(Translated by https://www.hiragana.jp/)
西欧の服飾 (15世紀) - Wikipedia コンテンツにスキップ

西欧せいおう服飾ふくしょく (15世紀せいき)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

15世紀せいき西欧せいおう服飾ふくしょく(せいおうのふくしょく)では、15世紀せいきフランス中心ちゅうしんとする西にしヨーロッパ地域ちいき服装ふくそうあつかう。

特徴とくちょう

[編集へんしゅう]
Junger Stutzer

15世紀せいき前半ぜんはん代表だいひょうてき中世ちゅうせい衣装いしょうであるゴシック様式ようしきファッション完成かんせいした時期じきである。ゴシック様式ようしき衣類いるいは、はっきりとしたいろづかい、奇抜きばつ装飾そうしょく誇張こちょうされた体型たいけい特徴とくちょうとしていた。

男性だんせいりあがったむねひろかたつくげるため、キルティングのプールポアンのむね袖付そでつけにあつ綿めんれてぎゃく三角形さんかっけいのシルエットをつくっていた。また下半身かはんしん全体ぜんたいおおうようになったホーズによってきしまったあし男性だんせい魅力みりょくかんがえる傾向けいこうまれる一方いっぽう女性じょせいあしあらわにすることを冒涜ぼうとくてき行為こういとして危険きけんした。

女性じょせいながスカートかくがた帽子ぼうしによって二等辺三角形にとうへんさんかっけいのシルエットをつくり、ウエスト位置いちむねのすぐしたまでがっていた。当時とうじ女性じょせいよこからてしなやかなSのラインをえがくスタイルを理想りそうとし、左右さゆうはなれた小振こぶりの乳房ちぶさのあたりからまるくふっくらしたはらといった要素ようそ当時とうじ美女びじょ共通きょうつうする要素ようそだった。

一方いっぽう14世紀せいき後半こうはんおおきくちからした商人しょうにん階級かいきゅうは、より活発かっぱつ商業しょうぎょう活動かつどうおこなうために製品せいひん増産ぞうさんもとめていた。それまで、製品せいひん個々ここ工房こうぼう修道院しゅうどういん細々こまごまつくられていたが、労働ろうどうりょく設備せつびいちしょあつめることで大量たいりょう品質ひんしつ安定あんていした製品せいひん供給きょうきゅうできる仕組しくみがつくげられた。これが工場こうじょうせい手工業しゅこうぎょう芽生めばえである。

1446ねんにはルイ11せいリヨン王立おうりつ工場こうじょう設立せつりつする。後年こうねんのフランス王室おうしつがファッション産業さんぎょうによってとみたくわえるようになるのは、これら王立おうりつ工場こうじょう技術ぎじゅつとセンスにささえられていた。また、とくに、おおくの裕福ゆうふくだい商人しょうにんかかえるフィレンツェでは都市としへのとみ集中しゅうちゅう商人しょうにん勢力せいりょく拡大かくだいによって、封建ほうけん領主りょうしゅやその庇護ひごける教会きょうかいによる干渉かんしょうはなれた人間にんげん礼賛らいさん古典こてん文芸ぶんげい復興ふっこうルネサンス)という風潮ふうちょうがっていく。西にしヨーロッパ封建ほうけん領主りょうしゅ度重たびかさなる戦争せんそうによって疲弊ひへいしていくなか、イタリアはファッションの中心ちゅうしんとして発展はってんする。

男子だんし服装ふくそう

[編集へんしゅう]

この時代じだい中世ちゅうせいてき建築けんちくぶつおもわせる大仰おおぎょう衣服いふく隆盛りゅうせいすると同時どうじに、イタリアからはじまるルネッサンスのながれでまれた開放かいほうてき軽快けいかい衣服いふく流行りゅうこうはじめている。

庶民しょみん

[編集へんしゅう]

農民のうみんは15世紀せいきとおしてゴネルというひざたけ程度ていどチュニックこしひもめ、ブラカエというだぶだぶのながブレーに、ホーズかわ短靴たんぐつというファッションで、中世ちゅうせい初期しょきおおきくわらない服装ふくそうであった。

まち人々ひとびとのうち、老人ろうじんぜん世紀せいきによくられていたペリソンというひざじょうたけ比較的ひかくてきゆるやかな上着うわぎをそのままていた。老人ろうじんほかにも法律ほうりつ学者がくしゃ文筆ぶんぴつ医師いしなど威儀いぎおもんじる職種しょくしゅひとたちはたけなが衣服いふくこのみ、シャウベというゆかきずるほどながいローブをこのんだ。

わか市民しみんこしたけからだにぴったりしたジポンプールポアンけていた。ジポンとプールポアンはよこびらきとぜんひらきという以外いがいおおきなちがいはないが、ジポンは15世紀せいき前半ぜんはんにはほとんどられなくなっていた。ブールポアンのうえから毛皮けがわひろえりをつけたごくみじかガウンることもおおかった。流行りゅうこうのプールポアンにはむねかたにパットがはいっており、ぴったりしたホーズにつつまれたきしまったあしとたくましい上半身じょうはんしん対照たいしょうをなそうとした。プールポアンとホーズはエギュイエットというリボンむすばれており、このリボンは若者わかものおしゃれ一環いっかんとして大変たいへん使つかってえらんだもので、男装だんそう騎士きしジャンヌダルクはなやかなホーズは20ほんものリボンでむすばれていた。

マントるいこしまでとどかないほどみじかかった。くつは15世紀せいきにわたって流行りゅうこうしたプーレーヌというさきながほそびたものをこのんだ。このくつ外出がいしゅつするときはトリッペンという下履したばきをはいた。帽子ぼうしぜん世紀せいき人気にんきがあったカウル頭巾ずきん一種いっしゅ)がやや下火したびになり、幅広はばひろ帽子ぼうしうえターバンのようにセンダルリボンというきぬおびくことが流行りゅうこうした。フランス内乱ないらんさいには、ブルゴーニュ右側みぎがわアルマニャック左側ひだりがわむすあまりをらし、いずれにもぞくさないものはあたまうえにまとめた。

上流じょうりゅう市民しみん

[編集へんしゅう]
L'Instruction d'un jeune prince

14世紀せいきまつから登場とうじょうしたウプランド豪商ごうしょうたちにもこのまれた。そではタイトな長袖ながそでやひらひらとした漏斗ろうとがたしたおおきくふくらんだふくろがたふしくれだったような棍棒こんぼうがたなど様々さまざまなものがられていた。そですそに、ホタテかたなみがた稲妻形いなづまがた城壁じょうへきがたなどにみをれるダッギング流行りゅうこうしていた。

15世紀せいきちゅうごろには有力ゆうりょく市民しみんわか子息しそくたちは、市松いちまつ模様もよううろこ模様もよう水玉みずたま模様もよう渦巻うずま模様もようしま模様もようとありとあらゆるいろ模様もよう衣装いしょうたと記録きろくされている。かれわか洒落しゃれしゃたちはイタリアの軽快けいかいなファッションをすぐにれ、デコルテふかったりおおきくひらいたVネックといったイタリアふう衣装いしょうよろこんでれた。おおきくひらいたえりきはひも装飾そうしょくてきめられ、やはりおおきくくびまわりがひらいた刺繍ししゅうをふんだんにほどこしたシュミーズのぞかせていた。そでもイタリアの伊達だておとこ真似まねて、途中とちゅうみをれて下着したぎのぞかせたり、かたひじのあたりで完全かんぜんはなしてしまってひもでつづりわせるったそでこのんだ。裕福ゆうふく上流じょうりゅう階級かいきゅうだけの特権とっけんてきかぶものだったビーバーぼうビーバー毛皮けがわおおったフェルトぼう)はひろもちいられるようになっていた。イタリアで流行りゅうこうしていたしろあかのダチョウの尾羽おはかざった帽子ぼうし非常ひじょう人気にんきたかく、いつでも品薄しなうすであった。

15世紀せいき前半ぜんはんにはおわんせたような髪型かみがたみみしたとうなじをりこんでいるため、かずらをかぶったようにえる髪型かみがた流行りゅうこうしていた。15世紀せいきちゅうごろからは自然しぜん長髪ちょうはつ流行りゅうこうし、樹脂じゅしかみをスタイリングしてから卵白らんぱく髪型かみがた固定こていした。とく使つか若者わかものててにするだけでなく、リボンやかざたいかみかざった。

上流じょうりゅう階級かいきゅう

[編集へんしゅう]

15世紀せいきはじめ、ドイツではハンガリーじん衣装いしょう真似まねふくのあちこちにすずけることが流行りゅうこうしていた。ドイツ周辺しゅうへんくににも流行りゅうこう伝播でんぱし、金属きんぞくせいのザクロがたすず頭巾ずきんくつ、マント、ベルトなどにるしたが、フランスじんにとってはすずらしてある姿すがた滑稽こっけいえたのかドイツから西にしにはほとんどひろまらなかった。この流行りゅうこう1460ねんごろに下火したびになるまでつづき、以降いこう道化師どうけし衣装いしょう痕跡こんせきのこった。

いっぽうフランスはイングランドとのなが戦争せんそう疲弊ひへいし、ゆたかで平穏へいおんブルゴーニュ地方ちほうがファッションの中心ちゅうしんになっていた。ウプランドはひざじょうたけまでみじかくなり、毛皮けがわえりけてVネックに仕立したてるなどより開放かいほうてきなデザインが主流しゅりゅうになった。衣装いしょうはぴったりとしていたのでベルトは必要ひつようなくなり、「角笛つのぶえおび」とばれるかたからななめにけるかざたいをつけるようになった。このころ勲章くんしょうにつけることがだい流行りゅうこうしていたので、「角笛つのぶえおび」は勲章くんしょうかざるのにちょうどよい場所ばしょ提供ていきょうした。ブルゴーニュの宮廷きゅうていもっともあらたまったいろくろとされ、あたらしい技術ぎじゅつあでやかにめられるようになったくろふく真珠しんじゅなどをかざったいたファッションが流行りゅうこうした。衣装いしょうは、それまでは大々的だいだいてき儀式ぎしきなどのときられたようなふんだんな刺繍ししゅう宝石ほうせきかざった豪奢ごうしゃ絹織物きぬおりものを、ちょっとした外交がいこう行事ぎょうじなどにもあるくようになった。ブルゴーニュのぜいたくな流行りゅうこうとして、かたにかけたうすきぬさきかざよう宝石ほうせきをふんだんにかざてた帽子ぼうしいつけていた。

女子じょし服装ふくそう

[編集へんしゅう]

この時代じだいからからだのラインをはっきりと服装ふくそう主流しゅりゅうとなった。農民のうみん女性じょせい衣装いしょうであったコルセというまえひもめしてつける衣装いしょう比較的ひかくてきゆたかな階級かいきゅうにもこのんでられるようになった。また、現在げんざいボディスにあたるこしまでをおおそでなしの衣装いしょう上流じょうりゅう階級かいきゅうこのんでられた。

フランスでは、ボディスにくじらほねれてこしめあげる現在げんざいコルセット直接ちょくせつ先祖せんぞにあたる胴衣どうい登場とうじょうしている。

庶民しょみん

[編集へんしゅう]
"Très Riches Heures du Duc de Berry"(ベリーこうのいとも豪華ごうかなるときいのりしょ)より

おおくの農民のうみんコットかさねてぜん時代じだいからのシンプルな服装ふくそうに、かみ頭巾ずきんスカーフおおっていた。こしかぎたば財布さいふなどをるし、あしにはかわぬのつくってなどでそこをつけたくつをはいていた。『ベリーこうのいとも豪華ごうかなるときいのりしょ』にはフランスの農民のうみんむすめが、まえひもめしてこしをほっそりとさせたあおワンピースしろ下着したぎうえにきている姿すがたえがかれている。このまえひもめする衣装いしょうはコルセとばれ、当初とうしょ農民のうみんむすめ衣装いしょうだったが、15世紀せいき中頃なかごろまでには比較的ひかくてきゆたかな階層かいそうむすめた。

15世紀せいきつくられた聖女せいじょぞうにはコルセをスカートをゆったりとひろげて豪華ごうか生地きじ仕立したてた衣装いしょうているものがある。これらの聖女せいじょぞう当時とうじ比較的ひかくてき裕福ゆうふくわか女性じょせい服飾ふくしょく参考さんこうにしたとおもわれ、かみみっにしてあたま両側りょうがわでまとめているもの、ゆるやかにうしろでったものなどがられる。後頭部こうとうぶおおきくした頭巾ずきん流行りゅうこうしているが、より優雅ゆうがとされたのはやはり14世紀せいきまつから登場とうじょうしたエナンぼうであった。15世紀せいきはいってからは、帽子ぼうし全体ぜんたいベールおおっている。くつ流行りゅうこうプーレーヌであった。

上流じょうりゅう市民しみん

[編集へんしゅう]

15世紀せいき前半ぜんはん豪華ごうか生地きじ仕立したてたコットや、コルセなどがられていた。かみあさなどのうすく、りのある生地きじわくって形作かたちづくった様々さまざまかぶものをかぶっていた。15世紀せいきちゅうごろからは、イタリアモードの影響えいきょうけてえりぐりをふかけたウプランドることが主流しゅりゅうとなる。台形だいけいけたものがおおかった、15世紀せいきわりがちかづくとふかいVネックがおおくなるようである。ウエスト位置いちむねまでのかなりのハイウエストとなり、スカートにはかなりながすそがついた。当時とうじのおしゃれであったそではず可能かのううでカバーがたのもの。刺繍ししゅうなどをほどこした)は一般いっぱん市民しみん女性じょせいは1つもつのが普通ふつうであったが、裕福ゆうふく市民しみん場合ばあいは5つも6つも所有しょゆうすることがあった。そでのために破産はさん状態じょうたいとなるものもいたという。

15世紀せいきはや時期じきには、くわえてかみをこめかみあたりでかくがたい、うえからベールのようなかぶものをかぶる髪型かみがた人気にんきであった。かおまわりにフリルけた頭巾ずきんをかぶることも流行りゅうこうしたが、15世紀せいき後半こうはんには老婆ろうば習俗しゅうぞくとなった。時代じだいくだると、かみうしろできつめてがく位置いちひろるスタイルが流行りゅうこうしている。こうしたヘッドドレス使つかうベールなどをかざるためにホワイトワークといって白糸しらいと使つかった刺繍ししゅう生地きじけたあなをかがる技術ぎじゅつがイタリアから導入どうにゅうされた。

上流じょうりゅう階級かいきゅう

[編集へんしゅう]

はや時期じきにはぜん世紀せいきつづコタルディられたが、極端きょくたんなハイウエストになった豪華ごうかなウプランドがおも流行りゅうこうした。すそは、ぞう横座よこずわりになっている乗馬じょうば姿すがた絵画かいがでさえも地面じめんのすぐじょうまでしだれているほどながい。また、 貴婦人きふじんのみがにつける衣装いしょうとして、アーミンしろテン)の毛皮けがわつくったそでなしでこしたけ上着うわぎ登場とうじょうしている。これは、シュールコー・トゥーベールまどがあいた上着うわぎ)とともに正装せいそうにおいてもちいられた。

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]