日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ

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手話しゅわ > 日本にっぽん手話しゅわ > 日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ

日本語にほんご対応たいおう手話しゅわは、日本語にほんご対応たいおうした手話しゅわ手話しゅわ日本語にほんごただしく表現ひょうげんでき、手話しゅわ日本語にほんご習得しゅうとく役立やくだつ。教科きょうか学習がくしゅう公的こうてき機関きかん公的こうてき場面ばめんにおいて、いままでの手話しゅわよりも豊富ほうふ語彙ごいつことによって、伝達でんたつ効果こうかたかめることができます。[1]

定義ていぎ[編集へんしゅう]

日本語にほんご対応たいおう手話しゅわは、日本語にほんごこえして(またはこえさずに日本語にほんごとおりにくちうごかして)しゃべりながら、しゃべっている日本語にほんごわせてその一部いちぶ手話しゅわ単語たんごえていくものである[2]

日本にっぽん手話しゅわ単語たんごりて日本語にほんご言語げんご構造こうぞうわせて表現ひょうげんするものであり、手指しゅし日本語にほんごばれ、日本語にほんご一種いっしゅかんがえられている[3][4]。ただし、手指しゅし日本語にほんご厳密げんみつ定義ていぎについては、下記かき「(2)ろう教育きょういく現場げんばにおける同時どうじ法的ほうてき手話しゅわ起源きげんとする日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ参照さんしょうのこと。

点字てんじてんというモードで日本語にほんご表現ひょうげんしたものとおなじように、手指しゅしというモードで表現ひょうげんされた日本語にほんごである[4]

末森すえのもり(2017)は、日本にっぽん手話しゅわという用語ようごられる「手話しゅわ」は個別こべつ言語げんごとしての狭義きょうぎ手話しゅわ日本語にほんご対応たいおう手話しゅわという用語ようごの「手話しゅわ」は手指しゅし媒体ばいたいもちいる意思いし疎通そつう手段しゅだん意味いみする広義こうぎの「手話しゅわ」をしており、この「手話しゅわ」という用語ようご多義たぎせいゆえに、日本にっぽん手話しゅわ日本語にほんご対応たいおう手話しゅわをめぐる議論ぎろんが「不毛ふもうなものになっている(p. 260)」と指摘してきしている。[5]

使用しようじょうきょう[編集へんしゅう]

おも日本にっぽんなん聴者ちょうしゃ中途ちゅうとしつ聴者ちょうしゃ使用しようされる。聴者ちょうしゃ手話しゅわ学習がくしゅうしゃ日本にっぽん公立こうりつろう学校がっこう教職員きょうしょくいん日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ使用しようする場合ばあいおおくみられる。

いわゆる手話しゅわスピーチコンテストで指定していされる「手話しゅわ」や、聴者ちょうしゃ音楽おんがくわせて手話しゅわ単語たんご表現ひょうげんしながら日本語にほんごうた手話しゅわ大半たいはんは、日本語にほんご対応たいおう手話しゅわである[4]

NHKEテレ「中途ちゅうとしつ聴者ちょうしゃなん聴者ちょうしゃのためのワンポイント手話しゅわ」では、日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ使用しようされている。ちなみに同局どうきょくNHKみんなの手話しゅわは、平成へいせい18年度ねんどより日本にっぽん手話しゅわおもとしたあつか内容ないよう一新いっしんされている(番組ばんぐみテキスト18年度ねんど~19年度ねんど監修かんしゅうしゃあいさつ」)。

日本にっぽん手話しゅわやアメリカ手話しゅわなどの手話しゅわ言語げんごだいいち言語げんごとするろうしゃであっても、場面ばめん相手あいておうじて日本にっぽん手話しゅわ混成こんせい手話しゅわ使つかけるコードスイッチをもちいることがアメリカと日本にっぽん研究けんきゅうあきらかになっている[6][7]

日本にっぽん手話しゅわから手指しゅし日本語にほんご日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ)のコード・スイッチがきやすいのは、手話しゅわ講習こうしゅうかい式典しきてんなどの公的こうてきおおいが、相手あいて聴者ちょうしゃとわかったとたんにコード・スイッチをする話者わしゃおお[4]

日本にっぽん手話しゅわ日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ厳密げんみつ意味いみでの手指しゅし日本語にほんごおよびシムコム)の表現ひょうげん文法ぶんぽう混在こんざいする手話しゅわ混成こんせい手話しゅわばれ[3]混在こんざい程度ていど話者わしゃ個人こじんはげしい。

日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ」にふくまれるもの[編集へんしゅう]

日本語にほんご文法ぶんぽうがベースとなっている手指しゅしコミュニケーションすべてをして「日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ」とする立場たちばもあるが[2][3][4]下記かきのものをすべて「日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ」と分類ぶんるいすることへの批判ひはんもある[8]

下記かき用語ようご使つかかた論者ろんしゃによってすこしずつことなっており、おなじタイプの手指しゅしコミュニケーションほうたいしてことなる用語ようご使つかわれていることもおおいため、注意ちゅうい必要ひつようである。

手指しゅし日本語にほんご[編集へんしゅう]

厳密げんみつには、ろう教育きょういく現場げんば導入どうにゅうされた同時どうじ法的ほうてき手話しゅわ徹底的てっていてき日本語にほんごぶんふくまれるすべてのかたり手指しゅしあらわす)をすという立場たちばもあるが、近年きんねん一般いっぱんてき意味いみでの「日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ」の同義語どうぎごとしてもちいられることがおお[3][4]

ピジン手話しゅわ[編集へんしゅう]

手話しゅわ単語たんごを「日本語にほんご語順ごじゅん簡略かんりゃくされた日本語にほんご文法ぶんぽう)にしたがってならべたもの[8]。ろうしゃにとってはくちばなしよりは理解りかいでき、聴者ちょうしゃにとっては日本語にほんごちかいので理解りかいしやすい。

おおくの手話しゅわ講座こうざにおいて、聴者ちょうしゃ手話しゅわ講師こうし日本語にほんごでの説明せつめい使つかうのはピジン手話しゅわまたはシムコム(下記かき参照さんしょう)で、これらは通訳つうやく活動かつどうでも頻繁ひんぱん使用しようされる[8]

ピジン手話しゅわやシムコムがひろまるにつれて「ピジン手話しゅわやシムコムが手話しゅわである」「手話しゅわ日本語にほんご一種いっしゅである」「手話しゅわには文法ぶんぽうがない」という誤解ごかいまれた[8]

シムコム(SimCom)[編集へんしゅう]

手話しゅわ表現ひょうげん音声おんせいともなわせるもの[7]。読話とピジン手話しゅわわせたもの[8]手話しゅわくちばなし

聴者ちょうしゃからすると、ピジン手話しゅわ単語たんごだけではりないところを読話でおぎなえ、聴覚ちょうかく障害しょうがいしゃからすれば、くちばなしだけではわからないところを手話しゅわ単語たんごおぎなって理解りかいできる。

しかし「シムコム」は、日本にっぽん手話しゅわ使つかうろうしゃ立場たちばからは聴者ちょうしゃ手話しゅわのシンボルとして、あるいはろうてき手話しゅわがいする存在そんざい用語ようごとして批判ひはんてき使つかわれることがおお[8]

手話しゅわきスピーチ[編集へんしゅう]

教員きょういんこえでしゃべる日本語にほんご一部いちぶ手話しゅわ単語たんごにしてうごかす「手話しゅわ」、つまり「こえでしゃべりながらうごかす」コミュニケーション手段しゅだん。シムコムとおなじもの[2]

ちゅうあいだがた手話しゅわ[編集へんしゅう]

栃木とちぎけん同時どうじほうとあわせて導入どうにゅうされた手話しゅわのタイプ(「日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ発生はっせい経緯けいい(2)」を参照さんしょう)。語順ごじゅんなどの表現ひょうげんかんする規則きそく日本語にほんごのそれとおなじだが、おも名詞めいし動詞どうしといった自立じりつ手話しゅわあらわし、助詞じょしなどの付属ふぞくくちがた表現ひょうげんする[7]論者ろんしゃによっては、シムコムまたは日本語にほんご対応たいおう手話しゅわともばれる。

方法ほうほうてき手話しゅわ[編集へんしゅう]

1920~30年代ねんだいに、くちばなし教育きょういく推進すいしんしゃである東京とうきょう聾唖ろうあがく校長こうちょう樋口ひぐちちょうもちいた表現ひょうげん手話しゅわ日本語にほんごてき使用しようであって手話しゅわではないという(もん2012)の記述きじゅつから、日本語にほんご対応たいおう手話しゅわすとおもわれる[9]

人為じんいてき手話しゅわ[編集へんしゅう]

1920~30年代ねんだいの(概念的がいねんてき抽象ちゅうしょうてき事象じしょうあらわすためにつくられまなばれる手話しゅわ)のみっつの分類ぶんるいひとつ。東京とうきょう聾唖ろうあ学校がっこう関係かんけいしゃによってもちいられた。樋口ひぐちおさむは、人為じんいてき手話しゅわ手話しゅわ特質とくしつられたものとしていることから、日本語にほんご対応たいおう手話しゅわすとかんがえられる。ふたつの分類ぶんるいは、慣習かんしゅうてき手話しゅわ聾唖ろうあしゃ団体だんたいてき生活せいかつ基礎きそとして発達はったつする手話しゅわ日本にっぽん手話しゅわすとおもわれる。)および自然しぜんてき手話しゅわもんによると、ホームサインをさすもの)である[9]

日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ発生はっせい経緯けいい[編集へんしゅう]

おも下記かきふたつの要因よういんにより発生はっせいしたとされる。

(1)手話しゅわサークルなどでの、聴学習がくしゅうしゃ増加ぞうか

(2)ろう教育きょういく現場げんばにおける 同時どうじほう導入どうにゅう

(1)手話しゅわサークルなど、聴学習がくしゅうしゃコミュニティにおける日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ[編集へんしゅう]

1963ねんはじめての手話しゅわサークルとなる「みみずく」設立せつりつ[10]、1970ねん手話しゅわ奉仕ほうしいん養成ようせい事業じぎょうによる手話しゅわ講習こうしゅうかいひろがりなどをとおして聴者ちょうしゃ学習がくしゅうしゃ[4]聴者ちょうしゃ聴者ちょうしゃ手話しゅわおしえるようになったことで手話しゅわ変容へんようこり、ピジン手話しゅわ手話しゅわくちばなし(シムコム)が発生はっせいした[8]。1960年代ねんだいなかばに主流しゅりゅうしたとかんがえられている[4]

最初さいしょ手指しゅし日本語にほんご日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ)でおしえて、その日本にっぽん手話しゅわにシフトする方式ほうしきをとる手話しゅわ講座こうざ存在そんざいするが、いったん手指しゅし日本語にほんご日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ)をけてしまうと日本にっぽん手話しゅわへのシフトはむずかしいとわれる[4]

(2)ろう教育きょういく現場げんばにおける同時どうじ法的ほうてき手話しゅわ起源きげんとする日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ[編集へんしゅう]

1968ねん栃木とちぎ県立けんりつろう学校がっこう田上たうえ隆司たかし同時どうじほう、つまり手話しゅわ単語たんごゆび文字もじもちいて日本語にほんご表示ひょうじすることを提案ていあんした[4]くち話法わほう主義しゅぎのろう学校がっこうにおける手話しゅわ禁止きんし問題もんだいかんがえ、日本語にほんご手話しゅわというふたつの言語げんごくわえて、その中間ちゅうかんてき存在そんざいみとめ、同時どうじ法的ほうてき手話しゅわがその橋渡はしわたしになるという認識にんしきのもとに導入どうにゅうされた[8]
上記じょうきとおり、1920~30年代ねんだいにも方法ほうほうてき手話しゅわ人為じんいてき手話しゅわという用語ようご使つかわれているが、ろう教育きょういく概論がいろんでは、栃木とちぎけん同時どうじほう日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ(に該当がいとうするもの)の起源きげんとして紹介しょうかいするものがおお見受みうけられる)

伝統でんとうてき手話しゅわ日本にっぽん手話しゅわす。
同時どうじ法的ほうてき手話しゅわ日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ厳密げんみつ意味いみでの手指しゅし日本語にほんご手指しゅし日本語にほんご表示ひょうじする方法ほうほうゆび文字もじもちいてほぼ完全かんぜん日本語にほんご音韻おんいん助詞じょし助動詞じょどうし語尾ごび変化へんか表示ひょうじすることを理想りそうとする。手指しゅし日本語にほんご表現ひょうげんした日本語にほんご)ということもある[4][8]
ちゅうあいだがた手話しゅわ同時どうじ法的ほうてき手話しゅわ省略形しょうりゃくけい同時どうじ法的ほうてき手話しゅわ表現ひょうげんでは時間じかんがかかりすぎるために必要ひつようとされた。

日本語にほんご対応たいおう手話しゅわとは、同時どうじ法的ほうてき手話しゅわ後続こうぞくモデルとされ、かたり対応たいおうゆび文字もじ使つかおと対応たいおうがある。ゆび文字もじだけでは時間じかんがかかりすぎるため、以下いかふたつの方法ほうほう考案こうあんされた[8]
  •  漢字かんじ対応たいおうひとつの漢字かんじひとつの手話しゅわ単語たんごをあて、日本語にほんご漢字かんじをそのまま手指しゅし表記ひょうきするもの。おと対応たいおうより表示ひょうじのスピードははやくなるが、習得しゅうとくむずかしく、使用しようしゃ負担ふたんおおきい。
  •  ゆび文字もじ連続れんぞく省略しょうりゃく日本にっぽん手話しゅわ語彙ごいにもゆび文字もじれたものはられるが、それは自由じゆう考案こうあんできるものではなく、音韻おんいんてき制約せいやくける[3]

日本語にほんご手指しゅしてき表現ひょうげんしようとする工夫くふう努力どりょくは「あたらしい手話しゅわ」ともばれ、手話しゅわ語彙ごい増加ぞうかには寄与きよした。和製わせい英語えいごおなじく、聴者ちょうしゃ日本語にほんごだいいち言語げんごとするなん聴者ちょうしゃ中途ちゅうとしつ聴者ちょうしゃには利用りようしやすいが、日本にっぽん手話しゅわ使用しようするろうしゃには困惑こんわくをもたらす存在そんざいになった[8]

社会しゃかいてき位置いちづけと論争ろんそう[編集へんしゅう]

1990年代ねんだい時点じてんでは、この日本語にほんご対応たいおう手話しゅわこそが「ただしい」手話しゅわだとおもわれていた。日本語にほんごちかいため、日本にっぽん手話しゅわより社会しゃかいてき上位じょういにあり「あたまのよいひと使つかう」ことばとされていた[2]くちばなし上手じょうず手話しゅわくちばなしができるひとは、秀才しゅうさいされてたかいステータスをられた[4]

ところが、1995ねんに『現代げんだい思想しそう誌上しじょう発表はっぴょうされた「ろう文化ぶんか宣言せんげん」(木村きむら晴美はるみ市田いちだ泰弘やすひろ)では、「音声おんせい言語げんごはなしながら手話しゅわ単語たんごならべる」方法ほうほうは、「ふたつの言語げんご同時どうじはなそうとする」「所詮しょせん無理むりな」「中途半端ちゅうとはんぱな」コミュニケーションほうであると痛烈つうれつ批判ひはん[11]、ろうしゃを「日本にっぽん手話しゅわという、日本語にほんごとはことなる言語げんごはなす、言語げんごてき少数しょうすうしゃである(8ページ)」と定義ていぎしたうえで、日本にっぽん手話しゅわ書記しょき日本語にほんごのバイリンガル教育きょういく重要じゅうようせいろんじた。

「ろう文化ぶんか宣言せんげんのように文化ぶんか言語げんごモデルを強調きょうちょうし、日本にっぽん手話しゅわとシムコムとに分類ぶんるいするかんがえは、あたらしいろうあ運動うんどういままでってきた「聴者ちょうしゃとの連帯れんたい路線ろせんとその帰結きけつとしての「ろうしゃ聴者ちょうしゃとの共通きょうつうとしての手話しゅわかん」をこうから否定ひていするものであった(p. 86)[9]」。その結果けっか経済けいざいてき不利ふりけている聴者ちょうしゃとの連帯れんたい重視じゅうししようとするかんがえと、ろうしゃ言語げんごてき独自どくじせいほうおもきをこうとするかんがえとのあいだはげしい議論ぎろんきるようになった(p. 112)」[12][13]

ろう教育きょういく日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ[編集へんしゅう]

同時どうじ法的ほうてき手話しゅわ日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ)は人工じんこうてき考案こうあんされた、手指しゅし日本語にほんご完全かんぜん表記ひょうきするという矛盾むじゅんちた提案ていあんであり、手話しゅわにはみっつの種類しゅるいがあると誤解ごかいひろがることになったという批判ひはんがある[8]。また、伝統でんとうてき手話しゅわ日本にっぽん手話しゅわ)がろうしゃにとって大切たいせつなものと尊重そんちょうしながらも教育きょういくでは否定ひていてきあつかわれ、同時どうじ法的ほうてき手話しゅわ日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ)の必要ひつようせい強調きょうちょうされていることを問題もんだいする立場たちばもある[14]

日本語にほんご対応たいおう手話しゅわは、くちばなしだけではなく、ろうとコミュニケーションがとれるものはなんでも導入どうにゅうしようというトータルコミュニケーション(TC)という概念がいねんのもとに導入どうにゅうされたケースもおおくみられる。TCには、手話しゅわはもちろん、ゆび文字もじ発音はつおんくちがたゆびあらわすキュードスピーチ、身振みぶり、ジェスチャーなどもふくまれる。TCにおける手話しゅわはあくまでくち話法わほう補助ほじょてき役割やくわりたすものであった[15]。TCは1960年代ねんだいにアメリカで提唱ていしょうされ、20ねんらずで全米ぜんべいひろまった。しかし、1988ねんにアメリカ政府せいふ委員いいんかい報告ほうこくによるとその教育きょういく効果こうかくち話法わほうわらず、不十分ふじゅうぶんくちばなし不十分ふじゅうぶん手話しゅわから不十分ふじゅうぶんなコミュニケーション手段しゅだんでろう混乱こんらんさせるだけであった[2]

上記じょうきのような問題もんだいてんまえて「日本にっぽん手話しゅわろう教育きょういくもちいるべきである」との主張しゅちょうがなされるようになったが、具体ぐたいてき方針ほうしんについては、以下いかふたつの立場たちばがある。

  • 日本にっぽん手話しゅわ日本語にほんごのバイリンガル教育きょういく推進すいしんする立場たちば学校がっこう法人ほうじんあかりはれ学園がくえん全国ぜんこくろうをもつおやかい
  • 日本にっぽん使用しようされる手話しゅわかくとなるのは日本にっぽん手話しゅわであるが、それ以外いがい各種かくしゅ手話しゅわ排除はいじょすべきではないという立場たちば全日本ぜんにほんろうあ連盟れんめい[16]

その[編集へんしゅう]

アメリカでは、アメリカ手話しゅわ (ASL) の表現ひょうげんりて、英語えいご語順ごじゅんおなじにした手話しゅわ en:Pidgin Signed English (PSE) がある。

ちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ケムの手話しゅわ探求たんきゅうページ 伊藤いとう政雄まさお竹村たけむら しげるちょ世界せかい手話しゅわ入門にゅうもんへん』(廣済堂こうさいどう出版しゅっぱん・ケムのほんのコーナー参照さんしょう)付録ふろく日本語にほんご対応たいおう手話しゅわとは」から採録さいろくしました。
  2. ^ a b c d e 斉藤さいとう道雄みちお (2016). 手話しゅわきるー少数しょうすう言語げんご多数たすう日本語にほんご出会であうところで. みすず書房しょぼう 
  3. ^ a b c d e 松岡まつおか和美かずみ (2015). 日本にっぽん手話しゅわまな手話しゅわ言語げんごがく基礎きそ. くろしお出版しゅっぱん 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 木村きむら晴美はるみ (2011). 日本にっぽん手話しゅわ日本語にほんご対応たいおう手話しゅわ手指しゅし日本語にほんご):あいだにあるふかたに. 生活せいかつ書院しょいん 
  5. ^ すえもり明夫あきお (2017). 自然しぜん科学かがく聾唖ろうあ. 斉藤さいとうくるみ(編著へんちょ)『手話しゅわによる教養きょうよう大学だいがく挑戦ちょうせん』. ミネルみねるァ書房ぁしょぼう. pp. 241-284. 
  6. ^ Ceil Lucas and Clayton Valli (1989). “Language contact in the American deaf community”. The sociolinguistics of the Deaf community (Academic Press): 11-40.. 
  7. ^ a b c 長南ちょうなん浩人ひろと (2005). 手話しゅわ心理しんりがく入門にゅうもん. 東峰とうほう書房しょぼう 
  8. ^ a b c d e f g h i j k l 神田かんだ和幸かずゆき編著へんちょ) (2009). 基礎きそからまな手話しゅわがく. 福村ふくむら出版しゅっぱん 
  9. ^ a b c かどひろし (2014). “手話しゅわ復権ふっけん”. 手話しゅわがく研究けんきゅう 21: 81-96.. 
  10. ^ みみずくとは”. 京都きょうと手話しゅわ学習がくしゅうかいみみずく. 2020ねんがつ21にち閲覧えつらん
  11. ^ 木村きむら晴美はるみ市田いちだ泰弘やすひろ (1995). “ろう文化ぶんか宣言せんげん”. 現代げんだい思想しそう 1995ねん3がつごう. 
  12. ^ もん ひろし (2017). ろうしゃみずからの「市民しみんせい」を涵養かんようする権利けんりと「日本にっぽん手話しゅわ」による教養きょうよう大学だいがく法律ほうりつがく授業じゅぎょう題材だいざいとし. 斉藤さいとうくるみ(編著へんちょ)『手話しゅわによる教養きょうよう大学だいがく挑戦ちょうせん:ろうしゃおしえ、ろうしゃまなぶ』. ミネルみねるァ書房ぁしょぼう. pp. 66-124 
  13. ^ 現代げんだい思想しそう編集へんしゅう, ed (2000). ろう文化ぶんか. 青土おうづちしゃ 
  14. ^ 金澤かなざわ貴之たかゆき (2013). 手話しゅわ社会しゃかいがく教育きょういく現場げんばへの手話しゅわ導入どうにゅうにおける当事とうじしゃせいをめぐって. 生活せいかつ書院しょいん 
  15. ^ 中島なかじま武史たけし (2018). ろう教育きょういくと「ことば」の社会しゃかい言語げんごがくーー手話しゅわ英語えいご日本語にほんごリテラシー. 生活せいかつ書院しょいん 
  16. ^ 日本にっぽん聴覚ちょうかく障害しょうがい教育きょういく構想こうそうプロジェクト委員いいんかい最終さいしゅう報告ほうこくしょ全日本ぜんにほんろうあ連盟れんめい、2005ねん、9-10ページ

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]