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出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
各種かくしゅ表記ひょうき
繁体字はんたいじ
簡体字かんたいじ
拼音 Gōng
ちゅう音符おんぷごう ㄍㄨㄥ
ラテン Gong
広東かんとん発音はつおん Gung1
上海しゃんはい発音はつおん Cion1
台湾たいわん白話はくわ Kióng, Kéng
テンプレートを表示ひょうじ

(きょう)は、かんせいのひとつ。『ひゃくいえせい』の192番目ばんめ

2020ねん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくだい7かい全国ぜんこく人口じんこう調査ちょうさ中国語ちゅうごくごばん国勢調査こくせいちょうさ)にもとづく姓氏せいし統計とうけいによると中国ちゅうごくで89番目ばんめおおせいであり、282.36まんにんがいる[1][2]一方いっぽう台湾たいわんの2018ねん統計とうけいではだい90で、25,383にんがいる[3]

由来ゆらい

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つうこころざし』は春秋しゅんじゅう時代じだいすすむ大夫たいふの龔堅という人物じんぶつをあげ[4]、『かん字典じてん』も同様どうようであるが、この人物じんぶつについてはよくわからない。前漢ぜんかんの勃海太守たいしゅだった龔遂は、『こうむもとむ』にも「龔遂すすむのう」としてえる有名ゆうめい人物じんぶつである。前漢ぜんかんにはまた「りょう龔」とばれたすわえの龔勝・龔舎がられる。

また、福建ふっけん広東かんとん台湾たいわん一帯いったいではひろしこうおうほう、龔、ひろしの6つのせい共通きょうつうおうせい先祖せんぞつとなされる[5][6]

著名ちょめい人物じんぶつ

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架空かくう人物じんぶつ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 中国ちゅうごくしんいき报 2022ねん11月11にち 2はん - “ひゃくいえせい”规模及其うらない全国ぜんこく人数にんずう比重ひじゅう” (中国ちゅうごく). 中国ちゅうごくしんいき报 (2022ねん11月11にち). 2023ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  2. ^ ひゃくいえせい人口じんこううらない全国ぜんこく人口じんこう比重ひじゅう达84.55%” (中国ちゅうごく). 中国ちゅうごくしんいき (2022ねん11月11にち). 2023ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ 全國ぜんこく姓名せいめい統計とうけい分析ぶんせき”. 中華民国ちゅうかみんこく内政ないせい. p. 281 (2018ねん10がつ). 2023ねん1がつ19にち閲覧えつらん
  4. ^ つうこころざし氏族しぞくりゃく・以国為氏ためうじ・龔氏https://archive.org/stream/06058575.cn#page/n148/mode/2up。「『ひだりでんすすむ大夫たいふ龔堅、かん勃海太守たいしゅ龔遂、こうかんともえぐんゆう龔氏。しん謹按、項羽こううでんみかどはしらこくきょうかおいにしえうんとも、読曰龔。」龔即ども也。籀文从龍。また按、こうかんともえぐん蛮酋、ほおとく・鄂・ゆう・龔、凡ななせいともえ蛮亦ゆう龔氏。」 ここにいう項羽こううでんは『漢書かんしょちんまさるこうせきでんぶんともえぐんななせいについては『こう漢書かんしょ南蛮なんばん西南せいなんえびす列伝れつでんえる。
  5. ^ 海内かいだいがい六桂宗亲聚福清共叙亲情宗谊 -侨乡 - 东南网福きよし频道”. fq.fjsen.com (2018ねん12月14にち). 2023ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  6. ^ ろくかつらりゅうかおる-おう源流げんりゅう”. www.wengshi.org (2013ねん1がつ10日とおか). 2023ねん3がつ6にち閲覧えつらん