日本語にほんご教育きょういく

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日本語にほんご教育きょういく(にほんごきょういく)とは、外国がいこくとしての日本語にほんごだい言語げんごとしての日本語にほんごについての教育きょういく総称そうしょうである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

日本語にほんご教育きょういくとは通常つうじょう日本語にほんご母語ぼごとしないひとおも外国がいこくじん)にたいし、日本にっぽん国内外こくないがい日本語にほんご指導しどうすることをす。ただし日本語にほんご母語ぼごとするひと対象たいしょうとする「国語こくご教育きょういく」を「日本語にほんご教育きょういく」とあらわ場合ばあい[1]もある。

日本にっぽん国外こくがいでの日本語にほんご教育きょういくは126カ国かこく・7地域ちいきおこなわれており、学習がくしゅうしゃやく300まんにんである[2]日本にっぽん国内こくないでの日本語にほんご教育きょういく大学だいがくとう高等こうとう教育きょういく機関きかん日本語にほんご教育きょういく機関きかんおも日本語にほんご学校がっこう)のほか地域ちいき日本語にほんご教室きょうしつなどでおこなわれており、学習がくしゅうしゃ成人せいじんやく166,000にん[3]児童じどう生徒せいとやく28,000にん[4]報告ほうこくされている。

また日本語にほんご教育きょういく全般ぜんぱんあつか研究けんきゅう分野ぶんや日本語にほんご教育きょういくがくび、教育きょういくがくいち分野ぶんやとして位置いちづけられる。

日本語にほんご教師きょうし[編集へんしゅう]

日本語にほんご教育きょういく歴史れきし[編集へんしゅう]

幕末ばくまつまで[編集へんしゅう]

日本にっぽん国内こくない[編集へんしゅう]

キリシタン宣教師せんきょうし渡来とらいしてきた16世紀せいき後半こうはん日本語にほんご教育きょういくおこなわれていたことは、文献ぶんけんにより確認かくにんされる。キリスト教きりすときょう布教ふきょうという目的もくてきたっするため、宣教師せんきょうしたちはまず日本語にほんごにつける必要ひつようがあったからである。当初とうしょ辞書じしょ文法ぶんぽうしょもなく個人こじん努力どりょくによって日本語にほんご習得しゅうとくされていたが、1581ねんアレッサンドロ・ヴァリニャーノ来日らいにち宣教師せんきょうし修道しゅうどうのための教育きょういく機関きかん設立せつりつされ、日本語にほんご教育きょういく組織そしきされた。江戸えど時代じだいには、江戸えど幕府ばくふによる鎖国さこく政策せいさく開始かいしされるまでに、日本語にほんごポルトガル対訳たいやく辞書じしょにち葡辞しょ』(1603ねん)やジョアン・ロドリゲスによる文法ぶんぽうしょ日本にっぽんだい文典ぶんてん』(1608ねん)などが刊行かんこうされている。
鎖国さこく江戸えど幕府ばくふ日本にっぽん滞在たいざいする外国がいこくじん日本語にほんご学習がくしゅうきびしくまった。そのため日本にっぽん国内こくないおおやけ日本語にほんご教育きょういくおこなわれることはなくなり、オランダ商館しょうかん関係かんけいしゃ秘密裏ひみつり日本語にほんご学習がくしゅうおこな程度ていど衰退すいたいした。
江戸えど時代じだいまつ開国かいこく以降いこう欧米おうべい各国かっこく公使館こうしかん開設かいせつされ、ふたた外国がいこくじん多数たすう来日らいにちすることとなった。キリシタン宣教師せんきょうしのときとおなじく、当初とうしょ手探てさぐりの日本語にほんご学習がくしゅうとなったが、すうねんには来日らいにち欧米おうべいじんにより日本語にほんご学習がくしゅうしょ辞書じしょ刊行かんこうはじまった。「ヘボンしきマ字まじ」の創始そうししゃであるジェームス・カーティス・ヘボン執筆しっぴつした和英かずひで辞典じてん英語えいごりん集成しゅうせい』(1867ねん)は、日本語にほんご学習がくしゅうしゃだけでなく日本人にっぽんじん英語えいご学習がくしゅうしゃにももちいられた。

日本にっぽん国外こくがい[編集へんしゅう]

15世紀せいき1414ねん外交がいこうじょう必要ひつようから朝鮮ちょうせん王朝おうちょうつかさやくいん日本語にほんご通訳つうやく養成ようせいはじめている。18世紀せいきにはロシア帝国ていこくピョートル1せい1705ねんサンクトペテルブルク日本語にほんご学校がっこう設立せつりつした。これは鎖国さこくちゅう日本にっぽんとの国交こっこう目指めざしたためで、漂着ひょうちゃくした日本人にっぽんじん教師きょうしにしていた。1754ねんイルクーツク移転いてんするが、国交こっこう開始かいし目途もくとたず、1816ねん閉鎖へいさされている。
19世紀せいきはいり、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト来日らいにち1823ねん)・国外こくがい追放ついほう1829ねん)により日本にっぽん日本語にほんご膨大ぼうだい資料しりょうヨーロッパにもたらされた。ホフマンはこの資料しりょうをもとに日本語にほんご研究けんきゅうおこない、1851ねんオランダライデン大学だいがくはつ日本語にほんご教授きょうじゅとなった。フランスでは東洋とうよう研究けんきゅう一環いっかんとして日本にっぽん日本語にほんご興味きょうみけられ、キリシタン資料しりょうの『日本にっぽんしょう文典ぶんてん[ちゅう 1]にち葡辞しょ』などがふつやくされ刊行かんこうされている。このような日本にっぽん日本語にほんご研究けんきゅうたかまりをうけ、大学だいがく付属ふぞく機関きかん日本語にほんご教育きょういくはじまった。

明治めいじ以降いこうだい世界せかい大戦たいせんまで[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく江蘇ちぁんすーしょう鎮江における日本にっぽん海軍かいぐん士官しかんによる児童じどうへの日本語にほんご授業じゅぎょう
1938(昭和しょうわ13)ねん1がつ20日はつか

日本にっぽん国内こくない[編集へんしゅう]

1880年代ねんだい前半ぜんはんより朝鮮ちょうせんからの留学生りゅうがくせいえ、慶應義塾けいおうぎじゅく陸軍りくぐん戸山とやま学校がっこうれ、1892ねんには文部省もんぶしょうが「外国がいこくじん留学りゅうがく規定きてい」を制定せいていした[5]。1895ねんにちしん戦争せんそうでの日本にっぽん勝利しょうりにより、日本にっぽん統治とうちとなった台湾たいわん日本語にほんご教育きょういくはじまったほか、近代きんだい必要ひつようせい自覚じかくした清国きよくにから日本にっぽんへの留学生りゅうがくせいえ、日本語にほんご教育きょういく需要じゅよう急速きゅうそくたかまりはじめた[5][6]。1898ねんには成城せいじょう学校がっこう清国きよくに陸軍りくぐん留学生りゅうがくせい日本語にほんご教育きょういく開始かいししたほか、高楠たかくす順次郎じゅんじろう清国きよくにじん留学生りゅうがくせい日本語にほんご教育きょういくのために東京とうきょう本郷ほんごうにちはな学堂がくどう設立せつりつよく1899ねんには嘉納かのう治五郎じごろう清国きよくにからの国費こくひ留学生りゅうがくせいこうとしてまたらく書院しょいん(のちの宏文ひろふみ学院がくいん)を設立せつりつ。そのほか第一高等学校だいちこうとうがっこう学習がくしゅういん実践じっせん女学校じょがっこうなどでも清国きよくにじん留学生りゅうがくせいへの日本語にほんご教育きょういくはじまり、留学生りゅうがくせい急増きゅうぞうにより1904ねんには明治大学めいじだいがく法政大学ほうせいだいがく日本語にほんご速成そくせい教育きょういくする専門せんもん新設しんせつされた[5]

1905ねんにち戦争せんそう日本にっぽん勝利しょうりしたことにより、日本にっぽんへの留学りゅうがくねつ最高潮さいこうちょうとなり、同年どうねん留学生りゅうがくせい清国きよくにじんだけでも8000にんにのぼった。だが教育きょういくほうには不備ふびおおく、辞書じしょ教科書きょうかしょとう整備せいびはじまった[5]清国きよくにでの日本語にほんご教育きょういくさかんになり、1907ねんには京師けいし法政ほうせい学堂がくどうげん北京ぺきん大学だいがく)でもにちぶん教育きょういくはじまった[5][7]。また1907-08ねんには、ベトナムから留学生りゅうがくせい300めい来日らいにちした[5]東遊あずまあそび運動うんどう)。清国きよくにじん留学生りゅうがくせい母国ぼこく革命かくめい気運きうんたかまると帰国きこくしゃ相次あいついだが、1911ねんからし革命かくめい以降いこう新生しんせい中華民国ちゅうかみんこくからの留学生りゅうがくせい続々ぞくぞく来日らいにちし、中国人ちゅうごくじん日本にっぽん留学りゅうがくブームは1937ねんにちちゅう戦争せんそう直前ちょくぜんまでつづいた[5]台湾たいわんからの留学生りゅうがくせいは1901ねんごろからえ、1922ねんには2400めい以上いじょうかぞえた[5]

1935ねん外務省がいむしょう文化ぶんか事業じぎょうにより「国際こくさい学友がくゆうかい」が設立せつりつされ、中国ちゅうごくのぞ世界せかい各地かくちからの留学生りゅうがくせい受入うけいれを担当たんとうした[8]だい世界せかい大戦たいせんはじまると欧米おうべいなどからの留学生りゅうがくせい事実じじつじょう途絶とだえたが、1943・1944年度ねんどは、だい東亜とうあしょう指示しじにより東南とうなんアジアしょ地域ちいきより「南方なんぽう特別とくべつ留学生りゅうがくせい」がまねかれた[8]

だい世界せかい大戦たいせん以降いこう[編集へんしゅう]

バブルの1985-86ねんごろには、就学しゅうがくせい相手あいていち商売しょうばいをもくろんだ「日本語にほんご学校がっこう」が乱立らんりつし、社会しゃかい問題もんだいした[5]

日本にっぽん国内こくないにおける日本語にほんご教育きょういく[編集へんしゅう]

日本にっぽん国内こくないにおける日本語にほんご教育きょういく実施じっし機関きかん施設しせつとうまな日本語にほんご学習がくしゅうしゃすうは、2015ねん平成へいせい27ねん)11がつ現在げんざい、19まんにんたっしている。これら留学生りゅうがくせい所属しょぞくべつでは、法務省ほうむしょう告示こくじ機関きかん(いわゆる日本語にほんご学校がっこう)がもっとおおやく7まんにん大学だいがくとう機関きかんやく5まんにん国際こくさい交流こうりゅう協会きょうかいやく3まんにん地方ちほう公共こうきょう団体だんたいおよび教育きょういく委員いいんかいがそれぞれやく1まんにんとなっている[9]

また在住ざいじゅう外国がいこくじんのために、各地かくち地方自治体ちほうじちたいNPOボランティア教師きょうしによる日本語にほんご講座こうざ日本語にほんご教室きょうしつ開催かいさいしている。対象たいしょうしゃ中国ちゅうごく残留ざんりゅう日本人にっぽんじん孤児こじ帰国きこくしゃ日系にっけいじん国際こくさい結婚けっこんにより来住きしした外国がいこくじん女性じょせいなどがおおい。

在住ざいじゅう外国がいこくじん増加ぞうかにつれ、同伴どうはんされてきたり日本にっぽんまれたりした日本語にほんご母語ぼごではないどもたちが地域ちいき小・中学校しょうちゅうがっこうとう在籍ざいせきすることがえてきている。また、海外かいがいまれそだったために日本語にほんご指導しどう必要ひつよう日本人にっぽんじん児童じどう生徒せいと存在そんざいしている。日本語にほんご指導しどう必要ひつよう外国がいこくじん児童じどう生徒せいと平成へいせい26年度ねんどやく29,000にんおなじく日本人にっぽんじん児童じどう生徒せいとやく8,000にんにのぼり、うちやく 75%が小学校しょうがっこう在籍ざいせきしていると報告ほうこくされている[10]。このような児童じどう多数たすう在籍ざいせきする学校がっこうには、日本語にほんご指導しどうおこな教員きょういん加配かはいする措置そちがある。少数しょうすう在籍ざいせき学校がっこうでは、ボランティア指導しどういん派遣はけんされる場合ばあいもある一方いっぽうまった日本語にほんご指導しどうけられない場合ばあいもある。母語ぼご確立かくりつしていないこと、教科きょうか学習がくしゅうおこなわなければならないことなど、どもたちへの日本語にほんご教育きょういく留学生りゅうがくせい成人せいじんへの日本語にほんご教育きょういくことなる条件じょうけんがあるため、「年少ねんしょうしゃ日本語にほんご教育きょういく」とばれることもある。

日本にっぽん国外こくがいにおける日本語にほんご教育きょういく[編集へんしゅう]

世界せかい全体ぜんたい日本語にほんご学習がくしゅうしゃすうは2015ねん平成へいせい27ねん現在げんざいやく365まんにんである[11]

日本語にほんご中国ちゅうごくならんでアジア主要しゅよう言語げんごであり、日本にっぽん国外こくがい主要しゅよう大学だいがくには日本語にほんご学科がっか設置せっちされ、日本語にほんごだい外国がいこくとしておしえる学校がっこうおおい。さらにオーストラリアベトナムフランスなどでは初等しょとう中等ちゅうとう教育きょういくでも日本語にほんご教育きょういくおこなわれており、学習がくしゅうしゃすう格段かくだん増加ぞうかする。

韓国かんこく高校こうこうでは日本語にほんごだい外国がいこくひとつになっており、中国ちゅうごくつぎ履修りしゅうりつたかく、大学だいがくなどでの履修りしゅうしゃふくめると世界せかい最大さいだい日本語にほんご学習がくしゅうこくであった。だが2011ねん中等ちゅうとう教育きょういく教育きょういく課程かてい改定かいていにおいてだい外国がいこく必修ひっしゅう科目かもくからはずされたこと、少子化しょうしか加速かそくしていることから、日本語にほんご学習がくしゅうしゃ漸減ぜんげんつづけている。中国ちゅうごく日本語にほんご教育きょういく大学だいがく中心ちゅうしんだが、人口じんこうおおいので日本語にほんご学習がくしゅうしゃ総数そうすうは95まんにんたっし、最大さいだい日本語にほんご学習がくしゅうこくとなっている。

2015ねん平成へいせい27ねん)の日本にっぽん国外こくがいにおける
日本語にほんご学習がくしゅうしゃすう 上位じょうい10かこく地域ちいき[11]
順位じゅんい 国名こくめい地域ちいきめい 人数にんずう
1 中華人民共和国の旗 中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく 953,283にん
2 インドネシアの旗 インドネシア 745,125にん
3 大韓民国の旗 大韓民国だいかんみんこく 556,237にん
4 オーストラリアの旗 オーストラリア 357,348にん
5 中華民国の旗 中華民国ちゅうかみんこく 220,045にん
6 タイ王国の旗 タイ 173,817にん
7 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく 170,998にん
8 ベトナムの旗 ベトナム 64,863にん
9 フィリピンの旗 フィリピン 50,038にん
10 マレーシアの旗 マレーシア 33,224にん
ぜん世界せかい合計ごうけい 3,651,715 にん

国語こくご教育きょういくとのちが[編集へんしゅう]

日本語にほんご教育きょういく 国語こくご教育きょういく
日本語にほんごとらかた 世界せかい言語げんごの1つ 日本にっぽんこく使用しようしている日本にっぽん言語げんご
学習がくしゅうしゃ 日本語にほんご外国がいこくだい言語げんごであるひと。ただし日本語にほんご母語ぼごであっても、日本にっぽん国外こくがいまれそだった帰国きこく子女しじょは、日本語にほんご教育きょういく対象たいしょうになる場合ばあいもある。 日本語にほんご母語ぼごであるひとしゅたる対象たいしょうは、学齢がくれい国語こくごおしえるどもたち。
目的もくてき 外国がいこく(あるいはだい言語げんご)としての日本語にほんごを、学習がくしゅうしゃのニーズにおうじたレベルに到達とうたつさせること。 母語ぼごとしての現代げんだい日本語にほんご文法ぶんぽうを、より使用しようできるようになること。また、日本語にほんごによる言語げんご思考しこう能力のうりょく向上こうじょうさせること。
文法ぶんぽう 日本語にほんご教育きょういくよう文法ぶんぽう 学校がっこう文法ぶんぽう
教師きょうし 日本にっぽん国内こくない海外かいがいども免許めんきょ制度せいどはない。 国公私立こっこうしりつ学校がっこうおしえる場合ばあいこうしゅおうじた教員きょういん免許めんきょじょう(中等ちゅうとう教育きょういく機関きかんにあっては国語こくご免許めんきょじょう)が必要ひつようである。

日本語にほんご教育きょういく文法ぶんぽう[編集へんしゅう]

日本語にほんご教育きょういく文法ぶんぽうは、日本にっぽん公立こうりつ学校がっこうおそわる学校がっこう文法ぶんぽうとは、その内容ないようことにする。下記かきはそのいちれいである。

教授きょうじゅほう[編集へんしゅう]

学習がくしゅうしゃにとって日本語にほんご外国がいこく(あるいはだい言語げんご)であるので、指導しどうさいしては外国がいこく教授きょうじゅほうもちいられる。言語げんごがく学習がくしゅう理論りろん変形へんけい文法ぶんぽう認知にんち学習がくしゅう理論りろんだい言語げんご習得しゅうとく理論りろんなどさまざまな理論りろんもとづいている。

  • 媒介ばいかいもちいるかもちいないか。
  1. 翻訳ほんやくほう - 日本語にほんご以外いがい言語げんご使つかって日本語にほんごおしえる方法ほうほう日本にっぽん国外こくがいでは学習がくしゅうしゃ教師きょうしおな言語げんご使用しようしゃであるので、こちらが採用さいようされやすい。
  2. 直接ちょくせつほう - 日本語にほんごだけで日本語にほんごおしえる方法ほうほう日本にっぽん国内こくないでは学習がくしゅうしゃ母語ぼご多岐たきわた場合ばあいおおく、公平こうへいすためにも、こちらが採用さいようされやすい。

労働ろうどう問題もんだい[編集へんしゅう]

  • 2020ねん日本語にほんご学校がっこう大手おおて千駄ヶ谷せんだがや日本語にほんご教育きょういく研究所けんきゅうじょ付属ふぞく日本語にほんご学校がっこう日本語にほんご教師きょうしサービス残業ざんぎょうなどをいているとして、新宿しんじゅく労働ろうどう基準きじゅん監督かんとくしょ是正ぜせい勧告かんこくした[12]
  • 東京とうきょう外国がいこくセンターやく10ねん勤務きんむした講師こうし日本語にほんご教師きょうし)が新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう対応たいおう休業きゅうぎょう支援しえんきん給付きゅうふきん受給じゅきゅうしようとすると、同社どうしゃ契約けいやくった。労使ろうしトラブルの結果けっか講師こうし会社かいしゃ提訴ていそして訴訟そしょう発展はってん[13]。その講師こうしがわの「納得なっとくいくかたちでの和解わかい成立せいりつ」した[14]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 石橋いしばし玲子れいこ日本語にほんご教師きょうしをめざすひと日本語にほんご教授きょうじゅ入門にゅうもん』(1993ねん凡人ぼんじんしゃ
  • 木村きむら宗男むねおへん講座こうざ日本語にほんご日本語にほんご教育きょういく だい15かん日本語にほんご教育きょういく歴史れきし』(『講座こうざ日本語にほんご日本語にほんご教育きょういくぜん16かん 1988ねん~1991ねん明治めいじ書院しょいんISBN 4625521017
  • 宮地みやじひろしへん日本語にほんご日本語にほんご教育きょういくのための日本語にほんごがく入門にゅうもん』(2010ねん明治めいじ書院しょいんISBN 9784625533020

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ロドリゲスの『日本にっぽんだい文典ぶんてん』の簡約かんやくばんで、マカオ追放ついほう出版しゅっぱんされた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本にっぽん教職員きょうしょくいん組合くみあい自由じゆう森学園もりがくえんなど。
  2. ^ 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん国際こくさい交流こうりゅう基金ききん「『2006ねん海外かいがい日本語にほんご教育きょういく機関きかん調査ちょうさ結果けっか概要がいよう速報そくほう)」
  3. ^ 文化庁ぶんかちょう日本語にほんご教育きょういく実態じったい調査ちょうさ平成へいせい20年度ねんど国内こくない日本語にほんご教育きょういく概要がいよう
  4. ^ 文部もんぶ科学かがくしょう日本語にほんご指導しどう必要ひつよう外国がいこくじん児童じどう生徒せいと受入うけい状況じょうきょうかんする調査ちょうさ(平成へいせい20年度ねんど)」
  5. ^ a b c d e f g h i 日本語にほんご教育きょういく研究けんきゅう序説じょせつせきただしあきら、スリーエーネットワーク, 1997、p85-91
  6. ^ 台湾たいわん(2016年度ねんど 国際こくさい交流こうりゅう基金ききん
  7. ^ きょう法政ほうせい学堂がくどう Baidu
  8. ^ a b 1943ねんふつしるしから日本にっぽんへの最後さいごのベトナムじん私費しひ留学生りゅうがくせいとベトナム独立どくりつ運動うんどう かわ由佳ゆか日本にっぽんオーラル・ヒストリー研究けんきゅう だい8ごう (2012ねん09がつ08にち)
  9. ^ 文化庁ぶんかちょう平成へいせい27年度ねんど国内こくない日本語にほんご教育きょういく概要がいようPDF
  10. ^ 文部もんぶ科学かがくしょう日本語にほんご指導しどう必要ひつよう児童じどう生徒せいと受入うけい状況じょうきょうとうかんする調査ちょうさ 平成へいせい26年度ねんど
  11. ^ a b 国際こくさい交流こうりゅう基金ききん 2015年度ねんど海外かいがい日本語にほんご教育きょういく機関きかん調査ちょうさ結果けっか速報そくほう
  12. ^ 時給じきゅう300えん日本語にほんご学校がっこう是正ぜせい勧告かんこく…ヤバすぎる実態じったい
  13. ^ 東京とうきょう外国がいこくセンター、日本語にほんご教師きょうし休業きゅうぎょう支援しえんきん受給じゅきゅう妨害ぼうがい訴訟そしょう発展はってん! 休業きゅうぎょう支援しえんきん申請しんせいへの協力きょうりょくやとい撤回てっかいもとめる
  14. ^ 日本語にほんご教師きょうし訴訟そしょう和解わかい!

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

オンライン教材きょうざい[編集へんしゅう]