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学校がっこう文法ぶんぽう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

学校がっこう文法ぶんぽう(がっこうぶんぽう)とは、現代げんだい日本にっぽん学校がっこう教育きょういくにおいて、国語こくご教育きょういくさい準拠じゅんきょしている文法ぶんぽうのことである。教科きょうかしょ文法ぶんぽう文部省もんぶしょう文法ぶんぽうなどともばれる。普通ふつう現代げんだい日本語にほんご文法ぶんぽうす(ほんこう詳述しょうじゅつする)が、古典こてん文語ぶんごたい)の文法ぶんぽうふくむ。教養きょうよう教育きょういく職業しょくぎょう訓練くんれんでない学校がっこう教育きょういく)での外国がいこく文法ぶんぽうについていうこともある。

概説がいせつ

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学校がっこう文法ぶんぽう橋本はしもと文法ぶんぽうをベースとしている(経緯けいい#歴史れきしふし参照さんしょう)。

橋本はしもと文法ぶんぽう同様どうように、ぶん可能かのうかぎ句切くぎったものとして文節ぶんせつさだめ(さらにこまかい単位たんいに「かたり」があるが、詳細しょうさいはここではりゃくす)、品詞ひんし名詞めいし動詞どうし形容詞けいようし形容動詞けいようどうし副詞ふくし連体詞れんたいし感動かんどう接続詞せつぞくし助詞じょし助動詞じょどうしの10しゅ(または名詞めいし名詞めいし代名詞だいめいしけて11しゅ)に分類ぶんるいする。

しかし、学校がっこう文法ぶんぽうについて詳細しょうさいまでを議論ぎろんした大系たいけいといったようなものはなく、原典げんてんちゅう: 学校がっこう文法ぶんぽうの、であって橋本はしもと文法ぶんぽうの、ではない)とえる『中等ちゅうとう文法ぶんぽう』をもととし、学習がくしゅう指導しどう要領ようりょうをはじめとする告示こくじ検定けんてい教科書きょうかしょ各種かくしゅ教科書きょうかしょ参考さんこうしょ学習がくしゅうよう辞書じしょかれている内容ないよう実際じっさいのところれがある)の総体そうたいが「学校がっこう文法ぶんぽう」というものである、としかえず、たとえば常用漢字じょうようかんじ現代げんだい仮名遣かなづかのように明確めいかく定義ていぎされているものではない。

歴史れきし

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1943ねん文部省もんぶしょう国定こくてい教科書きょうかしょ中等ちゅうとう文法ぶんぽう』を編纂へんさんした。これの指導しどうにあたったのが橋本はしもと進吉しんきちであり、高弟こうてい岩淵いわぶち悦太郎えつたろう執筆しっぴつ担当たんとうした。このため、その文法ぶんぽう橋本はしもと文法ぶんぽう影響えいきょうけたものとなった。とくに、国文法こくぶんぽうがく術語じゅつごである「文節ぶんせつ」のかたりとその概念がいねん中等ちゅうとう教育きょういくとおしてひろ一般いっぱんすることとなった。戦後せんご教育きょういく教科書きょうかしょにおける文法ぶんぽう原典げんてんとなったのは、これをもとにした1947ねん教科書きょうかしょ中等ちゅうとう文法ぶんぽう 口語こうご』と『中等ちゅうとう文法ぶんぽう 文語ぶんご』である。このため学校がっこう文法ぶんぽう橋本はしもと文法ぶんぽう同一どういつされることがおおいが、両者りょうしゃは(厳密げんみつには)区別くべつして理解りかいすべきものとかんがえられる[1]れいげるならば、橋本はしもと助詞じょしを「断続だんぞく意味いみなきもの」「つづくもの」「れるもの」と類別るいべつのうえ9しゅ(『国語こくご法要ほうようせつ』)ないし10しゅ(『日本にっぽん文法ぶんぽうろん』)に分類ぶんるいしているが、学校がっこう文法ぶんぽうではそのような類別るいべつはなく分類ぶんるいこまかくない。

学校がっこう文法ぶんぽうは、最初さいしょにそれなりの完成かんせいがあったためということもあるが、そのおおきな改良かいりょうをされることはなく、またチョムスキーらによって戦後せんご発展はってんした言語げんごがくや、国文法こくぶんぽう学者がくしゃによる現代げんだい日本語にほんご文法ぶんぽう研究けんきゅう反映はんえいされることもなく現在げんざいいたっている(たとえば形容動詞けいようどうしという品詞ひんしみとめるかか、といった議論ぎろん著名ちょめいであろう。くわしくは「形容動詞けいようどうし」の記事きじ参照さんしょう)。これについての批判ひはん1950年代ねんだいからはじまっている(後述こうじゅつ)。またこのことが、国文法こくぶんぽう研究けんきゅう昭和しょうわ15ねんごろ橋本はしもと文法ぶんぽうよりさきすすんでいないといった誤解ごかいをもたらし、たとえば金谷かなや武洋たけひろの(「主語しゅご」はいらないというほんせつはともかくとして)「三上みかみあきら完全かんぜん黙殺もくさつされた」とうせつ氾濫はんらんする下地したじとなっている。

批判ひはん

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批判ひはん経過けいか

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1950年代ねんだいの、鈴木すずき重幸しげゆき学校がっこう文法ぶんぽう批判ひはん 動詞どうしろん中心ちゅうしんとして」(民主みんしゅ主義しゅぎ科学かがくしゃ協会きょうかい言語げんご部会ぶかい監修かんしゅう理論りろん別冊べっさつ 国語こくご問題もんだい現代げんだいてき展開てんかい』、1954ねん)をはじめ、しゅとして言語げんごがく研究けんきゅうかい所属しょぞくする奥田おくだ靖雄やすおをはじめとするおおくの言語げんごがくもの日本語にほんご学者がくしゃらから批判ひはんけた。また、改善かいぜん提案ていあんとして、言語げんごがく研究けんきゅうかい指導しどうけた教育きょういく科学かがく研究けんきゅうかい国語こくご部会ぶかい1960年代ねんだい以降いこう刊行かんこうつづけている『にっぽんご』シリーズがある。現代げんだい日本語にほんご文法ぶんぽう研究けんきゅう発展はってん現代げんだい言語げんごがくてき見地けんち普及ふきゅうなどもあり、学校がっこう文法ぶんぽう改善かいぜん必要ひつようせい認識にんしきすこしずつではあるがひろまっている。

現代げんだい言語げんごがく日本語にほんごがく視点してんでは、「助動詞じょどうし」は接尾せつび活用かつよう語尾ごびたり、また文節ぶんせつぶん構造こうぞう反映はんえいしていない、日本語にほんご主題しゅだい優勢ゆうせい言語げんごであるために特徴とくちょうてきぶん(いわゆる「うなぎぶん」など)が説明せつめいできない、などおおくの問題もんだいてんがある。

国語こくご教育きょういく以外いがい

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外国がいこくじん教育きょういくなど、日本語にほんご母語ぼごとしないひとたいする(国語こくご教育きょういくではなく)「日本語にほんご教育きょういく」においては、学校がっこう文法ぶんぽうをベースとした教育きょういくおこなわれておらず、学校がっこう文法ぶんぽうないし、現在げんざい国語こくご教育きょういく学校がっこう文法ぶんぽうをベースとした教育きょういくほう限界げんかいしめすものとみなされている[だれ?]

参考さんこう文献ぶんけん

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参照さんしょうちゅう

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  1. ^ 明治めいじ書院しょいん国文法こくぶんぽう講座こうざ 1』p. 46

関連かんれん項目こうもく

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