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笠置かさぎ (防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1898年、神戸における笠置
かんれき
計画けいかく だいいち拡張かくちょう計画けいかく[1]
発注はっちゅう
建造けんぞうしょ ウィリアム・クランプ・アンド・サンズ造船ぞうせんフィラデルフィア造船ぞうせんしょ
起工きこう 1897ねん2がつ13にち
進水しんすい 1898ねん1がつ20日はつか
竣工しゅんこう 1898ねん10がつ24にち
喪失そうしつ 1916ねん7がつ20日はつか 座礁ざしょう
同年どうねん8がつ10日とおか 船体せんたい破壊はかい
除籍じょせき 1916ねん11月5にち
要目ようもく[2]
排水はいすいりょう 常備じょうび:4,862トン[3]
全長ぜんちょう 114.15m垂線すいせんあいだちょう
全幅ぜんぷく 14.91m
吃水きっすい 5.44m
機関きかん えんかん12
直立ちょくりつがた4気筒きとう3だん膨張ぼうちょうレシプロ2
2じく、15,500馬力ばりき
速力そくりょく 22.5ノット
航続こうぞく距離きょり 10ノットで4,000うみさと
燃料ねんりょう 石炭せきたん1,000トン
乗員じょういん 405めい
へいそう 45口径こうけい20.3cmたんそう速射そくしゃほう2もん
40口径こうけい12cmたんそう速射そくしゃほう10もん
40口径こうけい7.6cmたんそう速射そくしゃほう12もん
4.7cmたんそう速射そくしゃほう6もん
35.6cm水上すいじょう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん5もん
装甲そうこう 甲板かんぱん傾斜けいしゃ:89mm(千歳ちとせ
信号しんごう GQJT(1898ねん~)[4]

笠置かさぎ(かさぎ/かさき)[5] は、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん笠置かさぎがた1ばんかんである。かんめい京都きょうと笠置山かさぎやまによる[6]へいそうどう時期じきにイギリスへ発注はっちゅうされた「高砂たかさご」とほぼおなじである。

かんれき

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にちしん戦争せんそう1896ねん明治めいじ29ねん)、ろくろく艦隊かんたい計画けいかくだいいち拡張かくちょう計画けいかくでは3せき防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん計画けいかくされ、1せきイギリス、2せきアメリカ発注はっちゅうされた。アメリカへの発注はっちゅう外交がいこうじょう配慮はいりょからとわれている。アメリカに発注はっちゅうされた2せき笠置かさぎがたばれ、1ばんかんほんかんクランプしゃ発注はっちゅうされ「だいいちごうとう巡洋艦じゅんようかん」として建造けんぞう開始かいしされた。日本にっぽん海軍かいぐんはイギリスとアメリカで建造けんぞうされる軍艦ぐんかん4せきかんめい検討けんとうだいいちごうとう巡洋艦じゅんようかんは「千早ちはや」または「白根しらね」を予定よていしていた[7]1897ねん明治めいじ30ねん)3がつ26にちだいいちごうとう巡洋艦じゅんようかんは「笠置かさぎ」と命名めいめいされる[5]。「笠置かさぎ」はだいごうとう巡洋艦じゅんようかん予定よていされていた名称めいしょうであった[7] が、同艦どうかんは「千歳ちとせ」と命名めいめいされた[5]

1898ねん明治めいじ31ねん)3がつ21にち日本にっぽん海軍かいぐん海軍かいぐん軍艦ぐんかんおよ水雷すいらいてい類別るいべつ標準ひょうじゅん制定せいていし、3,500トン以上いじょう7,000トン未満みまん巡洋艦じゅんようかんを「とう巡洋艦じゅんようかん」と定義ていぎ[8]。4,862トンの笠置かさぎとう巡洋艦じゅんようかん類別るいべつされた[9][10]

同年どうねん10がつ24にちフィラデルフィア造船ぞうせんしょにて竣工しゅんこう[6]翌日よくじつデラウェア挙行きょこうされたべい西にし戦争せんそう凱旋がいせん記念きねん観艦式かんかんしき参列さんれつした。同年どうねん11がつ2にちにアメリカを出発しゅっぱつ、イギリス・アームストロングしゃにてへいそう搭載とうさいした。1899ねん明治めいじ32ねん)3がつ16にちポーツマス出港しゅっこう[11]。5月16にち横須賀よこすか到着とうちゃくした[12]

1900ねん明治めいじ33ねん)の義和よしかずだんらんにより5がつ30にち横須賀よこすか出港しゅっこう[13]、6月4にちだい進出しんしゅつした[14]同日どうじつ士官しかん5めい水兵すいへい69めい陸戦りくせんたいとして天津てんしん派遣はけんした[14]。9月に帰国きこく

1902ねん7がつ、アメリカ政府せいふからマーカスとう南鳥島みなみとりしま占領せんりょう許可きょかたアンドリュー・A・ローズヒルというものしまへとかった[15]。これをけて日本にっぽん政府せいふは「笠置かさぎ」を派遣はけん[16]。「笠置かさぎ」はローズヒルいちぎょうまえの7がつ27にち南鳥島みなみとりしまき、陸戦りくせんたい上陸じょうりくさせて横須賀よこすかもどった[17]しまいたローズヒルいちぎょうは、結局けっきょくかえすこととなった[18]

1903ねん明治めいじ36ねん)4がつ神戸こうべおき挙行きょこうされただい演習えんしゅう観艦式かんかんしき参列さんれつだいれつ配置はいちされた[19]。12月28にち常備じょうび艦隊かんたいかいたいされ、戦艦せんかん中心ちゅうしんとするだいいち艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん東郷とうごう平八郎へいはちろう海軍かいぐん中将ちゅうじょう旗艦きかん戦艦せんかん三笠みかさ)と巡洋艦じゅんようかん主体しゅたいだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん上村うえむら彦之すすむ海軍かいぐん中将ちゅうじょう旗艦きかん装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん出雲いずも)が設置せっちされる。だいいちだい艦隊かんたい連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん東郷とうごう中将ちゅうじょう)を構成こうせいした。笠置かさぎだいいち艦隊かんたい隷下れいかだいさん戦隊せんたい防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん千歳ちとせ笠置かさぎ吉野よしの高砂たかさご》)に配属はいぞくされる[20]

1904ねん明治めいじ37ねん)からのにち戦争せんそうでは旅順りょじゅん攻略こうりゃく作戦さくせん黄海こうかい海戦かいせんひとし参加さんか翌年よくねん5がつ27にち日本海にほんかい海戦かいせんにも参加さんかした。戦勝せんしょうの10がつ23にち横浜よこはまおき挙行きょこうされた凱旋がいせん観艦式かんかんしき参列さんれつだいれつ配置はいちされた[21]

1910ねん明治めいじ43ねん)に海軍兵学校かいぐんへいがっこう38栗田くりた健男たけおふじ存知ぞんち三川みかわ軍一ぐんいちら)の少尉しょうい候補こうほせいハワイ方面ほうめん航海こうかい

からし革命かくめいなかの1911ねん11月25にちから12月3にちにかけて砲艦ほうかん鳥羽とば」をれたうわきドックを佐世保させぼから上海しゃんはいまで曳航えいこうした[22]

だいいち世界せかい大戦たいせんでは青島ちんたお攻略こうりゃく作戦さくせん参加さんか、そのみなみささえ方面ほうめん警備けいび従事じゅうじした。1915ねん大正たいしょう4ねん)12月4にち横浜よこはまおき挙行きょこうされた大礼たいれい特別とくべつ観艦式かんかんしき参列さんれつ[23]

大戦たいせんちゅう1916ねん大正たいしょう5ねん)、にち戦争せんそう戦利せんりかんである戦艦せんかん相模さがみ」は「ペレスヴェート」(ロシア: Пересвет)にかんめいもどし、ウラジオストクわたされた。ペレスヴェートは5月23にちどう港外こうがい座礁ざしょう[24]笠置かさぎ横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう舞鶴まいづる海軍かいぐん工廠こうしょう職工しょっこう遭難そうなん現場げんばまで移送いそうした[25][26][27]同年どうねん7がつ2にち給油きゅうゆせんこころざし岐丸秋田あきたけん土崎つちざきこう入港にゅうこうさいふうなみながされ坐洲ざす[28]同船どうせん曳航えいこうするため、18にち横須賀よこすか出港しゅっこうして秋田あきたかうが20日はつか函館はこだて女那川めながわまち尻岸内川しりきしないがわおきにて座礁ざしょう、8がつ10日とおか船体せんたい破壊はかいされた。同年どうねん11がつ5にち除籍じょせき[29][30]、12月12にち売却ばいきゃくされた。

艦長かんちょう

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※『日本にっぽん海軍かいぐんだい9かんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれきおよび『官報かんぽう』にもとづく。

回航かいこう委員いいんちょう
  • 柏原かしわばらちょうしげる 大佐たいさ:1898ねん3がつ1にち -
艦長かんちょう
  • 柏原かしわばらちょうしげる 大佐たいさしょう - 1899ねん6がつ9にち
  • 永峰ながみねひかりまこと 大佐たいさしょう - 1900ねん12月6にち
  • 矢島やじまいさお 大佐たいさ:1900ねん12月6にち - 1901ねん10がつ1にち
  • 坂本さかもとはじめ 大佐たいさ:1901ねん10がつ1にち - 1902ねん10がつ23にち
  • 佐伯さえき 大佐たいさ:1902ねん10がつ25にち - 1903ねん4がつ12にち
  • 西にししん六郎ろくろう 大佐たいさ:1903ねん5がつ14にち - 9月11にち
  • 井手いで麟六 大佐たいさ:1903ねん9がつ11にち - 1905ねん1がつ7にち
  • 心得こころえ山屋やまや他人たにん 中佐ちゅうさ:1905ねん1がつ7にち - 1がつ12にち
  • 山屋やまや他人たにん 大佐たいさ:1905ねん1がつ12にち - 6月14にち
  • 有馬ありまりょうたちばな 大佐たいさ:1905ねん6がつ14にち - 12月12にち
  • 西山にしやま保吉やすきち 大佐たいさ:1905ねん12月12にち - 1907ねん8がつ5にち
  • 山縣やまがた文蔵ぶぞう 大佐たいさ:1907ねん8がつ5にち - 1908ねん4がつ20日はつか
  • 東郷とうごう吉太郎よしたろう 大佐たいさ:1908ねん9がつ15にち - 12月10にち
  • けん築山つきやませいさとし 大佐たいさ:1908ねん12がつ10日とおか - 1909ねん2がつ14にち
  • けん久保田くぼた彦七ひこしち 大佐たいさ:1909ねん2がつ14にち - 4がつ7にち
  • けん臼井うすいみきぞう 大佐たいさ:1909ねん11月1にち - 12月1にち
  • けん北野きたの勝也かつや 大佐たいさ:1910ねん2がつ16にち - 3月19にち
  • 山路やまじいちぜん 大佐たいさ:1910ねん3がつ19にち - 1911ねん4がつ12にち
  • 近藤こんどう常松つねまつ 大佐たいさ:1911ねん5がつ23にち - 12月1にち
  • 志摩しまたけし 大佐たいさ:1911ねん12月1にち - 1912ねん12月1にち
  • 岡田おかだ三善さんぜん 大佐たいさ:1913ねん5がつ24にち - 12月1にち
  • 飯田いいだひさつね 大佐たいさ:1913ねん12月1にち - 1914ねん5がつ27にち
  • 馬場ばばゆうない 大佐たいさ:1914ねん5がつ27にち -
  • 心得こころえ古川ふるかわ三郎さぶろう 中佐ちゅうさ:1914ねん11がつ10日とおか - 12月1にち
  • 古川ふるかわ三郎さぶろう 大佐たいさ:1914ねん12月1にち - 1915ねん7がつ19にち
  • 心得こころえ松村まつむらきくいさむ 中佐ちゅうさ:1915ねん9がつ25にち - 12月13にち
  • 桜井さくらい真清まきよ 大佐たいさ:1915ねん12月13にち - 1916ねん9がつ25にち

同型どうけいかん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく8(1971)p.9、明治めいじじゅうきゅうねん
  2. ^ 要目ようもくおもに『日本にっぽん巡洋艦じゅんようかん物語ものがたり』による。
  3. ^ 写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかんだい5かん』による。『日本にっぽん巡洋艦じゅんようかん物語ものがたり』によると常備じょうび排水はいすいりょう4,900トン。
  4. ^ 明治めいじ31ねん4がつ15にち官報かんぽうだい4434ごう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション コマ1 『|信號しんごう|艦艇かんていめい|GQJT|笠置かさぎ Kasagi|』
  5. ^ a b c 明治めいじ30ねん たち かん/3月(4)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070038100  p.3『いたるだいさんじゅうさんごう 英國えいこくニ於テ製造せいぞうだい一號甲鐡戰艦及第三號二等巡洋艦米國ニ於テ製造せいぞうだいいちごう及第きゅうだいごうとう巡洋艦じゅんようかんひだりつう命名めいめいセラル|明治めいじさんじゅうねんさんがつじゅうろくにち 海軍かいぐん大臣だいじん侯爵こうしゃく 西郷さいごう從道つぐみちだいいちかぶと鐡戰かん じきシキしまシマ|だいいちごうとう巡洋艦じゅんようかん かさカサおけ|だいごうとう巡洋艦じゅんようかん せんとしトセ|だいさんごうとう巡洋艦じゅんようかん こうタカすなサゴ
  6. ^ a b 海軍かいぐん有終ゆうしゅうかいへん幕末ばくまつ以降いこう帝国ていこく軍艦ぐんかん写真しゃしん史実しじつ』1935ねん 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション コマ55
  7. ^ a b 海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まき8』国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション コマ222『●水雷すいらいてい命名めいめい海軍かいぐん大臣だいじん委任いにんけん 明治めいじさんじゅうねんさんがつじゅうさんにち(官房かんぼうはち)(海軍かいぐん大臣だいじんヨリ侍從じじゅうちょうあて) だいいち海軍かいぐん擴張かくちょうトシテ製造せいぞうスヘキ軍艦ぐんかんノ內工事こうじちょしゅついミ其歩ヲすすむメタルモノモゆうこうづけ此際左記さきよんそうかんめい治定じじょう相成あいなこうさま致度また水雷すいらいてい多數たすうよしづけ其艇めい本職ほんしょく委任いにん相成あいなこうさまども執奏しっそう相成あいなたび此段及御照會しょうかいこう也 つい參考さんこうためかんめいひだり付記ふき致候也
    だいいちごうかぶと鐡戰かん じきシキしまシマ  しろシラ
    だいいちごうとう巡洋艦じゅんようかん せんはやハヤ  
    だいごうとう巡洋艦じゅんようかん かさカサおけ  さくハキ
    だいさんごうとう巡洋艦じゅんようかん くらクラうま  せんとしトセ
    編者へんしゃ註】さんがつじゅうはちにちなおさんよん參考さんこうかんめい出御しゅつぎょ沙汰ざたニヨリ岩倉いわくら侍從じじゅうしょく漢字かんじマデ差出さしでタルモノひだりノ如シ
    あさアサ せいこまコマ こうタカすなサゴ こうタカみね
  8. ^ 明治めいじ31ねん たち かん/3月(1)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070040500  pp.14-15『いたるだいさんじゅうよんごう 海軍かいぐん大臣だいじんニ於テべつひょう標準ひょうじゅんよりどころ軍艦ぐんかん及水かみなりてい類別るいべつ及等きゅうていわかハ其ノ變更へんこうくだりフコトヲとくセシメラル 明治めいじさんじゅういちねんさんがつじゅういちにち 海軍かいぐん大臣だいじん侯爵こうしゃく 西郷さいごう從道つぐみち
  9. ^ まき8』国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション コマ50『◎軍艦ぐんかん及水かみなりてい類別るいべつ等級とうきゅう 明治めいじさんじゅういちねんさんがつじゅういちにち(たちさん)軍艦ぐんかん及水かみなりてい類別るいべつ等級とうきゅうべつつうていム(別紙べっし)』
  10. ^ #たち明治めいじ31ねん3がつ(1)pp.16-17『いたるだいさんじゅうごう 軍艦ぐんかん及水かみなりてい類別るいべつ等級とうきゅうべつつうていム 明治めいじさんじゅういちねんさんがつじゅういちにち 海軍かいぐん大臣だいじん侯爵こうしゃく 西郷さいごう從道つぐみち軍艦ぐんかん|巡洋艦じゅんようかん|とう|浪速なにわ 高千穂たかちほ 嚴島いつくしま 松島まつしま 橋立はしたて 吉野よしの 高砂たかさご 笠置かさぎ 千歲ちとせ
  11. ^ 明治めいじ32ねん3がつ18にち官報かんぽうだい4711ごう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション コマ5 『○軍艦ぐんかんはつちょどう笠置かさぎいちさくじゅうろくにちジプローㇽターㇽニこうヒポーㇽツマスヲ、水雷すいらいてい驅逐くちくていかみなり同日どうじつジプローㇽターㇽニこうヒプリマスヲ孰モ拔錨ばつびょうどう叢雲むらくも同日どうじつコロンボヘ投錨とうびょうセリ(海軍かいぐんしょう)』
  12. ^ 明治めいじ32ねん5がつ17にち官報かんぽうだい4760ごう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション コマ4 『○軍艦ぐんかんはつちょどう富士ふじ八島やじま、鎭遠、高砂たかさご嚴島いつくしま橋立はしだて秋津あきつしま及須すりいちさくじゅうにち館山たてやま投錨とうびょうさくじゅうろくにちはちとうじょ同所どうしょ拔錨ばつびょうどう笠置かさぎ橫須賀よこすかヘ、どう武藏むさし根室ねむろヘ、同日どうじつ孰モ投錨とうびょう、…』
  13. ^ 明治めいじ33ねん 清国きよくに事変じへん海軍かいぐん戦史せんししょう まき1/艦船かんせん準備じゅんび人員じんいん補充ほじゅう(1)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C08040834400  pp.303-304(画像がぞう3・4)『事變じへんはじめマリテ笠置かさぎがつさんじゅうにち橫須賀よこすかはつヲ以テだいいちきたきよし派遣はけんセラレろくがつななにちいたり常磐ときわ吉野よしの高砂たかさご秋津州あきつしま須磨すまノ五艦淸韓露領沿岸巡航ノけん裁可さいかセラレ內須すりろくがつななにちおおやけはつニテさきンシテきたきよし派遣はけんセラレ吉野よしの出羽いずは司令しれいかんセテろくがつじゅうろくにち徳山とくやまはつニテきたきよし派遣はけんセラレ常磐ときわ以下いかざんさんかんひがし鄕司れい長官ちょうかんおやりつヒテろくがつじゅうきゅうにち佐世保させぼはつきたきよしこうヘリ』
  14. ^ a b 明治めいじ33ねん 清国きよくに事変じへん海軍かいぐん戦史せんし資料しりょう まき1:清国きよくに事変じへんかんする上奏じょうそう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C08040773000  画像がぞう4『按 左記さきしょけん執奏しっそう相成あいなたびこう也 明治めいじさんじゅうさんねんろくがつななにち 海軍かいぐん大臣だいじん 侍従じじゅうちょうあて …六月ろくがつよんにち 午前ごぜん九時四十五分帝國軍艦笠置大沽ニス 軍艦ぐんかん笠置かさぎヨリ陸戦りくせんたいトシテ士官しかんめい及水へいろくじゅうきゅうめい天津てんしん派遣はけんセリ』
  15. ^ 地図ちずからえた島々しまじま、167ページ
  16. ^ 地図ちずからえた島々しまじま、168ページ
  17. ^ 地図ちずからえた島々しまじま、168-169ページ
  18. ^ 地図ちずからえた島々しまじま、169ページ
  19. ^ 極秘ごくひ 明治めいじ37.8ねん海戦かいせん だい11 戦局せんきょく日誌にっし まき1」/だい1へん 開戦かいせんまえ明治めいじ36ねん4がつ8にちより37ねん2がつ5にちいたる)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C05110200200  画像がぞう3(p.5)『だいれつ千歲ちとせ笠置かさぎ高砂たかさご吉野よしの浪速なにわ高千穗たかちほ秋津あきつしま明石あかし須磨すま扶桑ふそう和泉いずみ千代田ちよだ、鎭遠』
  20. ^ 戦時せんじ日誌にっし 明治めいじ36.12.28~38.10.14/戦時せんじ日誌にっし(1)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C09050281400  画像がぞう3『開戰かいせんまえ 明治めいじさんじゅうろくねん十二月じゅうにがつじゅうはちにちつき) いち聯合れんごう艦隊かんたいひだりどおり編制へんせいセラル |聯合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんひがし中將ちゅうじょう)|だいいち艦隊かんたい長官ちょうかんひがし中將ちゅうじょう)|だいさん戰隊せんたい|千歲ちとせ笠置かさぎ吉野よしの高砂たかさご|』
  21. ^ 明治めいじさんじゅうななはちねん海戦かいせん. 下巻げかん 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション コマ370
  22. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい72かん 中国ちゅうごく方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうさんねんよんがつまで、102ページ
  23. ^ 大礼たいれい記録きろく国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション コマ255同時どうじ艦隊かんたい編成へんせいこうはれたり、ひだりごとし。…だいさん艦隊かんたい だいなな戰隊せんたい 津輕つがる平戸ひらど筑摩ちくま笠置かさぎ千歲ちとせ…』
  24. ^ 外国がいこく:17.国軍こくぐんかん旧名きゅうめい相模さがみ座礁ざしょうけん」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.B07090406200  画像がぞう2『こく軍艦ぐんかんこう坐礁ざしょうせきスルけん
  25. ^ 大正たいしょう5ねん6がつ1にち(木)もく海軍かいぐん公報こうほう だい1133ごう p.2」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070250600 『○艦船かんせん所在しょざいろくがついちにち午前ごぜんじゅう調ちょう航海こうかいちゅう笠置かさぎ(がつさんじゅう一日舞鶴發浦鹽斯徳へ)』
  26. ^ 大正たいしょう5ねん6がつ3にち(土)海軍かいぐん公報こうほう だい1135ごう p.6」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070250600 『○艦船かんせん所在しょざいろくがつさんにち午前ごぜんじゅう調ちょううらしお斯徳】笠置かさぎ
  27. ^ 大正たいしょう5ねん6がつ9にち(金)きん海軍かいぐん公報こうほう だい1140ごう p.21」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070250600 『○艦船かんせん所在しょざいろくがつきゅうにち午前ごぜんじゅう調ちょう航海こうかいちゅう笠置かさぎ(八日浦鹽斯徳發函館ヘ)』
  28. ^ 大正たいしょう5ねん 公文こうぶん備考びこう まき32 艦船かんせん9/遭難そうなんかんする調査ちょうさ書類しょるい(1)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C08020775600  画像がぞう8-11
  29. ^ 大正たいしょう5ねん たち かん:11月」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070071300  画像がぞう8『いたるだいひゃくじゅうよんごう 佐世保させぼ鎭守ちんじゅ在籍ざいせき 軍艦ぐんかん笠置かさぎ みぎ帝國ていこく軍艦ぐんかんせきヨリじょカル 大正たいしょうねんじゅういちがつにち 海軍かいぐん大臣だいじん 加藤かとう友三郎ともさぶろう
  30. ^ #大正たいしょう5ねんたちかん 画像がぞう8『いたるだいひゃくじゅうごう 艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅう「、笠置かさぎ」ヲそぎル 大正たいしょうねんじゅういちがつにち 海軍かいぐん大臣だいじん 加藤かとう友三郎ともさぶろう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 長谷川はせがわ亮一りょういち地図ちずからえた島々しまじま まぼろし日本にっぽんりょう南洋なんよう探検たんけんたち』吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2011ねんISBN 978-4-642-05722-6
  • 福井ふくい静夫しずお福井ふくい静夫しずお著作ちょさくしゅうだい4かん 日本にっぽん巡洋艦じゅんようかん物語ものがたり』(光人みつひとしゃ、1992ねんISBN 4-7698-0610-8
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょだい72かん 中国ちゅうごく方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうさんねんよんがつまでちょうくも新聞しんぶんしゃ
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかん だい5かん じゅうじゅんI』(光人みつひとしゃ、1989ねんISBN 4-7698-0455-5
  • 官報かんぽう
  • 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん
    • 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ へん大礼たいれい記録きろく朝日新聞あさひしんぶん合資ごうし会社かいしゃ、1916ねん 
    • 軍令ぐんれい へん明治めいじさんじゅうななはちねん海戦かいせん. 下巻げかん内閣ないかく印刷いんさつきょく朝陽あさひかい、1934ねん 
    • 海軍かいぐん有終ゆうしゅうかい へん幕末ばくまつ以降いこう帝国ていこく軍艦ぐんかん写真しゃしん史実しじつ海軍かいぐん有終ゆうしゅうかい、1935ねん 
    • 海軍かいぐん大臣だいじん官房かんぼう海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まき8』1940ねん 
  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • 明治めいじ30ねん たち かん:3月(4)』。Ref.C12070038100。 
    • 明治めいじ31ねん たち かん:3月(1)』。Ref.C12070040500。 
    • 明治めいじ33ねん 清国きよくに事変じへん海軍かいぐん戦史せんししょう まき1:艦船かんせん準備じゅんび人員じんいん補充ほじゅう(1)』。ref.C08040834400。 
    • 明治めいじ33ねん 清国きよくに事変じへん海軍かいぐん戦史せんし資料しりょう まき1:清国きよくに事変じへんかんする上奏じょうそう』。ref.C08040773000。 
    • 『「極秘ごくひ 明治めいじ37.8ねん海戦かいせん だい11 戦局せんきょく日誌にっし まき1」:だい1へん 開戦かいせんまえ明治めいじ36ねん4がつ8にちより37ねん2がつ5にちいたる)』。ref.C05110200200。 
    • 戦時せんじ日誌にっし 明治めいじ36.12.28~38.10.14:戦時せんじ日誌にっし(1)』。ref.C09050281400。 
    • 大正たいしょう5ねん 公文こうぶん備考びこう まき32 艦船かんせん9:遭難そうなんかんする調査ちょうさ書類しょるい(1)』。ref.C08020775600。 
    • 大正たいしょう5ねん たち かん:11月』。ref.C12070071300。 
    • 大正たいしょう5ねん 海軍かいぐん公報こうほう 部外ぶがい 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう大正たいしょう5ねん6がつ(1)』。ref.C12070250600。 
    • 外国がいこく:17.国軍こくぐんかん旧名きゅうめい相模さがみ座礁ざしょうけん』。ref.B07090406200。 

関連かんれん項目こうもく

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  • 笠置かさぎ [II](航空こうくう母艦ぼかん未成みせい