(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ANTI NO MERCY UNION - Wikipedia コンテンツにスキップ

ANTI NO MERCY UNION

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ANTI NO MERCY UNION(アンチ・ノー・マーシー・ユニオン)は、プロレスラーのユニットである。略称りゃくしょうANMU(アンムー)[1]別名べつめいはんNO MERCY連合れんごうぐん(はん のー まーしー れんごうぐん)。俗称ぞくしょうとしてはん無慈悲むじひぐん連合れんごう(はん むじひぐん れんごう)とも。プロレスリング・ノア興行こうぎょうにおいて活動かつどうした。2011ねん4がつ結成けっせい[2][3]名称めいしょうに「アンチ」がいているが、ユニットとしての位置いち保守ほしゅ体制たいせいである。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

ヒール軍団ぐんだんNO MERCY活動かつどう批判ひはんし、反旗はんきひるがえ鈴木すずきつづみ太郎たろう石森いしもりふとし青木あおき篤志あつしの3にん自然しぜんたがいに協力きょうりょくすることとなり、結成けっせいいたった[4]

鈴木すずき潮崎しおざきぐん一員いちいんとしてディスオベイ抗争こうそうしていたが、ディスオベイが分裂ぶんれつ騒動そうどうこしディスオベイと分派ぶんぱしたNO MERCYあいだこうそうひろげるようになり、こうそう相手あいて不在ふざいとなっていた。青木あおきはGHCジュニアヘビーきゅうタッグ王者おうじゃであり、パートナーのまるふじ正道せいどうがNO MERCYの標的ひょうてきとされていたが、負傷ふしょう欠場けつじょうにより王座おうざ返上へんじょうしていた。石森いしもりリッキー・マルビンとのタッグチームが解散かいさんし、パートナー不在ふざい状況じょうきょうであった[4]

その3にん度重たびかさなるNO MERCYの暴挙ぼうきょたいし、んで対立たいりつすること決意けつい。2011ねん4がつ29にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいで、はじめて3にんがタッグを結成けっせい。NO MERCYのKENTA金丸かねまる義信よしのぶ平柳ひらやなぎげんはんと6にんタッグで対戦たいせん。しかしりょうチームのこうそう激化げきかし、相手あいてがわ椅子いす攻撃こうげきにより反則はんそくちとなる。鈴木すずきは、空位くういとなっているGHCジュニアヘビーきゅうタッグ王座おうざ王者おうじゃ決定けっていせんさきげていたNO MERCYにたいし「あのようなやつらにベルトをたすわけにはいかない」と青木あおきとのコンビでどう決定けっていせんげた[4]

その当初とうしょ便宜べんぎてきはんNO MERCY連合れんごうぐん呼称こしょうされていたチームめいを、その英語えいご表記ひょうきをそのままチームめいとし、ANTI NO MERCY UNION頭文字かしらもじってりゃくANMU)とすることを発表はっぴょうした[3]

さらに5月25にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいにおいてGHCジュニアヘビーきゅうタッグしん王者おうじゃ決定けっていせんとして鈴木すずき青木あおきぐみたいKENTA・金丸かねまるぐみまれたが、青木あおき金丸かねまるタッチ・アウトしずみ、敗北はいぼくした[5]

7がつ10日とおか有明ありあけコロシアム大会たいかいで、タッグパートナーの高山たかやまよしひろ裏切うらぎられて敗北はいぼくした佐野さのたくみしんとANMUがみ、高山こうざんしんメンバーにくわえたNO MERCYが6にんタッグで激突げきとつし、敗北はいぼく[6]

また同月どうげつにはだい5かいにっテレG+はい争奪そうだつジュニアヘビーきゅうタッグ・リーグせん鈴木すずき青木あおきぐみ参戦さんせんし、優勝ゆうしょうかざった。これは、結成けっせい当初とうしょより保持ほじしていた鈴木すずきのGHC王座おうざのぞくと、チームはつ栄冠えいかんとなった[7]。なお、石森いしもりザック・セイバーJr.んで出場しゅつじょう予定よていであったが、負傷ふしょう欠場けつじょうにより、不参加ふさんかとなっている。

2011ねん8がつ7にち古河ふるかわ古河ふるかわ体育館たいいくかんにてANMUはGHCヘビーきゅう王者おうじゃ潮崎しおざきごうんで、NO MERCYと6にんタッグで対戦たいせん試合しあいには勝利しょうりしたものの、前日ぜんじつ秋山あきやまとのGHCヘビーきゅう選手権せんしゅけん負傷ふしょうしていたくちびる徹底的てっていてきねらわれた潮崎しおざきは、NO MERCYにたい徹底てってい抗戦こうせんかまえをせ、ANMUに加入かにゅうめた。同月どうげつ17にちディファ有明ありあけにておこなわれる2DAYSタッグ・トーナメントに潮崎しおざき鈴木すずき出場しゅつじょうし、優勝ゆうしょうねらうこととなった。その、1回戦かいせんにて、NO MERCYの高山たかやまよしこう・KENTAぐみとの対戦たいせん発表はっぴょうされた[8]。なお、潮崎しおざきのタッグ・パートナーの谷口たにぐち周平しゅうへい潮崎しおざきわせてANMUと共闘きょうとう[9]

そしてむかえた8がつ17・18にちディファ有明ありあけ大会たいかいの2DAYSタッグ・トーナメントでは、高山たかやま・KENTAぐみ敗北はいぼくし、1回戦かいせん敗退はいたい優勝ゆうしょうはならなかった。一方いっぽう青木あおき杉浦すぎうらたかとANMUのわくえたコンビで出場しゅつじょうし、1回戦かいせん突破とっぱ決勝けっしょうせん高山こうざんぐみやぶれてじゅん優勝ゆうしょうとなった[10][11]

2012ねん1がつ設立せつりつ初期しょきからのメンバーだった石森いしもりどう軍団ぐんだん居場所いばしょくなったことに不安ふあんおぼえ、同月どうげつ29にちどう軍団ぐんだん正式せいしき脱退だったい脱退だったい石森いしもりまるふじ正道せいどう杉浦すぎうらたかしんユニットに加入かにゅうした。

2012ねん3がつ18にち横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん大会たいかいで、セミファイナルのGHCタッグ選手権せんしゅけん試合しあい秋山あきやまじゅん&齋藤さいとうあきらしゅん vs 潮崎しおざきごう&武藤むとうたかし試合しあい王座おうざ防衛ぼうえいした王者おうじゃぐみ秋山あきやまが、ANMUの潮崎しおざきごう青木あおき篤志あつし鈴木すずきつづみ太郎たろうの3にんたいし、ノア設立せつりついきおいともどすべく秋山あきやまぐん(のちのS・A・T)加入かにゅう要請ようせい青木あおき鈴木すずきはこれにおうじ、秋山あきやまぐん鞍替くらがえした。しかし潮崎しおざき加入かにゅう共闘きょうとう拒絶きょぜつした。ANMUは潮崎しおざきただいちにんとなったが、潮崎しおざきはANMUが今後こんごどうなるかはわからないと直後ちょくごのインタビューでこたえている。4月からのグローバル・タッグ・リーグせん2012には、かつてバーニングおながまめしった本田ほんだ多聞たもんとタッグをんで出場しゅつじょうすることとなった。なお、ANMUの名称めいしょうもちいていないので、本田ほんだがANMUへの加入かにゅうはしてはいない。また、本田ほんだとのタッグをリーグ戦後せんご継続けいぞくするのかもしょうである[12][13][14]

その、4がつ26にち名古屋なごや大会たいかいのグローバル・タッグ・リーグせん公式こうしきせん秋山あきやま&齋藤さいとうvs高山こうざん&マイバッハの試合しあいで、秋山あきやまぐんがマイバッハから暴行ぼうこうけているところを潮崎しおざき救出きゅうしゅつし、その正式せいしき潮崎しおざき秋山あきやまぐんへの加勢かせい表明ひょうめいした。当初とうしょ潮崎しおざきはテレビ中継ちゅうけいなどで「秋山あきやまぐん・ANMU」などと表記ひょうきされることもあり、ANMUは消滅しょうめつしたのか潮崎しおざき秋山あきやまぐん兼務けんむしているかたちなのか不明ふめいであったが、のちにANMUの表記ひょうきはみられなくなり、結果けっかとして潮崎しおざき加入かにゅう事実じじつじょう消滅しょうめつした状態じょうたいとなった。

メンバー[編集へんしゅう]

  • 潮崎しおざきごう - 2011ねん8がつ7にち加入かにゅう。4月26にち秋山あきやまぐん(S・A・T)への加入かにゅう表明ひょうめい
もとメンバー
もと共闘きょうとう選手せんしゅ
メンバーではないが、むことのおおかった選手せんしゅ
  • 佐野さのたくみしん - 高山たかやまんでいたが、高山こうざん裏切うらぎられたため、高山たかやまてきという共通きょうつうてん一時いちじ共闘きょうとう。2011ねん後半こうはんより共闘きょうとう機会きかい減少げんしょう
  • 谷口たにぐち周平しゅうへい - 潮崎しおざきとタッグをんでいたことから共闘きょうとう機会きかいおおかったが、2012ねんはい潮崎しおざきとのタッグを解消かいしょうし、マイバッハ谷口たにぐちとしてNO MERCY加入かにゅう

戦績せんせき[編集へんしゅう]

GHCジュニアヘビーきゅう選手権せんしゅけん
  • 20だい 鈴木すずきつづみ太郎たろう - 2010ねん12月5にち~ (結成けっせいすでに保持ほじ
にっテレG+はい争奪そうだつジュニアヘビーきゅうタッグ・リーグせん
  • だい5かい大会たいかい(2011ねん優勝ゆうしょう 鈴木すずきつづみ太郎たろう/青木あおき篤志あつし
GHCヘビーきゅう選手権せんしゅけん
  • 17だい 潮崎しおざきごう - 2011ねん7がつ23にち~(2011ねん8がつ加入かにゅうに、すでに保持ほじ

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 発音はつおん、「ム」にアクセント。
  2. ^ CS にっテレG+『NOAH di コロッセオ』2011ねん5がつ18にち放送ほうそうぶんより
  3. ^ a b スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ週刊しゅうかんプロレス』2010ねん7がつ27にちごう
  4. ^ a b c スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ週刊しゅうかんプロレス』2010ねん6がつ1にちごう
  5. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ週刊しゅうかんプロレス』2010ねん6がつ15にちごう
  6. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ週刊しゅうかんプロレス』2010ねん7がつ27にちごう
  7. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ週刊しゅうかんプロレス』2010ねん8がつ17にちごう
  8. ^ 潮崎しおざき&つづみ太郎たろうがタッグトーナメント優勝ゆうしょう宣言せんげん NO MERCY vs ANMU 全面ぜんめん対決たいけつへ|プロレスリング・ノア公式こうしきサイト
  9. ^ プロレスリング・ノア公式こうしきサイト
  10. ^ 8がつ17にち試合しあい結果けっか|プロレスリング・ノア公式こうしきサイト
  11. ^ 8がつ18にち試合しあい結果けっか|プロレスリング・ノア公式こうしきサイト
  12. ^ 秋山あきやまはこの3にん勧誘かんゆう理由りゆうとして、ノア設立せつりつ中心ちゅうしん選手せんしゅであった三沢みさわ光晴みつはる小橋こはし建太けんた秋山あきやまじゅん付人つきびとであったことから、その精神せいしんいでいることをげ、ノア設立せつりついきおいをもどすために必要ひつよう人材じんざいとしている。鈴木すずき三沢みさわ青木あおき秋山あきやま潮崎しおざき小橋こはしのそれぞれ付人つきびと経験けいけんしている。
  13. ^ “「GREAT VOYAGE 2012 in YOKOHAMA」横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん大会たいかい 試合しあい終了しゅうりょうコメント”. プロレスリング・ノア公式こうしき. (2012ねん3がつ18にち). http://www.noah.co.jp/news_detail.php?news_id=3870 2012ねん3がつ18にち閲覧えつらん 
  14. ^ 週刊しゅうかんプロレス』2012ねん4がつ4にちごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • プロレスリング・ノア公式こうしきパンフレット『だい5かいにっテレG+はい争奪そうだつジュニアヘビーきゅうタッグ・リーグせん』(2011ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]