼 よ ばれる機械 きかい の提案 ていあん とその実現 じつげん 可能 かのう 性 せい の検討 けんとう を行 おこな った[16]
[17] [18] 。これは人間 にんげん のように知的 ちてき な行動 こうどう を行 おこな う、あるいは人間 にんげん を置 お き換 か えるような機械 きかい で、現在 げんざい のさまざまな自動 じどう 制御 せいぎょ 機械 きかい に相当 そうとう する。この機械 きかい は、外部 がいぶ からの情報 じょうほう を取 と り込 こ むセンサー 、腕 うで のように外界 がいかい を操作 そうさ する部分 ぶぶん 、電池 でんち や空気圧 くうきあつ などの動力 どうりょく 源 げん 、そして最 もっと も大切 たいせつ な、取 と り込 こ んだ情報 じょうほう や過去 かこ の情報 じょうほう を使 つか って「判断 はんだん 」を行 おこな う部分 ぶぶん からなり、外部 がいぶ からの情報 じょうほう に応 おう じて生物 せいぶつ のように反応 はんのう を制御 せいぎょ し環境 かんきょう の変化 へんか に適応 てきおう して動作 どうさ を変 か えることができるものとして定義 ていぎ された[17] [18] 。
このような外界 がいかい の状況 じょうきょう により動作 どうさ を変 か える機械 きかい が理論 りろん 的 てき に実現 じつげん 可能 かのう であることを示 しめ すため、トーレスはある種 しゅ の解析 かいせき 機関 きかん を例 れい として用 もち い具体 ぐたい 的 てき な実現 じつげん 方法 ほうほう を示 しめ した。この機械 きかい はバベッジ の解析 かいせき 機関 きかん のアイデアをベースにトーレスが独自 どくじ に考案 こうあん したもので、電気 でんき 機械 きかい 的 てき なメカニズムを用 もち い、外部 がいぶ の数値 すうち データを取 と り込 こ み内蔵 ないぞう されたプログラムで値 ね を判断 はんだん し処理 しょり を変 か えながら計算 けいさん を行 おこな う。論文 ろんぶん では理論 りろん 上 じょう の機械 きかい とされているが、実際 じっさい にはメカニズム全体 ぜんたい の具体 ぐたい 的 てき なデザインが示 しめ されている[19] 。
論文 ろんぶん 内 ない では、a、y、z の順 じゅん に並 なら ぶデータ列 れつ から a × (y — z)2 を計算 けいさん する機械 きかい が例 れい として用 もち いられている[19] 。最初 さいしょ に必要 ひつよう となるさまざまな部品 ぶひん 、具体 ぐたい 的 てき には数値 すうち を格納 かくのう するレジスタ 、組 く み込 こ みの関数 かんすう テーブルを用 もち いた乗除 じょうじょ 算 ざん などの演算 えんざん 装置 そうち 、数値 すうち の大小 だいしょう 比較 ひかく を行 おこな う装置 そうち 、入出力 にゅうしゅつりょく ゲート、多段 ただん スイッチによるセレクタ回路 かいろ などの電気 でんき 機械 きかい 的 てき な実現 じつげん 方法 ほうほう が示 しめ され、続 つづ いて制御 せいぎょ プログラムを含 ふく めた全体 ぜんたい 構成 こうせい が説明 せつめい されている。演算 えんざん 部 ぶ は減算 げんざん 装置 そうち 、乗算 じょうざん 装置 そうち 、数値 すうち の比較 ひかく 装置 そうち (>、=、<)、2本 ほん のレジスタ、データの入力 にゅうりょく およびデータ出力 しゅつりょく を行 おこな う部分 ぶぶん からなり共通 きょうつう バス で接続 せつぞく される。それらを制御 せいぎょ するプログラムは回転 かいてん する円筒 えんとう 上 じょう に張 は られた導体 どうたい のパターンとして表現 ひょうげん され、数値 すうち の大小 だいしょう 比較 ひかく による条件 じょうけん 分岐 ぶんき を含 ふく んでいる。
さらに、全体 ぜんたい の回路 かいろ 構成 こうせい や16ステップからなるプログラムの詳細 しょうさい な説明 せつめい 以外 いがい に、トーレスの論文 ろんぶん には世界 せかい で最初 さいしょ と言 い われる浮動 ふどう 小数点 しょうすうてん 演算 えんざん の提案 ていあん も含 ふく まれる[19] 。
その後 ご 、1914年 ねん にトーレスは実際 じっさい に p × q — b を計算 けいさん する解析 かいせき 機関 きかん のプロトタイプの設計 せっけい と作成 さくせい も行 おこな った[19] 。
条件 じょうけん 分岐 ぶんき 命令 めいれい を含 ふく んだプログラムを実行 じっこう できる汎用 はんよう の電気 でんき 式 しき /機械 きかい 式 しき コンピュータ が現 あらわ れるのは1940年代 ねんだい であり、トーレスの論文 ろんぶん はこれよりはるかに早 はや い。トーレスの論文 ろんぶん はスペイン語 ご とフランス語 ふらんすご のみで発表 はっぴょう されたこともあり英語 えいご 圏 けん ではほとんど知 し られず、その後 ご のコンピュータ開発 かいはつ に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えることはなかった[19] 。コンピュータの歴史 れきし の研究 けんきゅう 者 しゃ であるランデル(Brian Randell)は、トーレスが実際 じっさい の歴史 れきし より20年 ねん 以上 いじょう 早 はや く電気 でんき 機械 きかい 式 しき の汎用 はんよう コンピュータを実現 じつげん 可能 かのう だったかもしれず、実際 じっさい のニーズやモチベーション、資金 しきん 力 りょく も持 も っていたと指摘 してき している[19] 。
トーレスの電気 でんき 機械 きかい 式 しき アリスモメータの写真 しゃしん 。赤 あか で囲 かこ んだ部分 ぶぶん が電気 でんき 機械 きかい 式 しき の計算 けいさん 装置 そうち 、青 あお で囲 かこ んだ部分 ぶぶん が入出力 にゅうしゅつりょく 用 よう のタイプライター 。その間 あいだ はケーブルで接続 せつぞく され、タイプライターから数式 すうしき を入力 にゅうりょく すると計算 けいさん 値 ち が出力 しゅつりょく された。
また論文 ろんぶん の発表 はっぴょう 後 ご 、1920年 ねん にトーレスは電気 でんき 機械 きかい 式 しき アリスモメータ(Arithmometer)と呼 よ ばれる計算 けいさん 機械 きかい を作成 さくせい しパリで発表 はっぴょう を行 おこな った。この計算 けいさん 機械 きかい はプログラム可能 かのう なものではなかったが、計算 けいさん を行 おこな う装置 そうち とタイプライター とを電線 でんせん でつなぎ、タイプライターから数式 すうしき (例 たと えば"532 × 257")と"="を打 う つだけで自動的 じどうてき に計算 けいさん を行 おこな い答 こた えの数値 すうち を印刷 いんさつ することができた[20] 。ユーザインタフェース からみれば、この機械 きかい はキーボード を入力 にゅうりょく インターフェースとする現在 げんざい のコンピュータの前身 ぜんしん と見 み なすことができる。また利用 りよう 形態 けいたい としてみれば、電線 でんせん の延長 えんちょう によるリモートでの計算 けいさん も想定 そうてい しており[20] 、通信 つうしん 回線 かいせん を利用 りよう する現在 げんざい のオンラインシステム 等 ひとし の初歩 しょほ 的 てき なものと考 かんが えられる。さらに、電気 でんき 機械 きかい 式 しき アリスモメータについての1920年 ねん の論文 ろんぶん には、さまざまな「オートマティカ」(自動 じどう 機械 きかい )において、連続 れんぞく 的 てき な数値 すうち を有限 ゆうげん の離散 りさん 的 てき な値 ね として表現 ひょうげん し処理 しょり と判断 はんだん を行 おこな うことの必要 ひつよう 性 せい が指摘 してき されている[20] 。これは現在 げんざい のデジタル処理 しょり に相当 そうとう する。トーレスは当時 とうじ としては非常 ひじょう に先進 せんしん 的 てき な多 おお くのアイデアを持 も っていた。
その他 た の発明 はつめい とさまざまな活動 かつどう [ 編集 へんしゅう ]
トーレスはロープウェイ や飛行船 ひこうせん 、ラジオコントロール 以外 いがい にも広 ひろ い範囲 はんい で様々 さまざま な発明 はつめい や特許 とっきょ の取得 しゅとく を行 おこな った。例 たと えば、飛行船 ひこうせん 用 よう の空母 くうぼ (特許 とっきょ 番号 ばんごう 56139)や都市 とし 案内 あんない システム(特許 とっきょ 番号 ばんごう 27042)などがある[21] 。
晩年 ばんねん のトーレスは教育 きょういく にも力 ちから を入 い れ、その結果 けっか として教育 きょういく に関連 かんれん した以下 いか のような様々 さまざま な特許 とっきょ の取得 しゅとく も行 おこな っている[21] 。
各種 かくしゅ タイプライターとその改良 かいりょう (特許 とっきょ 番号 ばんごう 80121、82369、86155、87428)
本 ほん などのインデックス タブ(特許 とっきょ 番号 ばんごう 99176、99177)
プロジェクター (特許 とっきょ 番号 ばんごう 117853)
プロジェクター用 よう のポインター(特許 とっきょ 番号 ばんごう 116770)
プロジェクター用 よう のポインターは、現在 げんざい のレーザーポインター やマウスカーソル のような役割 やくわり をするためのもので、プロジェクターの投影 とうえい 面 めん にポインターに相当 そうとう する影 かげ を表示 ひょうじ し動 うご かすことができるようにする発明 はつめい である。
また、科学 かがく 技術 ぎじゅつ の発展 はってん のための様々 さまざま な活動 かつどう や提案 ていあん も行 おこな った。例 たと えば以下 いか のようなものがある[15] 。
機械 きかい の構造 こうぞう を記述 きじゅつ するための表記 ひょうき 法 ほう と記号 きごう の提案 ていあん
スペイン語 ご の科学 かがく 技術 ぎじゅつ 用語 ようご 辞典 じてん の編纂 へんさん
トーレスは中南米 ちゅうなんべい を含 ふく むスペイン語 ご 圏 けん での科学 かがく 技術 ぎじゅつ の発展 はってん のため、共通 きょうつう の技術 ぎじゅつ 用語 ようご 辞典 じてん の作成 さくせい のための活動 かつどう を行 おこな った。1921年 ねん の科学 かがく 用語 ようご 書籍 しょせき 国民 こくみん 会議 かいぎ の創設 そうせつ 決定 けってい により具体 ぐたい 的 てき な活動 かつどう が始 はじ まり、1930年 ねん に"ヒスパニックアメリカン技術 ぎじゅつ 辞典 じてん "(Diccionario Tecnológico Hispanoamericano)の第 だい 1巻 かん が発行 はっこう された[22] [23] 。それ以降 いこう の巻 まき の編集 へんしゅう はスペイン内戦 ないせん やトーレスの死 し などの影響 えいきょう で長 なが く中断 ちゅうだん し、1983年 ねん になって"科学 かがく 技術 ぎじゅつ 用語 ようご "(Vocabulario Científico y Técnico)の名称 めいしょう で初版 しょはん が発行 はっこう された[23] 。
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