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国鉄こくてつ5500かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ

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国鉄こくてつ5500かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ

5500かたちは、1893ねん明治めいじ26ねん)から1898ねん明治めいじ31ねん)にかけて、イギリスベイヤー・ピーコックしゃ (Beyer, Peacock & Co. Ltd., Gorton Foundry) で製造せいぞうされ、輸入ゆにゅうされた蒸気じょうき機関きかんしゃである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

5500がた形式けいしき

明治めいじ時代じだい代表だいひょうする旅客りょかく列車れっしゃよう蒸気じょうき機関きかんしゃひとつであり、日本にっぽん鉄道てつどう現在げんざいのJR東北本線とうほくほんせん常磐線じょうばんせんなどの前身ぜんしん)の主力しゅりょく機関きかんしゃだった。官設かんせつ鉄道てつどう国鉄こくてつげんJR前身ぜんしん)や、総武そうぶ鉄道てつどう現在げんざいのJR総武本線そうぶほんせん前身ぜんしん)、東武鉄道とうぶてつどうでも同形どうけい使用しようされた。ピーコックしゃせいのテンダーりゃくして「ピーテン」とばれる一連いちれん蒸気じょうき機関きかんしゃ代表だいひょうかくである。

日本にっぽん鉄道てつどうおよ総武そうぶ鉄道てつどう同形どうけいは、1906ねん明治めいじ39ねん)に制定せいていされた鉄道てつどう国有こくゆうほうにより官設かんせつ鉄道てつどう移管いかんされ、1909ねん明治めいじ42ねん)の鉄道てつどういん制定せいていした車両しゃりょう形式けいしき称号しょうごう規程きていにより、5500かたちとなった。りょうかずは、官設かんせつ鉄道てつどうが6りょう日本にっぽん鉄道てつどうが60りょう総武そうぶ鉄道てつどう東武鉄道とうぶてつどうからの譲渡じょうとしゃ)が6りょうけい72りょうである。これ以外いがい東武鉄道とうぶてつどうでも、1899ねん明治めいじ32ねん)の伊勢崎線いせさきせん新規しんき開業かいぎょうさいして独自どくじ同形どうけい輸入ゆにゅうしており、後述こうじゅつ官設かんせつ鉄道てつどうからの譲受じょうじゅくわえて、なが使用しようされた。

1929ねん昭和しょうわ4ねん)から翌年よくねんにかけて、10りょうタンク機関きかんしゃ改造かいぞうされB10かたちとなっている。

官設かんせつ鉄道てつどうでは、1896ねん明治めいじ29ねん)にニールソン(ネルソン)しゃ (Neilson & Co., Hyde Park Locomotive Works) せいの6りょう5630かたち)、日本にっぽん鉄道てつどうでは1893ねんおなじくニールソンしゃせいを5りょうおなじく5630かたち)および1898ねん明治めいじ31ねん)にシャープ・スチュアートしゃ (Sharp Stewart & Co. Ltd., Atlas Works) せいを6りょう5650かたち)を輸入ゆにゅうしており、ほんこうではりょう形式けいしきについても取扱とりあつかう。

官設かんせつ鉄道てつどうでは、ピーコックしゃせいとニールソンしゃせいをあわせて12りょう導入どうにゅうにとどまり、以降いこうぞう備は動輪どうりん直径ちょっけいが152mmおおきい6200系列けいれつとなったが、日本にっぽん鉄道てつどうでは標準ひょうじゅんがたとして、じつに60りょうもの大増おおます備をおこなっている。

構造こうぞう[編集へんしゅう]

車軸しゃじく配置はいち4-4-0 (2B、アメリカン) で2気筒きとう単式たんしき飽和ほうわしきテンダー機関きかんしゃで、動輪どうりん直径ちょっけいは1372mmである。ほん形式けいしき先行せんこうする5300かたち系列けいれつでは、だい2動輪どうりん運転うんてんだい直前ちょくぜんしつよこかれていたが、ほん形式けいしきでは動輪どうりんじく距をばして運転うんてんだい直下ちょっかき、しつだい1動輪どうりんだい2動輪どうりんあいだはいした安定あんていかんのある姿すがたとなった。その意味いみでは、1882ねん明治めいじ15ねん)ベイヤー・ピーコックしゃせいの2Bがたタンク機関きかんしゃのちにテンダー機関きかんしゃ改造かいぞうされ5490かたちとなった)のリファインばんといえる。

ランボード(あゆいた)の前部ぜんぶななめにはねがり、シリンダがそれに沿かたちななめにけられているのも先行せんこうかく形式けいしき同様どうようである。また、銘板めいばんだい1動輪どうりんスプラッシャー(泥除どろよけ)の装飾そうしょくねた扇形せんけいおおきなものが取付とりつけられており、機関きかんしゃのスタイルにたいしてとくくばったとされるベイヤー・ピーコックしゃ姿勢しせい垣間見かいまみることができる。テンダー(炭水車たんすいしゃ)は3じく固定こていしきである。

5500かたちと5630かたちは、べつ会社かいしゃ製造せいぞうであるが非常ひじょうており、機関きかんしゃ後部こうぶとテンダー前部ぜんぶ寸法すんぽうちがい、おもだいわく、テンダーだいわく形状けいじょうちがいのほかに、運転うんてんだい前面ぜんめんまど形状けいじょうが5500かたち四角形しかっけい、5630かたちまるがたで、ランボードのなな部分ぶぶん立上たちあがり位置いちが5500がたではだい1動輪どうりんのスプラッシャーとすなばこすこまえであるのにたいし、5630がたではだい1動輪どうりん前部ぜんぶあたりとなっている。また、ロッドるい断面だんめんが5500がたではIかたちであるのにたいし、5630がたでは平形ひらがた長方形ちょうほうけい)で、動輪どうりんけられたバランス・ウェイトの形状けいじょうも5500かたち扇形せんけいであるのにたいして5630がたでは三日月みかづきがたであるなど細部さいぶではことなっているてんがある。

5500かたち[編集へんしゅう]

日本にっぽん鉄道てつどう 199(鉄道てつどういん 5564)

運転うんてん経歴けいれき[編集へんしゅう]

官設かんせつ鉄道てつどう東海道とうかいどうせん増強ぞうきょうようとしてベイヤー・ピーコックしゃに6りょう発注はっちゅうした。製造せいぞう番号ばんごうは3597 - 3602。官設かんせつ鉄道てつどうでの形式けいしき番号ばんごうは、計画けいかく形式けいしきAF (226 - 231) だったが、組立くみた完了かんりょうまでに番号ばんごう142 - 147あらためばんされた。落成らくせいは、東海道とうかいどうせん中部ちゅうぶ静岡しずおか機関きかんなどに配置はいちされたが、のちに142 - 144, 146は奥羽南線おううなんせんでも使用しようされた。1898ねん明治めいじ31ねん)には、ニールソンしゃせいの5630がたとともにD6かたちあらためられた。

日本にっぽん鉄道てつどうでは、1894ねん明治めいじ27ねん)に同形どうけいPbt2/4かたちとして12りょう輸入ゆにゅうした。こちらはボイラーの仕様しよう官設かんせつ鉄道てつどうのものと若干じゃっかんことなり、整備せいび重量じゅうりょうおもかった。日本にっぽん鉄道てつどうでは、1897ねん明治めいじ30ねん)に36りょう、1898ねんに12りょうふえ備したが、1898ねんせいの3しゃは、だい1動輪どうりんのスプラッシャー前方ぜんぽうすなばこ大型おおがたしている。

日本にっぽん鉄道てつどう所属しょぞくしゃの、製造せいぞう番号ばんごうおよ番号ばんごうつぎのとおりである。

  • 1894ねんせい 製造せいぞう番号ばんごう3640 - 3651 番号ばんごう93 - 104
  • 1897ねんせい 製造せいぞう番号ばんごう3889 - 3924 番号ばんごう153 - 188
  • 1898ねんせい 製造せいぞう番号ばんごう4014 - 4025 番号ばんごう189 - 200

1906ねん公布こうふされた鉄道てつどう国有こくゆうほうにより、日本にっぽん鉄道てつどう総武そうぶ鉄道てつどう買収ばいしゅう国有こくゆうされ、両社りょうしゃ所属しょぞくした66りょう官設かんせつ鉄道てつどう編入へんにゅうされた。これをけて1909ねん制定せいていされた鉄道てつどういん車両しゃりょう形式けいしき称号しょうごう規程きていにより、官設かんせつ鉄道てつどうのD6かたちおよきゅう日本にっぽん鉄道てつどうのPbt2/4かたちきゅう総武そうぶ鉄道てつどうの16 - 21は5500かたちさだめられ、官設かんせつ鉄道てつどうの6りょう5500 - 5505きゅう日本にっぽん鉄道てつどうの60りょう5506 - 5565きゅう総武そうぶ鉄道てつどうの6りょう5566 - 5571あらためられた。

官設かんせつ鉄道てつどうの5500 - 5505は、このころには北陸線ほくりくせんうつっており、中部ちゅうぶ鉄道てつどうきょく所属しょぞくしていた。そのは、西部せいぶ鉄道てつどうきょくうつり、山陰線さんいんせん豊岡とよおか米子よなご配置はいちされたが、1921ねん大正たいしょう10ねん)6がつ東京とうきょう鉄道てつどうきょくてんじている。

きゅう日本にっぽん鉄道てつどう総武そうぶ鉄道てつどうの66りょうは、高崎線たかさきせん東北とうほくせん総武線そうぶせん主力しゅりょくとして使用しようされたが、一部いちぶ蒸気じょうき圧力あつりょくを12.2kg/cm2にげて気筒きとう直径ちょっけい縮小しゅくしょうし、奥羽おううせん転用てんようされた。また、信越線しんえつせん北部ほくぶおよび羽越線うえつせん転用てんようされたものもあり、1923ねん大正たいしょう12ねん)6がつ仙台せんだい鉄道てつどうきょく新津あらつ運輸うんゆ事務所じむしょ管内かんないには5539 - 5552の14りょう配置はいちされていたと記録きろくされている。総武そうぶせんへは、国有こくゆうに5500かたちぞう備され、やがて房総線ぼうそうせんでも使用しようされた。

1923ねん9がつ1にち発生はっせいした関東大震災かんとうだいしんさいでは、じつに9りょうの5500がた(5526(品川しながわ), 5528, 5530(千葉ちば), 5560, 5564, 5567, 5569(錦糸町きんしちょう), 5557, 5558(安房あわ北条ほうじょう))が被災ひさいしているが、さいわいにも廃車はいしゃ発生はっせいしていない。

1925ねん大正たいしょう14ねん)に仙台せんだい鉄道てつどうきょく配置はいちの3りょう (5541, 5544, 5549) が東武鉄道とうぶてつどう譲渡ゆずりわたされ、1929ねん昭和しょうわ4ねん)および1930ねん昭和しょうわ5ねん)には、12りょう (5509, 5511, 5519, 5523, 5536, 5554, 5556, 5559, 5561, 5563, 5567, 5569) が廃車はいしゃとなり、10りょう (5506, 5507, 5510, 5512, 5515, 5527, 5534, 5557, 5558, 5565) は、B10かたち2B1タンク機関きかんしゃ改造かいぞうされた。

1933ねん昭和しょうわ8ねん)6がつ現在げんざいで、東京とうきょう鉄道てつどうきょくに36りょう仙台せんだい鉄道てつどうきょくに11りょうけい47りょう配置はいちされていたが、東京とうきょう鉄道てつどうきょく配属はいぞくしゃのうち17りょうきゅうしゃで、稼働かどうしゃはすべていれかわ専用せんようであった。東京とうきょう鉄道てつどうきょくでは、1935ねん昭和しょうわ10ねん)3がつまでに、さききゅうしゃ17りょうに2りょうくわえた19りょう (5503, 5504, 5514, 5516, 5517, 5518, 5520, 5521, 5522, 5524, 5526, 5528, 5529, 5531, 5532, 5533, 5562, 5564, 5566) が廃車はいしゃとなった。

仙台せんだい鉄道てつどうきょくの11りょうは、越後線えちごせん使用しようされていたが、1939ねん昭和しょうわ14ねん)までに6250かたちえられ、5539, 5540, 5543, 5545, 5547をのこして廃車はいしゃされた。このうち、5531,5551は東武鉄道とうぶてつどうに、5542は三井みつい三池みいけこうつとむしょに、5552は寿都すっつ鉄道てつどうに、5560は日本曹達にほんそうだ天塩てしお鉱業こうぎょうしょ譲渡ゆずりわたされた。

太平洋戦争たいへいようせんそう1947ねん昭和しょうわ22ねん)1がつには5546がさん鉄道てつどうに、5548が名古屋鉄道なごやてつどう譲渡ゆずりわたされた。このころには、22りょう飯田いいだまち横浜よこはま国府津こうづいれかわ専用せんよう使用しようされている。

1952ねん昭和しょうわ27ねん)10がつ17にち鉄道てつどう開業かいぎょう80周年しゅうねん記念きねん行事ぎょうじひとつとして、ひがし横浜よこはま - 汐留しおどめあいだ[1][2]蒸気じょうき列車れっしゃ汽笛きてき一声いっせいごう」が運転うんてんされることとなり、その牽引けんいんを5500かたちつとめることになった。当時とうじ横浜よこはま機関きかん在籍ざいせきしていた5500かたち7りょう (5501, 5513, 5530, 5537, 5538, 5570, 5571) のうち、もっと状態じょうたいかった5571に5501のナンバープレートを取付とりつけて運転うんてんしたが[3]、これらも1955ねん昭和しょうわ30ねん)9がつ廃車はいしゃされ、5500かたち施設しせつきょくに5508, 5540, 5543, 5553の4りょうのこすのみとなった。

1961ねん昭和しょうわ36ねん)に、翌年よくねん鉄道てつどう開業かいぎょう90周年しゅうねん記念きねんして開設かいせつされることとなった青梅おうめ鉄道てつどう公園こうえんでの保存ほぞんとして5540がえらばれ、のこりの3りょう解体かいたいされた。これをもって、国鉄こくてつの5500かたちはすべて姿すがたした。

ベイヤー・ピーコックせいほん形式けいしきは、80ねんものあいだ使用しようされながらも気筒きとうとピストンの磨耗まもうがほとんどなく、検査けんさにも気筒きとうのプッシングの必要ひつようがまったくなかったという。後年こうねん国鉄こくてつ研究所けんきゅうじょでは、その材質ざいしつ分析ぶんせきしたが、リンの含有がんゆうりょうすこおおいという以外いがい金属きんぞく材質ざいしつからはその理由りゆうまった解明かいめいできなかったという。

主要しゅようしょもと[編集へんしゅう]

  • 全長ぜんちょう:14,021mm
  • 全高ぜんこう:3,671mm
  • 全幅ぜんぷく:2,286mm
  • 軌間きかん:1,067mm
  • 車軸しゃじく配置はいち:4-4-0(2B)
  • 動輪どうりん直径ちょっけい:1,372mm
  • べん装置そうちスチーブンソンしき基本きほんがた
  • シリンダー(直径ちょっけい×行程こうてい):406mm×559mm
  • ボイラー圧力あつりょく:11.3kg/cm2
  • 格子こうし面積めんせき:1.33m2
  • ぜんつてねつ面積めんせき:80.3m2
    • 煙管きせる蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:73.0m2
    • しつ蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:7.3m2
  • ボイラーすい容量ようりょう: 2.3m3
  • しょう煙管きせる直径ちょっけい×ちょうサ×かず):45mm×3,229mm×170ほん
  • 機関きかんしゃ運転うんてん整備せいび重量じゅうりょう:34.07t
  • 機関きかんしゃ空車くうしゃ重量じゅうりょう:30.97t
  • 機関きかんしゃ動輪どうりんじょう重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):22.34t
  • 機関きかんしゃ動輪どうりんじくじゅうだい1動輪どうりんじょう):11.62t
  • 炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):24.55t
  • 炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう空車くうしゃ):11.64t
  • みずタンク容量ようりょう:9.1m3
  • 燃料ねんりょう積載せきさいりょう:3.46t
  • 機関きかんしゃ性能せいのう
    • シリンダ引張ひっぱちから:5,990kg
  • ブレーキ装置そうちブレーキ真空しんくうブレーキ

譲渡じょうと[編集へんしゅう]

前節ぜんせつべたように、5500がた国鉄こくてつから私鉄してつへの譲渡じょうとけい10りょうで、東武鉄道とうぶてつどうに5りょう譲渡じょうとされたほか、寿都すっつ鉄道てつどう三井みつい三池みいけこうつとむしょ日本曹達にほんそうだ天塩てしお鉱業こうぎょうしょさん鉄道てつどう名古屋なごや鉄道てつどうかく1りょう譲渡じょうとされている。三井みつい三池みいけこうつとむしょの5542は、同系どうけい三井みつい芦別あしべつ鉄道てつどうさい譲渡じょうとされている。

さん鉄道てつどうでは、5546が1948ねん11月に竣功しゅんこうし、国鉄こくてつ時代じだい形式けいしき番号ばんごうのまま、おも富田とみたえきにゅうかわようとして使用しようされた。同機どうきは、ディーゼル機関きかんしゃ導入どうにゅうにともない、1952ねん11月に廃車はいしゃ解体かいたいされた。

名古屋なごや鉄道てつどう譲渡ゆずりわたされた5548は、1948ねん10がつ竣功しゅんこうし、国鉄こくてつ時代じだい形式けいしき番号ばんごうのまま使用しようされた。同機どうき名古屋なごや鉄道てつどう唯一ゆいいつのテンダー機関きかんしゃである。貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいん使用しようされたが、1960ねん6がつ廃車はいしゃとなった。

東武鉄道とうぶてつどうB1かたち[編集へんしゅう]

東武鉄道とうぶてつどう5ごう(2006ねん5がつ14にち東武とうぶ博物館はくぶつかん
東武鉄道とうぶてつどう5ごう銘板めいばん(2006ねん5がつ14にち東武とうぶ博物館はくぶつかん

東武鉄道とうぶてつどうは、伊勢崎線いせさきせん北千住きたせんじゅ久喜くきあいだ新規しんき開業かいぎょうようとして、1898ねんにベイヤー·ピーコックしゃから(製造せいぞう番号ばんごう4026 - 4035) 10りょう輸入ゆにゅうし、B1かたち (3 - 12) にあらためばん。5500かたち主要しゅよう寸法すんぽう同一どういつだったが、使用しよう圧力あつりょくが9.8kg/cm2低下ていかした。

翌年よくねん伊勢崎いせざきせん開業かいぎょうしたが、以遠いえん建設けんせつ資金しきんなんのため困難こんなんとなった。10りょう大型おおがた機関きかんしゃ保有ほゆう重荷おもにとなり、小型こがた機関きかんしゃおお保有ほゆうする総武そうぶ鉄道てつどうに1899ねんに4りょう (9 - 12) 、1901ねんに2りょう (7, 8) けい6りょう譲渡じょうとされ16 - 21あらためばんされた。

4りょう (3 - 6) のみを継続けいぞくして使用しようしたが、1907ねん明治めいじ40ねん)8がつに(亀戸線かめいどせん亀戸かめいど - 足利あしかがあいだ開通かいつうともない、のこった4りょうだけでは不足ふそくたした。同年どうねん追加ついか製造せいぞう番号ばんごう5089,5090を輸入ゆにゅうし、14, 15(1915ねん7, 8(いずれも3代目だいめ)にあらためばん)とした。

その国鉄こくてつから5りょう同形どうけい (5541, 5544, 5549, 5531, 5551) を譲受ゆずりうけし、東武鉄道とうぶてつどうでは54 - 56, 59, 58(2だい)とあらためばんして使用しようした。これにより、東武鉄道とうぶてつどうプロパーの6りょうわせてけい11りょうのB1かたち東武鉄道とうぶてつどう使用しようされることとなったが、これらは1945ねん昭和しょうわ20ねん)に3が事故じこ廃車はいしゃ除籍じょせきは1952ねん)となった以外いがいは、1959ねん昭和しょうわ34ねん)から1963ねん昭和しょうわ38ねん)にいたるまで社線しゃせんない貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいん使用しようされた。

廃車はいしゃは、4が1959ねん、55, 59が1960ねん、56が1962ねん、8, 54が1963ねん、58が1964ねん、5, 6が1965ねんである。最後さいごまでのこった5・6が東武鉄道とうぶてつどう創業そうぎょう機関きかんしゃとして東武とうぶ関連かんれん施設しせつ保存ほぞん展示てんじされたのち、1989ねん開設かいせつされた東武とうぶ博物館はくぶつかん保存ほぞん展示てんじされている。

B10かたち[編集へんしゅう]

小湊こみなと鉄道てつどう保存ほぞんされているB104

B10かたちは、当時とうじ続々ぞくぞく開業かいぎょうしていたカル線かるせんようのタンク機関きかんしゃ需要じゅようたすため、ほん形式けいしきを2B1がたタンク機関きかんしゃ改造かいぞうしたもので、1929ねんから1930ねんにかけて10りょう改造かいぞうされた。同様どうよう改造かいぞうは、大正たいしょう時代じだい後期こうきからどう時期じきの2Bがたテンダー機関きかんしゃ対象たいしょう継続けいぞくしておこなわれており、B10かたちはその最後さいご形式けいしきである。B10かたち以外いがいでは5300かたち改造かいぞうした960かたち、6350かたち改造かいぞうした1000がた(2だい)、6200かたちおよび6270かたち改造かいぞうした1070かたちがある。

B10がた新旧しんきゅう番号ばんごう対照たいしょうは、つぎのとおりである。

5506, 5558, 5512, 5507, 5527, 5557, 5565, 5510, 5515, 5534 → B10 1 - 10

形態けいたいてきには、がわ水槽すいそう左右さゆう側面そくめん新設しんせつし、運転うんてんだい後方こうほうしたがえを1じく追加ついかして炭庫たんこもうけた。がわ水槽すいそうは、右側みぎがわ前方ぜんぽう上面うわつらななめにとした五角形ごかっけい左側ひだりがわ右側みぎがわよりややながさのみじか四角形しかっけいで、形態けいたいことなっていた。これは、当時とうじけがすすめられていた、空気くうきブレーキよう空気くうき圧縮あっしゅく空気くうきタンクのけスペースを確保かくほするためである。この改造かいぞうにより、運転うんてん整備せいび重量じゅうりょうは48.43t、じくじゅうは13.24tに増加ぞうかし、使用しよう線区せんくはおのずとかぎられることとなったが、のちしんせいされるC11かたちひとし近代きんだいがたタンク機関きかんしゃへのつなぎとしての役割やくわり十分じゅうぶんたした。

B10かたちは、全車ぜんしゃ東京とうきょう鉄道てつどうきょく配置はいちされ、総武そうぶせん房総線ぼうそうせん使用しようされたが、その、B102, 6 - 10が横浜よこはませんてんじ、B101,3,5は大井おおい工場こうじょうげん東京とうきょう総合そうごう車両しゃりょうセンター)のにゅうかわように、B104はきゅうしゃとなった。

1938ねん昭和しょうわ13ねん)から私鉄してつなどへの譲渡じょうとはじまり、同年どうねんにB109とB1010がラサ工業らさこうぎょうに、1943ねん昭和しょうわ18ねん)にB106が東洋埠頭とうようふとうに、B104が陸軍りくぐん千葉ちば兵器へいきささえしょう譲渡ゆずりわたされている。陸軍りくぐん譲渡ゆずりわたされたB104は、終戦しゅうせん千葉ちば機関きかん留置りゅうちされていたが、1946ねん昭和しょうわ21ねん)に小湊こみなと鉄道てつどうかしわたされ、1949ねん昭和しょうわ24ねん)、正式せいしき譲渡じょうとされた。同機どうきは、1952ねん昭和しょうわ27ねん)に廃車はいしゃされたが、その解体かいたいされることなく五井ごい機関きかん保管ほかんされている。

国鉄こくてつのこったものは、1950ねん昭和しょうわ25ねん)までに全廃ぜんぱいされている。

主要しゅようしょもと[編集へんしゅう]

  • 全長ぜんちょう:11,378mm
  • 全高ぜんこう:3,672mm
  • 全幅ぜんぷく:2,061mm
  • 軌間きかん:1,067mm
  • 車軸しゃじく配置はいち:4-4-2(2B1)
  • 動輪どうりん直径ちょっけい:1,400mm
  • べん装置そうちスチーブンソンしき
  • シリンダー(直径ちょっけい×行程こうてい):406mm×559mm
  • ボイラー圧力あつりょく:11.0/12.0kg/cm2
  • 格子こうし面積めんせき:1.33m2
  • ぜんつてねつ面積めんせき:73.0m2
    • 煙管きせる蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:65.7m2
    • しつ蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:7.3m2
  • ボイラーすい容量ようりょう:2.3m3
  • しょう煙管きせる直径ちょっけい×ちょうサ×かず):45mm×3,229mm×162ほん
  • 機関きかんしゃ運転うんてん整備せいび重量じゅうりょう:48.43t
  • 機関きかんしゃ空車くうしゃ重量じゅうりょう:36.63t
  • 機関きかんしゃ動輪どうりんじょう重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):25.76t
  • 機関きかんしゃ動輪どうりんじくじゅうだい1動輪どうりんじょう):13.24t
  • みずタンク容量ようりょう:6.5m3
  • 燃料ねんりょう積載せきさいりょう:3.0t
  • 機関きかんしゃ性能せいのう
    • シリンダ引張ひっぱちから:6,150kg(11.0kg/cm2のとき)
  • ブレーキ装置そうちブレーキ空気くうきブレーキ

5630かたち[編集へんしゅう]

鉄道てつどう作業さぎょうきょく 175(鉄道てつどういん 5631)

ほん形式けいしきは、1893ねん英国えいこくニールソンしゃで5りょう製造せいぞうされ、日本にっぽん鉄道てつどう納入のうにゅうされた官設かんせつ鉄道てつどう5500がた同形どうけいで、同社どうしゃではNbt2/4かたち (72 - 76) としょうした。1906ねん日本にっぽん鉄道てつどう国有こくゆうにより、官設かんせつ鉄道てつどうせきうつした。

1896ねんには、官設かんせつ鉄道てつどうけに6りょう製造せいぞうされ、当初とうしょ形式けいしきは5500かたちおなAFがた (174 - 179) にづけばんされた。鉄道てつどう作業さぎょうきょくでもどう形式けいしきD6かたち分類ぶんるいされたが、1909ねん制定せいていされた鉄道てつどういん形式けいしき称号しょうごう規程きていではきゅう日本にっぽん鉄道てつどう所属しょぞくわせて形式けいしきけられ、5630かたち官設かんせつ鉄道てつどう所属しょぞく5630 - 5635きゅう日本にっぽん鉄道てつどう所属しょぞく5636 - 5640)となった。

4がつから5がつにかけて使用しよう開始かいし[4]おも東海道とうかいどうせん東部とうぶおよび東北とうほくせん北部ほくぶ使用しようされたが、のち北陸線ほくりくせんうつり、1925ねん大正たいしょう14ねん)の5がつから11がつにかけてぜん廃車はいしゃとなった。保存ほぞんされたもの、私鉄してつ譲渡ゆずりわたされたものはない。

5650がた(東武鉄道とうぶてつどうB4かたち)[編集へんしゅう]

日本にっぽん鉄道てつどう SSbt2/4がた鉄道てつどういん5650かたち
東武鉄道とうぶてつどうのB4かたち蒸気じょうき機関きかんしゃの40号機ごうき保存ほぞんしゃ
東武鉄道とうぶてつどう40ごう(2010ねん1がつ31にち宮代みやしろまち役場やくばまえ

1898ねん英国えいこくシャープ・スチュアートしゃで6りょう製造せいぞうされ、日本にっぽん鉄道てつどう納入のうにゅうされた。官設かんせつ鉄道てつどう5500がた同形どうけいで、SSbt2/4かたち (207 - 212) としょうした。1906ねん日本にっぽん鉄道てつどう国有こくゆうにより官設かんせつ鉄道てつどうせきうつし、1909ねん制定せいていされた鉄道てつどういん形式けいしき称号しょうごう規程きていでは、5650かたち (5650 - 5655) にあらためられた。形態けいたいてきには、Pbt2/4かたち3しゃとほぼ同等どうとうで、大型おおがたすなばこ装備そうびしているが、だい1動輪どうりんスプラッシャーのかざわくがなく、シンプルな外観がいかんとなっている。

おもに、東北とうほくせん常磐線じょうばんせん高崎線たかさきせんなど、きゅう日本にっぽん鉄道てつどう管内かんない使用しようされ、最後さいご仙台せんだい鉄道てつどうきょく管内かんない新津にいつあつめられた。1922ねん大正たいしょう11ねん)にはだいいち世界せかい大戦たいせんこうきょうむかえ、機関きかんしゃ不足ふそくしていた東武鉄道とうぶてつどう譲渡じょうとB4かたち (35 - 40) にあらためばんした。35,38は1959ねん昭和しょうわ34ねん)、36は1962ねん昭和しょうわ37ねん)、37は1965ねん昭和しょうわ40ねん)、39, 40は1966ねん昭和しょうわ41ねん)まで貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいん使用しようされた。

保存ほぞん[編集へんしゅう]

国鉄こくてつ廃車はいしゃとなった5540が東京とうきょう青梅おうめ青梅おうめ鉄道てつどう公園こうえん静態せいたい保存ほぞんされているほか、東武鉄道とうぶてつどうの5と6が墨田すみだ東武とうぶ博物館はくぶつかん静態せいたい保存ほぞんされている。このうち、5は製造せいぞう姿すがた復元ふくげんされたうえ、東武鉄道とうぶてつどう記念きねんぶつ指定していされて屋内おくないに、6は廃車はいしゃ状態じょうたい屋外おくがいのSLスクエアに展示てんじされている。5については、走行そうこう可動かどう状態じょうたい整備せいびされており、定期ていきてき汽笛きてき吹鳴すいめい車輪しゃりん回転かいてんさせての実演じつえんおこなわれている。

小湊こみなと鉄道てつどうB104 前面ぜんめん

また、5507を改造かいぞうしたB104が千葉ちばけん市原いちはら小湊こみなと鉄道てつどう機関きかん静態せいたい保存ほぞんされており、1980ねん昭和しょうわ55ねん)2がつ22にちけで、小湊こみなと鉄道てつどう1ごう・2ごう蒸気じょうき機関きかんしゃとともに千葉ちばけん有形ゆうけい文化財ぶんかざい指定していされている。

5650がたについては、東武鉄道とうぶてつどう最後さいごまで使用しようされた3りょう保存ほぞんされている。40(きゅう5655)が埼玉さいたまけん南埼玉みなみさいたまぐん宮代みやしろまち役場やくばまえに、39(きゅう5654)が一旦いったん豊島としま昭和しょうわ鉄道てつどう高等こうとう学校がっこう保存ほぞんされたのち2002ねん平成へいせい14ねん)にさん鉄道てつどう譲渡ゆずりわたされて三重みえけんいなべ貨物かもつ鉄道てつどう博物館はくぶつかんに、また37(きゅう5652)は千葉ちば県内けんない個人こじんにそれぞれ静態せいたい保存ほぞんされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 国鉄こくてつ80ねん記念きねん」『Romance Car』No.21・23合併がっぺいごう、112-113ぺーじ復刻ふっこくアテネ書房しょぼう、1983ねん
  2. ^ 3しょくテープ、まん国旗こっき装飾そうしょくされた機関きかんしゃ横浜よこはま市内しない小中学生しょうちゅうがくせい300にんをのせた客車きゃくしゃ4りょうひがし横浜よこはま貨物かもつえき発車はっしゃ新鶴見しんつるみ操車そうしゃじょう見学けんがくとある1952ねん10がつ17にち朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん聞蔵きくぞうIIビジュアル閲覧えつらん
  3. ^ おな鉄道てつどう開業かいぎょう80周年しゅうねん復活ふっかつした義経よしつねごう同様どうようベルをつけて登場とうじょうした。機関きかん発案はつあんでベルをさがして取付とりつけたのだという。山崎やまざき喜陽きよう『ミキスト』げい出版しゅっぱんしゃ、1962ねん(「ミキスト」『鉄道てつどう模型もけい趣味しゅみ』1952ねん12がつごう
  4. ^ 鉄道てつどうきょく年報ねんぽう. 明治めいじ29年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 臼井うすい茂信しげのぶ日本にっぽん蒸気じょうき機関きかんしゃ形式けいしき集成しゅうせい」1969ねんまことぶんどう新光しんこうしゃかん
  • 臼井うすい茂信しげのぶ機関きかんしゃ系譜けいふ 1」1972ねん交友こうゆうしゃかん
  • 金田かねだしげるひろし日本にっぽん蒸気じょうき機関きかんしゃ 官設かんせつ鉄道てつどうへん」1972ねん交友こうゆうしゃかん
  • 金田かねだしげるひろし形式けいしきべつ 国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ III」1985ねん機関きかんしゃ研究けんきゅうかい
  • 川上かわかみ幸義ゆきよしわたし蒸気じょうき機関きかんしゃ じょう」1978ねん交友こうゆうしゃかん
  • 高田たかだ隆雄たかお監修かんしゅう万有ばんゆうガイドシリーズ12 蒸気じょうき機関きかんしゃ 日本にっぽんへん」1981ねん小学館しょうがくかんかん