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国鉄こくてつ9600かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄こくてつ9600かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ
保存機の9633 (2001年、梅小路蒸気機関車館)
保存ほぞんの9633
(2001ねん梅小路うめこうじ蒸気じょうき機関きかんしゃかん
基本きほん情報じょうほう
運用うんようしゃ 鉄道てつどういん日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう
製造せいぞうしょ 川崎かわさき造船ぞうせんしょ川崎かわさき車輛しゃりょう汽車きしゃ製造せいぞう国鉄こくてつ小倉こくら工場こうじょう
製造せいぞうねん 1913ねん - 1926ねん
製造せいぞうすう 770りょう
引退いんたい 1976ねん3がつ2にち
愛称あいしょう キューロク、クンロク
主要しゅようしょもと
じく配置はいち 1D
軌間きかん 1,067 mm
全長ぜんちょう 16,551 mm
ぜんこう 3,813 mm
機関きかんしゃ重量じゅうりょう 59.82 t
動輪どうりんじょう重量じゅうりょう 52.73 t
そう重量じゅうりょう 94.32 t
固定こていじく 4,572 mm
さきみち 840 mm
動輪どうりんみち 1,250 mm[ちゅう 1]
シリンダすう 単式たんしき2気筒きとう
シリンダ
直径ちょっけい×行程こうてい
510 mm × 610 mm
べん装置そうち ワルシャートしき
ボイラー圧力あつりょく 12.7 kg/cm2 (1.245 MPa; 180.6 psi)
だい煙管きせる
直径ちょっけい×ながさ×かず
133 mm×4039 mm×22ほん
しょう煙管きせる
直径ちょっけい×ながさ×かず
51 mm×4039 mm×126ほん
格子こうし面積めんせき 2.32 m2
ぜんつてねつ面積めんせき 153.6 m2
過熱かねつでんねつ面積めんせき 35.2 m2
煙管きせる蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき 108.4 m2
しつ蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき 10.0 m2
燃料ねんりょう 石炭せきたん
燃料ねんりょう搭載とうさいりょう 6.00 t
みずタンク容量ようりょう 13.00 m3
制動せいどう装置そうち 真空しんくうブレーキ自動じどう空気くうきブレーキ
最高さいこう速度そくど 75 km/h
出力しゅつりょく 870PS
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形式けいしき (9600 - 9617)
形式けいしき (9618 - )

国鉄こくてつ9600かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ(こくてつ9600がたじょうききかんしゃ)は、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ)の前身ぜんしんである鉄道てつどういん1913ねん大正たいしょう2ねん)から製造せいぞうした、日本にっぽんはじめての本格ほんかくてき国産こくさん貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんようテンダーしき蒸気じょうき機関きかんしゃで、誕生たんじょう当時とうじ正式せいしきめいは「鉄道てつどういんだいきゅうろく00ごう形式けいしき機関きかんしゃ」であった[1]。「キューロク」、「クンロク」あるいは「やま親爺おやじ」と愛称あいしょうされ、四国しこくのぞ日本にっぽん全国ぜんこくなが使用しようされた。国鉄こくてつにおいて最後さいごまで稼動かどうした蒸気じょうき機関きかんしゃともなった、長命ちょうめい形式けいしきである。

9600がたという形式けいしきは、1912ねんに12りょう試作しさくされた2-8-0 (1D) がた過熱かねつしきテンダー機関きかんしゃ最初さいしょ使用しよう (9600 - 9611) したが、ほん形式けいしき形式けいしきわたすため、落成らくせいわずか3かげつ9580かたち (9580 - 9591) にあらためられた。したがって、ほん形式けいしきは9600がたの2代目だいめである。

概要がいよう

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ほん形式けいしきは、1913ねん大正たいしょう2ねん)3がつ先行せんこう製作せいさくされたじく配置はいち2-8-0 (1D) がた過熱かねつしきテンダー機関きかんしゃ初代しょだい9600がた(9580かたち)の欠点けってん改良かいりょうすべく設計せっけいされたものである。2-8-0は、当時とうじはちりん連結れんけつじゅうりんテンダー機関きかんしゃ」としょうし、アメリカではコンソリデューションタイプと名付なづけられ、貨物かもつ列車れっしゃ勾配こうばいせんようとしてひろ採用さいようされていた[1]

明治めいじ末期まっき大型おおがた輸入ゆにゅう設計せっけい参考さんこうにし、独創どくそうてき発想はっそう日本にっぽん国情こくじょうによく合致がっちする性能せいのう機関きかんしゃとなった。狭軌きょうき鉄道てつどう機関きかんしゃとしては従来じゅうらい搭載とうさい不可能ふかのうかんがえられてきた巨大きょだいボイラーを、たいわくうえしつせてしまうことで搭載とうさい可能かのうとした。そのため出力しゅつりょくがったが、ボイラー中心ちゅうしんたかさは当時とうじ狭軌きょうきよう蒸気じょうき機関きかんしゃ最高さいこうの2,591mmとなり[ちゅう 2]重心じゅうしん位置いち非常ひじょうたかく、しょうみち動輪どうりんもあって常用じょうよう最高さいこう速度そくどは65km/h高速こうそく走行そうこう苦手にがてであった。

このような構造こうぞう採用さいようすれば、重心じゅうしん位置いちたかくなるのは設計せっけい段階だんかいからあきらかであったが、あえてこの構造こうぞう採用さいようしたのは、同様どうよう構造こうぞう採用さいようしていたプロイセン王国おうこく当時とうじ)・ボルジッヒしゃせい8850かたち使用しよう成績せいせき良好りょうこうで、さらに同社どうしゃ確信かくしんある提言ていげんがあったからにならない。実際じっさい、9600がた使用しようじょう、それが問題もんだいになることはなかった。

設計せっけい当初とうしょは8850がたのように圧延あつえん鋼板こうはんいたぼうだいわく採用さいようする予定よていであったが、国内こくないでは製造せいぞうすることができず、やむなく従来じゅうらいどおりの軟鋼なんこういたせいいただいわくしきとなった。初期しょき製造せいぞうしゃでは、ピストンバルブをシュミットしゃから輸入ゆにゅうし、じくバネも川崎かわさき造船ぞうせんしょ輸入ゆにゅうした貯蔵ちょぞうひん使用しようしたため、厳密げんみつにいうと標榜ひょうぼうしたようなじゅん国産こくさんとはいかなかったが、9618号機ごうき以降いこう看板かんばんどおりのじゅん国産こくさんとなり、設計せっけい変更へんこうされた。外観がいかんじょう運転うんてんだい下部かぶのラインが、S字形じけい屈曲くっきょくからおつ字形じけい屈曲くっきょく変更へんこうされたのが目立めだ[ちゅう 3]

9600がた特徴とくちょうとしては、左右さゆう動輪どうりんのクランクピンの位相いそうが、通常つうじょうみぎ先行せんこうがたたいし、ぎゃくひだり先行せんこうがたとなっていることがあげられる。これは、動輪どうりん釣合つりあいおもり位置いちをプロイセンせい機関きかんしゃならって、回転かいてんじくふく平面へいめん動輪どうりん全体ぜんたい回転かいてん質量しつりょうのバランスをるクロスバランシングをれ、クランクピンから180°の位置いちからわずかにずらす設計せっけい変更へんこうおこなったさいに、みぎ先行せんこう場合ばあいうしろに、ひだり先行せんこう場合ばあいまえにずらすのを設計せっけいしゃ太田おおた吉松きちまつ(おおたきちまつ)がぎゃくきに間違まちがえ、それが当時とうじ車両しゃりょう局長きょくちょう朝倉あさくら希一きいちをも素通すどおりしてしまったのが原因げんいんである。つまり、本来ほんらいみぎ先行せんこう設計せっけいされたものが、釣合つりあいおもりのずらしかた間違まちがえたのを救済きゅうさいするために左右さゆう動輪どうりん位相いそうぎゃくにセットし、ひだり先行せんこうがたとしてかされたというのが真相しんそうである。製造せいぞうは、この異例いれい構造こうぞうのまま770りょうぜん製造せいぞうすうは828りょう)までつづいたが、設計せっけい変更へんこうがなされないままでの生産せいさん続行ぞっこう理由りゆう判明はんめいしていない。当時とうじ日本にっぽん基礎きそ技術ぎじゅつりょくひくく、経済けいざいてきにもめぐまれた状況じょうきょうではなかったため、容易ようい設計せっけい変更へんこうにはれなかったと推測すいそくされる[よう出典しゅってん][ちゅう 4][ちゅう 5]のちに、朝倉あさくら左足ひだりあしからすすめるというので「武士ぶしどう機関きかんしゃ」と名付なづけている[ちゅう 6]

また、製造せいぞう当時とうじ標準軌ひょうじゅんきへのあらため構想こうそうがあったため、標準軌ひょうじゅんきへの改造かいぞう考慮こうりょした設計せっけいがされていたというのが通説つうせつであるが、朝倉あさくらしま秀雄ひでおはこれを明確めいかく否定ひていしている。「満州まんしゅう事変じへんなか内密ないみつ指令しれいがあったとき、じくもりばこと担バネをたいわく外側そとがわうつせば、たいわくをくずさずにすむ簡単かんたん方法ほうほう偶然ぐうぜん発見はっけんした。これはささえ事変じへんまでせてあり、実施じっしのとき役立やくだった。」と2人ふたり自伝じでんちゅうべている。蒸気じょうき機関きかんしゃ研究けんきゅう臼井うすい茂信しげのぶはこれについて、広軌こうき改築かいちくろん偏執へんしゅうてきみみにしていたはら設計せっけいしゃ太田おおたがここぞの「かく設計せっけい」としてむねさんすんおさめていたのではないかとも指摘してきしているが真相しんそう不明ふめいである。

なお、9600かたちは、1918ねん大正たいしょう7ねん)に石炭せきたん満載まんさいした10トン貨車かしゃ75りょう牽引けんいんして北海道ほっかいどう室蘭本線むろらんほんせん走行そうこうした。これは日本にっぽん蒸気じょうき機関きかんしゃもっとおおくの車両しゃりょう連結れんけつした記録きろくである[3]

9600 - 9617のテンダーについて

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一般いっぱんてきな9600がたのテンダー(炭水車たんすいしゃ)は、台車だいしゃが3じく固定こていしきみずタンク13m3燃料ねんりょう6t積載せきさいのものであるが、最初さいしょ製造せいぞうされた9600 - 9617の18りょうについては、小型こがたみずタンク9m3燃料ねんりょう2.5tで2じく固定こてい式台しきだいしゃであった。これは、東海道とうかいどう本線ほんせん当時とうじ山北やまきた - 御殿場ごてんばあいだ沼津ぬまづ - 御殿場ごてんばあいだ箱根はこね区間くかん推進すいしん補助ほじょ機関きかんしゃようとして設計せっけいされたためである。しかし、予定よていどおり箱根はこねよう配置はいちされたのは9610 - 9617の8りょうのみで、9600 - 9609の10りょう神戸こうべ鉄道てつどうきょく配置はいちされた。その製造せいぞうされた9600かたち前述ぜんじゅつのように3じくテンダーとして石炭せきたんみず積載せきさいりょう増加ぞうかしたため、2じく小型こがたテンダーでは、べつ運用うんようまねばならないなど、運用うんよう不都合ふつごうしょうじるようになっていた。

しばらくのあいだは、そのままでしのいでいたものの、1923ねん大正たいしょう12ねん2がつから3がつにかけ、鷹取たかとり工場こうじょうで9600 - 9605の6りょうについて標準ひょうじゅんタイプのテンダーと交換こうかんされた。そのとき余剰よじょうとなった2じくテンダー2りょうは、どう時期じき鷹取たかとり工場こうじょうてられていたロータリーしきゆきかきしゃユキ300がたキ600かたち)2りょう連結れんけつされたが、後年こうねん不足ふそくしょうじてだい容量ようりょうのテンダーに交換こうかんされたという。のこりの4両分りょうぶんについては、水運すいうんしゃミ160かたちとなった。

のこりの12りょうについても、つづいて交換こうかん計画けいかくされていたようであるが、これらについては1925年度ねんどまでずれんだ。このおくれは、1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ1にち発生はっせいした関東大震災かんとうだいしんさいによるものと推定すいていされている。つまり、それどころではなくなった、ということである。これらの改造かいぞう交換こうかん)については、テンダーをしんせいせず、既存きそん6700かたちのテンダーとのえによって実施じっしされた。テンダーを供出きょうしゅつしたのは、6704 - 6708, 6728 - 6734であったが、そのの6700かたち/B50かたち同士どうしのテンダー交換こうかんによってみだれをしょうじている。

また、9608は戦前せんぜん、2じくボギーしきテンダーを連結れんけつしていたことがられており、テンダーの交換こうかん振替ふりかえ長期間ちょうきかんかつ広範囲こうはんいおこなわれていたことが推測すいそくされる[よう出典しゅってん]

製造せいぞう

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メーカーは大半たいはん川崎かわさき造船ぞうせんしょ(686りょう)だが、汽車きしゃ製造せいぞう(69りょう)、鉄道てつどういん小倉おぐら工場こうじょう(15りょう)で製造せいぞうされたものもある。1913ねん大正たいしょう2ねん)を製造せいぞう初年しょねんとし、1926ねん大正たいしょう15ねん)までのあいだに770りょう9600 - 79669。ただし、ひゃくへのがりはまん表示ひょうじされ、数字すうじてきには連続れんぞくしていない。づけばんほうについては後述こうじゅつ)が量産りょうさんされた。このほかに三菱みつびしだい夕張ゆうばり鉄道てつどう夕張ゆうばり鉄道てつどう美唄びばい鉄道てつどう自社じしゃ発注はっちゅうや、樺太からふとちょう鉄道てつどう台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどうけなどに断続だんぞくてき同形どうけい生産せいさんされ、最終さいしゅう製造せいぞうねんじつ1941ねん昭和しょうわ16ねん)である。樺太からふとちょう鉄道てつどう納入のうにゅうされた同形どうけい5りょう (D501 - 5) は、1943ねん昭和しょうわ18ねん)のみなみ樺太からふと内地ないち編入へんにゅうにともない鉄道てつどうしょうせきとなり、79670 - 79674に、樺太からふと鉄道てつどうけに製造せいぞうされた細部さいぶことなるじゅん同形どうけい80かたち9りょう (80 - 88) も、樺太からふとちょう鉄道てつどう79680 - 79688(79675 - 79679は欠番けつばん)となっている。樺太からふとけの14りょう鉄道てつどうしょうとしての製造せいぞうりょうかずふくめ、製造せいぞうりょうかずを784りょう記載きさいしている文献ぶんけんもある。

製造せいぞう年度ねんどごとの番号ばんごうりょうかずつぎのとおり。

  • 1913年度ねんど(18りょう
  • 1914年度ねんど(40りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(40りょう):9618 - 9657(製造せいぞう番号ばんごう127 - 166)
  • 1915年度ねんど(30りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(30りょう):9658 - 9687(製造せいぞう番号ばんごう167, 196 - 226)
  • 1916年度ねんど(30りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(30りょう):9688 - 9699, 19600 - 19617(製造せいぞう番号ばんごう253 - 282)
  • 1917年度ねんど(60りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(54りょう):19618 - 19671(製造せいぞう番号ばんごう292 - 296, 313 - 361)
    • 小倉おぐら工場こうじょう(6りょう):29638 - 29643(製造せいぞう番号ばんごう1 - 6)
  • 1918年度ねんど(98りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(59りょう):19672 - 19682, 29613 - 29637, 29653 - 29675(製造せいぞう番号ばんごう362 - 397, 421 - 443)
    • 汽車きしゃ製造せいぞう(30りょう):19683 - 19699, 29600 - 29612(製造せいぞう番号ばんごう280 - 289, 297 - 316)
    • 小倉おぐら工場こうじょう(9りょう):29644 - 29652(製造せいぞう番号ばんごう7 - 15)
  • 1919年度ねんど(126りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(111りょう):29676 - 29699, 39600 - 39612, 39628 - 39699, 49600, 49601(製造せいぞう番号ばんごう444 - 554)
    • 汽車きしゃ製造せいぞう(15りょう):39613 - 39627(製造せいぞう番号ばんごう359 - 373)
  • 1920年度ねんど(73りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(73りょう):49602 - 49674(製造せいぞう番号ばんごう555 - 627)
  • 1921年度ねんど(90りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(90りょう):49675 - 49699, 59600 - 59664(製造せいぞう番号ばんごう674 - 766)
  • 1922年度ねんど(101りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(101りょう):59665 - 59699, 69600 - 69665(製造せいぞう番号ばんごう767 - 867)
  • 1923年度ねんど(88りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(68りょう):69666 - 69699, 79600 - 79633(製造せいぞう番号ばんごう906 - 981, 1041 - 1044)
    • 汽車きしゃ製造せいぞう(20りょう):79638 - 79657(製造せいぞう番号ばんごう788 - 807)
  • 1924年度ねんど(4りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(4りょう):79634 - 79637(製造せいぞう番号ばんごう1045 - 1048)
  • 1925年度ねんど(12りょう
    • 川崎かわさき造船ぞうせんしょ(8りょう):79658 - 79665(製造せいぞう番号ばんごう1093 - 1100)
    • 汽車きしゃ製造せいぞう(4りょう):79666 - 79669(製造せいぞう番号ばんごう866 - 869)


樺太からふと鉄道てつどう80かたち

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80かたちは、樺太からふと鉄道てつどう納入のうにゅうされた鉄道てつどうしょう9600がたじゅん同形どうけいしゃで、9りょう全車ぜんしゃ汽車きしゃ製造せいぞうしんせいされた。ボイラー容量ようりょうがややちいさく、テンダーは2じくボギー台車だいしゃを2ついており、運転うんてんだい耐寒たいかん構造こうぞう密閉みっぺいしきとなっており、当初とうしょからじょけむりばん装備そうびしているのが鉄道てつどうしょうのものとことなっている。また、樺太からふと鉄道てつどう仕様しようとして、自動じどう連結れんけつ取付とりつけ位置いちひくい。樺太からふとちょう鉄道てつどう買収ばいしゅうされたのち、1943ねん鉄道てつどうしょう編入へんにゅうされ、79680 - 79688となった。

  • 1928ねん(4りょう):樺太からふと鉄道てつどう80 - 83 → 樺太からふとちょう鉄道てつどう80 - 83 → 鉄道てつどうしょう79680 - 79683(製造せいぞう番号ばんごう1019 - 1022)
  • 1930ねん(1りょう):樺太からふと鉄道てつどう84 → 樺太からふとちょう鉄道てつどう84 → 鉄道てつどうしょう79684(製造せいぞう番号ばんごう1140)
  • 1935ねん(3りょう):樺太からふと鉄道てつどう85 - 87 → 樺太からふとちょう鉄道てつどう85 - 87 → 鉄道てつどうしょう79685 - 79687(製造せいぞう番号ばんごう1265 - 1267)
  • 1936ねん(1りょう):樺太からふと鉄道てつどう88 → 樺太からふとちょう鉄道てつどう88 → 鉄道てつどうしょう79688(製造せいぞう番号ばんごう1392)


樺太からふとちょう鉄道てつどうD50かたち

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D50かたちは、樺太からふとちょう鉄道てつどう納入のうにゅうされた鉄道てつどうしょう9600がた同形どうけいしゃで、5りょう製造せいぞうされた。煙突えんとつ前側まえがわ給水きゅうすい加熱かねつ装備そうびしている。運転うんてんだい耐寒たいかん構造こうぞう密閉みっぺいがた連結れんけつ取付とりつたかさがひくいのは、80かたち同様どうようである。1943ねん鉄道てつどうしょう編入へんにゅうされ、79670 - 79674となった。

  • 1936ねん樺太からふとちょう鉄道てつどうD501 → 9600 → 鉄道てつどうしょう79670(川崎かわさき車輛しゃりょう製造せいぞう番号ばんごう1642)
  • 1937ねん樺太からふとちょう鉄道てつどうD502 → 9601 → 鉄道てつどうしょう79671(日立製作所ひたちせいさくしょ製造せいぞう番号ばんごう780)
  • 1938ねん樺太からふとちょう鉄道てつどうD503 → 9602 → 鉄道てつどうしょう79672(川崎かわさき車輛しゃりょう製造せいぞう番号ばんごう1908)
  • 1940ねん樺太からふとちょう鉄道てつどうD504 → 9603 → 鉄道てつどうしょう79673(川崎かわさき車輛しゃりょう製造せいぞう番号ばんごう2275)
  • 1940ねん樺太からふとちょう鉄道てつどうD505 → 9604 → 鉄道てつどうしょう79674(川崎かわさき車輛しゃりょう製造せいぞう番号ばんごう2276)


台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう800かたち

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800かたちは、台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう納入のうにゅうされた鉄道てつどうしょう9600がた同形どうけいしゃで、1923ねん大正たいしょう12ねん)から1939ねん昭和しょうわ14ねん)にかけて、39りょう (800 - 838) が製造せいぞうされた。こちらは、鉄道てつどうしょうせき編入へんにゅうされたことはない。1937ねんD98かたちあらためられたが、番号ばんごう変更へんこうされなかった。太平洋戦争たいへいようせんそうにこれらをいだ台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくでは、DT580かたち (DT581 - 618) とあらためられた。戦後せんごには、廃車はいしゃ部品ぶひんわせて1りょう (DT619) が再製さいせいされている。

台湾たいわんの「9600かたち」について特筆とくひつすべきは、ほん形式けいしき先立さきだつ1920ねん大正たいしょう9ねん)にアメリカン・ロコモティブ(アルコ)しゃスケネクタディ工場こうじょうで、同系どうけい600かたち)が製造せいぞうされていることで、14りょう (600 - 613) が輸入ゆにゅうされている。原型げんけいいただいわくぼうだいわく変更へんこうし、格子こうし面積めんせき増大ぞうだいされており、心地ごこちとうずみたのしさは、ほん形式けいしきまさっていたという。細部さいぶ設計せっけいもアメリカナイズされていたが、はら設計せっけい日本にっぽんおこなった機関きかんしゃアメリカ製造せいぞうした唯一ゆいいつれいである。

  • 1923ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう800 - 802 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT581 - DT583(3りょう川崎かわさき造船ぞうせんしょ製造せいぞう番号ばんごう868 - 870)
  • 1924ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう803 - 806 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT584 - DT587(4りょう汽車きしゃ製造せいぞう製造せいぞう番号ばんごう741 - 744)
  • 1925ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう807 - 810 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT588 - DT591(4りょう川崎かわさき造船ぞうせんしょ製造せいぞう番号ばんごう1068 - 1071)
  • 1926ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう811 - 815 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT592 - DT596(5りょう川崎かわさき造船ぞうせんしょ製造せいぞう番号ばんごう1150 - 1154)
  • 1927ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう816 - 820 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT597 - DT601(5りょう日立製作所ひたちせいさくしょ製造せいぞう番号ばんごう257 - 261)
  • 1928ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう821 - 824 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT602 - DT605(4りょう川崎かわさき車輛しゃりょう製造せいぞう番号ばんごう1273 - 1276)
  • 1929ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう825 - 829 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT606 - DT610(5りょう汽車きしゃ製造せいぞう製造せいぞう番号ばんごう1098 - 1102)
  • 1930ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう830 - 833 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT611 - DT613(4りょう日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう製造せいぞう番号ばんごう241 - 244、831は戦災せんさい廃車はいしゃ
  • 1937ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう834 - 835 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT614 - DT615(2りょう日立製作所ひたちせいさくしょ製造せいぞう番号ばんごう808 - 809)
  • 1939ねん台湾たいわん総督そうとく鉄道てつどう836 - 838 → 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT616 - DT618(3りょう三菱みつびし造船ぞうせんしょ
  • 台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょくDT619(廃車はいしゃした車両しゃりょう部品ぶひんわせにより再製さいせいしたもの)


私鉄してつ同形どうけい

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9600かたちは、北海道ほっかいどう炭鉱たんこう鉄道てつどう中心ちゅうしん同形どうけい製造せいぞうされている。これは、じくじゅうかるわり牽引けんいんりょくおおきいというほん形式けいしき特徴とくちょうが、炭鉱たんこう鉄道てつどう要求ようきゅう合致がっちしたものといえよう。後述こうじゅつ払下はらいさとともに石炭せきたん輸送ゆそう従事じゅうじした。

  • 三菱みつびし鉱業こうぎょうだい夕張ゆうばり鉄道てつどう
    • 1937ねん昭和しょうわ12ねん)8がつNo.3製造せいぞう番号ばんごう876)、1941ねん1がつNo.4製造せいぞう番号ばんごう1300)がいずれも日立製作所ひたちせいさくしょしんせいされた。この機関きかんしゃぎゃくてきするよう、C56かたちた、炭庫たんこ側部そくぶけずり、そのはしひくくしたスロープがたテンダーを装備そうびしている。No.4は、当初とうしょから美唄びばい鉄道てつどうわたされていたが、1947ねん昭和しょうわ22ねん12月だい夕張ゆうばり鉄道てつどうもどった。
    • 1959ねん昭和しょうわ34ねん)から1960ねん昭和しょうわ35ねん)にかけて、美唄びばい鉄道てつどうの5がわたされてNo.15として使用しようされ、1969ねん昭和しょうわ44ねん)10がつ同機どうき転入てんにゅうしてNo.2となった。No.2とNo.4は1974ねん昭和しょうわ49ねん)1がつ、No.3は同年どうねん3がつ廃車はいしゃとなった。
  • 三菱みつびし鉱業こうぎょう美唄びばい鉄道てつどう
    • 前述ぜんじゅつのように、1941ねん昭和しょうわ16ねん日立製作所ひたちせいさくしょせいNo.4借入かりいれられたが、1947ねん昭和しょうわ22ねん)にだい夕張ゆうばり鉄道てつどうもどっている。また、1940ねん昭和しょうわ15ねん川崎かわさき車輛しゃりょうせいの5(製造せいぞう番号ばんごう2393)が三菱みつびし石炭せきたんあぶら工業こうぎょうから転入てんにゅうしているが、1974ねん昭和しょうわ49ねん)にだい夕張ゆうばり鉄道てつどう廃車はいしゃとなった。
  • 三菱みつびし石炭せきたんあぶら工業こうぎょう樺太からふとほんぐんないほろむら
    • 1940ねん昭和しょうわ15ねん)に2りょう (21, 22) が川崎かわさき車輛しゃりょう製造せいぞうされた。1りょう(22。製造せいぞう番号ばんごう2393)は、美唄びばい鉄道てつどううつって5となっている。21のソ連それん接収せっしゅう消息しょうそく不明ふめい
  • 夕張ゆうばり鉄道てつどう
    • 開業かいぎょう以降いこう9600がた縮小しゅくしょうばんである11かたち使用しようしてきた夕張ゆうばり鉄道てつどうには、1941ねん昭和しょうわ16ねん)7がつ川崎かわさき車輛しゃりょうせいの1りょう21製造せいぞう番号ばんごう2530)が入線にゅうせんしている。この機関きかんしゃが、9600けい蒸気じょうき機関きかんしゃ最終さいしゅう製造せいぞうしゃである。1975ねん夕張ゆうばり鉄道てつどう廃止はいしまで在籍ざいせきし、どう鉄道てつどう一部いちぶいだ専用せんようせんおこなわれた、映画えいが新幹線しんかんせんだい爆破ばくは』の撮影さつえいでSL+貨車かしゃ+DLの推進すいしん運転うんてんでの爆破ばくはシーンに登場とうじょう。その整備せいびされ栗山くりやままち保存ほぞんされた。

運用うんよう

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標準軌ひょうじゅんきじょう運用うんようちゅう供出きょうしゅつ
" 79632 " の番号ばんごう判読はんどくできる
杭州こうしゅう - 上海しゃんはいあいだ、1938ねん4がつ17にち

製造せいぞう当初とうしょ東海道本線とうかいどうほんせんなどの幹線かんせんでももちいられたが、より牽引けんいんりょくつよD50かたち1923ねん大正たいしょう12ねん)に、またD51かたち1936ねん昭和しょうわ11ねん)に出現しゅつげんすると主要しゅよう幹線かんせんわれ全国ぜんこく各地かくち幹線かんせん支線しせん分散ぶんさんした。1929ねん昭和しょうわ4ねん)に30t石炭せきたんしゃ走行そうこう抵抗ていこう測定そくてい[ちゅう 7]したうえで、1930ねん昭和しょうわ5ねん)に室蘭本線むろらんほんせんうんずみ列車れっしゃ単機たんき牽引けんいんの2000t列車れっしゃ設定せっていされた[ちゅう 8]

出力しゅつりょくわりにはじくじゅうかる運用うんよう線区せんくえらばないのが特長とくちょうで、このため1937ねん昭和しょうわ12ねん)ににちちゅう戦争せんそうはじまると、陸軍りくぐん要請ようせいにより、鉄道てつどうしょう工場こうじょう標準軌ひょうじゅんきあらため軌のうえ中国ちゅうごくおくられた。改造かいぞう1938ねん昭和しょうわ13ねん)2がつから1939ねん昭和しょうわ14ねん)4がつにかけて6にわたっておこなわれ、じつほん形式けいしきそうりょうかずの3ぶんの1じゃくにあたる251りょう供出きょうしゅつされている。詳細しょうさい不明ふめいであるが、150りょう華北かほく交通こうつうソリホがた (1501 -)、のこりの一部いちぶ華中かちゅう鉄道てつどうソリロがたしょうしたとされる。戦後せんご華中かちゅう鉄道てつどうから中華民国ちゅうかみんこくがれたのは、80りょうであった。そのうちの10りょう華北かほく交通こうつうされており、これら以外いがいについては、日本にっぽん陸軍りくぐん管理かんりした線区せんく使用しようされていたと推定すいていされている。

さらに1941ねん昭和しょうわ16ねん)に4りょう (9620, 9622, 9639, 9659) が廃車はいしゃとなっているが、これらもあらため軌のうえ中国ちゅうごくおくられたものとおもわれる[ちゅう 9]。また、1944ねん昭和しょうわ19ねん)には、6りょう (29619, 29655, 59660, 59677, 69626, 69687) が輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうのため樺太からふと鉄道てつどうきょく転属てんぞくした。いずれも日本にっぽん太平洋戦争たいへいようせんそう敗戦はいせんとともに中国ちゅうごくおよびソ連それん接収せっしゅうされ、帰還きかんしたものは1りょうもない。中国ちゅうごく接収せっしゅうされたものはKD5がた改称かいしょうされ、さらに一部いちぶは1,000mm軌間きかんあらため軌されKD55がたとなった。KD55がたこんあきら鉄路てつろきょくむべりょうつとむだん機関きかん)に配属はいぞくされベトナム国境こっきょうつづこんかわせんにて1980年代ねんだいまで運用うんようされていた。

ほん形式けいしきで、ぐん供出きょうしゅつされたもの(昭和しょうわ16ねん廃車はいしゃぶんのぞく)の番号ばんごうつぎのとおりである[ちゅう 10]

  • 9600 - 9605, 9609, 9611, 9618, 9623, 9635, 9650 - 9653, 9655, 9656, 9664, 9668, 9669, 9671 - 9676, 9679, 9683, 9689, 9690, 9692(31りょう
  • 19618, 19621, 19623 - 19625, 19628, 19631, 19632, 19635, 19637, 19639, 19641 - 19644, 19646, 19657, 19658, 19677, 19679, 19681, 19682, 19685, 19689, 19693, 19694 , 19698, 19699(28りょう
  • 29606, 29610, 29616, 29624, 29632, 29637, 29640, 29644, 29646 - 29650, 29653, 29658, 29662 - 29667, 29671 - 29673, 29677 - 29679, 29684, 29686, 29693(30りょう
  • 39603, 39604, 39606 - 39608, 39610, 39611, 39613, 39614, 39622, 39633, 39643 - 39646, 39648 - 39652, 39657, 39660, 39665, 39666, 39675, 39676, 39678, 39684, 39691, 39693, 39698(31りょう
  • 49609, 49611, 49614, 49623 - 49625, 49628 - 49630, 49633, 49646, 49647, 49661, 49667 ,49668, 49677, 49680, 49682 - 49684, 49689, 49697(22りょう
  • 59605, 59606, 59608, 59620 - 59625, 59628, 59629, 59631, 59633, 59637 - 59646, 59649, 59651, 59662, 59664 - 59668, 59671, 59673, 59675, 59676, 59678, 59682, 59685 - 59687, 59697 - 59699(43りょう
  • 69604 - 69606, 69609, 69611, 69612, 69617, 69631, 69639, 69641, 69643, 49645, 69647, 69651, 69654, 69655, 69662, 69666, 69668, 69669, 69671, 69672, 69674 - 69676, 69679, 69681, 69682, 69688, 69691, 69695 - 69698(34りょう
  • 79603, 79612, 79614, 79621 - 79623, 79625, 7962, 79628 - 79632, 79634, 79636, 79637, 79640, 79641, 79644 - 79651, 79654 - 79656, 79660, 79662, 79663(32りょう

華中かちゅう華北かほく供出きょうしゅつ特別とくべつ廃車はいしゃ年月としつきべつりょうかずつぎのとおり

  • だい1:1938ねん2がつ - 100りょう
  • だい2:1938ねん3がつ - 2りょう
  • だい3:1938ねん5がつ - 43りょう
  • だい4:1938ねん8がつ - 35りょう
  • だい5:1938ねん9がつ - 40りょう
  • だい6:1939ねん4がつ - 31りょう

戦後せんご北海道ほっかいどう九州きゅうしゅう石炭せきたん輸送ゆそう路線ろせんや、米坂線よねさかせん宮津線みやづせんなど、貨物かもつ輸送ゆそうりょうおおかったりきゅう勾配こうばいかかえていたりするにもかかわらず、路盤ろばんよわ路線ろせん中心ちゅうしん使用しようされた。特筆とくひつすべきてんとして室蘭本線むろらんほんせんにて牽引けんいんりょくテストがおこなわれたさい、3000トンのちょう重量じゅうりょう列車れっしゃしに成功せいこうしたことがげられる。使つか勝手がってさ、レールへの粘着ねんちゃくりょく列車れっしゃ牽引けんいんりょくにおいて決定的けっていてき代替だいたい能力のうりょくゆうする機関きかんしゃがなかなか開発かいはつされなかったため[ちゅう 11][ちゅう 12][ちゅう 13]ふる形式けいしきでありながら蒸気じょうき機関きかんしゃ運用うんよう末期まっきまでのこった。

歴史れきしながいだけにその形態けいたい変化へんかんでいる。キャブすそまど形状けいじょう自動じどう連結れんけつへの改造かいぞう工事こうじあとのバッファーあなや、空気くうき制動せいどうへの改造かいぞうによるエアータンクの位置いちなど、個体こたいごとの変化へんかおおい。さらに四国しこくのぞく、北海道ほっかいどうから九州きゅうしゅうまですうおおくの機関きかん所属しょぞく。これらの地域ちいき事情じじょう適合てきごうさせるために様々さまざま改良かいりょう改造かいぞうおこなわれた。テンダーの形状けいじょうデフレクター有無うむ形状けいじょう煙突えんとつ蒸気じょうきドームの形状けいじょうたかさ、ぜんあきらとう増設ぞうせつなど、そのスタイルはじつにバラエティにんでいる。

最後さいごのこったのは室蘭本線むろらんほんせん追分おいわけえきちかくにあった追分おいわけ機関きかんにゅうかわよう使用しようされていた39679、49648、79602の3りょうで、1976ねん昭和しょうわ51ねん3月2にち最終さいしゅう仕業しわざとなった。そのうち79602は3がつ25にちまでゆう予備よびのこっていた。これを最後さいご国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ保存ほぞんようのぞいてそのすべてが姿すがたした。実働じつどう63ねん最初さいしょ標準ひょうじゅんがた国産こくさん蒸気じょうき機関きかんしゃとして登場とうじょうし、日本にっぽん蒸気じょうき機関きかんしゃ終焉しゅうえん見届みとどけたもっと長命ちょうめい蒸気じょうき機関きかんしゃであった。

こののち39679は、苗穂なえぼ工場こうじょう長期ちょうき留置りゅうちされたものの、保存ほぞんされずに解体かいたいされ、49648は中頓別なかとんべつまち寿ことぶき公園こうえん保存ほぞんされた。また79602も保存ほぞんのため追分おいわけ機関きかん扇形せんけいない保管ほかんされていたが、1976ねん昭和しょうわ51ねん4がつ13にち追分おいわけ機関きかん火災かさいにより焼損しょうそんし、解体かいたいされてしまった。

譲渡じょうと

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三菱みつびしだい夕張ゆうばり鉄道てつどうのNo.8

ほん形式けいしきは、その特性とくせいじょう重量じゅうりょう貨物かもつ列車れっしゃ運転うんてんされる北海道ほっかいどう炭鉱たんこう鉄道てつどう中心ちゅうしん払下はらいさげられた。最初さいしょ1942ねん昭和しょうわ17ねん)に三菱みつびし鉱業こうぎょう美唄びばい鉄道てつどう払下はらいさげられた69603であるが、その1964ねん昭和しょうわ37ねん)までに21りょうが9しゃ払下はらいさげられている。

  • 三菱みつびし鉱業こうぎょう美唄びばい鉄道てつどう(2りょう
    • 69603→6(1942ねん12がつ譲受ゆずりうけ、1945ねん6がつあらためばん。1972ねん廃車はいしゃ静態せいたい保存ほぞん
    • 9616→7(1958ねん7がつ譲受ゆずりうけ、1958ねん9がつあらためばん。1971ねん三菱大夕張炭砿大夕張鉄道に転出てんしゅつ
  • 夕張ゆうばり鉄道てつどう21かたち・7りょう
    • 9682→22(1948ねん8がつ11にち譲受ゆずりうけ、1971ねん廃車はいしゃきたずみ真谷地まやち鉱業こうぎょうしょ譲渡じょうと
    • 9614→23(1956ねん1がつ5にち譲受ゆずりうけ、1970ねん廃車はいしゃ
    • 9645→24(1960ねん10がつ19にち譲受ゆずりうけ、1969ねん廃車はいしゃきたずみ真谷地まやち鉱業こうぎょうしょ譲渡じょうと
    • 49694→25(1961ねん8がつ8にち譲受ゆずりうけ、1975ねん廃止はいしまで在籍ざいせき
    • 29674→26(1962ねん6がつ19にち譲受ゆずりうけ、1975ねん廃止はいしまで在籍ざいせき
    • 49636→27(1963ねん6がつ17にち譲受ゆずりうけ、1975ねん廃止はいしまで在籍ざいせき
    • 49650→28(1964ねん9がつ7にち譲受ゆずりうけ、1975ねん廃止はいしまで在籍ざいせき
  • 天塩てしお炭礦たんこう鉄道てつどう9600かたち・2りょう
    • 9617→3(1949ねん4がつ20日はつか使用しよう開始かいし
    • 49695→9600-3(1959ねん9がつ30にち譲受ゆずりうけ、1950ねん3がつ8にち三菱みつびし芦別あしべつ鉱業こうぎょうしょ専用せんよう鉄道てつどう譲渡じょうと
  • 三井みつい芦別あしべつ鉄道てつどう9600かたち・2りょう
    • 39694→9600-1(1949ねん譲受ゆずりうけ、1960ねん7がつ27にち廃車はいしゃ
    • 59616→9600-2(1952ねん譲受ゆずりうけ、1965ねん5がつ18にち廃車はいしゃ
  • にち炭鉱たんこう天塩てしお砿業こうぎょうしょ専用せんよう鉄道てつどう(4りょう
    • 9615,9643(1949ねん譲受じょうじゅ
    • 19669(1959ねん譲受じょうじゅ
    • 49678(1961ねん
  • 三菱みつびし鉱業こうぎょうだい夕張ゆうばり鉄道てつどう→三菱大夕張炭砿大夕張鉄道(4りょう
    • 39695→No.5(1950ねん6がつ譲受ゆずりうけ、1974ねん3がつ廃車はいしゃ。テンダは9600かたちオリジナルではなく、9600がた原型げんけいとなった9550かたち/9580かたちタイプのもの)
    • 9600-3(きゅう49695)→No.6(1962ねん三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道から転入てんにゅう、1974ねん3がつ廃車はいしゃ
    • 9613→No.7(1963ねん1がつ三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道から転入てんにゅう、1974ねん3がつ廃車はいしゃ
    • 7(きゅう9616)→No.8(1971ねん6がつ美唄びばい鉄道てつどうから転入てんにゅう、1974ねん3がつ廃車はいしゃ
  • 東洋とうようだかあつ北海道ほっかいどう工業こうぎょうしょ専用せんよう鉄道てつどう(1りょう
    • 49640(1951ねん譲受じょうじゅ
  • 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道(2りょう
    • 9613(1955ねん譲受ゆずりうけ、1963ねん1がつ三菱みつびし鉱業こうぎょうだい夕張ゆうばり鉄道てつどう転出てんしゅつ
    • 49695→9600-3(1950ねん3がつ天塩てしお炭礦たんこう鉄道てつどうから譲受ゆずりうけ、1962ねん10がつ三菱みつびし鉱業こうぎょうだい夕張ゆうばり鉄道てつどう譲渡じょうと
  • 陸上りくじょう自衛隊じえいたいだい101建設けんせつたい(1りょう
    • 9677(1961ねん
  • きたずみ真谷地まやち炭鉱たんこう専用せんよう鉄道てつどう(2りょう
    • 22(1971ねん夕張ゆうばり鉄道てつどうから譲受じょうじゅ
    • 24(1969ねん6がつ夕張ゆうばり鉄道てつどうから譲受ゆずりうけ、1977ねん廃車はいしゃ

保存ほぞん

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りょうかずおおく、蒸気じょうき機関きかんしゃさい末期まっきまでのこったことから、静態せいたい保存ほぞん全国ぜんこく各地かくちにある。石炭せきたん貨物かもつ列車れっしゃ使用しようされていたことから北海道ほっかいどう九州きゅうしゅうでの保存ほぞんおおい。くるませきのある動態どうたい保存ほぞんはないが、真岡しんおかえきSLキューロクかんの49671は圧搾あっさく空気くうきによる走行そうこう可能かのうとなっている。

9600かたち保存ほぞん一覧いちらん
画像がぞう 番号ばんごう 所在地しょざいち 備考びこう
49648 北海道ほっかいどう枝幸えさしぐん中頓別なかとんべつまち寿ことぶき64番地ばんち1
寿ことぶき公園こうえん
動態どうたい保存ほぞんのぞ国鉄こくてつ最後さいご蒸気じょうき機関きかんしゃとして追分おいわけ機関きかん使用しようされた3りょうのうち唯一ゆいいつ保存ほぞんされた。北海道ほっかいどうがた切詰きりづめじょけむりばん装備そうび
49678
国鉄こくてつにち炭鉱たんこう天塩てしお鉱業こうぎょうしょ
北海道ほっかいどう天塩てしおぐん豊富とよとみまち
森林しんりん自然しぜん公園こうえん
解体かいたい
2004ねん6がつ解体かいたいされた。
59601 北海道ほっかいどう名寄なよせ緑丘みどりがおか222
名寄なよせ北国きたぐに博物館はくぶつかん
マックレーしきゆきかきしゃキ911、ロータリーしきゆきかきしゃキ604機関きかんしゃD51398車掌しゃしょうしゃヨ4456連結れんけつし「キマロキ編成へんせい」を再現さいげんした状態じょうたい展示てんじされている。2010ねんはいゆき列車れっしゃ「キマロキ」編成へんせいとして、じゅん鉄道てつどう記念きねんぶつ指定していされた。
69644 北海道ほっかいどう紋別もんべつ渚滑しょこつまち3丁目ちょうめ
渚滑しょこつふれあいパークゴルフじょう
きゅう渚滑しょこつえきあと
2004ねん市内しない運動公園うんどうこうえんより移設いせつされた。
39628 北海道ほっかいどう紋別もんべつぐん滝上たきのうえまち元町もとまち
滝上たきのうえまち郷土きょうどかん
ラッセルしき除雪じょせつしゃキ277と連結れんけつ除雪じょせつ列車れっしゃ再現さいげんした状態じょうたい展示てんじされている。
49643 北海道ほっかいどう網走あばしり卯原内うばらない
卯原内うばらない交通こうつう公園こうえん
きゅう卯原内うばらないえきあと
客車きゃくしゃオハ47 508連結れんけつされている。
59683 北海道ほっかいどう斜里しゃりぐん斜里しゃりまち本町ほんまち48
町民ちょうみん公園こうえん
19671 北海道ほっかいどう帯広おびひろ愛国あいこくまち基線きせん
愛国あいこく鉄道てつどう記念きねんかん
きゅう愛国あいこくえきあと
北海道ほっかいどうがた切詰きりづめじょけむりばん装備そうび
59672 北海道ほっかいどう上川かみかわぐん新得しんとくまち新得しんとく
きゅう狩勝線かりかちせん資料しりょうかん
客車きゃくしゃナハネ20 132、ナロネ21 551、ナロネ22 153連結れんけつされている。かつては「かりしょう高原こうげんSLホテル」というSLホテルであったが1990年代ねんだい廃業はいぎょうし、そのNPO法人ほうじんきゅう狩勝線かりかちせんたのしむかい」が整備せいび資料しりょうかんとしてさい活用かつようしている。
59611 北海道ほっかいどう広尾ひろおぐん大樹たいきまち東本ひがしもととおる
かしわりん公園こうえん
49600 北海道ほっかいどう上川かみかわぐん美瑛びえいまち中町なかまち4丁目ちょうめ2
中町なかまち公園こうえん
29638 北海道ほっかいどう旭川あさひかわ神居かむい古潭こたん
古潭こたん公園こうえん
きゅう神居かむい古潭こたんえきあと
北海道ほっかいどうがた切詰きりづめじょけむりばん装備そうび
9645 北海道ほっかいどう深川ふかがわ上多度志かみたどし
個人こじん所有しょゆう
きゅう国鉄こくてつ9645で1960ねん夕張ゆうばり鉄道てつどう譲渡ゆずりわたされたのち1969ねん真谷地まやち炭鉱たんこう転属てんぞく、24ごうとなった。廃車はいしゃは9645のナンバープレートを保存ほぞんされている。
59609 北海道ほっかいどう三笠みかさ幌内ほろないまち2丁目ちょうめ287
三笠みかさ鉄道てつどう記念きねんかん
廃車はいしゃ保存ほぞんまえに29622(新潟にいがた県立けんりつ自然しぜん科学かがくかん保存ほぞん)とナンバープレートがわっており、29622に59609のナンバープレートをけたものである可能かのうせい指摘してきされている。北海道ほっかいどうがた切詰きりづめじょけむりばん装備そうび
三菱みつびしだい夕張ゆうばり鉄道てつどう No.4 北海道ほっかいどう夕張ゆうばり高松たかまつ7ばん1ごう
夕張ゆうばり石炭せきたん歴史れきしむらSLかん
三菱大夕張鉄道自社発注機
夕張ゆうばり鉄道てつどう
21
北海道ほっかいどう夕張ゆうばりぐん栗山くりやままち桜丘さくらがおか2丁目ちょうめ38ばん16ごう
栗山くりやま公園こうえん
夕張ゆうばり鉄道てつどう自社じしゃ発注はっちゅう
夕張ゆうばり鉄道てつどう 25
きゅう国鉄こくてつ49694)
北海道ほっかいどう夕張ゆうばりぐん長沼ながぬままちひがし6せんきた
ながぬまコミュニティ公園こうえん
マオイオートキャンプじょうまえ
9615
国鉄こくてつにち炭鉱たんこう天塩てしお鉱業こうぎょうしょ
北海道ほっかいどう江別えべつ
日本にっぽん鉄道てつどう保存ほぞん協会きょうかい所有しょゆう
非公開ひこうかい
三菱みつびしだい夕張ゆうばり鉄道てつどう No.3
三菱みつびしだい夕張ゆうばり鉄道てつどう No.7
きゅう国鉄こくてつ9613)
三菱みつびしだい夕張ゆうばり鉄道てつどう No.8
きゅう国鉄こくてつ9616)
79616 北海道ほっかいどう沙流さるぐん日高ひだかまち富岡とみおか
日高ひだか山岳さんがくビラパーク
SLホテルとして使用しようされていたひだか高原こうげんそうより移設いせつされた。
59614 北海道ほっかいどう小樽おたる朝里川温泉あさりがわおんせん130番地ばんち
北海道ほっかいどうワイン小樽おたる醸造じょうぞうしょ
D51 286、スハフ44 6、スハフ44 7と連結れんけつされている。
79615 北海道ほっかいどう虻田あぶたぐん倶知安くっちゃんまちみなみ3じょうひがし4丁目ちょうめ2番地ばんち2
文化ぶんか福祉ふくしセンター
2しきぜんあきらとう装備そうびする
9643
国鉄こくてつにち炭鉱たんこう天塩てしお鉱業こうぎょうしょ
北海道ほっかいどう虻田あぶたぐんニセコまち
ニセコえき
サッポロビールえん展示てんじされていたが、2017ねん6がつ3にち移設いせつ[5]現在げんざい補修ほしゅうのため非公開ひこうかい[6]。2017ねん11月4にちに、「ニセコエクスプレス」ラストランにあわせて汽笛きてき吹鳴ふきならされた。
9625 岩手いわてけん宮古みやふる磯鶏西そけいにし5-5
SL公園こうえん(三陸さんりく鉄道てつどうリアスせん磯鶏そけいえき西側にしがわ
9632 山形やまがたけん酒田さかた
日和山ひよりやま公園こうえん
解体かいたい
2007ねんなつ解体かいたいされた。
9667 茨城いばらきけん高萩たかはぎ高浜たかはままち1丁目ちょうめ42
勤労きんろう青少年せいしょうねんホーム
49671 栃木とちぎけん真岡しんおかうてなまち2474番地ばんち6
SLキューロクかん
2013ねん真岡しんおかあたま公園こうえんから移設いせつされた。くるませきはないが、圧縮あっしゅく空気くうきにより館内かんない線路せんろ走行そうこうすることが可能かのうで、現在げんざい保存ほぞんされている9600がたただいちはたらけ状態じょうたいにある機関きかんしゃである。
現役げんえき時代じだい北海道ほっかいどう使用しようされていた機関きかんしゃであり北海道ほっかいどうがた切詰きりづめじょけむりばん装備そうびする。ただし現役げんえき装備そうびしたことはいちもない。また館内かんない案内あんないばんでは「青函せいかん連絡れんらくせん函館はこだて有川ありかわ桟橋さんばしにゅうかわよう使用しようされた時期じきがあり、どう桟橋さんばし構内こうないみぎカーブが連続れんぞくしていたことから運転うんてんだい右側みぎがわ移設いせつされている。」とされているものの、有川ありかわ桟橋さんばしひだりカーブであり正確せいかくではない。
9687 埼玉さいたまけん川口かわぐち西青木にしあおき4丁目ちょうめ8ばん1ごう
青木あおきまち公園こうえん総合そうごう運動うんどうじょう
39685 埼玉さいたまけんさいたま中央ちゅうおう
さいたま中央ちゅうおう区役所くやくしょ
解体かいたい
米坂線よねさかせんようで1971ねん廃車はいしゃ当時とうじ与野よの市役所しやくしょ設置せっちされた。2016ねん9がつ老朽ろうきゅうのため解体かいたい[7]
解体かいたい部品ぶひん一部いちぶとナンバープレート・製造せいぞう銘板めいばんはさいたま与野よの郷土きょうど資料しりょうかん展示てんじ。その同機どうきものとみられる蒸気じょうきドームカバー、汽笛きてき安全弁あんぜんべん埼玉さいたまけんさいたま鉄道てつどう博物館はくぶつかん展示てんじされている。
9608 東京とうきょう青梅おうめ勝沼かつぬま2丁目ちょうめ155番地ばんち
青梅おうめ鉄道てつどう公園こうえん
青梅おうめ鉄道てつどう公園こうえん開園かいえんから保存ほぞんされている現存げんそんさいわかばんの9600がた運転うんてんしつ下部かぶがSラインになっている最初さいしょがたであり、現在げんざい一般いっぱん公開こうかい展示てんじされている唯一ゆいいつ最初さいしょがた
9644 新潟にいがたけん北蒲原きたかんばらぐんせい籠町かごまち
せい籠町かごまち公民館こうみんかん
解体かいたい
1998ねん9がつ解体かいたいされた。
29622 新潟にいがたけん新潟にいがた中央ちゅうおう女池めいけみなみ3丁目ちょうめ1ばん1ごう
新潟にいがた県立けんりつ自然しぜん科学かがくかん
廃車はいしゃ保存ほぞんまえに59609(三笠みかさ鉄道てつどう記念きねんかん保存ほぞん)とナンバープレートがわっており、59609に29622のナンバープレートをけたものである可能かのうせい指摘してきされている。北海道ほっかいどうがた切詰きりづめじょけむりばん装備そうび
29657 新潟にいがたけん魚沼うおぬま西名新田にしみょうしんでん
守門すもん温泉おんせん青雲せいうんかんあと
解体かいたい
もとはSLホテル。2015ねん施設しせつ閉館へいかん放置ほうち状態じょうたいとなっていた。2022ねん客車きゃくしゃとともに解体かいたい[8]
移設いせつまえ 9628 富山とやまけん富山とやま牛島本うしじまほんまち1-6
牛島うしじま公園こうえん
2017ねん12月にそれまで保存ほぞんされていた富山とやま富山とやま城址じょうし公園こうえんから撤去てっきょされて修復しゅうふく工事こうじ実施じっしし、2020ねん11月に現在地げんざいち移設いせつされた。
2021ねん公開こうかい計画けいかくされ[9]予定よていどお公開こうかいされた[10]
9646 長野ながのけん長野ながの豊野とよのまち豊野とよの612−8
豊野とよの公民館こうみんかん
国鉄こくてつ企画きかくした映画えいが蒸気じょうき機関きかんしゃ その100ねん』のロケに使用しようされたため、連結れんけつ製造せいぞう当初とうしょのねじしき連結れんけつとなっている。
19648 岐阜ぎふけん高山市たかやまし昭和しょうわまち2丁目ちょうめ45番地ばんち1
昭和しょうわ児童じどう公園こうえん
公園こうえんすみ屋根やねきで、キ132と一緒いっしょ保存ほぞん
49616 静岡しずおかけん榛原はいばらぐん川根かわね本町ほんまち
大井川鐵道おおいがわてつどう千頭せんずえき構内こうない
2014ねん3がつ22にちより、『きかんしゃトーマス』の登場とうじょうキャラクター「ヒロ」をした装飾そうしょくほどこされている。北海道ほっかいどうがた切詰きりづめじょけむりばん装備そうび
9633 京都きょうと京都きょうと下京しもぎょう観喜寺かんきじまち
京都きょうと鉄道てつどう博物館はくぶつかん
1972ねん梅小路うめこうじ蒸気じょうき機関きかんしゃかん京都きょうと鉄道てつどう博物館はくぶつかん前身ぜんしん)の開館かいかんともな保存ほぞんされた。2006ねんに「梅小路うめこうじ蒸気じょうき機関きかんしゃぐん関連かんれん施設しせつ」としてじゅん鉄道てつどう記念きねんぶつ指定していされた。
開館かいかん当初とうしょくるませきゆうする動態どうたい保存ほぞんしゃであったが、現在げんざい除籍じょせきされ静態せいたい保存ほぞんとなっている。
79642 愛媛えひめけん八幡浜やわたはまはちだい王子おうじ
王子おうじもり公園こうえん
四国しこく保存ほぞんされているが、四国しこく使用しようされたものではなく、現役げんえき最終さいしゅう配置はいち追分おいわけ機関きかんで1976ねんまで在籍ざいせきしたものである。北海道ほっかいどうがた切詰きりづめじょけむりばん装備そうびし、前面ぜんめんには大型おおがたすりが設置せっちされている。
59634 福岡ふくおかけん北九州きたきゅうしゅう門司もじ清滝きよたき2丁目ちょうめ3ばん29ごう
九州きゅうしゅう鉄道てつどう記念きねんかん
もと米坂線よねさかせんようで、1974ねん後藤ごとうてら機関きかん転属てんぞく翌年よくねん廃車はいしゃになるまで使用しようされた。当初とうしょ糟屋かすやぐん粕屋かすやまち中央ちゅうおう公園こうえん保存ほぞんされていた。のちに整備せいびうえ小倉おぐら工場こうじょう保存ほぞんされ、2003ねん九州きゅうしゅう鉄道てつどう記念きねんかん開館かいかんともな移設いせつされた。
19633 福岡ふくおかけん北九州きたきゅうしゅう若松わかまつ久岐くきはま
久岐くきはまシーサイド市営しえい住宅じゅうたくわき
きゅう若松わかまつ機関きかんあと2020ねん食品しょくひんメーカーの山口油屋福太郎やまぐちあぶらやふくたろうへの譲渡じょうと発表はっぴょうされており、同社どうしゃ福岡ふくおかけん添田そえだまちにある工場こうじょうない移設いせつされる予定よていがある[11]
49627 福岡ふくおかけん福岡ふくおかひがし箱崎はこざき7丁目ちょうめ8
貝塚かいづか公園こうえん
ナハネフ22 1007と連結れんけつされている。もんてつしきじょけむりばん装備そうびするが、保存ほぞん開始かいしけられたものである。
59647 福岡ふくおかけん直方のうがた大字だいじ頓野とんの550-1
汽車きしゃ倶楽部くらぶ
非公開ひこうかい
1974ねん12月22にちに59684とともに筑豊本線ちくほうほんせんでのSLさよなら列車れっしゃ使用しようされた。
当初とうしょ直方ちょくほう市内しない勤労きんろう青少年せいしょうねんホームに保存ほぞんされていたが、1999ねん地元じもとのNPO法人ほうじん汽車きしゃ倶楽部くらぶ」が修復しゅうふくおこな店舗てんぽ敷地しきちない移設いせつした。もんてつしきじょけむりばん装備そうび
59684 福岡ふくおかけん田川たがわ大字だいじ伊田いだ2734-1
田川たがわ石炭せきたん歴史れきし博物館はくぶつかん
1974ねん12月22にちに59647とともに筑豊本線ちくほうほんせんでのSLさよなら列車れっしゃ使用しようされた。三池みいけ鉄道てつどうセ1208と連結れんけつされている。もんてつしきじょけむりばん装備そうび
29611 佐賀さがけん杵島きしまぐん大町おおまちまち大字だいじ福母ふくも297-4
おおまち情報じょうほうプラザ
69608 佐賀さがけん唐津からつ
東港ひがしみなと埠頭ふとう
解体かいたい
1973ねん8がつ28にち唐津からつせんでのさよなら運転うんてん使用しようされた。廃車はいしゃ当初とうしょ東唐津ひがしからつ児童じどうゆう園地えんち保存ほぞんされていたが、唐津からつこう開港かいこう100周年しゅうねん記念きねん事業じぎょうとして東港ひがしみなと埠頭ふとう移設いせつされた。
海沿うみぞいに移設いせつしたこともあり老朽ろうきゅう進行しんこうし、連結れんけつされていたセム2000ごう貨車かしゃともに2007ねん2がつ解体かいたいされた。
69665 熊本くまもとけん熊本くまもと中央ちゅうおう古京ふるきょうまち3-2
熊本くまもと市立しりつ熊本くまもと博物館はくぶつかん
豊肥本線ほうひほんせん使用しようされていた9600がたのうちの1りょうもんてつしきじょけむりばん装備そうび
59670 熊本くまもとけん阿蘇あそ
阿蘇あそ簡易かんい保険ほけん保養ほようセンター
解体かいたい
2000ねん11月に解体かいたいされた。
29612 大分おおいたけん玖珠くすぐん玖珠くすまち大字だいじ帆足ほあし242-7
きゅう豊後ぶんごもり機関きかん
かつては糟屋かすやぐん志免しめまちなかつぼ公園こうえん保存ほぞんされていた。
老朽ろうきゅうにより2013年度ねんどない解体かいたいする方針ほうしんしめされていたものを玖珠くすまちり、上記じょうき59647の修復しゅうふくおこなった「汽車きしゃ倶楽部くらぶ」が修復しゅうふくし2015ねん6がつ移設いせつ展示てんじされた。
台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょく
DT609
中華民国の旗 台湾たいわん
こう雄市ゆういち鼓山つづみやま鼓山つづみやま一路いちろ32ごう
きゅういぬえき故事こじかん
2011ねん同市どうし蓮池はすいけ総合そうごうゆう楽園らくえんから移設いせつされた。
中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく鉄道てつどう
KD5-373
中華人民共和国の旗 中国ちゅうごく
北京ぺきん朝陽あさひ
中国ちゅうごく鉄道てつどう博物館はくぶつかん
中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく鉄道てつどう
KD55-579
中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく鉄道てつどう
KD55-583
中華人民共和国の旗 中国ちゅうごく
雲南うんなんしょうこんあきらばんりゅう
雲南うんなん鉄路てつろ博物館はくぶつかん

動輪どうりんのみ保存ほぞん

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  • 29600:新大阪しんおおさかえき正面しょうめんこう付近ふきんだい2動輪どうりん保存ほぞん
新大阪しんおおさかえき設置せっちされている29600の動輪どうりん







協和きょうわ電工でんこう株式会社かぶしきがいしゃ設置せっちされている69630の動輪どうりん[12]

模型もけい

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東京とうきょう目黒めぐろにある日本工業大学付属東京工業高等学校にほんこうぎょうだいがくふぞくとうきょうこうぎょうこうとうがっこげん日本工業大学にほんこうぎょうだいがく駒場こまんば高等こうとう学校がっこう)の機械きかいでは、9600がたの1/10スケールのライブスチーム実習じっしゅう教材きょうざいとして製作せいさくしている。それも本格ほんかくてきなもので、ボイラーは労働ろうどう基準きじゅん監督かんとくしょ認可にんかのものであり、寄贈きぞうされたり、されたりした車両しゃりょうは、全国ぜんこく施設しせつ運用うんようされている。学校がっこう生徒せいとによる運用うんようおも目黒めぐろSUNまつりや学校がっこうのオープンキャンパスとうで、貸出かしだししゃでは碓氷峠うすいとうげ鉄道てつどう文化ぶんかむらのミニSLが有名ゆうめい。また寄贈きぞうしゃ存在そんざいして、ホビーセンターカトー東京とうきょうてんの2かいきゅう仕様しようの9600かたち展示てんじされている。また、埼玉さいたまけん越生おごせまち越生おごせ梅林ばいりんにも期間きかん限定げんていであるがかつて八高線はちこうせんはしっていた9600かたちしたミニSLがはしっている。

1914ねん川崎かわさき造船ぞうせんしょは1/26の銀製ぎんせいの9600がた模型もけい製作せいさく鉄道てつどういんおくった。戦前せんぜんはこの模型もけい神田かんだ鉄道てつどう博物館はくぶつかん1Fホールにかざられていたという[13]交通こうつう博物館はくぶつかん閉館へいかん大宮おおみや鉄道てつどう博物館はくぶつかんがれ、2013ねん鉄道てつどう博物館はくぶつかんだい5かいコレクションてん模型もけいでたどる鉄道てつどう」において公開こうかいされた[14]

9600がたづけばんほう

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9600がた製造せいぞうじゅん番号ばんごう対応たいおうは、1番目ばんめが9600、2番目ばんめが9601、3番目ばんめが9602、…、100番目ばんめが9699となるが、101番目ばんめを9700とするとすでにあった9700かたち重複じゅうふくするので、101番目ばんめまんに1をつけて19600とした。その同様どうようで、した2けたを00からはじめ、99にたっするとつぎまん数字すうじを1つげてふたた2けたを00からはじめ…というづけばんほうとした。したがって、100番目ばんめごとにまん数字すうじがり、200番目ばんめが19699、201番目ばんめが29600、…となる。

このため、ナンバーと製造せいぞうじゅん対応たいおうさせる公式こうしきは、

  • まんくらい数字すうじ×100+したけた数字すうじ+1=製造せいぞうじゅん

となる。

たとえば59634であればまんくらい数字すうじが5、した2けたが34となるので、製造せいぞうじゅんは5×100+34+1=535りょうとなる。

登場とうじょうした作品さくひん

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映画えいが

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テレビドラマ

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TVてれびゲーム

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  • サクラ大戦たいせん(SSばん1996ねん9がつ21にち発売はつばい)さくらエンディングでメインヒロインのさくらがった旅客りょかく列車れっしゃ牽引けんいんとして登場とうじょう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 製造せいぞう当初とうしょは49インチ(1,245 mm)
  2. ^ トル法とるほう移行いこうによる動輪どうりんがいみち改定かいていともな形式けいしきとおり3 mm 扛上した2,594 mm となった。
  3. ^ その量産りょうさんでは運転うんてんだいまどまい独立どくりつからちがしき一体いったいがたへと変化へんかしている。
  4. ^ 高木たかぎ宏之ひろゆき著書ちょしょ国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ』(2015ねん ネコ・パブリッシング)p.24で「けんおさむにクォータリング・マシン(左右さゆうのクランクピンを90位相いそうかく同時どうじそぎせいする専用せんよう工作こうさく機械きかい)が使用しようできず、現場げんば不便ふべんをしいられた」としるし、長期ちょうき生産せいさんによって設計せっけい変更へんこう機会きかい幾度いくどもあったのに9600かたちひだり先行せんこうクランクで放置ほうちされた無策むさくぶりを批判ひはんしている。
  5. ^ 国鉄こくてつ技術ぎじゅつしゃであった久保田くぼたひろしは、自著じちょにおいて「一般いっぱん形式けいしきのクランクがみぎ先行せんこうであるのに、9600は設計せっけいあやまりでひだり先行せんこうであったため、クランク角度かくど測定そくてい専用せんよう使つかえなかったのは厄介やっかいであった。したがってクランク作業さぎょう余分よぶん注意ちゅういはらったが、一度いちど、クランクピンがえかえしクランク<ママ>の取付とりつけ一般いっぱん形式けいしきなみ施工しこうあやまって、再度さいどつくなおすのによるおそくまで残業ざんぎょうしたこともあった。」とあらわしている。 [2]
  6. ^ 高木たかぎは『国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ』の、9600がたひだり先行せんこうクランク放置ほうちたいする批判ひはんてき見解けんかいのくだりで、「承認しょうにんしゃ朝倉あさくらは『(中略ちゅうりゃく武士ぶしどう機関きかんしゃである』とひとりえつり(中略ちゅうりゃくあらためようとしなかった」としるす。
  7. ^ 石炭せきたん集結しゅうけつ列車れっしゃ貨物かもつ密度みつどたか一般いっぱん雑貨ざっか列車れっしゃたいしてトンあた走行そうこう抵抗ていこうちいさいことが判明はんめい、ために牽引けんいん定数ていすうおおきくすることとなった。
  8. ^ のちにD50かたち単機たんきで2400t列車れっしゃ運転うんてん戦後せんごにはD51かたち単機たんきで3000tの試験しけんおこなわれ、2400t列車れっしゃ設定せっていされた。
  9. ^ 臼井うすい茂信しげのぶ鉄道てつどうファン機関きかんしゃ系譜けいふ 落穂おちぼしゅう・1979ねん7がつごう)への寄稿きこうなかで、これら4りょう消息しょうそくについては同年どうねん供出きょうしゅつされたC50がた (1 - 5) のうごきとからめて、あらため軌せずに海南かいなんとうおくられたと推定すいていしている。しかし、北京ぺきん中国ちゅうごく鉄道てつどう博物館はくぶつかん保存ほぞんされている KD5-373(標準軌ひょうじゅんき) のだい4動輪どうりん車軸しゃじくに 9659 の刻印こくいんのこっているため、供出きょうしゅつ時点じてんあらため軌されて直接ちょくせつ大陸たいりくおくられた可能かのうせいたか[よう出典しゅってん]
  10. ^ 供出きょうしゅつ住山すみやましき給水きゅうすい加熱かねつ装備そうびしゃ優先ゆうせんてきされているが、これは住山すみやましき加熱かねつ炭水車たんすいしゃちょうじくであり、標準軌ひょうじゅんき改造かいぞう即応そくおう可能かのうだったためである[4]
  11. ^ 改造かいぞう誕生たんじょうした60だい形式けいしきはどれも余剰よじょうしゃ有効ゆうこう活用かつようおもきがかれたもので、9600がたなど老朽ろうきゅうしたふけ代替だいたい要素ようそふくんでいた。けいじくじゅうのDかたちテンダーは、余剰よじょうとなったD50かたちしたがえ台車だいしゃを2じくえ、じくじゅう軽減けいげんしたD60かたちまかなわれたが、機関きかんしゃ単体たんたいで20トン以上いじょうおもくなったうえによこあつつよく、入線にゅうせんにあたりおおくの路線ろせん軌道きどうのタイプレート補強ほきょうされるなどの制約せいやくおおかった。そのD61かたちは、ベースとなったD51の需要じゅようたか余剰よじょうがほとんどなかったことから、わずか6りょう計画けいかくそのものが中止ちゅうしされている。
  12. ^ この用途ようと唯一ゆいいつしん設計せっけいとなったC58かたちも、旅客機りょかくき貨物かもつ中庸ちゅうようねらったあまり、やや非力ひりきで、重量じゅうりょう列車れっしゃにゅうかわ無理むりほん形式けいしきえるにはいたらなかった。
  13. ^ 結果けっかてきに、改造かいぞうでは適切てきせつ代替だいたい機種きしゅ誕生たんじょうしなかったことや、てい規格きかく線区せんくわせた小柄こがら強力きょうりょく蒸気じょうき機関きかんしゃ新規しんき開発かいはつまったおこなわれなかったことで、ディーゼル機関きかんしゃDE10かたち登場とうじょうまで、大正たいしょうまれのほん形式けいしき蒸気じょうき機関きかんしゃ運用うんよう末期まっきまで使用しようされた。もっともほんでも空転くうてんするきゅう勾配こうばいカル線かるせん存在そんざいし、そのような線区せんくには「絶対ぜったい空転くうてんしない機関きかんしゃ」といわれていた兄弟きょうだい8620かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ配備はいびされた。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 蒸気じょうき機関きかんしゃ』(キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ)1974ねん7がつごう 伊藤いとう東作とうさく
  2. ^ 久保田くぼたひろしふところそう蒸気じょうき機関きかんしゃ』p.34
  3. ^ おのつよし『日本にっぽん鉄道てつどう100ものがたり』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう文春ぶんしゅん文庫ぶんこ 1991ねん5がつ10日とおか pp.97 - 100
  4. ^ 国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ、ネコ・パブリッシングかん、髙木宏之ひろゆきちょ、p.24
  5. ^ 9643輸送ゆそう作戦さくせん
  6. ^ SL「キュウロク」ニセコに移設いせつ サッポロビールえんから - 北海道新聞ほっかいどうしんぶんどうしん電子でんしばん2017ねん6がつ5にち
  7. ^ さいたまの39685号機ごうき解体かいたい”. railf.jp(鉄道てつどうニュース). 交友こうゆうしゃ (2016ねん9がつ11にち). 2016ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  8. ^ 一般いっぱん競争きょうそう入札にゅうさつ実施じっしについて(公告こうこく (PDF) - 魚沼うおぬま入札にゅうさつ公告こうこく(2022ねん5がつ27にち)2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  9. ^ 来年度らいねんど牛島うしじま公園こうえん移設いせつ 城址じょうし公園こうえん蒸気じょうき機関きかんしゃ 在来ざいらいせん新幹線しんかんせんと「共演きょうえん - 北日本きたにっぽん新聞しんぶん、2019ねん9がつ13にち
  10. ^ 蒸気じょうき機関きかんしゃ一般いっぱん開放かいほう開始かいしに!牛島本うしじまほんまちにある『牛島うしじま公園こうえん』に『富山とやま城址じょうし公園こうえん』にあった蒸気じょうき機関きかんしゃ移設いせつして一般いっぱん開放かいほうされてる。 - 富山とやまデイズ(2021ねん10がつ18にち)2022ねん3がつ28にち閲覧えつらん
  11. ^ 筑豊線ちくほうせん保存ほぞんSL、せんべい工場こうじょう - 西日本にしにほん新聞しんぶん・2020ねん2がつ10日とおか
  12. ^ 協和きょうわ電工でんこう株式会社かぶしきがいしゃホームページ https://kyouwa-denkou.co.jp/information/1175/
  13. ^ 鉄道てつどう模型もけい趣味しゅみNo.346、pp.16 - 17
  14. ^ 鉄道てつどう博物館はくぶつかんだい5かいコレクションてん模型もけいでたどる鉄道てつどう図録ずろく、2013ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 臼井うすい茂信しげのぶ日本にっぽん蒸気じょうき機関きかんしゃ形式けいしき集成しゅうせい 2」1969ねんまことぶんどう新光しんこうしゃかん
  • 臼井うすい茂信しげのぶ機関きかんしゃ系譜けいふ 4」1972ねん交友こうゆうしゃかん
  • 臼井うすい茂信しげのぶ機関きかんしゃ系譜けいふ 落穂おちぼしゅう鉄道てつどうファン 1979ねん7がつごう (No.219)
  • 川上かわかみ幸義ゆきよしわたし蒸気じょうき機関きかんしゃ 」1978ねん交友こうゆうしゃかん
  • 金田かねだしげるひろし形式けいしきべつ 国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ IV」1986ねんエリエイ出版しゅっぱん プレス・アイゼンバーン
  • 川崎重工業かわさきじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ車両しゃりょう事業じぎょう本部ほんぶ蒸気じょうき機関きかんしゃからちょう高速こうそく車両しゃりょうまで」1996ねん交友こうゆうしゃかん
  • 汽車きしゃ会社かいしゃ蒸気じょうき機関きかんしゃ製造せいぞう編集へんしゅう委員いいんかい汽車きしゃ会社かいしゃ蒸気じょうき機関きかんしゃ製造せいぞう」1972ねん交友こうゆうしゃかん
  • 高砂たかさご雍郎「鉄道てつどう広報こうほうによる国鉄こくてつ車両しゃりょう台帳だいちょう機関きかんしゃへん〕」1991ねん鉄道てつどう資料しりょう保存ほぞんかいかん
  • 高田たかだ隆雄たかお監修かんしゅう万有ばんゆうガイドシリーズ12 蒸気じょうき機関きかんしゃ 日本にっぽんへん」1981ねん小学館しょうがくかんかん
  • 寺島てらしま京一きょういち台湾たいわん鉄道てつどう蒸気じょうき機関きかんしゃについて」レイルNo.23(1988ねん)エリエイ出版しゅっぱん プレス・アイゼンバーンかん
  • 鉄道てつどうピクトリアル
    • 1962ねん3がつ臨時りんじ増刊ぞうかん (No.128) 私鉄してつ車両しゃりょうめぐりだい2分冊ぶんさつ
    • 1965ねん9がつごう (No.175) 9600かたち機関きかんしゃ特集とくしゅう
  • 髙木宏之ひろゆき国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ」2015ねん、ネコ・パブリッシングかん

外部がいぶリンク

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