国鉄 9600形 蒸気 機関 車
(2001 | |
| |
| |
1913 | |
770 | |
1976 | |
キューロク、クンロク | |
1D | |
1,067 mm | |
16,551 mm | |
3,813 mm | |
59.82 t | |
52.73 t | |
94.32 t | |
4,572 mm | |
840 mm | |
1,250 mm[ | |
シリンダ |
|
シリンダ ( | 510 mm × 610 mm |
ワルシャート | |
ボイラー | 12.7 kg/cm2 (1.245 MPa; 180.6 psi) |
( |
133 mm×4039 mm×22 |
( |
51 mm×4039 mm×126 |
2.32 m2 | |
153.6 m2 | |
35.2 m2 | |
108.4 m2 | |
10.0 m2 | |
| |
6.00 t | |
13.00 m3 | |
| |
75 km/h | |
870PS |
9600
概要
[このような
9600
また、
なお、9600
9600 - 9617のテンダーについて
[しばらくの
また、9608は
製造
[メーカーは
- 1913
年度 (18両 )川崎 造船 所 (18両 ):9600 - 9617(製造 番号 73 - 90)
- 1914
年度 (40両 )川崎 造船 所 (40両 ):9618 - 9657(製造 番号 127 - 166)
- 1915
年度 (30両 )川崎 造船 所 (30両 ):9658 - 9687(製造 番号 167, 196 - 226)
- 1916
年度 (30両 )川崎 造船 所 (30両 ):9688 - 9699, 19600 - 19617(製造 番号 253 - 282)
- 1917
年度 (60両 )川崎 造船 所 (54両 ):19618 - 19671(製造 番号 292 - 296, 313 - 361)小倉 工場 (6両 ):29638 - 29643(製造 番号 1 - 6)
- 1918
年度 (98両 )川崎 造船 所 (59両 ):19672 - 19682, 29613 - 29637, 29653 - 29675(製造 番号 362 - 397, 421 - 443)汽車 製造 (30両 ):19683 - 19699, 29600 - 29612(製造 番号 280 - 289, 297 - 316)小倉 工場 (9両 ):29644 - 29652(製造 番号 7 - 15)
- 1919
年度 (126両 )川崎 造船 所 (111両 ):29676 - 29699, 39600 - 39612, 39628 - 39699, 49600, 49601(製造 番号 444 - 554)汽車 製造 (15両 ):39613 - 39627(製造 番号 359 - 373)
- 1920
年度 (73両 )川崎 造船 所 (73両 ):49602 - 49674(製造 番号 555 - 627)
- 1921
年度 (90両 )川崎 造船 所 (90両 ):49675 - 49699, 59600 - 59664(製造 番号 674 - 766)
- 1922
年度 (101両 )川崎 造船 所 (101両 ):59665 - 59699, 69600 - 69665(製造 番号 767 - 867)
- 1923
年度 (88両 )川崎 造船 所 (68両 ):69666 - 69699, 79600 - 79633(製造 番号 906 - 981, 1041 - 1044)汽車 製造 (20両 ):79638 - 79657(製造 番号 788 - 807)
- 1924
年度 (4両 )川崎 造船 所 (4両 ):79634 - 79637(製造 番号 1045 - 1048)
- 1925
年度 (12両 )川崎 造船 所 (8両 ):79658 - 79665(製造 番号 1093 - 1100)汽車 製造 (4両 ):79666 - 79669(製造 番号 866 - 869)
樺太 鉄道 80形
[80
- 1928
年 (4両 ):樺太 鉄道 80 - 83 →樺太 庁 鉄道 80 - 83 →鉄道 省 79680 - 79683(製造 番号 1019 - 1022) - 1930
年 (1両 ):樺太 鉄道 84 →樺太 庁 鉄道 84 →鉄道 省 79684(製造 番号 1140) - 1935
年 (3両 ):樺太 鉄道 85 - 87 →樺太 庁 鉄道 85 - 87 →鉄道 省 79685 - 79687(製造 番号 1265 - 1267) - 1936
年 (1両 ):樺太 鉄道 88 →樺太 庁 鉄道 88 →鉄道 省 79688(製造 番号 1392)
樺太 庁 鉄道 D50形
[D50
- 1936
年 :樺太 庁 鉄道 D501 → 9600 →鉄道 省 79670(川崎 車輛 ・製造 番号 1642) - 1937
年 :樺太 庁 鉄道 D502 → 9601 →鉄道 省 79671(日立製作所 ・製造 番号 780) - 1938
年 :樺太 庁 鉄道 D503 → 9602 →鉄道 省 79672(川崎 車輛 ・製造 番号 1908) - 1940
年 :樺太 庁 鉄道 D504 → 9603 →鉄道 省 79673(川崎 車輛 ・製造 番号 2275) - 1940
年 :樺太 庁 鉄道 D505 → 9604 →鉄道 省 79674(川崎 車輛 ・製造 番号 2276)
台湾 総督 府 鉄道 800形
[800
- 1923
年 :台湾 総督 府 鉄道 800 - 802 →台湾 鉄路 管理 局 DT581 - DT583(3両 ・川崎 造船 所 ・製造 番号 868 - 870) - 1924
年 :台湾 総督 府 鉄道 803 - 806 →台湾 鉄路 管理 局 DT584 - DT587(4両 ・汽車 製造 ・製造 番号 741 - 744) - 1925
年 :台湾 総督 府 鉄道 807 - 810 →台湾 鉄路 管理 局 DT588 - DT591(4両 ・川崎 造船 所 ・製造 番号 1068 - 1071) - 1926
年 :台湾 総督 府 鉄道 811 - 815 →台湾 鉄路 管理 局 DT592 - DT596(5両 ・川崎 造船 所 ・製造 番号 1150 - 1154) - 1927
年 :台湾 総督 府 鉄道 816 - 820 →台湾 鉄路 管理 局 DT597 - DT601(5両 ・日立製作所 ・製造 番号 257 - 261) - 1928
年 :台湾 総督 府 鉄道 821 - 824 →台湾 鉄路 管理 局 DT602 - DT605(4両 ・川崎 車輛 ・製造 番号 1273 - 1276) - 1929
年 :台湾 総督 府 鉄道 825 - 829 →台湾 鉄路 管理 局 DT606 - DT610(5両 ・汽車 製造 ・製造 番号 1098 - 1102) - 1930
年 :台湾 総督 府 鉄道 830 - 833 →台湾 鉄路 管理 局 DT611 - DT613(4両 ・日本車輌製造 ・製造 番号 241 - 244、831は戦災 廃車 ) - 1937
年 :台湾 総督 府 鉄道 834 - 835 →台湾 鉄路 管理 局 DT614 - DT615(2両 ・日立製作所 ・製造 番号 808 - 809) - 1939
年 :台湾 総督 府 鉄道 836 - 838 →台湾 鉄路 管理 局 DT616 - DT618(3両 ・三菱 造船 所 ) 台湾 鉄路 管理 局 DT619(廃車 した車両 を部品 の組 み合 わせにより再製 したもの)
私鉄 の同形 機
[9600
三菱 鉱業 大 夕張 鉄道 - 1937
年 (昭和 12年 )8月 にNo.3(製造 番号 876)、1941年 1月 にNo.4(製造 番号 1300)がいずれも日立製作所 で新 製 された。この機関 車 は逆 機 に適 するよう、C56形 に似 た、炭庫 の側部 を削 り、その後 端 を低 くしたスロープ型 テンダーを装備 している。No.4は、当初 から美唄 鉄道 に貸 し渡 されていたが、1947年 (昭和 22年 )12月に大 夕張 鉄道 に戻 った。 - 1959
年 (昭和 34年 )から1960年 (昭和 35年 )にかけて、美唄 鉄道 の5が貸 し渡 されてNo.15として使用 され、1969年 (昭和 44年 )10月 に同機 が転入 してNo.2となった。No.2とNo.4は1974年 (昭和 49年 )1月 、No.3は同年 3月 に廃車 となった。
- 1937
三菱 鉱業 美唄 鉄道 前述 のように、1941年 (昭和 16年 )日立製作所 製 のNo.4が借入 れられたが、1947年 (昭和 22年 )に大 夕張 鉄道 に戻 っている。また、1940年 (昭和 15年 )川崎 車輛 製 の5(製造 番号 2393)が三菱 石炭 油 化 工業 から転入 しているが、1974年 (昭和 49年 )に大 夕張 鉄道 で廃車 となった。
三菱 石炭 油 化 工業 (樺太 本 斗 郡 内 幌 村 )- 1940
年 (昭和 15年 )に2両 (21, 22) が川崎 車輛 で製造 された。1両 (22。製造 番号 2393)は、美唄 鉄道 に移 って5となっている。21のソ連 接収 後 の消息 は不明 。
- 1940
夕張 鉄道
運用
[さらに1941
- 9600 - 9605, 9609, 9611, 9618, 9623, 9635, 9650 - 9653, 9655, 9656, 9664, 9668, 9669, 9671 - 9676, 9679, 9683, 9689, 9690, 9692(31
両 ) - 19618, 19621, 19623 - 19625, 19628, 19631, 19632, 19635, 19637, 19639, 19641 - 19644, 19646, 19657, 19658, 19677, 19679, 19681, 19682, 19685, 19689, 19693, 19694 , 19698, 19699(28
両 ) - 29606, 29610, 29616, 29624, 29632, 29637, 29640, 29644, 29646 - 29650, 29653, 29658, 29662 - 29667, 29671 - 29673, 29677 - 29679, 29684, 29686, 29693(30
両 ) - 39603, 39604, 39606 - 39608, 39610, 39611, 39613, 39614, 39622, 39633, 39643 - 39646, 39648 - 39652, 39657, 39660, 39665, 39666, 39675, 39676, 39678, 39684, 39691, 39693, 39698(31
両 ) - 49609, 49611, 49614, 49623 - 49625, 49628 - 49630, 49633, 49646, 49647, 49661, 49667 ,49668, 49677, 49680, 49682 - 49684, 49689, 49697(22
両 ) - 59605, 59606, 59608, 59620 - 59625, 59628, 59629, 59631, 59633, 59637 - 59646, 59649, 59651, 59662, 59664 - 59668, 59671, 59673, 59675, 59676, 59678, 59682, 59685 - 59687, 59697 - 59699(43
両 ) - 69604 - 69606, 69609, 69611, 69612, 69617, 69631, 69639, 69641, 69643, 49645, 69647, 69651, 69654, 69655, 69662, 69666, 69668, 69669, 69671, 69672, 69674 - 69676, 69679, 69681, 69682, 69688, 69691, 69695 - 69698(34
両 ) - 79603, 79612, 79614, 79621 - 79623, 79625, 7962, 79628 - 79632, 79634, 79636, 79637, 79640, 79641, 79644 - 79651, 79654 - 79656, 79660, 79662, 79663(32
両 )
第 1次 :1938年 2月 - 100両 第 2次 :1938年 3月 - 2両 第 3次 :1938年 5月 - 43両 第 4次 :1938年 8月 - 35両 第 5次 :1938年 9月 - 40両 第 6次 :1939年 4月 - 31両
この
譲渡
[三菱 鉱業 美唄 鉄道 (2両 )- 69603→6(1942
年 12月 譲受 、1945年 6月 改 番 。1972年 廃車 。静態 保存 ) - 9616→7(1958
年 7月 譲受 、1958年 9月 改 番 。1971年 三菱大夕張炭砿大夕張鉄道に転出 )
- 69603→6(1942
夕張 鉄道 (21形 ・7両 )- 9682→22(1948
年 8月 11日 譲受 、1971年 廃車 、北 炭 真谷地 鉱業 所 に譲渡 ) - 9614→23(1956
年 1月 5日 譲受 、1970年 廃車 ) - 9645→24(1960
年 10月 19日 譲受 、1969年 廃車 、北 炭 真谷地 鉱業 所 に譲渡 ) - 49694→25(1961
年 8月 8日 譲受 、1975年 廃止 時 まで在籍 ) - 29674→26(1962
年 6月 19日 譲受 、1975年 廃止 時 まで在籍 ) - 49636→27(1963
年 6月 17日 譲受 、1975年 廃止 時 まで在籍 ) - 49650→28(1964
年 9月 7日 譲受 、1975年 廃止 時 まで在籍 )
- 9682→22(1948
天塩 炭礦 鉄道 (9600形 ・2両 )- 9617→3(1949
年 4月 20日 使用 開始 ) - 49695→9600-3(1959
年 9月 30日 譲受 、1950年 3月 8日 三菱 芦別 鉱業 所 専用 鉄道 に譲渡 )
- 9617→3(1949
三井 芦別 鉄道 (9600形 ・2両 )- 39694→9600-1(1949
年 譲受 、1960年 7月 27日 廃車 ) - 59616→9600-2(1952
年 譲受 、1965年 5月 18日 廃車 )
- 39694→9600-1(1949
日 曹炭鉱 天塩 砿業 所 専用 鉄道 (4両 )- 9615,9643(1949
年 譲受 ) - 19669(1959
年 譲受 ) - 49678(1961
年 )
- 9615,9643(1949
三菱 鉱業 大 夕張 鉄道 →三菱大夕張炭砿大夕張鉄道(4両 )- 39695→No.5(1950
年 6月 譲受 、1974年 3月 廃車 。テンダは9600形 オリジナルではなく、9600形 の原型 となった9550形 /9580形 タイプのもの) - 9600-3(
旧 49695)→No.6(1962年 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道から転入 、1974年 3月 廃車 ) - 9613→No.7(1963
年 1月 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道から転入 、1974年 3月 廃車 ) - 7(
旧 9616)→No.8(1971年 6月 美唄 鉄道 から転入 、1974年 3月 廃車 )
- 39695→No.5(1950
東洋 高 圧 北海道 工業 所 専用 鉄道 (1両 )- 49640(1951
年 譲受 )
- 49640(1951
- 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道(2
両 )- 9613(1955
年 譲受 、1963年 1月 三菱 鉱業 大 夕張 鉄道 に転出 ) - 49695→9600-3(1950
年 3月 天塩 炭礦 鉄道 から譲受 、1962年 10月 三菱 鉱業 大 夕張 鉄道 に譲渡 )
- 9613(1955
陸上 自衛隊 第 101建設 隊 (1両 )- 9677(1961
年 )
- 9677(1961
北 炭 真谷地 炭鉱 専用 鉄道 (2両 )- 22(1971
年 夕張 鉄道 から譲受 。 - 24(1969
年 6月 夕張 鉄道 から譲受 、1977年 廃車 )
- 22(1971
保存 機
[49648 | |||
49678 ( |
※ |
2004 | |
59601 | マックレー | ||
69644 | ( |
2004 | |
39628 | ラッセル | ||
49643 | ( |
||
59683 | |||
19671 | ( |
||
59672 | |||
59611 | |||
49600 | |||
29638 | ( |
||
9645 | ※ |
||
59609 | |||
三菱大夕張鉄道自社発注機 | |||
21 |
|||
( |
ながぬまコミュニティ マオイオートキャンプ |
||
9615 ( |
※ |
||
( |
|||
( |
|||
79616 | SLホテルとして | ||
59614 | D51 286、スハフ44 6、スハフ44 7と | ||
79615 | 2 | ||
9643 ( |
ニセコ |
サッポロビール | |
9625 | SL |
||
9632 | ※ |
2007 | |
9667 | |||
49671 | SLキューロク |
2013 | |
9687 | |||
39685 | さいたま ※ |
||
9608 | |||
9644 | ※ |
1998 | |
29622 | |||
29657 | ※ |
||
( |
9628 | 2017 2021 | |
9646 | |||
19648 | |||
49616 | 2014 | ||
9633 | 1972 | ||
79642 | |||
59634 | もと | ||
19633 | |||
49627 | ナハネフ22 1007と | ||
59647 | ※ |
1974 | |
59684 | 1974 | ||
29611 | おおまち |
||
69608 | ※ |
1973 | |
69665 | |||
59670 | ※ |
2000 | |
29612 | かつては | ||
DT609 |
|
2011 | |
KD5-373 |
|
||
KD55-579 |
|||
KD55-583 |
|
動輪 のみ保存
[- 29600:
新大阪 駅 正面 口 付近 に第 2動輪 保存 。
- 69630:
協和 電工 株式会社 入口 に保存 。
模型
[1914
9600形 の付 番 法
[9600
このため、ナンバーと
万 の位 の数字 ×100+下 二 桁 の数字 +1=製造 順
となる。
登場 した作品
[映画
[吹雪 の名寄本線 天 北 峠 に挑 む9600 - ヒストリーチャンネル(2007年 6月 20日 放送 )新幹線 大 爆破
テレビドラマ
[TV ゲーム
[- サクラ
大戦 (SS版 1996年 9月 21日 発売 )さくらエンディングでメインヒロインのさくらが乗 った旅客 列車 の牽引 機 として登場 。
脚注
[注釈
[- ^
製造 当初 は49インチ(1,245 mm) - ^
メ ートル法 移行 による動輪 外 径 の改定 に伴 い形式 図 の通 り3 mm 扛上した2,594 mm となった。 - ^ その
後 の量産 機 では運転 台 窓 が二 枚 独立 から引 き違 い式 の一体 型 へと変化 している。 - ^
高木 宏之 は著書 『国鉄 蒸気 機関 車 史 』(2015年 ネコ・パブリッシング)p.24で「検 修 時 にクォータリング・マシン(左右 のクランクピン部 を90度 の位相 角 で同時 に削 正 する専用 工作 機械 )が使用 できず、現場 は不便 をしいられた」と記 し、長期 生産 によって設計 変更 の機会 が幾度 もあったのに9600形 が左 先行 クランクで放置 された無策 ぶりを批判 している。 - ^
国鉄 の技術 者 であった久保田 博 は、自著 において「一般 形式 のクランクが右 先行 であるのに、9600は設計 時 の誤 りで左 先行 であったため、クランク角度 測定 専用 機 を使 えなかったのは厄介 であった。従 ってクランク作業 は余分 な注意 を払 ったが、一度 、クランクピン取 替 時 に返 クランク<ママ>の取付 部 を一般 形式 並 に施工 を誤 って、再度 作 り直 すのに夜 遅 くまで残業 したこともあった。」と著 している。 [2] - ^
高木 は『国鉄 蒸気 機関 車 史 』の、9600形 の左 先行 クランク放置 に対 する批判 的 見解 のくだりで、「承認 者 の朝倉 は『(中略 )武士 道 機関 車 である』とひとり悦 に入 り(中略 )改 めようとしなかった」と記 す。 - ^
石炭 集結 列車 は貨物 の密度 が高 く一般 雑貨 列車 に対 してトン当 り走行 抵抗 が小 さいことが判明 、ために牽引 定数 を大 きくすることとなった。 - ^
後 にD50形 単機 で2400t列車 を運転 、戦後 にはD51形 単機 で3000tの試験 が行 われ、2400t列車 が設定 された。 - ^
臼井 茂信 は鉄道 ファン誌 (機関 車 の系譜 図 落穂 集 ・1979年 7月 号 )への寄稿 の中 で、これら4両 の消息 については同年 に供出 されたC50形 (1 - 5) の動 きと絡 めて、改 軌せずに海南 島 に送 られたと推定 している。しかし、北京 市 の中国 鉄道 博物館 に保存 されている KD5-373(標準軌 ) の第 4動輪 の車軸 に 9659 の刻印 が残 っているため、供出 の時点 で改 軌されて直接 大陸 に送 られた可能 性 が高 い[要 出典 ]。 - ^
供出 機 は住山 式 給水 加熱 器 装備 車 が優先 的 に出 されているが、これは住山 式 加熱 器 が載 る炭水車 が長 軸 であり、標準軌 改造 に即応 可能 だったためである[4]。 - ^
改造 で誕生 した60台 形式 はどれも余剰 車 の有効 活用 に重 きが置 かれたもので、9600形 など老朽 化 した蒸 機 の代替 要素 も含 んでいた。軽 軸 重 のD形 テンダー機 は、余剰 となったD50形 の従 台車 を2軸 に換 え、軸 重 を軽減 したD60形 で賄 われたが、機関 車 単体 で20トン以上 重 くなったうえに横 圧 も強 く、入線 にあたり多 くの路線 で軌道 のタイプレート補強 を課 されるなどの制約 も多 かった。その後 のD61形 は、ベースとなったD51の需要 が高 く余剰 機 がほとんど出 なかったことから、わずか6両 で計画 そのものが中止 されている。 - ^ この
用途 で唯一 の新 設計 となったC58形 も、旅客機 と貨物 機 の中庸 を狙 ったあまり、やや非力 で、重量 列車 や入 換 で無理 の利 く本 形式 を置 き換 えるには至 らなかった。 - ^
結果 的 に、改造 機 では適切 な代替 機種 が誕生 しなかったことや、低 規格 線区 に合 わせた小柄 で強力 な蒸気 機関 車 の新規 開発 は全 く行 われなかったことで、ディーゼル機関 車 のDE10形 登場 まで、大正 生 まれの本 形式 が蒸気 機関 車 運用 末期 まで使用 された。もっとも本 機 でも空転 する急 勾配 ロ ーカル線 も存在 し、そのような線区 には「絶対 に空転 しない機関 車 」といわれていた兄弟 機 の8620形 蒸気 機関 車 が配備 された。
出典
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筑豊線 保存 SL、せんべい工場 へ -西日本 新聞 ・2020年 2月 10日 - ^
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参考 文献
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鉄道 ピクトリアル」- 1962
年 3月 臨時 増刊 (No.128)私鉄 車両 めぐり第 2分冊 - 1965
年 9月 号 (No.175) 9600形 機関 車 特集
- 1962
- 髙木
宏之 「国鉄 蒸気 機関 車 史 」2015年 、ネコ・パブリッシング刊
外部 リンク
[三菱 大 夕張 鉄道 の9600形 (動画 )雪 の米 坂 線 走 れ!!9600 -科学 映像 館 - 29673
大正天皇 霊柩 列車 試運転 写真 『大正天皇 大喪 記録 . 〔本編 〕』(国立 国会図書館 デジタルコレクション)