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桟敷ヶ岳さじきがだけ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
桟敷ヶ岳さじきがだけ
標高ひょうこう 895.9 m
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
京都きょうと京都きょうときた右京うきょう
位置いち 北緯ほくい3509ふん31.6びょう 東経とうけい13543ふん02.0びょう / 北緯ほくい35.158778 東経とうけい135.717222 / 35.158778; 135.717222座標ざひょう: 北緯ほくい3509ふん31.6びょう 東経とうけい13543ふん02.0びょう / 北緯ほくい35.158778 東経とうけい135.717222 / 35.158778; 135.717222
山系さんけい 京都きょうと北山きたやま
はつ登頂とうちょう 1918ねん京都きょうと府立ふりつだいいち中学校ちゅうがっこう山岳さんがく
プロジェクト やま
テンプレートを表示ひょうじ

桟敷ヶ岳さじきがだけ(さじきがたけ[1][2]、さじきがだけ[3])は、京都きょうと京都きょうときた右京うきょう京北けいほくまち境界きょうかい位置いちするやま標高ひょうこう895.9mであり[1]京都きょうときた最高峰さいこうほうである。関西かんさい百名山ひゃくめいざんえらばれており、京都きょうと北山きたやま代表だいひょうてきやまのひとつである[4]桟敷ケ岳さじきがだけ桟敷さじきたけし[5]表記ひょうきされることもある。

地理ちり

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京都きょうとまち東部とうぶながれる鴨川かもがわ源流げんりゅう桟敷ヶ岳さじきがだけ山麓さんろくにあり[6]桟敷ヶ岳さじきがだけ鴨川かもがわ流域りゅういき最高峰さいこうほうである[7]きたふもとからは鴨川かもがわ源流げんりゅうのひとつである祖父谷おじだにがわはっし、南南東なんなんとうながれる[1]西麓にしふもとからは清滝川きよたきがわ源流げんりゅうはっ[1]南南西なんなんせいながれて保津峡ほづきょう付近ふきん桂川かつらがわ保津川ほづがわ)に合流ごうりゅうする。南東なんとうには鞍馬山くらまやま(584m)や貴船山きぶねやま(700m)などが、みなみには半国高山はんこくだかやまなどが、西にしには飯森山いいもりさん(791m)や天童てんどうさん(775m)などがある[8]

きたふもとにある石仏いしぼとけとうげ雲ケ畑くもがはたから丹後たんご地方ちほうかう古道ふるみちつうじていた[1]雲ケ畑くもがはたから祖父谷おじだにとうげえるみちきょう山国やまぐにむす最短さいたん距離きょりみちであり、むかしからかわぎょ木炭もくたんなどが宮中きゅうちゅうまではこばれた[9]。さらにふるくはとうげとおるのではなく、雲ケ畑くもがはた岩屋谷いわやだにから桟敷ヶ岳さじきがだけ山頂さんちょうとおって井戸いど祖父谷おじだにくだる「棧敷さじき」とばれる尾根おねどう使つかわれた[10]

歴史れきし

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岩屋いわやきょうにあるおもんみたかし神社じんじゃ

おもんみたかし親王しんのう伝説でんせつ

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おもんみたかし親王しんのう山上さんじょう高楼こうろう桟敷さじき)をかまえて眺望ちょうぼうしたという伝説でんせつ山名やまな由来ゆらいであるとされ[ちゅう 1][4][7][11][12]山麓さんろく雲ケ畑くもがはた岩屋いわやきょうにはおもんみたかし神社じんじゃがある。『山城やましろ名跡みょうせき巡行じゅんこうこころざし』では、山上さんじょうにあるいけゆびがつ広沢ひろさわいけなどとともにつき名所めいしょとされたが、現在げんざいいけあとさだかではない[2]。この地域ちいきにはおもんみたかし親王しんのうかんする伝承でんしょうおおのこっており[3]平家ひらか物語ものがたり歌舞伎かぶきなどによればおもんみたかし親王しんのうおもんみじん親王しんのう清和せいわ天皇てんのう)と皇位こういあらそって桟敷ヶ岳さじきがだけ相撲すもうおこなったとされている[2][13]おもんみたかし親王しんのう逸話いつわ山名やまな由来ゆらいであるとするのが定説ていせつだが、京都きょうと地名ちめい語源ごげんについてくわしいさわきよしは、「棧敷さじき」とは「サシキ」であり焼畑やきばたあらわすのではないかとしている[14]頂上ちょうじょう付近ふきんには笹藪ささやぶしげっているが、「ささ」とばれるこの付近ふきんささおもんみたかし親王しんのうつえさかさにてたものが根付ねついたとする伝承でんしょうがある[15]

はつ登頂とうちょう

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若狭わかさきょうをつなぐとうげどうふるくから利用りようされ、また明治めいじ時代じだいにはやまいき陸軍りくぐん陸地りくち測量そくりょう地理ちり測量そくりょうおこなわれていたが、はじめて純粋じゅんすいな「登山とざん」がおこなわれたのは1918ねん大正たいしょう7ねん)とされている[16]京都きょうと府立ふりつだいいち中学校ちゅうがっこうげん京都きょうと府立ふりつらくきた高校こうこう中学校ちゅうがっこう)の山岳さんがく京都きょうと北山きたやま登山とざん草分くさわてき存在そんざいであり、この山岳さんがくには今西いまにし錦司きんじ文化ぶんか人類じんるい学者がくしゃ登山とざん)などがいた[16]

交通こうつうとう

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交通こうつう

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京都きょうとバス京都きょうと市街地しがいち京阪けいはん鴨東線おうとうせん出町柳でまちやなぎえき)から雲ケ畑くもがはた地域ちいき岩屋いわやきょうまで路線ろせんバスを運行うんこうしていたが、採算さいさん理由りゆう2012ねん平成へいせい24ねん)3がつ31にち廃止はいしとなった[17]翌日よくじつの4がつ1にちからは京都きょうと市街地しがいち京都きょうと市営しえい地下鉄ちかてつ烏丸線からすません北大路きたおおじえき)と雲ケ畑くもがはた地域ちいきむす路線ろせんとして、雲ケ畑くもがはた自治じち振興しんこうかいが「雲ケ畑くもがはたバス もくもくごう」を運行うんこうしている[18]。これらのバスはおも京都きょうとどう61ごう京都きょうと京北けいほくせんとおっている。国道こくどう162ごう周山しゅうざん街道かいどう)、国道こくどう477ごう国道こくどう367ごうなどが、桟敷ヶ岳さじきがだけ鞍馬あんば雲ケ畑くもがはた大原おおはらなどをかこむようにはしっている。

とう

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送電そうでんせん鉄塔てっとう桟敷ヶ岳さじきがだけ頂上ちょうじょう

もっとも一般いっぱんてきとうは、岩屋いわやきょうから薬師峠やくしとうげ山頂さんちょういたるルートである[7]岩屋いわやきょうにあるおもんみたかし神社じんじゃから雲ケ畑くもがはた岩屋いわやがわ沿って30ふんほど林道りんどうあるき、岩屋いわや不動ふどう志明しめいいん)からたにはなれて登山とざんどうはじまる[19]雲ケ畑くもがはた大森おおもりむす薬師くすしとうげにはおおきなモミろくたい地蔵じぞう六地蔵ろくじぞうみこと)があり、かつてのとうげ茶屋ちゃやおもわれるすたれた休憩きゅうけい小屋こやがある[20][21]南西なんせいすこあるくと岩屋山いわやさん(649m)山頂さんちょう[19]岩屋山いわやさんさきにはいちつぼほどのおどうと680mの無名むめいピークがある[21]岩屋山いわやさん霊山れいざんとしてられており、なんほんものすぎ巨木きょぼく巨石きょせきせき洞窟どうくつ飛瀑ひばくなどがある[22]薬師くすしとうげから北東ほくとう尾根おねどうのぼると、すぐ左手ひだりて江戸えど時代じだいふるびた墓地ぼち[ちゅう 2]がある[23][11]電波でんぱ反射はんしゃばんがある岩茸いわたけやまのピークのわきとおり、関西電力かんさいでんりょく送電そうでんせん鉄塔てっとうく。このあたりの展望てんぼう良好りょうこうで、じょうまこと国境こっきょう尾根おねをはじめ、ひがし比良びら山系さんけい、その手前てまえには花脊峠はなせとうげかさなる山々やまやまのぞむことができる[11]。ここからすこくだって鞍部あんぶえると桟敷ヶ岳さじきがだけ頂上ちょうじょうたっする[7][24]

頂上ちょうじょうにはとう三角さんかくてんがあり[ちゅう 3]しょう広場ひろばもうけられている[11][25]樹林じゅりんのために頂上ちょうじょうからの展望てんぼうとぼしく[26]頂上ちょうじょうからは北東ほくとう比良びら山系さんけい方面ほうめんしか視界しかいかない[9]山頂さんちょうのやや南方なんぽうには「ながめのいわ」とばれるいわ送電そうでんせん鉄塔てっとうがあり、この付近ふきんから京都きょうと市街地しがいち比叡山ひえいざん比良びら山系さんけいなどを遠望えんぼうできる[19]。この送電そうでんせん日本海にほんかい沿岸えんがん敦賀つるが原子力げんしりょく発電はつでんしょから朽木くちきはななどをとおって京阪神けいはんしん地域ちいきたっしており、かつてはへの献上けんじょうぶつはこばれた桟敷ヶ岳さじきがだけ山麓さんろくを、現在げんざいは50まんボルトの送電そうでんせん電気でんきはこばれている[27]

とうには大森おおもりたに祖父谷おじだに林道りんどう[ちゅう 4]るルートもあり[11]石仏いしぼとけとうげほんすぎ[ちゅう 5]有名ゆうめい祖父谷おじだにとうげなどにはふるくからの伝承でんしょうのこされている[7][9]

ギャラリー

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ この由来ゆらいから、近世きんせい桟敷ヶ岳さじきがだけを「さんじきがだけ」とんだという。
  2. ^ たかられき12ねん1762ねん)3がつれる。
  3. ^ 山城やましろこく丹波たんばこくじょうまこと(じょうたん)国境こっきょうをまたぐが、三角さんかくてん国境こっきょうみなみ設定せっていされている。
  4. ^ 岩屋いわやきょうから祖父そふ谷川たにがわ沿いにびる林道りんどうとおるルート。林道りんどうから分岐ぶんきして山頂さんちょうまでの細道ほそみち杉林すぎばやし横切よこぎ急斜面きゅうしゃめんである。
  5. ^ 落雷らくらい一本いっぽん倒壊とうかいし、現在げんざいよんほんのみがっている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 26 京都きょうと 上巻じょうかん角川書店かどかわしょてん、1982ねん、667ぺーじ
  2. ^ a b c 高木たかぎ泰夫やすお大森おおもり久雄ひさお柏木かしわぎ宏信ひろのぶしん日本にっぽん山岳さんがく』ナカニシヤ出版しゅっぱん、2005ねん、1280-1281ぺーじ
  3. ^ a b 徳久とくひさだまゆう武内たけうちただし石井いしい光造こうぞうへん日本にっぽん山名やまな事典じてん三省堂さんせいどう、2004ねん、444ぺーじ
  4. ^ a b 桟敷ヶ岳さじきがだけ - さじきがだけ ヤマケイオンライン
  5. ^ 桟敷さじきたけし 京都きょうと観光かんこうNavi
  6. ^ 鴨川かもがわ河川かせん整備せいび計画けいかく 京都きょうと
  7. ^ a b c d e 桟敷さじきだけ」『関西かんさい百名山ひゃくめいざんやま渓谷社けいこくしゃ、1998ねん、43ぺーじ
  8. ^ 京都きょうと位置いち 京都きょうと
  9. ^ a b c きむひさあきらぎょう北山きたやまとうげ <なか> 京都きょうとから若狭わかさへ』ナカニシヤ出版しゅっぱん、1979ねん、129-135ぺーじ
  10. ^ 斎藤さいとう清明きよあききょう北山きたやまものがたり』松籟しょうらいしゃ、1992ねん、100-101ぺーじ
  11. ^ a b c d e ぶんけん登山とざんガイド25 京都きょうとやまやま渓谷社けいこくしゃ、1995ねん、66-67ぺーじ
  12. ^ 朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん「(みねからのたより)親王しんのう遊行ゆぎょう足跡あしあとたどる 田中たなか真澄ますみさん」京都きょうと・2地方ちほうめん、2009ねん11月25にち、25ぺーじ
  13. ^ 斎藤さいとう清明きよあききょう北山きたやまものがたり』松籟しょうらいしゃ、1992ねん、90ぺーじ
  14. ^ さわきよし京都きょうと北山きたやまあるく 2 地名ちめい語源ごげん歴史れきし伝承でんしょう民俗みんぞくたずねて』ナカニシヤ出版しゅっぱん、1990ねん、83-84ぺーじ
  15. ^ きむひさあきらぎょう北山きたやまとうげ <なか> 京都きょうとから若狭わかさへ』ナカニシヤ出版しゅっぱん、1979ねん、8-15ぺーじ
  16. ^ a b 斎藤さいとう清明きよあききょう北山きたやまものがたり』松籟しょうらいしゃ、1992ねん、118-121ぺーじ
  17. ^ 京都きょうと新聞しんぶん』「京都きょうとバス、雲ケ畑くもがはた路線ろせん廃止はいし採算さいさんわず。」2011ねん5がつ27にち
  18. ^ 雲ケ畑くもがはたバス~もくもくごう~の運行うんこう開始かいし 京都きょうと情報じょうほうかん
  19. ^ a b c 桟敷ヶ岳さじきがだけ」『関西かんさいやまあるき100せん昭文社しょうぶんしゃ、2008ねん、42-43ぺーじ
  20. ^ 岡部おかべ伊都子いつこきょうやま講談社こうだんしゃ、1978ねん、114ぺーじ
  21. ^ a b 歌川うたがわせいち『京都きょうと北山きたやま ゆきまろげやぶまろげ』牧歌ぼっかしゃ、2007ねん、45-49ぺーじ
  22. ^ 京都新聞社きょうとしんぶんしゃ史跡しせき探訪たんぼう きょう北山きたやま京都きょうと新聞しんぶん出版しゅっぱんセンター、1989ねん、175ぺーじ
  23. ^ 京都きょうと趣味しゅみ登山とざんかい京都きょうと滋賀しが 近郊きんこうやまあるく』京都きょうと新聞しんぶん出版しゅっぱんセンター、1998ねん、48-49ぺーじ
  24. ^ 京都きょうと趣味しゅみ登山とざんかい京都きょうと滋賀しが ふるさとのやま103』京都きょうと新聞しんぶん出版しゅっぱんセンター、2003ねん、64-65ぺーじ
  25. ^ しばむら文治ぶんじ京滋けいじ百山ひゃくやま 三角さんかくてんもと』かもがわ出版しゅっぱん、1993ねん、55-58ぺーじ
  26. ^ 桟敷さじきだけ」『日本にっぽんやま1000』やま渓谷社けいこくしゃ、1992ねん、583ぺーじ
  27. ^ 斎藤さいとう清明きよあききょう北山きたやまものがたり』松籟しょうらいしゃ、1992ねん、104-105ぺーじ

外部がいぶリンク

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