(Translated by https://www.hiragana.jp/)
秋津洲 (防護巡洋艦) - Wikipedia コンテンツにスキップ

秋津あきつしま (防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
秋津あきつしゅう
1897年2月2日神戸港の秋津洲(中央)[1]
1897ねん2がつ2にち神戸こうべこう秋津あきつしま(中央ちゅうおう)[1]
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 横須賀造船所よこすかぞうせんじょ[2][3]
(横須賀よこすか造船ぞうせん[4][5])
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ さんとう巡洋艦じゅんようかん[2](防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん[6])
建造けんぞう 981,555えん[2]
母港ぼこう 佐世保させぼ[7]
かんれき
計画けいかく 明治めいじ22ねん[4](1889ねん)
起工きこう 1890ねん4がつ15にち[8][6]
進水しんすい 1892ねん7がつ7にち[3][6][5]
竣工しゅんこう 1894ねん3月31にち[3][6]
除籍じょせき 1921ねん4がつ30にち軍艦ぐんかんせき[3]
1927ねん1がつ10日とおか特務とくむていせき[4]
その 1927ねん7がつ29にち売却ばいきゃくのち解体かいたい[4]
要目ようもく
排水はいすいりょう 計画けいかく:3,500えいトン[8]
3,189トン[2]
または、3,172えいトン[9][3]
1894ねん6がつ:3,150えいトン[10]
水線すいせんちょう 301 ft 11 in (92.02 m)[11]
垂線すいせんあいだちょう 計画けいかく:91.700m[8]
300 ft 10 in (91.69 m)[11]
または301 ft 4+316 in (91.85 m)[2]
はば 計画けいかく:13.100m[8]
43 ft 1 in (13.13 m)[2]
または43 ft 0 in (13.11 m)[11]
ふか 29 ft 2+516 in (8.90 m)[2]
吃水きっすい 計画けいかく:17 ft 5+916 in (5.32 m)[8]
平均へいきん:17 ft 6 in (5.33 m)[11]
または17 ft 5+58 in (5.32 m)[2]
ボイラー こうえんかん[12] 両面りょうめん[13]4[14]
補助ほじょかん:だい1しょう1[12]
おも よこおけ3気筒きとう3だんレシプロ 2[15][13]
推進すいしん 2じく[15][16]
出力しゅつりょく 計画けいかく:8,000馬力ばりき[8]、または8,500馬力ばりき[2]、あるいは8,400馬力ばりき[16][15]
おおやけためし:4,198馬力ばりき[9]
試運転しうんてん:最大さいだい4,403.6馬力ばりき平均へいきん4,257.3馬力ばりき[17]
速力そくりょく 計画けいかく:19ノット[8][2]
試運転しうんてん:最大さいだい17.5ノット、平均へいきん16.7ノット[17]
またはおおやけためし:17.3ノット[9]
燃料ねんりょう 石炭せきたん:800トン[14]
1904ねん:石炭せきたん500トン[18][9]
または石炭せきたん:定量ていりょう300トン、くらりょう550トン[2]
乗員じょういん 1893ねん11月定員ていいん:314めい[19]
へいそう 15cmほう 4もん[2]
12cmほう 6もん[2]
47mm重砲じゅうほう 8もん[2]
8mm5連装れんそうほう 4[2]
魚雷ぎょらい発射はっしゃかん 4もん[2]
装甲そうこう 甲板かんぱん:3in(76.2mm)[20]、または平坦へいたん1in1/2(38.1mm)、傾斜けいしゃ3in(76.2mm)[2]
ほうたて:4.5in(114.3mm)[20]
その ふねざい:はがね[3]
テンプレートを表示ひょうじ

秋津あきつしゅう(あきつしま)は、日本にっぽん海軍かいぐん防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん[6]設計せっけいから建造けんぞうまでのすべてをはじめて日本にっぽん国内こくないおこなった巡洋艦じゅんようかんである。 かんめい秋津あきつしゅう日本にっぽんこく別称べっしょうになる[3]

概要がいよう

[編集へんしゅう]

ほんかん元々もともと松島まつしまがた防護ぼうご巡洋艦じゅんようかんの4ばんかんとして計画けいかくされたが途中とちゅう建造けんぞう中止ちゅうしされ、設計せっけい一新いっしんしたまったくのべつかんとして日本にっぽん海軍かいぐん設計せっけいし、日本にっぽん建造けんぞうされた。タイプシップとしてアメリカ海軍かいぐん防護ぼうご巡洋艦じゅんようかんボルチモア」を模倣もほうした。 にちしん戦争せんそうにち戦争せんそうだいいち世界せかい大戦たいせん参加さんかした[3]

かんがた

[編集へんしゅう]

機関きかん

[編集へんしゅう]

ボイラーはのち補助ほじょかんしょう撤去てっきょさらのちすべてを宮原みやはらかん8交換こうかんした[12]

へいそう

[編集へんしゅう]
竣工しゅんこうほんかん

ほんかん武装ぶそう日本にっぽんがイギリス企業きぎょう依存いぞんしていたため「アームストロング 1892ねんがた 15.2cm(40口径こうけい)速射そくしゃほう」を採用さいようした。このほうはイギリスぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんロイヤル・サブリンきゅう」やイタリアぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんレ・ウンベルトきゅう」のふくほうにも採用さいようされている優秀ゆうしゅうほうである。その性能せいのうは45.3kgの砲弾ほうだんを、最大さいだい仰角ぎょうかく15で9,140mまでとどかせられた。このほうぼうたていたたんそうほう舷側げんそくケースメイト(ほうかく)配置はいちかたふなばた2ずつけい4配置はいちした。俯仰ふぎょう能力のうりょく仰角ぎょうかく15俯角ふかく3である。旋回せんかい角度かくど舷側げんそく方向ほうこうを0として左右さゆう150旋回せんかい角度かくどつ、砲身ほうしん俯仰ふぎょう砲塔ほうとう旋回せんかい砲弾ほうだんあげだん装填そうてんおも人力じんりき必要ひつようとした。発射はっしゃ速度そくどは1分間ふんかんに5~7はつはやかった。

たい水雷すいらいてい迎撃げいげきように「アームストロング 1894ねんがた 12cm(40口径こうけい)たんそう速射そくしゃほう」をぼうたていたたんそうほうかんくび甲板かんぱんじょうに1ずつと舷側げんそく中央ちゅうおうかたふなばた2ずつのけい6近接きんせつ戦闘せんとうようとしてこの時代じだい軍艦ぐんかんひろ採用さいようされたフランスオチキスしゃの「オチキス 4.7cm(40口径こうけい)ほう」をたんそうほうで8装備そうびした。たいかん攻撃こうげきように35.6cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかんけい4装備そうびしていた。

秋津あきつしゅう
基本きほん情報じょうほう
かんしゅ とう海防かいぼうかん[5]
母港ぼこう 佐世保させぼ[5]
かんれき
要目ようもく(1920ねん調ちょう[5]
常備じょうび排水はいすいりょう 3,172えいトン
なが 300 ft 10+932 in (91.70 m)
最大さいだいはば 43 ft 1+12 in (13.14 m)
吃水きっすい 17 ft 5+916 in (5.32 m)
ボイラー 宮原みやはらしきかん 8
おも よこおけ3気筒きとう3だんレシプロ
推進すいしん 2じく
出力しゅつりょく 8,516馬力ばりき
速力そくりょく 19ノット
燃料ねんりょう 石炭せきたん:491トン
乗員じょういん 271めい
へいそう やすしき15cmほう 4もん
やすしき12cmほう 6もん
しき5cmほう 8もん
あさしき6.5mmほう 1てい(警備けいびは2てい)
探照灯たんしょうとう 4
搭載とうさいてい 8せき
テンプレートを表示ひょうじ

かんれき

[編集へんしゅう]

建造けんぞう

[編集へんしゅう]

1890ねん(明治めいじ23ねん)4がつ15にち[8][注釈ちゅうしゃく 1] 横須賀よこすか造船ぞうせん起工きこう[4]1892ねん(明治めいじ25ねん)7がつ7にち進水しんすい[4]1894ねん(明治めいじ27ねん)3がつ31にち竣工しゅんこうだい一種いっしゅ編入へんにゅうされた[4]

にちしん戦争せんそう

[編集へんしゅう]

にちしん戦争せんそうでは、豊島としまおき海戦かいせん黄海こうかい海戦かいせん大連たいれん旅順りょじゅん威海衛いかいえい澎湖とう攻略こうりゃく作戦さくせんとう参加さんかした[4]

1898ねん

[編集へんしゅう]

1898ねん3月21にちさんとう巡洋艦じゅんようかん類別るいべつされた[4]同年どうねん5がつから9がつにかけて、べい西にし戦争せんそうにより邦人ほうじん保護ほごのためマニラ香港ほんこん派遣はけんされた[4]

1900ねん

[編集へんしゅう]

1900ねん6がつから10がつにかけて義和よしかずだんらんのためしば警備けいび従事じゅうじした[4]

にち戦争せんそう

[編集へんしゅう]

にち戦争せんそうさいしては、旅順りょじゅん攻略こうりゃく作戦さくせん黄海こうかい海戦かいせん日本海にほんかい海戦かいせん樺太からふと作戦さくせんひとし参加さんか[4]

1908ねん

[編集へんしゅう]

1908ねん(明治めいじ41ねん)9がつまで、だい修理しゅうり(だい改造かいぞう)を施行しこうした[5]

1912ねん

[編集へんしゅう]

1912ねん8がつ28にちとう海防かいぼうかん類別るいべつ変更へんこう[4]

だいいち世界せかい大戦たいせん

[編集へんしゅう]

だいいち世界せかい大戦たいせんでは、青島ちんたお攻略こうりゃくせん参加さんかフィリピンシンガポール方面ほうめん警備けいび活動かつどう従事じゅうじした[4]

除籍じょせき

[編集へんしゅう]

1921ねん4がつ30にち軍艦ぐんかんせきのぞかれ(除籍じょせき)[3]同日どうじつ特務とくむてい編入へんにゅう潜水せんすいかんははてい類別るいべつ横須賀よこすか使用しようされた[4]

1927ねん1がつ10日とおか特務とくむていせきのぞかれ、同年どうねん7がつ29にち売却ばいきゃくされ横須賀よこすか解体かいたいされた[4]

艦長かんちょう

[編集へんしゅう]

※『日本にっぽん海軍かいぐんだい9かんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれきおよび『官報かんぽう』にもとづく。階級かいきゅう就任しゅうにんのもの。

  • (心得こころえ)上村うえむら彦之すすむ 少佐しょうさ:1894ねん6がつ8にち - 12月7にち
  • 上村うえむら彦之すすむ 大佐たいさ:1894ねん12月7にち - 1895ねん7がつ25にち
  • 植村うえむらえいまこと 大佐たいさ:1895ねん7がつ25にち - 1896ねん4がつ1にち
  • 高木たかぎ英次郎えいじろう 大佐たいさ:1896ねん4がつ1にち - 1896ねん6がつ5にち
  • 瓜生うりゅう外吉そときち 大佐たいさ:1897ねん1がつ27にち - 6月1にち
  • 向山むかいやま慎吉しんきち 大佐たいさ:1897ねん6がつ1にち - 6月26にち
  • 井上いのうえりょうさとし 大佐たいさ:1897ねん6がつ26にち - 12月27にち
  • 斎藤さいとうみのる 大佐たいさ:1897ねん12月27にち - 1898ねん10がつ1にち
  • なしおこり 大佐たいさ:1898ねん10がつ1にち - 1899ねん5がつ24にち
  • (心得こころえ)玉利たまりちかしけん 中佐ちゅうさ:1899ねん5がつ24にち - 9月29にち
  • 玉利たまりちかしけん 大佐たいさ:1899ねん9がつ29にち - 10月7にち
  • 藤井ふじい較一 大佐たいさ:1899ねん10がつ7にち - 1900ねん5がつ20日はつか
  • (心得こころえ)荒木あらき亮一りょういち 中佐ちゅうさ:1900ねん5がつ20日はつか - 8がつ23にち
  • 岩崎いわさき達人たつひと 大佐たいさ:1900ねん8がつ23にち - 1901ねん1がつ23にち
  • 上原うえはら伸次しんじろう 大佐たいさ:1901ねん1がつ23にち - 1901ねん4がつ1にち
  • 加藤かとう定吉さだきち 大佐たいさ:1903ねん4がつ12にち - 10月12にち
  • 山屋やまや他人たにん 中佐ちゅうさ:1903ねん10がつ12にち - 1905ねん1がつ7にち
  • 広瀬ひろせまさるいにしえ 中佐ちゅうさ:1905ねん1がつ7にち - 6月14にち
  • 西山にしやま保吉やすきち 中佐ちゅうさ:1905ねん6がつ14にち - 8がつ5にち
  • 牛田うしだしたがえさんろう 大佐たいさ:1905ねん8がつ5にち - 12月12にち
  • 土屋つちやひかりきん 大佐たいさ:1906ねん5がつ10日とおか - 12月24にち
  • 吉見よしみいぬいかい 大佐たいさ:1906ねん12月24にち - 1907ねん2がつ4にち
  • 真野まのいわお次郎じろう 大佐たいさ:1907ねん2がつ4にち - 1908ねん3がつ25にち
  • 山本やまもと竹三郎たけさぶろう 大佐たいさ:1908ねん3がつ25にち - 5月15にち
  • 河野こうのひだり金太きんた 中佐ちゅうさ:1908ねん5がつ16にち - 8がつ28にち
  • 秋山あきやま真之まさゆき 大佐たいさ:1908ねん8がつ28にち - 12月10にち
  • 中野なかの直枝なおえ 大佐たいさ:1908ねん12がつ10日とおか - 1909ねん3がつ4にち
  • こころざし津田つだ定一郎さだいちろう 中佐ちゅうさ:1909ねん3がつ4にち - 11月1にち
  • 山中さんちゅうしばきち 大佐たいさ:1909ねん3がつ10日とおか - 12月1にち
  • 安保あぼきよししゅ 中佐ちゅうさ:1910ねん12月1にち - 1911ねん1がつ16にち
  • 片岡かたおか栄太郎えいたろう 大佐たいさ:1911ねん1がつ16にち - 6月28にち
  • 布目ぬのめみつるづくり 大佐たいさ:1911ねん6がつ28にち - 12月1にち
  • 西尾にしお雄治郎ゆうじろう 大佐たいさ:1912ねん4がつ1にち - 12月1にち
  • 青山あおやまかおるとく 大佐たいさ:1912ねん12月1にち - 1913ねん12月1にち
  • 有馬ありまじゅん 中佐ちゅうさ:1913ねん12月1にち - しょう
  • 加藤かとう壮太そうたろう 大佐たいさしょう - 1916ねん1がつ26にち
  • 宮治みやじみん三郎さぶろう 中佐ちゅうさ:1916ねん1がつ26にち - 12月1にち
  • 井手いで元治もとはる 中佐ちゅうさ:1916ねん12月1にち - 1917ねん12月1にち
  • むかい邦一くにかず 中佐ちゅうさ:1917ねん12月1にち[21] - 1918ねん7がつ23にち[22]
  • 鳥崎とりざきさん 中佐ちゅうさ:1918ねん7がつ23にち - 1919ねん11月20にち
  • 森本もりもとうさぎひさ 中佐ちゅうさ:1919ねん11月20にち[23] - 1920ねん11月15にち[24]
  • なな今朝けさいち 中佐ちゅうさ:1920ねん11月15にち - 1921ねん4がつ6にち

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ #浅井あさい(1928)p.69などでは、起工きこう1890ねん(明治めいじ23ねん)3がつ15にちとなっている。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ #ぜん艦艇かんてい(1994)上巻じょうかんp.160、No.338
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q #日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん明治めいじ(1973)355-358ぺーじ
  3. ^ a b c d e f g h i #浅井あさい(1928)pp.69-70「73 秋津あきつしま Akitusima.」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 中川なかがわつとむ主要しゅよう艦艇かんていかんれきひょう#ぜん艦艇かんてい(1994)資料しりょうへんp.3、秋津あきつしゅう
  5. ^ a b c d e f #戦史せんし叢書そうしょ31海軍かいぐんぐん戦備せんび1付表ふひょうだいいちそのいち大正たいしょう九年三月調艦艇要目等一覧表 そのいち 軍艦ぐんかん
  6. ^ a b c d e #日本にっぽん戦艦せんかん(うえ)2001p.27
  7. ^ #うちれい提要ていよう7はん/艦船かんせん(1)画像がぞう1-3、艦艇かんてい本籍ほんせきべつ一覧いちらんひょう 大正たいしょうよんねんよんがついちにち調ちょう
  8. ^ a b c d e f g h #横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう(1973)だい3かんp.86
  9. ^ a b c d #帝国ていこく海軍かいぐん機関きかん(1975)下巻げかんp.281、戦役せんえき従軍じゅうぐん艦艇かんてい及其の最近さいきん高力こうりき運転うんてん成績せいせき
  10. ^ #海軍かいぐん軍備ぐんび沿革えんかくp.48
  11. ^ a b c d #日本にっぽん戦艦せんかん(うえ)2001p.106
  12. ^ a b c #日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん明治めいじ(1973)418ぺーじ
  13. ^ a b #日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん明治めいじ(1973)434ぺーじ
  14. ^ a b #日本にっぽん戦艦せんかん(した)2001p.42
  15. ^ a b c #日本にっぽん戦艦せんかん(した)2001p.48
  16. ^ a b #日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん明治めいじ(1973)377ぺーじ
  17. ^ a b #横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう(1973)だい3かんp.185
  18. ^ #帝国ていこく海軍かいぐん機関きかん(1975)下巻げかんp.263、戦役せんえきちゅう艦艇かんてい石炭せきたん搭載とうさい成績せいせきひょう
  19. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく10-1(1972)pp.193-195、明治めいじ26ねん11月30にち(みことのりれい222)軍艦ぐんかんだんたい定員ていいんひょう
  20. ^ a b #日本にっぽん戦艦せんかん(うえ)2001p.216
  21. ^ 官報かんぽうだい1601ごう大正たいしょう6ねん12月3にち
  22. ^ 官報かんぽうだい1793ごう大正たいしょう7ねん7がつ24にち
  23. ^ 官報かんぽうだい2190ごう大正たいしょう8ねん11月21にち
  24. ^ 官報かんぽうだい2488ごう大正たいしょう9ねん11月16にち

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき)(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)
    • だい72ごう 7はん ないれい提要ていよう かん/だい3るい 艦船かんせん(1)』。Ref.C13072068600。 
  • 浅井あさいすすむしげる/へん日本にっぽん海軍かいぐん艦船かんせんめいこう東京とうきょうすい交社、1928ねん12月。 
  • いずみさん軍艦ぐんかんメカニズム図鑑ずかん 日本にっぽん戦艦せんかん うえ』グランプリ出版しゅっぱん、2001ねん4がつISBN 4-87687-221-X 
  • いずみさん軍艦ぐんかんメカニズム図鑑ずかん 日本にっぽん戦艦せんかん 』グランプリ出版しゅっぱん、2001ねん5がつISBN 4-87687-222-8 
  • 海軍かいぐんしょう/へん海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まきじゅうの1』 明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい182かんはら書房しょぼう、1972ねん4がつ原著げんちょ1940ねん)。 
  • 海軍かいぐん軍備ぐんび沿革えんかく」、海軍かいぐん大臣だいじん官房かんぼう、1921ねん10がつ 
  • 海軍かいぐん歴史れきし保存ほぞんかい日本にっぽん海軍かいぐんだい7かんだい9かんだい10かん第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん、1995ねん
  • くれ海事かいじ歴史れきし科学かがくかんへん日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう巡洋艦じゅんようかんダイヤモンド社だいやもんどしゃ、2005ねん
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい32しゅう 日本にっぽん巡洋艦じゅんようかん」(海人あましゃ)
  • 造船ぞうせん協会きょうかい日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん 明治めいじ時代じだい明治めいじひゃくねん叢書そうしょはら書房しょぼう、1973ねん原著げんちょ1911ねん)。 
  • 日本にっぽん舶用はくよう機関きかん編集へんしゅう委員いいんかい/へん帝国ていこく海軍かいぐん機関きかん明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい245かんはら書房しょぼう、1975ねん11月。 
  • 福井ふくい静夫しずお写真しゃしん 日本にっぽん海軍かいぐんぜん艦艇かんてい』ベストセラーズ、1994ねんISBN 4-584-17054-1 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ海軍かいぐんぐん戦備せんび<1> 昭和しょうわじゅうろくねんじゅういちがつまで』 戦史せんし叢書そうしょだい31かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1969ねん 
  • 横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう/へん横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい170かんはら書房しょぼう、1973ねん3がつ原著げんちょ1915ねん)。 *『官報かんぽう

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]
  • 'Akitsushima' (1890)ほんかん竣工しゅんこう写真しゃしん、スペックがあるページ。(英語えいご)