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目録もくろく

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目録もくろく(もくろく)とは、もの所在しょざい明確めいかくにする目的もくてきあるいはもの譲渡じょうと寄進きしんおこなわれるさい作成さくせいされる、品名ひんめい内容ないよう数量すうりょうなどをならべてやすくした文書ぶんしょ

概要がいよう

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目録もくろく」という言葉ことば一覧いちらんリストカタログなどの意味いみ使つかわれる場合ばあいおおい。

しかし、歴史れきしじょうにおいて「目録もくろく」の用例ようれいこまかく分類ぶんるいした場合ばあい

  • もの所在しょざい明確めいかくにする目的もくてき品名ひんめい内容ないよう数量すうりょうしるした文書ぶんしょ
  • もの授受じゅじゅにあたって作成さくせいされた証文しょうもん明細めいさい相当そうとうする文書ぶんしょ
  • 有形ゆうけい無形むけい進物しんもつなどをおくさい実物じつぶつわりに品目ひんもくなどのみをしるした文書ぶんしょ
  • 行政ぎょうせい行為こうい目的もくてきおよ結果けっか記録きろくした公文書こうぶんしょ
  • 大量たいりょう文書ぶんしょ史料しりょう蔵書ぞうしょなどの索引さくいん機能きのうたせた文書ぶんしょ図書としょ目録もくろく)。

などにけることが可能かのうである。

大量たいりょう情報じょうほうかりやすいかたち一覧いちらん可能かのうとなるように箇条書かじょうがなどの方法ほうほうれられている。

また歴史れきしがく世界せかいでは、文書ぶんしょ目録もくろく当時とうじ政治せいじ経済けいざいなどの情報じょうほう伝達でんたつのありかたを、図書としょ目録もくろく当時とうじ学術がくじゅつ水準すいじゅん書籍しょせき流通りゅうつう状況じょうきょううえにおいて貴重きちょう史料しりょうとなりえる。

歴史れきし

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中国ちゅうごくでは、はやくより目録もくろくがくかんがかた発達はったつしており、日本にっぽんにも奈良なら時代じだい以前いぜん段階だんかい伝来でんらいしたとかんがえられている。

古代こだいから寺院じいん行政ぎょうせい機関きかんでは、財産ざいさん管理かんり業務ぎょうむじょう必要ひつようからおおくの目録もくろく作成さくせいされていた。公式こうしきれいにはかんは15にちごとに作成さくせい伝達でんたつされた公文書こうぶんしょおよ草案そうあんをまとめて保管ほかんするとともにその所蔵しょぞう目録もくろく作成さくせい義務付ぎむづけられていた。

日本にっぽん国見くにみざい書目しょもくろく

たとえば、寺院じいんでは寺院じいん住持じゅうじ交替こうたいさい仏具ぶつぐほうなどの什器じゅうき文書ぶんしょなどの一覧いちらんしるした資財しざいちょう土地とちしるしたみず陸田りくでん目録もくろく作成さくせいされた。かんでも国司こくし交替こうたいさいせいぜいなどの在庫ざいこ確認かくにんする交替こうたい実録じつろくちょうはん実施じっし作成さくせいするはん帳簿ちょうぼ目録もくろくなどがつくられた。平安へいあん時代じだいはいると、個人こじんによる目録もくろく作成さくせいされた。まず、とう留学りゅうがくしていた「入唐にっとうはちそう」(「入唐にっとうはちいえ」とも、最澄さいちょう空海くうかいめぐみうん円行えんぎょうつねあかつきそうあきら円仁えんにん円珍えんちん)とばれる僧侶そうりょたち帰国きこくしたさいかえった書物しょもつなどを記録きろくした将来しょうらい目録もくろく請来しょうらい目録もくろく)が作成さくせいされた。貴族きぞくたちにおいては2つの特徴とくちょうてき目録もくろく作成さくせいされる。まず、現代げんだい図書としょ目録もくろくにあたる「書目しょもく」が作成さくせいされた。藤原ふじわらたすく勅命ちょくめいほうじて作成さくせいした『日本にっぽん国見くにみざい書目しょもくろく』や藤原通憲ふじわらのみちのり信西しんぜい)が個人こじん蔵書ぞうしょしるした『つうけん入道にゅうどう蔵書ぞうしょ目録もくろく』、滋野しげのじつふゆせつなどがある『本朝ほんちょう書籍しょせき目録もくろく』などがられている。また、時代じだいくだると既存きそん目録もくろく刊行かんこうおこなわれ、初期しょきのものとしては安達あだち泰盛やすもり高野山こうのやまにある空海くうかい請来しょうらい目録もくろく刊行かんこうしたことがられ、江戸えど時代じだいには出版しゅっぱんぎょう隆盛りゅうせいとともに多数たすう書籍しょせき刊行かんこうされたことから、それらを対象たいしょうとした目録もくろく刊行かんこうされるようになった[1]。もう1つは日記にっき文書ぶんしょ内容ないようごとに目録もくろく作成さくせいして後日ごじつ先例せんれい調しらべるさい参考さんこうとするもので、藤原ふじわらみのるの『しょう右記うき』には『しょう目録もくろく』という目録もくろく存在そんざいしている。勿論もちろん財産ざいさん関係かんけい目録もくろく作成さくせいされ、所領しょりょう財産ざいさん生前せいぜんまたは死後しご譲渡じょうとするために作成さくせいされた譲状ゆずりじょう処分しょぶんじょう目録もくろく形式けいしきとなっている。とく財産ざいさん関係かんけい目録もくろく所領しょりょうなどのそうろん発生はっせいした場合ばあいには、文書ぶんしょ存在そんざい有無うむ判断はんだん最大さいだいになったことから、こうした目録もくろくおおやけけん絵図えずその文書ぶんしょをまとめて保管ほかんし、かつ文書ぶんしょ目録もくろく書目しょもくろくじゅう書目しょもくろく)を作成さくせいしてまんいちそなえた。12世紀せいき東大寺とうだいじひろししん文書ぶんしょ目録もくろく作成さくせいしたさい記録きろく今日きょうのこされている。

中世ちゅうせいはいると荘園しょうえん領主りょうしゅ公家くげ武士ぶし僧侶そうりょたちによっておおくの目録もくろくつくられるようになる。荘園しょうえん所領しょりょうかんする荘園しょうえん目録もくろく所領しょりょう目録もくろくけんちゅう結果けっかしめけん注目ちゅうもくろく耕作こうさく面積めんせき人員じんいんしめ作田さくた目録もくろく年貢ねんぐすすむおさめ状況じょうきょうしめゆいかい目録もくろくなどがあった。江戸えど時代じだい江戸えど幕府ばくふしょはんによって作成さくせいされた勘定かんじょうちょう年貢ねんぐ皆済かいさい目録もくろくもこのながれをんだものである。さら戦国せんごく時代じだい今川いまがわ作成さくせいしたぶん国法こくほうも「今川いまがわ仮名がな目録もくろく」とぶ。これは個々ここ行政ぎょうせい文書ぶんしょ形式けいしきされていた法令ほうれいを1つの法典ほうてん形式けいしき集積しゅうせき分類ぶんるいした目録もくろく形式けいしきによって公布こうふされたものとかんがえられたことによる。

さて、寄進きしんさいされる目録もくろく相手あいて上位じょうい身分みぶんしゃ寺社じしゃ鎮座ちんざする神仏しんぶつふくむ)であったため、相応そうおう儀礼ぎれいともなうものとなり、後世こうせい礼法れいほうにおいてはてんじて相手あいて進物しんもつ贈物おくりものをするさい目録もくろく書札しょさつれいへと発展はってんしていった。寄進きしんのための目録もくろく鳥子とりこ折紙おりがみもちいてはし中奥なかおくってさん等分とうぶんとし、さらおなをもういちまいれいとしてえてあつつつあつれいもちいている。進物しんもつ目録もくろく結納ゆいのう目録もくろくになるとはんおり折紙おりがみとなり、対象たいしょうによってもちいるかみことなっていた。さらふる書札しょさつれいでは「目録もくろく」とかないことされていたが、明治めいじ以後いごかれることおおくなった。今日きょうでは卒業そつぎょうしき結婚けっこんなど、記念きねんものおく場合ばあいも、なにおくったかを一覧いちらんしるし、式典しきてんとうではその目録もくろく手渡てわたすこととされ、進物しんもつとして実際じっさい金円きんえんおく場合ばあいにも婉曲えんきょくてき言換いいかえとして「目録もくろく」のかたりもちいられる。

さら武術ぶじゅつ芸能げいのうなどにはえない技術ぎじゅつ伝授でんじゅするさいにもその内容ないようをまとめた文書ぶんしょ目録もくろくんだ。これがそのまま奥義おうぎ伝授でんじゅ証明しょうめいする免許めんきょ目録もくろく通常つうじょう切紙きりかみ以上いじょう免許めんきょ以下いかかれる場合ばあいおおい)としてももちいられるようになった。

蔵書ぞうしょ目録もくろく中世ちゅうせい近世きんせいつうじて作成さくせいされつづけた。明治めいじになると、図書館としょかん設置せっちされるようになり、図書館としょかんいてある資料しりょうのリストである図書としょ目録もくろく作成さくせいするための図書館としょかんがく技術ぎじゅつとして資料しりょう組織そしきろん図書としょ分類ぶんるいほうなどが導入どうにゅうされるようになった。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 福井ふくいたもつ書目しょもく」(『国史こくしだい辞典じてん 7』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1986ねんISBN 978-4-642-00507-4

参考さんこう文献ぶんけん

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