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はん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

はん(はんい)は、江戸えど時代じだいはんつかえた医師いしのこと。

佐賀さがはん川崎かわさき道民どうみん
万延まんえん元年がんねん(1860ねん))

概要がいよう[編集へんしゅう]

身分みぶん職制しょくせいなどはかくはんによりことなるが、江戸えど幕府ばくふおく医師いしひょうばん医師いしばん医師いし)と同様どうように、藩主はんしゅやその家族かぞくなどを担当たんとうする医師いしとその医師いしかれていた。武士ぶしとしての格式かくしき世襲せしゅうせき医師いしと、下級かきゅう武士ぶしあるいは民間みんかん出身しゅっしんである軽輩けいはい医師いしかれているれいおおい。家督かとく継承けいしょうまえあるいは修業しゅうぎょうちゅう部屋住へやずみりょうあたえられ、家督かとく継承けいしょうあるいは成業せいぎょうほんろくあたえられた。当時とうじ医学いがく慣例かんれいにならって、「本道ほんどう」とばれた内科ないか担当たんとうする医師いしと、外科げかをはじめ眼科がんか歯科しか鍼灸しんきゅうなどを一括いっかつした「ざつ」にけられていた。

藩主はんしゅ近侍きんじする侍医じいは、せき医師いしのうち医業いぎょう優秀ゆうしゅうものえらばれるのがれいであったが、まれに軽輩けいはい医師いし城下じょうか町村ちょうそん医師いし抜擢ばってきされる場合ばあいもあった。後者こうしゃ目見まみ医師いしぶ。このほかに、侍医じいしろめていないときに交代こうたいばんおこなってまんいちそなえるばん制度せいどがあった。

著名ちょめいはん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 片桐かたぎり一男かずおはん」(『国史こくしだい辞典じてん 11』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1990ねんISBN 978-4-642-00511-1

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]