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こうひろしひろし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
こう ひろしひろし Portal:陸上競技
選手せんしゅ情報じょうほう
ラテン文字もじ Hiroyasu Tsuchie
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
種目しゅもく 短距離たんきょりはし
生年月日せいねんがっぴ (1974-06-14) 1974ねん6月14にち(50さい
出身しゅっしん 島根しまねけん平田ひらた (げん出雲いずも)
身長しんちょう 171cm
体重たいじゅう 65kg
引退いんたい 2006ねん
成績せいせき
オリンピック 100m 1予選よせん5くみ5ちゃく (19962004とし)
4x100mR 4 (2004ねん)
世界せかい選手権せんしゅけん 100m 2予選よせん1くみ7ちゃく (1997ねん)
4x100mR 6 (2003ねん)
地域ちいき大会たいかい決勝けっしょう アジア大会たいかい
200m 8 (1998ねん)
4x100mR 優勝ゆうしょう (1998ねん)
国内こくない大会たいかい決勝けっしょう 日本にっぽん選手権せんしゅけん
100m 優勝ゆうしょう (1999ねん)
200m 優勝ゆうしょう (1998ねん)
自己じこベスト
100m 10びょう21 (2004ねん)
200m 20びょう86 (2003ねん)
獲得かくとくメダル
陸上りくじょう競技きょうぎ
日本の旗 日本にっぽん
アジア大会たいかい
きむ 1998 バンコク 4x100mR
ぎん 2002 釜山ぷさん 4x100mR
アジア選手権せんしゅけん
ぎん 1998 福岡ふくおか 4x100mR
どう 1998 福岡ふくおか 100m
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こう ひろしひろし(つちえ ひろやす、1974ねん6月14にち - )は、日本にっぽんもと陸上りくじょう競技きょうぎ選手せんしゅスポーツ科学かがくしゃ陸上りくじょう競技きょうぎ指導しどうしゃ。1990年代ねんだい後半こうはんから日本にっぽん代表だいひょうするスプリンターとして活躍かつやく

来歴らいれき人物じんぶつ

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島根しまねけん平田ひらたげん出雲いずも出身しゅっしん富士通ふじつう所属しょぞく出雲いずも市立しりつ平田ひらた中学校ちゅうがっこう島根しまね県立けんりつ出雲いずも高等こうとう学校がっこうて、早稲田大学わせだだいがく人間にんげん科学かがくスポーツ科学かがく卒業そつぎょう早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいん人間にんげん科学かがく研究けんきゅう修士しゅうし課程かてい博士はかせ課程かてい修了しゅうりょう[1]早稲田大学わせだだいがく非常勤ひじょうきん講師こうし早稲田大学わせだだいがく競走きょうそう女子じょしコーチなどの要職ようしょく歴任れきにんした。日本にっぽん陸連りくれん短距離たんきょりふく部長ぶちょう。2017ねんより東洋大学とうようだいがく法学部ほうがくぶ教授きょうじゅ[2]

もと200m日本にっぽんチャンピオンのこう良吉りょうきち実父じっぷ錦織にしきおり育子いくこ信岡のぶおかすなまれおもらは早稲田大学わせだだいがく競走きょうそう後輩こうはい甲南大学こうなんだいがく教鞭きょうべん伊東いとう浩司こうじ法政大学ほうせいだいがくスポーツ健康けんこう学部がくぶ教授きょうじゅ苅部かりべ俊二しゅんじ横浜よこはま市立しりつ金沢かなざわ高等こうとう学校がっこう教諭きょうゆ簡優このみ、200mで活躍かつやくした伊藤いとう辰哉たつやもと110mH日本にっぽん記録きろく保持ほじしゃ順天堂大学じゅんてんどうだいがく陸上りくじょう競技きょうぎコーチの岩崎いわさき利彦としひこらとは富士通ふじつうのチームメイト。

略歴りゃくれき

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1995ねん、ユニバーシアード400mRで6入賞にゅうしょう1996ねんアトランタオリンピック出場しゅつじょう。100mで健闘けんとう。また、400mRにも出場しゅつじょう。1997ねん、アテネ世界せかい選手権せんしゅけん100m・400mRに出場しゅつじょう。400mRで準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつする。

1998ねん日本にっぽん選手権せんしゅけん200mで優勝ゆうしょう親子おやこ同一どういつ種目しゅもく日本にっぽん選手権せんしゅけんしゃこう親子ちかこ室伏むろふし親子ちかこのみ。バンコクアジア大会たいかいで200m8入賞にゅうしょう。400mRでは優勝ゆうしょうたした。100mでもどうメダル獲得かくとく。アジア選手権せんしゅけんでは400mRでぎんメダルを獲得かくとくした。2000ねんシドニーオリンピック代表だいひょう僅差きんさのがす。2001ねん日本にっぽん選手権せんしゅけん100mで3はい復活ふっかつ

エドモントン世界せかい選手権せんしゅけん100mに出場しゅつじょう。2002ねん日本にっぽん選手権せんしゅけん100mで不調ふちょうのなか4はいる。プサンアジア大会たいかい400mRで3はしつとじゅん優勝ゆうしょうおおきく貢献こうけん。2003ねん日本にっぽん選手権せんしゅけん100mで3入賞にゅうしょう。パリ世界せかい選手権せんしゅけん400mRで1はし重責じゅうせきにない、日本にっぽんチームを7みちびく。2004ねん日本にっぽん選手権せんしゅけん100mで3はいり、五輪ごりん代表だいひょうすべむ。アテネオリンピックでは100mこそ予選落よせんおちしたが、400mRでどうメダルまであといちの4はいるというだい健闘けんとうせた。

2005ねん日本にっぽん選手権せんしゅけんあくコンディションに見舞みまわれ、まさかの準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい。ヘルシンキ世界せかい選手権せんしゅけん出場しゅつじょういっした。2006ねん現役げんえき引退いんたい。2007ねんより城西大学じょうさいだいがくにてじょきょうつとめながら陸上りくじょう競技きょうぎ指導しどう。2014ねんより東洋大学とうようだいがく法学部ほうがくぶじゅん教授きょうじゅ就任しゅうにんし、陸上りくじょう競技きょうぎ男子だんし短距離たんきょり部門ぶもんで、同年どうねん入学にゅうがくした桐生きりゅうさちしゅう指導しどうすることとなった。

2008ねん北京ぺきんオリンピックでは短距離たんきょりコーチとして、日本にっぽん男子だんしリレーチームをささえ、400メートルリレーはしどうメダルの快挙かいきょ。そのうらにはスムーズなバトンパスでタイムを短縮たんしゅくするため様々さまざま資料しりょう収集しゅうしゅうし、検証けんしょうするなどしたのたゆまぬ努力どりょくがあった。[3]

陸上りくじょう競技きょうぎマガジンでは短距離たんきょり部門ぶもん技術ぎじゅつ・トレーニング方法ほうほうについて連載れんさいしている。

自己じこベスト

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種目しゅもく 記録きろく 年月日ねんがっぴ 場所ばしょ 備考びこう
100m 10びょう21 (+1.0) 2004ねん6がつ6にち 日本の旗 鳥取とっとり
200m 20びょう86 (+0.7)
(0.0)
2003ねん9がつ27にち
2003ねん8がつ3にち
日本の旗 岡山おかやま
日本の旗 富士吉田ふじよしだ

主要しゅよう大会たいかい成績せいせき

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とし 大会たいかい 場所ばしょ 種目しゅもく 結果けっか 記録きろく 備考びこう
1995 だい18かいユニバーシアード (en 日本の旗 福岡ふくおか 4x100mR 6 40びょう37 (1はし)
1996 だい26かいオリンピック アメリカ合衆国の旗 アトランタ 100m 1予選よせん 10びょう58 (-0.8)
4x100mR 予選よせん DQ (1はし)
1997 だい6かい世界せかい選手権せんしゅけん ギリシャの旗 アテネ 100m 2予選よせん 10びょう38 (+1.3)
4x100mR 準決勝じゅんけっしょう 38びょう31 (3はし) 当時とうじアジア記録きろく
1998 だい12かいアジア選手権せんしゅけん (en 日本の旗 福岡ふくおか 100m 3 10びょう44 (-0.6)
4x100mR 2 39びょう30 (3はし)
1998 だい13かいアジア大会たいかい タイ王国の旗 バンコク 200m 8 21びょう31 (-0.4)
4x100mR 優勝ゆうしょう 38びょう91 (3はし) 当時とうじ大会たいかい記録きろく
2001 だい8かい世界せかい選手権せんしゅけん カナダの旗 エドモントン 100m 1予選よせん 10びょう54 (0.0)
2002 だい14かいアジア選手権せんしゅけん スリランカの旗 コロンボ 100m 4 10びょう62 (-3.1)
4x100mR 4 39びょう41 (4はし)
2002 だい14かいアジア大会たいかい 大韓民国の旗 釜山ぷさん 4x100mR 2 38びょう90 (3はし)
2003 だい9かい世界せかい選手権せんしゅけん フランスの旗 パリサン=ドニ 4x100mR 6 39びょう05 (1はし)
2004 だい28かいオリンピック ギリシャの旗 アテネ 100m 1予選よせん 10びょう37 (+0.1)
4x100mR 4 38びょう49 (1はし)
日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいはちじゅうねん参照さんしょう[4]

おも著作ちょさく論文ろんぶん

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  • 自己じこ分析ぶんせきとトレーニング記録きろく-パフォーマンスにともな主観しゅかんてきレースパターンおよびトレーニングの変遷へんせん(スプリント研究けんきゅう13、2003)
  • オーストラリアにおける組織そしきてき選手せんしゅサポートについて(陸上りくじょう競技きょうぎ研究けんきゅう48(1)、2002)
  • 200m競走きょうそうにおける10mごとの疾走しっそう速度そくどとピッチ、ストライド変化へんか共著きょうちょ)(陸上りくじょう競技きょうぎ紀要きよう15、2002)
  • 100m競走きょうそう局面きょくめんわけとかく局面きょくめんでのテクニックの実践じっせんれい(フーチャーアスレティックス・きん未来みらい陸上りくじょう競技きょうぎ研究所けんきゅうじょ紀要きよう1、2002)
  • きん未来みらい陸上りくじょう競技きょうぎ研究所けんきゅうじょビデオシリーズ短距離たんきょりへん「スプリント基礎きそドリル」(ソーケンネットワーク)
  • きん未来みらい陸上りくじょう競技きょうぎ研究所けんきゅうじょビデオシリーズ短距離たんきょりへん「レーステクニック1/2」(ソーケンネットワーク)

など

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ researchmap”. 2024ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  2. ^ 東洋大学とうようだいがく 研究けんきゅうしゃ情報じょうほうデータベース”. 2018ねん12月2にち閲覧えつらん
  3. ^ アテネのおも後輩こうはいへ=北京ぺきんの400リレーささえたこう - 時事じじドットコム
  4. ^ 日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいはちじゅうねん編集へんしゅう委員いいんかい競技きょうぎかい記録きろく」『日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいはちじゅうねん』、スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2005ねん10がつ22にち発行はっこう、86-203ぺーじ 

外部がいぶリンク

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