国際こくさい両備りようびフェリー

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国際こくさい両備りようびフェリー株式会社かぶしきがいしゃ
Kokusai Ryobi Ferry Co.,Ltd.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
702-8003
岡山おかやまけん岡山おかやまちゅうしん築港ちっこう9ばん1ごう
本店ほんてん所在地しょざいち 761-4301
香川かがわけん小豆しょうずぐん小豆島あずしままち池田いけだ1番地ばんち18ごう
設立せつりつ 1960ねん10月4にち
業種ぎょうしゅ 海運かいうんぎょう
法人ほうじん番号ばんごう 3470001012143 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう 一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 小嶋こじま光信みつのぶ
資本しほんきん 1,760まんえん
売上うりあげだか 4おく6,000まんえん
(2007ねん3がつ実績じっせき
じゅん利益りえき ▲497まん4000えん
(2023ねん3がつ[1]
そう資産しさん 15おく0669まん3000えん
(2023ねん3がつ[1]
従業じゅうぎょう員数いんずう 134にん(2020ねん03がつ31にち現在げんざい
決算けっさん 毎年まいとし3がつ31にち
主要しゅよう株主かぶぬし 両備りようびホールディングス 100%
同社どうしゃ連結れんけつ子会社こがいしゃ
外部がいぶリンク https://ryobi-shodoshima.jp/company/ryobiferry
特記とっき事項じこう:2020ねん4がつ1にち国際こくさいフェリーが両備りようびフェリーを吸収きゅうしゅう合併がっぺいし、国際こくさい両備りようびフェリーに商号しょうごう変更へんこう
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国際こくさい両備りようびフェリー株式会社かぶしきがいしゃ(こくさいりょうびフェリー)は、岡山おかやまけん岡山おかやまちゅう本社ほんしゃ香川かがわけん小豆しょうずぐん小豆島あずしままち本店ほんてんがある海運かいうん会社かいしゃ岡山おかやま新岡山しんおかやまこう小豆島しょうどしま土庄とのしょうこう高松たかまつ高松たかまつこう小豆島あずしま池田いけだこうむすフェリー航路こうろ運航うんこうしている。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

両備りようびフェリーは、1928ねん設立せつりつされたみなみ備海うん合資ごうし会社かいしゃ起源きげんとしている。1949ねんみなみ備海うん株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつされ、1960ねんみなみ備海うん株式会社かぶしきがいしゃみなみ備海うん合資ごうし会社かいしゃ合併がっぺいした。1969ねんみなみ備海うんは、まるタクシーと合併がっぺい両備りようび運輸うんゆとなる[2]。2007ねん4がつ1にち両備りようび運輸うんゆ両備りょうびバスが合併がっぺい両備りようびホールディングス株式会社かぶしきがいしゃとなり、フェリー部門ぶもん両備りようびホールディングスの社内しゃないカンパニーの両備りようびフェリーカンパニーとなる。2011ねん両備りようびフェリーとして分社ぶんしゃされる。

国際こくさいフェリー株式会社かぶしきがいしゃは、1963ねん設立せつりつされ、2007ねん7がつ1にち両備りようびホールディングス同社どうしゃぜん株式かぶしき取得しゅとく完全かんぜん子会社こがいしゃし、両備りようびグループ企業きぎょうとなった[3]

2020ねん4がつ1にち国際こくさいフェリーが両備りようびフェリーを吸収きゅうしゅう合併がっぺいし、国際こくさい両備りようびフェリーに商号しょうごう変更へんこうした[4][5]

さらに2020ねん8がつ31にちをもって小豆島しょうどしま草壁くさかべみなと拠点きょてんとする内海うつみフェリーからの支援しえん要請ようせいこたえるかたち同社どうしゃぜん株式かぶしき取得しゅとく子会社こがいしゃした。2021ねん4がつには同社どうしゃ航路こうろ近隣きんりん高松たかまつ - 池田いけだ小豆島しょうどしま航路こうろ統合とうごう経営けいえい効率こうりつはか[6][7]ともにオーキドホテルに隣接りんせつするサイクルステーションない小豆島あずしま事業じぎょう創設そうせつさせ、ホテル料飲りょういん部門ぶもんみなと売店ばいてん船内せんない売店ばいてん、ホテル売店ばいてん運営うんえい管理かんり統合とうごうさせ、経営けいえい効率こうりつはかるとともにモビリティ事業じぎょうおよびECサイト事業じぎょう地域ちいき商社しょうしゃ事業じぎょうへのたてげに着手ちゃくしゅした。

事業じぎょうしょ[編集へんしゅう]

航路こうろ[編集へんしゅう]

みなみ備海うん時代じだいには岡山おかやま京橋きょうばし拠点きょてんとして、岡山おかやまけん瀬戸内海せとないかい沿岸えんがん小豆島しょうどしま犬島いぬじま高松たかまつ発着はっちゃくする旅客船りょかくせん航路こうろ運航うんこうしていた。1964ねん岡山おかやまこう - 土庄とのしょうこうのカーフェリー航路こうろ開設かいせつしたのち、その航路こうろ順次じゅんじ撤退てったいし、これに一本いっぽんされるかたちとなった。一方いっぽう国際こくさいフェリーは、一貫いっかんして高松たかまつ - 小豆島あずしま航路こうろ運航うんこうしていた。

就航しゅうこうちゅう航路こうろ[編集へんしゅう]

2018ねん10月1にちから運賃うんちん支払しはらいにICOCA電子でんしマネー交通こうつうけいICカード全国ぜんこく相互そうご利用りようサービス(PiTaPaをのぞく)の電子でんしマネー機能きのう)・楽天らくてんEdynanacoWAONiDQUICPayクレジットカードデビットカード使用しようできる[15]。ただし、窓口まどぐちでのチャージ(入金にゅうきん)はできない。

過去かこ航路こうろ[編集へんしゅう]

  • 岡山おかやま京橋きょうばし - 土庄とのしょうこう
    旅客船りょかくせん当時とうじ主力しゅりょく航路こうろで、1964ねん(フェリー航路こうろ開設かいせつ以前いぜん時点じてんいちにち10往復おうふく運航うんこうされていた[16]
  • 岡山おかやま京橋きょうばし - 犬島いぬじま - 土庄とのしょうこう - 高松たかまつこう ほかに直航ちょっこう便びん区間くかん便びんあり
  • 岡山おかやま京橋きょうばし - 犬島いぬじま - 牛窓うしまど - 日生にっせいみなと
  • 日生ひなせこう - 犬島いぬじま - 土庄とのしょうこう - 高松たかまつこう
    それぞれ1964ねん時点じてんいちにち1往復おうふく程度ていど運航うんこう旅客船りょかくせん航路こうろ[16]で、1968ねん時点じてんでは日生にっせい高松たかまつのみが運航うんこうされていた[17]
  • 新岡山しんおかやまこう - 瀬戸大橋せとおおはし遊覧ゆうらん
  • 新岡山しんおかやまこう - 牛窓うしまど - 土庄とのしょうこう
    1980年代ねんだいから1990年代ねんだい運航うんこうされたデイクルーズ航路こうろ

船舶せんぱく[編集へんしゅう]

就航しゅうこうちゅう船舶せんぱく[編集へんしゅう]

いずれの船舶せんぱくも、甲板かんぱんどもよう遊具ゆうぐそなえ、乳幼児にゅうようじれの家族かぞく配慮はいりょした内装ないそうとなっている。

  • 新岡山しんおかやまこう - 土庄とのしょうこう
    1964ねん東京とうきょうオリンピックと同日どうじつ開設かいせつされたことから、この航路こうろ歴代れきだいのフェリーはすべて「おりんぴあ」と命名めいめいされている[18]
    おりんぴあ どりーむ[19]
    2005ねん6がつ就航しゅうこう。967そうトン。全長ぜんちょう66.03m、全幅ぜんはば14.70m、出力しゅつりょく3,200馬力ばりき航海こうかい速力そくりょく14ノット。
    旅客りょかく定員ていいん500めい車両しゃりょう積載せきさいりょう普通ふつう乗用車じょうようしゃ60だいまたはバス9だい藤原ふじわら造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    屋上おくじょうには、ブランコや、メリーゴーランド、ボルタリングが設置せっちされている。
    本船ほんせんは、普段ふだん新岡山しんおかやまこう係船けいせんされており、新岡山しんおかやま航路こうろ臨時りんじ便びんチャちゃ便びんでも活躍かつやくする。
    おりんぴあ どりーむせと[19][20]
    2019ねん5がつ1にち就航しゅうこう[20]。942そうトン[21]全長ぜんちょう60m、全幅ぜんはば14.7m、出力しゅつりょく2,800馬力ばりき航海こうかい速力そくりょく13ノット[21]
    旅客りょかく定員ていいん500めい[22]座席ざせき定員ていいん229めい[21]車両しゃりょう積載せきさいりょう普通ふつう乗用車じょうようしゃ60だいまたは大型おおがたしゃ10だい[21]
    屋上おくじょうには、ブランコや、すべりだい、チャギントンのミニトレインが設置せっちされている。
    本船ほんせんは、普段ふだん新岡山しんおかやま航路こうろ運航うんこうされている。さらに、池田いけだ航路こうろ(だいじゅういちこくさいまるだいいちこくさいまる)、四国しこく汽船きせん(なおしま、あさひ)のだいふねとしても運航うんこうする。
    四国しこく汽船きせんだいふね運航うんこうについては、風戸かざと航路こうろの「せと」がドックりした場合ばあい、「あさひ」が風戸かざと航路こうろはいり、だいふね(おりんぴあどりーむせと)が高松たかまつ宮浦みやうら宇野うの航路こうろはいる。さらに、「なおしま」「あさひ」のドックりのだいふねわせて、年間ねんかんに3四国しこく汽船きせんだいふねとして運航うんこうする。
  • 高松たかまつこう - 池田いけだこう
    だいいちこくさいまる(3だい通称つうしょう:パンダ)
    2007ねん6がつ竣工しゅんこう同年どうねん7がつ1にち就航しゅうこう。696.0そうトン[19][23]全長ぜんちょう70.0mはば13.7m、出力しゅつりょく3,200馬力ばりき航海こうかい速力そくりょく15.0ノット最大さいだい15.9ノット)。
    旅客りょかく定員ていいん500めい車両しゃりょう積載せきさいすう乗用車じょうようしゃ55だい藤原ふじわら造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    屋上おくじょうデッキの煙突えんとつ部分ぶぶんパンダをかたどったそとばん設置せっちしている。また、屋上おくじょうにはパンダの遊具ゆうぐ設置せっちされている。
    だいじゅういちこくさいまる(2だい・しまぞう)
    2021ねん6がつ28にち竣工しゅんこう同年どうねん7がつ21にち就航しゅうこう 1,213そうトン 全長ぜんちょう73.05m はば15m 出力しゅつりょく3,600馬力ばりき 定員ていいん500めい 車両しゃりょう積載せきさい60だい 藤原ふじわら造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    屋上おくじょうデッキにゾウをかたどったマストを設置せっちしている。また、屋上おくじょうには、ブランコや、ゾウのメリーゴーランドが設置せっちされている。
    しまぞうという愛称あいしょうは、公募こうぼまった。[24]
    このクラスとして日本にっぽんはつまえうしろにエレベーターを設置せっちした。また、いままでのこくさいまるはじめて1000tをえた。本船ほんせん設計せっけい高島屋たかしまやスペースクリエイツが担当たんとう


過去かこ船舶せんぱく[編集へんしゅう]

みなみ備海うん両備りようび運輸うんゆ[編集へんしゅう]

旅客船りょかくせん[編集へんしゅう]
  • 南海なんかいまる初代しょだい[25]
    15そうトン。
    はち千代丸ちよまる[25]
    18そうトン。牛窓うしまど - 犬島いぬじま - 小豆島あずしま - 高松たかまつ航路こうろ就航しゅうこう[26]
    千代田ちよだまる[27]
    1931ねん7がつ進水しんすい、1940ねん7がつ1にちかいせん[28]、37そうトン、登録とうろくちょう18.3m、かたはば3.3m、かたふかさ1.5m、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく57ps。
    菊水丸きくすいまる[29]
    1932ねん2がつ進水しんすい、25.59そうトン、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく40ps、最大さいだい速力そくりょく7.0ノット、旅客りょかく定員ていいん36めい
    高千穂たかちほまる[29]
    1937ねん6がつ進水しんすい、60.13そうトン、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく140ps、最大さいだい速力そくりょく7.5ノット、旅客りょかく定員ていいん88めい
    だいこうまる[30]
    1937ねん7がつ進水しんすい、1939ねん2がつ17にちかいせん[31]、25そうトン、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく57ps。
    高砂たかさごまる[27]
    1938ねん9がつ進水しんすい、39そうトン、登録とうろくちょう17.9m、かたはば4.1m、かたふかさ1.5m、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく73ps。
    あさひまる[32]
    1944ねん6がつ進水しんすい、58.09そうトン、登録とうろくちょう18.60m、かたはば4.60m、かたふかさ1.48m、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく60ps、最大さいだい速力そくりょく7ノット、旅客りょかく定員ていいん147めいおか造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう
    福丸ふくまる[32]
    1944ねん7がつ進水しんすい、48.84そうトン、登録とうろくちょう19.50m、かたはば4.73m、かたふかさ1.77m、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく60ps、最大さいだい速力そくりょく6ノット、旅客りょかく定員ていいん24めいおか造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう
    高嶺たかねまる[32]
    1948ねん11月進水しんすい、63.26そうトン、登録とうろくちょう23.40m、かたはば4.56m、かたふかさ1.89m、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく200ps、最大さいだい速力そくりょく10ノット、旅客りょかく定員ていいん142めいおか造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう
    みずほまる[32]
    1951ねん11月進水しんすい、75.71そうトン、登録とうろくちょう22.40m、かたはば4.73m、かたふかさ2.02m、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく150ps、最大さいだい速力そくりょく9ノット、旅客りょかく定員ていいん247めいおか造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう
    はるなまる[32]
    1954ねん7がつ進水しんすい、68.11そうトン、登録とうろくちょう21.49m、かたはば4.85m、かたふかさ1.93m、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく140ps、最大さいだい速力そくりょく9ノット、旅客りょかく定員ていいん221めいおか造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう
    錦海きんかいまる[33]
    建造けんぞうねんしょう、4.95そうトン、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく15ps、航海こうかい速力そくりょく6ノット、旅客りょかく定員ていいん20めい
    きみまる[32]
    1955ねん3がつ進水しんすい、38.92そうトン、登録とうろくちょう17.05m、かたはば4.09m、かたふかさ1.52m、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく90ps、最大さいだい速力そくりょく8ノット、旅客りょかく定員ていいん77めいおか造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう
    南海なんかいまる(2だい[32]
    1956ねん9がつ進水しんすい、47.01そうトン、登録とうろくちょう18.30m、かたはば4.52m、かたふかさ1.76m、木造もくぞう焼玉やきだま機関きかん出力しゅつりょく115ps、最大さいだい速力そくりょく9ノット、旅客りょかく定員ていいん68めいおか造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう
    きりしままる[32]
    1958ねん4がつ進水しんすい、156.81そうトン、登録とうろくちょう26.00m、かたはば6.25m、かたふかさ2.58m、木造もくぞう、ディーゼル、出力しゅつりょく400ps、最大さいだい速力そくりょく12ノット、旅客りょかく定員ていいん360めいおか造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう
    しょうどしままる[32]
    1961ねん6がつ進水しんすい、159.95そうトン、登録とうろくちょう26.25m、かたはば6.32m、かたふかさ2.78m、木造もくぞう、ディーゼル、出力しゅつりょく350ps、最大さいだい速力そくりょく12ノット、旅客りょかく定員ていいん370めいおか造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう特定とくてい船舶せんぱく整備せいび公団こうだん共有きょうゆう
フェリー[編集へんしゅう]
  • おりんぴあ(初代しょだい
    1964ねん10がつ就航しゅうこう。417.88そうトン、全長ぜんちょう38.87m、はば10.97m、出力しゅつりょく900ps、航海こうかい速力そくりょく12.3ノット。
    旅客りょかく定員ていいん415めい乗用車じょうようしゃ25だい神田かんだ造船ぞうせんしょ建造けんぞう。1981ねん日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょより削除さくじょ[34]
    にゅう おりんぴあ(初代しょだい[35]
    1967ねん3がつ22にち竣工しゅんこう。341.54そうトン、全長ぜんちょう39.28m、かたはば11.20m、かたふかさ3.45m、出力しゅつりょく900ps、航海こうかい速力そくりょく12.0ノット。
    旅客りょかく定員ていいん400めい神田かんだ造船ぞうせんしょ建造けんぞう特定とくてい船舶せんぱく整備せいび公団こうだん共有きょうゆう。1980ねん4がつむつわんフェリーうれせん[34]
    さん おりんぴあ(初代しょだい
    1972ねん3がつ就航しゅうこう。344.82そうトン、全長ぜんちょう38.6m、はば11.2m、出力しゅつりょく1,000ps、航海こうかい速力そくりょく12ノット。
    旅客りょかく定員ていいん412めい乗用車じょうようしゃ25だい今村いまむら造船ぞうせん建造けんぞう。1991ねん名鉄めいてつ海上かいじょう観光かんこうせんうれせん[34]
    しぃ おりんぴあ
    1966ねん3がつ竣工しゅんこう、1972ねん10がつかいせん就航しゅうこう。587.02そうトン、全長ぜんちょう49.97m、はば13.4m、出力しゅつりょく1.400ps、航海こうかい速力そくりょく12.5ノット。
    旅客りょかく定員ていいん710めい乗用車じょうようしゃ50だい金指かなさし造船ぞうせん建造けんぞうもと東京湾とうきょうわんフェリーとうきょうまる。1990ねん海外かいがいうりせん[34]
    おりんぴあ(2だい
    1979ねん11月竣工しゅんこう就航しゅうこう。606.3そうトン、全長ぜんちょう51m、はば13.85m、出力しゅつりょく2,600ps、航海こうかい速力そくりょく13ノット。
    旅客りょかく定員ていいん480めい乗用車じょうようしゃ50だい神田かんだ造船ぞうせんしょ建造けんぞう。2005ねん日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょより削除さくじょ[34]。フィリピンのサンタクララシッピング会社かいしゃうれせん
    さん おりんぴあ(2だい
    1979ねん2がつ竣工しゅんこう、1989ねん8がつかいせん就航しゅうこう。641.18そうトン、全長ぜんちょう59.5m、はば14.0m、出力しゅつりょく2,000ps、航海こうかい速力そくりょく12ノット。
    旅客りょかく定員ていいん480めい、トラック22だい讃岐さぬき造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞうもと四国しこくフェリーだいななじゅうたま高丸たかまる。1999ねん海外かいがいうりせん[34]
    さん おりんぴあ(3だい
    1984ねん3がつ竣工しゅんこう、2001ねんかいせん就航しゅうこう。763そうトン、全長ぜんちょう62.16m、はば14.2m、出力しゅつりょく2,200ps、航海こうかい速力そくりょく13.5ノット。
    旅客りょかく定員ていいん490めい、トラック22だい藤原ふじわら造船ぞうせんしょ建造けんぞうもと瀬戸内せとうち観光かんこう汽船きせんひなせまる。2006ねん日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょより削除さくじょ[34]
    にゅう おりんぴあ(2だい
    1988ねん6がつ竣工しゅんこうどう7がつ就航しゅうこう。690そうトン、全長ぜんちょう56m、はば14.0m、出力しゅつりょく2,600ps、航海こうかい速力そくりょく13ノット。
    旅客りょかく定員ていいん480めい乗用車じょうようしゃ55だい神田かんだ造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    2020ねん3がつフィジーにうれせん[34]
高速こうそくせん[編集へんしゅう]
  • きんぐおりいぶ[36]
    1972ねん3がつ進水しんすい
    71.73そうトン、ディーゼル2機関きかん出力しゅつりょく1,248ps、航海こうかい速力そくりょく24ノット、旅客りょかく定員ていいん80めい
    くいんおりいぶ[37]
    1973ねん2がつ竣工しゅんこう三保さんぼう造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    72.31そうトン、登録とうろくちょう20.50m、かたはば4.71m、かたふかさ2.19m、ディーゼル2出力しゅつりょく1,248ps、航海こうかい速力そくりょく24.00ノット、旅客りょかく定員ていいん89めい
    マーメイドオリーブ(初代しょだい[38]
    1975ねん竣工しゅんこう三保さんぼう造船ぞうせんしょ建造けんぞう後年こうねん瀬戸大橋せとおおはし観光かんこうせんとして使用しようされ、1991ねん宮古みやこフェリーうれせん[39]
    15そうトン、登録とうろくちょう16.1m、かたはば4.1m、かたふかさ1.7m、ディーゼル2出力しゅつりょく650ps、航海こうかい速力そくりょく25ノット、旅客りょかく定員ていいん52めい
    プリンセスオリーブ[40]
    1981ねん7がつ竣工しゅんこう同月どうげつ19にち就航しゅうこう[41]。65.00そうトン、登録とうろくちょう17.99m、かたはば4.20m、出力しゅつりょく910ps、航海こうかい速力そくりょく24ノット[42]
    旅客りょかく定員ていいん94めい三保さんぼう造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    クイーンオリーブ[40]
    1981ねん11月竣工しゅんこう同年どうねん12がつ1にち就航しゅうこう[41]。64.95そうトン、登録とうろくちょう18.17m、かたはば4.20m、出力しゅつりょく910ps、航海こうかい速力そくりょく24ノット[42]
    旅客りょかく定員ていいん94めい三保さんぼう造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    マーメイドオリーブ(2だい
    18.00そうトン、旅客りょかく定員ていいん20めい航海こうかい速力そくりょく24ノット[13]
クルーズ客船きゃくせん[編集へんしゅう]
明代あきよ宝船たからぶね ていかず」(土庄とのしょうこうにて)
  • 御座船ござぶね 備州
    1986ねん7がつ21にち竣工しゅんこう。486そうトン。全長ぜんちょう49.7m、はば11.0m、出力しゅつりょく850ps、航海こうかい速力そくりょく12.0ノット。旅客りょかく定員ていいん500めい神田かんだ造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    岡山おかやま藩主はんしゅ池田いけだひとしせい奉納ほうのうした御座船ござぶね模型もけいをモデルとした和風わふうのデイクルーズ客船きゃくせんで、岡山おかやま拠点きょてん瀬戸大橋せとおおはし方面ほうめん周遊しゅうゆう航路こうろ就航しゅうこう[43]。その御座船ござぶね 安宅あたかまるとして、東京とうきょうわんて、2021ねんから神戸こうべベイクルーズ就航しゅうこう
    ていかず
    1989ねん8がつ竣工しゅんこう。288そうトン。全長ぜんちょう43.4m、はば8.5m、出力しゅつりょく650ps、航海こうかい速力そくりょく10.0ノット。旅客りょかく定員ていいん300めい中国ちゅうごく福建ふっけんしょうりょう修造しゅうぞうしょう建造けんぞう
    中国ちゅうごく明代あきよ宝船たからぶねをモチーフとしたデイクルーズ客船きゃくせん木造もくぞうせん)で、岡山おかやま - 牛窓うしまど - 土庄とのしょう就航しゅうこう[44]後年こうねん博多湾はかたわん観光かんこう汽船きせん博多湾はかたわんクルーズで使用しようされた。

国際こくさいフェリー[編集へんしゅう]

  • だいいちこくさいまる初代しょだい[45]
    1964ねん1がつ進水しんすい岡山おかやま造船ぞうせん建造けんぞう貨物かもつフェリーとして就航しゅうこう[46]。1972ねんうれせん[14]
    108.24そうトン、登録とうろくちょう25.50m、かたはば7.00m、かたふかさ2.40m、ディーゼル2機関きかん出力しゅつりょく180ps、航海こうかい速力そくりょく8ノット。
    旅客りょかく定員ていいん12めい
    だいさんこくさいまる[45]
    1965ねん7がつ進水しんすい岡山おかやま造船ぞうせん建造けんぞう小豆島あずしま急行きゅうこうフェリー用船ようせんされ、当初とうしょ高松たかまつ - 土庄とのしょう航路こうろ就航しゅうこう[46]、その池田いけだ航路こうろてんはい[33]。1969ねんうれせん[14]
    133.23そうトン、登録とうろくちょう25.60m、かたはば7.00m、かたふかさ2.50m、ディーゼル2機関きかん出力しゅつりょく230ps、航海こうかい速力そくりょく10ノット。
    旅客りょかく定員ていいん154めい[46]
    だいはちこくさいまる[47]
    1969ねん5がつ竣工しゅんこう松浦まつうら鉄工てっこう造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    199.69そうトン、全長ぜんちょう38.60m、かたはば8.00m、かたふかさ2.99m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく900ps、航海こうかい速力そくりょく12ノット。
    旅客りょかく定員ていいん250めい、トラック12だい
    1972ねん個人こじん船主せんしゅうれせん、「だいじゅうはちきん風呂ふろまる」に改名かいめい
    だいじゅういちこくさいまる初代しょだい
    1972ねん8がつ竣工しゅんこう就航しゅうこう。493.2そうトン、全長ぜんちょう52.5m、はば10.0m、出力しゅつりょく2,000馬力ばりき航海こうかい速力そくりょく13.5ノット(最大さいだい14.5ノット)。
    旅客りょかく定員ていいん421めい車両しゃりょう積載せきさいすう:トラック(8t換算かんさん)21だい新浜にいはま造船ぞうせん建造けんぞう
    1981ねん関西かんさい急行きゅうこうフェリーにうれせんし、ふねめいを「しわくまる」に変更へんこう。1991ねん日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょより削除さくじょ
    だいいちこくさいまる(2だい
    1976ねん5がつ竣工しゅんこう就航しゅうこう。199.99そうトン、全長ぜんちょう35.3m、はば9.5m、出力しゅつりょく600馬力ばりき航海こうかい速力そくりょく9.0ノット。
    旅客りょかく定員ていいん50めい車両しゃりょう積載せきさいすう不明ふめい伸和のぶかず産業さんぎょう建造けんぞう
    引退いんたい個人こじん事業じぎょうぬし売却ばいきゃくされ「蛭子えびすまる」として笠岡かさおか北木島きたぎしま豊浦とようらあいだ就航しゅうこう廃業はいぎょうともなはいせんとなる。
    だいじゅういちこくさいまる (通称つうしょう:ゾウ)
    1981ねん10がつ竣工しゅんこう就航しゅうこう。649.2そうトン、全長ぜんちょう54.8m、はば13.0m、出力しゅつりょく2,800馬力ばりき航海こうかい速力そくりょく13.5ノット(最大さいだい14.0ノット)。
    旅客りょかく定員ていいん490めい車両しゃりょう積載せきさいすう乗用車じょうようしゃ20だい、トラック(8t換算かんさん)10だい藤原ふじわら造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    1990ねん四国しこく汽船きせんうれせんし、ふねめいを「なおしま」に変更へんこう。1997ねん日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょより削除さくじょ
    だいさんじゅういちこくさいまる (通称つうしょう:カメ)
    1990ねん4がつ竣工しゅんこう同年どうねん5がつ就航しゅうこう、2000ねん改装かいそう。905.0そうトン、全長ぜんちょう63.2m、はば14.7m、出力しゅつりょく4,000馬力ばりき航海こうかい速力そくりょく16.5ノット(最大さいだい17.6ノット)。
    旅客りょかく定員ていいん490めい車両しゃりょう積載せきさいすう乗用車じょうようしゃ60だい、トラック(8t換算かんさん)22だい藤原ふじわら造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    2007ねんタイのseatran ferryにうれせんされseatran ferry7として運航うんこうされている。うえっていたかめみなとちかくの公園こうえんかれている。
    だいさんじゅうこくさいまる通称つうしょう:キリン)
    2001ねん10がつ竣工しゅんこう同年どうねん11がつ就航しゅうこう。749そうトン[19][23]全長ぜんちょう65.77m、はば14.7m、出力しゅつりょく3,600馬力ばりき航海こうかい速力そくりょく15.0ノット(最大さいだい16.0ノット)。
    旅客りょかく定員ていいん500めい車両しゃりょう積載せきさいすう乗用車じょうようしゃ70だい藤原ふじわら造船ぞうせんしょ建造けんぞう
    2021ねん引退いんたいすぐ韓国かんこく改造かいぞうし、フィリピンのサンタクララシッピング会社かいしゃうれせんされM/V DON EDUARDOとして運航うんこうされている

とアクセス[編集へんしゅう]

連携れんけい輸送ゆそう[編集へんしゅう]

  • かもめバス切符きっぷ - 岡山おかやまえき - 新岡山しんおかやまこうのバスとフェリー乗船じょうせんけんをセットにしたプラン。
  • 小豆島あずしま縦断じゅうだんプラン - とう航路こうろまたは瀬戸内せとうち観光かんこう汽船きせん国際こくさいフェリーを高松たかまつこうくことができるセットプラン。
  • 小豆島あずしま周遊しゅうゆうプラン - とう航路こうろ瀬戸内せとうち観光かんこう汽船きせん新岡山しんおかやまこう - 日生ひなせこうあいだのセットプラン。

関係かんけい会社かいしゃ[編集へんしゅう]

事故じこ[編集へんしゅう]

  • 2019ねん12月29にち12:50ごろだいさんじゅうこくさいまる(キリン)は高松たかまつこう入港にゅうこう停止ていしできず岸壁がんぺき衝突しょうとつ右舷うげんがわ船首せんしゅ付近ふきん船体せんたいあなひら事故じこ発生はっせいした。浸水しんすいあぶら流出りゅうしゅつはなかったが、乗客じょうきゃく1めい負傷ふしょう岸壁がんぺき修理しゅうり完了かんりょうまで発着はっちゃく支障ししょうた。
  • 2022ねん5がつ5にち午前ごぜん9ごろ高松たかまつこう岸壁がんぺき停車ていしゃちゅう同社どうしゃのワンボックスカーが海中かいちゅう転落てんらく無人むじんのため人的じんてき被害ひがいがなかったが、作業さぎょうのため岸壁がんぺき使用しよう停止ていしされた。

事件じけん[編集へんしゅう]

  • 2022ねん2がつ21にち午前ごぜん8すぎ、小豆島あずしま池田いけだこうから高松たかまつこうかっていただいいちこくさいまる(パンダ)の男子だんしトイレに「ばくだんがある。警察けいさつ連絡れんらくしろ。」というメモがつかった。フェリーは高松たかまつこう着岸ちゃくがんし、乗客じょうきゃく80にんろしたあと、船員せんいん10にん避難ひなんさせ、香川かがわ県警けんけい高松たかまつ海上かいじょう保安ほあんふねなか船底ふなそこなどをおよそ2あいだはん捜索そうさくしたがばくだんのようなものはつからなかった。メモはA4のコピー用紙ようしを3ぶんの1程度ていどったものに、ボールペンによる手書てがきだったということで、威力いりょく業務ぎょうむ妨害ぼうがいうたがいもあるとみて捜査そうさしている。かえ池田いけだこう運航うんこうする予定よていだった高松たかまつこうはつ午前ごぜん832ぶん便びん池田いけだこうはつ午前ごぜん950ふんはつの1往復おうふく2便びん運休うんきゅうとなった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 国際こくさい両備りようびフェリー株式会社かぶしきがいしゃ だい60決算けっさん公告こうこく
  2. ^ 会社かいしゃ概要がいよう沿革えんかく”. 2020ねん5がつ25にち閲覧えつらん
  3. ^ 国際こくさいフェリー株式会社かぶしきがいしゃ」を 両備りようびグループ傘下さんか Archived 2007ねん7がつ8にち, at the Wayback Machine.(ニュースリリース) - 両備りようびグループ(2007ねん7がつ5にちづけ、2010ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  4. ^ 両備りようびHD、小豆島あずしまフェリーの傘下さんか2しゃ統合とうごう”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2020ねん3がつ25にち). 2020ねん3がつ25にち閲覧えつらん
  5. ^ 国際こくさいフェリー㈱、両備りようびフェリー㈱を吸収きゅうしゅう合併がっぺい しん社名しゃめい国際こくさい両備りようびフェリー㈱に”. 両備りようびグループ (2020ねん3がつ26にち). 2020ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  6. ^ 両備りようびグループ、高松たかまつ小豆島あずしまフェリー会社かいしゃ経営けいえいけん取得しゅとく. 日経にっけい電子でんしばん. (2020ねん9がつ11にち). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63751610R10C20A9LC0000/ 2020ねん9がつ11にち閲覧えつらん 
  7. ^ 小嶋こじま光信みつのぶ (2020ねん9がつ11にち). “しんコロナ内海うつみフェリーを経営けいえい支援しえんし、国際こくさい両備りようびフェリーで航路こうろ再編さいへん”. 両備りようびホールディングス. 2020ねん9がつ11にち閲覧えつらん
  8. ^ 世界せかい艦船かんせん別冊べっさつ 日本にっぽんのカーフェリー-その揺籃ようらんから今日きょうまで-p.318(海人あましゃ,2009)
  9. ^ JTB時刻じこくひょう1990ねん8がつごう
  10. ^ JTB時刻じこくひょう2008ねん8がつごうおよび9がつごう
  11. ^ 四国しこくフェリーは「だいななしょうどしままる」にて運航うんこう
  12. ^ どう共同きょうどう運航うんこうは、海上かいじょう運送うんそうほうだい28じょうもとづくものであり、独占どくせん禁止きんしほう適用てきよう除外じょがいされている。
  13. ^ a b c "フェリー・旅客船りょかくせんガイド 2006ねん春季しゅんきごう P.215 (日刊にっかん海事かいじ通信つうしんしゃ 2006)
  14. ^ a b c 会社かいしゃ概要がいよう&沿革えんかく
  15. ^ よくあるご質問しつもん” (PDF). 両備りようび小豆島あずしまフェリーグループ. 2020ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  16. ^ a b 時刻じこくひょう完全かんぜん復刻ふっこくばん1964ねん10がつごうp.510(JTBパブリッシング,2019)
  17. ^ 時刻じこくひょう完全かんぜん復刻ふっこくばん1968ねん10がつごうp.372(JTBパブリッシング,2021)
  18. ^ https://ryobi-shodoshima.jp/facility/ryobi_ferry/ ふねめい由来ゆらい
  19. ^ a b c d 就航しゅうこうせん紹介しょうかい”. 2020ねん5がつ25にち閲覧えつらん
  20. ^ a b おりんぴあどりーむせと - 両備りようびフェリーカンパニー(2019ねん4がつ23にち、2019ねん4がつ30にち閲覧えつらん
  21. ^ a b c d 代表だいひょうメッセージ 「おりんぴあどりーむ せと」5/1に就航しゅうこう - 両備りようびグループ
  22. ^ 豪華ごうか! 5月から就航しゅうこうしんクルーズフェリー 愛媛えひめ今治いまばり進水しんすいしき - FNN.jpプライムオンライン(2019ねん3がつ7にち
  23. ^ a b ふね設備せつび 高松たかまつこう小豆島あずしま池田いけだこう”. 2019ねん12月30にち閲覧えつらん
  24. ^ https://www.asahi.com/sp/articles/ASP7G7FM0P7FPTLC03C.html
  25. ^ a b 逓信ていしんしょうかんせんきょく へん日本にっぽんせんめいろく昭和しょうわ13年度ねんど,帝国ていこく海事かいじ協会きょうかい,昭和しょうわ13. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1116150 (参照さんしょう 2023-04-12)
  26. ^ 小豆しょうずぐんだいいち続編ぞくへん々纂委員いいん へん小豆しょうずぐんだい1続編ぞくへん,香川かがわけん教育きょういくかい小豆しょうずぐん部会ぶかい,あきら11. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1150632 (参照さんしょう 2023-04-12)
  27. ^ a b 運輸うんゆ通信つうしんしょう海運かいうん総局そうきょく へん日本にっぽんせんめいろく昭和しょうわ16年度ねんど,帝国ていこく海事かいじ協会きょうかい,昭和しょうわ16.11-19.5. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1142408 (参照さんしょう 2023-04-12)
  28. ^ 大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく [へん]『官報かんぽう』1940ねん07がつ09にち,日本にっぽんマイクロ写真しゃしん,昭和しょうわ15ねん. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2960549 (参照さんしょう 2023-04-12)
  29. ^ a b 国内こくない旅客船りょかくせんせんめいろく昭和しょうわ34年度ねんど,日本にっぽん旅客船りょかくせん協会きょうかい事務じむきょく,1959. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2490636 (参照さんしょう 2023-04-12)
  30. ^ 逓信ていしんしょうかんせんきょく へん日本にっぽんせんめいろく昭和しょうわ14年度ねんど,帝国ていこく海事かいじ協会きょうかい,昭和しょうわ14. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1116177 (参照さんしょう 2023-04-12)
  31. ^ 大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく [へん]『官報かんぽう』1939ねん02がつ08にち,日本にっぽんマイクロ写真しゃしん,昭和しょうわ14ねん. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2960120 (参照さんしょう 2023-04-12)
  32. ^ a b c d e f g h i 日本にっぽん旅客船りょかくせんせんめいろく昭和しょうわ39年版ねんばん,日本にっぽん旅客船りょかくせん協会きょうかい,1964. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2504820 (参照さんしょう 2023-04-12)
  33. ^ a b 旅客りょかく定期ていき不定期ふていき自動車じどうしゃこうおく貨物かもつ定期ていき航路こうろ事業じぎょう現況げんきょうひょう昭和しょうわ42ねん8がつ1にち現在げんざい,運輸省うんゆしょう海運かいうんきょく定期ていきせん,[1968]. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2516678 (参照さんしょう 2023-04-12)
  34. ^ a b c d e f g h 世界せかい艦船かんせん別冊べっさつ 日本にっぽんのカーフェリー-その揺籃ようらんから今日きょうまで- pp.198-199
  35. ^ ふね科学かがく 1967ねん5がつごう P.29 (船舶せんぱく技術ぎじゅつ協会きょうかい)
  36. ^ 旅客りょかく定期ていき不定期ふていき自動車じどうしゃこうおく貨物かもつ定期ていき航路こうろ事業じぎょう現況げんきょうひょう昭和しょうわ51ねん4がつ1にち現在げんざい,運輸省うんゆしょう海運かいうんきょく定期ていきせん,[1976]. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12061801 (参照さんしょう 2023-03-31)
  37. ^ 旅客船りょかくせん : 機関きかん』(101),日本にっぽん旅客船りょかくせん協会きょうかい,1973-06. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810984 (参照さんしょう 2023-03-24)
  38. ^ 森田もりた裕一ひろいち 日本にっぽん客船きゃくせん総覧そうらん P.241 (1989)
  39. ^ ふね科学かがく 1992ねん5がつごう PP.73-74 小林こばやし義秀よしひで国内こくないフェリー乗船じょうせん」(船舶せんぱく技術ぎじゅつ協会きょうかい)
  40. ^ a b 日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょ 1999Ⅱ (日本にっぽん海運かいうん集会しゅうかいしょ 1998)
  41. ^ a b 世界せかい艦船かんせん だい306しゅう 1982ねん4がつごう P.8 (海人あましゃ)
  42. ^ a b 全国ぜんこくフェリー・旅客船りょかくせんガイド 1987ねん上期かみきごう (日刊にっかん海事かいじ通信つうしんしゃ 1986)
  43. ^ 世界せかい艦船かんせん別冊べっさつ 日本にっぽん客船きゃくせん2 1946-1993 野間のまひさし山田やまだ廸生共編きょうへん 海人あましゃ,1993 p.199
  44. ^ 世界せかい艦船かんせん別冊べっさつ 日本にっぽん客船きゃくせん2 1946-1993 野間のまひさし山田やまだ廸生共編きょうへん 海人あましゃ,1993 p.205
  45. ^ a b 日本にっぽん船舶せんぱく名鑑めいかん』1970年版ねんばん,日本にっぽん船舶せんぱく研究所けんきゅうじょ,1970. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1699014 (参照さんしょう 2023-03-24)
  46. ^ a b c 旅客りょかく定期ていき不定期ふていき自動車じどうしゃこうおく貨物かもつ定期ていき航路こうろ事業じぎょう現況げんきょうひょう昭和しょうわ41ねん8がつ1にち現在げんざい,運輸省うんゆしょう海運かいうんきょく定期ていきせん,[1967]. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2531329 (参照さんしょう 2023-03-24)
  47. ^ 日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょ 1985 (日本にっぽん海運かいうん集会しゅうかいしょ 1984)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 日本にっぽんのカーフェリー -その揺籃ようらんから今日きょうまで- (世界せかい艦船かんせん 別冊べっさつ) - 海人あましゃ(2009ねん3がつJANコード 4910056040393

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]