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川和かわわまち

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川和かわわまち
まちひのと
川和かわわまち
地図北緯ほくい3531ふん43びょう 東経とうけい13932ふん58びょう / 北緯ほくい35.528644 東経とうけい139.549528 / 35.528644; 139.549528
くに 日本の旗 日本にっぽん
都道府県とどうふけん 神奈川県の旗 神奈川かながわ
市町村しちょうそん 横浜よこはま
行政ぎょうせい 都筑つづき
人口じんこう情報じょうほう2024ねんれい6ねん4がつ30にち現在げんざい[1]
 人口じんこう 10,870 にん
 世帯せたいすう 5,043 世帯せたい
面積めんせき[2]
  1.698 km²
人口じんこう密度みつど 6401.65 にん/km²
設置せっち 1939ねん昭和しょうわ14ねん4がつ1にち
郵便ゆうびん番号ばんごう 224-0057[3]
市外しがい局番きょくばん 045(横浜よこはまMA[4]
ナンバープレート 横浜よこはま
ウィキポータル 日本にっぽんまち
神奈川県の旗 ウィキポータル 神奈川かながわけん
ウィキプロジェクト 日本にっぽんまち
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川和かわわまち(かわわちょう)は、神奈川かながわけん横浜よこはま都筑つづきにある地名ちめいひのとばんたない単独たんどく町名ちょうめいで、住居じゅうきょ表示ひょうじ実施じっし区域くいき周辺しゅうへん住宅じゅうたくがい商店しょうてんがいひろがる。かつての都筑つづきぐん川和かわわまち(かわわまち)の中心ちゅうしんで、ぐん役所やくしょまち役場やくばかれていた。まちのシンボルは川和かわわ富士ふじ公園こうえん所在しょざいする標高ひょうこう74m(づかだか15m)の川和かわわ富士ふじ。この記事きじでは、きゅう自治体じちたい川和かわわまちについてもべる。

地理ちり

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都筑つづき西部せいぶ位置いちする。鶴見川つるみがわ本流ほんりゅう谷本やもとがわがったことから川和かわわとなったといわれている。集落しゅうらくかわ自然しぜん堤防ていぼうにあった。かつては「河輪かわわ」「がわ」「がわ勾」ともいた。ふるくは鎌倉かまくら街道かいどうなかどうかよっており[注釈ちゅうしゃく 1]交通こうつう要所ようしょだった。

地価ちか

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住宅じゅうたく地価ちかは、2024ねんれい6ねん1がつ1にち公示こうじ地価ちかによれば、川和かわわまち餅田もちだ1525ばん23の地点ちてんで16まん8000えん/m²となっている[7]

きゅう自治体じちたい

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かわわまち
川和かわわまち
廃止はいし 1939ねん4がつ1にち
廃止はいし理由りゆう 編入へんにゅう合併がっぺい
川和かわわまち都岡つおかむら二俣川ふたまたがわむら新治しんじむら田奈たなむら中里なかさとむら山内やまうちむら中川なかがわむら新田にったむら横浜よこはま
現在げんざい自治体じちたい 横浜よこはま
廃止はいし時点じてんのデータ
くに 日本の旗 日本にっぽん
地方ちほう 関東かんとう地方ちほう
都道府県とどうふけん 神奈川かながわけん
ぐん 都筑つづきぐん
市町村しちょうそんコード なし(導入どうにゅうまえ廃止はいし
そう人口じんこう 5,689ひと
国勢調査こくせいちょうさ1935ねん
隣接りんせつ自治体じちたい 横浜よこはま中里なかさとむら山内やまうちむら中川なかがわむら新田にったむら新治しんじむら
川和かわわまち役場やくば
所在地しょざいち 神奈川かながわけん都筑つづきぐん川和かわわまち大字だいじ川和かわわ
座標ざひょう 北緯ほくい3532ふん6.4びょう 東経とうけい13935ふん29.5びょう / 北緯ほくい35.535111 東経とうけい139.591528 / 35.535111; 139.591528 (川和かわわまち)
ウィキプロジェクト
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川和かわわまち神奈川かながわけん都筑つづきぐんにかつて存在そんざいした自治体じちたいでもある。

きゅう川和かわわまち沿革えんかく

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  • 1889ねん明治めいじ22ねん4がつ1にち - 町村ちょうそんせい施行しこうにより、川和かわわむら佐江戸さえどむら池辺いけべむら東方ひがしかたむら折本おりもとむら大熊おおくまむら川向かわむかいむらおよび本郷ほんごうむら一部いちぶ合併がっぺいして都田みやこだむら発足ほっそく
  • 1934ねん昭和しょうわ9ねん)4がつ1にち - 都田みやこだむら改称かいしょうして川和かわわむらとなる。
  • 1935ねん昭和しょうわ10ねん9月30にち - 川和かわわむら町制ちょうせい施行しこうして川和かわわまちとなる。
  • 1939ねん昭和しょうわ14ねん)4がつ1にち - 横浜よこはま編入へんにゅうきゅう川和かわわまちいき港北こうほく一部いちぶとなる。
  • 1969ねん昭和しょうわ44ねん10月1にち - 港北こうほく再編さいへんにより、きゅう川和かわわまちいきみどり一部いちぶとなる。
  • 1994ねん平成へいせい6ねん11月6にち - 港北こうほくおよびみどり再編さいへんにより、きゅう川和かわわまちいき都筑つづき一部いちぶとなる。

きゅう川和かわわまち交通こうつう

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鉄道てつどう路線ろせん

道路どうろ

きゅう川和かわわまち現在げんざい町名ちょうめい

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歴史れきし

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1977ねん9月に港北こうほくニュータウン遺跡いせきぐん発掘はっくつ調査ちょうさともな川和かわわ高校こうこう東側ひがしがわ花見山はなみやま遺跡いせき発見はっけんされ、1300てんもの遺物いぶつつかった。これにより1まんねん以上いじょうまえから人々ひとびと生活せいかつしていたことが判明はんめいした[8]

中世ちゅうせい武蔵むさしこく都筑つづきぐん川和かわわきょうであった。戦国せんごくにこの所領しょりょうしたのは北条ほうじょう綱成つなしげであるとされる。記録きろくには、農民のうみんべいをめぐってうったえ、最終さいしゅうてきにはこう北条ほうじょう評定ひょうじょうしゅべい催促さいそくめいじたとある。こう北条ほうじょうはこの勢力せいりょくばすと、小田原おだわらじょうまも関東かんとう進出しんしゅつ拠点きょてんとするため、はいじょうしていた小机こづくえじょういま港北こうほく小机こづくえまち)を修復しゅうふく。このしろささえじょうとして鶴見川つるみがわ沿いに川和かわわじょう整備せいびされた。かわ合流ごうりゅうする川和かわわ交通こうつうにおいて重要じゅうようであった。

江戸えど時代じだいになると都筑つづきぐん川和かわわむらかわむら)となった。土地とち増上寺ぞうじょうじりょう家数やかずは133けんという記録きろくがある。後期こうきには神奈川かながわ宿やどじょごうむら人馬じんば提供ていきょうするじょさと負担ふたんするむら)となる。

明治めいじになると、1879ねん都筑つづきぐん役所やくしょ下川井しもかわいから川和かわわ移転いてんしてかれ、以後いご周辺しゅうへん地域ちいき政治せいじ経済けいざい中心ちゅうしんとしてさかえた。

1889ねん - 町村ちょうそんせい施行しこうにより都筑つづきぐんに12むらかれる。その1つとして、川和かわわ池辺いけべ(いこのべ)、佐江戸さえど川向かわむかい大熊おおくま折本おりもと東方とうほう(ひがしかた)、本郷ほんごう合併がっぺいして都田みやこだ(つだ)むら成立せいりつ本郷ほんごう以外いがいの7つの大字だいじができる。村役場むらやくば大字だいじ池辺いけべかれた。

都田みやこだ由来ゆらいは、都筑つづきぐんの「」と田園でんえん地帯ちたいであったことから「」をったものである。

本来ほんらいは「都筑つづきむら」を名乗なの予定よていであったが、下川井しもかわいむらとう合併がっぺいむらも「都筑つづきむら」を名乗なのるべく準備じゅんびしていたため、むらめいめぐあらそいになった。結局けっきょく丘陵きゅうりょう地帯ちたいであったほう都岡つおかむら(「都筑つづきおか」の現在げんざい横浜よこはまあさひ)、田園でんえん地帯ちたいであったほう都田みやこだむら名乗なのることで収拾しゅうしゅうした経緯けいいがある。大字だいじ川和かわわ当時とうじ人口じんこう630にん乳牛にゅうぎゅう養豚ようとんさかんで、大正たいしょう時代じだいには川向かわむかいモモなどの栽培さいばいさかんにおこなわれた。

1913ねん - 大字だいじ川和かわわ神奈川かながわけん農工のうこう銀行ぎんこう川和かわわ出張所しゅっちょうしょかれる。

1934ねん1がつ1にち町制ちょうせい施行しこう改称かいしょう川和かわわまち(かわわまち)が成立せいりつ1939ねん横浜よこはま港北こうほく編入へんにゅうされ、大字だいじ川和かわわ箇所かしょ川和かわわまち(かわわちょう)が設置せっちされ、翌年よくねん山王さんのうばら港北こうほく区役所くやくしょ川和かわわ出張所しゅっちょうしょ(のちの川和かわわ支所ししょ)が設置せっちされた。

おな表記ひょうきだが、「都筑つづきぐん川和かわわまち」はいち自治体じちたいであり川和かわわふく周辺しゅうへん地域ちいき名称めいしょうであるのにたいし、「港北こうほく川和かわわまち」は自治体じちたい設置せっちしたひとつのまちであり範囲はんいきゅう川和かわわむら限定げんていされている。

1929ねんには、東京とうきょう横浜よこはま電鉄でんてつ現在げんざい東急とうきゅうバス)による乗合のりあいバスが東神奈川ひがしかながわえき川和かわわあいだ運行うんこう開始かいしし、ようや公共こうきょう交通こうつう機関きかん運行うんこうされるようになった。(なお、これ以前いぜんにもどう区間くかんには乗合のりあい馬車ばしゃ乗合のりあい自動車じどうしゃ運行うんこうされていたが、後者こうしゃはいわば現在げんざい乗合のりあいタクシーにちか業態ぎょうたいであったため、大量たいりょう輸送ゆそう機関きかん地区ちくないれはこれが最初さいしょである。)1947ねんには横浜よこはま市営しえいバスれを開始かいしした。

1962ねん鴨居かもいえき開業かいぎょう企業きぎょう進出しんしゅつ契機けいきとなり、工場こうじょうえる。同年どうねんには港北こうほく区民くみんつよ誘致ゆうち運動うんどうにより、港北こうほくはつ県立けんりつ高校こうこうである川和かわわ高等こうとう学校がっこう設立せつりつ以後いごきびしい指導しどう学区がっく細分さいぶんなどにより、横浜よこはま北部ほくぶ学区がっくのトップこう地位ちいきずいた。

1970ねん11月、鶴見川つるみがわ上流じょうりゅうめっき工場こうじょうからシアン化合かごうぶつ流出りゅうしゅつ影響えいきょう本川ほんがわのほか流域りゅういき井戸いどみずにもひろおよび、同月どうげつ19にちには川和かわわ町内ちょうないのパン工場こうじょう井戸いどから0.22ppmのシアンが検出けんしゅつされるなど環境かんきょう汚染おせん問題もんだいとなった。この井戸いど数値すうち翌日よくじつには0.05ppmへと低下ていかしたものの、横浜よこはま公害こうがいセンターはシアンによる汚染おせんがゼロになるまで複数ふくすう井戸水いどみず飲用いんよう禁止きんしした[9]

1969ねん4がつ港北こうほく区役所くやくしょ川和かわわ支所ししょ管内かんないをもってみどり設置せっちされ、従来じゅうらい川和かわわ支所ししょ位置いちみどり区役所くやくしょかれた。しかし、1972ねん4がつ区役所くやくしょ庁舎ちょうしゃ中山なかやま移転いてんするとこれまでの地域ちいき中心ちゅうしんとしての役割やくわりうすれ、よく1973ねん4がつみどり警察けいさつしょ(かつての川和かわわ警察けいさつしょげん:川和かわわまち公舎こうしゃ川和かわわ交番こうばん)も中山なかやま移転いてん。その川和かわわ郵便ゆうびんきょく現在げんざいみどり郵便ゆうびんきょくげん民間みんかんオフィス転用てんよう→マンション)が1991ねんに、みどり土木どぼく事務所じむしょ区役所くやくしょ跡地あとち所在しょざいげん児童じどう養護ようご施設しせつ)が1994ねんにそれぞれ中山ちゅうざん移転いてんし、1999ねん横浜よこはま地方ちほう法務局ほうむきょく川和かわわ出張所しゅっちょうしょ現在げんざい青葉あおば出張所しゅっちょうしょげん特別とくべつ養護ようご老人ろうじんホーム)の荏田えだへの移転いてんでかつての行政ぎょうせい中心ちゅうしんとしての役割やくわり完全かんぜん終了しゅうりょうした。

1980年代ねんだい後半こうはんより、らん開発かいはつふせぐべく計画けいかくてきおこなわれた港北こうほくニュータウン建設けんせつにより急速きゅうそく宅地たくちすすんだ一方いっぽう谷本やもとがわ沿いなどには農地のうちひろがる。1994ねん港北こうほくみどりさい編成へんせいともない、都筑つづき編入へんにゅう2008ねん3月30にち横浜よこはま市営しえい地下鉄ちかてつグリーンライン開通かいつうして川和かわわまちえき開業かいぎょう

2010年代ねんだいより、川和かわわまちえき周辺しゅうへんのこ農地のうち中心ちゅうしんとしたさい開発かいはつ事業じぎょう川和かわわまちえき周辺しゅうへん西にし地区ちく土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう」が実施じっしされ、

2022ねんにショッピングモール「ベルクフォルテ横浜よこはま川和かわわまち」が開業かいぎょうした。

川和かわわきく

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江戸えど時代じだい文政ぶんせいころから栽培さいばいされたきくは、「川和かわわきく」として国内こくない著名ちょめいであった。きく幕臣ばくしん松浦まつうらからゆずられたものであり、研究けんきゅうにより栽培さいばいされた新種しんしゅきくみや内省ないせい献上けんじょうされたのがはじまりである。おおくの皇族こうぞく著名ちょめいじんしたしまれた。いまでも「川和かわわきく」とばれる豪商ごうしょう旧家きゅうかのこっている。さけ醸造じょうぞう施設しせつや150種類しゅるいツバキあつめられているが、公開こうかいはしていない。川和かわわ小学校しょうがっこう川和かわわ中学校ちゅうがっこう校章こうしょうはこのきくにちなんでいる。

川和かわわ

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かつて、川和かわわ開催かいさいされた(川和かわわ)「元石川もといしかわ鍛冶たんや」「佐江戸さえど饅頭屋まんじゅうや」など、各地かくちから商人しょうにんあつまってきた。昭和しょうわはいると流通りゅうつう機関きかん発達はったつなどから徐々じょじょ衰退すいたいしていった。

川和かわわ虫送むしおく

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かつて7がつ25にちに、農薬のうやくがなかったため、いね害虫がいちゅうたいまつでおびきせてころしてしまう行事ぎょうじ開催かいさいされていた(川和かわわ虫送むしおく見物人けんぶつにんおおあつまり、屋台やたい非常ひじょうにぎわった。戦後せんご地域ちいき文化ぶんか伝承でんしょうのためすうかいおこなわれたが、現在げんざいでは火事かじ危険きけんなどもありおこなわれなくなった。いまでは都筑つづき南山田みなみやまたまち毎年まいとし7がつおこなわれている虫送むしおく行事ぎょうじ継承けいしょうされている。2005ねん平成へいせい17ねん)に横浜よこはま指定してい無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい指定していされた[10]

世帯せたいすう人口じんこう

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2023ねんれい6ねん4がつ30にち現在げんざい横浜よこはま発表はっぴょう)の世帯せたいすう人口じんこう以下いかとおりである[1]

まちひのと 世帯せたいすう 人口じんこう
川和かわわまち 5,043世帯せたい 10,870にん

人口じんこう変遷へんせん

[編集へんしゅう]

国勢調査こくせいちょうさによる人口じんこう推移すいい

人口じんこう推移すいい
とし 人口じんこう
1995ねん平成へいせい7ねん[11]
8,632
2000ねん平成へいせい12ねん[12]
8,320
2005ねん平成へいせい17ねん[13]
8,558
2010ねん平成へいせい22ねん[14]
8,879
2015ねん平成へいせい27ねん[15]
9,460
2020ねんれい2ねん[16]
9,998

世帯せたいすう変遷へんせん

[編集へんしゅう]

国勢調査こくせいちょうさによる世帯せたいすう推移すいい

世帯せたいすう推移すいい
とし 世帯せたいすう
1995ねん平成へいせい7ねん[11]
2,977
2000ねん平成へいせい12ねん[12]
3,042
2005ねん平成へいせい17ねん[13]
3,186
2010ねん平成へいせい22ねん[14]
3,510
2015ねん平成へいせい27ねん[15]
3,718
2020ねんれい2ねん[16]
4,059

学区がっく

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市立しりつ小・中学校しょうちゅうがっこうかよ場合ばあい学区がっく以下いかとおりとなる(2023ねん4がつ時点じてん[17]

ばん番地ばんちとう 小学校しょうがっこう 中学校ちゅうがっこう
1〜1724番地ばんち、1734〜1757番地ばんち
1775〜1990番地ばんち、2000〜2005番地ばんち
2151番地ばんち〜2603番地ばんちの7
2604〜2605番地ばんち、2607〜2671番地ばんち
2673〜2744番地ばんち
2746番地ばんち以降いこう
横浜よこはま市立しりつ川和かわわ小学校しょうがっこう 横浜よこはま市立しりつ川和かわわ中学校ちゅうがっこう
2603番地ばんちの8・9、2606番地ばんち、2672番地ばんち 横浜よこはま市立しりつひがし市ケ尾いちがお小学校しょうがっこう 横浜よこはま市立しりつ市ケ尾いちがお中学校ちゅうがっこう

事業じぎょうしょ

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2021ねんれい3ねん現在げんざい経済けいざいセンサス調査ちょうさによる事業じぎょうしょすう従業じゅうぎょう員数いんずう以下いかとおりである[18]

まちひのと 事業じぎょうしょすう 従業じゅうぎょう員数いんずう
川和かわわまち 314事業じぎょうしょ 5,006にん

事業じぎょうしゃすう変遷へんせん

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経済けいざいセンサスによる事業じぎょうしょすう推移すいい

事業じぎょうしゃすう推移すいい
とし 事業じぎょうしゃすう
2016ねん平成へいせい28ねん[19]
313
2021ねんれい3ねん[18]
314

従業じゅうぎょう員数いんずう変遷へんせん

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経済けいざいセンサスによる従業じゅうぎょう員数いんずう推移すいい

従業じゅうぎょういんすう推移すいい
とし 従業じゅうぎょう員数いんずう
2016ねん平成へいせい28ねん[19]
5,351
2021ねんれい3ねん[18]
5,006

まち周辺しゅうへん

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川和かわわ富士ふじ
県立けんりつ川和かわわ高校こうこう
1962ねん設立せつりつきゅう横浜よこはま北部ほくぶ学区がっくのトップこう
都田みやこだ小学校しょうがっこう川和かわわ分校ぶんこう時代じだい川和かわわ小学校しょうがっこうきゅう校舎こうしゃ川和かわわまちえき高架こうか集会しゅうかいしょ機能きのううつされたことにより、2011ねんまつ解体かいたいされた。
江戸えど時代じだい末期まっききずかれた富士塚ふじづか川和かわわ富士ふじ移築いちく復元ふくげんした郷土きょうど富士ふじ[20]遠望えんぼうき、川和かわわのシンボルとなっている。
  • 川和かわわ市民しみんもり
横浜よこはま市民しみんもり制度せいどにより2014ねん4がつ開園かいえんした、都筑つづきはつ市民しみんもり敷地しきち面積めんせきやく3.5ヘクタール[21]
閉鎖へいさ解体かいたい三井不動産みついふどうさんロジスティクスパーク (MFLP) 横浜よこはま港北こうほく
  • エピロックジャパン
  • 浅川あさがわ製作所せいさくしょ川和かわわ工場こうじょう

おも小字こあざ

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川和かわわ市民しみんもりちかくにのこじゅうさんとう文化ぶんか5ねん造立ぞうりゅう)には、川和かわわ中村なかむらきざまれている。

しろ」にかんする小字こあざは、かつて川和かわわじょうがあった名残なごりである。

  • はに(どぶね)
  • 下河内しもかわち(しもごうち)
  • 樋口ひぐち(ひぐち)
  • 新田にったしり(しんでんじり)
  • 新田にった(しんでん)
  • 塚田つかだまち(つかだちょう)
  • 塚田つかだむかい(つかだむかい)
  • 桜田さくらだまち(さくらだちょう)
  • り(うだり)
  • かげふち(かげふち)
  • 精進しょうじんじょう(しょうじんば)
  • 山王さんのうまえ(さんのうまえ)
  • やなぎまち(やなぎちょう)
  • 城山しろやま(しろやました)
  • しろ古場こば(ぎこば)
  • くさ(どぶ)
  • 中村なかむら(なかむら)
かつて河輪かわわむら中心ちゅうしんにあったことから由来ゆらいする
  • 田利たりむこう(うだりむかい)
  • かいざか(かいさか)
  • くさ(どぶね)
  • 曲松まがりまつ(まがりまつ)
  • 稲荷いなりだに(いなりやと)
  • はら出口いでぐち(はらでぐち)
  • 妙蓮寺みょうれんじ(みょうれんじした)
  • 尾畑おばた(おばたけ)
  • 城山しろやまわき(しろやまわき)
  • 城山しろやま(しろやま)
  • よんまいばたけ(しまいばた)
  • 朏松(みかづきまつ)
  • 大原おおはら(おおはら)
  • とらだに(とらがやと)
  • かげだに(かげやと)
  • 山王さんのうげんじょう(さんのうはらうえ)
  • かげ谷下やした(かげやとした)
  • しょう谷戸たにと(こやと)
  • 山王さんのうげん(さんのうはら)
  • 中村なかむらタ(なかむらしたた)
  • 山王さんのうげん(さんのうはら)
  • みちめずらし(どうちん)
  • 瓦田かわらた(かわらだ)
  • 宿やど(しゅく)
かつてひらかれたことから由来ゆらいする
  • 岩瀬いわせ(いわせ)
  • いれ(いりや)
  • どうまえ(どうのまえ)
  • あか土原どはら(あかつちはら)
  • 餅田もちだ(もちだ)
  • 河輪かわわもり(かわわもり)
八幡やはた神社じんじゃ周辺しゅうへんおおくのしげっていたことから由来ゆらいする
  • 屋敷やしきむら(やしきむら)
  • みち玄田げんだ(どうげんだ)
  • 赤松あかまつ(あかまつ)
  • 向台むかえだい(むこうだい)
  • 権現ごんげんざか(ごんげんざか)
  • むじなだに(むじなやと)
  • 薬師堂やくしどうさん(やくしどうやま)
  • 東雲しののめ寺脇てらわき(とううんじわき)
  • ばら(かがはら)
  • 中丸なかまる(なかまる)
  • ねこだに(ねこやと)
  • 伊勢原いせはら(いせはら)
  • 伊勢いせ森原もりはら(いせもりはら)
  • 見花山みはなやま(けんかやま)
  • 大六天山だいろくてんざん(だいろくてんやま)
  • 登畑のぼりばた(のぼりはた)
  • うえ上村うえむら(かさうえむら)
まち中心ちゅうしんよりうえにあるからというせつと、花山はなやま天皇てんのう八幡はちまん神社じんじゃ参拝さんぱいしたとき、ここにったことから、「花山はなやま」が「上山うえやま」となり、「じょうサ」に変化へんかしたというせつなどがある
  • もり(もり)
  • 大塚原おおつかはら(おおつかはら)
  • うえばら(かさはら)
  • 押越おしこし(おっこし)
  • 川端かわばた(かわばた)
  • 川端かわばたむかい(かわばたむかい)
  • とうりんざか(とうりんざか)
  • うえ寺村てらむら(かさてらむら)
  • だいわり
  • 精進しょうじんじょう
  • 釣橋つりばし(つりはし)
  • あまだに(てんがやと)
  • 荏田えださかい(えださかい)
  • 池ノ上いけのかみ(いけのうえ)
  • わたり(わたり)
  • いけタ(いけしたた)
  • 市ケ尾いちがおむらさかい(いちがおむらざかい)
  • 東照寺とうしょうじわき
  • 蔭谷かげだに
  • みちちんむら

隣接りんせつ地域ちいき

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その

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日本にっぽん郵便ゆうびん

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警察けいさつ

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町内ちょうない警察けいさつ管轄かんかつ区域くいき以下いかとおりである[23]

ばん番地ばんちとう 警察けいさつしょ 交番こうばん駐在ちゅうざいしょ
全域ぜんいき 都筑つづき警察けいさつしょ 川和かわわ交番こうばん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 新編しんぺん武蔵むさし風土記ふどき稿こう』の「荏田えだむら」に「むらきたさかいいにしえ鎌倉かまくら海道かいどうのあとあり(中略ちゅうりゃく川和かわわむらのほうまでもそのあとのこり」とある[5][6]

出典しゅってん

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  1. ^ a b れい6(2024)ねん まちひのとべつ人口じんこう住民じゅうみん基本きほん台帳だいちょうによる)まちよろべつ人口じんこう_れい6ねん4がつ” (xlsx). 横浜よこはま (2024ねん5がつ9にち). 2024ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん。 “(ファイルもとのページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 横浜よこはま市町しちょう区域くいき要覧ようらん”. 横浜よこはま (2018ねん7がつ9にち). 2021ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 川和かわわまち郵便ゆうびん番号ばんごう”. 日本にっぽん郵便ゆうびん. 2021ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  4. ^ 市外しがい局番きょくばん一覧いちらん”. 総務そうむしょう. 2019ねん6がつ24にち閲覧えつらん
  5. ^ 新編しんぺん武蔵むさし風土記ふどき稿こうまきノ87都筑つづきぐんノ7.荏田えだむらNDLJP:763987/99 
  6. ^ 芳賀はが善次郎ぜんじろうきゅう鎌倉かまくら街道かいどう 探索たんさくたび中道ちゅうどうへん、さきたま出版会しゅっぱんかい、さいたま〈さきたま双書そうしょ〉、1981ねん1がつ31にち、58ぺーじISBN 4878910755 
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 横浜よこはま埋蔵まいぞう文化財ぶんかざいセンター「花見山はなみやま遺跡いせき川和かわわ富士塚ふじづか遺跡いせき」『ぜん遺跡いせき調査ちょうさ概要がいよう公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん横浜よこはまふるさと歴史れきし財団ざいだん港北こうほくニュータウン地域ちいきない埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい調査ちょうさ報告ほうこく10〉、1990ねん3がつ、170-176ぺーじNCID BN05701176 

関連かんれん項目こうもく

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