胆沢 県
(栗原 県 から転送 )
概要
[沿革
[明治 元年 12月23日 (1869年 2月 4日 ) -仙台 藩 ・一関 藩 から没収 された所領 のうち、胆沢 郡 および磐井 郡 のうち75か村 (仙台 藩 領 全 49か村 、一関 藩 領 のうち東山 ・流 26か村 )が沼田 藩 取締 地 、栗原 郡 が宇都宮 藩 取締 地 となる。明治 2年 2月 30日 (1869年 4月 11日 ) -沼田 藩 取締 地 が前橋 藩 取締 地 となり、伊沢 県 を称 する[1]。明治 2年 3月 -磐井 郡 東山 のうち千厩 など36か村 が、磐城 平 藩 から転 封 された安藤 信 勇 の所領 となる。明治 2年 3月28日 (1869年 5月9日 ) -宇都宮 藩 取締 地 が栗原 県 を称 する[1]。明治 2年 8月 3日 (1869年 9月8日 ) -安藤 信 勇 が旧領 への復帰 を許 され、東山 のうち36か村 は伊沢 県 の管轄 下 に戻 される。明治 2年 8月 18日 (1869年 9月23日 ) -伊沢 県 および栗原 県 の一部 の区域 をもって胆沢 県 を設置 。仮 県庁 を胆沢 郡 前沢 村 に置 く。明治 2年 9月26日 (1869年 10月30日 ) -胆沢 県庁 を水沢 城 (胆沢 郡 塩竈 村 )に置 く。明治 4年 11月2日 (1871年 12月13日 ) -第 1次 府県 統合 により一関 県 に編入 。同日 胆沢 県 廃止 。
管轄 地域
[歴代 知事
[明治 2年 8月 12日 (1869年 9月 17日 ) -明治 3年 5月19日 (1870年 6月17日 ) :権 知事 ・武田 敬 孝 (大洲 藩 出身 の儒学 者 )明治 3年 5月 19日 (1870年 6月 17日 ) -明治 3年 9月17日 (1870年 10月11日 ) :大 参事 ・安場 保 和 (前 酒田 県 大 参事 、熊本 藩 出身 )明治 3年 9月 17日 (1870年 10月 11日 ) -明治 4年 9月3日 (1871年 10月16日 ) :大 参事 ・嘉悦 氏 房 (前 庶務 大 祐 、熊本 藩 出身 )明治 4年 9月 3日 (1871年 10月 16日 ) -明治 4年 11月2日 (1871年 12月13日 ) :不在
脚注
[参考 文献
[- 『
千厩 町 史 』第 四 巻 (岩手 県 東磐井 郡 千厩 町 、2000年 )
外部 リンク
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関連 項目
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1869 |