(Translated by https://www.hiragana.jp/)
酉陽雑俎 - Wikipedia コンテンツにスキップ

とりざつまないた

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

とりざつまないた』(ゆうようざっそ)は、中国ちゅうごくとうだいだんなりしきによる随筆ずいひつ[1]博物学はくぶつがくてき知識ちしきからごとだんまで様々さまざま内容ないようあつかう。860ねん咸通元年がんねんごろ成立せいりつぜん20かんおよびぞくしゅう10かん

概要がいよう[編集へんしゅう]

書名しょめいにある「とり」は地名ちめいで、現在げんざい湖南こなんしょう沅陵けんしょうとりさんのふもとをさす。そこにしょ1000かん秘蔵ひぞうしたあな存在そんざいするという伝承でんしょうのっとっている。

内容ないようは、神仙しんせんふつ菩薩ぼさつひとおにより、怪奇かいき事件じけん事物じぶつ風俗ふうぞく、さらには動植物どうしょくぶつおよ諸事しょじ万般ばんぱんにわたって、異事ことごとしるしており、中国ちゅうごく古典こてん文学ぶんがく小説しょうせつあるいは随筆ずいひつちゅうにおいてその広範こうはんさはいちあらそう。魯迅ろじん愛読あいどくしょであり、南方みなかた熊楠くまぐすプリニウスの『博物はくぶつ』としたしょとしてもられる[2][3]たとえば、継子けいしいじめたんである「げん」のはなしシンデレラ共通きょうつうせいたかい。

インドペルシアなどの海外かいがいかんする伝聞でんぶんおおしるされている。たとえばばち抜力こく西南せいなん海中かいちゅう西にしアジア中近東ちゅうきんとう)にあって「象牙ぞうげおもねすえこう龍涎香りゅうぜんこう)」をさんするとしるされ、現在げんざいソマリアベルベラ地方ちほうすとされる[4]

テキストのつてかんしては、不明ふめいてんおおく、こうしゅう10かんなかには、あきらだい遺文いぶん蒐集しゅうしゅうした部分ぶぶんすくなからずふくまれるとされる[5]

だんなりしき[編集へんしゅう]

撰者せんじゃだんなりしきは、とき宰相さいしょうけん南西なんせいかわ節度せつど使であっただんぶんあきらは柯古。あおしゅう臨淄けん出身しゅっしんほんぬきひとししゅう鄒平けんかん秘書ひしょしょうこうしょろうとなり、宮中きゅうちゅうにあるかく蔵書ぞうしょ精通せいつうしていた[6]。そのうえだんには蔵書ぞうしょおおく、また仏典ぶってんにもくわしかった。しゅう刺史ししふとしつねしょうきょうなどのかん歴任れきにんした。かんしてからは、じょうきょかまえ、863ねん(咸通4ねん)にぼっした[7]

きみ との関係かんけい[編集へんしゅう]

あるてらかれたこぶしほどのいしが、巨石きょせきになったとする伝説でんせつせる。これは、日本にっぽんこく国歌こっかきみ」の由来ゆらいとされる。

古今ここんしゅうまきだいなな343
わがきみ千代ちよ八千代やちよにさざれせきのいわほとなりてこけのむすまで

原案げんあんともなったとされ、きみとの関係かんけい指摘してきされる[8]

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 今西いまにし凱夫ときお小学館しょうがくかん 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)『とりざつまないた』 - コトバンク
  2. ^ 岡本おかもと綺堂きどう 1994, pp. 4–5.
  3. ^ 曾雪うめ & だんなりしき 2018.
  4. ^ 東洋文庫とうようぶんこばんによる。
  5. ^ 曾雪うめ & だんなりしき 2018, pp. 380–381.
  6. ^ 唐詩とうしせん. 岩波いわなみ文庫ぶんこ. (2000ねん10がつ16にち) 
  7. ^ とりざつまないた 1. 平凡社へいぼんしゃ東洋文庫とうようぶんこ. (1980ねん7がつ). p. 7 
  8. ^ 高田たかだゆう訳注やくちゅう新版しんぱん 古今ここん和歌集わかしゅう角川かどかわ文庫ぶんこ平成へいせい21(2009)ねん6がつ 初版しょはん、175ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]