横島よこしま (長崎ながさきけん長崎ながさき)

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横島よこしま
横島の位置(長崎県内)
横島
横島よこしま
地理ちり
場所ばしょ 五島ごしまなだ
座標ざひょう 北緯ほくい3240ふん30びょう 東経とうけい12947ふん46びょう / 北緯ほくい32.67500 東経とうけい129.79611 / 32.67500; 129.79611座標ざひょう: 北緯ほくい3240ふん30びょう 東経とうけい12947ふん46びょう / 北緯ほくい32.67500 東経とうけい129.79611 / 32.67500; 129.79611
しますう 2
面積めんせき 0.002 km2 (0.00077 sq mi)[1][2]
最高さいこう標高ひょうこう 10 m (30 ft)[3]
行政ぎょうせい
都道府県とどうふけん 長崎県の旗 長崎ながさきけん
市町村しちょうそん 長崎市旗 長崎ながさき
大字だいじ 香焼こうやぎまち
人口じんこう統計とうけい
人口じんこう 0
追加ついか情報じょうほう
時間じかんたい
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横島よこしま炭鉱たんこう
所在地しょざいち
所在地しょざいち西彼杵にしそのきぐん深堀ふかほりむら
西彼杵にしそのきぐん香焼こうやぎむら
都道府県とどうふけん長崎ながさきけん
くに日本の旗 日本にっぽん
生産せいさん
産出さんしゅつぶつ石炭せきたん
生産せいさんりょう12まんtそう出炭しゅったんりょう
歴史れきし
開山かいさん1894ねん明治めいじ27ねん
採掘さいくつ期間きかん1897ねん - 1902ねん
閉山へいざん1902ねん明治めいじ35ねん
所有しょゆうしゃ
企業きぎょう三菱みつびし合資ごうし会社かいしゃ
取得しゅとく時期じき1894ねん明治めいじ27ねん
プロジェクト:地球ちきゅう科学かがくPortal:地球ちきゅう科学かがく

横島よこしま(よこしま)は、長崎ながさきけん長崎ながさき香焼こうやぎまちにあるしま無人島むじんとう)。香焼こうやぎまち安保あんぽ(あぼ)の竹崎たけざきはな南西なんせいやく0.6kmに位置いちする[1]

明治めいじ時代じだい中期ちゅうき炭鉱たんこうとしてしま全体ぜんたい開発かいはつされたが、炭鉱たんこう自体じたい短期間たんきかん閉山へいざんした[3]昭和しょうわ時代じだい中期ちゅうきからしま沈下ちんか崩壊ほうかいすすみ、現在げんざいはほとんどが水没すいぼつして東側ひがしがわながやく160m、西側にしがわながやく50mのちいさな岩礁がんしょう2つにかれて残存ざんそんしているのみである[4][5]

歴史れきし[編集へんしゅう]

1884ねん明治めいじ17ねん)に発行はっこうされた『西彼杵にしそのきぐん』に記録きろくされた横島よこしまは、東西とうざい330m、南北なんぼく61mのしまで、小島こじまではあったが人家じんか耕作こうさく存在そんざいしたと記録きろくされている[2]。また、一方いっぽうまつがまばらに植生しょくせいしていた無人島むじんとうともつたわる[3][6]のちてにより拡張かくちょうされるまえの、元々もともと横島よこしま面積めんせきやく8,000m2程度ていどであったとかんがえらえる[注釈ちゅうしゃく 1]

横島よこしま地下ちかに、石炭せきたん鉱脈こうみゃく発見はっけんされたのは1892ねん明治めいじ25ねん)のことである[1][2]石炭せきたん鉱脈こうみゃく発見はっけんの2ねん1894ねん明治めいじ27ねん)には三菱みつびし合資ごうし会社かいしゃ買収ばいしゅうされ[1][2][8]よく1895ねん明治めいじ28ねん)よりボーリングがはじまり、炭鉱たんこう開発かいはつ開始かいしされた[6]。このボーリングにより、地下ちか82mまでの立坑たてこう掘削くっさくされた[2]。なお三菱みつびしは、横島よこしま南西なんせいにある高島たかしま高島たかしま炭鉱たんこう1881ねん明治めいじ14ねん)に買収ばいしゅう採炭さいたんおこなっており、1890ねん明治めいじ23ねん)には高島たかしまみなみはしとう炭鉱たんこう買収ばいしゅう、この地域ちいき炭鉱たんこう開発かいはつ拡大かくだいしていた。横島よこしまは、この高島たかしま炭鉱たんこうささえやまとして開発かいはつ開始かいしされ[6]三菱みつびし買収ばいしゅうから3ねん1897ねん明治めいじ30ねん[3][2]、もしくは4ねん1898ねん明治めいじ31ねん[6]出炭しゅったん開始かいしした[注釈ちゅうしゃく 2]1899ねん明治めいじ32ねん)には、島内とうない発電はつでんしょ設置せっちされ[2]香焼こうやぎむらはじめて電気でんきとおった地域ちいきとなった[6][8]。なお、この発電はつでんしょ設置せっちは、本山ほんざんである高島たかしま炭鉱たんこうよりも2ねん先行せんこうして実施じっしされたものであった[6]炭鉱たんこう最盛さいせいであった1900ねん明治めいじ33ねん)には、しまには130世帯せたい居住きょじゅうし、人口じんこうやく700にんかぞえた[3][2][8][7]。これは、当時とうじ香焼こうやぎむらそう人口じんこうやく3ぶんの1をめるほどであった。また、同年どうねん1がつには私立しりつ横島よこしま尋常じんじょう小学校しょうがっこう設置せっちされ、このほかに病院びょういん設置せっちされていた[3][2]元々もともと小島こじまでしかなかった横島よこしまでこれらの施設しせつ社宅しゃたく設置せっちするために、1897ねん明治めいじ30ねん)より周囲しゅうい石垣いしがきつくり、山頂さんちょうから東側ひがしがわかっててがおこなわれており、これによりてられた敷地しきちは14,267m2のぼった[3][2][6][7]横島よこしま面積めんせきやく22,000m2になっていたという[7]。ところが、あつによって坑道こうどうばんぶくれこし、坑道こうどうへの出水しゅっすい問題もんだいもあり、以降いこう操業そうぎょう断念だんねん[3][2][8]1902ねん明治めいじ35ねん)に炭鉱たんこう閉山へいざんされた[3][2][8]出炭しゅったん開始かいしからながくて5ねん三菱みつびしによる買収ばいしゅうから8ねん石炭せきたん鉱脈こうみゃく発見はっけんからかぞえてもわずか10ねんでの閉山へいざんというきょく短命たんめい炭鉱たんこうであった。稼働かどうそう出炭しゅったんりょうやく12まんtであった[1][2]

閉山へいざん尋常じんじょう小学校しょうがっこうをはじめとする島内とうないすべての施設しせつ閉鎖へいさされ、島民とうみんしまはなれた。さら埋立うめたてのためにきずかれた石垣いしがき横島よこしまおな三菱みつびし運営うんえいする炭鉱たんこうしまはしとうなどでさい利用りようするためにだい部分ぶぶん撤去てっきょされた[2][6][8]。このため、埋立うめたて土砂どしゃ次第しだい流失りゅうしつした[2][8]

土砂どしゃ流失りゅうしつくわえて、閉山へいざんからやく63ねん経過けいかした1965ねん昭和しょうわ40ねんごろからだい規模きぼ地盤じばん沈下ちんか進行しんこうした[6][8][9]。『香焼こうやぎまち郷土きょうど』によれば、しま西側にしがわから沈下ちんか進行しんこう最終さいしゅうてきにはしま東側ひがしがわすこ沈下ちんかし、もとしまだい部分ぶぶん海中かいちゅうぼっし、現在げんざいのようなちいさな2つの岩礁がんしょう東西とうざい残存ざんそんしているのみとなった[9]。この地盤じばん沈下ちんかについては、海底かいていすべり炭鉱たんこうよう坑道こうどう掘削くっさくされたことによる地下ちか地盤じばん崩壊ほうかい原因げんいん推測すいそくされていた[4]2019ねん平成へいせい31ねん)2がつ京都きょうと大学だいがく防災ぼうさい研究所けんきゅうじょ山崎やまざき新太郎しんたろうをはじめとする研究けんきゅうチームが、潜水せんすい映像えいぞう解析かいせきソナーによる海底かいていイメージングなどの手法しゅほうもちいて、横島よこしま地盤じばん沈下ちんかかんして調査ちょうさ実施じっししており[2][6]同年どうねん9がつ日本にっぽん地質ちしつ学会がっかいだい126ねん学術がくじゅつ大会たいかいにて、ほん調査ちょうさかんする講演こうえんおこなわれた[10]山崎やまざきらによる調査ちょうさでは、横島よこしま沈没ちんぼつした海底かいていには、おも東西とうざい方向ほうこうびる多数たすう開口かいこう亀裂きれつはば最大さいだい10mにたっする陥没かんぼつたい確認かくにんされる一方いっぽうで、おもしま南側みなみがわ小規模しょうきぼ岩盤がんばん崩壊ほうかいはあったものの、だい規模きぼ地滑じすべりが発生はっせいした痕跡こんせき確認かくにんできなかった[4]。また、調査ちょうさにより横島よこしま西側にしがわきゅう地表ちひょうきたに8~12°もの傾斜けいしゃがついた状態じょうたいうみぼっしていたことが判明はんめいした[4]横島よこしま周辺しゅうへん地層ちそうは、東西とうざい方向ほうこうび、きた最大さいだい25°傾斜けいしゃして存在そんざいしているため、これと同様どうよう横島よこしま地下ちか石炭せきたんそう存在そんざいすると山崎やまざきらは推定すいていしており、この石炭せきたんそう沿って坑道こうどう掘削くっさくすると、北側きたがわ傾斜けいしゃした空洞くうどう地下ちか形成けいせいされる[4]。また、沈下ちんか発生はっせいした横島よこしま西側にしがわは、三菱鉱業みつびしこうぎょうセメント当時とうじげん三菱みつびしマテリアル)が1989ねん発行はっこうした『高島たかしま炭鉱たんこう』によれば、横島よこしま坑道こうどう開発かいはつされた区域くいき一致いっちする[4]。これらのことから、横島よこしま西側にしがわ存在そんざいしたきた傾斜けいしゃ空洞くうどう坑道こうどうあと)が崩壊ほうかいしたことで、きた傾斜けいしゃしながら横島よこしまうみぼっしていったと山崎やまざきらは結論けつろんけている[4]くわえて、山崎やまざきらはしま北側きたがわ回転かいてんするよう沈下ちんかしていったため、南側みなみがわりのちからくわわり,横島よこしま南側みなみがわでは岩盤がんばん崩壊ほうかい発生はっせいしたと推定すいていしている[4]

横島よこしま炭鉱たんこうごく短命たんめいだったこともあって資料しりょうとぼしいが、2017ねん平成へいせい29ねん)には長崎ながさき香焼こうやぎ地域ちいきセンターの倉庫そうこから横島よこしま炭鉱たんこう最盛さいせいの1900ねん明治めいじ33ねん)に撮影さつえいされた写真しゃしんとそのネガ発見はっけんされた[7][11]。この写真しゃしんでは、石垣いしがき拡張かくちょうされた横島よこしま全景ぜんけい撮影さつえいされており、くろけむりげる煙突えんとつや、立坑たてこう、ひしめくよう建設けんせつされた建物たてものうつされている[11]。また現在げんざいでも海中かいちゅうでは、炭鉱たんこう操業そうぎょうきずかれた石垣いしがき根方ねかたなどの遺構いこうることができる[9]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 埋立うめたて面積めんせきやく2.2ha(22,000m2[7]面積めんせきが14,267m2[6]とされるため、元々もともとしま面積めんせきは8,000m2程度ていどであるとかんがえられる。
  2. ^ 文献ぶんけんによって出炭しゅったん開始かいしねんちがいがある。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 清水しみず浩史こうじとう図鑑ずかん』(初版しょはん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ東京とうきょう渋谷しぶや千駄ヶ谷せんだがや、2015ねん7がつ30にち、070ぺーじISBN 9784309276151 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん離島りとうセンター へん新版しんぱんSHIMADAS』公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん離島りとうセンター、2019ねん、1070ぺーじISBN 978-4-931230-38-5 
  3. ^ a b c d e f g h i 清水しみず浩史こうじとう図鑑ずかん』(初版しょはん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ東京とうきょう渋谷しぶや千駄ヶ谷せんだがや、2015ねん7がつ30にち、072ぺーじISBN 9784309276151 
  4. ^ a b c d e f g h 山崎やまざき新太郎しんたろう釜井かまい俊孝としたか渡邊わたなべ達也たつや炭鉱たんこう開発かいはつのちしずんだしま長崎ながさきけん横島よこしま」の海底かいてい地形ちけい地質ちしつ」『日本にっぽん地質ちしつ学会がっかい学術がくじゅつ大会たいかい講演こうえん要旨ようししゅうだい126ねん学術がくじゅつ大会たいかい(2019山口やまぐち)セッションID:R20-O-6、一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん地質ちしつ学会がっかい、2019ねん9がつCRID 1390566775161931136doi:10.14863/geosocabst.2019.0_271ISSN 1348-39352022ねん4がつ24にち閲覧えつらん 
  5. ^ 清水しみず浩史こうじとう図鑑ずかん』(初版しょはん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ東京とうきょう渋谷しぶや千駄ヶ谷せんだがや、2015ねん7がつ30にち、072-3ぺーじISBN 9784309276151 
  6. ^ a b c d e f g h i j k 横島よこしま炭鉱たんこう歴史れきししま沈没ちんぼつなぞ~700にんらした炭鉱たんこうしまえた!?~”. まっぷる. 昭文社しょうぶんしゃ (2022ねん4がつ13にち). 2022ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c d e まぼろししま横島よこしま”. nordot. 長崎ながさき新聞しんぶん (2021ねん5がつ24にち). 2022ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c d e f g h 江島えじま達也たつや (2011ねん4がつ17にち). “三菱みつびし横島よこしま炭鉱たんこう長崎ながさき香焼こうやぎまち”. アトリエはやぶさ 仕事しごと日記にっき. 2015ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  9. ^ a b c 清水しみず浩史こうじとう図鑑ずかん』(初版しょはん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ東京とうきょう渋谷しぶや千駄ヶ谷せんだがや、2015ねん7がつ30にち、073ぺーじISBN 9784309276151 
  10. ^ 山崎やまざき新太郎しんたろう, 釜井かまい俊孝としたか, 渡邊わたなべ達也たつや炭鉱たんこう開発かいはつのちしずんだしま長崎ながさきけん横島よこしま」の海底かいてい地形ちけい地質ちしつ」『日本にっぽん地質ちしつ学会がっかい学術がくじゅつ大会たいかい講演こうえん要旨ようしだい126ねん学術がくじゅつ大会たいかい(2019山口やまぐち)、日本にっぽん地質ちしつ学会がっかい、2019ねん、271ぺーじCRID 1390566775161931136doi:10.14863/geosocabst.2019.0_271ISSN 1348-3935NAID 1300078921882022ねん6がつ24にち閲覧えつらん 
  11. ^ a b 倉庫そうこ整理せいりで「横島よこしま」の写真しゃしんつかりました。…”. Twitter. 長崎ながさき香焼こうやぎ地域ちいきセンター. 2022ねん4がつ24にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]