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レオナルド・トーレス・ケベード

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レオナルド・トーレス・ケベードの肖像しょうぞう写真しゃしん(1921ねん

レオナルド・トーレス・ケベード西にし: Leonardo Torres Quevedo1852ねん12月28にち - 1936ねん12月18にち)は、19世紀せいき終盤しゅうばんから20世紀せいき初期しょきにかけて活動かつどうしたスペインじん技術ぎじゅつしゃにして数学すうがくしゃレオナルド・トーレス・イ・ケベードLeonardo Torres y Quevedo)とも。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1852ねん12月28にちスペインカンタブリア地方ちほうモリェドスペインばんにあるサンタクルス・デ・イグーニャスペインばんまれた。父親ちちおや鉄道てつどう技師ぎしとしてはたらいていたため、職場しょくばのあるビルバオ幼少ようしょうごした。ビルバオで高校こうこう優秀ゆうしゅう成績せいせき卒業そつぎょうし、のちに2年間ねんかんパリまなんだ。1870ねん父親ちちおや転勤てんきんともなってマドリード移住いじゅう同年どうねん道路どうろ技術ぎじゅつしゃたい(Road Engineers' Corps)の公式こうしき学校がっこう入学にゅうがく。1873ねんだいさんカルリスタ戦争せんそう勃発ぼっぱつしビルバオがカルリスタに包囲ほういされたため、トーレスはビルバオ防衛ぼうえい志願しがんへいとしておもむいた。そのふたたびマドリードの学校がっこうもどり、1876ねん卒業そつぎょう

父親ちちおやおな鉄道てつどう会社かいしゃ就職しゅうしょくしたものの、科学かがく技術ぎじゅつ進歩しんぽ様子ようすとく注目ちゅうもくされはじめたばかりの電気でんきかんすること)をじかるため、すぐにヨーロッパ放浪ほうろうたびた。スペインにもどると、サンタンデール定住ていじゅうし、自己じこ資金しきん調査ちょうさ研究けんきゅうはじめた。その成果せいかはまず1893ねんあきらかとなった。

1885ねん結婚けっこんし、8にんもうけている。

1899ねん、マドリードに移住いじゅう。このあいだかれ研究けんきゅう成果せいかもとづいて応用おうよう数学すうがく研究所けんきゅうじょ設立せつりつされ、かれ所長しょちょう任命にんめいされた。この研究所けんきゅうじょおも科学かがくてき機器きき製造せいぞう目的もくてきとしていた。同年どうねん、マドリードの王立おうりつ自然しぜん科学かがくアカデミーの一員いちいんとなり、1910ねんには会長かいちょうとなった。どう研究所けんきゅうじょ成果せいかとしては、ゴンサロ・ブラニャス(Gonzalo Brañas) による映画えいが撮影さつえい技術ぎじゅつと カブレラ(Cabrera)とコスタ(Costa) によるXせん分光ぶんこう有名ゆうめいである。

1900年代ねんだい初期しょき、トーレスはエスペラントまなび、生涯しょうがいその信奉しんぽうしゃとなった。

1916ねん、スペイン国王こくおうアルフォンソ13せいから勲章くんしょう授与じゅよされる。1918ねん開発かいはつ大臣だいじん就任しゅうにん打診だしんけたが、辞退じたいした。1920ねんスペイン王立おうりつアカデミー一員いちいんとなり、パリの科学かがくアカデミー力学りきがく部門ぶもん一員いちいんにもえらばれた。1922ねんパリ大学だいがくから名誉めいよ博士はかせごう授与じゅよされた。

トーレスは1936ねん12月18にちスペイン内戦ないせん最中さいちゅうのマドリードで死去しきょ。84さい誕生たんじょう10日とおかまえであった。

業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

トーレスの発明はつめい研究けんきゅうは、安全あんぜんせい向上こうじょうさせたロープウェイはじまり、複雑ふくざつ方程式ほうていしきくための各種かくしゅアナログ計算けいさん機械きかい独自どくじ構造こうぞう飛行船ひこうせん世界せかいはつ実用じつようてきラジオコントロール歴史れきしじょう最初さいしょのコンピュータゲームともばれるチェス機械きかい電気でんき機械きかいしき解析かいせき機関きかんなど非常ひじょうひろ範囲はんいおこなわれた。

飛行船ひこうせん[編集へんしゅう]

1911ねん航空こうくうショーでのAstra-Torres飛行船ひこうせん

1902ねん、トーレスはあたらしい飛行船ひこうせんかんする特許とっきょ出願しゅつがんし、マドリードとパリの科学かがくアカデミーで発表はっぴょうおこなった[1]。これは、内部ないぶ柔軟じゅうなんなケーブルをることで船体せんたい剛性ごうせい強化きょうかし、大型おおがたのゴンドラのげにえられるはん硬式こうしき飛行船ひこうせんだった。当時とうじ飛行船ひこうせんは、単純たんじゅん構造こうぞうだが大型おおがた高速こうそくむずかしい軟式なんしき飛行船ひこうせんと、1900ねん開発かいはつされたツェッペリン代表だいひょうされる硬式こうしき飛行船ひこうせんとがあった。硬式こうしき飛行船ひこうせん大型おおがた高速こうそく飛行ひこう可能かのうだがおもくてよこ振動しんどう発生はっせいしやすい欠点けってんがあり、りたたんで運搬うんぱんできないことも当時とうじ問題もんだいとされていた。トーレスの提案ていあん両者りょうしゃ問題もんだいてん解決かいけつするためのものだった[1]

1905ねん陸軍りくぐん技術ぎじゅつしゃであるアルフレッド・キンデラン(Alfredo Kindelán)の助力じょりょくて、(1896ねんグアダラハラつくられた)Army Military Aerostatics Service でスペインはつ飛行船ひこうせん建造けんぞう指揮しきした。翌年よくねん最初さいしょのプロトタイプがつくられ、1907ねんにはTorres Quevedo No.1作成さくせいされた[1]。その改良かいりょうされたTorres Quevedo No.2建造けんぞうされ、トーレスやキンデランとぐん関係かんけいしゃせて1908ねんはつ飛行ひこうおこなった。

発明はつめいしたはん硬式こうしき飛行船ひこうせん模型もけいまえ説明せつめいおこなうトーレス・ケベード (1913ねん)

この成果せいかもとづき、トーレスとフランス企業きぎょうのアストラしゃ(Société Astra)のあいだ契約けいやくむすばれ、同社どうしゃはスペイン以外いがいでの飛行船ひこうせん建造けんぞう権利けんりた。これにより1911ねん、アストラ・トーレス(Astra-Torres)飛行船ひこうせんばれる飛行船ひこうせん建造けんぞう開始かいしされた。1913ねんにはフランスぐんイギリスぐん購入こうにゅうした。イギリス海軍かいぐん購入こうにゅうした Astra-Torres XIV時速じそく83.2km、風向かざむきがいときには時速じそく124kmを記録きろくし、当時とうじ飛行船ひこうせん速度そくど世界せかい記録きろく更新こうしんしている[1]。その大型おおがたされた飛行船ひこうせん多数たすう製造せいぞうされ、おもだいいち世界せかい大戦たいせんさい潜水せんすいかん哨戒しょうかい任務にんむ使つかわれた。1918ねんにはアメリカ海軍かいぐん大型おおがた飛行船ひこうせん AT-18 を、1922ねんには大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんおなおおきさの最新さいしん飛行船ひこうせん AT-20 を購入こうにゅうした[1]。AT-20は 10,700 m3おおきさで、フランスからふね日本にっぽんおくられ、海軍かいぐん霞ヶ浦かすみがうら飛行場ひこうじょう飛行船ひこうせん格納庫かくのうこ完成かんせいまえだったため陸軍りくぐん所沢ところざわ飛行場ひこうじょうにあった飛行船ひこうせん格納庫かくのうこてがおこなわれた[2]

トーレスは1918ねん技術ぎじゅつしゃのエミリオ・エレラ・リナレス(Emilio Herrera Linares)と共同きょうどう大西洋たいせいよう横断おうだん飛行船ひこうせん Hispania設計せっけいし、世界せかいはつ大西洋たいせいよう横断おうだん飛行ひこう栄誉えいよをスペインにもたらそうとした。しかし資金しきんあつめが難航なんこうしたためにプロジェクトは遅延ちえんし、世界せかいはつ大西洋たいせいよう着陸ちゃくりく横断おうだん飛行ひこう栄誉えいよはイギリスのジョン・オールコックらがった。

トーレスが発明はつめいした飛行船ひこうせんどうタイプのものは多数たすう建造けんぞうされおおくの場所ばしょ使つかわれた。フランスのアストラしゃのものは30せき、イギリスで1916ねんから1919ねんあいだ建造けんぞうされたものは60せき以上いじょうになる[3]。イギリスでのアストラしゃ関連かんれん会社かいしゃエアシップしゃ(Airship Ltd.)で建造けんぞうされたもののうち4せきはロシア陸軍りくぐん購入こうにゅうした。

ツェッペリンかたをベースとした硬式こうしき飛行船ひこうせん世界せかい主流しゅりゅうになったのちもトーレスの発明はつめいどうタイプの飛行船ひこうせんつくられ、1930年代ねんだいにはフランスのゾディアックしゃ(Société Zodiac)がアストラしゃ同様どうよう飛行船ひこうせん V-11、V-12 を作成さくせいしている[1]ツェッペリンかた飛行船ひこうせんであるヒンデンブルクごう爆発ばくはつ事故じここった1937ねん大型おおがた飛行船ひこうせん黄金おうごんまくじるが、それから40ねんった1977ねんには、トーレスがた飛行船ひこうせんを2ならべたそうどうせんタイプの飛行船ひこうせん Dinosaure設計せっけいされ、そのプロトタイプがゾディアックしゃつくられた[1]

チェス機械きかい: エル・アヘドレシスタ[編集へんしゅう]

1912ねん、トーレスはチェスオートマタ作成さくせいした[4][5]エル・アヘドレシスタ(El Ajedrecista、チェスプレイヤーの)とづけられた機械きかいは、チェスの終盤しゅうばんのみをあつかしろのキングとルークで人間にんげんがわくろのキングをませようとするもので、人間にんげんがわのキングの最初さいしょ位置いちがどこであってもチェックメイトすることができた。トーレスは2種類しゅるいのチェス機械きかい作成さくせいした。1912ねんごろ作成さくせいした最初さいしょ機械きかいと、1920ねんころ息子むすこのゴンザロと協力きょうりょくして作成さくせいした2番目ばんめ機械きかいである。最初さいしょ作成さくせいされた機械きかいはアームでこまうごかすもので、1914ねんにパリのソルボンヌ機械きかい研究所けんきゅうじょ公開こうかいされ、また1915ねん9がつサイエンティフィック・アメリカン記事きじ "Torres and His Remarkable Automatic Devices"(「トーレスとかれおどろくべき自動じどう装置そうち」)でも紹介しょうかいされた[6]。2番目ばんめ機械きかい外観がいかんをより洗練せんれんさせたもので、ばんしたにある電磁石でんじしゃくこま自動的じどうてきうごかすことができ、またチェックメイトのさいにはレコードの音声おんせいらせることができた。この機械きかいはその保存ほぞんされ、たとえば1951ねんのパリ・サイバネティックス会議かいぎでの展示てんじ息子むすこのゴンザロはノーバート・ウィーナーらに機械きかい説明せつめいおこなっている。

トーレスの機械きかいよりまえ作成さくせいされたヴォルフガング・フォン・ケンペレンの「トルコじん」などのチェス人形にんぎょうなかかくれたひと操作そうさでプレイしていたのにたいし、トーレスのものは内部ないぶ電気でんき機械きかいてき装置そうちにより盤面ばんめん状況じょうきょう判断はんだんこまうごきをめることができた。そのためしばしば最初さいしょのチェスコンピュータとばれ[4]、また歴史れきしじょう最初さいしょのコンピュータゲームともばれる[7]

ロープウェイ[編集へんしゅう]

ナイアガラのエアロカー

トーレスがロープウェイ実験じっけんはじめたのは非常ひじょうはやく、まれ故郷こきょうのモリェドにんでいたころであった。1887ねんやく40メートルの窪地くぼちをまたぐ最初さいしょのロープウェイを建設けんせつしている。全長ぜんちょうやく200メートルで、単座たんざのゴンドラを2とううしいた。この実験じっけんもとづいてかれ最初さいしょ特許とっきょ複数ふくすうのケーブルを使つかったロープウェイにより、貨物かもつだけでなく人間にんげん輸送ゆそう可能かのう安定あんていした輸送ゆそう手段しゅだん)を申請しんせいした。のち電動でんどう使つかったロープウェイ cableway of the Río León建設けんせつしたが、貨物かもつ輸送ゆそう専用せんようとして使つかわれていた。1890ねんスイスにロープウェイ建設けんせつ提案ていあん。スイスはこれにおおいに興味きょうみったが、そのプロジェクトは採用さいようされなかった。

1907ねん、トーレスは人間にんげん輸送ゆそうてきした最初さいしょのロープウェイをサン・セバスティアンの ウリアさん(Monte Ulía)に建設けんせつした。安全あんぜんせい複数ふくすうのケーブルを巧妙こうみょう利用りようすることで確保かくほされた。結果けっかとして非常ひじょう堅牢けんろう設計せっけいとなり、サポートケーブルのうちの1ほんれてもえることができた。直径ちょっけい19ミリのケーブル6ほんで、乗客じょうきゃく13めい前後ぜんこうを28メートルたかさで280メートル運搬うんぱんすることができた[8]。プロジェクト実行じっこうはビルバオの工学こうがく研究けんきゅうかいによるもので、どうかいシャモニーリオデジャネイロでもロープウェイ建設けんせつ成功せいこうした。科学かがくてき観点かんてんさい重要じゅうようというわけではないが、もっと有名ゆうめいれいとしてカナダナイアガラフォールズ建設けんせつされたスパニッシュ・エアロカーがある。1914ねんから1916ねん建設けんせつされ、全長ぜんちょう580メートルのケーブルがナイアガラのたきカナダがわたきつぼをまたいだかたち設置せっちされた。建設けんせつはスペイン資本しほんによるスペイン企業きぎょうおこない、最初さいしょから最後さいごまでスペインのプロジェクトとしておこなわれた。入口いりくち設置せっちされた青銅せいどうかざばんには Spanish aerial ferry of the Niagara. Leonardo Quevedo Torres (1852–1936)しるされている。1916ねん2がつ15にち試験しけん運行うんこう開始かいしされ、1916ねん8がつ8にち正式せいしき運行うんこうとなり、その翌日よくじつから観光かんこうきゃく利用りよう開始かいしされた。そのさい若干じゃっかん修正しゅうせいほどこされ、以来いらい今日きょうまでおおきな問題もんだい観光かんこうきゃく雄大ゆうだい景色けしき提供ていきょうつづけている[9]

ラジオコントロール: Telekino[編集へんしゅう]

トーレスは1901ねんから1902ねんにかけて、人命じんめい危険きけんにさらすことなく当時とうじ開発かいはつちゅうだった飛行船ひこうせん試験しけんおこなうため、無線むせんによるリモートコントロール研究けんきゅうはじめた[10][11]1902ねん1903ねんにはフランス、スペイン、イギリス、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく特許とっきょ取得しゅとくし、1903ねんにはパリの科学かがくアカデミーでデモンストレーションを披露ひろうした。このシステムは世界せかいはつ実用じつようてきラジオコントロールで、ギリシャTele距離きょりとおくを意味いみする)とkineちからうごきをあらわす)をわせた Telekine という名称めいしょうばれ、のちTelekino ともばれるようになった。

1895ねんマルコーニによる無線むせん電信でんしん実験じっけん以降いこう、ヨーロッパやアメリカで無線むせんによるリモートコントロールの研究けんきゅう実験じっけんおこなわれ、トーレス以前いぜんではテスラエジソン、イギリスのバリカス(Cecil Varicas)によるものなどがられている[11]。しかし、無線むせん技術ぎじゅつ発展はってん途上とじょうだったことと、電波でんぱでモータやかじなどのうごきをオンオフするような単純たんじゅん制御せいぎょ方式ほうしきのものがおおく、満足まんぞく結果けっかられていなかった[11]。トーレスの方式ほうしき動作どうさ指示しじをパルスのかずとして符号ふごう無線むせんおくるもので、さまざまなことなった動作どうさおこなわせることができた。

システムは、電波でんぱ受信じゅしんするためのコヒーラ検波けんぱ受信じゅしんしたパルスすうによって切替きりかえおこなうマルチポジションのスイッチ、そのスイッチで制御せいぎょされるいくつかのサーボモータから構成こうせいされる。複数ふくすうのパルスによりマルチポジションのスイッチの位置いちえ、あらかじめ定義ていぎされた機械きかいてき動作どうさ選択せんたくする。この方式ほうしきでは複数ふくすう動作どうさをきめこまかく制御せいぎょができ、またパルスのかずやすことで動作どうさのバリエーションをいくらでもやすことができた。送信そうしんがわでの動作どうさ指示しじは、当初とうしょ無線むせん電信でんしん使つかわれている電鍵でんけん直接ちょくせつおこなっていたが、のちにレバー操作そうさによりまったかずのパルスを送信そうしんできるような装置そうち使つかわれた[11]

パリでのデモンストレーションおおくの公開こうかい実験じっけんおこなわれた。1904ねんにはさんりん自動車じどうしゃもち前進ぜんしん/後退こうたい方向ほうこう転換てんかんができるプロトタイプで実験じっけんおこな成功せいこうおさめた[11]おなじころ、マドリードにあるみずうみでボートのリモートコントロール実験じっけんなんかいおこなった。これを感銘かんめいけたビルバオ知事ちじビルバオだい規模きぼなデモンストレーションをおこなうための資金しきん提供ていきょうした[11]1905ねんにはドイツから購入こうにゅうしたふねに Telekino をみビルバオでなんかいかの実験じっけんおこなった。8 にん乗客じょうきゃくせたふねは 2 km以上いじょうはなれた送信そうしんから数学すうがくてき正確せいかくさで制御せいぎょされた、と当時とうじ新聞しんぶんほうじている[11]1906ねんにはスペイン国王こくおうアルフォンソ13せいふくめた大観たいかんしゅまえでこの発明はつめい公式こうしき披露ひろうした[12]公開こうかい実験じっけん成功せいこう、この発明はつめい魚雷ぎょらい潜水せんすいかん応用おうようしようとしスペイン海軍かいぐん資金しきん提供ていきょう依頼いらいおこなったが拒否きょひされたため、その研究けんきゅう中止ちゅうしされた。

2007ねん、トーレスのリモートコントロールの研究けんきゅうIEEE米国べいこく電気でんき電子でんし学会がっかい)により電気でんき電子でんし技術ぎじゅつやその関連かんれん分野ぶんや歴史れきしてき偉業いぎょうとして認定にんていされ、IEEEマイルストーンしょうあたえられた[10]

アナログ計算けいさん機械きかい[編集へんしゅう]

ザラゴザ大学だいがく Superior Polytechnical Center にあるトーレス・ケベード・ビル

アナログ計算けいさん機械きかいは、方程式ほうていしき物理ぶつり現象げんしょうえることでかいもとめるものである。数値すうち歯車はぐるま角度かくどのようななんらかの物理ぶつりりょうあらわされる。トーレスはこのような機械きかいを「代数だいすうマシン」(Algebraic Machine、西にし: Máquina algébrica)とんだ。方程式ほうていしき機械きかい18世紀せいきまでさかのぼることができ[13]19世紀せいきころには様々さまざまなものが考案こうあんされた[13]。トーレスの成果せいかもそれらのうえつものである。1893ねん、トーレスはマドリードの王立おうりつ科学かがくアカデミーで代数だいすうマシンについての論文ろんぶん発表はっぴょうした[14]。1895ねんパリ科学かがくアカデミー科学かがく推進すいしん協会きょうかいボルドー会議かいぎ機械きかいのプロトタイプが披露ひろうされ[14]、1900ねんにはふたたびパリの科学かがくアカデミーでさらに一般いっぱん理論りろんした論文ろんぶん発表はっぴょうおこなった[14]

トーレスは機械きかいしきのアナログ計算けいさん機械きかい複数ふくすう製作せいさくした。もっとも有名ゆうめいなものは代数だいすう方程式ほうていしき機械きかいで、8つのこうからなる任意にんい次数じすう代数だいすう方程式ほうていしきたか精度せいどくことができた。この機械きかい以下いかしき計算けいさんもとめることができる。

ここで X変数へんすうを、A1A8各項かくこう係数けいすうあらわす。αあるふぁ = 1 の場合ばあいかんがえれば以下いかしきとなり、代数だいすう方程式ほうていしきもとめることができる。

トーレスの機械きかいでは各項かくこう対数たいすうスケールで計算けいさんした。そうすることで各項かくこうA1 + a × log(X) のようにせきのみで計算けいさんでき、非常ひじょうひろ範囲はんいあつかえ、さらに計算けいさん相対そうたい誤差ごさ大小だいしょう関係かんけいなく一定いっていにできる長所ちょうしょがある。しかし各項かくこう計算けいさんするためには、対数たいすうスケールでの計算けいさん log(u) と log(v) とから精度せいどよく log(u + v) をもとめる必要ひつようがある。この計算けいさんのため、トーレスはエンドレス・スピンドル(endless spindle、西にし: husillo sin fin)とばれる独自どくじのメカニズムを考案こうあんした[13][14]。このメカニズムはワインボトルのような形状けいじょう螺旋らせんじょう歯車はぐるまもちいた複雑ふくざつどう歯車はぐるまで、y = log(10V + 1)計算けいさんできる[13]。log(u) - log(v) = log(u/v) = V とくと u/v = 10V であることをもちい、以下いかしき利用りようして log(u + v) を計算けいさんする。

トーレスはこの機械きかい以外いがいにも、1900ねんごろから歯車はぐるまリンク機構きこうもちいて 2 方程式ほうていしき X2 - pX + q = 0 の複素数ふくそすうかいもとめる小型こがた計算けいさん機械きかい考案こうあんし、またいちかい微分びぶん方程式ほうていしき積分せきぶんなども製作せいさくした[15]現在げんざいそれらのいくつかはマドリード工科こうか大学だいがくにあるトーレス・ケベード博物館はくぶつかん(Museo "Torres Quevedo")におさめられている。

オートマティカ、解析かいせき機関きかん[編集へんしゅう]

トーレスは1913ねん発表はっぴょうした論文ろんぶん"オートマティカにかんするしょうろん"Ensayos sobre Automática)で「オートマティカ」(自動じどう機械きかい西にし: automática)とばれる機械きかい提案ていあんとその実現じつげん可能かのうせい検討けんとうおこなった[16] [17][18]。これは人間にんげんのように知的ちてき行動こうどうおこなう、あるいは人間にんげんえるような機械きかいで、現在げんざいのさまざまな自動じどう制御せいぎょ機械きかい相当そうとうする。この機械きかいは、外部がいぶからの情報じょうほうセンサーうでのように外界がいかい操作そうさする部分ぶぶん電池でんち空気圧くうきあつなどの動力どうりょくげん、そしてもっと大切たいせつな、んだ情報じょうほう過去かこ情報じょうほう使つかって「判断はんだん」をおこな部分ぶぶんからなり、外部がいぶからの情報じょうほうおうじて生物せいぶつのように反応はんのう制御せいぎょ環境かんきょう変化へんか適応てきおうして動作どうさえることができるものとして定義ていぎされた[17][18]

このような外界がいかい状況じょうきょうにより動作どうさえる機械きかい理論りろんてき実現じつげん可能かのうであることをしめすため、トーレスはあるしゅ解析かいせき機関きかんれいとしてもち具体ぐたいてき実現じつげん方法ほうほうしめした。この機械きかいバベッジ解析かいせき機関きかんのアイデアをベースにトーレスが独自どくじ考案こうあんしたもので、電気でんき機械きかいてきなメカニズムをもちい、外部がいぶ数値すうちデータを内蔵ないぞうされたプログラムで判断はんだん処理しょりえながら計算けいさんおこなう。論文ろんぶんでは理論りろんじょう機械きかいとされているが、実際じっさいにはメカニズム全体ぜんたい具体ぐたいてきなデザインがしめされている[19]

論文ろんぶんないでは、a、y、z のじゅんならぶデータれつから a × (y — z)2計算けいさんする機械きかいれいとしてもちいられている[19]最初さいしょ必要ひつようとなるさまざまな部品ぶひん具体ぐたいてきには数値すうち格納かくのうするレジスタみの関数かんすうテーブルをもちいた乗除じょうじょざんなどの演算えんざん装置そうち数値すうち大小だいしょう比較ひかくおこな装置そうち入出力にゅうしゅつりょくゲート、多段ただんスイッチによるセレクタ回路かいろなどの電気でんき機械きかいてき実現じつげん方法ほうほうしめされ、つづいて制御せいぎょプログラムをふくめた全体ぜんたい構成こうせい説明せつめいされている。演算えんざん減算げんざん装置そうち乗算じょうざん装置そうち数値すうち比較ひかく装置そうち(>、=、<)、2ほんのレジスタ、データの入力にゅうりょくおよびデータ出力しゅつりょくおこな部分ぶぶんからなり共通きょうつうバス接続せつぞくされる。それらを制御せいぎょするプログラムは回転かいてんする円筒えんとうじょうられた導体どうたいのパターンとして表現ひょうげんされ、数値すうち大小だいしょう比較ひかくによる条件じょうけん分岐ぶんきふくんでいる。

さらに、全体ぜんたい回路かいろ構成こうせいや16ステップからなるプログラムの詳細しょうさい説明せつめい以外いがいに、トーレスの論文ろんぶんには世界せかい最初さいしょわれる浮動ふどう小数点しょうすうてん演算えんざん提案ていあんふくまれる[19]

その、1914ねんにトーレスは実際じっさいに p × q — b を計算けいさんする解析かいせき機関きかんのプロトタイプの設計せっけい作成さくせいおこなった[19]

条件じょうけん分岐ぶんき命令めいれいふくんだプログラムを実行じっこうできる汎用はんよう電気でんきしき/機械きかいしきコンピュータあらわれるのは1940年代ねんだいであり、トーレスの論文ろんぶんはこれよりはるかにはやい。トーレスの論文ろんぶんはスペインフランス語ふらんすごのみで発表はっぴょうされたこともあり英語えいごけんではほとんどられず、そののコンピュータ開発かいはつおおきな影響えいきょうあたえることはなかった[19]。コンピュータの歴史れきし研究けんきゅうしゃであるランデル(Brian Randell)は、トーレスが実際じっさい歴史れきしより20ねん以上いじょうはや電気でんき機械きかいしき汎用はんようコンピュータを実現じつげん可能かのうだったかもしれず、実際じっさいのニーズやモチベーション、資金しきんりょくっていたと指摘してきしている[19]

トーレスの電気でんき機械きかいしきアリスモメータの写真しゃしんあかかこんだ部分ぶぶん電気でんき機械きかいしき計算けいさん装置そうちあおかこんだ部分ぶぶん入出力にゅうしゅつりょくようタイプライター。そのあいだはケーブルで接続せつぞくされ、タイプライターから数式すうしき入力にゅうりょくすると計算けいさん出力しゅつりょくされた。

また論文ろんぶん発表はっぴょう、1920ねんにトーレスは電気でんき機械きかいしきアリスモメータ(Arithmometer)とばれる計算けいさん機械きかい作成さくせいしパリで発表はっぴょうおこなった。この計算けいさん機械きかいはプログラム可能かのうなものではなかったが、計算けいさんおこな装置そうちタイプライターとを電線でんせんでつなぎ、タイプライターから数式すうしきたとえば"532 × 257")と"="をつだけで自動的じどうてき計算けいさんおこなこたえの数値すうち印刷いんさつすることができた[20]ユーザインタフェースからみれば、この機械きかいキーボード入力にゅうりょくインターフェースとする現在げんざいのコンピュータの前身ぜんしんなすことができる。また利用りよう形態けいたいとしてみれば、電線でんせん延長えんちょうによるリモートでの計算けいさん想定そうていしており[20]通信つうしん回線かいせん利用りようする現在げんざいオンラインシステムひとし初歩しょほてきなものとかんがえられる。さらに、電気でんき機械きかいしきアリスモメータについての1920ねん論文ろんぶんには、さまざまな「オートマティカ」(自動じどう機械きかい)において、連続れんぞくてき数値すうち有限ゆうげん離散りさんてきとして表現ひょうげん処理しょり判断はんだんおこなうことの必要ひつようせい指摘してきされている[20]。これは現在げんざいデジタル処理しょり相当そうとうする。トーレスは当時とうじとしては非常ひじょう先進せんしんてきおおくのアイデアをっていた。

その発明はつめいとさまざまな活動かつどう[編集へんしゅう]

トーレスはロープウェイ飛行船ひこうせんラジオコントロール以外いがいにもひろ範囲はんい様々さまざま発明はつめい特許とっきょ取得しゅとくおこなった。たとえば、飛行船ひこうせんよう空母くうぼ特許とっきょ番号ばんごう 56139)や都市とし案内あんないシステム(特許とっきょ番号ばんごう 27042)などがある[21]

晩年ばんねんのトーレスは教育きょういくにもちかられ、その結果けっかとして教育きょういく関連かんれんした以下いかのような様々さまざま特許とっきょ取得しゅとくおこなっている[21]

  • 各種かくしゅタイプライターとその改良かいりょう特許とっきょ番号ばんごう 80121、82369、86155、87428)
  • ほんなどのインデックスタブ(特許とっきょ番号ばんごう 99176、99177)
  • プロジェクター特許とっきょ番号ばんごう 117853)
  • プロジェクターようのポインター(特許とっきょ番号ばんごう 116770)

プロジェクターようのポインターは、現在げんざいレーザーポインターマウスカーソルのような役割やくわりをするためのもので、プロジェクターの投影とうえいめんにポインターに相当そうとうするかげ表示ひょうじうごかすことができるようにする発明はつめいである。

また、科学かがく技術ぎじゅつ発展はってんのための様々さまざま活動かつどう提案ていあんおこなった。たとえば以下いかのようなものがある[15]

  • 機械きかい構造こうぞう記述きじゅつするための表記ひょうきほう記号きごう提案ていあん
  • スペイン科学かがく技術ぎじゅつ用語ようご辞典じてん編纂へんさん

トーレスは中南米ちゅうなんべいふくスペインけんでの科学かがく技術ぎじゅつ発展はってんのため、共通きょうつう技術ぎじゅつ用語ようご辞典じてん作成さくせいのための活動かつどうおこなった。1921ねん科学かがく用語ようご書籍しょせき国民こくみん会議かいぎ創設そうせつ決定けっていにより具体ぐたいてき活動かつどうはじまり、1930ねんに"ヒスパニックアメリカン技術ぎじゅつ辞典じてん"(Diccionario Tecnológico Hispanoamericano)のだい1かん発行はっこうされた[22][23]。それ以降いこうまき編集へんしゅうスペイン内戦ないせんやトーレスのなどの影響えいきょうなが中断ちゅうだんし、1983ねんになって"科学かがく技術ぎじゅつ用語ようご"(Vocabulario Científico y Técnico)の名称めいしょう初版しょはん発行はっこうされた[23]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g F. A. González Redondo. Leonardo Torres Quevedo, 1902-1908. The foundations for 100 years of Airship design,(pdf) 7th International Airship Convention, 2008.
  2. ^ 雄飛ゆうひ 写真しゃしんしゅう航空こうくう発祥はっしょう所沢ところざわ飛行場ひこうじょう」の歴史れきし” (2007ねん). 2011ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ F. A. González Redondo. Torres Quevedo's Trilobed Autorigid Airship. A Centennial Celebration,(pdf) Dirigible: Journal of the Airship Heritage Trust, 2008.
  4. ^ a b El Ajedrecista, Chess Programming.
  5. ^ MARSH, ALLISON (2023). “Past Forward”. IEEE Spectrum 60 (7): p.52. 
  6. ^ Torres and his remarkable automatic devices. Issue 2079, Scientific American Suppl., 1915.
  7. ^ Montfort, Nick (2005). Twisty Little Passages: An Approach to Interactive Fiction. MIT Press, p.76. ISBN 0262633183
  8. ^ 『グラフィック』だいいちかん17ごう、1909ねん、p17
  9. ^ Whirlpool Aero Car - Niagara Parks, Niagara Falls, Ontario, Canada
  10. ^ a b IEEE - IEEE History Center: Early Developments in Remote-Control, 1901
  11. ^ a b c d e f g A. P. Yuste, M. S. Palma. The First Wireless Remote-Control: the Telekine of Torres Quevedo,(pdf) Conf. on History of Electronics, 2004.
  12. ^ F. A. González Redondo. Leonardo Torres Quevedo (1852-1936) 2ª Parte. Automática, máquinas analíticas,(pdf) La gaceta de la RSME, Vol. 8.1, pp.267-293, 2005.
  13. ^ a b c d F. Thomas. A Short Account on Leonardo Torres ’ Endless Spindle , Mechanism and Machine Theory, Vol.43, No.8, pp.1055-1063, 2008.
  14. ^ a b c d F. A. González Redondo. Leonardo Torres Quevedo (1852-1936) 1ª Parte. Las máquinas algébricas,(pdf) La gaceta de la RSME, Vol. 7.3, pp.787-810, 2004.
  15. ^ a b Gonzalo Torres-Quevedo Polanco. Torres Quevedo y la automática, Revista de Obras Públicas, Núm.2831, pp.99-109, 1951.
  16. ^ L. Torres Quevedo. Ensayos sobre Automática - Su definicion. Extension teórica de sus aplicaciones, Revista de la Academia de Ciencias Exacta, Revista 12, pp.391-418, 1913.
  17. ^ a b L. Torres Quevedo. Essais sur l'Automatique - Sa définition. Etendue théorique de ses applications, Revue Génerale des Sciences Pures et Appliquées, vol.2, pp.601-611, 1915.
  18. ^ a b B. Randell. Essays on Automatics, The Origins of Digital Computers, pp.89-107, 1982.(トーレス論文ろんぶん英訳えいやく
  19. ^ a b c d e f B. Randell. From Analytical Engine to Electronic Digital Computer: The Contributions of Ludgate, Torres, and Bush, IEEE Annal. History of Computing, Vol.4, Issue 4, pp.327–341, 1982.
  20. ^ a b c B. Randell. Electromechanical Calculating Machine, The Origins of Digital Computers, pp.109-120, 1982.(トーレス論文ろんぶん英訳えいやく
  21. ^ a b Patentes de invención de Don Leonardo Torres Quevedo, España Registro de la Propiedad Industrial, 1988. ISBN 84-86857-50-3
  22. ^ J. A. Vera Torres,La terminología científica en español(pdf) II Acta Internacional de la Lengua Española, La Rábida, pp.11-13,2008.
  23. ^ a b Vocabulario Científico y Técnico I, Real Academia de Ciencias, 2011.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]