草仮名そうがな

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
草仮名そうがな
類型るいけい: 音節おんせつ文字もじ
言語げんご: 日本語にほんご琉球りゅうきゅう
おや文字もじ体系たいけい:
文字もじ体系たいけい: 平仮名ひらがな
注意ちゅうい: このページはUnicodeかれた国際こくさい音声おんせい記号きごう (IPA) をふく場合ばあいがあります。
テンプレートを表示ひょうじ

草仮名そうがな(そうがな)は、万葉仮名まんようがなから平仮名ひらがなへの移行いこう段階だんかいあらわれたかな一種いっしゅである。

万葉仮名まんようがな草仮名そうがな平仮名ひらがな比較ひかく[編集へんしゅう]

万葉仮名まんようがなは『古事記こじき』(712ねん)、『日本書紀にほんしょき』(720ねん)、および『万葉集まんようしゅう』(8世紀せいき後半こうはん)などにられる表記ひょうきほうである。すでに使つかわれていた漢字かんじ真名まな)を表音ひょうおん文字もじとして使つか方法ほうほうで、仮借かしゃく一種いっしゅである。書体しょたい楷書かいしょたい行書ぎょうしょたいである。ただし、『万葉集まんようしゅう』とほぼどう時代じだいせいくらいん万葉仮名まんようがな文書ぶんしょ762ねん以前いぜん)は行書ぎょうしょたい基調きちょうとする万葉仮名まんようがなかれているものの、大陸たいりく中央ちゅうおうことなったあたりえんてき、つまり日本にっぽんしきなしうる一般いっぱんてき筆順ひつじゅん字体じたいともなったくずがすでにあらわれており、草仮名そうがなへの変化へんかきざしをすでにることができる。

やく100ねんほど時代じだいくだった藤原ふじわらゆうねん申文もうしぶみ867ねん)では、漢語かんご語彙ごい王羲之おうぎしをモデルとする高水準こうすいじゅん大陸たいりく中央ちゅうおうかたによる行書ぎょうしょたいかれており、一方いっぽうでその部分ぶぶんおおきくくずれたくさ書体しょたいもちいて区別くべつしてけられている。この後者こうしゃにおいて草仮名そうがな成立せいりつることができる。

つてしょう野道のみちふうふであきはぎじょう』(10世紀せいきから11世紀せいき)は草仮名そうがな名品めいひんとして美術びじゅつてき価値かちたかうえ平仮名ひらがなへの変遷へんせん途上とじょう仮名かめい姿態したいつたえる歴史れきしてき資料しりょうとしても貴重きちょうなものである[注釈ちゅうしゃく 1]。ここにられる漢字かんじくさ書体しょたいくずほう仮名かめい全般ぜんぱんおよんだとき平仮名ひらがなまれた。平仮名ひらがな漢字かんじくさ書体しょたい起源きげんとしながらも、もはやもと字体じたいかえることができないまでにくずしをすすめたのちに定着ていちゃくしたものであり、このことは日本語にほんご独自どくじ表音ひょうおん文字もじ体系たいけい成立せいりつ過程かてい特徴とくちょうをなしている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 石川いしかわきゅう楊は『しょ宇宙うちゅう12 洗練せんれん小宇宙しょううちゅう 平安へいあん古筆こひつ』のなか[ようページ番号ばんごう]で、あきはぎじょうはそこにられる字体じたいほそ筆画ひっかく安定あんていしたきぶりから、平仮名ひらがな途上とじょう過程かていつたえるものとしての草仮名そうがなとはかんがえられず、むしろ平仮名ひらがな成立せいりつえて草仮名そうがないたものと断定だんていしている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]


参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 石川いしかわきゅう編集へんしゅう)『しょ宇宙うちゅう12 洗練せんれん小宇宙しょううちゅう 平安へいあん古筆こひつ二玄社にげんしゃ、1998ねん