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国鉄6700形蒸気機関車 - Wikipedia コンテンツにスキップ

国鉄こくてつ6700かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ

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6700かたちは、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ)の前身ぜんしんである鉄道てつどういん1911ねん明治めいじ44ねん)から製造せいぞうした、かる旅客りょかく列車れっしゃ牽引けんいんよう国産こくさんテンダーしき蒸気じょうき機関きかんしゃである。ほんこうでは、ほん形式けいしきもとにして試験しけんてき蒸気じょうき過熱かねつ装備そうびした6750かたち、およびほん形式けいしき過熱かねつしき改造かいぞうしたB50かたちについても記述きじゅつする。

6700かたち[編集へんしゅう]

6742

概要がいよう[編集へんしゅう]

1906ねん明治めいじ39ねん)から翌年よくねんにかけて、鉄道てつどう国有こくゆうほうによりおおくの私鉄してつ国有こくゆうされ、各社かくしゃ使用しようされていた雑多ざった機関きかんしゃ官設かんせつ鉄道てつどう編入へんにゅうされたが、これをけて1910ねん明治めいじ43ねん)に発足ほっそくした鉄道てつどういんでは、国有こくゆう以後いご標準ひょうじゅんがた機関きかんしゃ様式ようしき模索もさくしていた。そのころ新橋しんばし工場こうじょうちょうつとめていたもり彦三ひこぞうが4-4-2(2B1)かたち機関きかんしゃ計画けいかくしていることをった、鉄道てつどういん工作こうさく課長かちょうしま安次郎やすじろうは、このクラスの機関きかんしゃもとめられているとして、国内こくない生産せいさんすることとした。しかし、車軸しゃじく配置はいちについては、このクラスの機関きかんしゃにはしたがえ経済けいざい無用むようというしま持論じろんもとづき、したがえはいした4-4-0(2B)かたち車軸しゃじく配置はいちとされた。こうして計画けいかくされたのが6700かたちであり、細部さいぶ設計せっけいは、鉄道てつどういん時代じだい神戸こうべ工場こうじょうリチャード・フランシス・トレビシックもと機関きかんしゃ製造せいぞう技術ぎじゅつまなび、みずからも機関きかんしゃ設計せっけいたずさわった川崎かわさき造船ぞうせんしょ太田おおた吉松きちまつ(おおたきちまつ)がつとめ、製造せいぞう川崎かわさき造船ぞうせんしょ汽車きしゃ製造せいぞうおこなうこととなった。

ほん形式けいしきは、1911ねんから1912ねん明治めいじ45ねん)にかけて、46りょう製造せいぞうされた。製造せいぞう年次ねんじおよび製造せいぞうしょべつ番号ばんごうつぎのとおりである。

  • 1911ねん - 16りょう
    • 汽車きしゃ製造せいぞう(4りょう) : 6700 - 6703(製造せいぞう番号ばんごう68 - 71)
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(12りょう) : 6704 - 6715(製造せいぞう番号ばんごう1 - 12)
  • 1912ねん - 30りょう
    • 汽車きしゃ製造せいぞう(15りょう) : 6716 - 6730(製造せいぞう番号ばんごう72 - 75,80 - 90)
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(15りょう) : 6731 - 6745(製造せいぞう番号ばんごう39 - 53)

構造こうぞう[編集へんしゅう]

車軸しゃじく配置はいち4-4-0(2B)かたちの2気筒きとう単式たんしき飽和ほうわしき機関きかんしゃである。スタイルは、イギリスせいかおりをのこしながらもドイツ流儀りゅうぎれたものだった。煙突えんとつはキャップのない単純たんじゅんなパイプがたで、あゆいたはシリンダのべんしつおおいをけて4かいUがた屈曲くっきょくしていた。シリンダ直後ちょくごからは一直線いっちょくせん運転うんてんだいまでたっし、運転うんてんだい下部かぶでSがたがって、炭水車たんすいしゃだいわく上面うわつらたかさがそろえられた。1912ねん汽車きしゃ製造せいぞうせい一部いちぶは、あゆいたのシリンダ屈曲くっきょくがなく、一直線いっちょくせんあゆいたとおしたものがあった。また、1912ねんせいの6716以降いこうは、動輪どうりんじく距を2591mmから2692mmに延長えんちょうし、重量じゅうりょうすこ減少げんしょうした。

ほん形式けいしき炭水車たんすいしゃは、本来ほんらい3じく固定こていしき水槽すいそう容量ようりょう2672ガロンがたであったが、一部いちぶ8700かたちの4じくボギーしきのものと交換こうかんしており、後年こうねんには、9600かたち初期しょき製造せいぞうしゃの2じく固定こていしき交換こうかんしたものもあった。

8700かたち炭水車たんすいしゃ振替ふりかえたのは、つぎの18りょうである。

6704, 6706 - 6716, 6725 - 6728, 6731 - 6733

主要しゅようしょもと[編集へんしゅう]

6700かたち形式けいしき
  • 全長ぜんちょう:15,894mm
  • 全高ぜんこう:3,730mm
  • 軌間きかん:1,067mm
  • 最大さいだいはば:2,591mm
  • じく配置はいち:4-4-0(2B)(アメリカン
  • 動輪どうりん直径ちょっけい:1600mm
  • べん装置そうちワルシャートしき
  • シリンダー(直径ちょっけい×行程こうてい):406mm×610mm
  • ボイラー圧力あつりょく:12.7kg/cm2
  • 格子こうし面積めんせき:1.58m2
  • ぜんつてねつ面積めんせき:105.1m2
    • 煙管きせる蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:94.8m2
    • しつ蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:10.3m2
  • ボイラーすい容量ようりょう:4.0m3
  • しょう煙管きせる直径ちょっけい×ちょうサ×かず):51mm×3,962mm×150ほん
  • 機関きかんしゃ重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):43.50t
  • 機関きかんしゃ重量じゅうりょう空車くうしゃ):40.10t
  • 機関きかんしゃ動輪どうりんじょう重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):28.23t
  • 機関きかんしゃ最大さいだいじくじゅうだい1動輪どうりんじょう):14.19t
  • 炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):29.39t
  • 炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう空車くうしゃ):15.65t
    • みずタンク容量ようりょう:12.2m3
    • 燃料ねんりょう積載せきさいりょう:3.05t

経歴けいれき[編集へんしゅう]

はつ配置はいちは、1911ねんせいの6700 - 6715は全車ぜんしゃ東北本線とうほくほんせん増強ぞうきょうよう東部とうぶ鉄道てつどう管理かんりきょくで、1912ねんせいについては6716 - 6725, 6731 - 6734が東部とうぶ、6726 - 6730は中部ちゅうぶ、6735 - 6745は西部せいぶ鉄道てつどう管理かんりきょく配置はいちとなった。中部ちゅうぶ西部せいぶ配置はいちしゃについては、東海道本線とうかいどうほんせん山陽本線さんようほんせん増強ぞうきょうようであるが、詳細しょうさい使用しようじょうきょうはよくわかっていない。東部とうぶでは一ノ関いちのせき多数たすう配置はいちされて急行きゅうこう直行ちょっこう列車れっしゃ牽引けんいんしていたのが実見じっけんされている。

西部せいぶ配置はいちのものは、のち神戸こうべ鉄道てつどうきょく管轄かんかつとなったが、1919ねんごろまでは梅小路うめこうじ姫路ひめじ配置はいちされて、京都きょうと - 姫路ひめじあいだ列車れっしゃ牽引けんいんしていたという。1923ねん6がつまつ時点じてんで、6735, 6737, 6740, 6743 - 6745の6りょう山陰本線さんいんほんせん西部せいぶ浜田はまだのこりの5りょう関西本線かんさいほんせん亀山かめやま配置はいちされていた。

1928ねん昭和しょうわ3ねんから1930ねん昭和しょうわ5ねんにかけて、ほん形式けいしきのうちの27りょう過熱かねつしき改造かいぞうされ、B50かたちとなった。のこった19りょうのうち大阪おおさか鉄道てつどう管理かんりきょく所属しょぞくの7りょう(6735 - 6737, 6739, 6740, 6742, 6744)をのぞいた12りょうが、1929ねん昭和しょうわ4ねん)および1930ねん廃車はいしゃとなった。1933ねん6がつまつ時点じてんで、2りょう(6735, 6739)は吹田すいた、4りょう(6736, 6737, 6740, 6744)は岡山おかやま、6742は鷹取たかとり配置はいちされ、いずれもにゅうかわ専用せんようであった。これらは太平洋戦争たいへいようせんそうまで在籍ざいせきし、1949ねん昭和しょうわ24ねん)から1951ねん昭和しょうわ26ねん)にかけて廃車はいしゃとなった。民間みんかん払下はらいさげられたもの、保存ほぞんされたものはない。

B50かたち[編集へんしゅう]

B502
神戸こうべ臨港りんこうせんオリエンタルホテルまえくB50(昭和しょうわ7ねん)

概要がいよう[編集へんしゅう]

B50かたちは、6700かたち過熱かねつしき改造かいぞうしたものである。改造かいぞうは1928ねんから1930ねんにかけ、27りょうたいしておこなわれた。改造かいぞうしょおよびりょうかず新旧しんきゅう番号ばんごう対照たいしょうつぎのとおりである。

改造かいぞうは、シリンダがピストンべん交換こうかんされたため、その部分ぶぶんあゆいた位置いちがややたかくなり、だい2さき上部じょうぶでわずかに段差だんさがつけられ、複雑ふくざつ屈曲くっきょくしていたぜんはし形状けいじょうおつ字形じけい単純たんじゅんされた。過熱かねつかんせの関係かんけいけむりしつ前方ぜんぽう移動いどうしたため、煙突えんとつ位置いちはシリンダ中心ちゅうしんせんからややまえにずれることとなり、けむりしつ下部かぶ左右さゆうには、蒸気じょうきかんおおいがけられた。一部いちぶは、すなばこ増設ぞうせつされている。

主要しゅようしょもと[編集へんしゅう]

B50かたち形式けいしき
  • 全長ぜんちょう:15,826mm
  • 全高ぜんこう:3,785mm
  • 軌間きかん:1,067mm
  • 最大さいだいはば:2,515mm
  • じく配置はいち:4-4-0(2B)(アメリカン
  • 動輪どうりん直径ちょっけい:1,600mm
  • べん装置そうちワルシャートしき
  • シリンダー(直径ちょっけい×行程こうてい):430mm×610mm
  • ボイラー圧力あつりょく:12.0kg/cm2
  • 格子こうし面積めんせき:1.58m2
  • ぜんつてねつ面積めんせき:106.3m2
    • 過熱かねつでんねつ面積めんせき:28.8m2
    • ぜん蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:77.5m2
      • 煙管きせる蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:67.2m2
      • しつ蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:10.3m2
  • ボイラーすい容量ようりょう:3.6m3
  • だい煙管きせる直径ちょっけい×ちょうサ×かず):127mm×3,962mm×18ほん
  • しょう煙管きせる直径ちょっけい×ちょうサ×かず):45mm×3,962mm×82ほん
  • 機関きかんしゃ重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):43.60t
  • 機関きかんしゃ重量じゅうりょう空車くうしゃ):40.10t
  • 機関きかんしゃ動輪どうりんじょう重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):27.60t
  • 機関きかんしゃ最大さいだいじくじゅうだい1動輪どうりんじょう):14.50t
  • 炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):30.90t
  • 炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう空車くうしゃ):15.65t
    • みずタンク容量ようりょう:12.2m3
    • 燃料ねんりょう積載せきさいりょう:3.05t

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1933ねん6がつまつ時点じてん配置はいちは、名古屋なごや鉄道てつどうきょくに10りょう(B50 1 - 10)、大阪おおさか鉄道てつどうきょくに10りょう(B50 11 - 14, 22 - 27)、門司もじ鉄道てつどうきょくに7りょう(B50 15 - 21)であった。名古屋なごやきょくの10りょう稲沢いなざわきゅうしゃとなっており、相当そうとう荒廃こうはいしていた。門司もじきょくでは17と21を小倉こくら工場こうじょう浦上うらかみいれかわようにしていたほかは、宮崎みやざき吉松よしまつきゅうしゃとなっていた。大阪おおさかきょくでは、11, 12を東灘ひがしなだのこりを鷹取たかとり配置はいちして神戸こうべ臨港りんこう貨物かもつせん和田岬線わだみさきせん使用しようしていた。

その名古屋なごやきょくの10りょう大阪おおさかおよび広島ひろしま鉄道てつどうきょく転属てんぞくし、1943ねん昭和しょうわ18ねん)3がつまつ時点じてん大阪おおさかきょくでは東灘ひがしなだ鷹取たかとりくわえて姫路ひめじにも配置はいちされ、けい17りょう在籍ざいせき広島ひろしまきょくでは広島ひろしま小郡おごおり下関しものせきけい4りょう門司もじきょくでは吉塚よしづか浦上うらかみけい6りょう在籍ざいせきしていた。

戦後せんごは、鷹取たかとり戦災せんさいけたB50 12が1947ねん昭和しょうわ22ねん)に廃車はいしゃされ、B50 5, 7, 9, 14 - 21も1948ねん昭和しょうわ23ねん)から1951ねんにかけて廃車はいしゃとなった。のこったB50 1 - 4, 10, 24 - 27は1955ねん昭和しょうわ30ねん)3がつ時点じてんでも東灘ひがしなだ鷹取たかとりいれかわようとしてのこり、6, 8が竜華りゅうげ、11が紀伊田辺きいたなべ、22が和歌山わかやまだい1しゅきゅうしゃ、13, 23が鷹取たかとりだい2しゅきゅうしゃとなっていた。

にゅうかわようのディーゼル機関きかんしゃ開発かいはつおくれたのが原因げんいんであったが、1958ねん昭和しょうわ33ねん)には全車ぜんしゃ廃車はいしゃとなった。民間みんかん払下はらいさげられたもの、保存ほぞんされたものはない。

6750かたち[編集へんしゅう]

6753

概要がいよう[編集へんしゅう]

6750かたちは、6700かたち基本きほん蒸気じょうき過熱かねつ装備そうびしたもので、1913ねん大正たいしょう2ねん)に6りょう6750 - 6755製造せいぞう番号ばんごう54 - 59)が川崎かわさき造船ぞうせんしょ製造せいぞうされた。1911ねん輸入ゆにゅうされた8800かたち8850かたちなどのシュミットしき過熱かねつ装備そうびした機関きかんしゃ好成績こうせいせきから、川崎かわさき造船ぞうせんしょでは将来しょうらい過熱かねつしき機関きかんしゃ主流しゅりゅうとなることを確信かくしんし、学習がくしゅうのためシュミットしき過熱かねつ輸入ゆにゅうし、さらに過熱かねつ特許とっきょ使用しようけん購入こうにゅうしてそれにそなえた。鉄道てつどういんとしても、飽和ほうわしき機関きかんしゃとの比較ひかく検討けんとうのため、6700かたちをベースにして過熱かねつ取付とりつけた機関きかんしゃ製造せいぞうすることとした。こうして発注はっちゅうされたのがほん形式けいしきであり、制式せいしきとなった6760かたち前駆ぜんくといえるものである。

ほん形式けいしき設計せっけい太田おおた吉松きちまつ担当たんとうした。基本きほん寸法すんぽうは6700がたの6716以降いこう踏襲とうしゅうするが、過熱かねつかんせの取付とりつけのため、けむりしつ前方ぜんぽうし、煙突えんとつ位置いちはシリンダ中心ちゅうしんからやや前方ぜんぽうにずれた。過熱かねつおなじくシュミットしゃせいのピストンべん使用しようしたため、けむりしつ下部かぶ左右さゆうふけ気管きかんおおいが取付とりつけられ、あゆいた位置いちすこたかくなった。

炭水車たんすいしゃは、だい2・だい3じくをアーチバーしきボギー台車だいしゃとしたかたボギーしきで、川崎かわさき造船ぞうせんしょせいの8850かたちおな形状けいじょうのものである。

主要しゅようしょもと[編集へんしゅう]

6750かたち形式けいしき
  • 全長ぜんちょう:15,764mm
  • 全高ぜんこう:3,734mm
  • 最大さいだいはば:2,692mm
  • 軌間きかん:1,067mm
  • じく配置はいち:4-4-0(2B)(アメリカン
  • 動輪どうりん直径ちょっけい:1,600mm
  • べん装置そうちワルシャートしき
  • シリンダー(直径ちょっけい×行程こうてい):470mm×610mm
  • ボイラー圧力あつりょく:13.0kg/cm2
  • 格子こうし面積めんせき:1.6m2
  • ぜんつてねつ面積めんせき:91.5m2
    • 過熱かねつでんねつ面積めんせき:19.2m2
    • ぜん蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:72.3m2
      • 煙管きせる蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:62.5m2
      • しつ蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき:9.8m2
  • ボイラーすい容量ようりょう:3.6m3
  • だい煙管きせる直径ちょっけい×ちょうサ×かず):140mm×3,692mm×12ほん
  • しょう煙管きせる直径ちょっけい×ちょうサ×かず):51mm×3,692mm×83ほん
  • 機関きかんしゃ重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):43.77t
  • 機関きかんしゃ重量じゅうりょう空車くうしゃ):40.44t
  • 機関きかんしゃ動輪どうりんじょう重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):27.26t
  • 機関きかんしゃ最大さいだいじくじゅうだい1動輪どうりんじょう):13.97t
  • 炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう運転うんてん整備せいび):29.27t
  • 炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう空車くうしゃ):14.47t
    • みずタンク容量ようりょう:11.8m3
    • 燃料ねんりょう積載せきさいりょう:3.00t

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1913ねん5がつ落成らくせいしたほん形式けいしきは、神戸こうべ鉄道てつどう管理かんりきょく配属はいぞくされ、柳井津やないつ配置はいちされて山陽本線さんようほんせん西部せいぶ使用しようされた。その、1920ねんごろには姫路ひめじ、1923ねんごろには奈良ならうつり、1927ねん昭和しょうわ2ねん)7がつには仙台せんだい鉄道てつどうきょく転用てんようされ、秋田あきた配置はいちされて羽越北線うえつほくせん使用しようされた。羽越うえつせん全通ぜんつうは、1933ねんあじさわうつって五能線ごのうせん、さらに1936ねん昭和しょうわ11ねん)には野辺地のへじうつって大湊線おおみなとせん使用しようされた。

1943ねん昭和しょうわ18ねん)、6750, 6752の2りょう東京とうきょう鉄道てつどうきょくうつって高島たかしま横浜よこはまこう近辺きんぺんにゅうかわ専用せんようとなったが、のこりは大湊おおみなと営業えいぎょうようのまま1949ねん昭和しょうわ24ねん)および1950ねん昭和しょうわ25ねん)に廃車はいしゃとなった。民間みんかん払下はらいさげられたもの、保存ほぞんされたものはない。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]