交通こうつう博物館はくぶつかん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
交通こうつう博物館はくぶつかん
Transportation Museum
地図
施設しせつ情報じょうほう
前身ぜんしん 鉄道てつどう博物館はくぶつかん
専門せんもん分野ぶんや 交通こうつう
管理かんり運営うんえい 財団ざいだん法人ほうじん交通こうつう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん
開館かいかん 1936ねん4がつ25にち
閉館へいかん 2006ねん5月14にち
所在地しょざいち 101-0041
東京とうきょう千代田ちよだ神田須田かんだすだまち1-25
北緯ほくい3541ふん49びょう 東経とうけい13946ふん12びょう / 北緯ほくい35.696917 東経とうけい139.770083 / 35.696917; 139.770083座標ざひょう: 北緯ほくい3541ふん49びょう 東経とうけい13946ふん12びょう / 北緯ほくい35.696917 東経とうけい139.770083 / 35.696917; 139.770083
プロジェクト:GLAM
テンプレートを表示ひょうじ
交通こうつう博物館はくぶつかん 全景ぜんけい2006ねん4がつ1にち撮影さつえい
交通こうつう博物館はくぶつかん食堂しょくどう入口いりくち2006ねん2がつ8にち撮影さつえい
交通こうつう博物館はくぶつかん食堂しょくどうのカレーライス (2006ねん5月1にち撮影さつえい
万世橋まんせいばしより交通こうつう博物館はくぶつかんのぞむ(2006ねん5月3にち撮影さつえい
交通こうつう博物館はくぶつかんきゅう万世橋まんせいばしえきホーム(2006ねん6月25にち撮影さつえい
万世橋まんせいばしより交通こうつう博物館はくぶつかんの「EF551」の展示てんじ(2006ねん3月30にち撮影さつえい
閉館へいかん状況じょうきょう2007ねん5月21にち撮影さつえい
博物館はくぶつかんくち展示てんじされていた新幹線しんかんせん0けい先頭せんとう部分ぶぶん(2006ねん3月7にち撮影さつえい)、交通こうつう博物館はくぶつかん閉館へいかん鉄道てつどう博物館はくぶつかんうつされ展示てんじされている。
交通こうつう博物館はくぶつかんない中央ちゅうおうホール(2006ねん5がつ3にち撮影さつえい
クハ167運転うんてんだい付近ふきんのレプリカ(2006ねん5がつ14にち撮影さつえい

交通こうつう博物館はくぶつかん(こうつうはくぶつかん、英語えいご: Transportation Museum)は、かつて東京とうきょう千代田ちよだ神田須田かんだすだまちにあった交通こうつう全般ぜんぱんにわたって収集しゅうしゅう展示てんじおこな日本にっぽん博物館はくぶつかんである。

東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん)が所有しょゆうし、公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん交通こうつう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん運営うんえい委託いたくしていた。

2006ねん5月14にちかぎりで閉館へいかんし、後継こうけい施設しせつとしてよく2007ねん10月14にち埼玉さいたまけんさいたま大宮おおみやきた大成たいせいまち鉄道てつどう博物館はくぶつかん開館かいかんした。ただしこれは鉄道てつどう部門ぶもん限定げんていした「収蔵しゅうぞうひん展示てんじ事業じぎょう」のみの後継こうけいであり、運営うんえいする団体だんたいことなるため調査ちょうさ研究けんきゅう活動かつどう継承けいしょうおこなわれていない。

概要がいよう[編集へんしゅう]

館内かんないには鉄道てつどう船舶せんぱく自動車じどうしゃ航空機こうくうきがフロアべつ展示てんじされていた。とく日本にっぽん鉄道てつどう黎明れいめい活躍かつやくした1ごう機関きかんしゃ初代しょだい1ごう御料ごりょうしゃ(ともに重要じゅうよう文化財ぶんかざい)、徳川とくがわ好敏よしとく陸軍りくぐん大尉たいい日本にっぽんはつ飛行ひこう使用しようしたアンリ・ファルマンなどをはじめとしたかく分野ぶんや貴重きちょう実物じつぶつ資料しりょう多数たすう収蔵しゅうぞう展示てんじされていた。また4かいには鉄道てつどうしょう日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうなどの資料しりょう閲覧えつらんできる図書としょしつがあり、3かい映画えいがホールでは関連かんれん資料しりょう中心ちゅうしん上映じょうえいおこなっていた。

屋外おくがいにも弁慶べんけいごう機関きかんしゃ善光ぜんこうごう機関きかんしゃ(ともに鉄道てつどう記念きねんぶつ)などの歴史れきしてき価値かちのある鉄道てつどう車両しゃりょう展示てんじされていた。

1かいには鉄道てつどう模型もけいパノラマ運転うんてんじょうもあり、毎回まいかい学芸がくげいいんかたりと並行へいこうして手動しゅどう運転うんてんしていた。はし車両しゃりょう選定せんてい学芸がくげいいん嗜好しこう左右さゆうされるため、どんな列車れっしゃはしるのかもたのしみのひとつになっていたほか、BGM学芸がくげいいん編集へんしゅうしたCDMD使用しようするなど、学芸がくげいいん手腕しゅわん見所みどころだった。システムは学芸がくげいいん日本にっぽん信号しんごう共同きょうどう開発かいはつによるものであり、自動じどう列車れっしゃ停止ていし装置そうち (ATS) を搭載とうさいしていた。そのため、かたりに集中しゅうちゅうするあまり、まんいち編成へんせい同士どうし接近せっきんしたとしても追突ついとつするおそれはなかった。

鉄道てつどう以外いがいでは国鉄こくてつバスだい1号車ごうしゃ富士重工業ふじじゅうこうぎょうスバル360ベンツさんりん自動車じどうしゃレプリカ日本航空にほんこうくうボーイング747かた客室きゃくしつないモックアップ、ターボプロップエンジンのカットモデルなどの展示てんじがあった。

また、食堂しょくどう151けいこだましたインテリアで、カレー子様こさまランチ提供ていきょうするほか駅弁えきべん販売はんばいもあった。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

1911ねん5月4にち鉄道てつどういん総裁そうさい後藤ごとう新平しんぺい提案ていあん鉄道てつどういんに「鉄道てつどう博物館はくぶつかんかけ」がかれて(1913ねんに「鉄道てつどういん総裁そうさい官房かんぼう研究所けんきゅうじょ」に統合とうごう設置せっち検討けんとうされ、1921ねん10月14にちに「鉄道てつどう開通かいつう50周年しゅうねん」を記念きねんして東京とうきょうえき神田かんだえき高架こうか鉄道てつどう博物館はくぶつかん名称めいしょう開設かいせつされた。

だが、関東大震災かんとうだいしんさい施設しせつ収蔵しゅうぞうひんのほとんどを焼失しょうしつ。いったんは同地どうち再建さいけんされたものの敷地しきちせま新規しんき収蔵しゅうぞうひん展示てんじ困難こんなんなため本格ほんかくてき博物館はくぶつかん施設しせつ建設けんせつ計画けいかくされ、1936ねん4がつ25にちきゅう万世橋まんせいばしえき駅舎えきしゃあと敷地しきち利用りようした新館しんかん移転いてんされた。

当初とうしょ鉄道てつどうしょうのち運輸うんゆ通信つうしんしょう)の直営ちょくえいであったが1946ねん1がつ25にちから「財団ざいだん法人ほうじん日本交通公社にほんこうつうこうしゃ」に委託いたくされて名称めいしょう日本にっぽん交通こうつう文化ぶんか博物館はくぶつかんあらため、1948ねん9月1にち交通こうつう博物館はくぶつかんさい改称かいしょう1971ねんからは「財団ざいだん法人ほうじん交通こうつう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん」に運営うんえい移管いかんされ、1987ねん国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいこう東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん)に継承けいしょうされた。なお、運営うんえいつづ交通こうつう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん委託いたくされた。

しかし同館どうかん収蔵しゅうぞう展示てんじ品目ひんもく増加ぞうかによって手狭てぜまになり、また建物たてもの老朽ろうきゅうすすんできていた。それにくわ業務ぎょうむようふくめてエレベーター一切いっさいなくバリアフリー対応たいおうしていないことなどから、2006ねん5月14にちかぎりで閉館へいかんし、70ねんにわたる万世橋まんせいばしでの歴史れきしまくじた。

なお、閉館へいかん直前ちょくぜんにはきゅう万世橋まんせいばしえき跡地あとち留置とめおきせんEF55かたち電気でんき機関きかんしゃ寝台しんだい特急とっきゅう出雲いずも」の編成へんせい一部いちぶ期間きかん限定げんてい展示てんじされていた。

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

  • 1911ねん5月4にち - 総裁そうさい後藤ごとう新平しんぺい指示しじ鉄道てつどういん鉄道てつどう博物館はくぶつかんかけかれ、資料しりょう収集しゅうしゅう開始かいし
  • 1921ねん10月14にち - 鉄道てつどう開業かいぎょう50周年しゅうねん記念きねんして鉄道てつどう博物館はくぶつかんとして開館かいかん10日とおかあいだ限定げんてい開館かいかんながらのべ58まんにん来館らいかん
    • 開館かいかん当初とうしょ東京とうきょうえき北口きたぐち仮設かせつ施設しせつ限定げんてい公開こうかい)というかたち所在しょざいしていた。また、展示てんじひん鉄道てつどう関係かんけい資料しりょうだけであった。
  • 1923ねん9月1にち - 関東大震災かんとうだいしんさいにより資料しりょう焼失しょうしつ
  • 1924ねん4がつ8にち - 呉服ごふく橋架きょうかどうきょう付近ふきん東京とうきょうえき - 神田かんだえきあいだ高架こうか)に場所ばしょ移転いてんして再開さいかい一般いっぱん公開こうかい開始かいし)。当初とうしょ入館にゅうかんりょう無料むりょうだった。
  • 1927ねん - 9850かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ展示てんじ
  • 1936ねん4がつ25にち - 神田かんだ須田すだまち中央ちゅうおう本線ほんせん万世橋まんせいばしえきまえ移転いてん
    • 万世橋まんせいばしえききゅう駅舎えきしゃまつくい基礎きそ利用りようして博物館はくぶつかん転用てんようした(設計せっけい鉄道てつどうしょう土橋どばし長俊ながとし)。どうえき駅舎えきしゃ一部いちぶ博物館はくぶつかん譲渡じょうとしたため、えき自体じたい簡素かんそえきとなった。
  • 1936ねん - 1ごう機関きかんしゃ大宮おおみや工場こうじょう大宮おおみや参考さんこうかんから中庭なかにわ移設いせつ展示てんじ[1]
  • 1943ねん11月1にち - 万世橋まんせいばしえき休止きゅうし実質じっしつじょう廃止はいし)され、建物たてもの鉄道てつどう博物館はくぶつかん専用せんようとなった。
  • 1945ねん3がつ10日とおか - だい世界せかい大戦たいせん激化げきか東京とうきょうだい空襲くうしゅう)のため休館きゅうかん
  • 1946ねん1がつ25にち - 交通こうつう文化ぶんか博物館はくぶつかん改称かいしょうして再開さいかい同時どうじに「財団ざいだん法人ほうじん日本交通公社にほんこうつうこうしゃ」(げん: JTB)に運営うんえい移管いかん
  • 1947ねん昭和しょうわ22ねん
    • GHQのウィリアム・P・エリオット軍曹ぐんそうらによって模型もけい鉄道てつどう運転うんてんじょう開設かいせつされ、1953ねん昭和しょうわ28ねん)まで「エリオット・ルーム」としてしたしまれた[2]
    • 広瀬ひろせ中佐ちゅうさおよび杉野すぎの兵曹へいそうちょう銅像どうぞう撤去てっきょ跡地あとち屋外おくがい展示てんじじょうにする[3]
  • 1948ねん9月1にち - 名称めいしょう交通こうつう博物館はくぶつかん改称かいしょう展示てんじ対象たいしょう交通こうつう全般ぜんぱんとした。
  • 1952ねん10月 - 国鉄こくてつ80周年しゅうねん記念きねん事業じぎょうにより展示てんじぶつ増強ぞうきょう。また廃車はいしゃ予定よてい客車きゃくしゃ利用りようした移動いどう博物館はくぶつかんを3編成へんせい用意ようい全国ぜんこく巡回じゅんかい実施じっし[4]
  • 1961ねん - アメリカから返還へんかんされたアンリ・ファルマン展示てんじ当時とうじ航空こうくう幕僚ばくりょうちょう源田げんた指示しじによる)。
  • 1971ねん2がつ - 「財団ざいだん法人ほうじん交通こうつう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん」に運営うんえい移管いかん
  • 1976ねん - 年間ねんかん最多さいた入場にゅうじょうしゃすう記録きろく(83まんにん)。
  • 1987ねん4がつ1にち - 国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいともない、国鉄こくてつからJR東日本ひがしにっぽん継承けいしょう同年どうねん205けいシミュレータ設置せっち
  • 2000ねん - 209けい211けいのシミュレーター設置せっち
  • 2005ねん11月10にち - 埼玉さいたまけんさいたま市内しない鉄道てつどう博物館はくぶつかん起工式きこうしきおこなわれる。
  • 2006ねん5月14にち - 交通こうつう博物館はくぶつかん閉館へいかん
    • 最終さいしゅうには『鉄道てつどう唱歌しょうか』をうた閉館へいかんしむひとがいた。また閉館へいかん時間じかんごろの中央ちゅうおうせん快速かいそく列車れっしゃ警笛けいてきらしながら通過つうかした。
  • 2007ねん
    • 8がつ31にち - 所蔵しょぞう資料しりょう貸出かしだし公開こうかいなどの業務ぎょうむ終了しゅうりょう。これにより、交通こうつう博物館はくぶつかん対外たいがい業務ぎょうむ終了しゅうりょう
    • 10月14にち - 交通こうつう博物館はくぶつかん後継こうけい施設しせつである鉄道てつどう博物館はくぶつかん埼玉さいたまけんさいたま市内しない開館かいかん
  • 2009ねん8がつ20日はつか - 交通こうつう博物館はくぶつかん建物たてもの解体かいたい工事こうじ開始かいし

閉館へいかん状況じょうきょう[編集へんしゅう]

閉館へいかん研究けんきゅうしゃけの写真しゃしんマイクロフィルムなどの資料しりょうしや公開こうかいなどはつづけられていたが2007ねん平成へいせい19ねん8がつ31にちをもってこれらの業務ぎょうむ鉄道てつどう博物館はくぶつかんとその運営うんえい母体ぼたい東日本ひがしにっぽん鉄道てつどう文化ぶんか財団ざいだん移管いかんし、交通こうつう博物館はくぶつかんはすべての対外たいがい業務ぎょうむ終了しゅうりょうした[5]

鉄道てつどう関係かんけい展示てんじひん収蔵しゅうぞうひんのほか、国鉄こくてつバスや鉄道てつどう連絡れんらくせんなど国鉄こくてつ運営うんえいしていた交通こうつう機関きかん航空こうくう船舶せんぱく自動車じどうしゃ)の展示てんじひん収蔵しゅうぞうひんは、鉄道てつどう博物館はくぶつかん移管いかんされた。これは、同館どうかん運営うんえい方針ほうしんひとつとして国鉄こくてつ改革かいかくおよびJR東日本ひがしにっぽん自体じたいかんする資料しりょう保存ほぞん調査ちょうさ研究けんきゅうおこなう」規定きていしているためである。

一方いっぽう国鉄こくてつ以外いがい事業じぎょうしゃによる鉄道てつどう以外いがい展示てんじひん収蔵しゅうぞうひんはJO-1ジェットエンジン、ハ-45エンジン、ベンツ1号車ごうしゃ複製ふくせい)、神風かみかぜごう航空機こうくうき模型もけい、フォード1がた自動車じどうしゃ模型もけいなどやく50てんが、つづ交通こうつう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん運営うんえい委託いたくされることになった交通こうつう科学かがく博物館はくぶつかんうつされたほか航空こうくう科学かがく博物館はくぶつかん[6]静岡理工科大学しずおかりこうかだいがく構内こうない静岡しずおか航空こうくう資料しりょうかん[7]など関連かんれんする博物館はくぶつかんとうられた。

関係かんけい各所かくしょから借用しゃくようしていた航空こうくう船舶せんぱく自動車じどうしゃ部門ぶもん展示てんじひんについては、原則げんそくとしてそれぞれの所有しょゆうしゃ返却へんきゃくされた。対象たいしょうとなる展示てんじひんなかには戦後せんごもなくの進駐軍しんちゅうぐん一部いちぶである極東きょくとうアメリカぐん英語えいごばんより貸与たいよされていた航空こうくうエンジン(プラット・アンド・ホイットニー R-1830)があったが、これにかんして現在げんざい担当たんとう部局ぶきょくをアメリカ大使館たいしかんわせたところ極東きょくとうアメリカぐんという組織そしき自体じたい消滅しょうめつしており承継しょうけいする組織そしきもないので貸与たいよしていたものは『寄付きふ』ということにしてかまわない」という回答かいとうたという。極東きょくとうアメリカぐん貸与たいよ物資ぶっしについては韓国かんこく中華民国ちゅうかみんこくにおいても類似るいじれいがあり、その事後じご処理しょり沿ったものとかんがえられる。

2006ねん5月30にちBS朝日あさひ放送ほうそうされた『CAR GRAPHIC TV』では、自動車じどうしゃ紹介しょうかい番組ばんぐみながら閉館へいかん直前ちょくぜん館内かんない取材しゅざいしたことがあった[8]。また同年どうねん9がつフジテレビけい放送ほうそうされたドラマ『電車でんしゃおとこDELUXE 最後さいご聖戦せいせん』では当時とうじ閉館へいかん直後ちょくごだった跡地あとちを「電車でんしゃおとこミュージアム」として仕立したてげ、ロケおこなわれた。

閉館へいかん増設ぞうせつなどの一部いちぶ建物たてもの展示てんじひん搬出はんしゅつのためにこわされ、屋外おくがい展示てんじひん撤去てっきょされたが、交通こうつう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん当館とうかん残務ざんむ整理せいりくわ青梅おうめ鉄道てつどう公園こうえん運営うんえい受託じゅたくしていた関係かんけい閉館へいかん事務所じむしょつづ存在そんざいしたため、青梅おうめ鉄道てつどう公園こうえんにかかる契約けいやく解消かいしょうされて財団ざいだんたいするJR東日本ひがしにっぽん影響えいきょうりょくがなくなった2009ねん平成へいせい21ねん)まで、建物たてもの本体ほんたい搬出はんしゅつ作業さぎょうさい一部分いちぶぶんけずられた状態じょうたいのままのこされていた。契約けいやく解消かいしょう、2009ねん8がつ1にちをもって財団ざいだん自体じたいJR西日本にしにほんられ、大阪おおさか弁天べんてんまち交通こうつう科学かがく博物館はくぶつかんない移動いどうした[9]

財団ざいだん退去たいきょしたのちの2009ねん8がつ20日はつか建物たてもの解体かいたい工事こうじ開始かいしされ、同年どうねん10月2にちにはさい開発かいはつ計画けいかくあきらかとなり[10]2010ねん平成へいせい22ねん3月25にち建物たてもの概要がいよう発表はっぴょうされた[11]跡地あとちにはJR東日本ひがしにっぽん建築けんちくぬしとなって地上ちじょう20かい地下ちか2かい環境かんきょう配慮はいりょがた賃貸ちんたいオフィスビル「JR神田かんだ万世橋まんせいばしビル[12]」が建設けんせつされ、2013ねん1がつ竣工しゅんこうした。どうビルはオフィスのほか、各種かくしゅ店舗てんぽ、2かいには東京とうきょう認証にんしょう保育ほいくしょ、3かい・4かいにはラウンジ機能きのうゆうしたコンファレンス施設しせつ入居にゅうきょする。またこれにあわせるかたちきゅう万世橋まんせいばしえき遺構いこう整備せいびし、高架こうか商業しょうぎょう施設しせつ駅舎えきしゃあと観光かんこう施設しせつおこな[13]、2013ねん9がつ14にちマーチエキュート神田かんだ万世橋まんせいばしとして開業かいぎょうした。

展示てんじぶつ[編集へんしゅう]

上記じょうき以外いがいもの著名ちょめいとされるものについて記載きさいする。

閉館へいかんの2007ねん7がつ10日とおかから9月9にちまで江戸えど東京とうきょう博物館はくぶつかんで「だい鉄道てつどう博覧はくらんかい」が開催かいさいされた。ここでは写真しゃしん101けい電車でんしゃのドア装置そうちなど交通こうつう博物館はくぶつかん所蔵しょぞう資料しりょう一部いちぶ展示てんじされたが、おおくはJR四国しこく交通こうつう科学かがく博物館はくぶつかん個人こじんぞう資料しりょう中心ちゅうしんであった。

鉄道てつどう車両しゃりょう[編集へんしゅう]

過去かこ展示てんじ

実物じつぶつカット・部分ぶぶんレプリカ[編集へんしゅう]

過去かこ展示てんじ

  • 72けい電車でんしゃ車体しゃたい輪切わぎりカット、休憩きゅうけいスペースとして使用しよう 「ドアエンヂンの開閉かいへいスヰッチ」の操作そうさによりドアの開閉かいへいができた[15] から展示てんじされた101けいカットモデルと併設へいせつされた時期じきもあった)

運転うんてんシミュレータ[編集へんしゅう]

200けい、211けい簡易かんいシミュレータおよび205けい実写じっしゃ映像えいぞうを、209けいおよびそのちかくにある211けいCG映像えいぞう使用しようしていた。また205けい映像えいぞう国鉄こくてつ時代じだい1987ねん1がつクモヤ143かたち特別とくべつ列車れっしゃにより撮影さつえいされたもので、ウグイスやスカイブルー車体しゃたい103けいられるなど貴重きちょうなものであった。 211けい簡易かんいシミュレータの映像えいぞう東海道とうかいどうせん藤沢ふじさわ国府津こうづであった。

閉館へいかんは、青梅おうめ鉄道てつどう公園こうえんうつされた211けい簡易かんいシミュレータのほかはいずれも鉄道てつどう博物館はくぶつかん移設いせつされた。

車両しゃりょう以外いがい国鉄こくてつ関連かんれん[編集へんしゅう]

航空こうくう関連かんれん[編集へんしゅう]

その[編集へんしゅう]

マツダ・T2000
かご

関連かんれん書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • 交通こうつう博物館はくぶつかん へん交通こうつう博物館はくぶつかんのすべて られざる歴史れきし魅力みりょく』(JTBパブリッシング2001ねんISBN 4-533-04019-5
  • 交通こうつう博物館はくぶつかん へん図説ずせつ えき歴史れきし 東京とうきょうのターミナル』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃふくろうのほん、2006ねんISBN 4-309-76075-9
  • かん建彦たけひこ交通こうつう博物館はくぶつかん至宝しほう岩崎いわさき渡辺わたなべコレクション」」『日本にっぽん写真しゃしん学会がっかいだい67かんだい2ごう日本にっぽん写真しゃしん学会がっかい、2004ねん、108-112ぺーじdoi:10.11454/photogrst1964.67.108 

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 田栗たぐり優一ゆういち「1ごう機関きかんしゃ島原しまばら鉄道てつどう」『鉄道てつどうファン』No.489、103ぺーじ
  2. ^ a b teppakuの投稿とうこう(4433479820081078) - Facebook
  3. ^ 交通こうつう博物館はくぶつかんのすべて』JTB、2001ねん、43
  4. ^ 山下やました一夫かずお面目めんぼく一新いっしんした交通こうつう博物館はくぶつかん移動いどう鉄道てつどう博物館はくぶつかん」『国鉄こくてつせんだい8かんだい1ごう交通こうつう協力きょうりょくかい、1953ねん1がつ 24-25ページ
  5. ^ 重要じゅうようなおらせ】交通こうつう博物館はくぶつかん対外たいがい業務ぎょうむ終了しゅうりょういたしました交通こうつう博物館はくぶつかんHPより)
  6. ^ 平成へいせい20年度ねんど事業じぎょう報告ほうこく交通こうつう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだんHPより)
  7. ^ 北島きたじま幸司こうじ「ヒコーキおもちゃばこ だい14 保存ほぞんのAbiation 静岡理工科大学しずおかりこうかだいがく静岡しずおか航空こうくう資料しりょうかんたずねて」『航空こうくうファン通巻つうかん819ごう(2021ねん3がつごうぶん林堂はやしどう P.78-79
  8. ^ カーグラフィックTV パックナンバー 2006ねん5がつ放送ほうそうぶん
  9. ^ きゅう交通こうつう博物館はくぶつかんいまわらずのこ万世橋まんせいばしえき遺構いこう産経新聞さんけいしんぶん2008ねん11月3にちづけ
  10. ^ アキバの風景ふうけい異変いへん? カジュアルな大型おおがたてん相次あいつ登場とうじょう 「SHARP」だい看板かんばん撤去てっきょ交通こうつう博物館はくぶつかんあとさい開発かいはつちゅう、AKIBA PC Hotline!、2009ねん10月17にち
  11. ^ 神田かんだ万世橋まんせいばしビル(仮称かしょう)の建設けんせつについて (PDF)
  12. ^ JR神田かんだ万世橋まんせいばしビル(株式会社かぶしきがいしゃジェイアじぇいあル東日本るひがしにほんビルディング)
  13. ^ 中央ちゅうおうせん神田かんだ御茶ノ水おちゃのみずあいだあかレンガ高架こうかきょうあらたな名所めいしょ誕生たんじょうします!
  14. ^ 関田せきたかつこう (2006ねん5がつ). “回想かいそう交通こうつう博物館はくぶつかん”. Rail Magazine 272ごう: 28,29. 
  15. ^ 関田せきたかつこう (2006ねん5がつ). “回想かいそう交通こうつう博物館はくぶつかん”. Rail Magazine 272ごう: 35. 
  16. ^ あお鉛筆えんぴつ朝日新聞あさひしんぶん』1978ねん昭和しょうわ53ねん)9がつ4にち朝刊ちょうかん、13はん、23めん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]