(Translated by https://www.hiragana.jp/)
南部鉄道 - Wikipedia コンテンツにスキップ

南部なんぶ鉄道てつどう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
電気でんき鉄道てつどうから転送てんそう
南部なんぶ鉄道てつどう
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
青森あおもりけん三戸さんのへぐん五戸ごのへまち下毛しもげ沢向さわむかい13の3
設立せつりつ 1926ねん大正たいしょう15ねん)2がつ21にち
業種ぎょうしゅ てつ軌道きどうぎょう
事業じぎょう内容ないよう 旅客りょかく鉄道てつどう事業じぎょう自動車じどうしゃ運送うんそうぎょう倉庫そうこぎょう
代表だいひょうしゃ 社長しゃちょう 三浦みうら道雄みちお
資本しほんきん 115,000,000えん
発行済はっこうずみ株式かぶしき総数そうすう 2,300,000かぶ
特記とっき事項じこう:1967ねん3がつ20にち現在げんざい(『私鉄してつ要覧ようらん 昭和しょうわ42年度ねんどばん』 20ぺーじ
テンプレートを表示ひょうじ
南部なんぶ鉄道てつどう
概要がいよう
現況げんきょう 廃止はいし
おこり終点しゅうてん 起点きてん尻内しりうちえき
終点しゅうてん五戸ごのへえき
えきすう 8えき
運営うんえい
開業かいぎょう 1929ねん8がつ23にち (1929-08-23)
廃止はいし 1969ねん4がつ1にち (1969-4-1)
所有しょゆうしゃ 南部なんぶ鉄道てつどう
使用しよう車両しゃりょう 車両しゃりょうふし参照さんしょう
路線ろせんしょもと
路線ろせんそう延長えんちょう 12.3 km (7.6 mi)
軌間きかん 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小さいしょう曲線きょくせん半径はんけい 200 m (660 ft)
電化でんか 全線ぜんせん電化でんか
さいきゅう勾配こうばい 30.3
路線ろせん
1934ねん鉄道てつどう路線ろせん
テンプレートを表示ひょうじ

南部なんぶ鉄道てつどう(なんぶてつどう)とは、かつて青森あおもりけん八戸はちのへ尻内しりうちえきげん八戸はちのへえき)とその西方せいほうにある三戸さんのへぐん五戸ごのへまち五戸ごのへえきとのあいだむすんでいた鉄道てつどう路線ろせんおよびその運営うんえい会社かいしゃである。

昭和しょうわ初期しょき開業かいぎょう将来しょうらいてき秋田あきたけんうち毛馬けまない十和田南とわだみなみえき)への延伸えんしんや、さらに種差たねさし海岸かいがん延長えんちょう計画けいかくのほか、三戸さんのへまち十和田とわだ東北とうほくまちへの延伸えんしん構想こうそうもあったもののたせず[1]1968ねん5月16にち発生はっせいした十勝とかちおき地震じしんによって全線ぜんせん壊滅かいめつてき被害ひがいけ、復旧ふっきゅうしないまま廃止はいしとなった。

会社かいしゃ鉄道てつどうはいせん社名しゃめい南部なんぶバス変更へんこうし、バス専業せんぎょう会社かいしゃとして存続そんぞくしていたが、経営けいえいなんのため2017ねん3月1にちづけ岩手いわてけんきた自動車じどうしゃ事業じぎょう譲渡じょうと破産はさん2018ねん4がつ16にち法人ほうじんかく消滅しょうめつした。

路線ろせんデータ

[編集へんしゅう]

歴史れきし

[編集へんしゅう]

鉄道てつどう事業じぎょうかんする内容ないようのみ。バス事業じぎょうかんしては、「南部なんぶバス#沿革えんかく」を参照さんしょうのこと。

  • 1925ねん大正たいしょう14ねん4がつ27にち鉄道てつどう免許めんきょじょう下付かふさん郡上こおりかみ長苗代ながなわしろむら-どうぐん五戸ごのへまちあいだ 動力どうりょく電気でんき[2]
  • 1926ねん大正たいしょう15ねん2がつ21にち電気でんき鉄道てつどうとして会社かいしゃ設立せつりつ[3]
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん
    • 7がつ25にち - 動力どうりょく変更へんこう認可にんか蒸気じょうき[4]
    • 8がつ23にち尻内しりうち - うえななさきあいだ開業かいぎょう[5]
    • 10がつ10日とおかうえななさき - こころざしがんあいだ開業かいぎょう[6]うえ七崎ななさきえき廃止はいし
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん
    • 4がつ1にちこころざしがん - 五戸ごのへあいだ開業かいぎょう[7]
    • 5月1にち地蔵岱じぞうたいえき開業かいぎょう
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん5月5にち鉄道てつどう社名しゃめい変更へんこう
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん1がつ1にち南部なんぶ鉄道てつどう社名しゃめい変更へんこう
  • 1960ねん昭和しょうわ35ねん月日つきひしょう豊崎とよさきえき開業かいぎょう
  • 時期じきしょう地蔵岱じぞうたいえき県立けんりつしゅにわとりじょうぜんえき改称かいしょう
  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん5月17にち十勝とかちおき地震じしんにより全線ぜんせん運行うんこう休止きゅうし
  • 1969ねん昭和しょうわ44ねん)4がつ1にち全線ぜんせん廃止はいし
  • 1970ねん昭和しょうわ45ねん5月30にち南部なんぶバス社名しゃめい変更へんこう

創業そうぎょう当時とうじ社名しゃめい電気でんき鉄道てつどうであったが、開業かいぎょうからはいせんまで電化でんかされたことはなかった。同様どうようのケースとしては水戸みと電気でんき鉄道てつどう[8]善光寺ぜんこうじ白馬はくば電鉄でんてつ[9]阿波あわ電気でんき軌道きどう[10]がある。

十勝とかちおき地震じしんにおける被害ひがい

[編集へんしゅう]

1968ねん5がつ16にち発生はっせいした十勝とかちおき地震じしんによって、路盤ろばん沈下ちんか決壊けっかい亀裂きれつ土砂どしゃ流出りゅうしゅつなどの路線ろせん被害ひがいが49箇所かしょのぼり、停車場ていしゃじょう待合室まちあいしつ倉庫そうこ・ホームの損壊そんかいなどの鉄道てつどう設備せつび被害ひがいが16箇所かしょ電柱でんちゅう倒壊とうかい30ほん傾斜けいしゃ80ほんと2おくえん以上いじょうのぼ被害ひがいけ、すう年来ねんらい赤字あかじ勘案かんあんされ、同年どうねん5月18にちには復旧ふっきゅう断念だんねん翌年よくねん4がつ1にちでのはいせん決定けっていした[11]

運行うんこう形態けいたい

[編集へんしゅう]

1930ねん8がつ20日はつか改正かいせい当時とうじ

  • 運行うんこう本数ほんすう12往復おうふく(4 - 19だい
  • 所要しょよう時間じかん全線ぜんせん32ふん

1967ねん9がつ10にち当時とうじ

  • 運行うんこう本数ほんすう12往復おうふく(7 - 20だい
  • 所要しょよう時間じかん全線ぜんせん27 - 38ふん
停車場ていしゃじょう施設しせつ接続せつぞく路線ろせん廃止はいし当時とうじ
STR
国鉄こくてつ八戸はちのへせん
ABZql
国鉄こくてつ東北本線とうほくほんせん
exSTR+l
0.0 尻内しりうちえき
exBHF
1.2 ちょうえき
exBHF
3.0 正法寺しょうほうじえき
exBHF
4.9 七崎ななさきえき
exBHF
6.2 豊崎とよさきえき
exBHF
6.3 うえ七崎ななさきえき -1929
exBHF
7.8 こころざしきしえき
exTUNNEL1
地蔵岱じぞうたい隧道すいどう 253m
exBHF
9.6 県立けんりつしゅにわとりじょうまええき
exKBHFe
12.3 五戸ごのへえき

えき一覧いちらん

[編集へんしゅう]
  • ぜんえき青森あおもりけんうち所在しょざいした。所在地しょざいち町村ちょうそんめい接続せつぞく路線ろせんせんめい事業じぎょうしゃめい休止きゅうし当時とうじのもの。
駅名えきめい えきあいだ営業えいぎょうキロ 累計るいけい営業えいぎょうキロ 接続せつぞく路線ろせん 所在地しょざいち[12]
尻内しりうちえき - 0.0 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう東北本線とうほくほんせん八戸はちのへせん 八戸はちのへ
ちょうえき 1.2 1.2  
正法寺しょうほうじえき 1.8 3.0  
七崎ななさきえき 1.9 4.9  
豊崎とよさきえき 1.3 6.2  
こころざしきしえき 1.6 7.8   三戸さんのへぐん五戸ごのへまち
県立けんりつしゅにわとりじょうまええき 1.8 9.6  
五戸ごのへえき 2.7 12.3  

尻内しりうちえき八戸はちのへえき新幹線しんかんせんホーム付近ふきんきゅう八戸はちのへ運輸うんゆちかく)にあった。また五戸ごのへえき跡地あとち岩手いわてけんきたバス南部なんぶ支社ししゃ五戸ごのへ営業えいぎょうしょとなっている。

廃止はいしえき
  • うえ七崎ななさきえき - 1929ねん昭和しょうわ4ねん)10がつ10日とおか廃止はいし

輸送ゆそう収支しゅうし実績じっせき

[編集へんしゅう]
年度ねんど 輸送ゆそう人員じんいんひと 貨物かもつりょう(トン) 営業えいぎょう収入しゅうにゅうえん 営業えいぎょうえん 営業えいぎょう益金えききんえん その益金えききんえん その損金そんきんえん 支払しはらい利子りしえん 政府せいふ補助ほじょきんえん
1929 61,223 457 5,713 11,181 ▲ 5,468 1,834 14,971
1930 143,335 7,363 36,679 48,132 ▲ 11,453 運送うんそう自動車じどうしゃぎょう1,039 ざつそん1,003 45,330
1931 85,518 8,987 34,148 28,130 6,018 自動車じどうしゃぎょう1,555ざつそん3,800 79,882 18,278
1932 91,915 11,987 41,880 28,218 13,662 ざつそん1,623
運送うんそう自動車じどうしゃぎょう611
50,602 30,857
1933 106,972 13,143 45,776 33,553 12,223 ざつそん666自動車じどうしゃ運送うんそう3,455 52,863 36,817
1934 113,223 15,345 44,313 27,854 16,459 債務さいむ免除めんじょきん4,008 ざつそん2,671自動車じどうしゃぎょう3,826 49,942 36,994
1935 121,560 13,685 43,829 36,990 6,839 自動車じどうしゃぎょうその9,706
ざつそん93,366
28,688 37,853
1936 135,312 16,010 49,230 39,098 10,132 自動車じどうしゃぎょうその8,533
ざつそん12,573
28,373 39,673
1937 147,129 21,882 57,672 43,635 14,037 自動車じどうしゃぎょう15,321 ざつそん償却しょうきゃくきん34,988 28,024 35,029
1939 222,284 38,265
1941 301,651 53,897
1943 373,819 38,126
1945 577,963 29,748
1952 572,347 36,522
1958 661せん 38,677
1963 793せん 37,601
1966 828せん 36,544
  • 鉄道てつどういん鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどうしょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどう統計とうけい国有こくゆう鉄道てつどう陸運りくうん統計とうけい地方ちほう鉄道てつどう軌道きどう統計とうけい年報ねんぽう私鉄してつ統計とうけい年報ねんぽうかく年度ねんどばん

車両しゃりょう

[編集へんしゅう]

蒸気じょうき機関きかんしゃ

[編集へんしゅう]
  • 1 → C251, 2
    1896ねんべいピッツバーグせい車軸しゃじく配置はいち0-6-0(C)かたち25tきゅうタンク機関きかんしゃ。1929ねん開業かいぎょう鉄道てつどうしょう1690かたち(1690, 1691)をゆずけたもの。2は、1940ねん1がつ廃車はいしゃとなったが、1はそののこり、1941ねん12月に仙台せんだい陸運りくうんきょくせん監理かんりだい532ごう通牒つうちょうにより、どうじくすうをアルファベットで、その運転うんてん整備せいび重量じゅうりょう番号ばんごうくわえたC251にあらためばんされた。1947ねん10がつ東野とうの鉄道てつどう譲渡ゆずりわたされ、そこで廃車はいしゃとなった。
  • 3 → 961
    1940ねん1がつに2のだいとして、鉄道てつどうしょうからゆずけたもの。鉄道てつどういん5300かたちテンダー機関きかんしゃ車軸しゃじく配置はいち4-4-2(2B1)かたちタンク機関きかんしゃ改造かいぞうした機関きかんしゃ960かたち)で、きゅう番号ばんごうは960である。1941ねん12月には、961にあらためばんされたが、通牒つうちょうしたがえばB421とでもなるべきであった。また、きゅう番号ばんごうとも関係かんけいない番号ばんごうにされたのも不可思議ふかしぎである。太平洋戦争たいへいようせんそうなかぐん命令めいれいにより日本にっぽん製鐵せいてつ輪西わにし製鉄せいてつしょわたされ、S407とあらためばんされた。その爆撃ばくげきによりうしなわれたとして、1946ねん9がつ廃車はいしゃ手続てつづきがされたが、1949ねん実在じつざいしていたことが確認かくにんされている。
  • 281
    1923ねん日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞうせい車軸しゃじく配置はいち2-4-2(1B1)かたちタンク機関きかんしゃで、1943ねん10がつに、燃料ねんりょう統制とうせいによりうごかせなくなった気動車きどうしゃわりに鉄道てつどうしょうからゆずけた280かたち(281)である。しょ申請しんせい状況じょうきょうから、譲受じょうじゅのかなりまえから入線にゅうせんしていたようである。1947ねん2がつ土佐とさ交通こうつう譲渡ゆずりわたされた。
  • C319
    1944ねん12月、立山たてやま重工業じゅうこうぎょうせい車軸しゃじく配置はいち0-6-0(C)かたちタンク機関きかんしゃで、1946ねん7がつ日本にっぽん製鐵せいてつ釜石かまいし製鉄せいてつしょS319をゆずけたものであるが、それ以前いぜんからとうせん使用しようされていた。とうせん在籍ざいせきした期間きかん非常ひじょうみじかく、同年どうねん11がつはやくも茨城いばらき交通こうつう譲渡ゆずりわたされた。
  • C400, C401
    1946ねん立山たてやま重工業じゅうこうぎょうせい車軸しゃじく配置はいち0-6-0(C)かたち40tきゅうタンク機関きかんしゃで、自社じしゃ発注はっちゅうである。戦時せんじ設計せっけい色濃いろこ機関きかんしゃで、角形かくがたのドームが特徴とくちょうてきであった。C400は、1951ねん4がつ国鉄こくてつ郡山こおりやまこう空気くうきブレーキ改造かいぞうされたが、改造かいぞうのC401は1953ねん電気でんき化学かがく4として譲渡じょうとされた。C400は、ディーゼル機関きかんしゃ予備よびとして1956ねん8がつまで在籍ざいせきし、川崎製鉄かわさきせいてつ千葉ちば製鉄せいてつしょ譲渡ゆずりわたされてNUS12となった。

ディーゼル機関きかんしゃ

[編集へんしゅう]
DC351
  • DB251
    1952ねん日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞうせい自重じちょう25t。廃止はいし甲州こうしゅう砕石さいせき譲渡ゆずりわたされ初狩はつかりえき側線そくせん使用しようされた[13][14]
  • DC351
    1956ねん汽車きしゃ会社かいしゃせいの35t3じくロッド駆動くどうしきディーゼル機関きかんしゃ製造せいぞう番号ばんごう2751)。五戸ごのへえき - 尻内しりうちえきあいだやく10年間ねんかん運行うんこうされた[15]。1967ねん日本冶金工業にっぽんやきんこうぎょう譲渡じょうと[15]加悦かや鉄道てつどう運行うんこうされ、どう鉄道てつどう廃止はいし加悦かやSL広場ひろば保存ほぞん宮津みやづ海陸かいりく運輸うんゆ加悦かや鉄道てつどう後身こうしん)が所有しょゆうけんしゃとなっていたが[15]、2020ねん加悦かやSL広場ひろば廃止はいし五戸ごのへまち無償むしょう譲渡じょうとされることとなった[16]。2022ねん4がつ、フェリーとトラックで輸送ゆそうされ、ごのへ郷土きょうどかん敷地しきちない搬入はんにゅうされた[15]

客車きゃくしゃ

[編集へんしゅう]
  • ハ11、12
    書類しょるいじょう昭和しょうわ4ねん8がつ小島こじま栄次郎えいじろうせいとなっているが外観がいかん明治めいじ時代じだい木製もくせい2じく客車きゃくしゃそのものであり[17]車両しゃりょうブローカーである小島こじま栄次郎えいじろう中古ちゅうこひんんだとかんがえられる。1943ねん鹿島かしま参宮さんぐう鉄道てつどう譲渡ゆずりわたされ、ハ22.23となり1955ねん12月廃車はいしゃとなるまで鉾田線ほこたせん使用しようされた[18]
  • ナハ53 → ハフ1401

気動車きどうしゃ

[編集へんしゅう]
  • キハ1 → ハ1, キハ2 → ハ2
  • キハ103 → ハフ103, キハ104 → キハ105 → ハフ105
    1930ねん日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞうせいはがねせい車体しゃたいつ2じくガソリンカーだったが、戦時せんじちゅう燃料ねんりょう統制とうせいともな気動車きどうしゃ使用しよう中止ちゅうしにより機関きかんろして客車きゃくしゃされた。
  • ハ40001 → キハ40001, ハ40002 → キハ40002 → ハフ40002
    1949ねん国鉄こくてつキハ40000かたち(キハ40006, キハ40011)のはらげをけたもの。当初とうしょ機関きかん搭載とうさいせず客車きゃくしゃとして使用しようされたのち、ディーゼル機関きかん搭載とうさいした。その、キハ40002は機関きかんろしてふたた客車きゃくしゃとなっている。
  • キハ41001
    1949ねん9がつ30にちけで国鉄こくてつキハ41000かたち(キハ41094)のはらげをけたもの。1963ねん機関きかんをDMF13にかわそうし、液体えきたいしき改造かいぞうされた。
  • キハ41003

貨車かしゃ

[編集へんしゅう]
  • ワフ1, ワフ2
  • ワフ5
  • ワム200 - ワム202
  • ト1 - ト13
  • トム51 - トム55
  • トム100, トム101

逸話いつわ

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ まぼろしの「秋田あきた延伸えんしん資料しりょう発見はっけん/1969ねん廃止はいし南部なんぶ鉄道てつどう. デイリー東北とうほく (デイリー東北とうほく新聞しんぶんしゃ). (2022ねん1がつ21にち). https://www.daily-tohoku.news/archives/93631 2022ねん1がつ21にち閲覧えつらん 
  2. ^ 鉄道てつどう免許めんきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1925ねん5がつ1にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  3. ^ 地方ちほう鉄道てつどう及軌どう一覧いちらん : 昭和しょうわ10ねん4がつ1にち現在げんざい日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく. だい35かい(昭和しょうわ2ねん)』国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  4. ^ 白土しらつち貞夫さだお南部なんぶ鉄道てつどう」『私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』2、鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい、28ぺーじ
  5. ^ 地方ちほう鉄道てつどう運輸うんゆ開始かいし」『官報かんぽう』1929ねん9がつ4にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  6. ^ 地方ちほう鉄道てつどう運輸うんゆ開始かいし」『官報かんぽう』1929ねん10がつ23にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  7. ^ 地方ちほう鉄道てつどう運輸うんゆ開始かいし」『官報かんぽう』1930ねん4がつ8にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  8. ^ 1936ねん休止きゅうし、1938ねん廃止はいし
  9. ^ 1944ねん休止きゅうし、1969ねん廃止はいし
  10. ^ 1926ねん阿波あわ鉄道てつどう改名かいめい、1933ねん国有こくゆう高徳線こうとくせん一部いちぶ鳴門線なるとせん鍛冶屋原線かじやばらせん(1972ねん廃止はいし)。
  11. ^ 青森あおもりけん大震災だいしんさい記録きろく
  12. ^ 南部なんぶ鉄道てつどうえき一覧いちらん - 鉄道てつどう地図ちず検索けんさく各駅かくえき地図ちず表示ひょうじあり)、2014ねん2がつ2にち閲覧えつらん
  13. ^ いわほり春夫はるお専用せんようせん機関きかんしゃ」『鉄道てつどうファン』No.282
  14. ^ 写真しゃしん初狩はつかり最後さいごのスイッチバック」『編集へんしゅうちょう敬白けいはくアーカイブ』2006.5.10
  15. ^ a b c d 「おかえり」地元じもと歓迎かんげい 55ねんぶり帰郷ききょう 機関きかんしゃ「DC351」”. デーリー東北とうほく. 2022ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  16. ^ 機関きかんしゃDC351、青森あおもりはん世紀せいきぶり「帰郷ききょう」 きゅう南部なんぶ鉄道てつどう唯一ゆいいつ現存げんそん車両しゃりょう京都きょうとから無償むしょう譲渡じょうと. 京都きょうと新聞しんぶん. (2021ねん1がつ11にち). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/462337 
  17. ^ 実見じっけんではハ11には東京とうきょう車輌しゃりょう製作所せいさくしょめいばん、ハ12のじくばこには「IGR MAKER KOBE1884」刻印こくいんがあったという(白土しらつち貞夫さだお中川なかがわ浩一こういち鹿島かしま鉄道てつどう』ネコパブリッシング、2008ねん、32-33ぺーじ
  18. ^ 私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』2、32ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 白土しらつち貞夫さだお南部なんぶ鉄道てつどう」『鉄道てつどうピクトリアル』No. 1991967ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう私鉄してつ車両しゃりょうめぐり8、1967ねん、pp. 6-7, 27-36。 さいろく鉄道てつどうピクトリアル編集へんしゅう へん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』 2かん鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい東京とうきょう、1977ねん 
  • 青木あおき栄一えいいち ちょ昭和しょうわ52ねん5がつ1にち現在げんざいにおける補遺ほい」、鉄道てつどうピクトリアル編集へんしゅう へん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』 2かん鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい東京とうきょう、1977ねん補遺ほい3ぺーじぺーじ 
  • 今尾いまおめぐみかい日本にっぽん鉄道てつどう旅行りょこう地図ちずちょう』 2ごう 東北とうほく新潮社しんちょうしゃ、2008ねん、38ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]