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海峡かいきょう (映画えいが)

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海峡かいきょう
監督かんとく 森谷もりたに司郎しろう
脚本きゃくほん 井手いで俊郎としお森谷もりたに司郎しろう
原作げんさく 岩川いわかわたかし
製作せいさく 田中たなか友幸ともゆき
森岡もりおか道夫みちお
田中たなか寿一ひさいち
森谷もりたに司郎しろう
出演しゅつえんしゃ 高倉たかくらけん
吉永よしなが小百合さゆり
音楽おんがく みなみこうせつ
主題歌しゅだいか ともありて(阿木あぎ燿子/きょくうたみなみこうせつ)
撮影さつえい 木村きむら大作だいさく
編集へんしゅう 池田いけだ美千子みちこ
製作せいさく会社かいしゃ 東宝とうほう映画えいが
配給はいきゅう 東宝とうほう株式会社かぶしきがいしゃ
公開こうかい 日本の旗 1982ねん10月16にち
上映じょうえい時間じかん 142ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
配給はいきゅう収入しゅうにゅう 9.6おくえん[1]
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海峡かいきょう』(かいきょう)は、1982ねん10月16にち公開こうかい日本にっぽん映画えいがである。

解説かいせつ

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日本にっぽん沈没ちんぼつ』、『八甲田山はっこうださん』、『動乱どうらん』の森谷もりたに司郎しろう監督かんとくが、青函せいかん連絡れんらくせん洞爺とうやまる事故じこからやく30ねんにわたり青函せいかんトンネル工事こうじ執念しゅうねんやす国鉄こくてつ技師ぎしらの物語ものがたりえがいた映画えいがである。

東宝とうほう創立そうりつ50周年しゅうねん記念きねん作品さくひんであり、高倉たかくらけん吉永よしなが小百合さゆり森繁もりしげ久彌ひさや三浦みうら友和ともかずなどそれに相応ふさわしい豪華ごうか出演しゅつえんじんそろえ、全国ぜんこくてき新人しんじんオーディションをおこない、やく6000にんなかから中川なかがわ勝彦かつひこやく12000にんなかから青木あおきかい2人ふたりえらばれた。また、みなみこうせつはじめて本格ほんかくてき映画えいが音楽おんがくんだ。文部省もんぶしょう特選とくせん

映画えいがのラストでは作業さぎょういんたちがトンネル貫通かんつうくシーンがえがかれたが、実際じっさい先進せんしんしるべあな貫通かんつうほんさく公開こうかい翌年よくねん1983ねん本坑ほんこうぜん貫通かんつう1985ねんである。

あらすじ

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地質ちしつがくおさめた鉄道てつどういん阿久津あくつつよし青函せいかんトンネルを実現じつげんするために、地質ちしつ調査ちょうさのためりゅうにやってた。そんなおり岸壁がんぺきからようとしていたおんな多恵たえすくい、きつけの居酒屋いざかや経営けいえいしゃあづけた。 ふたたきる気持きもちをもどした多恵たえは、阿久津あくつあわ思慕しぼじょうはじめる。国鉄こくてつ人事じんじによって阿久津あくつ明石あかし転勤てんきんになり、当時とうじ国鉄こくてつ総裁そうさい方針ほうしんなどで、なかなか計画けいかくすすまないときおとずれる。

だが、総裁そうさい交代こうたいにより、計画けいかくにわかすすはじめ、阿久津あくつりゅうもどってきた。そして、調査ちょうさあなるトンネルたちもあつまってくる。さむところいやだとしぶる、老齢ろうれいだが腕利うでききのトンネル源助げんすけも「10まんねんまえに、マンモスあるいてわたったみちをもう一度いちどつくる」と説得せっとくされ、参加さんか決断けつだんする。しかし、工員こういん死亡しぼう事故じこ度重たびかさなる出水しゅっすいなどで作業さぎょう困難こんなんきわめ、つきに5メートルしかすすまない状況じょうきょうで、源助げんすけともぶつかる日々ひび。そうこうしながら、調査ちょうさあなである斜坑しゃこうそこ到達とうたつしてしばらくするころに、国鉄こくてつのトンネル計画けいかくは、正式せいしき認可にんかされ、本坑ほんこう工事こうじにもおおくの民間みんかん企業きぎょう参加さんかして、なお工事こうじすすむ。

ねぶたさい若者わかものがうかれているころ阿久津あくつちち危篤きとくらせがとどく。帰郷ききょう準備じゅんびをしていた阿久津あくつのもとに、かつて大量たいりょう出水しゅっすいらせ。先進せんしんしるべあなが、ポンプ排水はいすいりょく限度げんどえて、みるみるみずまっていく。阿久津あくつは、ある決断けつだんをする。

スタッフ

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出演しゅつえんしゃ

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主題歌しゅだいか

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 「1982ねん邦画ほうが4しゃ封切ふうきりはいおさむベスト作品さくひん>」『キネマ旬報きねまじゅんぽう1983ねん昭和しょうわ58ねん2がつ下旬げじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1983ねん、118ぺーじ 

外部がいぶリンク

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