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玖珠盆地くすぼんち

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
玖珠盆地くすぼんち地形ちけい

玖珠盆地くすぼんち(くすぼんち)は、大分おおいたけん玖珠くすぐん玖珠くすまちおよ九重くじゅうまち西部せいぶ玖珠川くすがわ沿いにある盆地ぼんち

概要がいよう

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大分おおいたけん中西部ちゅうせいぶ位置いちする山間さんかん盆地ぼんちで、筑後川ちくごがわ上流じょうりゅうにあたる玖珠川くすがわひがしから西にし貫流かんりゅうしている。周囲しゅういは、南側みなみがわ万年山はねやま伐株きりくいさん北側きたがわ青野山あおのやま大岩扇山おおがんせんざん小岩こいわ扇山おうぎやま鏡山かがみやまといったメサかこむ。さらに山地さんち外側そとがわでは、きた耶馬渓やばけいみなみ九重ここのえ連山れんざんひがし日出生台ひじゅうだいせっする。標高ひょうこうやく400メートル内外ないがいで、寒暖かんだんはげしく、あきからふゆにかけてのあさきり名物めいぶつとなっている。

豊後ぶんごこく風土記ふどき』は、玖珠盆地くすぼんち地形ちけいについてつぎのような伝承でんしょうつたえている。

この盆地ぼんちには、大昔おおむかしに1ほん巨大きょだいくすのきえており、一帯いったいはその日陰ひかげとなって作物さくもつがよくそだたなかった。こまった村人むらびと大男おおおとこくすのきたおすようにたのみ、大男おおおとこ苦労くろうすえくすのきたおすと、ようやくたり作物さくもつそだつようになった。たおしたのちくすのき切株きりかぶ伐株きりくいさんで、くすのきたおれたときがったもってやまとなったのが万年山はねやまである。

実際じっさいには、盆地ぼんち周囲しゅうい多数たすうのメサがつらなる地形ちけいは、更新こうしん中期ちゅうきから後期こうき噴出ふんしゅつした溶岩ようがん侵食しんしょくされて形成けいせいされたものとかんがえられている。また、成因せいいんカルデラであるとするせつもある[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 玖珠くすそうぐん (くすそうぐん)ならんでいた古代こだい淡水たんすいみずうみ - 大分おおいた歴史れきし事典じてん(インターネットアーカイブ2006ねん11月4にちぶんキャッシュ)