近代きんだい

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近代きんだい(きんだいご)または近代きんだい日本語にほんご(きんだいにほんご)[1]とは、日本語にほんご一種いっしゅである。狭義きょうぎには西洋せいよう制度せいど学術がくじゅつ思想しそう文化ぶんか吸収きゅうしゅうした明治維新めいじいしん中心ちゅうしんに、江戸えど後期こうき幕末ばくまつから明治めいじはつ中期ちゅうき言葉ことばすが、広義こうぎには室町むろまち時代ときよ以降いこう日本語にほんごす。

概要がいよう[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおける近代きんだいは、漢語かんご側面そくめんからみたとき、狭義きょうぎ意味いみにおいても現代げんだい日本語にほんごの5わりえる規定きていせいをもっている[注釈ちゅうしゃく 1]近代きんだいは、日本語にほんごがく日本語にほんご教育きょういく関心かんしんからのアプローチのほか、翻訳ほんやく研究けんきゅう哲学てつがく思想しそう分野ぶんやとう研究けんきゅうにおいて注目ちゅうもくされている。近代きんだい成立せいりつおおきな特徴とくちょうとして、翻訳ほんやく主義しゅぎをとったことをあげられる[注釈ちゅうしゃく 2]幕末ばくまつ明治めいじ知識ちしきじん翻訳ほんやくつうじて西洋せいよう学術がくじゅつ文化ぶんか日本にっぽんにもたらした。

歴史れきし[編集へんしゅう]

日本にっぽん列島れっとう文字もじがもたらされた文献ぶんけん傍証ぼうしょうられるのはこう漢書かんしょ東夷あずまえびすでんにおけるやつこく記載きさいであり、江戸えど時代じだい志賀島しかのしま発見はっけんされたきむしるしはこのときにたまわれたものとされている。以来いらい中国ちゅうごく朝鮮半島ちょうせんはんとうとの交流こうりゅう交渉こうしょうなか漢字かんじ受容じゅようされ、日本にっぽん列島れっとうらしていたひとびとのことばに万葉仮名まんようがなのように漢字かんじりて日本語にほんごおとあらわした。

古代こだい以降いこう渡来とらいけい移住いじゅうみん(いわゆる渡来とらいじん)やずい使遣唐使けんとうし、そして書籍しょせきつうじて、中国ちゅうごく学術がくじゅつ文化ぶんか流入りゅうにゅうし、儒教じゅきょうかんやく仏教ぶっきょう受容じゅようつうじて、日本にっぽん列島れっとうひとびとは日本語にほんごゆたかにきたえていった。

時代じだいぎ、阿片あへん戦争せんそうにおいて大国たいこくせい英国えいこくやぶれたことで、日本にっぽんひとびとの危機ききかんたかまった。18世紀せいきわりまで江戸えど幕府ばくふ朝鮮ちょうせん通信使つうしんし長崎ながさき出島でじまつうじてのオランダ中国ちゅうごくとの交流こうりゅうかぎられ(いわゆる鎖国さこく)、19世紀せいきはいって、国際こくさい環境かんきょうおおきくかわってきた。ペリー浦賀うらが来航らいこう日米にちべい和親わしん条約じょうやく日米にちべい修好しゅうこう通商つうしょう条約じょうやく調印ちょういんて、薩長さっちょうとうはんおよ幕府ばくふがわ一部いちぶ上層じょうそう、テクノクラートは攘夷じょういろんから転換てんかんし、西洋せいよう学術がくじゅつ知識ちしきもとめた。

明治維新めいじいしんとなり、岩倉いわくら使節しせつだん代表だいひょうとして、多数たすう留学生りゅうがくせい西洋せいよう派遣はけんされ、西洋せいよう知識ちしき日本にっぽんにもたらされた。

翻訳ほんやくろん日本にっぽん近代きんだい思想しそう[編集へんしゅう]

西にしあまねは、学術がくじゅつとくに哲学てつがく用語ようごやくしたといわれる[注釈ちゅうしゃく 3]近代きんだいかかわる着眼ちゃくがんてん以下いかのようなものをあげられる。まず、西洋せいよう概念がいねんとう翻訳ほんやくされたときに、なに種類しゅるいかの訳語やくご存在そんざいしたこと[注釈ちゅうしゃく 4]つぎ翻訳ほんやくにあたっての「等価とうか」の問題もんだいである[注釈ちゅうしゃく 5]翻訳ほんやくかならずしも言語げんご意味いみ正確せいかくにはつたえていない。訳語やくご一度いちど定着ていちゃくすると、「統計とうけい」=statisticsとう固定こていされる。しかし、rightは「権利けんり」であるとともに、右側みぎがわ意味いみもあり、よい意味いみ使つかうものの、日本語にほんごの「権利けんり」の「けん」のわる意味いみにも使用しようする[注釈ちゅうしゃく 6]。また、西にしあまね発明はつめいした哲学てつがく用語ようごは、日常にちじょう語彙ごいとのあいだ距離きょりがあるが、西洋せいようのphilosophyは哲学てつがくであるとともに、「ものの見方みかた」「かんがかた」「原理げんりとう意味いみにも使用しようされ、日常にちじょう学術がくじゅつ用語ようごがつながっているという[注釈ちゅうしゃく 7]。つまり、明治めいじ翻訳ほんやくには、功罪こうざい虚像きょぞうがあり、そのことが近代きんだい検討けんとうする意味いみ意義いぎともいえる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 野村のむら雅昭まさあき(2010)は日本語にほんごにおける基本きほん漢語かんご抽出ちゅうしゅつし、その時代じだいべつ割合わりあいしめしている。基本きほんさんせん初出しょしゅつ時期じきはⅠ奈良なら平安へいあん鎌倉かまくら時期じき 語数ごすう927(30.9%)、Ⅱ室町むろまち江戸前えどまえ 語数ごすう374(12.5%)、Ⅲ江戸えど後期こうき(1720-) 語数ごすう362(12.1%)、Ⅳ明治めいじ時期じき(1868-) 語数ごすう1,167(38.9%)、Ⅴ大正たいしょう昭和しょうわ 語数ごすう165(5.6%) けい2,998(100%)とする。どう論文ろんぶんは、ちん力衛りきえちょからのさい引用いんようである[2]
  2. ^ 丸山まるやま眞男まさお加藤かとう周一しゅういち翻訳ほんやく日本にっぽん近代きんだい[3]、3ぺーじ
  3. ^ 加藤かとう周一しゅういち解説かいせつ」『翻訳ほんやく思想しそう[4]364ぺーじ参照さんしょう。なお、加藤かとうによれば森岡もりおか健二けんじは、特定とくてい英語えいご対応たいおうする西にし訳語やくご1410を、明治めいじ7ねん以前いぜん刊行かんこう英和えいわ辞書じしょ訳語やくご対照たいしょう[5]両者りょうしゃかさなるもの(623)と、当時とうじ辞書じしょにはなく西にし独自どくじ訳語やくごかんがえられるもの(787)とにけた。前者ぜんしゃだい部分ぶぶんは、諸橋もろはし轍次てつじだい漢和かんわ辞典じてん』が出典しゅってん明記めいきする古典こてんである(523)。後者こうしゃすなわち西にししゅう発明はつめいした訳語やくごのおよそ半分はんぶん古典こてんり(340)、およそ半分はんぶん新造しんぞうである(447)[4]
  4. ^ 加藤かとう周一しゅういちは、なに種類しゅるいかの訳語やくご共存きょうぞんした要因よういんとして、だいいち公衆こうしゅうこのみ、だい学会がっかいその民間みんかん職業しょくぎょうてき組織そしき団体だんたい意識いしきてき努力どりょくだいさん政府せいふ影響えいきょうをあげている(加藤かとう周一しゅういち解説かいせつ」『翻訳ほんやく思想しそう[4]366~367ぺーじ)。
  5. ^ 翻訳ほんやくがくにおける「等価とうか」の問題もんだい注目ちゅうもくした研究けんきゅうに、やなぎちちあきら翻訳ほんやく成立せいりつ事情じじょう[6]がある(長沼ながぬま美香子みかこやくされた近代きんだい文部省もんぶしょう百科全書ひゃっかぜんしょ』の翻訳ほんやくがく[7]、21ぺーじ)。
  6. ^ 加藤かとう周一しゅういち解説かいせつ」『翻訳ほんやく思想しそう[4]368~369ぺーじ
  7. ^ 加藤かとう周一しゅういち解説かいせつ」『翻訳ほんやく思想しそう[4]370ぺーじ

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 杉本すぎもとつとむ (1968). “近代きんだい日本語にほんご研究けんきゅう”. 東北大学とうほくだいがく 博士はかせ学位がくい論文ろんぶん 要旨ようし. 
  2. ^ ちん力衛りきえ近代きんだい翻訳ほんやく伝播でんぱ漢語かんご媒介ばいかいに』三省堂さんせいどう、2019ねん
  3. ^ 丸山まるやま眞男まさお加藤かとう周一しゅういち翻訳ほんやく日本にっぽん近代きんだい』(岩波いわなみ新書しんしょ)1998ねん
  4. ^ a b c d e 加藤かとう周一しゅういち解説かいせつ」『翻訳ほんやく思想しそう』(日本にっぽん近代きんだい思想しそう大系たいけい)岩波書店いわなみしょてん、1991ねん
  5. ^ 近代きんだい成立せいりつ明治めいじ語彙ごいへん明治めいじ書院しょいん、1969ねん
  6. ^ やなぎちちあきら翻訳ほんやく成立せいりつ事情じじょう岩波いわなみ新書しんしょ、1982ねん
  7. ^ 長沼ながぬま美香子みかこやくされた近代きんだい文部省もんぶしょう百科全書ひゃっかぜんしょ』の翻訳ほんやくがく法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく、2017ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]