国鉄 こくてつ 400形 かたち 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ (西武鉄道 せいぶてつどう 2代目 だいめ 4号 ごう 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ ) (2008年 ねん 10月 がつ 、横瀬 よこせ 車両 しゃりょう 基地 きち )
国鉄 こくてつ 400形 かたち 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ (こくてつ400がたじょうききかんしゃ)は、日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう (国鉄 こくてつ )の前身 ぜんしん である内閣 ないかく 鉄道 てつどう 局 きょく がイギリス から輸入 ゆにゅう したタンク式 しき 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ である。
本 ほん 項 こう においては、400形 がた のほか、500形 かたち ・600形 かたち ・700形 がた (鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A8形 かたち )、私鉄 してつ 向 む けに製造 せいぞう され国有 こくゆう 化 か により国鉄 こくてつ に編入 へんにゅう された280形 かたち 、450形 かたち 、480形 かたち 、490形 かたち 、800形 かたち 、850形 かたち 、870形 かたち および同系 どうけい の私鉄 してつ 機 き 、ならびに本 ほん 系列 けいれつ の変型 へんけい である100形 かたち 、220形 がた について合 あ わせて記述 きじゅつ する。類似 るいじ 設計 せっけい の230形 かたち (鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A10形 かたち )と860形 かたち (鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A9形 かたち )は別項 べっこう で記述 きじゅつ する。
1B1(日本 にっぽん 国鉄 こくてつ 式 しき )もしくは2-4-2(ホワイト式 しき )の車軸 しゃじく 配置 はいち を持 も つ中型 ちゅうがた の機関 きかん 車 しゃ である。大 おお きさや性能 せいのう が手 て ごろで使 つか いやすかったことから、官設 かんせつ 鉄道 てつどう では国産 こくさん も含 ふく めて複数 ふくすう メーカーから改良 かいりょう 型 がた を多 おお く導入 どうにゅう した。私設 しせつ 鉄道 てつどう においても同系 どうけい 車 しゃ が導入 どうにゅう され、国鉄 こくてつ から私鉄 してつ 等 とう へ譲渡 ゆずりわた された機体 きたい も多 おお い。
本 ほん 項 こう で記述 きじゅつ する各 かく 形式 けいしき および別項 べっこう で記述 きじゅつ する230形 かたち 、860形 がた の概要 がいよう は以下 いか のとおり[1] 。
400形 かたち 系 けい 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 一覧 いちらん
鉄道 てつどう 省 しょう 形式 けいしき
鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく 形式 けいしき
製造 せいぞう 初年 しょねん
両 りょう 数 かず
製造 せいぞう 所 しょ
車軸 しゃじく 配置 はいち
全 ぜん 軸 じく 距 (mm)
シリンダ径 みち (mm)
動輪 どうりん 径 みち (mm)
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき (m2 )
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき (m2 )
備考 びこう
400
-
1886年 ねん
4
ナスミス・ウィルソン
1B1
5944
343
1321
60.0
0.98
500
A8
1888年 ねん
61
ダブス
1B1
5944
356
1321
67.1
1.08
600
A8
1887年 ねん
78
ナスミス・ウィルソン
1B1
5944
356
1321[表 ひょう 注 ちゅう 1]
67.3
1.11
700
A8
1888年 ねん
18
バルカン・ファウンドリー
1B1
5944
356
1321
67.3
1.07[表 ひょう 注 ちゅう 2]
280
-
1923年 ねん
2
日本車輌製造 にっぽんしゃりょうせいぞう
1B1
5944
343
1321
67.3
1.11
ワルシャート式 しき 弁 べん 装置 そうち
450
-
1897年 ねん
4
ブルックス・ロコモティブ・ワークス
1B1
5944
356
1321
67.3
1.11
スチーブンソン式 しき 弁 べん 装置 そうち
480
-
1904年 ねん
2
クラウス
1B1
5944
356
1321
71.0
1.11
490
-
1898年 ねん [表 ひょう 注 ちゅう 3]
1
ナスミス・ウィルソン
1B1
5944
343
1321
60.0
0.98[表 ひょう 注 ちゅう 4]
800
-
1903年 ねん
2
汽車 きしゃ 製造 せいぞう
1B1
5944
356
1321
67.1
1.11
810
-
1904年 ねん
1
汽車 きしゃ 製造 せいぞう
1B1
5944
356
1245
67.2
1.12
850
-
1896年 ねん
1
山陽 さんよう 鉄道 てつどう 兵庫 ひょうご 工場 こうじょう
1B1
5944
356
1321
58.8
1.06
870
-
1897年 ねん
4
ナスミス・ウィルソン
1B1
5944
368
1372
74.3
1.21
ベルペイヤ式 しき 火 ひ 室 しつ
100
-
1896年 ねん
1
ナスミス・ウィルソン
1B
3810
305
1219
60.0[表 ひょう 注 ちゅう 5]
0.93
220
-
1891年 ねん
2
ダブス
1B1
4827
330
1219
46.5
0.77
ワルシャート式 しき 弁 べん 装置 そうち
860
A9
1893年 ねん
1
逓信 ていしん 省 しょう 鉄道 てつどう 庁 ちょう 神戸 こうべ 工場 こうじょう
1B1
5944
381/572[表 ひょう 注 ちゅう 6]
1346
71.5
1.15
複式 ふくしき 機関 きかん 車 しゃ
230
A10
1902年 ねん
41
汽車 きしゃ 製造 せいぞう
1B1
5944
356
1245
67.2
1.11
^ 600 − 639, 643 - 677号機 ごうき の値 ね 、640 − 642号機 ごうき は1346 mm
^ 700 − 704, 715 - 717号機 ごうき の値 ね 、705 − 714号機 ごうき は1.11m2
^ 製造 せいぞう 銘板 めいばん は1897年 ねん のものが設置 せっち されている。
^ 中国 ちゅうごく 鉄道 てつどう の形式 けいしき 図 ず では1.23 m2 。
^ ナスミス・ウィルソンの記録 きろく では51.1 m2
^ 高 こう 圧 あつ /低圧 ていあつ
なお、これらの機関 きかん 車 しゃ の導入 どうにゅう 時点 じてん 以降 いこう の官設 かんせつ 鉄道 てつどう ・国有 こくゆう 鉄道 てつどう の所管 しょかん 省 しょう の推移 すいい は以下 いか の通 とお り[2] 。
また、官設 かんせつ 鉄道 てつどう ・国有 こくゆう 鉄道 てつどう の建設 けんせつ ・運営 うんえい を担当 たんとう した組織 そしき 部門 ぶもん の推移 すいい は以下 いか の通 とお り[2]
鉄道 てつどう 局 きょく (1877年 ねん 1月 がつ 以降 いこう )→鉄道 てつどう 庁 ちょう (1890年 ねん 9月 がつ 以降 いこう )→鉄道 てつどう 局 きょく (1893年 ねん 11月 がつ 以降 いこう )→鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく (1897年 ねん 8月 がつ 以降 いこう )→帝国 ていこく 鉄道 てつどう 庁 ちょう (1907年 ねん 4月 がつ 以降 いこう )→鉄道 てつどう 院 いん (1908年 ねん 12月 がつ 以降 いこう )→鉄道 てつどう 省 しょう (1920年 ねん 6月 がつ 以降 いこう )鉄道 てつどう 総局 そうきょく (1943年 ねん 11月 がつ 以降 いこう )→日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう (1949年 ねん 6月 がつ 以降 いこう )
概要 がいよう (400形 かたち )[ 編集 へんしゅう ]
400形 かたち は、鉄道 てつどう 輸送 ゆそう 量 りょう の増大 ぞうだい によって従来 じゅうらい 使用 しよう されてきた車軸 しゃじく 配置 はいち 1Bのタンク式 しき 機関 きかん 車 しゃ の牽引 けんいん 力 りょく 不足 ふそく が目立 めだ ってきたことから、より大型 おおがた の機関 きかん 車 しゃ として1886年 ねん にイギリスのナスミス・ウィルソン [注釈 ちゅうしゃく 1] に発注 はっちゅう されたものである。本 ほん 形式 けいしき 以前 いぜん の1882年 ねん に車軸 しゃじく 配置 はいち 2Bのタンク機関 きかん 車 しゃ である官設 かんせつ 鉄道 てつどう 27, 29号機 ごうき (後 ご の5490形 かたち )がベイヤー・ピーコック から輸入 ゆにゅう されたが成績 せいせき が良 よ くなく、また、先 さき 輪 わ のない車軸 しゃじく 配置 はいち B1のテンダ機関 きかん 車 しゃ であるA, B号 ごう 機 き (後 ご の5000形 かたち )の第 だい 1動輪 どうりん の摩耗 まもう が激 はげ しかったことから、1B1の車軸 しゃじく 配置 はいち が採用 さいよう されたと考 かんが えられている[注釈 ちゅうしゃく 2] 。
1B1の車軸 しゃじく 配置 はいち は機関 きかん 車 しゃ の前後 ぜんご 端 はし の動揺 どうよう が大 おお きくなるため、先 さき 輪 わ と従 したがえ 輪 わ には復原力 ふくげんりょく の大 おお きいラジアル軸 じく 箱 ばこ を採用 さいよう したとされている[4] 。ラジアル軸 じく 箱 ばこ はロンドン北西 ほくせい 鉄道 てつどう の機械 きかい 主任 しゅにん 技師 ぎし であったF・W・ウェッブ (F. W. Webb) が1882年 ねん に考案 こうあん したもので、円弧 えんこ 状 じょう の軸 じく 箱 ばこ ガイドの内部 ないぶ に軸 じく 箱 ばこ を摺 すり 動 どう させることによって車輪 しゃりん を横 よこ 動 どう させて曲線 きょくせん 通過 つうか を容易 ようい にする構造 こうぞう で、左右 さゆう の車輪 しゃりん 間 あいだ の車軸 しゃじく 下部 かぶ に復元 ふくげん 用 よう のコイルバネを設置 せっち している[5] 。なお、本 ほん 形式 けいしき では25mmの横 よこ 動 どう が与 あた えられていた。
また、弁 べん 装置 そうち は当時 とうじ の主流 しゅりゅう であったスチーブンソン式 しき ではなく、機構 きこう が簡便 かんべん で動作 どうさ も正確 せいかく なジョイ式 しき が採用 さいよう されている。
シリンダは、先 さき 輪 わ の後部 こうぶ 、動輪 どうりん の前部 ぜんぶ に配 はい され、主 しゅ 連 れん 棒 ぼう は第 だい 1動輪 どうりん に接続 せつぞく される。運転 うんてん 室 しつ は、比較的 ひかくてき 大型 おおがた のものが備 そな えられ、側 がわ 水槽 すいそう 、背部 はいぶ 炭庫 たんこ ・水槽 すいそう と一体 いったい の意匠 いしょう となっている。砂 すな 箱 ばこ は側 がわ 水槽 すいそう 前部 ぜんぶ の歩 あゆ み板 いた 上 じょう に設置 せっち されており、そこから弁 べん 装置 そうち とシリンダ上部 じょうぶ の弁 べん 室 しつ までを覆 おお うカバーが設 もう けられている。
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと (400形 かたち )[ 編集 へんしゅう ]
全長 ぜんちょう : 9188mm
全高 ぜんこう : 3607mm
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 1B1
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1321mm (4ft4in)
弁 べん 装置 そうち : ジョイ式 しき 基本形 きほんけい
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ) : 343mm×508mm
ボイラー圧力 あつりょく : 9.1kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 1.02m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 60.0m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 54.4m2
火 ひ 室 しつ 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 5.6m2
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 31.65t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 17.48t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 2動輪 どうりん 上 じょう ) : 8.48t
水 みず タンク容量 ようりょう : 3.86m3
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 1.14t
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 3500kg
ブレーキ装置 そうち : 手 て ブレーキ 、蒸気 じょうき ブレーキ
経歴 けいれき (400形 かたち )[ 編集 へんしゅう ]
官設 かんせつ 鉄道 てつどう (日本 にっぽん 鉄道 てつどう 、房総 ぼうそう 鉄道 てつどう )[ 編集 へんしゅう ]
本 ほん 形式 けいしき はナスミス・ウィルソンで4両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 300 - 303)が製造 せいぞう され、1887年 ねん 1月 がつ に鉄道 てつどう 局 きょく に納入 のうにゅう され69, 71, 73, 75号機 ごうき となり、フランシス・ヘンリー・トレビシック が1897年 ねん にイギリスの雑誌 ざっし ”The Engineer"に寄稿 きこう した記事 きじ 「Thirty Types of Locomotive Engines, Imperial Railways, Japan」中 ちゅう で使用 しよう したA - Z, AB - ADの区分 くぶん [6] においてはJクラスに分類 ぶんるい されていた[7] [注釈 ちゅうしゃく 3] 。
69 - 75(奇数 きすう )号機 ごうき は、4両 りょう とも当時 とうじ 運行 うんこう および車両 しゃりょう 修繕 しゅうぜん を受託 じゅたく していた[注釈 ちゅうしゃく 4] であった日本 にっぽん 鉄道 てつどう に貸 か し出 だ され、1892年 ねん 3月の鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく から日本 にっぽん 鉄道 てつどう への全面 ぜんめん 業務 ぎょうむ 移管 いかん [注釈 ちゅうしゃく 5] に伴 ともな いW2/4形 かたち 18 - 21号機 ごうき となった。
その後 ご 1899年 ねん に房総 ぼうそう 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた され、19, 21, 18号機 ごうき が1形 かたち 1II , 3III , 4II 号機 ごうき 、20号機 ごうき が4形 かたち 6II 号 ごう 機 き となった[9] [10] 。
1906年 ねん に公布 こうふ された鉄道 てつどう 国有 こくゆう 法 ほう による私設 しせつ 鉄道 てつどう の国有 こくゆう 化 か 施策 しさく による1907年 ねん 7月 がつ の房総 ぼうそう 鉄道 てつどう の国有 こくゆう 化 か に伴 ともな い本 ほん 形式 けいしき も国有 こくゆう 化 か され、これに伴 ともな う1909年 ねん 8月 がつ 23日 にち 付 づけ 「機関 きかん 車 しゃ 番号 ばんごう 及称号 ごう 改正 かいせい ノ件 けん 」(通達 つうたつ 第 だい 693号 ごう )による同年 どうねん 10月1日 にち の形式 けいしき 称号 しょうごう 改正 かいせい [11] により、車両 しゃりょう 形式 けいしき 称号 しょうごう 規程 きてい に基 もと づいて400形 かたち となり、房総 ぼうそう 鉄道 てつどう の番号 ばんごう 順 じゅん に400 - 403号機 ごうき となった。
譲渡 じょうと (400形 かたち )[ 編集 へんしゅう ]
川越 かわごえ 鉄道 てつどう (403号機 ごうき )[ 編集 へんしゅう ]
芝浦工業大学 しばうらこうぎょうだいがく 附属 ふぞく 中学 ちゅうがく 高等 こうとう 学校 がっこう に整備 せいび された403号 ごう 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ と高輪 たかなわ 築堤 ちくてい
1914年 ねん に403号機 ごうき が川越 かわごえ 鉄道 てつどう (現 げん ・西武鉄道 せいぶてつどう 国分寺線 こくぶんじせん および西武新宿線 せいぶしんじゅくせん の一部 いちぶ )に譲渡 ゆずりわた され、しばらくそのままの番号 ばんごう で使用 しよう された後 のち 、5形 かたち 5号機 ごうき となって自社 じしゃ 発注 はっちゅう の同形 どうけい 車 しゃ (K2形 かたち 3 - 4号機 ごうき )とともに使用 しよう されたが、1944年 ねん に4形 かたち 4II に改 あらた められ、多摩 たま 線 せん (現 げん ・西武 せいぶ 多摩川線 たまがわせん )で1957年 ねん 9月 がつ まで使用 しよう された。1961年 ねん 12月に上 うえ 武 たけし 鉄道 てつどう に貸 か し出 だ された後 のち 、1965年 ねん 4月 がつ に返却 へんきゃく され、同年 どうねん 10月 がつ 1日 にち 付 づけ で廃車 はいしゃ となって当初 とうしょ はユネスコ村 ゆねすこむら で、1993年 ねん 以降 いこう は西武鉄道 せいぶてつどう 横瀬 よこせ 車両 しゃりょう 基地 きち で静態 せいたい 保存 ほぞん されていた。
2022年 ねん 4月 がつ 、鉄道 てつどう 省 しょう 設立 せつりつ の東京 とうきょう 鐵道 てつどう 中学 ちゅうがく を前身 ぜんしん とする芝浦工業大学 しばうらこうぎょうだいがく 附属 ふぞく 中学 ちゅうがく 高等 こうとう 学校 がっこう (東京 とうきょう 都 と 江東 こうとう 区 く 豊洲 とよす 6丁目 ちょうめ )の創立 そうりつ 100周年 しゅうねん 記念 きねん 事業 じぎょう の一環 いっかん として寄贈 きぞう されることが決 き まり[12] 、西武建設 せいぶけんせつ の協力 きょうりょく のもと横瀬 よこせ 車両 しゃりょう 基地 きち で復元 ふくげん され[13] 、11月12日 にち に除幕 じょまく 式 しき が行 おこな われた[14] 。港 みなと 区 く 教育 きょういく 委員 いいん 会 かい とJR東日本 ひがしにっぽん から寄贈 きぞう された高輪 たかなわ 築堤 ちくてい の築 ちく 石 いし の上 うえ に設置 せっち され、博物館 はくぶつかん 明治 めいじ 村 むら で動態 どうたい 保存 ほぞん されている9号 ごう 機関 きかん 車 しゃ より録音 ろくおん した走行 そうこう 音 おん と汽笛 きてき 音 おん を定時 ていじ に鳴 な らすなど、明治 めいじ 期 き の様子 ようす を再現 さいげん している[15] 。
東上 とうじょう 鉄道 てつどう (400 - 402号機 ごうき )[ 編集 へんしゅう ]
1914年 ねん に400 - 402号機 ごうき が東上 とうじょう 鉄道 てつどう (現 げん ・東武鉄道 とうぶてつどう 東上本線 とうじょうほんせん )に譲渡 ゆずりわた されてA1形 かたち 1 - 3号機 ごうき となり、1920年 ねん 7月 がつ の東武鉄道 とうぶてつどう との合併 がっぺい に伴 ともな いC3形 かたち 41 - 43号機 ごうき となり、さらに1924年 ねん に鉄道 てつどう 院 いん から譲 ゆず り受 う けたB5形 かたち 41 - 50号機 ごうき (元 もと 6200形 かたち )を導入 どうにゅう した時点 じてん で51 - 53号機 ごうき に改 あらため 番 ばん された。その後 ご 、51, 53号機 ごうき は1938-39年 ねん に日本 にっぽん 製鐵 せいてつ に譲渡 ゆずりわた され、52号機 ごうき は1941年 ねん に三井鉱山 みついこうざん 三池 みいけ 港 こう 務 つとむ 所 しょ に譲渡 ゆずりわた されて21号機 ごうき となり、1951年 ねん には三井鉱山 みついこうざん 美唄 びばい 鉱業 こうぎょう 所 しょ に移 うつ って同 どう 番号 ばんごう で使用 しよう された。
500形 かたち ・600形 かたち ・700形 かたち [ 編集 へんしゅう ]
600形 がた の形式 けいしき 図 ず
概要 がいよう (500形 かたち ・600形 かたち ・700形 かたち )[ 編集 へんしゅう ]
500形 かたち ・600形 かたち ・700形 かたち は、1886年 ねん に輸入 ゆにゅう された400形 かたち が期待 きたい どおりの成績 せいせき を示 しめ したことを受 う け、1897年 ねん からその改良 かいりょう 型 がた として増 ぞう 備されたものである。400形 がた の軸 じく 重 じゅう が8.48tと当時 とうじ の許容 きょよう 軸 じく 重 じゅう 11 tに対 たい して余裕 よゆう があったことから、運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう とシリンダ寸法 すんぽう を拡大 かくだい して牽引 けんいん 力 りょく を増強 ぞうきょう している。
これらの形式 けいしき は1909年 ねん に制定 せいてい された車両 しゃりょう 形式 けいしき 称号 しょうごう 規程 きてい により定 さだ められたもので、鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく 時代 じだい の形式 けいしき を採 と って通称 つうしょう ”A8系 けい ”と呼 よ ばれており、官設 かんせつ 鉄道 てつどう が輸入 ゆにゅう したものばかりでなく、私鉄 してつ が輸入 ゆにゅう し、国有 こくゆう 化 か によって官設 かんせつ 鉄道 てつどう に編入 へんにゅう されたものも含 ふく まれる。形式 けいしき の区分 くぶん は、旧 きゅう 所属 しょぞく 鉄道 てつどう に関 かか わりなくメーカーによって区分 くぶん されており、ダブス [注釈 ちゅうしゃく 6] 製 せい が500形 かたち 、ナスミス・ウィルソン製 せい が600形 かたち 、バルカン・ファウンドリー [注釈 ちゅうしゃく 7] 製 せい が700形 かたち となり、いずれもイギリスのメーカーである。両 りょう 数 かず は、500形 かたち が61両 りょう 、600形 かたち が78両 りょう 、700形 かたち が18両 りょう である。
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと (500形 かたち ・600形 かたち ・700形 かたち )[ 編集 へんしゅう ]
(500形 かたち 500 - 508の諸 しょ 元 もと を示 しめ す)
全長 ぜんちょう : 9558mm
全高 ぜんこう : 3607mm
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 2-4-2 (1B1)
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1321mm (4ft4in)
弁 べん 装置 そうち : ジョイ式 しき 基本形 きほんけい
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ) : 356mm×508mm
ボイラー圧力 あつりょく : 9.8kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 1.11m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 67.3m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 60.8m2
火 ひ 室 しつ 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 6.5m2
ボイラー水 すい 容量 ようりょう : 2.4m3
小 しょう 煙管 きせる (直径 ちょっけい ×長 ちょう サ×数 かず ) : 45mm×2966mm×147本 ほん
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 40.06t
機関 きかん 車 しゃ 空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう : 31.28t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 28.05t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 2動輪 どうりん 上 じょう ) : 13.24t
水 みず タンク容量 ようりょう : 4.5m3
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 1.14t
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 4060kg
ブレーキ装置 そうち : 手 て ブレーキ 、真空 しんくう ブレーキ
経歴 けいれき (500形 かたち ・600形 かたち ・700形 かたち )[ 編集 へんしゅう ]
官設 かんせつ 鉄道 てつどう および鉄道 てつどう 国有 こくゆう 法 ほう の対象 たいしょう となった私設 しせつ 鉄道 てつどう が導入 どうにゅう し、1909年 ねん 10月 がつ 1日 にち の形式 けいしき 称号 しょうごう 改正 かいせい によって500形 かたち ・600形 かたち ・700形 かたち となった機体 きたい の経歴 けいれき は以下 いか の通 とお り。
官設 かんせつ 鉄道 てつどう (日本 にっぽん 鉄道 てつどう 、水戸 みと 鉄道 てつどう 、両毛 りょうけ 鉄道 てつどう 、甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう )[ 編集 へんしゅう ]
官設 かんせつ 鉄道 てつどう は1887年 ねん からナスミス・ウィルソンに、翌年 よくねん からはダブスにも発注 はっちゅう している。前者 ぜんしゃ は1890年 ねん までに34両 りょう 、後者 こうしゃ は1892年 ねん までに30両 りょう の計 けい 64両 りょう が導入 どうにゅう されて109 - 191, 197 - 219(奇数 きすう )号機 ごうき 、82 - 100(偶数 ぐうすう )号 ごう 機 き となっているほか、1891年 ねん にバルカン・ファウンドリー製 せい の2両 りょう が山陽 さんよう 鉄道 てつどう から官設 かんせつ 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた されて193, 195号機 ごうき となっており、フランシス・ヘンリー・トレビシックによる分類 ぶんるい ではダブス製 せい をKクラス、ナスミス・ウィルソン製 せい をLクラス、バルカン・ファウンドリー製 せい をMクラスとしている[7] 。官設 かんせつ 鉄道 てつどう における製造 せいぞう の概要 がいよう は次 つぎ のとおりである。
ナスミス・ウィルソン製 せい (計 けい 34両 りょう )
1887年 ねん (7両 りょう )
82, 84, 109, 111, 113, 115, 117 号機 ごうき : 製造 せいぞう 番号 ばんごう 326 - 332
1888年 ねん (9両 りょう )
119 , 121, 123号機 ごうき : 製造 せいぞう 番号 ばんごう 333 - 335
137, 139, 141, 143 , 86, 88号機 ごうき : 製造 せいぞう 番号 ばんごう 342 - 347
1889年 ねん (6両 りょう )
157, 159, 161, 163, 165, 167 号機 ごうき : 製造 せいぞう 番号 ばんごう 383 - 388
1890年 ねん (12両 りょう )
169, 171, 173, 175, 177, 179, 181, 183, 185, 187, 189, 191 号機 ごうき : 製造 せいぞう 番号 ばんごう 390 - 401
ダブス製 せい (計 けい 30両 りょう )
1888年 ねん (12両 りょう )
125, 127, 129, 131 , 133 , 135 号機 ごうき : 製造 せいぞう 番号 ばんごう 2353 - 2358
90, 92, 94, 96, 98, 100号機 ごうき : 製造 せいぞう 番号 ばんごう 2410 - 2415
1889年 ねん (6両 りょう )
145, 147, 149, 151, 153, 155号機 ごうき : 製造 せいぞう 番号 ばんごう 2527 - 2532
1892年 ねん (12両 りょう )
197, 199, 201, 203, 205, 207, 209 , 211 , 213 , 215 , 217 , 219 号機 ごうき : 製造 せいぞう 番号 ばんごう 2868 - 2879
奇数 きすう 番号 ばんごう は新橋 しんばし 所属 しょぞく (48両 りょう )、偶数 ぐうすう 番号 ばんごう は神戸 こうべ 所属 しょぞく (16両 りょう )で、新橋 しんばし 所属 しょぞく のうちの31両 りょう (上表 じょうひょう 斜体 しゃたい 字 じ )は日本 にっぽん 鉄道 てつどう およびその支線 しせん 格 かく である甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう 、水戸 みと 鉄道 てつどう (初代 しょだい )、両毛 りょうけ 鉄道 てつどう に振 ふ り向 む けられ、141, 143号機 ごうき が甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう 、131, 133, 135号機 ごうき が水戸 みと 鉄道 てつどう 、123, 125, 127, 165, 167号機 ごうき が両毛 りょうけ 鉄道 てつどう の所属 しょぞく となった。その後 ご 、両毛 りょうけ 鉄道 てつどう の123, 125, 127号機 ごうき は官設 かんせつ 鉄道 てつどう に戻 もど り、1892年 ねん に水戸 みと 鉄道 てつどう 所属 しょぞく の機体 きたい が、1897年 ねん に両毛 りょうけ 鉄道 てつどう 所属 しょぞく の機体 きたい が合併 がっぺい により日本 にっぽん 鉄道 てつどう に移 うつ っている。
1892年 ねん の日本 にっぽん 鉄道 てつどう への全面 ぜんめん 業務 ぎょうむ 移管 いかん に伴 ともな い、1894年 ねん 5月 がつ に日本 にっぽん 鉄道 てつどう および両毛 りょうけ 鉄道 てつどう 所属 しょぞく 機 き (下表 かひょう 下線 かせん )および甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう 所属 しょぞく 機 き が改 あらため 番 ばん され、日本 にっぽん 鉄道 てつどう ではダブス製 せい はD2/4形 かたち 、ナスミス・ウィルソン製 せい はW2/4形 かたち となり、甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう ではK1形 かたち となった。
同時 どうじ に官設 かんせつ 鉄道 てつどう でも、1894年 ねん 5月23日 にち 付 づけ 「局 きょく 有 ゆう 機関 きかん 車 しゃ 番号 ばんごう 変更 へんこう ノ件 けん 」(新 しん 機甲 きこう 第 だい 1010号 ごう )によって6月1日 にち に[16] 、日本 にっぽん 鉄道 てつどう への正式 せいしき 移管 いかん にともなって生 しょう じた欠番 けつばん を埋 う める形 かたち で改 あらため 番 ばん が行 おこ なわれた。
その後 ご 、1898年 ねん 11月14日 にち 付 づけ (同日 どうじつ 実施 じっし )「機関 きかん 車 しゃ 種類 しゅるい 区別 くべつ ノ件 けん 」(鉄 てつ 作 さく 汽甲第 だい 1724号 ごう )によって[16] 3社 しゃ 製造 せいぞう 分 ぶん を統合 とうごう してA8形 かたち となった。1902年 ねん 4月 がつ 12日 にち 付 づけ 「A8系 けい 機関 きかん 車 しゃ 番号 ばんごう 変更 へんこう ノ件 けん 」(鉄 てつ 汽設甲 かぶと 第 だい 401号 ごう )によって5月 がつ 1日 にち に[16] 再度 さいど 改 あらため 番 ばん が行 おこ なわれ、3社 しゃ 製造 せいぞう 分 ぶん を通番 つうばん の850 - 884としている。番号 ばんごう の新旧 しんきゅう 対照 たいしょう は、次 つぎ のとおりである。
官設 かんせつ 鉄道 てつどう
→ A8形 かたち
82 → 59 → 850
84 → 61 → 851
86 → 62 → 852
88 → 64 → 853
121 → 85 → 854
123 → 87 → 855
169 → 112 → 856
171 → 113 → 857
173 → 114 → 858
175 → 115 → 859
177 → 116 → 860
179 → 118 → 861
→ A8形 かたち
193 → 125 → 862
195 → 127 → 863
→ A8形 かたち
90 → 65 → 864
92 → 66 → 865
94 → 67 → 866
96 → 68 → 867
98 → 70 → 868
100 → 72 → 869
125 → 89 → 870
127 → 91 → 871
129 → 93 → 872
145 → 98 → 873
147 → 99 → 874
149 → 100 → 875
151 → 102 → 876
153 → 104 → 877
155 → 106 → 878
197 → 129 → 879
199 → 131 → 880
201 → 133 → 881
203 → 134 → 882
205 → 135 → 883
207 → 136 → 884
日本 にっぽん 鉄道 てつどう ・両毛 りょうけ 鉄道 てつどう
W2/4形 かたち
109 → 31
111 → 32
113 → 33
115 → 34
117 → 35
119 → 36
137 → 40
139 → 41
157 → 42
159 → 43
161 → 44
163 → 45
165 → 46
167 → 47
181 → 48
183 → 49
185 → 50
187 → 51
189 → 52
191 → 53
D2/4形 かたち
131 → 37
133 → 38
135 → 39
209 → 66
211 → 67
213 → 68
215 → 69
217 → 70
219 → 71
山陽 さんよう 鉄道 てつどう においては、バルカン・ファウンドリーへ1887年 ねん に6両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 1218 - 1223)、1888年 ねん に2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 1238, 1239)、1890年 ねん に4両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 1298 - 1301)、ダブスへ1892年 ねん に2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 3018, 3019)の合計 ごうけい 14両 りょう が発注 はっちゅう されている。このうち1888年 ねん 製 せい の2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 1238, 1239)は山陽 さんよう 鉄道 てつどう 側 がわ に該当 がいとう する車両 しゃりょう がなく、注文 ちゅうもん がキャンセルされたか、海難 かいなん 事故 じこ 等 ひとし の理由 りゆう により日本 にっぽん に到着 とうちゃく しなかったと推測 すいそく されている。
1891年 ねん 、不景気 ふけいき によって山陽 さんよう 鉄道 てつどう の経営 けいえい が苦 くる しくなり、保有 ほゆう する蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ の半数 はんすう 近 ちか くを売却 ばいきゃく することとなった。これらは、社長 しゃちょう の中上川 なかみがわ 彦次郎 ひこじろう が近 ちか い将来 しょうらい の神戸 こうべ - 尾道 おのみち 間 あいだ 開業 かいぎょう に備 そな えて購入 こうにゅう したものであったが、その尾道 おのみち 延長 えんちょう が困難 こんなん になった当時 とうじ 、高価 こうか な機関 きかん 車 しゃ を徒 いたずら に保有 ほゆう していても仕方 しかた がないという判断 はんだん であった。本 ほん 形式 けいしき からは、これにより官設 かんせつ 鉄道 てつどう へ2両 りょう 、筑豊 ちくほう 興業 こうぎょう 鉄道 てつどう (筑豊 ちくほう 鉄道 てつどう )へ2両 りょう の計 けい 4両 りょう が譲渡 じょうと された。
官設 かんせつ 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた された2両 りょう は、193, 195となったものであるが、195の製造 せいぞう 番号 ばんごう が1300であることが確認 かくにん されており、1890年 ねん 製 せい のうちの1両 りょう であることがわかる。筑豊 ちくほう 鉄道 てつどう へは1892年度 ねんど に譲渡 ゆずりわた され、3, 4 と付 づけ 番 ばん されたが、後 のち に合併 がっぺい により九州 きゅうしゅう 鉄道 てつどう へ移 うつ った。
山陽 さんよう 鉄道 てつどう に残 のこ った1887年 ねん 製 せい の6両 りょう は1形 かたち 1 - 4, 6, 7号機 ごうき となったが、1898年度 ねんど に1, 2号機 ごうき が東武鉄道 とうぶてつどう および南海 なんかい 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた された。これらの製造 せいぞう 番号 ばんごう は、それぞれ1218, 1222であることが確認 かくにん されており、後 のち に鉄道 てつどう 院 いん 701 - 704号機 ごうき となった機体 きたい は製造 せいぞう 番号 ばんごう 1219 - 1221, 1223であると推定 すいてい できるが、これらの製造 せいぞう 番号 ばんごう と番号 ばんごう の符合 ふごう については、よくわかっていない。
1892年 ねん ダブス社 しゃ 製 せい の2両 りょう は2形 かたち 8, 5号機 ごうき となっており、山陽 さんよう 鉄道 てつどう のA8系 けい は、6両 りょう 在籍 ざいせき で1906年 ねん 12月の国有 こくゆう 化 か を迎 むか えることになる。
日本 にっぽん 鉄道 てつどう は1892年 ねん に官設 かんせつ 鉄道 てつどう が管理 かんり していたナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい W2/4形 かたち 18両 りょう 、ダブス社 しゃ 製 せい D2/4形 かたち 12両 りょう を正式 せいしき に自社 じしゃ 所有 しょゆう とし、1897年 ねん に両毛 りょうけ 鉄道 てつどう を合併 がっぺい してナスミス・ウィルソン製 せい の46 - 47号機 ごうき を追加 ついか した。1899年 ねん には、Cタンク機 き との交換 こうかん で岩 いわ 越 えつ 鉄道 てつどう からナスミス・ウィルソン製 せい の18II - 19II 号 ごう 機 き を譲受 ゆずりうけ している。
1907年 ねん の鉄道 てつどう 国有 こくゆう 法 ほう による国有 こくゆう 化 か 時点 じてん の保有 ほゆう 数 すう は、ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい W2/4形 かたち が19両 りょう 、ダブス社 しゃ 製 せい D2/4形 かたち が12両 りょう の計 けい 34両 りょう である。
甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう [ 編集 へんしゅう ]
甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう へは、先述 せんじゅつ した官設 かんせつ 鉄道 てつどう 経由 けいゆ で入線 にゅうせん した1, 2号機 ごうき のほか、自社 じしゃ 発注 はっちゅう で4両 りょう を導入 どうにゅう している。官設 かんせつ 鉄道 てつどう 経由 けいゆ のものを含 ふく めて、全車 ぜんしゃ がナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい でK1形 かたち と称 しょう された。内訳 うちわけ は以下 いか のとおり。
1884年 ねん (2両 りょう ) - 1, 2号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 344, 345。旧 きゅう 官設 かんせつ 鉄道 てつどう 141, 143号機 ごうき )
1894年 ねん (2両 りょう ) - 4, 5号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 450, 451)
1896年 ねん (2両 りょう ) - 8, 9号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 491, 492)
上記 じょうき のほか、1902年 ねん に1両 りょう がナスミス・ウィルソンに発注 はっちゅう されたが、こちらは傍系 ぼうけい の川越 かわごえ 鉄道 てつどう に入 はい り、同社 どうしゃ の4号機 ごうき となった。
房総 ぼうそう 鉄道 てつどう は官設 かんせつ 鉄道 てつどう が発注 はっちゅう したダブス製 せい の1両 りょう と、ナスミス・ウィルソン製 せい の4両 りょう を導入 どうにゅう している。前者 ぜんしゃ は2形 かたち 、後者 こうしゃ は3形 かたち となった。内訳 うちわけ は以下 いか のとおり。
1894年 ねん (1両 りょう ) - 2号機 ごうき (ダブス製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 3186)
1895年 ねん (3両 りょう ) - 1, 3 - 4号機 ごうき (ナスミス・ウィルソン製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 467 - 469)
1897年 ねん (1両 りょう ) - 5号機 ごうき (同 どう ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 507)
これら5両 りょう のうち、1897年 ねん に1, 4号機 ごうき が岩 いわ 越 えつ 鉄道 てつどう に、3号機 ごうき は総武 そうぶ 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた されており[注釈 ちゅうしゃく 8] 、1906年 ねん の国有 こくゆう 鉄道 てつどう 法 ほう に基 もと づく買収 ばいしゅう により国有 こくゆう 化 か された機体 きたい は2両 りょう であった。
京都 きょうと 鉄道 てつどう はナスミス・ウィルソン製 せい を3両 りょう 、ダブス製 せい を2両 りょう の計 けい 5両 りょう を下記 かき の通 とお り導入 どうにゅう しており、それぞれ1形 かたち 、2形 かたち となった。このうち、2I - 3号機 ごうき は官設 かんせつ 鉄道 てつどう 発注 はっちゅう の1894年 ねん 製 せい の機体 きたい を鉄道 てつどう 連隊 れんたい を経由 けいゆ して1895年 ねん に導入 どうにゅう したもの、2II 号機 ごうき は尾西 びさい 鉄道 てつどう が発注 はっちゅう した機体 きたい を竣工 しゅんこう 前 まえ に譲受 ゆずりうけ したもので、一方 いっぽう で2I 号 ごう 機 き が1896年 ねん に房総 ぼうそう 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた されおり、残 のこ り4両 りょう が国有 こくゆう 鉄道 てつどう 法 ほう に基 もと づく買収 ばいしゅう に伴 ともな い1906年 ねん に国有 こくゆう 化 か された[17] 。
1895年 ねん (2両 りょう ) - 2I - 3号機 ごうき (ダブス製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 3187, 3186)
1898年 ねん (1両 りょう ) - 2II 号機 ごうき (ナスミス・ウィルソン製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 528 - 530のうち1両 りょう [注釈 ちゅうしゃく 9] )
1903年 ねん (2両 りょう ) - 6, 7号機 ごうき (ナスミス・ウィルソン製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 694, 688)
大阪 おおさか 鉄道 てつどう 、関西 かんさい 鉄道 てつどう [ 編集 へんしゅう ]
大阪 おおさか 鉄道 てつどう (初代 しょだい ) が以下 いか の計 けい 18両 りょう を導入 どうにゅう している。
1888年 ねん (3両 りょう ) - 1 - 3 (ダブス社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 2416 - 2418)
1889年 ねん (2両 りょう ) - 4 - 5 (ダブス社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 2586 - 2587)
1894年 ねん (3両 りょう ) - 8 - 10 (バルカン・ファウンドリー社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 1407 - 1409)
1895年 ねん (3両 りょう ) - 11 - 13 (バルカン・ファウンドリー社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 1452 - 1454)
1896年 ねん (4両 りょう ) - 14 - 17 (バルカン・ファウンドリー社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 1485 - 1488)
1897年 ねん (3両 りょう ) - 18 - 20 (ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 516 - 518)
これらは、1900年 ねん に大阪 おおさか 鉄道 てつどう が関西 かんさい 鉄道 てつどう に合併 がっぺい されたのに伴 ともな い、同社 どうしゃ の池月 いけづき (いけづき)形 かたち に編入 へんにゅう され、ダブス社 しゃ 製 せい は(第 だい 2種 しゅ )52 - 56 、バルカン・ファウンドリー社 しゃ 製 せい は(第 だい 3種 しゅ )59 - 68 、ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい は(第 だい 3種 しゅ )69 - 71 となった。第 だい 3種 しゅ に分類 ぶんるい された13両 りょう は、側面 そくめん と背部 はいぶ の水槽 すいそう がやや大 おお きく、全長 ぜんちょう もやや長 なが い (10160mm) ため、大阪 おおさか 形 がた と呼 よ ばれ区別 くべつ された。
関西 かんさい 鉄道 てつどう へ直接 ちょくせつ 入 はい ったものは、全 すべ てダブス社 しゃ 製 せい で、次 つぎ のとおり計 けい 13両 りょう が製造 せいぞう され、池 いけ 月形 つきがた (第 だい 1種 しゅ )と称 しょう された。
1889年 ねん (3両 りょう ) - 3 - 5 (製造 せいぞう 番号 ばんごう 2525, 2526, 2588)
1890年 ねん (3両 りょう ) - 6 - 8 (製造 せいぞう 番号 ばんごう 2659 - 2661)
1894年 ねん (3両 りょう ) - 11 - 13 (製造 せいぞう 番号 ばんごう 3157 - 3159)
1897年 ねん (4両 りょう ) - 26 - 29 (製造 せいぞう 番号 ばんごう 3540 - 3543)
1907年 ねん の国有 こくゆう 化 か により、関西 かんさい 鉄道 てつどう から官設 かんせつ 鉄道 てつどう に引 ひ き継 つ がれたのは、上記 じょうき の31両 りょう である。
参宮 さんぐう 鉄道 てつどう はナスミス・ウィルソン製 せい の5両 りょう を1形 かたち 1 - 4, 6号機 ごうき として導入 どうにゅう し、全 ぜん 機 き が1907年 ねん の国有 こくゆう 鉄道 てつどう 法 ほう に基 もと づく買収 ばいしゅう に伴 ともな い国有 こくゆう 化 か された[19] 。
1894年 ねん (3両 りょう ) - 1 - 3号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 449, 452, 453)
1896年 ねん (1両 りょう ) - 4号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 497)
1901年 ねん (1両 りょう ) - 6号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 618)
なお、1903年 ねん に汽車 きしゃ 製造 せいぞう 製 せい の同系 どうけい 機 き 2両 りょう が1形 かたち 7 - 8号機 ごうき となり、国有 こくゆう 化 か 後 ご に800形 かたち となっている[20] 。また、ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい で車軸 しゃじく 配置 はいち を1B(2-4-0)としたA8系列 けいれつ の変型 へんけい 車 しゃ である2形 かたち 5号機 ごうき を1896年 ねん に導入 どうにゅう しており、国有 こくゆう 化 か 後 ご に100形 かたち 100号機 ごうき となっている[21] 。
総武 そうぶ 鉄道 てつどう 3(後 ご の鉄道 てつどう 院 いん 630)
総武 そうぶ 鉄道 てつどう は以下 いか の通 とお りナスミス・ウィルソン製 せい の13両 りょう を1形 がた として導入 どうにゅう した[22] 。
1893年 ねん (2両 りょう ) - 1, 2号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 446, 447)
1894年 ねん (2両 りょう ) - 3, 5号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 448, 457)
1896年 ねん (6両 りょう ) - 6 - 11号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 472 - 477)
1904年 ねん (3両 りょう ) - 22 - 24号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 694 - 696)
このほか、1898年 ねん に房総 ぼうそう 鉄道 てつどう から1895年 ねん 製 せい の3形 かたち 3号機 ごうき を譲受 ゆずりうけ して1形 かたち 4II 号 ごう 機 き としたほか、尾西 びさい 鉄道 てつどう が1898年 ねん に3両 りょう 発注 はっちゅう したもの(製造 せいぞう 番号 ばんごう 528 - 530)のうち1両 りょう [注釈 ちゅうしゃく 10] が竣工 しゅんこう 前 まえ に総武 そうぶ 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた されて1899年 ねん に総武 そうぶ 鉄道 てつどう 15号機 ごうき となった[23] 。
国有 こくゆう 鉄道 てつどう 法 ほう に基 もと づく1906年 ねん の総武 そうぶ 鉄道 てつどう の買収 ばいしゅう によりこれら15両 りょう が国有 こくゆう 化 か された。一方 いっぽう で、1901年 ねん に1両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 615)が発注 はっちゅう されたが竣工 しゅんこう 前 まえ に西成 にしなり 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた されて1II 号 ごう 機 き となり、さらにその後 ご 1903年 ねん に北海道 ほっかいどう 鉄道 てつどう のB2形 かたち 5号機 ごうき となった[24] 。
北海道 ほっかいどう 鉄道 てつどう [ 編集 へんしゅう ]
総武 そうぶ 鉄道 てつどう がナスミス・ウィルソンに発注 はっちゅう した1901年 ねん 製 せい の1両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 615)が、西成 にしなり 鉄道 てつどう を経 へ て1903年 ねん に北海道 ほっかいどう 鉄道 てつどう のB2形 かたち 5号機 ごうき となっており、国有 こくゆう 鉄道 てつどう 法 ほう に基 もと づく1907年 ねん の北海道 ほっかいどう 鉄道 てつどう の買収 ばいしゅう により国有 こくゆう 化 か されている[24] 。
国有 こくゆう 化 か による改 あらため 番 ばん [ 編集 へんしゅう ]
1906年 ねん 公布 こうふ の鉄道 てつどう 国有 こくゆう 法 ほう に基 もと づき、北海道 ほっかいどう 鉄道 てつどう 、日本 にっぽん 鉄道 てつどう 、総武 そうぶ 鉄道 てつどう 、房総 ぼうそう 鉄道 てつどう 、甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう 、参宮 さんぐう 鉄道 てつどう 、関西 かんさい 鉄道 てつどう 、京都 きょうと 鉄道 てつどう 、山陽 さんよう 鉄道 てつどう 、九州 きゅうしゅう 鉄道 てつどう の同系 どうけい 機 き が買収 ばいしゅう により国有 こくゆう 化 か された。しばらくは私鉄 してつ 時代 じだい の形式 けいしき 番号 ばんごう のまま使用 しよう されたが、1909年 ねん 10月 がつ 1日 にち の形式 けいしき 称号 しょうごう 改正 かいせい によりこれらの機体 きたい とA8形 かたち はメーカーごとに分類 ぶんるい されて、ダブス製 せい が500形 かたち 、ナスミス・ウィルソン製 せい が600形 かたち 、バルカン・ファウンドリー製 せい が700形 かたち となった。また、1908年 ねん に尾西 びさい 鉄道 てつどう から1両 りょう が交換 こうかん により、1920年 ねん に成田 なりた 鉄道 てつどう (初代 しょだい )から7両 りょう が買収 ばいしゅう によりそれぞれ国有 こくゆう 鉄道 てつどう の所有 しょゆう となり、前記 ぜんき の分類 ぶんるい により各 かく 形式 けいしき に編入 へんにゅう された。新旧 しんきゅう 番号 ばんごう の対照 たいしょう は次 つぎ のとおりである。
500形 かたち
500 - 502 - 日本 にっぽん 鉄道 てつどう D2/4形 かたち 37 - 39(1888年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 水戸 みと 鉄道 てつどう )
503 - 508 - 日本 にっぽん 鉄道 てつどう D2/4形 かたち 66 - 71(1892年 ねん 製 せい )
509 - 京都 きょうと 鉄道 てつどう 2形 かたち 3(1894年 ねん 製 せい )
510 - 房総 ぼうそう 鉄道 てつどう 2形 かたち 2(1894年 ねん 製 せい )
511, 512 - 山陽 さんよう 鉄道 てつどう 2形 かたち 5, 8(1892年 ねん 製 せい )
513, 514 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 1種 しゅ 3, 4(1889年 ねん 製 せい )
515 - 518 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 1種 しゅ 5 - 8(1890年 ねん 製 せい )
519 - 521 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 1種 しゅ 11 - 13(1894年 ねん 製 せい )
522 - 525 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 1種 しゅ 26 - 29(1897年 ねん 製 せい )
526 - 528 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 2種 しゅ 52 - 54(1888年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 大阪 おおさか 鉄道 てつどう )
529, 530 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 2種 しゅ 55, 56(1889年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 大阪 おおさか 鉄道 てつどう )
531 - 536 - 鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A8形 かたち 864 - 869(1887年 ねん 製 せい )
537 - 539 - 鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A8形 かたち 870 - 872(1888年 ねん 製 せい )
540 - 551 - 鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A8形 かたち 873 - 884(1892年 ねん 製 せい )
552 - 557 - 鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A8形 かたち 886 - 891(1894年 ねん 製 せい )
558 - 560 - 成田 なりた 鉄道 てつどう 5 - 7(1902年 ねん 製 せい )1920年 ねん 国有 こくゆう 化 か
600形 かたち
600, 601 - 日本 にっぽん 鉄道 てつどう W2/4形 かたち 18, 19(1895年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 岩 いわ 越 えつ 鉄道 てつどう )
602 - 606 - 日本 にっぽん 鉄道 てつどう W2/4形 かたち 31 - 35(1897年 ねん 製 せい )
607 - 609 - 日本 にっぽん 鉄道 てつどう W2/4形 かたち 36, 40, 41(1898年 ねん 製 せい )
610 - 621 - 日本 にっぽん 鉄道 てつどう W2/4形 かたち 42 - 53(1890年 ねん 製 せい )
622, 623 - 甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう K1形 かたち 1, 2(1884年 ねん 製 せい )
624, 625 - 甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう K1形 かたち 4, 5(1894年 ねん 製 せい )
626, 627 - 甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう K1形 かたち 8, 9(1896年 ねん 製 せい )
628, 629 - 総武 そうぶ 鉄道 てつどう 1形 かたち 1, 2(1893年 ねん 製 せい )
630, 631 - 総武 そうぶ 鉄道 てつどう 1形 かたち 3, 4(1894年 ねん 製 せい )
632 - 637 - 総武 そうぶ 鉄道 てつどう 1形 かたち 5 - 10(1896年 ねん 製 せい )
638 - 総武 そうぶ 鉄道 てつどう 1形 かたち 11(1897年 ねん 製 せい )
639 - 総武 そうぶ 鉄道 てつどう 1形 かたち 15(1901年 ねん 製 せい )
640 - 642 - 総武 そうぶ 鉄道 てつどう 1形 かたち 22 - 24(1904年 ねん 製 せい )
643 - 京都 きょうと 鉄道 てつどう 1形 かたち 2(1898年 ねん 製 せい )
644, 645 - 京都 きょうと 鉄道 てつどう 1形 かたち 6, 7(1903年 ねん 製 せい )
646 - 房総 ぼうそう 鉄道 てつどう 3形 かたち 5(1895年 ねん 製 せい )
647 - 北海道 ほっかいどう 鉄道 てつどう B2形 かたち 5(1898年 ねん 製 せい )
648 - 650 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 3種 しゅ 69 - 71(1897年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 大阪 おおさか 鉄道 てつどう )
651 - 653 - 参宮 さんぐう 鉄道 てつどう 1形 かたち 1 - 3(1894年 ねん 製 せい )
654 - 参宮 さんぐう 鉄道 てつどう 1形 かたち 4(1896年 ねん 製 せい )
655 - 参宮 さんぐう 鉄道 てつどう 1形 かたち 6(1901年 ねん 製 せい )
656 - 660 - 九州 きゅうしゅう 鉄道 てつどう 67形 かたち 67 - 70, 101(1897年 ねん 製 せい )
661, 662 - 鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A8形 かたち 850, 851(1887年 ねん 製 せい )
663 - 666 - 鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A8形 かたち 852 - 855(1888年 ねん 製 せい )
667 - 672 - 鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A8形 かたち 856 - 861(1890年 ねん 製 せい )
673 - 尾西 びさい 鉄道 てつどう 形式 けいしき 丙 へい 3(1898年 ねん 製 せい )1908年 ねん 編入 へんにゅう
674 - 677 - 成田 なりた 鉄道 てつどう 1 - 4(1896年 ねん 製 せい )1920年 ねん 国有 こくゆう 化 か
700形 かたち
700, 715 - 九州 きゅうしゅう 鉄道 てつどう 67形 かたち 75, 76(1890年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 筑豊 ちくほう 鉄道 てつどう )
701 - 704 - 山陽 さんよう 鉄道 てつどう 1形 かたち 3, 4, 6, 7(1887年 ねん または1890年 ねん 製 せい )
705 - 707 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 3種 しゅ 59 - 61(1894年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 大阪 おおさか 鉄道 てつどう )
708 - 710 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 3種 しゅ 62 - 64(1895年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 大阪 おおさか 鉄道 てつどう )
711 - 714 - 関西 かんさい 鉄道 てつどう 「池月 いけづき 」第 だい 3種 しゅ 65 - 68(1896年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 大阪 おおさか 鉄道 てつどう )
716, 717 - 鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく A8形 かたち 862, 863(1890年 ねん 製 せい 。旧 きゅう 山陽 さんよう 鉄道 てつどう )
経歴 けいれき (500形 かたち ・600形 かたち ・700形 かたち 同型 どうけい 機 き )[ 編集 へんしゅう ]
筑豊 ちくほう 鉄道 てつどう ・九州 きゅうしゅう 鉄道 てつどう [ 編集 へんしゅう ]
九州 きゅうしゅう 鉄道 てつどう においては、1892年 ねん に筑豊 ちくほう 興業 こうぎょう 鉄道 てつどう (筑豊 ちくほう 鉄道 てつどう )が山陽 さんよう 鉄道 てつどう から譲 ゆず り受 う け、1897年 ねん の合併 がっぺい により引 ひ き継 つ いだ2両 りょう と、自社 じしゃ 発注 はっちゅう の5両 りょう の計 けい 7両 りょう が在籍 ざいせき した。九州 きゅうしゅう 鉄道 てつどう では67形 かたち となり、筑豊 ちくほう 鉄道 てつどう からの引継 ひきつぎ 機 き も同 どう 形式 けいしき に編入 へんにゅう された。
1890年 ねん - 筑豊 ちくほう 鉄道 てつどう 3 - 4号機 ごうき (バルカン・ファウンドリー社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 1298, 1299, 1301のうちの2両 りょう ) → 75, 76号機 ごうき
1897年 ねん - 67 - 70, 101号機 ごうき '(ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 508 - 512)
中国 ちゅうごく 鉄道 てつどう [ 編集 へんしゅう ]
中国 ちゅうごく 鉄道 てつどう が1897年 ねん ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい の1両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 521)の1号機 ごうき を導入 どうにゅう しているが、本 ほん 機 き は近江 おうみ 鉄道 てつどう が3両 りょう 発注 はっちゅう したうちの1両 りょう である。1944年 ねん の戦時 せんじ 買収 ばいしゅう により国有 こくゆう 鉄道 てつどう 籍 せき となり、490形 かたち 490号機 ごうき に改 あらた められた後 のち 、1949年 ねん に廃車 はいしゃ となった。
南海 なんかい 鉄道 てつどう へは、1887年 ねん バルカン・ファウンドリー社 しゃ 製 せい の1両 りょう を山陽 さんよう 鉄道 てつどう から譲受 じょうじゅ して1900年度 ねんど に入線 にゅうせん している。山陽 さんよう 鉄道 てつどう の1, 2号機 ごうき のうちのいずれかで、南海 なんかい 鉄道 てつどう では7形 かたち 13号機 ごうき となった。1917年 ねん 11月に秩父鉄道 ちちぶてつどう へ譲渡 ゆずりわた されて1925年 ねん まで使用 しよう された。
近江 おうみ 鉄道 てつどう では、開業 かいぎょう に際 さい して1897年 ねん にナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい に3両 りょう を発注 はっちゅう したが、1両 りょう は中国 ちゅうごく 鉄道 てつどう にまわされ、近江 おうみ 鉄道 てつどう へは2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 519, 520)が入線 にゅうせん し、1, 2となった[25] 。
1は1898年 ねん 6月 がつ 7日 にち に入線 にゅうせん したが、2は開業 かいぎょう に間 ま に合 あ わず、開業 かいぎょう から4日 にち 後 ご の6月 がつ 15日 にち に入線 にゅうせん した[25] 。
1928年 ねん の全線 ぜんせん 電化 でんか まで主力 しゅりょく 機関 きかん 車 しゃ として活躍 かつやく し、電化 でんか 後 ご も彦根 ひこね 駅 えき 構内 こうない の入 にゅう 替 がえ [25] や貨物 かもつ 列車 れっしゃ 牽引 けんいん 用 よう として使用 しよう された。また、阪和 はんわ 電気 でんき 鉄道 てつどう 建設 けんせつ のために1929年 ねん 1月 がつ から1年間 ねんかん 貸 か し出 だ された[25] 。
1940年 ねん 2月 がつ 6日 にち に廃車 はいしゃ となったが、2は報国 ほうこく 製鉄 せいてつ に譲渡 ゆずりわた され702号 ごう となって第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご まで使用 しよう された[25] 。その後 ご 1958年 ねん にスクラップ 寸前 すんぜん の姿 すがた が神奈川 かながわ 県 けん 横浜 よこはま 市 し の鉄 てつ 屑 くず 商 しょう で目撃 もくげき されている[26] 。
尾西 びさい 鉄道 てつどう は、1898年 ねん に3両 りょう をナスミス・ウィルソン社 しゃ に発注 はっちゅう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 528 - 530)しているが、同社 どうしゃ に入 はい ったのはそのうちの1両 りょう のみで、他 た は総武 そうぶ 鉄道 てつどう 15と京都 きょうと 鉄道 てつどう 2となった。尾西 びさい 鉄道 てつどう では形式 けいしき 丙 へい (3 ) となったが、1908年 ねん に2850形 かたち (2852) と交換 こうかん で鉄道 てつどう 院 いん に編入 へんにゅう された。
西武鉄道 せいぶてつどう 5(旧 きゅう 3号 ごう )
川越 かわごえ 鉄道 てつどう へは、先述 せんじゅつ した甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう 発注 はっちゅう の1902年 ねん 製 せい の1両 りょう (4 ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 639)を含 ふく めて2両 りょう が入線 にゅうせん している。いずれもナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい で、もう1両 りょう は、1896年 ねん 製 せい の3 (製造 せいぞう 番号 ばんごう 493)。両 りょう 車 くるま ともK2形 かたち と称 しょう した。いずれも後 のち に合併 がっぺい により西武鉄道 せいぶてつどう に引 ひ き継 つ がれ、5・6に改 あらため 番 ばん され多摩川線 たまがわせん で使用 しよう された後 のち 、最 さい 晩年 ばんねん は上 うえ 武 たけし 鉄道 てつどう に貸 か し出 だ された。5号 ごう (旧 きゅう 3号 ごう )は1965年 ねん に西武鉄道 せいぶてつどう へ戻 もど り保谷 ほや 車両 しゃりょう 管理 かんり 所 しょ 構内 こうない にて保存 ほぞん 。
成田 なりた 鉄道 てつどう 7(後 ご の鉄道 てつどう 院 いん 560)
成田 なりた 鉄道 てつどう (初代 しょだい )はナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい 4両 りょう とダブス社 しゃ 製 せい 3両 りょう の計 けい 7両 りょう を導入 どうにゅう している。これらは、1920年 ねん に成田 なりた 鉄道 てつどう の買収 ばいしゅう により国有 こくゆう 鉄道 てつどう の所属 しょぞく となった。
1896年 ねん (4両 りょう ) - 1 - 4 (ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 484 - 487)
1901年 ねん (3両 りょう ) - 5 - 7 (ダブス社 しゃ 製 せい ・製造 せいぞう 番号 ばんごう 4009 - 4011)
東武鉄道 とうぶてつどう に入 はい った最初 さいしょ の本 ほん 系列 けいれつ は、1903年 ねん に山陽 さんよう 鉄道 てつどう から譲 ゆず り受 う けたバルカン・ファウンドリー社 しゃ 製 せい のC1形 かたち 7II 号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 1218)である。次 つ いで、自社 じしゃ 発注 はっちゅう のナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい が1907年 ねん に5両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 789 - 793)、1908年 ねん に4両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 847 - 850)の計 けい 9両 りょう が導入 どうにゅう されてC3形 かたち 9 - 13, 16 - 19号機 ごうき となった。
1915年 ねん には両 りょう 形式 けいしき を交換 こうかん し、バルカン・ファウンドリー社 しゃ 製 せい がC3II 形 かたち に、ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい がC1II 形 かたち となり、旧 きゅう C1形 がた の7II 号 ごう 機 き を19II 号機 ごうき に、旧 きゅう C3形 がた の18 - 19号機 ごうき を14II - 15II 号 ごう 機 き とした。
1917年 ねん に19II 号 ごう 機 き が東京 とうきょう 本所 ほんじょ の個人 こじん に売却 ばいきゃく され、3両 りょう (12, 14II , 17号機 ごうき )順次 じゅんじ が地方 ちほう 私鉄 してつ や専用 せんよう 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた されている。残 のこ った9, 11, 15II 号機 ごうき は1949年 ねん 、10, 13, 16号機 ごうき は1950年 ねん に廃車 はいしゃ され、いずれも解体 かいたい された。譲渡 じょうと 車 しゃ の状況 じょうきょう は、次 つぎ のとおりである。
12 - 1932年 ねん 、大社 たいしゃ 宮島 みやじま 鉄道 てつどう (後 ご の一畑電気鉄道立久恵線 )101 - 1953年 ねん 3月 がつ 廃車 はいしゃ
14II - 1939年 ねん 、佐藤 さとう 工業 こうぎょう 所 しょ 田川 たがわ 炭礦 たんこう - 1960年 ねん 頃 ごろ 解体 かいたい
17 - 1939年 ねん 、日本 にっぽん 製鐵 せいてつ
岩 いわ 越 えつ 鉄道 てつどう では、房総 ぼうそう 鉄道 てつどう から、1895年 ねん ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい の2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 467, 468・房総 ぼうそう 鉄道 てつどう 1, 2)を、1897年 ねん に譲 ゆず り受 う けている(番号 ばんごう はそのまま)。本 ほん 形式 けいしき は、勾配 こうばい の多 おお い岩 いわ 越 えつ 鉄道 てつどう には向 む かなかったようで、1899年 ねん に日本 にっぽん 鉄道 てつどう からCタンク機 き を譲 ゆず り受 う けたのと交換 こうかん に日本 にっぽん 鉄道 てつどう へ移 うつ った。
陸軍 りくぐん 鉄道 てつどう 大隊 だいたい [ 編集 へんしゅう ]
日 にち 清 しん 戦争 せんそう において露呈 ろてい した輸送 ゆそう の弱体 じゃくたい を克服 こくふく するため、1896年 ねん に陸軍 りくぐん 工兵 こうへい 科 か に鉄道 てつどう 大隊 だいたい が設立 せつりつ された。鉄道 てつどう 大隊 だいたい には普通 ふつう 鉄道 てつどう の演習 えんしゅう 用 よう として、ダブス社 しゃ 製 せい で1894年 ねん に鉄道 てつどう 局 きょく が発注 はっちゅう した4両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 3186 - 3189)が導入 どうにゅう されている[27] 。このうち2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 3186 - 3187)は1895年 ねん に京都 きょうと 鉄道 てつどう 2 - 3号機 ごうき となり、さらに、このうち2号機 ごうき が房総 ぼうそう 鉄 てつ 2号機 ごうき となっている。また、残 のこ る2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 3188 - 3189)はのちに118 - 119号機 ごうき とされた[27] 。
同隊 どうたい の演習 えんしゅう 場 じょう は、当時 とうじ の東京 とうきょう 府 ふ 中野 なかの 村 むら に置 お かれたが、構外 こうがい にも甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう 中野 なかの 駅 えき 付近 ふきん から荻窪 おぎくぼ 駅 えき 付近 ふきん までの線路 せんろ の北側 きたがわ に並行 へいこう して演習 えんしゅう 線 せん が敷設 ふせつ されており、中野 なかの 駅 えき 構内 こうない で甲 きのえ 武 たけし 鉄道 てつどう の線路 せんろ に接続 せつぞく されていた。両 りょう 車 くるま はここで教材 きょうざい として使用 しよう されたが、1896年 ねん 3月 がつ には官設 かんせつ 鉄道 てつどう に貸 か し付 つ けられ、東海道 とうかいどう 線 せん で使用 しよう されていたという記録 きろく が残 のこ っている。
1907年 ねん 10月 がつ に、同 どう 大隊 だいたい は鉄道 てつどう 連隊 れんたい に昇格 しょうかく し、第 だい 1大隊 だいたい と材料 ざいりょう 敞 たかし が千葉 ちば 市 し 、第 だい 2大隊 だいたい は同 おな じ千葉 ちば 県 けん の津田沼 つだぬま に移 うつ ることとなった。翌年 よくねん 末 まつ に移転 いてん は完了 かんりょう し、それぞれ1両 りょう ずつが分配 ぶんぱい された。1908年 ねん にも、両 りょう 車 くるま が総武線 そうぶせん で使用 しよう されたという記録 きろく があるが、いつ頃 ごろ 廃車 はいしゃ となったのかは不明 ふめい である。
台湾 たいわん 総督 そうとく 府 ふ 鉄道 てつどう [ 編集 へんしゅう ]
台湾 たいわん 総督 そうとく 府 ふ 鉄道 てつどう へは、ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい が1901年 ねん に5両 りょう と1902年 ねん に6両 りょう の計 けい 11両 りょう 、1907年 ねん にノース・ブリティッシュ・ロコモティブ クイーンズパーク工場 こうじょう (旧 きゅう ダブス。製造 せいぞう 番号 ばんごう 18378 -18382)製 せい 5両 りょう が納入 のうにゅう されている。これらは、クロスヘッドの滑 すべ り棒 ぼう が1本 ほん であり、内地 ないち の同形 どうけい 機 き の2本 ほん と異 こと なっていた。この他 ほか 、1902年 ねん にロバート・スティーブンソン (Robert Stephenson & Co. )製 せい の2両 りょう が輸入 ゆにゅう されている。
台湾 たいわん では、18形 かたち (ナスミス・ウィルソン製 せい は18 - 27 。ロバート・スティーブンソン製 せい は28, 29 、ノース・ブリティッシュ製 せい は33 - 37 )と称 しょう された。1937年 ねん にはB33形 かたち と改称 かいしょう されたが、番号 ばんごう は変更 へんこう されていない。その後 ご 、36, 37が台北 たいぺい 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた されて同社 どうしゃ の6, 7 となっている。
太平洋戦争 たいへいようせんそう 後 こう は、台湾 たいわん 鉄路 てつろ 管理 かんり 局 きょく に継承 けいしょう され、汽車 きしゃ 製造 せいぞう 製 せい の同系 どうけい 機 き とともにBK10形 かたち (BK11 - BK23 )となった。台北 たいぺい 鉄道 てつどう 分 ぶん も鉄路 てつろ 管理 かんり 局 きょく に引 ひ き継 つ がれ、BK28, BK29 となっている。
運用 うんよう (500形 かたち ・600形 かたち ・700形 かたち )[ 編集 へんしゅう ]
導入 どうにゅう した鉄道 てつどう 事業 じぎょう 者 しゃ が全国 ぜんこく にわたるため、九州 きゅうしゅう から北海道 ほっかいどう までの全国 ぜんこく 各地 かくち で使用 しよう された。1911年 ねん 3月 がつ 末 まつ 現在 げんざい の鉄道 てつどう 管理 かんり 局 きょく ごとの本 ほん 系列 けいれつ の配置 はいち 状 じょう 況 きょう は、次 つぎ のとおりである。
北海道 ほっかいどう - 1両 りょう 、東部 とうぶ - 34両 りょう 、中部 ちゅうぶ - 45両 りょう 、西部 せいぶ - 61両 りょう 、九州 きゅうしゅう - 9両 りょう (計 けい 150両 りょう )
鉄道 てつどう 院 いん では、鉄道 てつどう 管理 かんり 局 きょく ごとの形式 けいしき の整理 せいり を図 はか ることとし、大 だい 規模 きぼ な転 てん 配 はい を行 おこな っている。1924年 ねん 3月 がつ 現在 げんざい の鉄道 てつどう 局 きょく ごとの配置 はいち 状 じょう 況 きょう は次 つぎ のとおりである。
東京 とうきょう - 52両 りょう 、名古屋 なごや - 22両 りょう 、神戸 こうべ - 52両 りょう 、門司 もじ - 8両 りょう 、仙台 せんだい - 23両 りょう (計 けい 157両 りょう )
廃車 はいしゃ は1925年 ねん から始 はじ まり、1933年 ねん 6月 がつ 末 まつ 現在 げんざい では500形 かたち 23両 りょう 、600形 かたち 15両 りょう 、700形 かたち 3両 りょう の計 けい 41両 りょう と、1926年 ねん 3月 がつ に建設 けんせつ 局 きょく に移管 いかん された500形 かたち 6両 りょう を残 のこ すのみとなっていた。営業 えいぎょう 用 よう 列車 れっしゃ の牽引 けんいん に使用 しよう されるのは13両 りょう のみで、播但線 ばんたんせん 、舞鶴線 まいづるせん 、三江北線 さんこうほくせん 、境線 さかいせん 、弥彦線 やひこせん 、塩釜線 しおがません で運用 うんよう されていた。他 た の車両 しゃりょう は、11両 りょう が工場 こうじょう などでの入 にゅう 換 かわ 用 もちい 、17両 りょう が休 きゅう 車 しゃ である。
1945年 ねん 3月 がつ 末 まつ には、小倉 おぐら 鉄道 てつどう 、播丹鉄道 てつどう 、中国 ちゅうごく 鉄道 てつどう の買収 ばいしゅう 車 しゃ を含 ふく めて490形 かたち 1両 りょう 、500形 かたち 9両 りょう 、600形 かたち 1両 りょう 、700形 かたち 3両 りょう の計 けい 14両 りょう を残 のこ すのみで、これらも1951年 ねん までに廃車 はいしゃ された。
譲渡 じょうと (500形 かたち ・600形 かたち ・700形 かたち )[ 編集 へんしゅう ]
三河 みかわ 鉄道 てつどう 709
本 ほん 系列 けいれつ は、大 おお きさや性能 せいのう が適当 てきとう であったため、民間 みんかん に払 はら い下 さ げられたものも多 おお い。行方 ゆくえ のわかっているものだけでも、500形 かたち 14両 りょう 、600形 かたち 34両 りょう 、700形 かたち 9両 りょう に及 およ ぶ。
503(1941年 ねん ):八幡 やはた 製鉄 せいてつ 所 しょ 351(2-4-0に改造 かいぞう )
508(1933年 ねん ):播丹鉄道 てつどう 13 → 小名浜 おなはま 臨港 りんこう 鉄道 てつどう B375(1946年 ねん 入線 にゅうせん 、1963年 ねん 廃車 はいしゃ )
510(1928年 ねん ):三好 みよし 鉱業 こうぎょう → 日本 にっぽん 炭礦 たんこう 遠賀 おんが 鉱業 こうぎょう 所 しょ 510[28]
511(1926年 ねん ):南 みなみ 樺 かば 鉄道 てつどう 511
512(1926年 ねん ):南 みなみ 樺 かば 鉄道 てつどう 512
513(1928年 ねん ):湘南 しょうなん 電鉄 でんてつ 513(建設 けんせつ 用 よう )
514(1928年 ねん ):湘南 しょうなん 電鉄 でんてつ 514(建設 けんせつ 用 よう )
515(1928年 ねん ):東京 とうきょう 市場 いちば 運送 うんそう 515 → 三井鉱山 みついこうざん 三池 みいけ 港 こう 務 つとむ 所 しょ → 三井鉱山 みついこうざん 美唄 びばい 鉱業 こうぎょう 所 しょ
526(1940年 ねん ):八幡 やはた 製鉄 せいてつ 所 しょ 354(2-4-0に改造 かいぞう )
535(1934年 ねん ):播丹鉄道 てつどう 15 → 鉄道 てつどう 省 しょう 535(1943年 ねん )
541(1934年 ねん ):播丹鉄道 てつどう 16 → 鉄道 てつどう 省 しょう 541(1943年 ねん )→川崎 かわさき 車両 しゃりょう 兵庫 ひょうご 工場 こうじょう [29]
539(1936年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 539(1956年 ねん 廃車 はいしゃ )
555(1933年 ねん ):播丹鉄道 てつどう 14 → 鉄道 てつどう 省 しょう 555(1943年 ねん )
559(1940年 ねん ):八幡 やはた 製鉄 せいてつ 所 しょ 352(2-4-0に改造 かいぞう )
560(1935年 ねん ):播丹鉄道 てつどう 17 → 鉄道 てつどう 省 しょう 560(1943年 ねん )
600(1929年 ねん ):水戸 みと 電鉄 でんてつ 600 → 磐城 いわき セメント(住友 すみとも セメント四 よん ツ倉 くら 工場 こうじょう ・1938年 ねん ) 600
603(1929年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 11(1936年 ねん 廃車 はいしゃ )
604(1936年 ねん ):昭和 しょうわ 人絹 じんけん (呉羽 くれは 化学 かがく ) 604勿来 なこそ 駅 えき 構内 こうない のポイント切 き り替 か えミスによりD51形 かたち が専用 せんよう 線 せん へ侵入 しんにゅう してしまい604と衝突 しょうとつ 大破 たいは した。補償 ほしょう としてB6の2553 が譲渡 じょうと される[30] 。
607(1930年 ねん ):朝鮮 ちょうせん
608(1929年 ねん ):京都 きょうと 市 し 中央 ちゅうおう 市場 いちば 608 → 篠山 しのやま 鉄道 てつどう 608(1937年 ねん 入線 にゅうせん ) → 高知 こうち 鉄道 てつどう 608(1945年 ねん 入線 にゅうせん 、1950年 ねん 廃車 はいしゃ )
612(1925年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 5(1938年 ねん 廃車 はいしゃ )
617(1940年 ねん ):尼崎 あまがさき 製鉄 せいてつ 3(2-4-0に改造 かいぞう )
618(1937年 ねん ):呉羽 くれは 化学 かがく 618 → 浦賀 うらが 船渠 せんきょ 618 → 近畿日本鉄道 きんきにほんてつどう B10011
620(1928年 ねん ):中国 ちゅうごく 鉄道 てつどう 13 → 鉄道 てつどう 省 しょう 620(1944年 ねん ) → 水島 みずしま 鉄道 てつどう 4(1949年 ねん 入線 にゅうせん )
621(1928年 ねん ):耶馬渓 やばけい 鉄道 てつどう 5 (残 のこ されている写真 しゃしん から小田原 おだわら 急行 きゅうこう 鉄道 てつどう へ建設 けんせつ 用 よう に貸出 かしだし 。その後 ご 耶馬溪 やばけい 鉄道 てつどう へ譲渡 じょうと と考 かんが えられる)
622(1928年 ねん ):耶馬渓 やばけい 鉄道 てつどう 6 → 三井 みつい 化成 かせい 黒崎 くろさき 工場 こうじょう 6
623(1929年 ねん ):湊 みなと 鉄道 てつどう 3(2代 だい 。1957年 ねん 廃車 はいしゃ )
625(1936年 ねん ):日清紡績 にっしんぼうせき 625
626(1929年 ねん ):湊 みなと 鉄道 てつどう 6
629(1936年 ねん ):日東紡績 にっとうぼうせき 629
630(1926年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 9 → 三井 みつい 芦別 あしべつ 鉄道 てつどう (1939年 ねん 入線 にゅうせん 、1953年 ねん 廃車 はいしゃ )
631(1927年 ねん ):湊 みなと 鉄道 てつどう 4
633(1929年 ねん ):北九州 きたきゅうしゅう 鉄道 てつどう 633 → 鉄道 てつどう 省 しょう 633(1937年 ねん )
635(1925年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 10(1953年 ねん 廃車 はいしゃ )
637(1933年 ねん ):日本 にっぽん 沃度 ようど → 日本 にっぽん 水素 すいそ → 小名浜 おなはま 臨港 りんこう 鉄道 てつどう B376(1956年 ねん 廃車 はいしゃ )
646(1936年 ねん ):昭和 しょうわ 人絹 じんけん 604
647(1937年 ねん ):昭和 しょうわ 人絹 じんけん 646 → 小名浜 おなはま 臨港 りんこう 鉄道 てつどう B376(1956年 ねん 入線 にゅうせん ・廃車 はいしゃ )
648(1929年 ねん ):阪和 はんわ 電気 でんき 鉄道 てつどう 648(建設 けんせつ 用 よう ) → 日本曹達 にほんそうだ 二本木 にほんき 工場 こうじょう 648
656(1930年 ねん ):島原 しまばら 鉄道 てつどう 656(1号 ごう 機関 きかん 車 しゃ との交換 こうかん )
658(1931年 ねん ):三菱 みつびし 鉱業 こうぎょう 鯰田 なまずた 坑 あな 658
662(1925年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 6(1964年 ねん 廃車 はいしゃ )
663(1926年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 4(1935年 ねん 廃車 はいしゃ )
664(1926年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 8(1935年 ねん 廃車 はいしゃ )
665(1926年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 7(1935年 ねん 廃車 はいしゃ ) → 阪和 はんわ 電気 でんき 鉄道 てつどう (建設 けんせつ 用 よう )
666(1929年 ねん ):阪和 はんわ 電気 でんき 鉄道 てつどう 666(建設 けんせつ 用 よう )
671(1928年 ねん ):耶馬渓 やばけい 鉄道 てつどう 7
673(1927年 ねん ):秋田 あきた 鉄道 てつどう 4. 3(元 もと 番号 ばんごう のままとする文献 ぶんけん もあり) → 鉄道 てつどう 省 しょう 673
674(1929年 ねん ):江 こう 若 わか 鉄道 てつどう 12(1936年 ねん 廃車 はいしゃ )
676(1929年 ねん ):湊 みなと 鉄道 てつどう 5(1955年 ねん 廃車 はいしゃ )
677(1929年 ねん ):阪和 はんわ 電気 でんき 鉄道 てつどう 677(建設 けんせつ 用 よう )
701(1926年 ねん ):北 きた 総 そう 鉄道 てつどう 701
702(1927年 ねん ):北 きた 総 そう 鉄道 てつどう 702
703(1927年 ねん ):小田原 おだわら 急行 きゅうこう 鉄道 てつどう 703(建設 けんせつ 用 よう 機械 きかい として。未 み 入籍 にゅうせき 。帝都 ていと 電鉄 でんてつ 建設 けんせつ 工事 こうじ にも従事 じゅうじ 。省 しょう 荻窪 おぎくぼ 駅 えき 常駐 じょうちゅう )
704(1927年 ねん ):小田原 おだわら 急行 きゅうこう 鉄道 てつどう 704(建設 けんせつ 用 よう 機械 きかい 。未 み 入籍 にゅうせき )→鶴見 つるみ 臨港 りんこう 鉄道 てつどう 701 → 北 きた 支 ささえ 製鉄 せいてつ (1939年 ねん )
706(1930年 ねん ):播丹鉄道 てつどう 2
708(1936年 ねん ):小倉 こくら 鉄道 てつどう 708 → 鉄道 てつどう 省 しょう 708(1943年 ねん )
709(1936年 ねん ):三河 みかわ 鉄道 てつどう 709 →名古屋鉄道 なごやてつどう 709
711(1936年 ねん ):小倉 こくら 鉄道 てつどう 709 → 鉄道 てつどう 省 しょう 711 → 防 ぼう 石 せき 鉄道 てつどう 711
717(1933年 ねん ):川崎 かわさき 埠頭 ふとう (東洋埠頭 とうようふとう ) 717
関西 かんさい 鉄道 てつどう 82(後 ご の鉄道 てつどう 省 しょう 450)
450形 かたち は、1897年 ねん 米国 べいこく ブルックス・ロコモティブ・ワークス 製 せい のA8系 けい (製造 せいぞう 番号 ばんごう 2784 - 2787)である。運転 うんてん 室 しつ の深 ふか い屋根 やね や蒸気 じょうき ドームの形状 けいじょう など、デザイン上 じょう は同社 どうしゃ 製 せい の特徴 とくちょう を備 そな え、ボイラー上 じょう の砂 すな 箱 ばこ や弁 べん 装置 そうち にスチーブンソン式 しき アメリカ形 がた を採用 さいよう するなど、多分 たぶん にアメリカナイズされ、一見 いっけん 別 べつ の形式 けいしき のように見 み えるが、各部 かくぶ の寸法 すんぽう の特徴 とくちょう はは紛 まぎ れもなくA8系 けい であった。和歌山線 わかやません の前身 ぜんしん である紀和 きわ 鉄道 てつどう が、1898年 ねん の開業 かいぎょう 用 よう に用意 ようい したもので、紀和 きわ 鉄道 てつどう ではA1形 かたち (1 - 4 ) と称 しょう したが、同社 どうしゃ が1904年 ねん 8月 がつ に関西 かんさい 鉄道 てつどう に買収 ばいしゅう されたのに伴 ともな い、形式 けいしき 81「友 とも 鶴 づる 」 (ともづる)形 かたち (82 - 85 ) となった。
1907年 ねん の関西 かんさい 鉄道 てつどう 国有 こくゆう 化 か 後 ご に実施 じっし された改 あらため 番 ばん では、450形 かたち (450 - 453 ) となり城東 じょうとう 線 せん (現在 げんざい の大阪環状線 おおさかかんじょうせん の一部 いちぶ )で使用 しよう されたが、1917年 ねん に450-452が筑波 つくば 鉄道 てつどう の開業 かいぎょう 用 よう に、453が樺太 からふと 庁 ちょう 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた された。筑波 つくば 鉄道 てつどう に移 うつ った3両 りょう は同社 どうしゃ の1 - 3 となったが、使用 しよう 成績 せいせき はあまり良 よ くなかったようである。1924年 ねん から翌年 よくねん ごろにかけて新 しん 製 せい 機関 きかん 車 しゃ 購入 こうにゅう の際 さい に下取 したど りに出 だ され、汽車 きしゃ 製造 せいぞう の所有 しょゆう となった。3両 りょう は、工場 こうじょう 内 ない の入 にゅう 換 かわ 用 よう として使用 しよう されたが、結局 けっきょく ここでも持 も て余 あま されて売 う りに出 だ されたものの、買 か い手 て が付 つ いたのは3のみで、残 のこ りの2両 りょう は解体 かいたい された。この3は、1928年 ねん に胆振 いぶり 鉄道 てつどう (後 ご の胆振 いぶり 線 せん の一部 いちぶ )の建設 けんせつ 用 よう に転 てん じて同社 どうしゃ の1 となり、胆振 いぶり 縦貫 じゅうかん 鉄道 てつどう へ合併 がっぺい によって同社 どうしゃ へ籍 せき を移 うつ したが、喜茂別 きもべつ の日鉄鉱業 にってつこうぎょう 専用 せんよう 線 せん に譲渡 ゆずりわた され、戦時 せんじ 買収 ばいしゅう の対象 たいしょう とはなっていない。同線 どうせん では、1955年 ねん 頃 ごろ まで使用 しよう され、解体 かいたい された。
一方 いっぽう 、樺太 からふと 庁 ちょう 鉄道 てつどう に転 てん じた453は、汽車 きしゃ 製造 せいぞう (推定 すいてい )で水 みず タンクや炭庫 たんこ 、運転 うんてん 室 しつ などの大 だい 改造 かいぞう を受 う け、大幅 おおはば に形態 けいたい が変 か わった。その後 ご 、樺太 からふと 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた されて同 どう 鉄道 てつどう の建設 けんせつ 用 よう に使用 しよう され、1936年 ねん から休 きゅう 車 しゃ となっていた。1943年 ねん の南 みなみ 樺太 からふと の内地 ないち 編入 へんにゅう に伴 ともな い再 ふたた び国有 こくゆう 鉄道 てつどう 籍 せき となったが、終戦 しゅうせん 直前 ちょくぜん の1945年 ねん に廃車 はいしゃ された。
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと
全長 ぜんちょう : 10516mm じゅうろくみり
全高 ぜんこう : 3607mm
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 2-4-2 (1B1)
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1321mm (4ft4in)
弁 べん 装置 そうち : スチーブンソン式 しき アメリカ型 がた
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ):356mm×508mm
ボイラー圧力 あつりょく : 9.8kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 1.11m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 67.2m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 61.3m2
火 ひ 室 しつ 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 5.9m2
ボイラー水 すい 容量 ようりょう : 2.5m3
小 しょう 煙管 きせる (直径 ちょっけい ×長 ちょう サ×数 かず ) : 44.5mm×2,927mm×150本 ほん
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 36.41t
機関 きかん 車 しゃ 空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう : 27.10t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 21.79t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 2動輪 どうりん 上 じょう ) : 11.07t
水 みず タンク容量 ようりょう : 4.53m3
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 2.24t
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 4060kg
ブレーキ装置 そうち : 手 て ブレーキ 、蒸気 じょうき ブレーキ
480形 かたち は、1904年 ねん ドイツ ・クラウス社 しゃ 製 せい のA8系 けい である。房総 ぼうそう 鉄道 てつどう がA8系 けい タンク機 き の増 ぞう 備用に2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 5177, 5178)を購入 こうにゅう したもので、形式 けいしき 6 (8, 9 )と称 しょう した。基本 きほん 的 てき にはイギリス様式 ようしき の原 げん 設計 せっけい を踏襲 とうしゅう するものの、随所 ずいしょ にドイツ流 りゅう のアレンジが見 み られる。特 とく に、側 がわ 水槽 すいそう の下辺 かへん がランボード(歩 あゆ み板 いた )上辺 うわべ と離 はな れており、側面 そくめん がキャブより広 ひろ がっているのは特徴 とくちょう 的 てき である。
房総 ぼうそう 鉄道 てつどう 国有 こくゆう 化 か 後 ご の改 あらため 番 ばん では、480形 かたち (480, 481 )となり、盛岡 もりおか に転用 てんよう されたが、1914年 ねん に、800形 かたち 2両 りょう とともに芸 げい 備鉄道 てつどう (現在 げんざい の芸備線 げいびせん )の2400形 かたち 3両 りょう と交換 こうかん で同社 どうしゃ に移 うつ り、B形 かたち (2, 3 )となった。1937年 ねん に芸 げい 備鉄道 てつどう の第 だい 2次 じ 国有 こくゆう 化 か により再 ふたた び国有 こくゆう 鉄道 てつどう 籍 せき となり、旧 きゅう 番 ばん に復 ふく した。その後 ご 、481は1939年 ねん に宇部 うべ 鉄道 てつどう (現在 げんざい の宇部線 うべせん )へ、480は1942年 ねん に船木 ふなき 鉄道 てつどう に払下 はらいさ げられ104 となり、1949年 ねん に廃車 はいしゃ された。宇部 うべ 鉄道 てつどう の481は、1943年 ねん に同社 どうしゃ が戦時 せんじ 買収 ばいしゅう されたのに伴 ともな い三 さん 度 ど 、国有 こくゆう 鉄道 てつどう 籍 せき となったが、直後 ちょくご に廃車 はいしゃ された。
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと
全長 ぜんちょう : 9827mm
全高 ぜんこう : 3607mm
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 2-4-2(1B1)
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1321mm (4ft4in)
弁 べん 装置 そうち : ジョイ式 しき 基本 きほん 型 がた
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ) : 356mm×508mm
ボイラー圧力 あつりょく : 9.8kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 1.11m2 [注釈 ちゅうしゃく 11]
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 72.5m2 [注釈 ちゅうしゃく 12]
ボイラー水 すい 容量 ようりょう : 2.3m3
小 しょう 煙管 きせる (直径 ちょっけい ×長 ちょう サ×数 かず ) : 44.5mm×2,991mm×158本 ほん
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 37.49t[注釈 ちゅうしゃく 15]
機関 きかん 車 しゃ 空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう : 28.64t[注釈 ちゅうしゃく 16]
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 21.75t[注釈 ちゅうしゃく 17]
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 2動輪 どうりん 上 じょう ) : 10.95t[注釈 ちゅうしゃく 18]
水 みず タンク容量 ようりょう : 5.43m3 [注釈 ちゅうしゃく 19]
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 1.14t[注釈 ちゅうしゃく 20]
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 4060kg
ブレーキ装置 そうち : 手 て ブレーキ 、蒸気 じょうき ブレーキ
850形 かたち は、1896年 ねん に山陽 さんよう 鉄道 てつどう 兵庫 ひょうご 工場 こうじょう で製造 せいぞう されたA8系 けい の同系 どうけい 車 しゃ で、国産 こくさん 第 だい 3号 ごう 機関 きかん 車 しゃ である。イギリス製 せい の700形 かたち を模倣 もほう して製造 せいぞう されたものであるが、一部 いちぶ にアメリカの流儀 りゅうぎ を取 と り入 い れている。側 がわ 水槽 すいそう 前 ぜん 端 はし 部 ぶ を斜 なな めに切 き り落 お としているのが、形態 けいたい 上 じょう の特徴 とくちょう で、700形 かたち より全長 ぜんちょう がやや短 みじか い。
山陽 さんよう 鉄道 てつどう では、形式 けいしき 9 (40 )と称 しょう され、国有 こくゆう 化 か 後 ご の改 あらため 番 ばん により、850形 がた (850) となった。配置 はいち は糸崎 いとさき 、湊 みなと 町 まち 、鷹取 たかとり で、1919年 ねん に廃車 はいしゃ され、小坂 こさか 鉄道 てつどう に払 はら い下 さ げられて同社 どうしゃ の21 となった後 のち 、1938年 ねん に室蘭 むろらん (北海道 ほっかいどう )の日本製鋼所 にほんせいこうしょ に移 うつ り同社 どうしゃ の13 となったが、1953年 ねん に廃車 はいしゃ となった。
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと
全長 ぜんちょう : 9496mm
全高 ぜんこう : 3658mm
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 2-4-2 (1B1)
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1321mm (4ft4in)
弁 べん 装置 そうち : ジョイ式 しき ウェッブ型 がた
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ) : 356mm×508mm
ボイラー圧力 あつりょく : 8.4kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 1.06m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 67.3m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 60.8m2
火 ひ 室 しつ 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 6.5m2
ボイラー水 すい 容量 ようりょう : 2.4m3
小 しょう 煙管 きせる (直径 ちょっけい ×長 ちょう サ×数 かず ) : 44.5mm×2,959mm×147本 ほん
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 41.52t
機関 きかん 車 しゃ 空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう : 30.55t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 26.80t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 1動輪 どうりん 上 じょう ) : 13.52t
水 みず タンク容量 ようりょう : 6.2m3
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 1.81t
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 3480kg
ブレーキ装置 そうち : 真空 しんくう ブレーキ
800形 かたち は、1903年 ねん に汽車 きしゃ 製造 せいぞう で製造 せいぞう された、A8系 けい の同形 どうけい 車 しゃ (製造 せいぞう 番号 ばんごう 7, 8)である。イギリス製 せい を模倣 もほう して2両 りょう が製作 せいさく されたもので、参宮 さんぐう 鉄道 てつどう が発注 はっちゅう したものである。参宮 さんぐう 鉄道 てつどう では、ナスミス・ウィルソン社 しゃ 製 せい の同形 どうけい 車 しゃ と同 おな じ形式 けいしき 1 に編入 へんにゅう され、7, 8 と付 づけ 番 ばん された。
汽車 きしゃ 製造 せいぞう の製造 せいぞう 番号 ばんごう 1, 2で、台湾 たいわん 総督 そうとく 府 ふ 鉄道 てつどう 部 ぶ に納入 のうにゅう されたものと同形 どうけい で、輸入 ゆにゅう した半 はん 製品 せいひん を組立 くみた てたものと推定 すいてい されている。
参宮 さんぐう 鉄道 てつどう 買収 ばいしゅう 後 ご に実施 じっし された改 あらため 番 ばん では、800形 かたち (800, 801 )に定 さだ められた。1914年 ねん に、2400形 かたち 3両 りょう と交換 こうかん で、480形 かたち 2両 りょう とともに芸 げい 備鉄道 てつどう に移 うつ り、C形 かたち (4, 5 )となったが、1937年 ねん に芸 げい 備鉄道 てつどう が国有 こくゆう 化 か されたのに伴 ともな い、再 ふたた び国有 こくゆう 鉄道 てつどう 籍 せき となった。その後 ご は、1940年 ねん に800が高知 こうち 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた され、土佐 とさ 交通 こうつう 、土佐 とさ 電気 でんき 鉄道 てつどう を経 へ て1950年 ねん に廃車 はいしゃ となった。801は、磐城 いわき セメントに譲渡 ゆずりわた されて800 と改 あらため 番 ばん され、長 なが く使用 しよう された。
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと
全長 ぜんちょう : 9798mm
全高 ぜんこう : 3632mm
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 2-4-2(1B1)
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1321mm (4ft4in)
弁 べん 装置 そうち : ジョイ式 しき 基本 きほん 型 がた
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ) : 356mm×508mm
ボイラー圧力 あつりょく : 9.8kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 1.11m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 67.3m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 60.8m2
火 ひ 室 しつ 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 6.5m2
ボイラー水 すい 容量 ようりょう : 2.3m3
小 しょう 煙管 きせる (直径 ちょっけい ×長 ちょう サ×数 かず ) : 44.5mm×2959mm×147本 ほん
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 37.29t
機関 きかん 車 しゃ 空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう : 31.90t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 19.96t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 1、第 だい 2動輪 どうりん 上 じょう ) : 10.41t
水 みず タンク容量 ようりょう : 4.5m3
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 1.14t
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 4,060kg
ブレーキ装置 そうち : 手 て ブレーキ 、真空 しんくう ブレーキ
関西 かんさい 鉄道 てつどう 21(後 ご の鉄道 てつどう 院 いん 870)
形式 けいしき 図 ず
870形 かたち は、1897年 ねん から1902年 ねん にかけて、関西 かんさい 鉄道 てつどう によりナスミス・ウィルソン社 しゃ から輸入 ゆにゅう されたA8系 けい の準 じゅん 同形 どうけい 車 しゃ である。各部 かくぶ の寸法 すんぽう はA8系 けい に準 じゅん じるものの、動輪 どうりん 径 みち はやや大 おお きい1,372mm (4ft6in) とされ、全長 ぜんちょう も150mm長 なが かった。最大 さいだい の特徴 とくちょう は、ベルペヤ火 ひ 室 しつ の採用 さいよう で、弁 べん 装置 そうち は最初 さいしょ の2両 りょう はA8系 けい 基本 きほん のジョイ式 しき であったが、その後 ご の12両 りょう はスチーブンソン式 しき 基本形 きほんけい であった。
関西 かんさい 鉄道 てつどう へは、1897年 ねん に2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 505, 506)、1898年 ねん に6両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 542 - 547)、1901年 ねん に2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 619, 620)、1902年 ねん に4両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 635 - 638)の計 けい 14両 りょう が導入 どうにゅう され、治 ち 承 うけたまわ ・寿 ことぶき 永 ひさし の乱 らん (源平 げんぺい 合戦 かっせん )の時代 じだい の名馬 めいば の名 な にちなんだ磨 すり 墨 すみ (するすみ)形 かたち (21, 22, 46 - 51, 74 - 77 )と名付 なづ けられた。関西 かんさい 鉄道 てつどう 国有 こくゆう 化 か 後 ご の改 あらため 番 ばん では、870形 かたち (870 - 883 )とされ、大阪 おおさか 鉄道 てつどう 局 きょく 管内 かんない の奈良 なら や五 ご 條 じょう に配置 はいち されて、管内 かんない での入 にゅう 換 かわ や小 しょう 運転 うんてん に使用 しよう された。その後 ご は、参宮 さんぐう 線 せん や山陰 さんいん 線 せん に転用 てんよう され、仙台 せんだい に移 うつ るものもあったが、1937年 ねん までは全車 ぜんしゃ が健在 けんざい で、1945年 ねん 時点 じてん でも2両 りょう (879, 881)が郡山 こおりやま 、土崎 つちざき の両 りょう 工 こう 機 き 部 ぶ で入 にゅう 換 か え用 よう に使用 しよう されていた。全廃 ぜんぱい となったのは1949年 ねん である。
民間 みんかん に払下 はらいさ げられたものは7両 りょう で、内訳 うちわけ は次 つぎ のとおりである。
870(1942年 ねん ) : 樺太 からふと 人造 じんぞう 石油 せきゆ →帝国 ていこく 燃料 ねんりょう 興業 こうぎょう 内淵 ないぶち 鉄道 てつどう
871(1941年 ねん ) : 筑前 ちくぜん 参宮 さんぐう 鉄道 てつどう (西日本 にしにほん 鉄道 てつどう 宇美 うみ 線 せん 。後 ご の勝田線 かつたせん ) 7 → 鉄道 てつどう 省 しょう (1944年 ねん 買収 ばいしゅう 、1947年 ねん 廃車 はいしゃ )
872(1943年 ねん ) : 相模鉄道 さがみてつどう (現在 げんざい の相鉄 そうてつ 本線 ほんせん )12 (1951年 ねん 廃車 はいしゃ )
874(1941年 ねん ) : 相模鉄道 さがみてつどう (現在 げんざい の相模 さがみ 線 せん )11 → 再 さい 買収 ばいしゅう (1944年 ねん 。仮 かり 番号 ばんごう 138) → 常 つね 総 そう 鉄道 てつどう (1946年 ねん 4月 がつ 入線 にゅうせん )138 (1952年 ねん 廃車 はいしゃ )
877(1943年 ねん ) : 鹿島 かしま 参宮 さんぐう 鉄道 てつどう (→常 つね 総 そう 筑波 つくば 鉄道 てつどう 鉾田線 ほこたせん 。現在 げんざい の鹿島 かしま 鉄道 てつどう 。1941年 ねん から借入 かりい れ)6
878 : 日本 にっぽん 軽金属 けいきんぞく (清水 しみず )
881(1950年 ねん ) : 東北 とうほく パルプ秋田 あきた 工場 こうじょう
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと
全長 ぜんちょう :9900mm
全高 ぜんこう :3658mm
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 2-4-2 (1B1)
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1372mm (4ft6in)
弁 べん 装置 そうち : ジョイ式 しき 基本 きほん 型 がた (870, 871)、スチーブンソン式 しき 基本 きほん 型 がた (872 - 883)
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ) : 356mm×508mm
ボイラー圧力 あつりょく : 10.6kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 1.21m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 71.7m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 68.0m2
火 ひ 室 しつ 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 3.7m2
ボイラー水 すい 容量 ようりょう : 2.6m3
小 しょう 煙管 きせる (直径 ちょっけい ×長 ちょう サ×数 かず ) : 45mm×3050mm×166本 ほん
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 35.76t
機関 きかん 車 しゃ 空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう : 27.59t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 21.56t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 1動輪 どうりん 上 じょう ) : 10.88t
水 みず タンク容量 ようりょう : 4.5m3
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 0.85t
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 4,230kg
ブレーキ装置 そうち : 手 て ブレーキ 、真空 しんくう ブレーキ
1923年 ねん に日本車輌製造 にっぽんしゃりょうせいぞう により2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 105, 106)が製造 せいぞう されたA8系 けい で、北九州 きたきゅうしゅう 鉄道 てつどう (現 げん ・筑肥線 せん )形式 けいしき 2 (2, 3 )である。1937年 ねん 10月に同社 どうしゃ が買収 ばいしゅう されたことにより、国有 こくゆう 鉄道 てつどう に編入 へんにゅう され、280形 かたち (280, 281 )に改 あらた められた。
ボイラーの使用 しよう 圧力 あつりょく を高 たか め、その分 ぶん シリンダの径 みち を縮小 しゅくしょう したもので、弁 べん 装置 そうち はワルシャート式 しき で、弁 べん 室 しつ はピストンバルブである。ランボードは、弁 べん 装置 そうち を避 さ ける形 かたち で端 はし 梁 はり 直後 ちょくご から乙 おつ 字形 じけい を描 えが いて高 たか められ、側 がわ 水槽 すいそう の前部 ぜんぶ 3分 ぶん の1の位置 いち で再 ふたた び乙 おつ 字形 じけい を描 えが いて元 もと の高 たか さに戻 もど っている。側 がわ 水槽 すいそう は、北九州 きたきゅうしゅう 鉄道 てつどう 時代 じだい に前方 ぜんぽう へ762mm延長 えんちょう されている。
日本車輌製造 にっぽんしゃりょうせいぞう では、他 ほか にも地方 ちほう 私鉄 してつ からの受注 じゅちゅう を期待 きたい したらしいが、こちらは全 まった く期待 きたい はずれに終 お わっている。
280は、1942年 ねん に播丹鉄道 てつどう へ譲渡 ゆずりわた され3 (2代 だい )となったが、1943年 ねん の戦時 せんじ 買収 ばいしゅう にともない、再 ふたた び国有 こくゆう 鉄道 てつどう に編入 へんにゅう され、1948年 ねん に廃車 はいしゃ 解体 かいたい された。
281は1942年 ねん に五 ご 戸 こ 鉄道 てつどう (後 ご の南部 なんぶ 鉄道 てつどう )に譲渡 ゆずりわた されたが、1947年 ねん に土佐 とさ 交通 こうつう (後 ご の土佐 とさ 電気 でんき 鉄道 てつどう 安芸 あき 線 せん )に再 さい 譲渡 じょうと され、電化 でんか とともに1951年 ねん 廃車 はいしゃ となった。この間 あいだ 番号 ばんごう は、一貫 いっかん して281のままであった。
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと
全長 ぜんちょう : 9680mm
全高 ぜんこう : 3554mm
最大 さいだい 幅 はば : 2286mm
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 2-4-2 (1B1)
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1321mm (4ft4in)
弁 べん 装置 そうち : ワルシャート式 しき
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ) : 343mm×508mm
ボイラー圧力 あつりょく : 12.7kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 1.11m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 67.3m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 60.8m2
火 ひ 室 しつ 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 6.5m2
小 しょう 煙管 きせる (直径 ちょっけい ×長 ちょう サ×数 かず ) : 44.5mm×2952mm×147本 ほん
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 36.01t
機関 きかん 車 しゃ 空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう : 28.85t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 19.35t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 1動輪 どうりん 上 じょう ) : 9.70t
水 みず タンク容量 ようりょう : 4.5m3
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 1.27t
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 4880kg
ブレーキ装置 そうち : 手 て ブレーキ 、真空 しんくう ブレーキ
100形 かたち は、参宮 さんぐう 鉄道 てつどう により、イギリスのナスミス・ウィルソン社 しゃ から1896年 ねん に輸入 ゆにゅう された軸 じく 配置 はいち 2-4-0 (1B) 形 かたち のタンク機関 きかん 車 しゃ (製造 せいぞう 番号 ばんごう 498)である。A8系 けい から従 したがえ 輪 わ を取 と り去 さ ったような形態 けいたい であるが、全体 ぜんたい 的 てき 寸法 すんぽう もやや小型 こがた である。
参宮 さんぐう 鉄道 てつどう では、形式 けいしき 2 (5 ) と称 しょう し、国有 こくゆう 化 か 後 ご の改 あらため 番 ばん では、2-4-0形 かたち 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 最小 さいしょう の100形 かたち (100 ) となった。廃車 はいしゃ は1915年 ねん で、宇都宮 うつのみや 石材 せきざい 軌道 きどう に譲渡 ゆずりわた された後 のち 、1931年 ねん の合併 がっぺい により東武鉄道 とうぶてつどう C4形 かたち (57 ) となった。1939年 ねん に日立 ひたち 電 でん 興 きょう に移 うつ り1 (初代 しょだい )となり、1941年 ねん に日立製作所 ひたちせいさくしょ 水戸 みと 工場 こうじょう (勝田 かつた )[31] ヘ移 うつ ったが、1955年 ねん 頃 ごろ に多賀 たが 工場 こうじょう から転籍 てんせき した機関 きかん 車 しゃ が2代目 だいめ の1となったため用途 ようと を失 うしな って工場 こうじょう 内 ない に放置 ほうち された後 のち 、いつしか姿 すがた を消 け した。
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと
全長 ぜんちょう : 8217mm
全高 ぜんこう : 3607mm(1909年版 ねんばん 国鉄 こくてつ 形式 けいしき 図 ず 記載 きさい の値 ね であるが、実際 じっさい には東武鉄道 とうぶてつどう 竣工 しゅんこう 図表 ずひょう の3,366mmが正 ただ しいとみられる)
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 2-4-0 (1B)
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1219mm (4ft)
弁 べん 装置 そうち : ジョイ式 しき 基本 きほん 型 がた
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ) : 305mm×457mm
ボイラー圧力 あつりょく : 9.8kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 0.93m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 55.3m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 50.9m2
火 ひ 室 しつ 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 4.4m2
ボイラー水 すい 容量 ようりょう : 2.0m3
小 しょう 煙管 きせる (直径 ちょっけい ×長 ちょう サ×数 かず ) : 44.5mm×2,870mm×127本 ほん
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 27.15t
機関 きかん 車 しゃ 空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう : 21.09t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 20.37t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 2動輪 どうりん 上 じょう ) : 10.93t
水 みず タンク容量 ようりょう : 3.62m3
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 0.91t
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 2910kg
ブレーキ装置 そうち : 手 て ブレーキ、蒸気 じょうき ブレーキ
関西 かんさい 鉄道 てつどう 58(後 ご の鉄道 てつどう 省 しょう 221)
西武鉄道 せいぶてつどう 3号 ごう 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ (昭和 しょうわ 鉄道 てつどう 高等 こうとう 学校 がっこう )
西武鉄道 せいぶてつどう 3号 ごう 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ (2022.04.25現状 げんじょう )
220形 かたち は、大阪 おおさか 鉄道 てつどう により、ダブスから1891年 ねん に輸入 ゆにゅう された軸 じく 配置 はいち 2-4-2 (1B1) 形 かたち のタンク機関 きかん 車 しゃ である。A8系 けい と同 おな じ軸 じく 配置 はいち であるが、サイズは一 いち 回 まわ り小 ちい さく、動輪 どうりん 直径 ちょっけい も1219mmである。弁 べん 装置 そうち は、当時 とうじ のイギリス製 せい としては珍 めずら しい、進歩 しんぽ 的 てき なワルシャート式 しき であった。
2両 りょう (製造 せいぞう 番号 ばんごう 2765, 2766)が製造 せいぞう され、大阪 おおさか 鉄道 てつどう ではB形 かたち 6 - 7号機 ごうき となったが、大阪 おおさか 鉄道 てつどう は1900年 ねん に関西 かんさい 鉄道 てつどう に買収 ばいしゅう され、同社 どうしゃ の駒 こま 月 がつ (こまづき形 がた ’57 - 58号機 ごうき )となった。関西 かんさい 鉄道 てつどう 国有 こくゆう 化 か 後 ご の改 あらため 番 ばん では、220形 かたち 220 - 221号機 ごうき となり、湊 みなと 町 まち から神戸 こうべ を経 へ て、1916年 ねん に廃車 はいしゃ となった。
220号機 ごうき は、1917年 ねん 6月 がつ に現在 げんざい の西武 せいぶ 多摩川線 たまがわせん の前身 ぜんしん である多摩 たま 鉄道 てつどう に、開業 かいぎょう 用 よう として譲渡 じょうと され、同社 どうしゃ のA1形 かたち A1号機 ごうき となった。多摩 たま 鉄道 てつどう は1927年 ねん に西武鉄道 せいぶてつどう (初代 しょだい )に合併 がっぺい され、1944年 ねん 9月 がつ 21日 にち 付 づ けで西武鉄道 せいぶてつどう 3II 号 ごう 機 き となった。その後 ご 、1956年 ねん 3月 がつ に日本 にっぽん ニッケル鉄道 てつどう に貸与 たいよ されて1956年 ねん 10月 がつ に同 どう 鉄道 てつどう の後身 こうしん である上 うえ 武 たけし 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた され、同 どう 鉄道 てつどう の8号機 ごうき となっている。1965年 ねん に廃車 はいしゃ されて西武鉄道 せいぶてつどう に返却 へんきゃく され、昭和 しょうわ 鉄道 てつどう 高等 こうとう 学校 がっこう (東京 とうきょう 都 と 豊島 としま 区 く )の敷地 しきち 内 ない に保存 ほぞん されている。
一方 いっぽう 、221号機 ごうき は1917年 ねん に小野田 おのだ 鉄道 てつどう (現在 げんざい の小野田線 おのだせん の前身 ぜんしん )に譲渡 ゆずりわた されて鉄道 てつどう 院 いん 時代 じだい の番号 ばんごう のまま使用 しよう された。1939年 ねん に762mm軌間 きかん に改造 かいぞう のうえ中国 ちゅうごく へ送 おく られたが、その後 ご の消息 しょうそく は不明 ふめい である。
主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと
全長 ぜんちょう : 8433mm
全高 ぜんこう : 3607mm
軌間 きかん : 1067mm
車軸 しゃじく 配置 はいち : 2-4-2 (1B1)
動輪 どうりん 直径 ちょっけい : 1219mm (4ft)
弁 べん 装置 そうち : ワルシャート式 しき
シリンダー(直径 ちょっけい ×行程 こうてい ) : 330mm×457mm
ボイラー圧力 あつりょく : 9.8kg/cm2
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき : 0.77m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき : 49.8m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 44.7m2
火 ひ 室 しつ 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき : 5.1m2
小 しょう 煙管 きせる (直径 ちょっけい ×長 ちょう サ×数 かず ) : 44.5mm×2519mm×127本 ほん
機関 きかん 車 しゃ 運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう : 31.23t
機関 きかん 車 しゃ 空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう : 25.15t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう (運転 うんてん 整備 せいび 時 じ ) : 17.68t
機関 きかん 車 しゃ 動輪 どうりん 軸 じく 重 じゅう (第 だい 1動輪 どうりん 上 じょう ) : 9.13t
水 みず タンク容量 ようりょう : 3.17m3
燃料 ねんりょう 積載 せきさい 量 りょう : 1.02t
機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから (0.85P): 3400kg
ブレーキ装置 そうち : 手 て ブレーキ、蒸気 じょうき ブレーキ→真空 しんくう ブレーキ(関西 かんさい 鉄道 てつどう 時代 じだい に改造 かいぞう )
^ Nasmyth, Wilson & Co. Ltd., Bridgewater Foundry
^ 車軸 しゃじく 配置 はいち C1のタンク式 しき 機関 きかん 車 しゃ であるB6系 けい (鉄道 てつどう 省 しょう 2120形 がた など)も前 ぜん 向 こう 運転 うんてん すると第 だい 1動輪 どうりん のタイヤとレールの摩耗 まもう が多 おお く、逆 ぎゃく 向 こう 運転 うんてん を定位 ていい として使用 しよう された[3] 。
^ この分類 ぶんるい は機関 きかん 車 しゃ 研究 けんきゅう 家 か の金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし が1953年 ねん に日本 にっぽん で最初 さいしょ に公表 こうひょう したものであるが、一方 いっぽう で鉄道 てつどう 史 し 研究 けんきゅう 家 か の鶴岡 つるおか 秀基 ひでき が1984年 ねん にこれを正式 せいしき なものでないとする説 せつ を発表 はっぴょう し、金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし も「たとえトレビシックの個人 こじん 的 てき な分類 ぶんるい であっても、それが実在 じつざい したことは間違 まちが いないと思 おも う」としてこの分類 ぶんるい が公式 こうしき のものかについて明言 めいげん はしていない[6] 。
^ 日本 にっぽん 鉄道 てつどう は開業 かいぎょう 後 ご 、保線 ほせん や運行 うんこう は官設 かんせつ 鉄道 てつどう が行 おこ なっており、1885年 ねん に運行 うんこう や車両 しゃりょう の修繕 しゅうぜん 、保線 ほせん を日本 にっぽん 鉄道 てつどう で行 おこな うこととなったが、その後 ご 運行 うんこう と車両 しゃりょう の修繕 しゅうぜん が再度 さいど 鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく に委託 いたく され、保線 ほせん と運輸 うんゆ も鉄道 てつどう 作業 さぎょう 局 きょく の監督 かんとく の下 した に行 おこな われていた[8] 。
^ 1891年 ねん の日本 にっぽん 鉄道 てつどう の上野 うえの 駅 えき - 青森 あおもり 駅 えき 間 あいだ 全通 ぜんつう を機 き に、全 ぜん 事業 じぎょう を日本 にっぽん 鉄道 てつどう で実施 じっし するよう指導 しどう がなされた[8] 。
^ Dübs & Co., Glasgow Locomotive Works
^ Vulcan Foundry Co., Ltd.
^ 原因 げんいん は業績 ぎょうせき 不良 ふりょう のためと推定 すいてい されている。
^ 528, 530号機 ごうき のうち1両 りょう とする文献 ぶんけん [18] もある。
^ 528, 530号機 ごうき のうち1両 りょう とする文献 ぶんけん [18] もある。
^ クラウスの記録 きろく では1.12m2
^ クラウスの記録 きろく では71.13m2
^ クラウスの記録 きろく では64.4m2
^ クラウスの記録 きろく では6.53m2
^ クラウスの記録 きろく では37.2t
^ クラウスの記録 きろく では27.8t
^ クラウスの記録 きろく では20.8t
^ クラウスの記録 きろく では10.4t(第 だい 1・第 だい 2動輪 どうりん 上 じょう )
^ クラウスの記録 きろく では5.50m3
^ クラウスの記録 きろく では1.00t
日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 1篇 へん 』日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 、1958年 ねん 。
日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 、1958年 ねん 。
日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 、1958年 ねん 。
臼井 うすい 茂信 しげのぶ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 1』交友 こうゆう 社 しゃ 、1972年 ねん 。
臼井 うすい 茂信 しげのぶ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 3』交友 こうゆう 社 しゃ 、1976年 ねん 。
臼井 うすい 茂信 しげのぶ 『日本 にっぽん 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 形式 けいしき 図 ず 集成 しゅうせい 1』誠 まこと 文 ぶん 堂 どう 新光 しんこう 社 しゃ 、1968年 ねん 。
金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし 『日本 にっぽん 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 官設 かんせつ 鉄道 てつどう 編 へん 』交友 こうゆう 社 しゃ 、1972年 ねん 。
金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし 『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ I』機関 きかん 車 しゃ 史 し 研究 けんきゅう 会 かい 、1984年 ねん 。ISBN 4871126102 。
金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし 「”形式 けいしき 別 べつ ・国鉄 こくてつ の機関 きかん 車 しゃ ”補遺 ほい 」『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 別冊 べっさつ 国鉄 こくてつ 軽便 けいべん 線 せん の機関 きかん 車 しゃ 』機関 きかん 車 しゃ 史 し 研究 けんきゅう 会 かい 、1986年 ねん 。ISBN 4871126153 。
近藤 こんどう 一郎 いちろう 「改訂 かいてい 版 ばん クラウスの機関 きかん 車 しゃ 追録 ついろく 」2019年 ねん 、機関 きかん 車 しゃ 史 し 研究 けんきゅう 会 かい
川上 かわかみ 幸義 ゆきよし 『私 わたし の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 上 じょう 』交友 こうゆう 社 しゃ 、1981年 ねん 。
高井 たかい 薫 かおる 平 ひらめ 『小型 こがた 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 全 ぜん 記録 きろく 西日本 にしにほん 編 へん 』2012年 ねん 、講談社 こうだんしゃ
高田 たかだ 隆雄 たかお 『蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 日本 にっぽん 編 へん 』小学館 しょうがくかん 〈万有 ばんゆう ガイドシリーズ 12〉、1981年 ねん 。
雑誌 ざっし
その他 た
近藤 こんどう 一郎 いちろう 「形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 正誤 せいご 表 ひょう 」2020年 ねん 。
南海 なんかい 線 せん
特急 とっきゅう 車両 しゃりょう 一般 いっぱん 車両 しゃりょう
高野 たかの 線 せん (大 だい 運転 うんてん )
特急 とっきゅう ・観光 かんこう 車両 しゃりょう 一般 いっぱん 車両 しゃりょう
高野 たかの 線 せん (区間 くかん 運転 うんてん )
特急 とっきゅう 車両 しゃりょう 特急 とっきゅう 代走 だいそう 車両 しゃりょう 一般 いっぱん 車両 しゃりょう
支線 しせん 鋼索線 こうさくせん
過去 かこ の車両 しゃりょう (昇圧 しょうあつ 後 ご 在籍 ざいせき )
南海 なんかい 線 せん
優等 ゆうとう 列車 れっしゃ 用 よう 車両 しゃりょう 一般 いっぱん 車両 しゃりょう
高野 たかの 線 せん (大 だい 運転 うんてん )
特急 とっきゅう 車両 しゃりょう 一般 いっぱん 車両 しゃりょう
高野 たかの 線 せん (区間 くかん 運転 うんてん )支線 しせん 貴志川線 きしがわせん 鋼索線 こうさくせん
過去 かこ の車両 しゃりょう (昇圧 しょうあつ 前 ぜん 在籍 ざいせき )
南海 なんかい 線 せん 高野 たかの 線 せん 貴志川線 きしがわせん
電気 でんき 機関 きかん 車 しゃ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ
電車 でんしゃ 電気 でんき 機関 きかん 車 しゃ 電動 でんどう 貨車 かしゃ 貨車 かしゃ
電車 でんしゃ 気動車 きどうしゃ 電気 でんき 機関 きかん 車 しゃ 電動 でんどう 貨車 かしゃ 貨車 かしゃ
電車 でんしゃ 気動車 きどうしゃ 客車 きゃくしゃ 電気 でんき 機関 きかん 車 しゃ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 電動 でんどう 貨車 かしゃ 貨車 かしゃ 事業 じぎょう 用 よう 車 しゃ
北松江線 きたまつえせん ・大社線 たいしゃせん
立 たて 久恵 くえ 線 せん
気動車 きどうしゃ ディーゼル機関 きかん 車 しゃ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 客車 きゃくしゃ
ハ1形 かたち - ハフ20形 かたち - ハフ10形 かたち - ハニ10形 かたち
貨車 かしゃ
ト30形 かたち - ワ1形 かたち (立 たて 久恵 くえ 線 せん ) - ワフ1形 かたち (立 たて 久恵 くえ 線 せん ) - ト50形 かたち - チ200形 かたち
広瀬 ひろせ 線 せん
電車 でんしゃ 客車 きゃくしゃ 貨車 かしゃ
ワ1形 かたち (広瀬 ひろせ 線 せん ) - ト1形 かたち (広瀬 ひろせ 線 せん ) - ワフ1形 かたち (広瀬 ひろせ 線 せん ) - ワフ2形 かたち