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もりぶくまこと

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
もりぶく まこと
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 愛知あいちけん豊橋とよはし
生年月日せいねんがっぴ (1986-07-29) 1986ねん7がつ29にち(38さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
172[1] cm
70 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき ひだりとうひだり
ポジション 投手とうしゅ
プロ 2006ねん 大学生だいがくせい社会しゃかいじんドラフト4じゅん
はつ出場しゅつじょう 2007ねん3がつ31にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2019ねん6がつ21にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
国際こくさい大会たいかい
代表だいひょうチーム 日本の旗 日本にっぽん
WBC 2013ねん

もりぶく まこと(もりふく まさひこ、1986ねん7がつ29にち - )は、愛知あいちけん豊橋とよはし出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅひだりとうひだり)、野球やきゅう解説かいせつしゃ

経歴けいれき

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プロまえ

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豊橋とよはし市立しりつさかえ小学校しょうがっこう1年生ねんせい花田はなたフレンズで軟式なんしき野球やきゅうはじめた。小学校しょうがっこう6年生ねんせい豊橋とよはし選抜せんばつ投手とうしゅとして全国ぜんこく制覇せいは中学校ちゅうがっこうでは豊橋とよはしスカイラークスで硬式こうしき野球やきゅうはじめた[2]

豊川とよかわ高等こうとう学校がっこう進学しんがく高校こうこう2ねん、3ねんともになつ愛知あいち大会たいかいで2ねん連続れんぞくじゅん優勝ゆうしょう高校こうこう2ねんには56イニング自責じせきてんゼロの記録きろく樹立じゅりつ[3]。これは工藤くどうこうやすし愛知あいち大会たいかい記録きろく更新こうしんするもので[3]当時とうじ三河みかわのドクターK」として話題わだいになった。準決勝じゅんけっしょうでは山内やまうちたけし長谷部はせべ康平やすひらようする杜若かきつばた高校こうこうにも完封かんぷう勝利しょうりした。しかし決勝けっしょうでは堂上どうじょうつよしひろし丸山まるやま貴史たかしようする愛工大名電あいこうだいめいでん高校こうこうに0-3でやぶれた。

2005ねんシダックス入社にゅうしゃし、3月におこなわれた東京とうきょうスポニチ大会たいかい好投こうとうして新人しんじんしょう受賞じゅしょう武田たけだまさるならんでシダックスの主力しゅりょく投手とうしゅ1人ひとりとなり、だい76かい都市とし対抗たいこう野球やきゅう大会たいかいだい32かい社会しゃかいじん野球やきゅう日本にっぽん選手権せんしゅけん大会たいかい出場しゅつじょう原動力げんどうりょくとなる。

2006ねんは、都市とし対抗たいこう野球やきゅう東京とうきょう2予選よせんでは明治めいじ安田やすだ生命せいめい相手あいてまれて予選よせん敗退はいたいきっし、JR東日本ひがしにっぽん補強ほきょう選手せんしゅとしてだい77かい都市とし対抗たいこう野球やきゅう大会たいかい出場しゅつじょう堀井ほりい哲也てつや監督かんとく指導しどうしたクローザーつとめ、JR東日本ひがしにっぽんのベスト4進出しんしゅつ貢献こうけんした。そのシダックスの廃部はいぶまり、日本にっぽん選手権せんしゅけん関東かんとう2予選よせんでは東芝とうしば相手あいて先発せんぱつしたものの集中しゅうちゅうびて敗戦はいせん。シダックスはこの試合しあい敗戦はいせんをもって活動かつどう停止ていししたため、シダックス最後さいご試合しあい先発せんぱつした投手とうしゅとなった。シダックスの廃部はいぶともな特例とくれい高卒こうそつ2ねんながらドラフト対象たいしょう選手せんしゅとなり、ドラフト指名しめいされなければJR東日本ひがしにっぽんへの移籍いせきまっていたが、2006ねん大学生だいがくせい社会しゃかいじんドラフト福岡ふくおかソフトバンクホークスに4じゅん指名しめいけて入団にゅうだん

ソフトバンク時代じだい

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2007ねん3月31にち一軍いちぐん昇格しょうかくし、同日どうじつたい千葉ちばロッテマリーンズたたかえ千葉ちばマリンスタジアム)の9かい6てんリードの場面ばめんからプロはつ登板とうばん失点しってんでのデビューだった。4がつ10日とおかたいロッテせん本拠地ほんきょち福岡ふくおか Yahoo! JAPANドームデビューの試合しあいも9かい12てんリードから1かい失点しってん、5月3にちぐんでのさい調整ちょうせいをいいわたされた。7月11にちさい昇格しょうかくしたが、出番でばんく7がつ28にち降格こうかくとなった。一軍いちぐんでは7試合しあい登板とうばんで、防御ぼうぎょりつ1.50でシーズンをえた。

2008ねん開幕かいまく一軍いちぐんむかえ、6試合しあい登板とうばんしたものの、5月2にちさい調整ちょうせいぐん降格こうかくとなった。ウエスタン・リーグでは5がつ14にちたい中日ちゅうにちドラゴンズせんさかいやく2ヶ月かげつあいだ公式こうしきせん欠場けつじょうつづき、7がつ15にちたい中日ちゅうにちせん実戦じっせん復帰ふっき一軍いちぐんには昇格しょうかくすることなくシーズンをえ、ぐんでもわずか12試合しあい登板とうばん防御ぼうぎょりつ5.40だった。秋季しゅうきキャンプから本格ほんかくてきサイドスロー転身てんしんするため投球とうきゅうフォーム改造かいぞうんだ。

2009ねん、4がつ21にち一軍いちぐん昇格しょうかくし、同日どうじつ東京とうきょうドームおこなわれたたい日本にほんハムせんで6かい2てんリードから登板とうばんし、3しゃ連続れんぞく三振さんしんでプロはつホールドを記録きろくした。2試合しあい連続れんぞく走者そうしゃありからの継投けいとう登板とうばんしたものの四球しきゅうがらみの途中とちゅう降板こうばんつづけて5がつ1にちぐん降格こうかく。7月18にち一軍いちぐんもどり、7がつ30にちたいオリックス・バファローズせん福岡ふくおか Yahoo! JAPANドームはつのホールドを記録きろく。8月3にちたいロッテせんでは3かい3てんビハインド一死いっしから7かい一死いっしまで自己じこ最長さいちょうの4イニングをげ、失点しってんおさえた。しかし、その3試合しあい連続れんぞく失点しってんふたたぐんちた。9月25にちさい昇格しょうかくたすとおも大差たいさでのワンポイントリリーフとして4試合しあいげてレギュラーシーズンをえた。

2010ねん開幕かいまく一軍いちぐんむかえたが、3月28にちから3試合しあい連続れんぞく失点しってんぐん降格こうかく、5月26にち昇格しょうかくするも登板とうばん降格こうかく、6月18にちに2度目どめ昇格しょうかくたすと大差たいさビハインドながら6試合しあい失点しってん好投こうとうし、以降いこう試合しあい中継なかつぎに定着ていちゃく。この試合しあいさかい重要じゅうよう場面ばめんでの登板とうばん増加ぞうかする。翌日よくじつ8がつ27にちたいロッテせんでは先発せんぱつ山田やまだ大樹だいきのちけ、5かい一死いっし満塁まんるい場面ばめん登板とうばん、3ばん井口いぐちじん空振からぶ三振さんしん、4ばんきむやすしひとし初球しょきゅうセカンドゴロにり、6かい失点しってんおさえ、プロはつ勝利しょうりげた[4]。8月15にちから30にちまでに登板とうばんした6試合しあい、11かい2/3をげたさいWHIPは0.343という数字すうじのこしている[5]。9月7にちから3試合しあい連続れんぞくのホールドを記録きろく、9月19にちから2連勝れんしょうなど、 きのえふじ啓介けいすけとも攝津せっつせいブライアン・ファルケンボーグうまはら孝浩たかひろからなるSBM存在そんざいとなり、リーグ優勝ゆうしょう貢献こうけんした。3しょうすべ先発せんぱつ早期そうき降板こうばんに1かい1/3以上いじょうげて失点しってんおさえてたものである。
クライマックスシリーズファイナルステージでは10月16にちだい3せんで6かい1てんリード21/2るいから1イニング失点しってんポストシーズンはつホールドを記録きろく。10月18にちだい5せんは8かい4てんビハインドから登板とうばんし、9かい二死にし二塁にるいから清田きよたいくひろしにツーランホームランをたれて、チームは敗戦はいせん。4試合しあいで4かい防御ぼうぎょりつ4.50だった。

2011ねん開幕かいまくせんからちパターンで登板とうばん、4がつ17にちアレックス・カブレラたまエラーにより走者そうしゃを1にんかえしたが、6月1にちまで17試合しあい連続れんぞく失点しってん。そのあいだの5がつ1にちたいロッテせんQVCマリンフィールド)で9かい5てんリード2満塁まんるいからこころざしみねしょうだいをショートゴロにりプロはつセーブを記録きろくした。同時どうじパシフィック・リーグ26にんとなる1きゅうセーブも達成たっせいした[6]。7月19にちから9がつ13にち前任ぜんにん走者そうしゃを1にんかえしたものの20試合しあい連続れんぞく失点しってん記録きろくした。先発せんぱつ転向てんこうした攝津せっつ不調ふちょう馬原まばる故障こしょうかぶとふじ藤岡ふじおか好明よしあきなどリリーフじん続々ぞくぞく離脱りだつするなかかれらのあなめるべくセットアッパー定着ていちゃくし、チーム最多さいたの60試合しあい登板とうばん、4しょうげて、チームのパシフィック・リーグ連覇れんぱ貢献こうけんした。
クライマックスシリーズファイナルステージでは11月4にちだい2せんで8かい1てんリードで登板とうばんし1かい失点しってんおさえてホールドを記録きろく、11月5にちだい3せんでは10かい1てんビハインド二死にし満塁まんるいからほし孝典たかのりをサードフライにり、援護えんごにより同点どうてんとなった11かいは3しゃ凡退ぼんたいおさえて後続こうぞくつなぎ、CS突破とっぱ決定けっていける長谷川はせがわいさむのサヨナラんだ。
中日ちゅうにちとの日本にっぽんシリーズでは11月15にちだい3せんで2てんリード二死にしから1にんおさえてホールド、11月16にちだい4せんでは6かい1てんリード無死むし満塁まんるいから登板とうばん小池こいけ正晃まさあき空振からぶ三振さんしん平田ひらた良介りょうすけをレフトフライ、たにしげる元信もとのぶをショートゴロにおさえ、7かいまでの6しゃ連続れんぞく凡退ぼんたいとし、連日れんじつのホールドで勝利しょうりみちびいた。これはのちもりぶくの11きゅうわれた[7][8]。11月20にちだい7せんは9かい3てんリード無死むし一塁いちるいから森野もりの将彦まさひこトニ・ブランコの2しゃり、攝津せっつつないでチームの日本一にっぽんいち貢献こうけんした。5試合しあい登板とうばん打者だしゃ16にん失点しってんおさえた。アジアシリーズでは11月25にちたい統一とういつセブンイレブン・ライオンズせんで9かい4てんリード二死にしいち二塁にるいから登板とうばんし、ちん鏞基にタイムリーをび、細川ほそかわとおる守備しゅびがわ関心かんしんにより三塁さんるいとすると、はん武雄たけお三塁打さんるいだにより1てんられて降板こうばんとなった。11月26にちたいサムスン・ライオンズせんでは8かい9てんリードから登板とうばんし、クリーンナップほおすずちぇ炯宇やすしたてまつ珪を3しゃ凡退ぼんたいおさえた。
また、このとしオールスターゲーム中継なかつ投手とうしゅ部門ぶもんでファン投票とうひょう1選出せんしゅつされ[9]、7がつ22にちナゴヤドームおこなわれただい1せんで7かい4てんビハインドから4番手ばんてでプロはつ出場しゅつじょうウラディミール・バレンティン坂本さかもと勇人はやとから三振さんしんうばうなど1かい失点しってんおさえた[10]。7月24にちクリネックススタジアム宮城みやぎおこなわれただい3せんでは7かい5てんリードから3しゃ凡退ぼんたいおさえた[11]

2012ねん開幕かいまくから8かい担当たんとうし、16試合しあい連続れんぞく失点しってんのスタートをった。クローザーをつとめていたファルケンボーグには故障こしょうれきがあり、3連投れんとうけるため連投れんとう翌日よくじつのセーブ機会きかいにはもりぶく代理だいり登板とうばんしていたが、5月18にちにファルケンボーグが右肩みぎかたりをうったえて登録とうろく抹消まっしょうされたことでクローザーをまかされることになった。6月10にちからは5試合しあい連続れんぞくのセーブを記録きろくした。8月8にちたい日本にほんハムせん杉谷すぎたにけん二塁打にるいだたれ、サヨナラけをきっした。9月7にちからリーグせん終了しゅうりょうまでの14試合しあいてんあたえる試合しあいもありながらも自責じせき0でえた。前年ぜんねん上回うわまわるキャリアハイの65試合しあい(チーム最多さいた)に登板とうばんし、2しょう5はい17セーブ24ホールド、防御ぼうぎょりつ1.39を記録きろくした。また、前年ぜんねんつづオールスターゲーム出場しゅつじょう、7がつ20日はつかきょうセラドーム大阪おおさかおこなわれただい1せんに5番手ばんて登板とうばんし1かい失点しってんおさえた[12]
クライマックスシリーズファーストステージはだい1せんで9かい2てんリード無死むし満塁まんるいから登板とうばんクリス・カーターのショートゴロのあいだ1人ひとり生還せいかんさせたものの後続こうぞくおさえて、自身じしんはつのポストシーズンでのセーブをげた。だい3せんでは8かい2てんリードから1かい失点しってんおさえてホールドをげ、ファーストステージ突破とっぱ貢献こうけん。ファイナルステージではだい1せんに7かい同点どうてん11るいからおか智宏ともひろ決勝けっしょうとなるしタイムリーをたれ、だい2せんでも7かい1てんビハインド一死いっし二塁にるいから糸井いとい嘉男よしおに2ランをたれ、チームもCS敗退はいたいとなった。
オフのオフの11月6にちに、「さむらいジャパンマッチ2012「日本にっぽん代表だいひょう VS キューバ代表だいひょう」の日本にっぽん代表だいひょう発表はっぴょうされ[13]代表だいひょうりした[14]だい2せん出場しゅつじょう、6かい同点どうてんから登板とうばんし、1かい失点しってんだった[15]。12月27にち契約けいやく更改こうかい交渉こうしょうでは5000まんえんアップとなる年俸ねんぽう1おく2000まんえんでサインした[16]
また、12月4にちに、だい3かいWBC日本にっぽん代表だいひょう候補こうほ選手せんしゅ34にん発表はっぴょうされ候補こうほりした[17]

2013ねん2がつ20日はつかに、だい3かいWBC日本にっぽん代表だいひょう選手せんしゅ28にん発表はっぴょうされ代表だいひょうりした[18][19]。この大会たいかいでは、WBCだい1ラウンドでは3がつ6にちたいキューバせんで7かい3てんビハインドから登板とうばんして死球しきゅうを1つあたえたものの1かい失点しってんおさえた。WBCだい2ラウンドでは3がつ12にちたいオランダせんでは7かい7てんリードから登板とうばんし、無死むし2・3るいとするとザンダー・ボガーツのタイムリー内野ないや安打あんだで1失点しってんランドルフ・オドゥバーにも犠牲ぎせいフライをたれ1かい2失点しってんだった[20][21]。3月15にち左肩ひだりかたつう発症はっしょうし、同日どうじつ強化きょうか試合しあい回避かいひした[22]
レギュラーシーズン開幕かいまくには左肩ひだりかたかんなおし、3月30にちたい楽天らくてんせんで9かい2てんビハインドから登板とうばんし3しゃ凡退ぼんたいおさえた[23]だいとなり憲司けんじきゅうこしりにより[24]、5月6にち千葉ちばロッテせん自身じしん通算つうさん200試合しあい節目ふしめで7ねんにしてプロはつ先発せんぱつ経験けいけんしたが、56きゅうげ2かい1失点しってん降板こうばん敗戦はいせん投手とうしゅとなった[25][26]。6月10にちぐん降格こうかく。7月3にち一軍いちぐんもどると7がつ10日とおかから8がつ22にちまであいだ、16試合しあい連続れんぞく失点しってん、8がつ31にちからの10試合しあい失点しってん後半こうはんせんなおした。ホールドは15(チーム2)とったものの、このとし前任ぜんにんしゃのこした走者そうしゃを36にん背負せおい(得点とくてんけんからの登板とうばんは16試合しあい)ながら、生還せいかんさせたのはわずか3にん要所ようしょ相手あいていきおいをめるやくとしてチームに貢献こうけんした。

2014ねん開幕かいまくからいち抹消まっしょうされること一軍いちぐんごし、5ねん連続れんぞくとなるWHIP1未満みまん達成たっせい。9月11にちから9がつ28にちまでチームが1しょう9はいくるしんだ期間きかんは5試合しあい登板とうばんすべてビハインドからの登板とうばんだったが走者そうしゃ1人ひとり生還せいかんさせなかった。
クライマックスシリーズファイナルステージは10月15にちだい1せんに9かい1てんビハインド一死いっしから登板とうばんし、5ばん大谷おおやしょうたいらから空振からぶ三振さんしんうばった。10月18にちだい3せんでは6かい2てんリード二死にしいち二塁にるいから西川にしかわはるかてる四球しきゅうあたえたが、中島なかじま卓也たくや空振からぶ三振さんしんってホールドをげた。4試合しあいげ2ホールド、防御ぼうぎょりつ6.75だった。阪神はんしんとの日本にっぽんシリーズだい1せんにして福留ふくとめ孝介こうすけにタイムリー2ベースたれ、その1試合しあい登板とうばんわった。12月26にち契約けいやく更改こうかい交渉こうしょうでは4ねん連続れんぞくの50試合しあい以上いじょう登板とうばん評価ひょうかされ、年俸ねんぽう1おく6000まんえんでサインした[27]

2015ねん一軍いちぐん公式こうしきせんで14ホールドをげたが、0しょう2はい防御ぼうぎょりつ5.82、たいみぎ打者だしゃ打率だりつが.455を記録きろくするなど不振ふしん登板とうばんすうも32試合しあいにとどまったため、5ねん連続れんぞくの50試合しあい登板とうばんのがした。8月17にち出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろく抹消まっしょうされてからは、一軍いちぐんからとおざかる一方いっぽうで、ウエスタン・リーグの公式こうしきせん三軍さんぐんせん[28]への調整ちょうせい登板とうばん経験けいけんした。9月20にちには、ウエスタン・リーグのたい阪神はんしんせん守山市民球場もりやましみんきゅうじょう)で最後さいご登板とうばん。チームがこの試合しあい勝利しょうりによってどうリーグ史上しじょうはつの4連覇れんぱめたことから、胴上どうあ投手とうしゅになった[29]一軍いちぐん日本にっぽんシリーズを連覇れんぱしたものの、もりぶく自身じしんにはポストシーズンでの登板とうばん機会きかいがなかった[30]

2016ねん一軍いちぐん公式こうしきせんでは2ねんりに50試合しあい登板とうばん。もっぱらたいひだり打者だしゃようのワンポイントリリーフとして起用きようされたため、通算つうさん投球とうきゅうイニングは27かいにとどまったものの、7がつと8がつに4連投れんとう、9月に5連投れんとう経験けいけん通算つうさんで2しょう1はい16ホールド、防御ぼうぎょりつ2.00という成績せいせきのこすなど、前年ぜんねん不振ふしんだっした[31]
レギュラーシーズンちゅうの8がつ上旬じょうじゅんに、国内こくないFAけんはじめて取得しゅとく[31]。ポストシーズン終了しゅうりょう11月4にちには「ソフトバンクでなければいま自分じぶんはいない」としながらも「(たいひだり打者だしゃようのワンポイントリリーフという)自分じぶんかれている立場たちば満足まんぞくしていないので、一番いちばんかがやける場所ばしょ野球やきゅうがしたい」という理由りゆう権利けんり行使こうし表明ひょうめいした[32]

2016ねん11月10にちづけNPBからフリーエージェント宣言せんげん選手せんしゅとして公示こうじされる[33]と、よく11にちには、巨人きょじん複数ふくすうねん契約けいやく条件じょうけんもりぶくへの入団にゅうだん交渉こうしょう開始かいし[34]。FA宣言せんげん選手せんしゅ残留ざんりゅうみとめているソフトバンクも、複数ふくすうねん契約けいやく提示ていじしながら、もりぶくへの残留ざんりゅう交渉こうしょうつづけていた[31]。しかし、もりぶくは12月1にちにソフトバンク球団きゅうだん幹部かんぶたいして巨人きょじん移籍いせきする意向いこう表明ひょうめい。これによりきょじんへの入団にゅうだん決定けっていした[35]。なお、もりぶく推定すいてい年俸ねんぽう1おく2,000まんえんはNPBのFAけん規定きていで、Cランク(2016ねんにソフトバンクへ在籍ざいせきした日本人にっぽんじん選手せんしゅ上位じょうい11以下いか)に該当がいとうすることから、ソフトバンクにたいする補償ほしょう必要ひつようない[31]

巨人きょじん時代じだい

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2016ねん12月5にちに、巨人きょじんもりぶく入団にゅうだん正式せいしき発表はっぴょうもりぶく自身じしんも、DeNAからFAけん行使こうし移籍いせきした山口やまぐちしゅんとも入団にゅうだん記者きしゃ会見かいけんのぞんだ。背番号せばんごう13

巨人きょじん時代じだい

2017ねん公式こうしきせん一軍いちぐんでスタート。セットアッパーとして期待きたいされたが、開幕かいまくから7試合しあい登板とうばんして0しょう2はい防御ぼうぎょりつ5.40と散々さんざん結果けっかとなった。たいみぎ打者だしゃ打率だりつが.389だったのにたいして、本来ほんらい得意とくいであるはずのひだり打者だしゃたいする打率だりつがそれを上回うわまわる.400という不調ふちょうで、4がつ24にち出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろく抹消まっしょうされた。5月16にちふたた登録とうろくされると、5月24にちたい阪神はんしんせん甲子園こうしえん)6かいうら2から登板とうばん。1かい1/3を失点しってんおさえる好投こうとうで、セントラル・リーグ公式こうしきせんはつ勝利しょうりげた[36]。しかし6がつ1にち楽天らくてんせんで1かい2/3をげて敗戦はいせん投手とうしゅになると、ひだり打者だしゃたいするワンポイント起用きようもどされ、7がつ中旬ちゅうじゅんからは登板とうばん機会きかい減少げんしょう。8月11にちおな中継なかつ左腕さわん山口やまぐち鉄也てつやわるかたちふたたび1ぐん登録とうろく抹消まっしょうされ、以降いこう昇格しょうかくすることはなかった。2ぐんでは安定あんていした投球とうきゅうつづけていたが、ファーム日本にっぽん選手権せんしゅけんではひだり打者だしゃ坂倉さかくらすすむわれ決勝けっしょうてんとなるし3ランホームランをたれた。移籍いせき初年度しょねんどは30試合しあい登板とうばんで6ホールドにわった。

2018ねん開幕かいまくぐんとなり、6月13にちはじめて一軍いちぐん昇格しょうかく。チームに不足ふそくする中継なかつ左腕さわんとして期待きたいされたが、昇格しょうかく初日しょにち古巣ふるすソフトバンクせんで2てんビハインドの9かい登板とうばんし、打者だしゃ3にんを4きゅうるなどしたが[37]、6月26にち広島ひろしませんではサビエル・バティスタ本塁打ほんるいだふくめ4安打あんだ3失点しってん降板こうばん[38]、7がつ2にちに2ぐんちとなる[39]と、シーズンオフまで1ぐん昇格しょうかくはなく2試合しあい投球とうきゅうかい2かい勝敗しょうはいセーブホールドのいずれもなく、防御ぼうぎょりつ13.50でえた[40]

2019ねん開幕かいまくぐんむかえ、4がつ25にち一軍いちぐん昇格しょうかく[41][42]。6月21にちたいソフトバンクせんでは同点どうてんの6かい登板とうばんしたが福田ふくだ秀平しゅうへい満塁まんるいホームランをたれた。

10月2にち巨人きょじんからの戦力せんりょくがい通告つうこくけた。12月24にちに、現役げんえき引退いんたい表明ひょうめい

引退いんたい

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2020ねん2がつ9にち宮崎みやざきおこなわれているソフトバンクのキャンプをおとずれた。まいを東京とうきょうからかつてんでいた福岡ふくおかへとうつし、今後こんご進路しんろかんしては「色々いろいろ模索もさくしています。さがしながら、この野球やきゅう選手せんしゅとしての感覚かんかくてないといけない。勉強べんきょうしていきながら、ですね。せっかくなのであわててめたくはない。ゆっくりと色々いろいろながら、つけていきたいとおもっています」と、まだ“未定みてい”という。ただ、解説かいせつしゃとしてのオファーはけているようで「ありがたいことに解説かいせつはなしをもらったので、野球やきゅう勉強べんきょうしながらやっていきます。子供こどもころから野球やきゅうるのもやるのもきだった。野球やきゅうられるというのはたのしい」とかたっていた[43]

同年どうねんからは九州朝日放送きゅうしゅうあさひほうそうスポーツライブ+BS朝日あさひ野球やきゅう解説かいせつしゃ就任しゅうにん

プレースタイル

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もりぶく投球とうきゅうフォーム

高校こうこう時代じだいスライダーのキレとカーブの変化へんか三振さんしんやまきずくスタイルで、プロまえストレート最速さいそくが143kmでどおとうは100メートルだった。プロ当初とうしょスリークォーターで、オーバースローサイドスロー二刀流にとうりゅうになり、2008ねん秋季しゅうきキャンプからフォームを改造かいぞうし、サイドスロー一本いっぽんとなった[44][8]。2008ねん10がつ時点じてんではゆるいスライダー、スラーブげていた[45]

2010ねんに、投球とうきゅう開始かいしまでの静止せいし時間じかんながいフォーム、およびサインの交換こうかんわってから投球とうきゅうモーションにはいさい左手ひだりてたかげる独特どくとく動作どうさ特徴とくちょうとするサイドスローへ転身てんしん平均へいきん球速きゅうそくやく134km/h[46]最速さいそく140km序盤じょばん速球そっきゅう真横まよこすべるスライダー・シュートけ、[3]凡打ぼんだやまきず投球とうきゅうスタイルとなってから才能さいのう開花かいかした。

リリーフで登板とうばんするさい、ファウルラインの手前てまえ帽子ぼうしりグラウンドにかって一礼いちれいしてからマウンドにがる。

人物じんぶつ

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おちゃめな人物じんぶつだったことで「おちゃめ!」とばれていたことから、当初とうしょはおちゃめが愛称あいしょうだった(2020ねん11月8にちKBCラジオSTEPのなか本人ほんにんだん)。しかし、その「チョメ」へと変化へんかしたことで、こちらがニックネームとして定着ていちゃくした[47]

ホークスの背番号せばんごう19は、シダックスの監督かんとくであった野村のむら克也かつや現役げんえき時代じだいけていた番号ばんごうである。野村のむら当時とうじだいいち印象いんしょうとしてからだおおきくなく、球速きゅうそくはやくないため「しんどい」とおもったそうで、プロからこえがかかったとき大変たいへんおどろいたという。そこで、こまったときに「外角がいかくたかめでストライクをれるコントロールをみがけ」、たましゅはストレートとスライダーしかなかったため「シュートをにつけろ」と、おしえたという[48]

一方いっぽう野村のむらは「ホークスの19ばん」にたいして、捕手ほしゅによる着用ちゃくよう待望たいぼうしていた経緯けいいもあり(くわしくは山内やまうち孝徳たかのり甲斐かい拓也たくや項目こうもく参照さんしょう)、楽天らくてん監督かんとく時代じだい、ソフトバンクと対戦たいせんした2009ねんのクライマックスシリーズで、試合しあいまえ挨拶あいさつもりぶくたいし「背番号せばんごう19ってなにや。背番号せばんごうえろ。あつかましいわ。19ばんおそおおいとおもわんかったんか」「まあ、19ばんはワシが南海なんかいうん使つかたしたからな。いまなににものこっとらんやろ」とぼやいた[49]

プロまえ目標もくひょうとしていた投手とうしゅは、身長しんちょう160センチだい後半こうはん当時とうじ5ねん連続れんぞく2けた勝利しょうり継続けいぞくしていた石川いしかわまさただしと、シダックスの先輩せんぱいであり、チームを日本一にっぽんいちみちびくために「チームのためにけずった」武田たけだまさる2人ふたりである[50]

ファンサービスも大切たいせつにしており、2012ねん2がつバレンタインデーでチームトップの200チョコレートもらうなど人気にんきがある[51]

2012ねんには、オールスターゲーム出場しゅつじょうさい将来しょうらいてきメジャー挑戦ちょうせん志向しこうもあることをあきらかにしていた[52]

プロレスラーの吉野よしの正人まさと親交しんこうがある[53][54]

独身どくしんで、結婚けっこんれきし。

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき

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とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
2007 ソフトバンク 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 24 6.0 3 0 1 0 2 7 0 0 1 1 1.50 0.67
2008 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 33 6.2 9 0 6 0 0 3 1 0 5 5 6.75 2.25
2009 13 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 49 11.0 12 1 3 0 1 11 0 0 7 6 4.91 1.36
2010 36 0 0 0 0 3 1 0 5 .750 188 48.2 34 5 10 1 3 45 0 0 17 14 2.59 0.91
2011 60 0 0 0 0 4 2 1 34 .667 211 55.2 38 3 10 2 1 45 0 0 7 7 1.13 0.86
2012 65 0 0 0 0 2 5 17 24 .286 235 58.1 40 1 17 3 3 55 0 0 12 9 1.39 0.98
2013 57 1 0 0 0 3 2 0 15 .600 207 52.1 37 3 10 3 4 51 0 0 15 15 2.58 0.90
2014 58 0 0 0 0 2 1 0 15 .667 186 47.2 32 2 14 3 3 47 0 0 17 16 3.02 0.97
2015 32 0 0 0 0 0 2 0 14 .000 79 17.0 25 2 3 0 0 16 0 0 11 11 5.82 1.65
2016 50 0 0 0 0 2 1 0 16 .667 105 27.0 23 1 2 0 3 23 0 0 7 6 2.00 0.93
2017 巨人きょじん 30 0 0 0 0 1 3 0 6 .250 87 20.2 23 3 7 0 0 18 0 0 8 7 3.05 1.45
2018 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 2.0 4 1 0 0 0 0 0 0 3 3 13.50 2.00
2019 7 0 0 0 0 0 0 0 3 ---- 18 4.1 5 2 0 0 0 5 0 0 3 3 6.23 1.15
NPB:13ねん 423 1 0 0 0 17 17 18 134 .500 1432 357.1 285 24 83 12 20 326 1 0 113 103 2.59 1.03

WBCでの投手とうしゅ成績せいせき

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とし

だい

ひょう
とう

いた
さき

はつ
かち

はい

せん




もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
2013 日本にっぽん 2 0 0 0 0 10 2.0 2 0 1 0 1 2 0 0 2 2 9.00

年度ねんどべつ守備しゅび成績せいせき

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とし
たま
だん
投手とうしゅ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
2007 ソフトバンク 7 0 0 0 0 ----
2008 6 0 0 0 0 ----
2009 13 0 1 0 0 1.000
2010 36 0 6 1 0 .857
2011 60 0 11 0 0 1.000
2012 65 5 14 0 0 1.000
2013 57 6 8 0 0 1.000
2014 58 2 5 0 0 1.000
2015 32 0 3 0 0 1.000
2016 50 2 6 0 1 1.000
2017 巨人きょじん 30 2 4 1 0 .857
2018 2 0 0 0 0 ----
2019 7 0 0 0 0 ----
通算つうさん 423 17 58 2 1 .974

表彰ひょうしょう

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記録きろく

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はつ記録きろく
  • はつ登板とうばん:2007ねん3がつ31にちたい千葉ちばロッテマリーンズ2回戦かいせん千葉ちばマリンスタジアム)、9かいうらに4番手ばんて救援きゅうえん登板とうばん完了かんりょう、1かい失点しってん
  • はつだつ三振さんしん同上どうじょう、9かいうらへいない久雄ひさおから空振からぶ三振さんしん
  • はつホールド:2009ねん4がつ21にちたい北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ4回戦かいせん東京とうきょうドーム)、6かいうらに3番手ばんて救援きゅうえん登板とうばん、1かい失点しってん
  • はつ勝利しょうり:2010ねん8がつ27にちたい千葉ちばロッテマリーンズ18回戦かいせん福岡ふくおかYahoo!JAPANドーム)、5かいひょう1に2番手ばんて救援きゅうえん登板とうばん、1かい2/3を失点しってん
  • はつセーブ:2011ねん5がつ1にちたい千葉ちばロッテマリーンズ5回戦かいせん(QVCマリンフィールド)、9かいうらに3番手ばんて救援きゅうえん登板とうばん完了かんりょう、1/3かい失点しってん
  • はつ先発せんぱつ:2013ねん5がつ6にちたい千葉ちばロッテマリーンズ9回戦かいせん福岡ふくおか ヤフオク!ドーム)、2かい1失点しってん敗戦はいせん投手とうしゅ
その記録きろく
  • 1きゅうセーブ:2011ねん5がつ1にちたい千葉ちばロッテマリーンズ5回戦かいせん(QVCマリンフィールド)、9かいうらこころざしみねしょうだいゆうげきゴロ ※パ・リーグ史上しじょう26にん(28度目どめ)、はつセーブが1きゅうセーブなのはNPB史上しじょう8にん[56]
  • オールスターゲーム出場しゅつじょう:2かい (2011ねん、2012ねん

背番号せばんごう

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  • 19 (2007ねん - 2016ねん
  • 13 (2017ねん - 2019ねん
    • 21WBC2013)※正式せいしきメンバー34にん

登場とうじょうきょく

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  • 国道こくどう号線ごうせんガガガSP(2007ねん - 2009ねんあきごろ
  • ソウルメイト華月かつきさち(2009ねんあきごろ - 2010ねんなつごろ
  • 『Try again』ビーグルクルー(2010ねんなつごろ - 2013ねん)この『Try again』のシングルCDジャケットには、もりぶく写真しゃしん使用しようされている。
  • 『STAND UP』ビーグルクルー(2014ねん - )

代表だいひょうれき

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ もりぶく まこと彦(読売よみうりジャイアンツ) | 個人こじん年度ねんどべつ成績せいせき | NPB.jp 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう” (2019ねん6がつ26にち). 2019ねん6がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ 2006ねん12月8にち 日刊にっかんスポーツ紙面しめん
  3. ^ a b c 日刊にっかんスポーツ紙面しめん 2011ねん11月17にち
  4. ^ もりぶくがきらりとひかこう救援きゅうえん プロ4ねんはつ勝利しょうり. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010ねん8がつ27にち). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/08/27/kiji/K20100827Z00001270.html 2013ねん5がつ14にち閲覧えつらん 
  5. ^ 日刊にっかんスポーツ2010ねん8がつ31にち紙面しめん 「プロ野球やきゅうメジャーりゅうるセイバーメトリクス」
  6. ^ もりぶく1きゅうはつセーブ!史上しじょう7にん珍事ちんじ. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011ねん5がつ2にち). https://web.archive.org/web/20110505074704/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/02/kiji/K20110502000742490.html 2013ねん5がつ14にち閲覧えつらん 
  7. ^ ホークス75ねん南海なんかい、ダイエー、ソフトバンクー継承けいしょうされる栄光えいこう歴史れきし、2013ねんスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、P106
  8. ^ a b 巨人きょじんもりぶくの11きゅうちが伝説でんせつつくる「打者だしゃ1にんでは物足ものたりない。タイトルる」 スポーツ報知ほうち 2017ねん2がつ14にち
  9. ^ マツダオールスターゲーム2011 ファン投票とうひょう結果けっか
  10. ^ 2011年度ねんどマツダオールスターゲーム 試合しあい結果けっかだい1せん
  11. ^ 2011年度ねんどマツダオールスターゲーム 試合しあい結果けっかだい3せん
  12. ^ 2012年度ねんどマツダオールスターゲーム 試合しあい結果けっかだい1せん
  13. ^ さむらいジャパンマッチ2012 日本にっぽん代表だいひょうメンバー NPB公式こうしきサイト 2012ねん11月6にち 2015ねん4がつ14にち閲覧えつらん
  14. ^ 日本にっぽん代表だいひょうメンバー NPB公式こうしきサイト (2012ねん11月6にち) 2015ねん4がつ14にち閲覧えつらん
  15. ^ 日本にっぽん-キューバせん 試合しあい詳細しょうさい強化きょうか試合しあい 2012ねん11月18にち 日刊にっかんスポーツ
  16. ^ 【ソフトB】もりぶくだいトリで1.2おく更改こうかい 2012ねん12月27にち 日刊にっかんスポーツ
  17. ^ 2013WBC日本にっぽん代表だいひょう候補こうほ選手せんしゅ発表はっぴょう 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう 2012ねん12月4にち 2015ねん4がつ3にち閲覧えつらん
  18. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式こうしきサイト 2015ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  19. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本にっぽん代表だいひょうメンバー 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう 2013ねん2がつ20日はつか 2015ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  20. ^ 大勝たいしょうから一転いってん中継なかつじん不安ふあん/WBC 2013ねん3がつ13にち 日刊にっかんスポーツ
  21. ^ さむらいジャパン、1米国べいこくへ/WBC詳細しょうさい 2013ねん3がつ12にち 日刊にっかんスポーツ
  22. ^ もりぶく左肩ひだりかたつう登板とうばん回避かいひ/WBC 2013ねん3がつ17にち 日刊にっかんスポーツ
  23. ^ ソフトB、もりぶくふくかたでゆとりの方程式ほうていしき完成かんせい 2013ねん3がつ31にち 日刊にっかんスポーツ
  24. ^ もりぶく6にちプロはつ先発せんぱつ!ソフトBこま不足ふそく 2013ねん5がつ5にち 日刊にっかんスポーツ
  25. ^ もりぶく プロ7ねんはつ先発せんぱつも…2かい降板こうばん 2013ねん5がつ6にちスポニチ
  26. ^ いちきゅう速報そくほう | 福岡ふくおかソフトバンクホークス
  27. ^ ソフトもりぶく1.6おくえん「タイトルほしい」 2014ねん12月26にち 日刊にっかんスポーツ
  28. ^ もりぶくためした」バリオス「100%にちかい」 3ぐんせん登板とうばん手応てごたえつかむ2015ねん8がつ27にち Yahoo!JAPANニュース
  29. ^ <ホークス2ぐん史上しじょうはつV4だ! 胴上どうあ投手とうしゅもりぶく2015ねん9がつ20にち Yahoo!JAPANニュース
  30. ^ くやしさをバネに再起さいきもりぶく坂口さかぐちらチームをささえる“復活ふっかつぐみ2016ねん4がつ21にち BASEBALLKING
  31. ^ a b c d ホークスもりぶくFA決断けつだん 巨人きょじんつよ関心かんしん2016ねん11月3にち 西日本にしにほんスポーツ
  32. ^ ソフトバンク・もりぶくがFA宣言せんげん一番いちばんかがやける場所ばしょで」2016ねん11月5にち 朝日新聞あさひしんぶん
  33. ^ 2016年度ねんどフリーエージェント宣言せんげん選手せんしゅ日本にっぽん野球やきゅう機構きこう
  34. ^ もりぶく巨人きょじんはつ交渉こうしょう=プロ野球やきゅう・FA 2016ねん11月11にち 時事通信じじつうしん
  35. ^ FAもりぶく巨人きょじん移籍いせき表明ひょうめい自分じぶん挑戦ちょうせんをしたいとおもった」2016ねん12月1にち スポーツニッポン
  36. ^ 巨人きょじんもりぶく 移籍いせき1しょう緊迫きんぱくした場面ばめんでありがたい」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2017ねん5がつ25にち). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/05/25/kiji/20170524s00001173249000c.html 2017ねん5がつ25にち閲覧えつらん 
  37. ^ 巨人きょじんもりぶく移籍いせきはつのヤフオクドームで1かいを3にんでピシャリ 2018ねん6がつ13にち サンスポ・コム
  38. ^ 巨人きょじんさんかいまでに10失点しってん くわばらもりぶく広島ひろしま打線だせんにめった 2018ねん6がつ26にち デイリースポーツ
  39. ^ DeNA浜口はまぐち巨人きょじんもりぶく抹消まっしょう/2にち公示こうじ 2018ねん6がつ13にち 日刊にっかんスポーツ
  40. ^ 選手せんしゅプロフィール 13 もりぶく まこと読売よみうりジャイアンツ 2018ねん10がつ31にち閲覧えつらん
  41. ^ 巨人きょじんもりぶく今季こんきはつの1ぐん昇格しょうかく、2ぐん防御ぼうぎょりつ0・75…吉川よしかわひかりがファームへスポーツ報知ほうち(2019ねん4がつ25にち)
  42. ^ 巨人きょじんもりぶく登録とうろく中日ちゅうにちアルモンテら抹消まっしょう/25にち公示こうじ日刊にっかんスポーツ(2019ねん4がつ25にち)
  43. ^ もとホークス&巨人きょじんもりぶくまこと彦氏、だい2の人生じんせいは“未定みてい” たかキャンプ訪問ほうもん full-count、2020ねん2がつ9にち
  44. ^ 選手せんしゅニュース もりぶく投手とうしゅしんフォーム習得しゅうとく手応てごたえをかた 2008ねん11月21にち配信はいしん
  45. ^ もりぶく投手とうしゅ、フリー打撃だげきはつ登板とうばん ニッカンニュース2008ねん11がつ20日はつか配信はいしん
  46. ^ 『2012プロ野球やきゅうオール写真しゃしん選手せんしゅ名鑑めいかん日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ、2012ねん、9ぺーじぺーじISBN 978-4-905411-04-8 
  47. ^ ホークスすけもと僚友りょうゆうもりぶくあいのゲキ「チョメ、チームはわっても…」”. Full-Count(フルカウント) ― 野球やきゅうニュース・速報そくほう・コラム ― (2017ねん2がつ6にち). 2022ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  48. ^ 2006ねん11月22にち 日刊にっかんスポーツ紙面しめん
  49. ^ ノムさん「背番号せばんごう19はワシがうん使つかたした」もりぶくどくガス噴射ふんしゃ 2019ねん11月27にち 西日本にしにほんスポーツ
  50. ^ 2006ねん11月30にち 日刊にっかんスポーツ紙面しめん
  51. ^ ソフトBもりぶく チョコ200チーム1 2012ねん2がつ15にち 日刊にっかんスポーツ
  52. ^ ソフトBもりぶく将来しょうらいはメジャー」かす日刊にっかんスポーツ
  53. ^ ドラゲー・吉野よしの V1でソフトバンク・もりぶくにパワーおく”. 東京とうきょうスポーツ (2015ねん7がつ3にち). 2016ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  54. ^ ソフトB・もりぶく ドラゲー吉野よしののエールにこたえた”. 東京とうきょうスポーツ (2015ねん7がつ13にち). 2016ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  55. ^ “【ソフトB】もりぶくがベンツ納車のうしゃセレモニー”. 日刊にっかんスポーツ. (2012ねん1がつ25にち). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120125-894703.html 2018ねん10がつ31にち閲覧えつらん 
  56. ^ ヤクルト近藤こんどう 史上しじょうはつ!1きゅうだつ三振さんしんセーブ「複雑ふくざつみなし」『Sponichi Annex』2017ねん7がつ1にち。2024ねん6がつ3にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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