弁べん官かん

弁べん官かん（べんかん、辨べん官かん）は、朝廷ちょうていの最高さいこう機関きかん、太政官だじょうかんの職しょくである左ひだり大だい弁べん（さだいべん）・右みぎ大だい弁べん（うだいべん）・左ひだり中ちゅう弁べん（さちゅうべん）・右みぎ中ちゅう弁べん（うちゅうべん）・左ひだり少しょう弁べん（さしょうべん）・右みぎ少しょう弁べん（うしょうべん）の総称そうしょうである。唐名とうみょう（漢かん風ふう名称めいしょう）は尚書しょうしょ。通説つうせつにおいては四等官しとうかんの中なかの判官ほうがん（じょう）に相当そうとうするが、異説いせつとして弁べん官かんを含ふくめた弁べん官かん局きょくを太政官だじょうかんの別べつ局きょくとして捉とらえ、元もとは本来ほんらいの四等官しとうかんの系列けいれつには含ふくまない品しな官かんであったする説せつもある^[1]。また、『延喜えんぎ式しき』においても、季き禄ろく・時服じふく・馬料ばりょう・要よう劇げき料りょうなどの給与きゅうよの支給しきゅう手続てつづきやそのために必要ひつような上うえ日びの集計しゅうけい・考こう文ぶんの送付そうふなどが太政官だじょうかんとは別個べっこに行おこなわれ、人事じんじ・財政ざいせい体系たいけいにおける太政官だじょうかんからの独立どくりつ性せいが確認かくにんできる^[2]。

大だい弁べんは従したがえ四よん位い上うえ、中ちゅう弁べんは正せい五ご位い上うえ相当そうとう、少しょう弁べんは正せい五ご位い下か相当そうとう（養老ようろう令れい官位かんい令れい）。

官庁かんちょうを指揮しき監督かんとくする役やくを負おっていたため、後のちには少納言しょうなごんより高位こういに位置いちづけられ、参議さんぎと大だい弁べんを兼任けんにんする者ものもいた。また、蔵人くろうど頭あたまと大だい弁べんまたは中なか弁べんを兼かねる者ものもおり、特とくに頭あたま弁べん（とうのべん）と称しょうされた。

左ひだり中ちゅう弁べん以上いじょうの経験けいけん者しゃには参議さんぎに昇進しょうしんする資格しかくがあり（右みぎ中ちゅう弁べん以下いかにはない）、将来しょうらい三さん位い以上いじょうに昇のぼる道みちが開ひらかれた出世しゅっせの登竜門とうりゅうもんであった。

職掌しょくしょう

その職掌しょくしょうは各省かくしょうとその傘下さんかの役職やくしょくの監督かんとくが主おもであり、庶事の受うけ付つけ、官かん内ないの糾（糺ただし）弾だんと決裁けっさい、起案きあん文ぶんへの署名しょめい、公務こうむの遅滞ちたいや過失かしつの判断はんだん、諸しょ官庁かんちょうの宿直しゅくちょくと諸しょ国司こくしの朝ちょう集しゅうの裁定さいていをつかさどった（大宝たいほう令れい職員しょくいん令れい）。律令りつりょうの規定きていでは、八はち省しょうのうち中務なかつかさ省しょう・式部しきぶ省しょう・治部じぶ省しょう・民みん部ぶ省しょうを左ひだり弁べん官かん局きょくが、兵部ひょうぶ省しょう・刑部おさかべ省しょう・大蔵省おおくらしょう・宮みや内省ないせいを右みぎ弁べん官かん局きょくが受うけ持もつこととされていたが、実際じっさいには弁わきまえ官かん局きょく総体そうたいで八はち省しょうを管轄かんかつしたようである^[3]。また、『集しゅう解かい令れい釈しゃく』（『令れい集しゅう解かい』の「令れい釈しゃく」）職員しょくいん令れい太政官だじょうかん条じょうには神祇官じんぎかんと春宮とうぐう坊ぼうのことも左ひだり弁べん官かんが扱あつかったと記しるされている^[4]。

定員ていいん

定員ていいんは左右さゆうの大だい弁べん・中ちゅう弁べん・少しょう弁わきまえ各かく1名めいの合計ごうけい6名めいであるが、中ちゅう弁べん・少しょう弁べんにおいて合計ごうけい2名めいまで権けん官かんの設置せっちが許ゆるされて「八はち弁べん」と称しょうされた。後のちに弁わきまえ官かんに置おかれる権けん官かんは1名めいとなり「七なな弁べん」と称しょうされた。平安へいあん時代じだい中期ちゅうきには権けん左ひだり中ちゅう弁べんが置おかれる例れいが多おおかったが、院政いんせい期きには権けん右みぎ中ちゅう弁べんが置おかれる例れいが一般いっぱん的てきとなった。

任官にんかん・昇進しょうしん・兼官けんかんなど

弁べん官かんはその職掌しょくしょう上じょう、実務じつむに堪能かんのうな者ものを必要ひつようとすることから、少しょう弁べんに任官にんかん後ごは順送じゅんおくりに昇進しょうしんし（例れい、右みぎ少しょう弁べん→左ひだり少しょう弁べん→右みぎ中ちゅう弁べん→権けん左ひだり中ちゅう弁べん→左ひだり中ちゅう弁べん→右みぎ大だい弁べん→左ひだり大だい弁べん）、大だい弁べんまで一貫いっかんして弁べん官かんを務つとめる者ものも多おおかった。もちろん、少しょう弁べんから中なか弁べんに昇進しょうしんせずに弁わきまえ官かんを離はなれる例れいや、少しょう弁べんを経へずに直接ちょくせつ中ちゅう弁べんに任にんじられる例れいも少すくなくない。中ちゅう弁べんを経へずに大だい弁べんに直じき任まかされるのは稀まれな例れいであった。

少しょう弁べんは五ご位いを原則げんそくとし、少しょう弁べんに在任ざいにん中ちゅうに四よん位いに叙じょされると少しょう弁べんを辞やめる例れいであった。従したがって、少しょう弁べんから中なか弁べんへと昇進しょうしんする場合ばあい、正せい五ご位い下したで少しょう弁べんから中なか弁べんに転任てんにんし、中ちゅう弁べんとなってから従したがえ四よん位い下したに叙じょされるのが一般いっぱん的てきであった。

左ひだり大だい弁べん・右みぎ大だい弁べんは参議さんぎが兼帯けんたいする例れいも多おおかった。また、非ひ参議さんぎ四よん位いの大だい弁べん・中ちゅう弁べんが蔵人くろうど頭あたまに補ほされる例れいは多おおく、頭あたま弁べんと称しょうした。非ひ参議さんぎの左ひだり大だい弁べん・右みぎ大だい弁べんは参議さんぎへ昇進しょうしんする資格しかくがあった。また、左ひだり中ちゅう弁べんで年とし労ろうのある者ものも参議さんぎへの昇進しょうしん資格しかくがあったが、参議さんぎが左ひだり中ちゅう弁べんを兼帯けんたいすることはないため^[5]、参議さんぎに任にんじられる際さいに大だい弁べんに欠員けついんがなく右みぎ大だい弁べん以上いじょうに転任てんにんできなければ、左ひだり中ちゅう弁べんを辞やめ、弁べん官かんを離はなれることになっていた。

少しょう弁べんや五ご位い中ちゅう弁べんで五ご位い蔵人くろうどを兼任けんにんする例れいも多おおかった。特とくに、五ご位い蔵人くろうど・衛門えもん権けん佐さ・少しょう弁べん（または五ご位い中ちゅう弁べん）の三みっつを兼任けんにんすることは「三さん事こと兼帯けんたい」と呼よばれ、諸しょ大夫たいふ出身しゅっしんの実務じつむ官かん人じんにとって名誉めいよなことであった。

弁べん官かんとともに公卿くぎょうへの重要じゅうような昇進しょうしんコースであった近衛このえ中将ちゅうじょう・少将しょうしょうが弁べん官かんを兼かねる例れいは、平安へいあん時代じだいの前期ぜんきまで時々ときどき見みられた。中将ちゅうじょうが大だい弁べんや中ちゅう弁べんを兼かねる例れいは、寛平かんぺい9年ねん（897年ねん）6月がつ19日にちに左ひだり中将ちゅうじょうを止とめた参議さんぎ左ひだり大だい弁べん源みなもと希のぞみが最後さいごである^[6]^[7]。その後ごも少将しょうしょうが弁わきまえ官かんを兼かねる例れいは稀まれに見みられたが、永えい延のべ3年ねん（989年ねん）4月がつ5日にちに左ひだり少将しょうしょう藤原伊周ふじわらのこれちかが右みぎ中ちゅう弁べんを兼かね（7月がつ13日にちに左ひだり少将しょうしょうから右みぎ少将しょうしょうに転てんじる）、翌よく永えい祚2年ねん（990年ねん）7月がつ10日とおかに右みぎ中将ちゅうじょうに転てんじて右みぎ中ちゅう弁べんを辞やめたのが最後さいごの例れいとなった^[6]。

朝廷ちょうていの力ちからが衰退すいたいした室町むろまち時代じだいから戦国せんごく時代じだいにかけては、弁べん官かんは必かならず蔵人くろうど（職しょく事ごと）を兼任けんにんし、大だい弁べんが参議さんぎを兼かねると蔵人くろうどを退しりぞく慣例かんれいがあった。また、名家めいか・羽林はばやし家か級きゅうの実務じつむ官僚かんりょう（特とくに日野ひの流りゅう・勧修寺かんしゅうじ流りゅう）が弁わきまえ官かんの地位ちいを多おおく占しめるようになる。名家めいかや羽林はばやし家かは納言なごん・参議さんぎに進すすんで上うえ卿きょうや伝奏てんそうを務つとめえる家柄いえがらであり、喫緊きっきんの場合ばあいには天皇てんのうが父子ふしごと召めし出だして父ちち（納言なごんまたは参議さんぎ）が上うえ卿きょうを務つとめ、子こ（弁べん官かん・職しょく事ごと）が奉行ぶぎょうして宣下せんげを出だすことも可能かのうであった。こうしたシステムは朝廷ちょうていの組織そしきが機能きのうしなくなり、残のこされた実務じつむを必要ひつよう最低限さいていげんの人員じんいんで効率こうりつよく動うごかす必要ひつように迫せまられた当時とうじの状況じょうきょうに即そくして考案こうあんされた工夫くふうであった^[8]。

弁べん官かん局きょく

弁べん官かんの下したには史ふみ（左ひだり大だい史し・右みぎ大だい史し・左ひだり少しょう史し・右みぎ少しょう史し）や使つかい部ぶ・官かん掌てのひら・史生ふみお・直ちょく丁ひのとなどが属ぞくして左右さゆうの弁べん官かん局きょくを構成こうせいする。議ぎ政官せいかん（大臣だいじん・大納言だいなごん・中納言ちゅうなごん・参議さんぎ）の下したで太政官だじょうかんの実務じつむを担になう枢要すうようの部署ぶしょであり、少納言しょうなごん局きょくと合あわせて太政官だじょうかん三さん局きょくという。

大だい史しは正せい六ろく位い上うえ、少しょう史しは正せい七なな位い上うえ相当そうとうであった（同どう官位かんい令れい）が、鎌倉かまくら時代ときよまでに左ひだり大だい史上しじょう首くびが五ご位いに昇のぼる慣例かんれいができ、大夫たいふ史しと呼よばれた。

大だい少しょう史しは、受領じゅりょうした公文こうぶんの記録きろく、起案きあん文ぶんの作成さくせいと署名しょめい、公務こうむの遅滞ちたいや過失かしつの調査ちょうさ、公文こうぶんの読申を所掌しょしょうした（同どう職員しょくいん令れい）。その他たの史生ふみお、官かん掌てのひら、直ちょく丁ひのとらは、官位かんい相当そうとう対象たいしょう外がいの雑ざつ任官にんかんであり、文書ぶんしょ筆写ひっしゃや訴人そにん案内あんないなどの雑務ざつむに従事じゅうじした。定員ていいんは左右さゆうの大だい史し・少しょう史し各かく2名めい、史生ふみお10名めい、官かん掌てのひら2名めい。

弁べん官かん局きょくで実際じっさいに実務じつむを運営うんえいしたのは大だい少しょう史しであり、特殊とくしゅ技能ぎのうである算さん道どう、文書ぶんしょ作成さくせいの慣行かんこうに関かんする知識ちしきが求もとめられることから、専門せんもん職しょくとして一体いったい意識いしきが醸成じょうせいされ、大だい少しょう史しの筆頭ひっとうである左ひだり大だい史上しじょう首くびが大だい少しょう史しを統括とうかつする弁べん官かん局きょくの主催しゅさい者しゃとなった。

10世紀せいき末すえに小しょう槻つき奉たてまつ親おやが左ひだり大だい史しに補任ほにんされて以来いらい、小しょう槻けやき氏しの嫡系は代々だいだい左ひだり大だい史しに昇のぼった。12世紀せいきごろには小しょう槻けやき氏しが左ひだり大だい史しを独占どくせんする人事じんじが定着ていちゃくした。弁べん官かん局きょくを主宰しゅさいする左ひだり大だい史しは官かん務つとむと呼よばれ、官かん務つとむを世襲せしゅうする小しょう槻けやき氏しは官かん務つとむ家かと称しょうされるようになった。

脚注きゃくちゅう

^ 森田もりた悌、『日本にっぽん古代こだい律令りつりょう法ほう史しの研究けんきゅう』第だい二に部ぶ第だい一いち章しょう第だい二に節せつ太政官だじょうかん制せいと政務せいむ手続てつづき、文献ぶんけん出版しゅっぱん、1986年ねん
^ 大隅おおすみ清きよし陽ひ、『律令りつりょう官制かんせいと礼れい秩序ちつじょの研究けんきゅう』第だい一部いちぶ第だい一いち章しょう弁べん官かんの変質へんしつと律令りつりょう太政官だじょうかん制せい、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2011年ねん
^ 佐藤さとう進一しんいち、『日本にっぽんの中世ちゅうせい国家こっか』第だい一いち章しょう第だい二に節せつ官かん司し請負うけおい制せい、岩波書店いわなみしょてん、1983年ねん
^ 有富ありとみ純じゅん也、『日本にっぽん古代こだい国家こっかと支配しはい理念りねん』第だい一部いちぶ第だい二に章しょう神祇官じんぎかんの特質とくしつ、東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱん会かい、2009年ねん
^ 平安へいあん時代じだい中期ちゅうきの源みなもと昇のぼるのように左ひだり中ちゅう弁べん在任ざいにん中ちゅうに参議さんぎに任にんぜられるも、左ひだり中ちゅう弁べんを元もとの如ごとく兼帯けんたいし続つづけた例れいもある（『公卿くぎょう補任ほにん』）。
^ ^a ^b 『公卿くぎょう補任ほにん』
^ 『近衛府このえふ補任ほにん』（続つづけ群ぐん書しょ類従るいじゅう完成かんせい会かい）
^ 井原いはら今朝男けさお、『室町むろまち期き廷臣ていしん社会しゃかい論ろん』第だい一部いちぶ第だい三さん章しょう廷臣ていしん公家くげの職掌しょくしょうと禁裏きんり小番こつがい制せい、塙はなわ書房しょぼう、2014年ねん

参考さんこう文献ぶんけん

井上いのうえ光貞みつさだほか校こう注ちゅう『日本にっぽん思想しそう大系たいけい3　律令りつりょう』、岩波書店いわなみしょてん、1976年ねん
井上いのうえ幸治こうじ「太政官だじょうかん弁べん官かん局きょくの実務じつむ職員しょくいんの変遷へんせんとその背景はいけい」（立たて命いのち館かん文學ぶんがく564号ごう）立命館大学りつめいかんだいがく人文じんぶん学会がっかい　2000年ねん3月がつ